先月、奈良学園大学の整理解雇事件の地裁判決があったようです。
https://biz-journal.jp/2020/08/post_173555.html(奈良学園大学、学部再編失敗し教員大量解雇…無効判決で1億円超支払い命令、復職を拒否)
これは、整理解雇の原因に関しては完全に学園側に問題があるケースですが、とはいえ、大学教授という職種が専門職であるならば、「会社が悪くて社員に責任がないから」という普通の無限定正社員のロジックだけで議論していい代物ではないはずです。
・・・さらに判決では、大学教員は高度の専門性を有する者であるから、教育基本法9条2項の規定に照らしても、基本的に大学教員としての地位の保障を受けることができると判断。一審の段階ではあるが、無期労働契約を締結した大学教員を一方的に解雇することはできないことを示したのだ。
その大学教授の『高度の専門性』なるものは、大学教授という地位でさえあれば、どんなに異なる専門の学部でもいいのか?という問いを逃れることはできないはずです。
本件については、全国国公私立大学の事件情報というサイトにやや詳しい情報が載っていますが、
http://university.main.jp/blog8/archives/cat128/
・・・・すなわち、本判決は、①人員削減の必要性については、ビジネス学部・情報学部の募集停止により学生らがほとんどいなくなったため教員が過員状態になったとはいえ、被告は資産超過の状態にあって、解雇しなければ経営破綻するといったひっ迫した財政状態ではなかったと判示した。また、②解雇回避努力については、原告らを人間教育学部や保健医療学部に異動させる努力を尽くしていないことや、総人件費の削減に向けた努力をしていないと判示した。さらに、③人選の合理性については、一応は選考基準が制定されてはいるものの、これを公正に適用したものとは言えないと判示した。また、④手続の相当性についても、組合と協議を十分に尽くしたものとは言えないと判示した。
この奈良地裁の判決では、大学教授の解雇回避努力義務には、ビジネス学部、情報学部の大学教授を、人間教育学部や保健医療学部に異動させる努力も尽くさないといけないかのようです。
ほんとうにそうなのか?大学教授の専門性というのは、(テレビ番組の肩書きよろしく)「大学教授」とさえ名乗れれば、ビジネスや情報でも、人間教育や保健医療でも何でもありの、その程度の専門性なのでしょうか。
実はこの問題、『ジュリスト』2020年4月号に載せた大乗淑徳学園事件の評釈で採り上げた問題です。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2020/03/post-e7da60.html(学部廃止を理由とした大学教授らの整理解雇――学校法人大乗淑徳学園事件@『ジュリスト』2020年4月号(No.1543))
この判決も、大学教授という地位にはやたらに固執して、事務職への配転は許されないと言うわりに、同じ大学教授でさえあればいくらでも配転せよみたいな口ぶりで、大いに問題がありました。
ただ、この大乗淑徳学園事件の場合、廃止した国際コミュニケーション学部と新設の人文学部がほとんど偽装倒産と偽装設立みたいな内容的にとても重なる事案であり、形式的に学部の名前が違うということに藉口して高齢高給の教授をまとめて解雇したような事案であり、評釈もそちらに注目しています。
・・・本件の最大の論点は国際コミュニケーション学部と入れ替わりに設置された人文学部へのXらの配置転換可能性である。なぜなら、古典的な学部配置を前提とすれば学部とは大学教授の専門性のまとまりであり、例えば法学部には法律学者がおり、理学部には物理学者がいるという状況を前提として、「大学は学部ごとに研究及び教育内容の専門性が異な」り、「大学教授は所属学部を限定して公募、採用されることが一般的」であると言えようが、近年のように学部学科の在り方が多様化し、古典的学部のようには明確に専門性を区別しがたい(「国際」等を冠する)諸学部が濫立すると、必ずしも「大学は学部ごとに研究及び教育内容の専門性が異なる」とは言えなくなるからである。Xら側が国際コミュニケーション学部と人文学部に「連続性があることは明らか」と主張しているにもかかわらず、本判決はこの最重要論点を回避し、「Yのとるべきであった解雇回避措置は、Xらの同学部への配置転換に限られるものではなかったというべき」と言って済ませている。本件では国際コミュニケーション学部の高齢で高給の教授を排除して、新たな人文学部ではより若く高給でない専任教員に代替しようという意図が背後に感じられる面もあり、この論点回避は残念である。・・・
しかし、この奈良学園大学の場合、大学側の不手際で、そもそもビジネス学部、情報学部の後継学部として計画していた現代社会学部がぽしゃってしまったわけで、少なくともビジネスだの情報だのを教えて飯を食っている人がその専門で教えられるような職場はなくなってしまっているんです。
その意味で、まさに、大学教授ってのはそこらのサラリーマンと同じく、やれといわれればまったく知らないことでもほいほいと教えられるような、(地位だけは大学教授という限定はあるけれども)職務の専門性はないような、そんな存在だと、この方々は思っているんだろうか、という疑問が湧いてきます。あなたがたの、そのビジネスだの情報だのの専門性というのは、いきなり人間教育だの保健医療だのにするりと切替えられる程度の、そんなものだったのか、という問いがブーメランのように帰ってくるんだということは、されどこまで理解されているんでしょうか。
(追記)
これって、『日本の雇用と中高年』で引用した例の笑い話とパラレルかもしれません。
「部長ならできます」
「大学教授ならできます」
本日、東大の労働判例研究会で学校法人早稲田大学事件の評釈をしてきました。評釈というより、この事案をめぐって考えたことを綴ったエッセイみたいなものですが、いろいろと考えるネタの詰まった事件ではあります。
http://hamachan.on.coocan.jp/rohan230512.html
労働判例研究会 2023/5/12 濱口桂一郎
大学教授の採用選考情報開示拒否
学校法人早稲田大学事件(東京地判令和4年5月12日)
(判例集未搭載)
Ⅰ 事実
1 当事者
X1:Yの専任教員募集への応募者(政治学者)
X2:X1が加入している組合(東京ユニオン)
Y:大学等を設置している学校法人(早稲田大学)
2 事案の経過
・X1は明治大学商学部教授であり、平成26年度後期から平成30年度後期までY政治経済学術院の非常勤講師を勤めた。
・Yは平成28年1月19日、Y大学院アジア太平洋研究科専任教員(募集領域:現代中国の政治と国際関係、採用後の身分:教授又は准教授)1名の募集を行った(本件公募)。
・X1は同年4月15日、本件公募に応じ、応募書類を提出した。
・Y大学院アジア太平洋研究科は同年6月13日、X1に対し、メールにより、本件公募の書類審査結果について、X1の採用を見送ることになった旨の通知をした。
・X1は自らが公募で示された採用条件を満たす数少ない研究者の一人であると考えていたが、それにもかかわらず書類審査の段階で不合格とされたことから、選考過程の公正さについて疑念を抱き、本件公募の対象ポストの前任者A(X1と学問的・政治的対立関係にあると認識)が選考過程に関与したのではないかと疑った。
・X1は本件公募当時の研究科長Bに対し、同年10月4日付書簡及び同月5日付メールにより、選考過程について情報開示を求めたが、新研究科長Cは同日付メールで選考過程及び結果についての情報開示を拒否した。
・X1はCに対し、同月10日付メールで面会を求めたが、Cは同月11日付メールで拒否した。
・X1はYの常任理事に対し、同月19日付書簡により、理事会で選考過程を精査し、選考のやり直しを検討することを求めたが、Yの教務担当理事は同月27日付書簡により、個別の選考過程について詳細を開示できないと回答した。
・X1はYの教務担当理事に対し、平成29年2月12日付書簡により、内規の開示、選考過程に関する情報開示、選考のやり直しを求めたが、Yは回答しなかった。
・X1とY政治経済学部教授1名がX2に加入してX2早稲田大学支部を結成、X2は平成30年11月30日付通知書でこの旨を通知するとともに、本件公募の選考過程について団体交渉を申し入れた。
・X2とYは平成31年1月9日に第1回団体交渉を行い、Yは本件公募の選考過程に関しては団交を拒否した。
・X2とYは同年4月15日に第2回団体交渉を行い、Yは本件公募の選考過程に関しては団交を拒否した。
・X2はYに対し、令和元年5月10日付申入書により書面の解答を要求したが、Yは同月16日付書簡により団交に応じる義務はないとして回答せず、以後団体交渉は行われていない。
・Xらは令和元年6月11日、YがX1の透明・公正な採用選考に対する期待権及び社会的名誉を侵害したとして慰謝料の支払を、X2の団交申入れを正当な理由なく拒否したとして団交を求める地位の確認と無形の財産的損害の賠償を求めて提訴した。(同年11月20日付で、ネットメディア「現代ビジネス」に、田中圭太郎「早稲田大学「教員公募の闇」書類選考で落ちた男性が訴訟を起こした 選考プロセスが不透明すぎる」との記事が掲載(
https://gendai.media/articles/-/68471))
・令和4年5月12日、東京地裁が判決(本件判決)。
・令和5年2月1日、東京高裁が判決(控訴棄却)。
3 団体交渉事項目録(別紙1)
・研究科専任教員採用人事内規の開示
・早稲田大学大学院アジア太平洋研究科が平成28年1月に行った専任教員の公募につき「研究科運営委員会の定めた手続」資料の開示及び説明
・本件公募手続における原告Aに対する評価の開示及び説明
・原告Aが採用面接に至らなかった理由の開示及び説明
・上記評価の根拠となった資料の開示
・本件公募手続への前任者の関与の有無
・本件公募から採用に至る過程に対する事後的検証の有無、方法、内容
・採用審査の過程で開催された運営委員会の議事録の開示
4 X1がYに対して開示を求める情報(別紙2)
・研究科専任教員採用人事内規
・X1に対する評価の根拠となる資料
・X1が採用面接に至らなかった根拠となる審査情報
・採用審査の過程で開催された運営委員会の議事録
Ⅱ 判旨 請求棄却
1 労働契約締結過程における信義則上の義務
「X1は、本件公募に応募したが、書類選考の段階で不合格になったものである・・・。X1とYとの間で、X1を専任教員として雇用することについての契約交渉が具体的に開始され、交渉が進展し、契約内容が具体化されるなど、契約締結段階に至ったとは認められないから、契約締結過程において信義則が適用される基礎を欠くというべきである。
Xらの主張は、X1が本件公募に応募したというだけで、信義則に基づき、Yに本件情報開示・説明義務が発生するというに等しく、採用することができない。」
2 公募による公正な選考手続の特殊性に基づく義務
「大学教員の採用を公募により行う場合、その選考過程は公平・公正であることが求められており、応募者の基本的人権を侵害するようなものであってはならないということはできる。
しかしながら、X1は、Yとの間で契約締結段階に至ったとは認められず、契約締結過程において信義則が適用される基礎を欠くことは上記(1)のとおりであり、このことは、選考方式が公募制であったことによって左右されるものではない。したがって、仮に、X1が本件公募について透明・公正な採用選考が行われるものと期待していたとしても、その期待は抽象的な期待にとどまり、未だ法的保護に値するとはいえず、Yが専任教員の選考方式として公募制を採用したことから、直ちに本件情報開示・説明義務が発生する法的根拠は見出し難い。」
3 個人情報の適正管理に関する義務
「職業安定法5条の4は、・・・求職者等に対する個人情報の開示に関しては、何ら規定していない。したがって、職業安定法5条の4は、本件情報開示・説明義務の法的根拠とはなり得ないというべきである。」
「X1がYに対して開示を求めたとする別紙2記載の情報についてみると、同1記載の情報及び同4記載の情報のうちX1に言及がない部分がX1の個人情報に当たらないことは、明らかである。
また、別紙2の2及び3記載の情報並びに別紙2の4記載の情報のうちX1に言及する部分は、X1を識別可能であることからX1の個人情報に該当するものがあるとしても、本件全証拠及び弁論の全趣旨によっても、これらの情報が個人情報データベース等を構成していることをうかがわせる事情は何ら認められないから、個人情報保護法28条2項(ママ)に基づく開示の対象となる保有個人データであるとは認められない。
さらに、仮に、別紙2の2及び3記載の情報並びに別紙2の4記載の情報のうちX1に言及する部分が保有個人データに当たるとしても、これらの情報を開示することは、個人情報保護法28条2項2号に該当するというべきである。すなわち、Yは、採用の自由を有しており、どのような者を雇い入れるか、どのような条件でこれを雇用するかについて、法律その他による特別の制限がない限り、原則として自由にこれを決定することができるところ、大学教員の採用選考に係る審査方法や審査内容を後に開示しなければならないとなると、選考過程における自由な議論を委縮させ、Yの採用の自由を損ない、Yの業務の適正な実施に著しい支障を及ぼすおそれがあるからである。したがって、Yは、個人情報保護法28条2項2号により、これらの情報を開示しないことができる。」
4 団交応諾義務
「Yは、X2がYに対して団体交渉を申し入れた平成30年11月当時、X1を非常勤講師として雇用していたことが認められるから、当時、X1の労働組合法上の使用者であったことが認められる。しかしながら、X1は、Yから非常勤講師として雇用されていたものであり、また、YにはX1に対する本件情報開示・説明義務が認められないことは前記1で説示したとおりであるから、専任教員に係る本件公募の選考過程は、X1とYとの間の労働契約上の労働条件その他の待遇には当たらない。したがって、別紙1記載の各事項は義務的団体交渉事項には当たらないから、X2がYに対して別紙1記載の各事項について団体交渉を求める地位にあるとはいえず、また、Yが別紙1記載の各事項について団体交渉に応じなかったことは、X2に対する不法行為を構成するものではない。」
Ⅲ 評釈 判旨に反対するのは困難だがいくつか論点がある
1 本事案の射程
本判決を通常の労働法の感覚で評釈するならば、「判旨賛成、原告の訴えには無理がある、以上。」で終わるような事案であろう。しかしながら、それで済ませて良いのか、多くの人に何らかの違和感が残るのではなかろうか。ここでは、その違和感の依って来たるところを少し突っ込んで考えてみたい。
一つ目は、募集採用に係る日本の判例法理として半世紀前に確立している三菱樹脂事件最高裁判決の射程がどこまで及ぶのか、言い換えればどのような募集採用に対しては及ぼすべきではないと考えられるのかという論点である。
もう一つは、これはもはや労働法の範囲を逸脱するとも言えるが、一定の学問的・政治的対立が存在する中における一定の地位をめぐる争奪戦がどこまで法的紛争として救済の対象となり得るのかという論点である。
本事案はこういった論点を考える上でいくつもの素材を提供してくれる事案である。以下は、厳密な意味での判例評釈というよりは、これら論点をめぐって思いついたことを書き連ねたエッセイに類する。
なお、本件の原告側弁護士は宮里邦雄と中野麻美であり、被告側弁護士は木下潮音、小鍛治広道らであり、両陣営の大物が登場している。宮里は本件控訴審判決(令和5年2月1日)の直後の2月5日に亡くなっており、彼が最後に携わった事件ということになる。
2 募集採用法理の射程
今日においても、労働者の募集採用に係る日本の判例法理としては、三菱樹脂事件最高裁判決が最重要の先例である。
・・・企業者は、かような経済活動の一環としてする契約締結の自由を有し、自己の営業のために労働者を雇傭するにあたり、いかなる者を雇い入れるか、いかなる条件でこれを雇うかについて、法律その他による特別の制限がない限り、原則として自由にこれを決定することができるのであつて、企業者が特定の思想、信条を有する者をそのゆえをもつて雇い入れることを拒んでも、それを当然に違法とすることはできないのである。憲法一四条の規定が私人のこのような行為を直接禁止するものでないことは前記のとおりであり、また、労働基準法三条は労働者の信条によつて賃金その他の労働条件につき差別することを禁じているが、これは、雇入れ後における労働条件についての制限であつて、雇入れそのものを制約する規定ではない。また、思想、信条を理由とする雇入れの拒否を直ちに民法上の不法行為とすることができないことは明らかであり、その他これを公序良俗違反と解すべき根拠も見出すことはできない。
右のように、企業者が雇傭の自由を有し、思想、信条を理由として雇入れを拒んでもこれを目して違法とすることができない以上、企業者が、労働者の採否決定にあたり、労働者の思想、信条を調査し、そのためその者からこれに関連する事項についての申告を求めることも、これを法律上禁止された違法行為とすべき理由はない。もとより、企業者は、一般的には個々の労働者に対して社会的に優越した地位にあるから、企業者のこの種の行為が労働者の思想、信条の自由に対して影響を与える可能性がないとはいえないが、法律に別段の定めがない限り、右は企業者の法的に許された行為と解すべきである。また、企業者において、その雇傭する労働者が当該企業の中でその円滑な運営の妨げとなるような行動、態度に出るおそれのある者でないかどうかに大きな関心を抱き、そのために採否決定に先立つてその者の性向、思想等の調査を行なうことは、企業における雇傭関係が、単なる物理的労働力の提供の関係を超えて、一種の継続的な人間関係として相互信頼を要請するところが少なくなく、わが国におけるようにいわゆる終身雇傭制が行なわれている社会では一層そうであることにかんがみるときは、企業活動としての合理性を欠くものということはできない。
およそ採用に関する一般原則として、思想・信条による採用差別(正確にいえば試用期間満了による本採用拒否であり、雇用関係は生じていた事案)をも採用の自由として容認するこの考え方を前提とすれば、書類選考の段階で不合格になったことを捉えてあれこれ言うこと自体が笑止千万であり、議論の余地もないところであろう。しかしながら、この最高裁判決が自ら述べるように、この判決は「継続的な人間関係」「相互信頼」「終身雇傭制」といったキーワードで彩られる日本型雇用システムを大前提とし、かつ、採用時点において採用後担当する職務について(潜在能力はあっても)個別具体的な技能を有していることは何ら期待されていないような新規学卒者一括採用方式における学生の募集採用であることを前提として下された判決であり、そのような前提が希薄であるような状況下においても同様に適用されるべきであるかについては、議論の余地が十分にある。
この判決後、日本でも男女雇用機会均等法が制定され、累次の改正を経て募集・採用から退職・解雇に至る雇用の全ステージにおける性別に基づく差別が禁止されるに至っているが、今日まで問題として表れてきているのはほとんどすべて採用後の処遇に係る差別であって、採用そのものにおける差別事案というのは登場してきていない。配置・昇進をめぐる差別は処遇問題としてのみ捉えられ、欧米におけるような社内における募集・採用の問題として捉える観点はほとんど見られない。
近年「ジョブ・ディスクリプション」という言葉が氾濫しているが、そもそもそれが募集・採用のための基準であるという認識はほとんど見られず、「ジョブ型」の流行もほぼ処遇に限られ、募集・採用まで含めて論ずるものは稀である。とはいえ、もし本気で「ジョブ型」の雇用社会を目指すつもりがあるのであれば、そこにおける募集・採用は上記最高裁判決が前提とするようなものではなく、募集するポストのジョブ・ディスクリプションを詳細に記述し、資格・経験等から判断してその職務を最も適切に遂行しうると見込まれる者を採用するというのが、(もとより現実とは一定の乖離があるにせよ)出るところに出た時のあるべき姿ということになるであろう。すなわち、採用された候補者と採用されなかった候補者について、募集の際に提示した職務内容や要する資格等との関係で合理的な判断がなされたことを示すことが求められると考えられる。EU運営条約の改正をもたらしたEU司法裁判所のカランケ判決やマルシャル判決は、まさに管理職の募集採用において男女の応募者が資格同等の際に女性を優先させることの是非が問われたものである。
政府や経団連や評論家の掛け声にもかかわらず、そのような方向に日本が動いていくという見込みは予見しうる将来にわたって希薄であるので、少なくとも募集・採用に関する一般論としてはなお上記最高裁判決の法理が妥当し、「継続的な人間関係」「相互信頼」「終身雇傭制」を前提に、会社の仲間としての適格性でもって採用判断することになんら制約はなく、その採用過程を公開せよなどという要求が通る見込みはないと思われる。
しかしながら、一般社会はそうであっても、特殊な高度専門職についてその特別の能力を有する者を広く社会全体に対して募集する場合にはそれとは異なる法理が適用されるべきではないか、というのが、原告側の第二の主張であろう。「大学教員の採用を公募により行う場合、その選考過程は公平・公正であることが求められ」るという原告の主張は、実態はともかく建前としては否定しがたいものであるはずである。すべての大学教授がそうであるか否かはともかく、一定の大学教授ポストがそのような存在であることは社会的に認識されていることであろうと思われる。
これに対してY側は、(上記最高裁判決を踏まえた)採用の自由論に加えて、憲法23条に基づく学問の自由をその論拠として挙げているが、この点は後述の第2の論点にかかわるので、ここでは前者について考える。畢竟、Y側は高度専門職を公募で採用する場合と無技能の新卒学生をポテンシャル採用する場合とで適用されるべき法理に違いはないと主張していると考えられ、本判決の裁判官も「このことは、選考方式が公募制であったことによって左右されるものではない」と述べていることからも、そのように判断していると考えられるが、その判断で良いのかどうかは、少なくとも議論の余地のあるところであろう。
もっとも、採用という入口の反対側の出口に当たる解雇事案においては、大学教授といえども(いやむしろその方が?)職務の専門性とは関わりなく身分的保障がなされるべきという主張を大学教授自身が行い、裁判所もそれを認めるという判決が積み重なってきているので、このY側の主張と平仄が合っているというべきかもしれない。
すなわち、学校法人大乗淑徳学園事件(東京地判裁令和元年5月23日労働判例1202号21頁)は、学部廃止に伴う大学教授の整理解雇について、「Xらの所属学部及び職種が同学部の大学教員に限定されていたか否かにかかわらず、同学部の廃止及びこれに伴う本件解雇についてXらに帰責性がないことに変わりはなく、Yの主張するXらの所属学部及び職種の限定の有無は、本件解雇の効力を判断する際の一要素に過ぎない」と述べ、解雇無効と判示している。ちなみにこの事案の評釈(『ジュリスト』2020年4月号)で筆者は次のように述べたことがあるが、単なる雇用関係ではなく、(専門性を一切捨象した)大学教授という身分自体を保護対象と考えるこの発想は、Y側の主張と極めて整合的であると言えよう。
本件で興味深いのは、大学教授の配置転換可能性として事務職員としての雇用継続という選択肢も論じられていることである。この点に関しては、Xら側が大学教授という職務への限定性を強く主張し、本判決もそれを認めている。しかしながら、そもそも「大学教員はその専門的知識及び実績に着目して採用されるもの」を強調するのであれば、およそ大学教授であれば何を教えていても配置転換可能などという議論はありえまい。例えば法学部が廃止される場合、その専任教員を事務職員にすることは絶対に不可能であるが、理学部の専任教員にすることは同じ「大学教員」だから可能だとでも主張するのであろうか(労働法の教授を人事担当者にする方がよほど専門知識に着目しているとも言えよう)。
同様に学部廃止に伴う整理解雇事案である学校法人奈良学園事件(奈良地判令和2年7月21日労働判例1231号56頁)でも、本来専門性が高くなればなるほど配置転換の可能性は少なくなるはずなのに、逆に「ビジネス学部及び情報学部に在籍する学生がほとんどいなくなったことにより過員となった教員たる原告らを人間教育学部又は保健医療学部に異動させ、担当可能科目を担当させることがおよそ不可能であるとはいえず」などと、より無限定的な配転可能性を要求している。日本の裁判所にとって、大学教授というのは身分としては最大限尊重されるべきであるが専門性は尊重する値打ちはないようである。
3 採用の自由と学問の自由
上述のように、Y側は採用の自由論に加えて、憲法23条に基づく学問の自由をその論拠として挙げている。この議論は裁判所の採用するところとはなっていないが、それとして論ずる値打ちがあると思われる。Y側の論理は次のようである。「憲法23条は、学問の自由を保障しているところ、大学における学問の自由を保障するため、大学の自治が認められている。教員の人事における自治は、大学の自治の核心であるから、大学は、私企業に比して、採用の自由がより広範に保障されるべき立場にある。採用の自由が認められることの当然の帰結として、応募者をどのように評価するかについては、大学に広範な裁量権がある。」
学問の自由や大学の自治については、東大ポポロ事件最高裁判決が次のように述べている。
・・・大学における学問の自由を保障するために、伝統的に大学の自治が認められている。この自治はとくに大学の教授その他の研究者の人事に関して認められ大学の学長、教授その他の研究者が大学の自主的判断に基づいて選任される。また、大学の施設と学生の管理についてもある程度で認められ、これらについてある程度で大学に自主的な秩序維持の権能が認められている。
このように、大学の学問の自由と自治は、大学が学術の中心として深く真理を探求し、専門の学芸を教授研究することを本質とすることに基づくから、直接には教授その他の研究者の研究、その結果の発表、研究結果の教授の自由とこれらを保障するための自治とを意味すると解される。
Y側の主張はこの「この自治はとくに大学の教授その他の研究者の人事に関して認められ大学の学長、教授その他の研究者が大学の自主的判断に基づいて選任される」というところに着目したものであろう。だが、この「自主的判断」というのは、憲法の自由権規定の一環として、まず第一義的には国家の干渉からの自主性を意味する。ここでいう国家の干渉とは、戦前の滝川事件等におけるような行政権の介入のことであって、民事事件における司法権の介入までを否定するような意味合いはないはずである。もしそうなら、そもそも上記のような大学教授の整理解雇事件を司法の判断に委ねること自体が許されないことになる。そのようなことはあり得まい。
ではY側の主張する学問の自由に基づく採用の自由とは何を意味しているのだろうか。本件に行政権は一切介入しておらず、司法の介入が当然であるとすると、残る当事者はXしかいない。とすると、Y側はXの訴えが学問の自由への侵害であると主張しているようである。
もちろん、憲法の私人間効力論という議論はあり、私人による学問の自由の侵害ということも立論可能である。実際、強大な財力を有する企業や団体が大学の学問研究に干渉しようとするということも考えられるし、立論の仕方はともかく、それを学問の自由という概念で議論することはあってよい。しかしながら本件においては、XはYの一非常勤講師にして教員公募への応募者に過ぎない。社会経済的な力関係からいえば圧倒的にYが優勢である。Yの云い分は、Xが自分の採用選考が公正に行われたか否かをYに問うことが、学問の自由を侵害すると言わんばかりであり、そのあまりにも矮小化ではなかろうか。
もっとも、これが単なる一個人の採用選考をめぐる紛争ではなく、背後に何らかの対立構造があり、本件はその表出であるとするならば、この反応にも理解できるところがある。それは、X側の次の主張に垣間見えている。すなわち、「Xは、自らが本件公募における上記(3)アの採用条件を満たす数少ない研究者の一人であると考えていたところ、それにもかかわらず、書類審査の段階で不合格とされたことから、選考過程の公正さについて疑念を抱き,本件公募の対象となったポストの前任者(Xは、前任者について、自己と学問的・政治的立場を全く異にしており、学問上対立関係にあると認識している。)が選考過程に関与したのではないかと疑った。」とあるように、ここには当該ポストの前任者とXとの間のイデオロギー的対立が影を落としており、前任者が自らと対立するイデオロギーの持ち主であるXを忌避して同じイデオロギーの者を後任者としたいと考えていたとするならば、それをその前任者の側が「学問の自由」と認識することはありえたからである。こうしたことは社会科学系の学問分野ではままありうるが、とりわけ本件における募集ポストが「現代中国の政治と国際関係」という極めてイデオロギー対立の激しいと考えられる分野であれば、これはいかにもありそうなことではある。
この学問の自由論は、裁判所は結論を出すのに必要ないと考えたためか、あえて取り上げていないが、巷間、特定のイデオロギーの集団が特定大学の特定分野の教授ポストを独占している云々と噂されることはよくあり、それが司法審査の対象となり得るのかも疑問であるが、イデオロギー闘争に基づくポスト争いの理屈に学問の自由論を持ち出すのも、あまり見栄えのいいものではないとはいえよう。
4 団交応諾義務について
本件の理論的コアは以上に尽き、個人情報の適正管理や団交応諾義務に関わる論点は枝葉末節に類する。ただし、団交応諾義務の成否に関しては、やや脇道であるが興味深い論点がある。それは、X1がYの非常勤講師であったことに関わる。
そもそも、X1は本件公募への応募者個人として選考過程の開示を求めた後、本件訴訟を提起するまでの間に、X2に加入して団体交渉という集団的労使関係の枠組みで同じく選考過程の開示を求めているが、それが可能であったのは、たまたまX1が平成26年度後期から平成30年度後期までYの非常勤講師であり、言い換えればYは既にX1の使用者であって、「使用者が雇用する労働者の代表者と団体交渉をすることを正当な理由がなくて拒むこと」が不当労働行為たる団体交渉拒否になり得たからである。逆にいえば、X1がYの非常勤講師ではなく、純粋に本件公募への応募者としてX2に加入して団体交渉を要求したとしても、Y側はそもそもYはX1の使用者ではないとして拒否し得た可能性が高い。
では、非常勤講師としての立場で使用者たるYに対して本件公募の選考過程の開示を求めることは義務的団交事項に当たるのであろうか。X1側の云い分は「X1にとって、本件公募による採用は、非常勤講師としての地位から専任教員としての地位への転換としての意味を有するものでもあり、Yと雇用関係にない純然たる第三者の採用の問題とは、その性質を異にするというべきである。」というものであり、本判決はこれを「専任教員に係る本件公募の選考過程は、X1とYとの間の労働契約上の労働条件その他の待遇には当たらない」と一蹴している。
ここは、理論的にはそう簡単に言いきれないと思われる。恐らく大学人の意識においては、テニュアを有する専任教員と非常勤講師とは全く身分が異なるものであり、民間企業における正社員と非正規労働者のように単に労働時間や契約期間が異なるものではないと意識されているのであろうが、民間企業でも社会学的実態としてはそのような身分的意識が一般的であり、しかしながら法的には同じ雇用契約であって、私立大学や国立大学法人の専任教員と非常勤講師におけると何ら異なるところはない。そして、いずれも同様に労働契約法18条の適用を受け、無期転換ルールの下にあるのであるから、非常勤講師の無期転換要求は労働契約上の労働条件その他の待遇に含まれる。
X2がYに団体交渉を申し入れた時点で、X1は非常勤講師として5年目に入っており、無期転換請求権の発生が目前にあったことからすると、Yが無期転換請求権の発生を防止するために当該年度で雇止めする危険性があり、それを防ぐために先んじて無期転換要求を提示しておくということは無意味ではなかろう。これに対して、大学非常勤講師には科学技術・イノベーション創出の活性化に関する法律15条の2の労働契約法の特例により無期転換ルールは10年となるという反論が考えられるが、学校法人専修大学(無期転換)事件(東京高判令和4年7月6日労働判例1273号19頁)は、研究活動を行わない非常勤講師については労働契約法の5年の本則が適用されると判示しており、X1にもこれが該当すると考えられる。
もっとも、ここはさらに複雑な議論があり得て、非常勤講師としてのX1は、非常勤先のYにおいては教育活動のみに従事していたものと思われるが、本籍の明治大学では立派に研究活動をしているので、同条第1号の「研究者等であって研究開発法人又は大学等を設置する者との間で期間の定めのある労働契約(以下この条において「有期労働契約」という。)を締結したもの」という規定ぶりからすると、まさにこれに該当し、研究活動を行っていない非常勤講師としての雇用関係を有するYとの関係においても、労働契約法の5年ではなくイノベ法の10年が適用されることになるとも考えられる。
この論点については、上記専修大学事件判決(地裁判決の引用部分)は「科技イノベ活性化法15条の2第1項1号の「研究者」というには,研究開発法人又は有期労働契約を締結した者が設置する大学等において,研究開発及びこれに関連する業務に従事している者であることを要するというべきであり,有期雇用契約を締結した者が設置する大学において研究開発及びこれに関連する業務に従事していない非常勤講師については,同号の「研究者」とすることは立法趣旨に合致しないというべきである」と明確に述べており、X1は明治大学では研究者であってもYでは研究者に該当しないので、労働契約法の5年出向き転換が適用されるはずである。
ただし、これは団交応諾義務を引っ張り出すための理屈立てであって、事案の実体からすればかなりの程度において仮装というべきであろう。本件の社会的実態はYの雇用する非常勤講師X1の無期転換をめぐる紛争ではなく、Yのあるポストをめぐって、研究者共同体内部の学問的・政治的対立関係が表出したものというべきである。
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