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2024年6月

2024年6月28日 (金)

カスタマーハラスメントの相談割合 27.9%@『労務事情』

B20240701 『労務事情』7月1日号に「カスタマーハラスメントの相談割合 27.9%」を寄稿しました。

https://www.e-sanro.net/magazine_jinji/romujijo/b20240701.html

去る5月17日の雇用の分野における女性活躍推進に関する検討会(学識者6名、座長:佐藤博樹)に、「女性活躍に関する調査」と「職場のハラスメントに関する実態調査」の概要が提出されると共に、厚生労働省のHPにそれぞれの調査結果のフルバージョンがアップされました。そのうちハラスメント調査の方は、顧客等からの著しい迷惑行為(カスタマーハラスメント(カスハラ))や就活等セクハラの実態が詳細に報告されており、今後の対策の必要性を感じさせるものになっています。・・・・

 

 

 

2024年6月27日 (木)

労働者性の判断基準の見直し?

1月から開催されている労働基準関係法制研究会に、昨日事務局から「労働基準法における「労働者」について」という資料が出されており、その大部分は今までの議論のまとめですが、最後のページに「これまでの議論を踏まえた考え方(案)」というのが載っています。

https://www.mhlw.go.jp/content/11201250/001268134.pdf

その中で「労働基準法の「労働者」の判断基準(昭和60年労働基準法研究会報告)等について」が、やや踏み込んでみようかなどうしようかな、という感じの文章になっています。

労働基準法の「労働者」の判断基準(昭和60年労働基準法研究会報告)等について

昭和60年の研究会による判断基準は、職種や雇用形態にかかわらず、労働者であると判断するために必要な要件を、抽象的に一般化して示されたものである。
また、これまでも個別の職種等に関連して、判断基準への当てはめが難しい事情が生じた場合には、当てはめについての具体的考え方を通達の形で示してきている。(例:建設業手間請け労働者に係る判断基準)
他方、欧米でのプラットフォームワーカーの労働者性の検討においては、「経済的従属性」を考慮しているが、昭和60年の判断基準には含まれていない。「経済的従属性」をどのように扱うかは、労働基準法が刑罰法規であることから、罪刑法定主義の観点で適当かどうかも踏まえ、丁寧に検討する必要がある。
また、プラットフォームワーカーについては、プラットフォームを介するという契約関係の特徴があり、役務の提供の実態を踏まえた検討が求められる。
これらのことを踏まえ、
①昭和60年判断基準に盛りこむことが適当な要素があるか、
②プラットフォームワーカーなど個別の職種に関するより具体化した判断基準を作成することが可能かどうかについて、
裁判例などを通じて、国際動向も踏まえながら、検討する必要があるのではないか。そのうえで、契約関係や役務の提供の実態を踏まえ、労働基準法の「労働者」に当たらないプラットフォームワーカーであっても、労働基準関係法令などにおける特別の取扱いの必要性についてどう考えるか。

ちょっと気になったのは、「欧米でのプラットフォームワーカーの労働者性の検討においては、「経済的従属性」を考慮している」と言っているんですが、必ずしもそうとも言えないではないかと思います。むしろ、労働者性の判断基準については指揮命令関係という基本枠組みは維持しつつ、プラットフォーム労働の場合であれば生身の人間ではない機械的なアルゴリズムによるものも指揮命令に含めようという方向性のように思います。

競争法の方で団体交渉を認めるかという文脈(日本で言う労組法上の労働者性類似の問題)では確かに経済的従属性が重視されていると言えるでしょうが、労働保護法の問題で経済的従属性が正面から認められる方向性とは思えないので、ちょっと語弊があるように感じます。

ついでにもう一つの問題にも一言。

3 家事使用人について
家事使用人については、労働基準法制定当初からの状況変化や、家事使用人の働き方の変化を踏まえ、労働基準法を適用する方
向で具体的施策を検討すべきではないか。
検討に当たっては、私家庭に労働基準法上の使用者義務や災害補償責任をどこまで負わせることができるか、また、労働基準
法の労働者の定義を引用している関係法令の適用をどうするか、検討が必要ではないか。

家事使用人は労働基準法上れっきとした労働者であって、「労働者性」を議論すること自体が実は間違いです。労働者であるにもかかわらず労働基準法を適用しないと規定されているだけです。

さらにいえば、本来の意味での家事使用人(「住み込みの雇い人」として雇用主の世帯の一員である者)は、今の日本にはおそらくごくわずかしかいないはずです。

 

 

 

 

 

ヤン・ルカセン『仕事と人間』@『労働新聞』書評

毎月1回の『労働新聞』書評ですが、今回はヤン・ルカセン『仕事と人間』(上・下)(NHK出版)です。

https://www.rodo.co.jp/column/178979/

51ay6jvvrl  労働史といえば、産業革命以来のせいぜい二〇〇年余りを対象とするものがほとんどだが、本書は副題の通り「七〇万年のグローバル労働史」を上下巻九〇〇頁にわたって描き出す大著だ。ハラリやダイヤモンド、ピンカーらのグローバルヒストリーの労働版といったところだが、改めて人類の歴史は多種多様な労働の歴史だったと痛感する。
 狩猟採集時代の互酬、初期農耕時代の再分配が中心だった時代を経て、上巻後半の紀元前五〇〇年あたりからユーラシア大陸の各地に市場労働中心の時代がやってくる。市場労働を可能にしたのは貨幣、とりわけ少額貨幣の存在だ。これにより、労働の対価を貨幣で受け取り、それで食料品を購入するという自由労働のあり方が可能になった。なるほど、貨幣がなければ賃金労働も存在し得ない。もっとも当時は雇用(賃金)と請負(工賃)は未分化だった。また、これら自由労働と並んで奴隷という非自由労働も重要な位置を占めていた。
 中国や中近東では、賃金労働と自営業という自由な市場労働が維持されたが、ヨーロッパとインドでは紀元四〇〇年から一〇〇〇年まで市場が消滅してしまった。硬貨の流通も止まり、自給自足の農奴制に収縮した後、紀元一〇〇〇年ころからようやく労働市場が復活してくる。とりわけヨーロッパでは、ペスト禍による人口減少によって工賃が高騰し、手工業ギルドが発達してくる。小さなエピソードだが、一三七八年にフィレンツェの梳毛職人(チオンピ)が起こした反乱は、今日の労働運動に連なる争議第一号の感がある。また本書では奴隷労働がかなりのウェイトをもって語られているが、その視野も全世界的に広がっている。近代初期にアフリカからアメリカ大陸に送られた黒人奴隷だけではないのだ。
81enrd5kosl_sy425_   上下巻を跨ぐ一五〇〇年から一八〇〇年あたりで、東アジアの労働集約型発展経路(勤勉革命)から西欧の資本集約的発展経路(産業革命)への転換が描かれ、ようやくこのあたりから普通の労働史の対象領域に入ってくる。とはいえその視野はあくまでも広い。一八〇〇年以降の二〇〇年間の労働史についても、産業化に伴う自由賃金労働の増加と同時に、非自由労働(奴隷)の衰退、自営労働や家庭内労働の減少がすべて同時に論じられていく。労働時間の短縮、労働組合運動、福祉国家といった近代労働史のおなじみのテーマが出てくるのは、下巻の終わり近く、第七部の第二五章から第二七章になってからだ。
 かくも壮大なグローバル労働史において、日本が登場するのはようやく江戸時代で、「勤勉革命」と名づけられた労働集約的発展経路の担い手としてである。本連載二〇二一年八月九日号で取り上げたヤン・ド・フリース『勤勉革命』は、妻や子供などが外で働いて稼ぐようになり(複数稼得世帯化)、その稼いだ金で衣服や音楽を購入し、自宅で食事を作るよりも外食が増えるといった事態を指していたが、本書の勤勉革命はむしろ日本におけるこの概念の提唱者である速水融の考え方に近い。そして近代初期の西欧におけるプロト工業化も、近代以前の余暇選好(十分稼いだら働くのをやめ、必要になったらまた働き始める)が逆転したまさに「勤勉革命」であったのであり、それが産業革命によって資本集約的発展経路に転換していくのだ、という歴史観は、実に納得的である。
 

 

 

 

2024年6月25日 (火)

Dismissal due to Company Dissolution in the COVID-19 Pandemic (The Ryusei Taxi Case)@Japan Labor Issues

Jli_20240625221601 JILPTの英文誌『Japan Labor Issues』の2024年夏号に、判例評釈を書きました。龍生自動車事東京高裁2022年5月26判決)です。

https://www.jil.go.jp/english/jli/documents/2024/048-04.pdf

Dismissal due to Company Dissolution in the COVID-19 Pandemic: The Ryusei Taxi Case
Tokyo High Court (May 26, 2022) 1284 Rodo Hanrei 71

e英語で判例評釈を読むのはどうも・・・という方には、和文もあります。

龍生自動車事件-コロナ禍の会社解散に伴う解雇

その他の記事は次のとおりです。

https://www.jil.go.jp/english/jli/documents/2024/048-00.pdf

Special Feature on Research Papers (IV) 

Current Status of the Jobseekers Support System as a Second Safety Net
SAKAI Tadashi

Japanese System of Vocational Education and Training in Historical Comparison: Focusing on the Role of Schools and Companies in the Formation of Vocational Competencies
TERADA Moriki

●Trends
Key topic
Measures Required to Achieve Sustainable Wage Hikes:MHLW’s White Paper on the Labour Economy 2023

Commentary
Dismissal due to Company Dissolution in the COVID-19 Pandemic: The Ryusei Taxi Case
HAMAGUCHI Keiichiro

●Series: Japan’s Employment System and Public Policy: Employment and Job Resignation among Japanese Youth
IWAWAKI Chihiro

 

 

2024年6月24日 (月)

テレワークとつながらない権利に関する第1次協議@『労基旬報』

『労基旬報』6月25日号に、「テレワークとつながらない権利に関する第1次協議」を寄稿しました。

 去る4月30日、欧州委員会はテレワークとつながらない権利に関する労使団体への第1次協議を開始しました。この問題に関しては、本紙でも2020年10月25日号で、「欧州議会の『つながらない権利指令案』勧告案」を紹介していますが、今回の第1次協議はこの欧州議会の「つながらない権利に関する欧州委員会への勧告に係る決議」を受けたものになります。
 この勧告の名宛て人である欧州委員会のニコラス・シュミット労働社会政策担当委員(厚生労働大臣に相当)は2021年1月20日の欧州議会本会議の審議に出席し、2002年のテレワーク協約と2020年のデジタル化協約を引き合いに出して、同様に指令にしない自律的協約として締結する方向でやってほしいという意図を示していました。欧州労連(ETUC)、欧州経団連(ビジネス・ヨーロッパ)、公企業センター(SGIヨーロッパ)、中小企業協会(SMEユナイテッド)の労使4団体は2022年10月4日から交渉を開始しましたが、2023年11月17日に合意に達しなかったこと、それゆえこの問題は欧州委員会に返す旨を伝えました。そこで、今回改めて正式に労使団体への第1次協議となったわけです。
 第1次協議文書にはこの問題をめぐる諸情勢が縷々書き連ねられていますが、情報通信技術の急速な発展やコロナ禍によるリモートワークの急速な普及など、特に目新しい論点はあまりありません。テレワークは労働者の柔軟性や自律性を高め、仕事と生活の両立にも役立つなどメリットが多い反面、いつでもどこでもつながることができるために、「いつでもオン」の文化をもたらし、過重労働やメンタルヘルスの問題を生み出しているという指摘です。諸調査をもとに様々な実態が示されていますが、ここではそれらは省略し、加盟国における立法状況に関する部分を紹介しておきましょう。
 まずつながらない権利についてですが、現在11か国で規制されています。ベルギー、フランス、イタリア、ルクセンブルクではつながらない権利の正確な定義はありません。クロアチアとポルトガルでは、つながらない権利は労働時間外又は休息時間内に使用者が労働者に接触しない義務とされています。他の諸国ではつながらない権利が広く定義され、作業を遂行するために技術的機器を用いない権利とされ、ギリシャとアイルランドでは作業に従事しない権利とされているようです。
 11か国中6か国(キプロス、ギリシャ、イタリア、ルクセンブルク、ポルトガル、スロバキア)では、つながらない権利はテレワーク等ICT機器を用いて遠距離で遂行される作業にのみ適用されるのに対し、他の5か国(ベルギー、クロアチア、フランス、アイルランド、スペイン)では全ての労働者の認められます。ベルギー、クロアチア、フランス、ギリシャでは、公務部門に特別の立法があります、またベルギー、クロアチア、ポルトガル、スロバキアでは、つながらない権利は緊急かつ予測不可能な事態の考慮の下におかれます。
 実施手法も様々で、7か国(ベルギー、キプロス、ギリシャ、フランス、アイルランド、ルクセンブルク、スペイン)ではつながらない権利は産業レベル又は企業レベルの団体交渉を通じて実施されます。労使が合意に達しなかったときは、つながらない権利は、ベルギーやフランスのように企業方針や憲章の形をとったり、キプロスやギリシャのように使用者の決定が労働者に通知されたりします。
 テレワークについては、全ての加盟国で実定法又は労働協約の形で規制されており、また労働時間、安全衛生、データ保護などの立法により取り扱われています。多くの立法において、テレワークは労働契約の種類としてではなく、ICT機器を用いて、使用者の事業所に加えていくつかの代替的な職場において遂行されうる「作業編成(work arrangement)」として定義されています。それゆえ、定義上テレワーク可能な職種は限定されます。テレワークは通常使用者と労働者の合意に基づいて、雇用契約又は書面の合意により行われます。いくつかの加盟国(ベルギー、ブルガリア、キプロス、ギリシャ、クロアチア、イタリア、リトアニア、ルクセンブルク、マルタ、ポルトガル、スウェーデン)では、立法によって、テレワークは雇用上の地位を変えたり影響したりしない旨が明記され、またテレワーカーと常時使用者の事業所で就労する者との均等待遇を保証しています。
 各国のテレワーク法制の共通の要素としては、以下のものが挙げられます。
①テレワークを請求する権利-「自発」原則
 多くの国で、労働者は自発原則に沿ってテレワークを請求する権利がありますが、その適用は様々です。いくつかの国では、テレワーク請求権は特定の場合に限定されています。クロアチアでは治療や育児・介護目的、キプロスとギリシャでは労働者の健康、アイルランドでは一定の勤続期間後など。さらに、使用者はテレワークの請求を認める義務はなく、請求を拒否した正当な理由を示すことが求められます。
②労働時間の編成と記録
 多くの国で、労働時間の一般規制枠組みがテレワーカーにも適用されます。しかしいくつかの国では、テレワーカーに労働時間の編成に関するコントロールを与えています。例えば、ブルガリアとイタリアでは、テレワーカーは休憩時間と休息時間について一定の自律性を有し、ルーマニアでは、個別の作業スケジュールを請求することができます。さらにいくつかの国では、使用者はテレワークも含めその労働者の労働時間を記録することを義務づけています。例えばギリシャでは、使用者はテレワーカーの労働時間を測定する電子システムを導入運用しなければなりません。またいくつかの国では、健康やワークライフバランスを守るためにつながらない権利を導入しています。
③労働安全衛生
 テレワーカーも一般安全衛生法の下にありますが、7か国(オーストリア、クリアチア、ギリシャ、エストニア、ポーランド、ポルトガル、スペイン)ではテレワーク向けの安全衛生規定が設けられています。筋骨格不調、眼精疲労、社会心理的リスクなどです。テレワーカーのリスクアセスメントを行うべき使用者の義務は、テレワーカーのプライバシーの権利を侵害するリスクがあるので難問です。そのため多くの国では、使用者が健康監視目的でテレワーカーの作業場所に入ることにテレワーカーの同意を必要としています。
④テレワークの装置と費用負担
 多くの国で、テレワークに必要な装置を設置、維持し、その費用を負担することは使用者の責任とされています。費用負担のルールは実定法や労働協約で定めるか、使用者と労働者の書面合意で定められます。
⑤プライバシーと作業監視
 労働者とその作業遂行の監視の問題は通常データ保護立法によって規制されており、いくつかの国ではテレワーク向けの特別規定を設けています。例えばキプロスでは、使用者にテレワーカーの作業遂行を評価することを認めつつ、カメラその他の技術により監視することは禁止しています。
 以上のような状況説明を連ねた後、欧州委員会は労使団体に対して「あなたは欧州委員会がテレワークとつながらない権利に関する課題を正確かつ十分に明らかにしていると考えますか?」「あなたは明らかにされた問題に対処するためにEU行動が必要と考えますか?」といった定例的な質問をしています。既に欧州労使団体間で交渉が行われ、それが結実しなかったことが明らかなので、欧州委員会が立法に踏み出すかどうかが焦点ということになるでしょう。今後、第2次協議を経て、場合によったらEUのテレワーク指令といったものが成立してくる可能性があります。

 

岩波ベストテン電子書籍部門第2位

71ttguu0eal_20240624085601 なぜか、岩波書店の週間売上げベストテンの電子書籍部門の第2位に、3年前の『ジョブ型雇用社会とは何か』が今さらながらランクインしたようです。

https://www.iwanami.co.jp/news/n57704.html

電子書籍

  書名 著者
1 [岩波新書]カラー版 名画を見る眼Ⅰ 高階 秀爾
2 [岩波新書]ジョブ型雇用社会とは何か 濱口 桂一郎
3 [岩波新書]カラー版 名画を見る眼Ⅱ 高階 秀爾

本書は、2021年9月に刊行されてから、翌2022年4月くらいまで、だいたい新書部門でベストテンに入り続けていましたが、その後はベストセラーからは退いて、まあぼちぼち売れてるロングセラーだったようです。

『ジョブ型雇用社会とは何か』の推移

9月13日~9月19日:4位、1位:長部三郎『伝わる英語表現法』

9月20日~9月26日:4位、1位:芝健介『ヒトラー』 

9月27日~10月3日:4位、1位:芝健介『ヒトラー』  

10月4日~10月10日:4位、1位:芝健介『ヒトラー』 

10月11日~10月17日:3位、1位:芝健介『ヒトラー』 

10月18日~10月24日:4位、1位:師茂樹『最澄と徳一』 

10月25日~10月31日:7位、1位:師茂樹『最澄と徳一』 

 11月1日~11月7日:4位、1位:師茂樹『最澄と徳一』 

 11月8日~11月14日:4位、1位:芝健介『ヒトラー』 

11月15日~11月21日:1位 

11月22日~11月28日:3位、1位:辻本雅史『江戸の学びと思想家たち』

11月29日~12月5日:4位、 1位:辻本雅史『江戸の学びと思想家たち』

 12月6日~12月12日:4位、 1位:辻本雅史『江戸の学びと思想家たち』

12月13日~12月19日:3位: 1位:芝健介『ヒトラー』

12月20日~12月26日:4位、1位:今野真二『うつりゆく日本語をよむ』

12月27日~1月2日:1位 

 1月3日~1月9日:1位

1月10日~1月16日:1位 

1月17日~1月23日:5位、1位:須田努『幕末社会』

1月24日~1月30日:5位、1位:須田努『幕末社会』

1月31日~2月6日:5位、1位:菊地暁『民俗学入門』 

2月7日~2月13日:4位、1位:菊地暁『民俗学入門』 

2月14日~2月20日:3位、1位:長谷川櫂『俳句と人間』

2月21日~2月27日:8位、1位:五十嵐敬喜『土地は誰のものか』

2月28日~3月6日:10位、1位:大木毅『独ソ戦』

3月7日~3月13日:7位、 1位:大木毅『独ソ戦』

3月14日~3月20日:番外、1位:小川幸司,成田龍一編『世界史の考え方』 

3月21日~3月27日:6位、1位:小川幸司,成田龍一編『世界史の考え方』 

3月28日~4月3日:7位、 1位:小川幸司,成田龍一編『世界史の考え方』

 4月4日~4月10日:5位、1位:小川幸司,成田龍一編『世界史の考え方』

4月11日~4月17日:8位、1位:小川幸司,成田龍一編『世界史の考え方』 

何で今さら本書が急に売れたのかわかりませんが、もしかしたら先週末に骨太の方針や新しい資本主義実行計画が策定されて、その中で例によってジョブ型だの職務給だのという言葉が乱舞していたからかも知れません。

Asahishinsho_20240624090601 だとすると、来月には『賃金とは何か-職務給の蹉跌と所属給の呪縛』(朝日新書)ってのも出ますので、是非そちらもお読みいただければ幸いです。

序章 雇用システム論の基礎の基礎
 1 雇用契約のジョブ型、メンバーシップ型
 2 賃金制度のジョブ型、メンバーシップ型
 3 労使関係のジョブ型、メンバーシップ型
 
第Ⅰ部 賃金の決め方
第1章 戦前期の賃金制度
 1 明治時代の賃金制度
 2 大正時代の賃金制度
 3 生活給思想の登場
 4 職務給の提唱
第2章 戦時期の賃金制度
 1 賃金統制令
 2 戦時体制下の賃金思想
第3章 戦後期の賃金制度
 1 電産型賃金体系
 2 ジョブ型雇用社会からの批判
 3 公務員制度における職階制
 4 日経連の職務給指向
 5 労働組合側のスタンス
 6 政府の職務給推進政策
第4章 高度成長期の賃金制度
 1 日経連は職務給から職能給へ
  (1) 定期昇給政策との交錯
  (2) 職務給化への情熱
  (3) 能力主義への転換
 2 労働組合は職務給に悩んでいた
  (1) ナショナルセンターの温度差
  (2) それぞれに悩む産別
  (3) 単組の試み
 3 政府の職務給指向
  (1) 経済計画等における職務給唱道
  (2) 労働行政等における職務給推進
第5章 安定成長期の賃金制度
 1 賃金制度論の無風時代
 2 中高年・管理職問題と職能給
 3 定年延長と賃金制度改革
第6章 低成長期の賃金制度
 1 日経連(経団連)は能力から成果と職務へ
  (1) 『新時代の「日本的経営」』とその前後
  (2) 多立型賃金体系
  (3) 裁判になった職務給
 2 非正規労働問題から日本型「同一労働同一賃金」へ
  (1) 非正規労働者の均等待遇問題の潜行と復活
  (2) 二〇〇七年パート法改正から二〇一二年労働契約法改正へ
  (3) 同一(価値)労働同一賃金原則の復活
  (4) 働き方改革による日本型「同一労働同一賃金」
 3 岸田政権の「職務給」唱道
  (1) 「ジョブ型」と「職務給」の唱道
  (2) 男女賃金格差開示の含意
  (3) 職務分析・職務評価の推奨
 
第Ⅱ部 賃金の上げ方
第1章 船員という例外
第2章 「ベースアップ」の誕生
 1 戦時体制の遺産
 2 終戦直後の賃上げ要求
 3 公務員賃金抑制のための「賃金ベース」
 4 「ベースアップ」の誕生
 5 総評の賃金綱領と個別賃金要求方式
第3章 ベースアップに対抗する「定期昇給」の登場
 1 中労委調停案における「定期昇給」の登場
 2 日経連の定期昇給推進政策
 3 定期昇給のメリットとデメリット
第4章 春闘の展開と生産性基準原理
 1 春闘の始まり
 2 生産性基準原理の登場
 3 石油危機と経済整合性論
第5章 企業主義時代の賃金
 1 石油危機は労働政策の分水嶺
 2 雇用が第一、賃金は第二
 3 消費者目線のデフレ推進論
第6章 ベアゼロと定昇堅持の時代
 1 ベースアップの消滅
 2 定期昇給の見直し論と堅持
第7章 官製春闘の時代
 1 アベノミクスと官製春闘
 2 ベースアップの本格的復活?
 3 ベースアップ型賃上げの将来
 
第Ⅲ部 賃金の支え方
第1章 最低賃金制の確立
 1 業者間協定の試み
 2 賃金統制令
 3 労働基準法の最低賃金規定
 4 業者間協定方式の登場
 5 業者間協定方式の最低賃金法
 6 業者間協定は最低賃金の黒歴史か
第2章 最低賃金制の展開
 1 目安制度による地域別最低賃金制
 2 最低賃金の日額表示と時間額表示
 3 新産業別最低賃金制
 4 産業別最低賃金の廃止を求める総合規制改革会議
 5 二〇〇七年改正法
 6 最低賃金の国政課題化
第3章 最低賃金類似の諸制度
 1 一般職種別賃金と公契約法案
 2 公契約条例
 3 派遣労働者の労使協定方式における平均賃金
 
終章 なぜ日本の賃金は上がらないのか
 1 上げなくても上がるから上げないので上がらない賃金
 2 ベースアップに代る個別賃金要求
 3 特定最低賃金、公契約条例、派遣労使協定方式の可能性
 
あとがき

 

 

2024年6月19日 (水)

日本能率協会コンサルティング編著『「イノベーションの種を見つける」ケーススタディ』

C57d38ec2da152e6f14ced7d9efeae477514d974 日本能率協会コンサルティング編著『「イノベーションの種を見つける」ケーススタディ 見方を変える、思考を深める 実例20』(経団連出版)をお送りいただきました。

https://www.keidanren-jigyoservice.or.jp/pub/cat5/bd84e862686145b4d220376148c70b476eb64051.html

多くの企業では新事業開発に継続的に取り組んでいるものの、新しいコトを生み出すことがなかなかできていないのが実情です。新事業・新サービス開発にあたり、従来は原因分析・対策立案などが求められてきましたが、本書では、徹底した顧客起点、社会課題起点による「解決志向」が必要であるとの前提に立ち、そのために必須とされる発想力を鍛え、身につけることを目的としています。
問題解決、新事業開発、思考技術などといった言葉を聞くと、「重い内容」「むずかしい理論」などが思い浮かびますが、問題解決、特に新事業開発や新商品・新サービス開発は、ワクワクする楽しい体験でもあります。
発想に求められる第一の要素は「たくさんのアイデアを出す」ことです。そしてアイデアを多く出すためには、角度を変えて発想することが不可欠です。視点を変える、軸を変える、発想を飛ばす…。言い方はさまざまですが、共通しているのは、「問題の本質」を見抜く思考です。発想が多方面にわたれば、問題解決のチャンスも広がります。
本書では、発想する体験の回数を増やすことができるよう、多数の実例を取り上げました。「回数をこなす」ことが、何より大事だと考えるからです。アイデア発想が必要とされることは、仕事の中に限らず、日々の生活においても、たくさんあるはずです。それら一つひとつを事例(ケース)として発想の回数を増やすこと、日々の発想を習慣化することにより、発想力は大いに高まることでしょう。本書の実例を参考に、「発想」をトレーニングし、新事業開発のアイデア発想につなげることをめざしてみませんか。


【おもな内容】
Ⅰ 困りごとの本質を見極める
 ケチャップの新商品開発/農作業の改善につながる新商品開発
Ⅱ 異なる視点で捉え直す
 トイレ清掃を「おもしろいもの」にする/限界集落における高齢者の交通手段確保
Ⅲ 顧客との相互理解をめざす
 地方都市の個人商店再生/ハンバーガーショップの立て直し
Ⅳ 価値の軸を変える
 食品スーパー鮮魚売場の販促企画 /観光ホテルのサービス改善

新米コンサルタントのデキコが狂言回しになって、いろいろな問題の解決に奮闘するというお話仕立てになっています。

たとえば、「ハンバーガーショップの立て直し」では、長期低落傾向の手作りハンバーガー屋さんに対して、デキコがハンバーガー専門店から脱却してランチの幅を拡げたメニューを打ち出すことを勧め、その結果今までのお客さんも離れて殺伐となってしまい、逆に徹底的にメニューを絞り込んだ路線で回復するという話です。なんだかどこかで聴いたような教訓話ですが、いかにもありそうな話でもあります。

 

労働組合の「未来」を創る@連合総研

20240515 連合総研のホームページに『労働組合の「未来」を創る』という膨大な報告書がアップされたようです。

https://www.rengo-soken.or.jp/info/union/

錚々たる面々が広範な領域にわたってさまざまな議論を繰り広げているようで、まだパラパラ眺めただけで、ほとんど読めていませんが、そのうち新谷信幸さんが書いている「「労働者代表制」と労働組合法の狭間を埋める―職場の民主主義を守り続けるために―」という章は、集団的労使関係法制の根幹部分に関わる問題を取り扱っており、私が長年論じてきた問題とも重なり合っているので、その結論部分を引用して若干コメントしておきたいと思います。

https://www.rengo-soken.or.jp/plan/06.pdf

この論文で新谷さんが踏み込んでいるのは、労働組合が従業員代表制に消極的にならざるを得ないこの問題です。

労働組合組織率の現状や過半数代表者の課題を鑑みれば、労働者代表制は、過半数労働組合のない職場で、過半数代表者に代わって集団的な労使関係を構築し、すべての労働者の意見を民主的に集約し、労働者の多様な利害調整を担いうる可能性を秘めていると思う。一方で、労働者代表に就業時間中の活動時間・賃金支給が容認されると、それを禁止している労働組合法の現行枠組みとの対比において、根強い懸念が労働界にはあり、労働者代表制の法制化に向けて、労働界を挙げた機運醸成の妨げとなっていることも事実である。

そこで、新谷さんは

職場の民主主義を守り続けるために、労働者代表制の議論を妨げている就業時間中の組合活動に対する賃金控除について、世界の動向を踏まえて、労働者代表制と労働組合法の狭間を埋める方策を考える。

そう、労働組合も従業員代表として活動する以上、就業時間中の活動に賃金を払ってもいいじゃないか、経費援助の不当労働行為だと責めなくてもいいじゃないか、という問題提起です。

・・・労働者代表制の便宜供与ではなぜ容認され、労働組合はなぜ容認されないのか、「就業時間中の組合活動時間=全て賃金控除」の「常識」を疑い、見直す必要がある。

・・・このように就業時間中の組合活動に対する厳格な賃金控除は、必ずしも世界標準のルールでもないことに労働組合関係者は刮目する必要があるのではなかろうか。 

そして新谷さんはこう論じます。

 労働組合は使用者から独立した組織として、使用者からの直接的な経済的援助を受けることなく自主性を確保し続けることは不変の原則である。
 しかし、過半数労働組合が労働者代表としての機能を発揮するためには、特に企業内組合を基盤とする日本の労働組合にとって、使用者の提案等に対して組合役員が組合員の意見を聴取し、民意をまとめていくために就業時間中に活動を行うことは、労働者代表制の便宜供与の活動時間と同様に必要不可欠である。労働組合に対する直接的・経済的な経費援助(積極的経費援助)は今後もあり得ないが、労働者代表機能を果たす過半数労働組合に対し、賃金控除をしない一定の組合活動時間を認めること(消極的経費援助)を検討すべきであると考える。しかし、労働組合の活動の中で、労働者代表としての活動とそれ以外を峻別することは困難である。労働者代表制の立法化のタイミングを合わせて、日本の現行の不当労働行為法制については、フランスの事例や韓国の立法内容のような、一定時間の消極的経費援助の創設に向けて、労働組合法の見直しの検討を始めるべきと考える。それが労働組合を補完し、職場の民主主義を守り続ける可能性のある労働者代表制の立法化に向けて、労働界の喉に刺さった骨を抜くことにつながる。
労働組合はこれからも未組織職場の集団的労使関係の再構築に向け、組織拡大を通じてすべての働く労働者に労働組合のカバーを広げるための努力を行っていかなければならない。それが職場の連帯の基盤であり、未組織労働者に対する組織労働者の義務である。過半数労働組合も過半数であることに安住せず、非正規雇用で働く労働者等を含む全ての労働者の代表として、適切に聴取・把握し、労働者代表としての活動をすることが強く求められる。
 今、すべての労働運動関係者の知恵と度量が問われているのである。

この問題、今から15年前に出した『新しい労働社会』での問題意識でありましたし、3年前の『ジョブ型雇用社会とは何か』でも、企業別組合の内部的機能分離論として提起しています。残念ながら「ジョブ型」は(私の意図を遙かに超えて)流行する一方、こちらの集団的労使関係の議論は全然誰からも論じてもらえていないのですが、この新谷さんの論文は、ある意味でこれに対するレスポンスのように思われます。

従業員代表制の問題は、ここにも書かれているように、2001年の連合法案、2013年のJILPT報告書、そして今年1月の経団連提言と、牛歩の歩みとは言いながら、少しづつ議論が進んできています。しかし、現に労働組合法の適用下にある企業別組合が、事実上西欧諸国に於ける従業員代表機能を果たしているという状況下では、従業員代表制の議論を進めるためには不磨の大典扱いされている労働組合法自体に対しても、見直しの目を向けていかなければならないでしょう。

是非、労働界で議論されて欲しいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年6月18日 (火)

大学教授はジョブ型か?メンバーシップ型か?

Afxxkosz_400x400 こんな呟きが流れてきたのですが、

そういう研究はきっとあるのだろうけど、日本の大学教員の雇用というのはいわゆる「ジョブ型雇用」なのかどうか、ということを考えていた。

ジョブ型の側面とメンバーシップ型の側面と自営業の側面がどれもあるんだろうけど、そんなことをいえばどの仕事もそうだろうという気もする。しかし大学教員業についていえばこの10年20年で変化してもいるはず。

いや、「そういう研究」というほどのものはありませんが、そこのところに触れたブログ記事は若干あります。

大学教授はジョブ型正社員か?

大学教授と言えば、その専門分野の学識で採用される真正高級のジョブ型正社員じゃないかとも思われるところですが、必ずしもそういうわけでもないということが、最近の裁判例で明らかになったようです。今年5月23日の東京地裁の判決、淑徳大学事件では、

http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/728/088728_hanrei.pdf

本件は,被告との間で期間の定めのない労働契約を締結し,被告の設置する大学の教員として勤務していた原告らが,被告が原告らの所属していた学部の廃止を理由としてした解雇が無効であると主張して,被告に対し,労働契約に基づき,それぞれ労働契約上の権利を有する地位にあることの確認を求めるとともに,解雇後の月例賃金,夏期手当,年末手当及び年度末手当である原告Aにおいて別紙①請求一覧表1の,原告Bにおいて別紙①請求一覧表2の,原告Cにおいて別紙①請求一覧表3の各支給日欄記載の日限り各金額欄記載の各金員並びに各金員に対する各起算日欄記載の日から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

大学教授も無限定正社員なの?

淑徳大学の就業規則によれば、

被告の就業規則8条は「学園は,業務上必要と認めた場合,教職員に対し勤務地,所属部署,職種及び職務の変更を命ずることができる。」と定め,同14条は「教職員が次に掲げる各号の一に該当するときは,解雇する。」と定め,同条4号は「やむを得ない理由により事業を縮小または廃止するとき」と定めている(甲6)。

ふむ、普通の会社と一緒ですね。ただ、原告側主張では、職種は大学教授に限定されているけれども、職務つまり何を教えるかは無限定だということのようです。だから、国際コミュニケーション学部を廃止しても、他学部に配置転換することで雇用を維持できるはずだと。

それに対して被告大学側は、「大学は学部ごとに研究及び教育内容の専門性が異なるから,大学教員は所属学部を限定して公募,採用されることが一般的であり,淑徳大学においても,教員を採用する際は,公募段階で所属学部を限定した上,所属予定の学部の教授会又は人事委員会が承認した場合に限って採用している」と主張しています。

この点について、判決はなんだかずらして議論をしています。

・・・しかし,原告らの所属学部が同学部に限定されていたか否かは別として,淑徳大学には,アジア国際社会福祉研究所その他の附属機関があり,学部に所属せずに附属機関に所属する教員が存在し,原告らが配置転換を求めていたことは前記認定のとおりであるから,被告は,原告らを他学部へ配置転換することが可能であったかはともかくとしても,附属機関へ配置転換することは可能であったことが認められる。そうすると,仮に原告らの所属学部が同学部に限定されていたとしても,国際コミュニケーション学部の廃止によっても,原告らの配置転換が不可能であった結果,原告らを解雇する以外に方法がなかったということはできず,被告の主張は採用することができない。

他学部への配置転換を考慮する義務があるかどうかはともかくとして(なんやこれ)、附属機関への配置転換はできるやろうと。結論として解雇回避努力を尽くしておらず解雇無効としています。

と、これだけでもいろいろと議論のネタになりそうな判決ですが、そもそも最近の大学教授の皆様の状況は、むしろ率直に無限定社員化しつつあるというべきなのかもしれません。

大学教授は無限定正社員なのか?専門職じゃないのか?

先月、奈良学園大学の整理解雇事件の地裁判決があったようです。

https://biz-journal.jp/2020/08/post_173555.html(奈良学園大学、学部再編失敗し教員大量解雇…無効判決で1億円超支払い命令、復職を拒否)

これは、整理解雇の原因に関しては完全に学園側に問題があるケースですが、とはいえ、大学教授という職種が専門職であるならば、「会社が悪くて社員に責任がないから」という普通の無限定正社員のロジックだけで議論していい代物ではないはずです。

・・・さらに判決では、大学教員は高度の専門性を有する者であるから、教育基本法9条2項の規定に照らしても、基本的に大学教員としての地位の保障を受けることができると判断。一審の段階ではあるが、無期労働契約を締結した大学教員を一方的に解雇することはできないことを示したのだ。

その大学教授の『高度の専門性』なるものは、大学教授という地位でさえあれば、どんなに異なる専門の学部でもいいのか?という問いを逃れることはできないはずです。

本件については、全国国公私立大学の事件情報というサイトにやや詳しい情報が載っていますが、

http://university.main.jp/blog8/archives/cat128/

・・・・すなわち、本判決は、①人員削減の必要性については、ビジネス学部・情報学部の募集停止により学生らがほとんどいなくなったため教員が過員状態になったとはいえ、被告は資産超過の状態にあって、解雇しなければ経営破綻するといったひっ迫した財政状態ではなかったと判示した。また、②解雇回避努力については、原告らを人間教育学部や保健医療学部に異動させる努力を尽くしていないことや、総人件費の削減に向けた努力をしていないと判示した。さらに、③人選の合理性については、一応は選考基準が制定されてはいるものの、これを公正に適用したものとは言えないと判示した。また、④手続の相当性についても、組合と協議を十分に尽くしたものとは言えないと判示した。

この奈良地裁の判決では、大学教授の解雇回避努力義務には、ビジネス学部、情報学部の大学教授を、人間教育学部や保健医療学部に異動させる努力も尽くさないといけないかのようです。

ほんとうにそうなのか?大学教授の専門性というのは、(テレビ番組の肩書きよろしく)「大学教授」とさえ名乗れれば、ビジネスや情報でも、人間教育や保健医療でも何でもありの、その程度の専門性なのでしょうか。

実はこの問題、『ジュリスト』2020年4月号に載せた大乗淑徳学園事件の評釈で採り上げた問題です。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2020/03/post-e7da60.html(学部廃止を理由とした大学教授らの整理解雇――学校法人大乗淑徳学園事件@『ジュリスト』2020年4月号(No.1543))

この判決も、大学教授という地位にはやたらに固執して、事務職への配転は許されないと言うわりに、同じ大学教授でさえあればいくらでも配転せよみたいな口ぶりで、大いに問題がありました。

ただ、この大乗淑徳学園事件の場合、廃止した国際コミュニケーション学部と新設の人文学部がほとんど偽装倒産と偽装設立みたいな内容的にとても重なる事案であり、形式的に学部の名前が違うということに藉口して高齢高給の教授をまとめて解雇したような事案であり、評釈もそちらに注目しています。

・・・本件の最大の論点は国際コミュニケーション学部と入れ替わりに設置された人文学部へのXらの配置転換可能性である。なぜなら、古典的な学部配置を前提とすれば学部とは大学教授の専門性のまとまりであり、例えば法学部には法律学者がおり、理学部には物理学者がいるという状況を前提として、「大学は学部ごとに研究及び教育内容の専門性が異な」り、「大学教授は所属学部を限定して公募、採用されることが一般的」であると言えようが、近年のように学部学科の在り方が多様化し、古典的学部のようには明確に専門性を区別しがたい(「国際」等を冠する)諸学部が濫立すると、必ずしも「大学は学部ごとに研究及び教育内容の専門性が異なる」とは言えなくなるからである。Xら側が国際コミュニケーション学部と人文学部に「連続性があることは明らか」と主張しているにもかかわらず、本判決はこの最重要論点を回避し、「Yのとるべきであった解雇回避措置は、Xらの同学部への配置転換に限られるものではなかったというべき」と言って済ませている。本件では国際コミュニケーション学部の高齢で高給の教授を排除して、新たな人文学部ではより若く高給でない専任教員に代替しようという意図が背後に感じられる面もあり、この論点回避は残念である。・・・

しかし、この奈良学園大学の場合、大学側の不手際で、そもそもビジネス学部、情報学部の後継学部として計画していた現代社会学部がぽしゃってしまったわけで、少なくともビジネスだの情報だのを教えて飯を食っている人がその専門で教えられるような職場はなくなってしまっているんです。

その意味で、まさに、大学教授ってのはそこらのサラリーマンと同じく、やれといわれればまったく知らないことでもほいほいと教えられるような、(地位だけは大学教授という限定はあるけれども)職務の専門性はないような、そんな存在だと、この方々は思っているんだろうか、という疑問が湧いてきます。あなたがたの、そのビジネスだの情報だのの専門性というのは、いきなり人間教育だの保健医療だのにするりと切替えられる程度の、そんなものだったのか、という問いがブーメランのように帰ってくるんだということは、されどこまで理解されているんでしょうか。

(追記)

これって、『日本の雇用と中高年』で引用した例の笑い話とパラレルかもしれません。

「部長ならできます」

「大学教授ならできます」

無限定正社員型大学教授の論理的帰結

https://twitter.com/yshhrknmr/status/1641798489939283969

「大学教員の『雑用』は仕事か否か」っていうよりも、専門家がその専門性を発揮できずに誰でもできるようなことばかりやらされて、その結果、専門家が専門性を発揮できる世界各国の研究者にボロ負けしてますよ、と言う話。「じゃあ日本から出て行け」という非建設的な罵詈雑言までが日本のテンプレ。

云いたいことはとてもよく分かるけれども、そもそも、学部廃止であんたの専門的ジョブがなくなるンだよと云われても、いやいや俺たちはジョブがあろうがなかろうが大学教授という身分なんだから整理解雇は許されないという主張をして、日本国裁判所もそれを認めると云う、まことにメンバーシップ型の定向進化を遂げてきたことの論理的帰結が、義務教育諸学校等と類似の無限定正社員型大学教授という雇用システムなのであってみれば、会社の中にやらせる仕事がある限り解雇が制限される正社員と同じように、如何なる作業も「雑用」だなどと云って拒否することが許されないのは当然の論理的帰結でありましょう。

それが望ましい姿であるか否かの価値判断は別として、ものごとはすべてワンセットのシステムとして存立して居るのであり、いいとこ取りをするわけにはいかないわけです。そのことの社会経済的帰結をどのように評価するかは、まず何よりも大学教授と言われる人々の自己規定-ジョブ型専門職なのかメンバーシップ型正社員なのか-から始まるべきものでありましょう。

学校法人早稲田大学事件評釈

本日、東大の労働判例研究会で学校法人早稲田大学事件の評釈をしてきました。評釈というより、この事案をめぐって考えたことを綴ったエッセイみたいなものですが、いろいろと考えるネタの詰まった事件ではあります。

http://hamachan.on.coocan.jp/rohan230512.html

労働判例研究会                             2023/5/12                                    濱口桂一郎
大学教授の採用選考情報開示拒否
学校法人早稲田大学事件(東京地判令和4年5月12日)
(判例集未搭載)
 
Ⅰ 事実
1 当事者
X1:Yの専任教員募集への応募者(政治学者)
X2:X1が加入している組合(東京ユニオン)
Y:大学等を設置している学校法人(早稲田大学)
 
2 事案の経過
・X1は明治大学商学部教授であり、平成26年度後期から平成30年度後期までY政治経済学術院の非常勤講師を勤めた。
・Yは平成28年1月19日、Y大学院アジア太平洋研究科専任教員(募集領域:現代中国の政治と国際関係、採用後の身分:教授又は准教授)1名の募集を行った(本件公募)。
・X1は同年4月15日、本件公募に応じ、応募書類を提出した。
・Y大学院アジア太平洋研究科は同年6月13日、X1に対し、メールにより、本件公募の書類審査結果について、X1の採用を見送ることになった旨の通知をした。
・X1は自らが公募で示された採用条件を満たす数少ない研究者の一人であると考えていたが、それにもかかわらず書類審査の段階で不合格とされたことから、選考過程の公正さについて疑念を抱き、本件公募の対象ポストの前任者A(X1と学問的・政治的対立関係にあると認識)が選考過程に関与したのではないかと疑った。
・X1は本件公募当時の研究科長Bに対し、同年10月4日付書簡及び同月5日付メールにより、選考過程について情報開示を求めたが、新研究科長Cは同日付メールで選考過程及び結果についての情報開示を拒否した。
・X1はCに対し、同月10日付メールで面会を求めたが、Cは同月11日付メールで拒否した。
・X1はYの常任理事に対し、同月19日付書簡により、理事会で選考過程を精査し、選考のやり直しを検討することを求めたが、Yの教務担当理事は同月27日付書簡により、個別の選考過程について詳細を開示できないと回答した。
・X1はYの教務担当理事に対し、平成29年2月12日付書簡により、内規の開示、選考過程に関する情報開示、選考のやり直しを求めたが、Yは回答しなかった。
・X1とY政治経済学部教授1名がX2に加入してX2早稲田大学支部を結成、X2は平成30年11月30日付通知書でこの旨を通知するとともに、本件公募の選考過程について団体交渉を申し入れた。
・X2とYは平成31年1月9日に第1回団体交渉を行い、Yは本件公募の選考過程に関しては団交を拒否した。
・X2とYは同年4月15日に第2回団体交渉を行い、Yは本件公募の選考過程に関しては団交を拒否した。
・X2はYに対し、令和元年5月10日付申入書により書面の解答を要求したが、Yは同月16日付書簡により団交に応じる義務はないとして回答せず、以後団体交渉は行われていない。
・Xらは令和元年6月11日、YがX1の透明・公正な採用選考に対する期待権及び社会的名誉を侵害したとして慰謝料の支払を、X2の団交申入れを正当な理由なく拒否したとして団交を求める地位の確認と無形の財産的損害の賠償を求めて提訴した。(同年11月20日付で、ネットメディア「現代ビジネス」に、田中圭太郎「早稲田大学「教員公募の闇」書類選考で落ちた男性が訴訟を起こした 選考プロセスが不透明すぎる」との記事が掲載(https://gendai.media/articles/-/68471))
・令和4年5月12日、東京地裁が判決(本件判決)。
・令和5年2月1日、東京高裁が判決(控訴棄却)。
 
3 団体交渉事項目録(別紙1)
・研究科専任教員採用人事内規の開示
・早稲田大学大学院アジア太平洋研究科が平成28年1月に行った専任教員の公募につき「研究科運営委員会の定めた手続」資料の開示及び説明
・本件公募手続における原告Aに対する評価の開示及び説明
・原告Aが採用面接に至らなかった理由の開示及び説明
・上記評価の根拠となった資料の開示
・本件公募手続への前任者の関与の有無
・本件公募から採用に至る過程に対する事後的検証の有無、方法、内容
・採用審査の過程で開催された運営委員会の議事録の開示
 
4 X1がYに対して開示を求める情報(別紙2)
・研究科専任教員採用人事内規
・X1に対する評価の根拠となる資料
・X1が採用面接に至らなかった根拠となる審査情報
・採用審査の過程で開催された運営委員会の議事録
 
Ⅱ 判旨 請求棄却
1 労働契約締結過程における信義則上の義務
「X1は、本件公募に応募したが、書類選考の段階で不合格になったものである・・・。X1とYとの間で、X1を専任教員として雇用することについての契約交渉が具体的に開始され、交渉が進展し、契約内容が具体化されるなど、契約締結段階に至ったとは認められないから、契約締結過程において信義則が適用される基礎を欠くというべきである。
 Xらの主張は、X1が本件公募に応募したというだけで、信義則に基づき、Yに本件情報開示・説明義務が発生するというに等しく、採用することができない。」
2 公募による公正な選考手続の特殊性に基づく義務
「大学教員の採用を公募により行う場合、その選考過程は公平・公正であることが求められており、応募者の基本的人権を侵害するようなものであってはならないということはできる。
 しかしながら、X1は、Yとの間で契約締結段階に至ったとは認められず、契約締結過程において信義則が適用される基礎を欠くことは上記(1)のとおりであり、このことは、選考方式が公募制であったことによって左右されるものではない。したがって、仮に、X1が本件公募について透明・公正な採用選考が行われるものと期待していたとしても、その期待は抽象的な期待にとどまり、未だ法的保護に値するとはいえず、Yが専任教員の選考方式として公募制を採用したことから、直ちに本件情報開示・説明義務が発生する法的根拠は見出し難い。」
3 個人情報の適正管理に関する義務
「職業安定法5条の4は、・・・求職者等に対する個人情報の開示に関しては、何ら規定していない。したがって、職業安定法5条の4は、本件情報開示・説明義務の法的根拠とはなり得ないというべきである。」
「X1がYに対して開示を求めたとする別紙2記載の情報についてみると、同1記載の情報及び同4記載の情報のうちX1に言及がない部分がX1の個人情報に当たらないことは、明らかである。
 また、別紙2の2及び3記載の情報並びに別紙2の4記載の情報のうちX1に言及する部分は、X1を識別可能であることからX1の個人情報に該当するものがあるとしても、本件全証拠及び弁論の全趣旨によっても、これらの情報が個人情報データベース等を構成していることをうかがわせる事情は何ら認められないから、個人情報保護法28条2項(ママ)に基づく開示の対象となる保有個人データであるとは認められない。
 さらに、仮に、別紙2の2及び3記載の情報並びに別紙2の4記載の情報のうちX1に言及する部分が保有個人データに当たるとしても、これらの情報を開示することは、個人情報保護法28条2項2号に該当するというべきである。すなわち、Yは、採用の自由を有しており、どのような者を雇い入れるか、どのような条件でこれを雇用するかについて、法律その他による特別の制限がない限り、原則として自由にこれを決定することができるところ、大学教員の採用選考に係る審査方法や審査内容を後に開示しなければならないとなると、選考過程における自由な議論を委縮させ、Yの採用の自由を損ない、Yの業務の適正な実施に著しい支障を及ぼすおそれがあるからである。したがって、Yは、個人情報保護法28条2項2号により、これらの情報を開示しないことができる。」
4 団交応諾義務
「Yは、X2がYに対して団体交渉を申し入れた平成30年11月当時、X1を非常勤講師として雇用していたことが認められるから、当時、X1の労働組合法上の使用者であったことが認められる。しかしながら、X1は、Yから非常勤講師として雇用されていたものであり、また、YにはX1に対する本件情報開示・説明義務が認められないことは前記1で説示したとおりであるから、専任教員に係る本件公募の選考過程は、X1とYとの間の労働契約上の労働条件その他の待遇には当たらない。したがって、別紙1記載の各事項は義務的団体交渉事項には当たらないから、X2がYに対して別紙1記載の各事項について団体交渉を求める地位にあるとはいえず、また、Yが別紙1記載の各事項について団体交渉に応じなかったことは、X2に対する不法行為を構成するものではない。」
 
 
Ⅲ 評釈 判旨に反対するのは困難だがいくつか論点がある
1 本事案の射程
 本判決を通常の労働法の感覚で評釈するならば、「判旨賛成、原告の訴えには無理がある、以上。」で終わるような事案であろう。しかしながら、それで済ませて良いのか、多くの人に何らかの違和感が残るのではなかろうか。ここでは、その違和感の依って来たるところを少し突っ込んで考えてみたい。
 一つ目は、募集採用に係る日本の判例法理として半世紀前に確立している三菱樹脂事件最高裁判決の射程がどこまで及ぶのか、言い換えればどのような募集採用に対しては及ぼすべきではないと考えられるのかという論点である。
 もう一つは、これはもはや労働法の範囲を逸脱するとも言えるが、一定の学問的・政治的対立が存在する中における一定の地位をめぐる争奪戦がどこまで法的紛争として救済の対象となり得るのかという論点である。
 本事案はこういった論点を考える上でいくつもの素材を提供してくれる事案である。以下は、厳密な意味での判例評釈というよりは、これら論点をめぐって思いついたことを書き連ねたエッセイに類する。
 なお、本件の原告側弁護士は宮里邦雄と中野麻美であり、被告側弁護士は木下潮音、小鍛治広道らであり、両陣営の大物が登場している。宮里は本件控訴審判決(令和5年2月1日)の直後の2月5日に亡くなっており、彼が最後に携わった事件ということになる。
 
2 募集採用法理の射程
 今日においても、労働者の募集採用に係る日本の判例法理としては、三菱樹脂事件最高裁判決が最重要の先例である。
・・企業者は、かような経済活動の一環としてする契約締結の自由を有し、自己の営業のために労働者を雇傭するにあたり、いかなる者を雇い入れるか、いかなる条件でこれを雇うかについて、法律その他による特別の制限がない限り、原則として自由にこれを決定することができるのであつて、企業者が特定の思想、信条を有する者をそのゆえをもつて雇い入れることを拒んでも、それを当然に違法とすることはできないのである。憲法一四条の規定が私人のこのような行為を直接禁止するものでないことは前記のとおりであり、また、労働基準法三条は労働者の信条によつて賃金その他の労働条件につき差別することを禁じているが、これは、雇入れ後における労働条件についての制限であつて、雇入れそのものを制約する規定ではない。また、思想、信条を理由とする雇入れの拒否を直ちに民法上の不法行為とすることができないことは明らかであり、その他これを公序良俗違反と解すべき根拠も見出すことはできない。
 右のように、企業者が雇傭の自由を有し、思想、信条を理由として雇入れを拒んでもこれを目して違法とすることができない以上、企業者が、労働者の採否決定にあたり、労働者の思想、信条を調査し、そのためその者からこれに関連する事項についての申告を求めることも、これを法律上禁止された違法行為とすべき理由はない。もとより、企業者は、一般的には個々の労働者に対して社会的に優越した地位にあるから、企業者のこの種の行為が労働者の思想、信条の自由に対して影響を与える可能性がないとはいえないが、法律に別段の定めがない限り、右は企業者の法的に許された行為と解すべきである。また、企業者において、その雇傭する労働者が当該企業の中でその円滑な運営の妨げとなるような行動、態度に出るおそれのある者でないかどうかに大きな関心を抱き、そのために採否決定に先立つてその者の性向、思想等の調査を行なうことは、企業における雇傭関係が、単なる物理的労働力の提供の関係を超えて、一種の継続的な人間関係として相互信頼を要請するところが少なくなく、わが国におけるようにいわゆる終身雇傭制が行なわれている社会では一層そうであることにかんがみるときは、企業活動としての合理性を欠くものということはできない。
 およそ採用に関する一般原則として、思想・信条による採用差別(正確にいえば試用期間満了による本採用拒否であり、雇用関係は生じていた事案)をも採用の自由として容認するこの考え方を前提とすれば、書類選考の段階で不合格になったことを捉えてあれこれ言うこと自体が笑止千万であり、議論の余地もないところであろう。しかしながら、この最高裁判決が自ら述べるように、この判決は「継続的な人間関係」「相互信頼」「終身雇傭制」といったキーワードで彩られる日本型雇用システムを大前提とし、かつ、採用時点において採用後担当する職務について(潜在能力はあっても)個別具体的な技能を有していることは何ら期待されていないような新規学卒者一括採用方式における学生の募集採用であることを前提として下された判決であり、そのような前提が希薄であるような状況下においても同様に適用されるべきであるかについては、議論の余地が十分にある。
 この判決後、日本でも男女雇用機会均等法が制定され、累次の改正を経て募集・採用から退職・解雇に至る雇用の全ステージにおける性別に基づく差別が禁止されるに至っているが、今日まで問題として表れてきているのはほとんどすべて採用後の処遇に係る差別であって、採用そのものにおける差別事案というのは登場してきていない。配置・昇進をめぐる差別は処遇問題としてのみ捉えられ、欧米におけるような社内における募集・採用の問題として捉える観点はほとんど見られない。
 近年「ジョブ・ディスクリプション」という言葉が氾濫しているが、そもそもそれが募集・採用のための基準であるという認識はほとんど見られず、「ジョブ型」の流行もほぼ処遇に限られ、募集・採用まで含めて論ずるものは稀である。とはいえ、もし本気で「ジョブ型」の雇用社会を目指すつもりがあるのであれば、そこにおける募集・採用は上記最高裁判決が前提とするようなものではなく、募集するポストのジョブ・ディスクリプションを詳細に記述し、資格・経験等から判断してその職務を最も適切に遂行しうると見込まれる者を採用するというのが、(もとより現実とは一定の乖離があるにせよ)出るところに出た時のあるべき姿ということになるであろう。すなわち、採用された候補者と採用されなかった候補者について、募集の際に提示した職務内容や要する資格等との関係で合理的な判断がなされたことを示すことが求められると考えられる。EU運営条約の改正をもたらしたEU司法裁判所のカランケ判決やマルシャル判決は、まさに管理職の募集採用において男女の応募者が資格同等の際に女性を優先させることの是非が問われたものである。
 政府や経団連や評論家の掛け声にもかかわらず、そのような方向に日本が動いていくという見込みは予見しうる将来にわたって希薄であるので、少なくとも募集・採用に関する一般論としてはなお上記最高裁判決の法理が妥当し、「継続的な人間関係」「相互信頼」「終身雇傭制」を前提に、会社の仲間としての適格性でもって採用判断することになんら制約はなく、その採用過程を公開せよなどという要求が通る見込みはないと思われる。
 しかしながら、一般社会はそうであっても、特殊な高度専門職についてその特別の能力を有する者を広く社会全体に対して募集する場合にはそれとは異なる法理が適用されるべきではないか、というのが、原告側の第二の主張であろう。「大学教員の採用を公募により行う場合、その選考過程は公平・公正であることが求められ」るという原告の主張は、実態はともかく建前としては否定しがたいものであるはずである。すべての大学教授がそうであるか否かはともかく、一定の大学教授ポストがそのような存在であることは社会的に認識されていることであろうと思われる。
 これに対してY側は、(上記最高裁判決を踏まえた)採用の自由論に加えて、憲法23条に基づく学問の自由をその論拠として挙げているが、この点は後述の第2の論点にかかわるので、ここでは前者について考える。畢竟、Y側は高度専門職を公募で採用する場合と無技能の新卒学生をポテンシャル採用する場合とで適用されるべき法理に違いはないと主張していると考えられ、本判決の裁判官も「このことは、選考方式が公募制であったことによって左右されるものではない」と述べていることからも、そのように判断していると考えられるが、その判断で良いのかどうかは、少なくとも議論の余地のあるところであろう。
 もっとも、採用という入口の反対側の出口に当たる解雇事案においては、大学教授といえども(いやむしろその方が?)職務の専門性とは関わりなく身分的保障がなされるべきという主張を大学教授自身が行い、裁判所もそれを認めるという判決が積み重なってきているので、このY側の主張と平仄が合っているというべきかもしれない。
 すなわち、学校法人大乗淑徳学園事件(東京地判裁令和元年5月23日労働判例1202号21頁)は、学部廃止に伴う大学教授の整理解雇について、「Xらの所属学部及び職種が同学部の大学教員に限定されていたか否かにかかわらず、同学部の廃止及びこれに伴う本件解雇についてXらに帰責性がないことに変わりはなく、Yの主張するXらの所属学部及び職種の限定の有無は、本件解雇の効力を判断する際の一要素に過ぎない」と述べ、解雇無効と判示している。ちなみにこの事案の評釈(『ジュリスト』2020年4月号)で筆者は次のように述べたことがあるが、単なる雇用関係ではなく、(専門性を一切捨象した)大学教授という身分自体を保護対象と考えるこの発想は、Y側の主張と極めて整合的であると言えよう。
 本件で興味深いのは、大学教授の配置転換可能性として事務職員としての雇用継続という選択肢も論じられていることである。この点に関しては、Xら側が大学教授という職務への限定性を強く主張し、本判決もそれを認めている。しかしながら、そもそも「大学教員はその専門的知識及び実績に着目して採用されるもの」を強調するのであれば、およそ大学教授であれば何を教えていても配置転換可能などという議論はありえまい。例えば法学部が廃止される場合、その専任教員を事務職員にすることは絶対に不可能であるが、理学部の専任教員にすることは同じ「大学教員」だから可能だとでも主張するのであろうか(労働法の教授を人事担当者にする方がよほど専門知識に着目しているとも言えよう)。
 同様に学部廃止に伴う整理解雇事案である学校法人奈良学園事件(奈良地判令和2年7月21日労働判例1231号56頁)でも、本来専門性が高くなればなるほど配置転換の可能性は少なくなるはずなのに、逆に「ビジネス学部及び情報学部に在籍する学生がほとんどいなくなったことにより過員となった教員たる原告らを人間教育学部又は保健医療学部に異動させ、担当可能科目を担当させることがおよそ不可能であるとはいえず」などと、より無限定的な配転可能性を要求している。日本の裁判所にとって、大学教授というのは身分としては最大限尊重されるべきであるが専門性は尊重する値打ちはないようである。
 
3 採用の自由と学問の自由
 上述のように、Y側は採用の自由論に加えて、憲法23条に基づく学問の自由をその論拠として挙げている。この議論は裁判所の採用するところとはなっていないが、それとして論ずる値打ちがあると思われる。Y側の論理は次のようである。「憲法23条は、学問の自由を保障しているところ、大学における学問の自由を保障するため、大学の自治が認められている。教員の人事における自治は、大学の自治の核心であるから、大学は、私企業に比して、採用の自由がより広範に保障されるべき立場にある。採用の自由が認められることの当然の帰結として、応募者をどのように評価するかについては、大学に広範な裁量権がある。」
 学問の自由や大学の自治については、東大ポポロ事件最高裁判決が次のように述べている。
・・・大学における学問の自由を保障するために、伝統的に大学の自治が認められている。この自治はとくに大学の教授その他の研究者の人事に関して認められ大学の学長、教授その他の研究者が大学の自主的判断に基づいて選任される。また、大学の施設と学生の管理についてもある程度で認められ、これらについてある程度で大学に自主的な秩序維持の権能が認められている。
 このように、大学の学問の自由と自治は、大学が学術の中心として深く真理を探求し、専門の学芸を教授研究することを本質とすることに基づくから、直接には教授その他の研究者の研究、その結果の発表、研究結果の教授の自由とこれらを保障するための自治とを意味すると解される。
 Y側の主張はこの「この自治はとくに大学の教授その他の研究者の人事に関して認められ大学の学長、教授その他の研究者が大学の自主的判断に基づいて選任される」というところに着目したものであろう。だが、この「自主的判断」というのは、憲法の自由権規定の一環として、まず第一義的には国家の干渉からの自主性を意味する。ここでいう国家の干渉とは、戦前の滝川事件等におけるような行政権の介入のことであって、民事事件における司法権の介入までを否定するような意味合いはないはずである。もしそうなら、そもそも上記のような大学教授の整理解雇事件を司法の判断に委ねること自体が許されないことになる。そのようなことはあり得まい。
 ではY側の主張する学問の自由に基づく採用の自由とは何を意味しているのだろうか。本件に行政権は一切介入しておらず、司法の介入が当然であるとすると、残る当事者はXしかいない。とすると、Y側はXの訴えが学問の自由への侵害であると主張しているようである。
 もちろん、憲法の私人間効力論という議論はあり、私人による学問の自由の侵害ということも立論可能である。実際、強大な財力を有する企業や団体が大学の学問研究に干渉しようとするということも考えられるし、立論の仕方はともかく、それを学問の自由という概念で議論することはあってよい。しかしながら本件においては、XはYの一非常勤講師にして教員公募への応募者に過ぎない。社会経済的な力関係からいえば圧倒的にYが優勢である。Yの云い分は、Xが自分の採用選考が公正に行われたか否かをYに問うことが、学問の自由を侵害すると言わんばかりであり、そのあまりにも矮小化ではなかろうか。
 もっとも、これが単なる一個人の採用選考をめぐる紛争ではなく、背後に何らかの対立構造があり、本件はその表出であるとするならば、この反応にも理解できるところがある。それは、X側の次の主張に垣間見えている。すなわち、「Xは、自らが本件公募における上記(3)アの採用条件を満たす数少ない研究者の一人であると考えていたところ、それにもかかわらず、書類審査の段階で不合格とされたことから、選考過程の公正さについて疑念を抱き,本件公募の対象となったポストの前任者(Xは、前任者について、自己と学問的・政治的立場を全く異にしており、学問上対立関係にあると認識している。)が選考過程に関与したのではないかと疑った。」とあるように、ここには当該ポストの前任者とXとの間のイデオロギー的対立が影を落としており、前任者が自らと対立するイデオロギーの持ち主であるXを忌避して同じイデオロギーの者を後任者としたいと考えていたとするならば、それをその前任者の側が「学問の自由」と認識することはありえたからである。こうしたことは社会科学系の学問分野ではままありうるが、とりわけ本件における募集ポストが「現代中国の政治と国際関係」という極めてイデオロギー対立の激しいと考えられる分野であれば、これはいかにもありそうなことではある。
 この学問の自由論は、裁判所は結論を出すのに必要ないと考えたためか、あえて取り上げていないが、巷間、特定のイデオロギーの集団が特定大学の特定分野の教授ポストを独占している云々と噂されることはよくあり、それが司法審査の対象となり得るのかも疑問であるが、イデオロギー闘争に基づくポスト争いの理屈に学問の自由論を持ち出すのも、あまり見栄えのいいものではないとはいえよう。
 
4 団交応諾義務について
 本件の理論的コアは以上に尽き、個人情報の適正管理や団交応諾義務に関わる論点は枝葉末節に類する。ただし、団交応諾義務の成否に関しては、やや脇道であるが興味深い論点がある。それは、X1がYの非常勤講師であったことに関わる。
 そもそも、X1は本件公募への応募者個人として選考過程の開示を求めた後、本件訴訟を提起するまでの間に、X2に加入して団体交渉という集団的労使関係の枠組みで同じく選考過程の開示を求めているが、それが可能であったのは、たまたまX1が平成26年度後期から平成30年度後期までYの非常勤講師であり、言い換えればYは既にX1の使用者であって、「使用者が雇用する労働者の代表者と団体交渉をすることを正当な理由がなくて拒むこと」が不当労働行為たる団体交渉拒否になり得たからである。逆にいえば、X1がYの非常勤講師ではなく、純粋に本件公募への応募者としてX2に加入して団体交渉を要求したとしても、Y側はそもそもYはX1の使用者ではないとして拒否し得た可能性が高い。
 では、非常勤講師としての立場で使用者たるYに対して本件公募の選考過程の開示を求めることは義務的団交事項に当たるのであろうか。X1側の云い分は「X1にとって、本件公募による採用は、非常勤講師としての地位から専任教員としての地位への転換としての意味を有するものでもあり、Yと雇用関係にない純然たる第三者の採用の問題とは、その性質を異にするというべきである。」というものであり、本判決はこれを「専任教員に係る本件公募の選考過程は、X1とYとの間の労働契約上の労働条件その他の待遇には当たらない」と一蹴している。
 ここは、理論的にはそう簡単に言いきれないと思われる。恐らく大学人の意識においては、テニュアを有する専任教員と非常勤講師とは全く身分が異なるものであり、民間企業における正社員と非正規労働者のように単に労働時間や契約期間が異なるものではないと意識されているのであろうが、民間企業でも社会学的実態としてはそのような身分的意識が一般的であり、しかしながら法的には同じ雇用契約であって、私立大学や国立大学法人の専任教員と非常勤講師におけると何ら異なるところはない。そして、いずれも同様に労働契約法18条の適用を受け、無期転換ルールの下にあるのであるから、非常勤講師の無期転換要求は労働契約上の労働条件その他の待遇に含まれる。
 X2がYに団体交渉を申し入れた時点で、X1は非常勤講師として5年目に入っており、無期転換請求権の発生が目前にあったことからすると、Yが無期転換請求権の発生を防止するために当該年度で雇止めする危険性があり、それを防ぐために先んじて無期転換要求を提示しておくということは無意味ではなかろう。これに対して、大学非常勤講師には科学技術・イノベーション創出の活性化に関する法律15条の2の労働契約法の特例により無期転換ルールは10年となるという反論が考えられるが、学校法人専修大学(無期転換)事件(東京高判令和4年7月6日労働判例1273号19頁)は、研究活動を行わない非常勤講師については労働契約法の5年の本則が適用されると判示しており、X1にもこれが該当すると考えられる。
 もっとも、ここはさらに複雑な議論があり得て、非常勤講師としてのX1は、非常勤先のYにおいては教育活動のみに従事していたものと思われるが、本籍の明治大学では立派に研究活動をしているので、同条第1号の「研究者等であって研究開発法人又は大学等を設置する者との間で期間の定めのある労働契約(以下この条において「有期労働契約」という。)を締結したもの」という規定ぶりからすると、まさにこれに該当し、研究活動を行っていない非常勤講師としての雇用関係を有するYとの関係においても、労働契約法の5年ではなくイノベ法の10年が適用されることになるとも考えられる。
 この論点については、上記専修大学事件判決(地裁判決の引用部分)は「科技イノベ活性化法15条の2第1項1号の「研究者」というには,研究開発法人又は有期労働契約を締結した者が設置する大学等において,研究開発及びこれに関連する業務に従事している者であることを要するというべきであり,有期雇用契約を締結した者が設置する大学において研究開発及びこれに関連する業務に従事していない非常勤講師については,同号の「研究者」とすることは立法趣旨に合致しないというべきである」と明確に述べており、X1は明治大学では研究者であってもYでは研究者に該当しないので、労働契約法の5年出向き転換が適用されるはずである。
 ただし、これは団交応諾義務を引っ張り出すための理屈立てであって、事案の実体からすればかなりの程度において仮装というべきであろう。本件の社会的実態はYの雇用する非常勤講師X1の無期転換をめぐる紛争ではなく、Yのあるポストをめぐって、研究者共同体内部の学問的・政治的対立関係が表出したものというべきである。

 

 

 

 

2024年6月11日 (火)

ベースアップの本格的復活?@WEB労政時報

WEB労政時報に「ベースアップの本格的復活?」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers/article/87281

 去る6月5日に連合が発表した「第6回回答集計」によると、平均賃金方式による賃上げ率は5.08%となったようです。もっともこれは定期昇給込みの数字なので、定期昇給といわゆるベースアップ(ベア)を明確に区分できる組合の場合、定期昇給込みの5.18%のうち、定期昇給分が1.64%、ベースアップ分が3.54%となります。純粋の賃上げ部分に当たるベースアップが定期昇給の2倍以上になったのは、1991年以来33年ぶりのことです。実は、昨年2023年の連合の最終集計では定期昇給分が1.57%、ベースアップ分が2.12%で、1992年以来31年ぶりにベースアップが定期昇給を上回ったのです。
 
 ということは、・・・・

2024年6月10日 (月)

中教審の議論の一番弱いところ

去る5月13日に、文部科学省の中央教育審議会が「審議のまとめ」というのを公表し、教師の職務は特殊だから給特法は合理性がある云々と述べて色々と批判を浴びています。

https://www.mext.go.jp/content/20240524-mxt_zaimu-000035904_1.pdf

https://www.mext.go.jp/content/20240524-mxt_zaimu-000035904_2.pdf

その批判で「定額働かせ放題」というのがけしかるとかけしからんとかいう話があり、文部科学省の国会答弁によると、立派な給特法を、こともあろうに極悪非道の高度プロフェッショナル制度を形容する「定額働かせ放題」と呼ぶのがけしからんとのことで、あれだけ高給の労働者を手厚い健康管理で守りながら、未だに適用労働者が600人あまりしかいないという情けない制度と一緒にされるのは、確かに不本意の極みでありましょうな。

いや、中教審のいっていることはあながち間違いだらけというわけではない。ある意味ではもっともな面もある。先入観なしに、部活だの生活指導だのといったことに煩わされないジョブ型社会のプロフェッショナル教師を想定すれば、以下の議論もそれなりにもっともな面があるのは確かです。

○ 教師の処遇の在り方を検討するに当たっては、まず、教師の職務の在り方等について検討する必要がある。
第2章1.で述べたとおり、教師は子供たちの人格の完成と我が国の未来を切り拓く人材を育成するという極めて複雑、困難な職務を担っており、専門的な知識や技能等が求められる高度専門職である。

○教職の性質は全人格的なものであり、教師は、一人一人がそれぞれ異なるとともに、成長過程にあり、日々変化する目の前の子供たちに臨機応変に対応しなければならない。このため、業務遂行の在り方として、どのような業務をどのようにどの程度まで行うかについて、一般行政職等のように逐一、管理職の職務命令によるのではなく、一人一人の子供たちへの教育的見地から、教師自身の自発性・創造性に委ねるべき部分が大きい。

○ また、教師の業務については、教師の自主的で自律的な判断に基づく業務と、校長等の管理職の指揮命令に基づく業務とが日常的に渾然一体となって行われており、これを正確に峻別することは極めて困難である。

○ さらに、必要となる知識や技能等も変化し続ける教師には、学び続けることが求められるが、例えば、授業準備や教材研究等の教師の業務が、どこまでが職務で、どこからが職務ではないのかを精緻に切り分けて考えることは困難である。

○ こうした一般の労働者や行政職とは異なる教師の職務の特殊性は、現在においても変わるものではないため、勤務時間外についてのみ、一般行政職等と同様の時間外勤務命令を前提とした勤務時間管理を行うことは適当ではないと考えられる。

○ また、教師の勤務時間には、学習指導や生徒指導等を行う子供たちが在校している時間と、長期休業期間等の子供たちが在校していない時間があるが、後者の時間は、どのような業務をどのようにどの程度まで行うかについて、個々の教師の裁量によって判断する余地がより大きいなど、その勤務態様が一般行政職等とは異なる特殊性がある点についても、現在においても変わるものではないと考えられる。

教師という職種が高度な専門職であり、自律性、裁量性が高いということは、中教審に言われなくてもみんなわかっていると思います。

ただ、だから、

○ 一方、時間外勤務手当を支給すべきとの指摘については、教師の職務等の特殊性を踏まえると、通常の時間外勤務命令に基づく勤務や労働管理、とりわけ時間外勤務手当制度には馴染まないものであり、教師の勤務は、正規の勤務時間の内外を問わず包括的に評価すべきであって、一般行政職等と同様な時間外勤務命令を前提とした勤務時間管理を行うことは適当ではない。

と断言してしまうと、教師という『職種』がそこまで特殊で時間外手当なんかになじまないというのであれば、職種とした全く変わるところのない国立学校の教師と私立学校の教師は労働基準法がフル適用であることとの整合性の説明がつかなくなってしまうでしょう。

いや、この「審議のまとめ」には、いちおうそこんとこの説明がこのように書かれているんですが、

○ 国立学校や私立学校では時間外勤務手当の支払いがなされており、公立学校も対象とすべきであるとの指摘もある。

この点については、職務の特殊性は、国立学校や私立学校の教師にも共通的な性質があるが、

・公立学校の教師は、地方公務員として給与等の勤務条件は条例によって定められているのに対し、国立・私立学校の教師は非公務員であり、給与等の勤務条件は私的契約によって決まるという勤務条件等の設定方法の違いは大きいこと

・公立の小・中学校等は、域内の子供たちを受け入れて教育の機会を保障しており 83、在籍する児童生徒等の抱える課題が多様であることなど、国立・私立学校に比して、公立の小中学校等においては相対的に多様性の高い児童生徒集団 84となり、より臨機応変に対応する必要性が高いこと

・公立学校の教師は、定期的に学校を跨いだ人事異動が存在することにより、特に社会的・経済的背景が異なる地域・学校への異動があった場合等においては、児童生徒への理解を深め、その地域・学校の状況に応じて、より良い指導を行うための準備を行う必要があるが、それをどのように、どの程度まで行うかについて個々の教師の裁量によるところが大きいことなど、職務の特殊性が実際の具体的な業務への対応として発現する際の有り様は、公立学校の教師と国立・私立学校の教師とで差異が存在する。

こんな説明にもなっていない説明で、等しく教師という崇高な専門職に就いていながら、公立学校の教師のような自律性、裁量性は乏しいので、労働基準監督官に臨検監督されても文句は言えないのだ、などと貶められてしまうのですから、国立学校や私立学校の教師は浮かばれませんね。

筋の通った議論を展開しようというのであれば、国立学校や私立学校の教師といえども、地方公務員という身分がないだけで教師という高度な職種であることに何の変わりもないのだから、給特法の適用対象に含めて、労働基準法の適用を除外すべきだと主張すべきでしょう。そうでないと、中教審は2割弱を占める私立学校・国立学校の教師たちから、「わたしたちを単純労働者扱いするんじゃない」という怒りの声がぶつけられるのではないでしょうか。わたしたちは「供たちの人格の完成と我が国の未来を切り拓く人材を育成するという極めて複雑、困難な職務を担って」いないのか、「専門的な知識や技能等が求められる高度専門職」じゃないのか、「どのような業務をどのようにどの程度まで行うかについて、一般(労働者)等のように逐一、管理職の職務命令によるのではなく、一人一人の子供たちへの教育的見地から、教師自身の自発性・創造性に委ねるべき部分が大きい」のではないのか、「教師の自主的で自律的な判断に基づく業務と、校長等の管理職の指揮命令に基づく業務とが日常的に渾然一体となって行われており、これを正確に峻別することは極めて困難」じゃないのか、等々と。

かつて、『季刊労働法』に書いたように、わたしは専門職としての教師にふさわしい労働法制の可能性というのはあり得ると考えています。

 さて、しかし、上でちらりと示唆したように、給特法制定時の人事院の意見の背景には、欧米ジョブ型社会のプロフェッショナルな教師たちと同様、授業だけがその遂行すべき職務であるような、それゆえ授業時間だけが勤務時間であるような、そのようなあるべき社会の姿が夢見られていました。ややもすると政治イデオロギー的な教師聖職論と紛らわしい目で見られることもあったとはいえ、この思想それ自体は真剣な検討に値します。
 そして、給特法制定当時は専門職としての大学教授にふさわしい労働時間制度など存在せず、事実上の裁量労働が放任されていたに過ぎなかったのに対し、その後労働基準法上に専門業務型裁量労働制が規定され、講義等の授業の時間が1週間の所定労働時間の半分以下の大学教授は専門業務型裁量労働制が適用されるようになっています。学科担任制や科目担任制の中学校や高校では、この制度を適用する余地のある教師は存在しうるのではないでしょうか。もちろん、現実に膨大な学校事務や生徒指導、部活動等々を強いられている教師たちにそのまま適用することはあり得ませんが、将来のあるべき学校の姿、教師の姿として、そうした専門職としての教師にふさわしい労働法制の可能性を探っていくことも、考えられていいのではないかと思われます。
 いうまでもなく、その際には、公務員であるかないかなどという職種の性質にはなんの関係もない雑事に煩わされることなく、言葉の正確な意味において「まじめ」に検討されなければなりません。

残念ながら、中教審は筋の通った「まじめ」な議論になり得る途を放棄し、見るからにインチキな屁理屈で乗り切ろうとしたようです。でも、この問題は「定額働かせ放題」などという表層的な罵詈雑言の是非だけで済ませていい問題ではないはずです。

 

 

 

 

 

 

 

2024年6月 6日 (木)

『季刊労働法』285号

 例によって、労働開発研究会のサイトに、『季刊労働法』2024年夏号(285号)の案内が出ています。

https://www.roudou-kk.co.jp/books/quarterly/12116/

今号では「労働市場法」を特集します。巻頭座談会では、多様化、複雑化する、労働市場の現状と今後の動向を確認しつつ、令和4年職安法改正の意義と課題を論じあいます。その他、雇用保険の近未来、職業紹介と雇用仲介事業の区分に迫る論稿を掲載しています。
 ●第2特集では、「2024年問題」を検討します。労働時間規制が猶予されていた建設業、運輸業、医業の「働き方改革」を概観し、産業それぞれにある課題を探ります。

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わたくしの「労働法の立法学」は、「EUのプラットフォーム労働指令」です。

2024年6月 5日 (水)

35-44歳層は何と呼ぶのか?

先日の「高齢者の定義は・・・55歳だった!?」という記事に対して、

高齢者の定義は・・・55歳だった!?

なんと日本国の実定法上、「高年齢者」というのは55歳以上の人のことをいうんですね。

これは、55歳定年が一般的であった1970年代に作られた規定が、そのまま半世紀にわたってそのまま維持され続けているために、こうなっているんですが、おそらく現代的な感覚からすれば違和感ありまくりでしょう。

ちなみに、同省令には続いて、

(中高年齢者の年齢)
第二条 法第二条第二項第一号の厚生労働省令で定める年齢は、四十五歳とする。

45歳になったら中高年という規定もあって、こちらはそうかなという気もしますが(若者だと思っている人もいるようですが)、でも45歳からたった10年で55歳になったら高齢者というのは可哀想すぎますね。

こういうブコメがつきましたが

44歳まではなんというのだろう。中高年でないなら青年?

実は、高年齢者雇用安定法と対になる法律として青少年雇用促進法というのがあるんですが、

青少年の雇用の促進等に関する法律

 (基本的理念)
第二条 全て青少年は、将来の経済及び社会を担う者であることに鑑み、青少年が、その意欲及び能力に応じて、充実した職業生活を営むとともに、有為な職業人として健やかに成育するように配慮されるものとする。
第三条 青少年である労働者は、将来の経済及び社会を担う者としての自覚を持ち、自ら進んで有為な職業人として成育するように努めなければならない。

残念ながら高齢法と違って、こちらには青少年の定義というのがありません。

省令レベルでは、

青少年の雇用の促進等に関する法律施行規則

第7条第1号ロにこんな規定がありますが、

 十五歳以上三十五歳未満の青少年(以下この条において「青少年」という。)であることを条件とした公共職業安定所、特定地方公共団体若しくは職業紹介事業者への求人の申込み又は青少年であることを条件とした労働者の募集を行っていること(通常の労働者として雇い入れることを目的とする場合であって、労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律施行規則(昭和四十一年労働省令第二十三号)第一条の三第一項第三号イからニまでのいずれかに該当するときに限る。)。

でもこれは、青少年のうち15歳以上35歳未満の者を、この条において「青少年」と呼ぶといっているだけなので、そもそもの青少年の定義はこれより広いようにも見えます。

実は、大臣告示レベルまで来ると、定義じゃないけれども定義みたいな記述が出てきます。

青少年雇用対策基本方針

本方針において「青少年」とは、35 歳未満の者をいう。ただし、個々の施策・事業の運用状況等に応じて、おおむね「45 歳未満」の者についても、その対象とすることは妨げないものとする。

ここでは、青少年を35歳未満の者と定義していますが、45歳未満の者も妨げないと言っていて、ということは、35-44歳層も青少年なんでしょうか。厳密に言えば、青少年じゃないけれども青少年に準じる者みたいな地位でしょうかね。

これ、実は、例の就職氷河期問題がいつまでも尾を引いて、90年代末に正社員就職できなかった世代が21世紀になってからも、20代、30代、40代と年を経るに従って、最初に若者対策として始めた対策がだんだんと年長者にも及んでいくことになったために、こういう状況になってきたのですが、でも昔なら典型的なプライムエイジであった35-44歳層を青少年というのはおかしいし、とはいえこの高齢化社会で彼らを中高年と呼ぶのも変だというわけで、彼らは中高年と青少年の狭間の名無しの世代になってしまっているようです。

 

 

 

 

2024年6月 4日 (火)

社労士法改正の動き

A947d000d4fd3ebb92575f9c4c411811 連合のホームページに、「全国社会保険労務士会連合会との意見交換会を実施」が載っていて、読んでいくと、社会保険労務士法の第9次改正の動きが進んでいるようです。

https://www.jtuc-rengo.or.jp/news/news_detail.php?id=2123

意見交換では、社労士会から社会保険労務士法改正の動きについて説明があった後、連合としての考えを述べました。具体的には、(1)社労士の業務として「労務監査」を法文上明記することについては、労働法等に理解のない一部の不適切な社労士の行動にお墨付きを与えることのないように対応をはかるべきこと、(2)社労士の労働審判への補佐人出廷のための規定整備については、審判委員会が当事者から生の声を聞いて心証形成をはかる労働審判の原則が阻害されないよう対応すべきことなどを指摘しました。これに対し社労士会からは、連合の指摘を受け止め検討する旨の回答がありました。

この動きについては、全国社労士会連合会のホームページには出てこないのですが、検索すると岡山県社会保険労務士政治連盟のサイトに「「第 9 次社会保険労務士法改正」に関する要望事項」というのが見つかり、かなり広範な改正を要望しているようです。

https://www.okayama-sr.jp/save_lnk/lnk_mtLxRu.pdf

「第 9 次社会保険労務士法改正」に関する要望事項

Ⅰ.司法制度改革に関する事項

1.個別労働紛争に係る簡易裁判所における代理業務の追加(法第2 条)

2.労働審判における代理業務の追加(法第2 条)
上記1.(簡裁訴訟代理権)及び2.(労働審判代理権)については、平成21 年3 月31 日付け閣議決定規制改革推進のための3 か年計画(再改定)」において、その実現について明記されている。このことは紛争解決手続きのための代理業務であることから、特定社会保険労務士に限り行うことができることとするよう所要の改正を行う。

3.労働紛争解決センターにおける紛争目的価額上限の撤廃(法第2 条)
法第2条第1号の6中「個別労働関係紛争(紛争の目的の価額が120万円を超える場合には、弁護士が同一の依頼者から受任しているものに限る。)」のカッコ書きを削除する。
都道府県労働局紛争調整委員会及び都道府県労働委員会においては、単独で代理ができる紛争目的価額の制限はないが、社労士会労働紛争解決センターにおいては上限規制があるため、申立で最も多数を占める退職・解雇を巡る事件では、紛争目的価額が160 万円とみなされ、単独では代理ができない。行政型ADRとの取扱いを区分けする論理的な根拠があるとは考えにくい。

4.裁判所における補佐人規定の整備(法第2 条の2)
法第2 条の2中「訴訟代理人」を「代理人」に改める。
現行規定では、非訟事件である労働審判には訴訟代理人は存在せず、補佐人として労働審判への参画は認められないとする裁判所があるため。

Ⅱ.使命規定の新設と所要の整備に関する事項

1.使命規定の新設(法第1条)
法第1条の目的規定を使命規定に改める。
社会保険労務士の使命、責務を明確に規定し、もって社会全般に求められる期待にこたえられるようにするため。

2.労務監査規定の新設(法第2条)
社会保険労務士の業務に、いわゆる「労務監査」を追加する。
今後、事業主は、持続的な事業の発展のためにSDGsや労働CSRに対応すること、また労働力確保及び定着のために職場環境の整備等を行うことが急務とされており、それを社会保険労務士として全面的に支援することができるようにするため。

3.「社労士」を略称として使用することができる規定の整備(法第26条)
法律名「社会保険労務士法」及び国家資格名「社会保険労務士」との名称は変えずに、略称として「社労士」を使用することについて法律上の根拠規定を設けることとする。
したがって、登録、登記等の手続等法律関係上は、「社会保険労務士法」を従前どおり使用することとする。また、「社労士」の名称について、使用制限の規定を新設する。

4.登録申請の電子化による事務処理の合理化

5.都道府県社会保険労務士会の監督権の実行確保措置の強化

労働審判における代理の問題は従前からの懸案でしたが、労務監査の法定化という動きもあったのですね。これは役所の審議会ではなく、議員立法というルートでの法改正の動きなので、なかなか見えにくいのですが、かなり大きな影響を与えるものでもあるので、注視していきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

2024年6月 2日 (日)

日本の労働者は「守られすぎ」か@『VOICE』7月号

6199zeoxlpl_sl1000_  PHPの総合誌『VOICE』の7月号が、「日本企業の夜明け」という特集を組んでいまして、その中にわたくしも「日本の労働者は「守られすぎか」という小論を寄稿しています。

https://www.php.co.jp/magazine/detail.php?code=12559

特集1:日本企業の夜明け
「失われた三十年」という偽りの神話 ウリケ・シェーデ 34p
「日本的経営」という幻の先に 楠木 建 44p
歴史的円安のリスク軽減に向けて 木内登英 54p
日本製鉄から見るJTCの覚醒 上阪欣史 62p
経営には「言葉」が必要だ――経営現場の詩人たち 岩尾俊兵 70p
日本の労働者は「守られすぎ」か 濱口桂一郎 78p
「Z世代化する社会」と職場の戦略 舟津昌平 88p
特集2:なぜ中東は混乱するのか
イラン・イスラエル間の「影の戦争」の行方 坂梨 祥 128p
中東に横行する権威主義――民主化は進むのか 末近浩太 136p
一〇・七事件で問われる欧米の行き場 江﨑智絵 144p
イスラーム理解と宗教嫌悪 松山洋平 152p
巻頭インタビュー
MMTは「過激な思想」なのか ステファニー・ケルトン 16p
独占第二弾
頼清徳・新総統への信頼と直言 陳 水扁 162p
特別インタビュー
「共創」する文化外交 上川陽子 182p
連載ほか
「消滅可能性自治体」議論を消滅せよ 金井利之 96p
TSMC熊本工場は成功するか 湯之上 隆&林 宏文 106p
「生涯現役社会」実現への条件 今野浩一郎 118p
「中国嫌い」のための中国史〈10〉
孔子
安田峰俊 188p
日本史は「敗者」に学べ〈6〉
石田三成〈前編〉
呉座勇一 198p
離婚と子ども――民法改正を契機に 原田綾子 208p
再「小新聞」化するジャーナリズム 大澤 聡 218p
合理性のない規制の改良 大屋雄裕 226p
著者に聞く
仕事と趣味の両立に悩むすべての人へ
三宅香帆 234p
ニッポン新潮流〈現代社会〉
総選挙の試金石
西田亮介 26p
ニッポン新潮流〈都市文化〉
公園と身体性
藤村龍至 28p
地域から日本を動かす〈27〉
名勝地の逆転の発想・昔に戻せ
結城豊弘 30p
歴史家の書棚〈48〉
中原雅人『自衛隊と財界人の戦後史』松田小牧『定年自衛官再就職物語』
奈良岡聰智 238p
巻頭言〈5〉
スピーチの極意
冨田浩司 13p
文明之虚説〈79〉
アランの幸福論
渡辺利夫 244p
邂逅する中世と現代〈9〉
情報を照らす光
作・文/野口哲哉 1p
里山―未来へつなげたい日本の風景〈7〉
棚田の個性
写真・文/今森光彦 6p
令和の撫子〈62〉
カニササレアヤコ 
撮影/吉田和本 9p
Voiceブックス
編集者の読書日記
  240p
Voiceシネマ
編集者の映画三昧
  241p
Voiceレター
読者の感想&意見
  242p

 

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