戸森麻衣子『仕事と江戸時代』@労働新聞書評
毎度おなじみ『労働新聞』の書評ですが、今回は戸森麻衣子『仕事と江戸時代』(ちくま新書)です。
https://www.rodo.co.jp/column/174960/
この書評も2021年から始めたのでもう4年目になるが、その初めの頃に十川陽一『人事の古代史』(ちくま新書)を取り上げたことがある(関連記事=【GoTo書店!!わたしの一冊】第17回『人事の古代史―律令官人制からみた古代日本』十川 陽一 著/濱口 桂一郎)。古代から戦乱に明け暮れた中世を経て、平和な時代となった近世には、再び「働き方」が社会の重要な問題となった。本書は、戦士のはずだったのに官僚の道を歩まざるを得なくなった武士をはじめ、武家奉公人、商家の奉公人、職人、百姓に至るまでの、江戸時代の「働き方」万華鏡を垣間見せてくれる。
まず武士だが、そもそも主君のために戦うことの対価であった知行が俸禄化するが、それは「家」に与えられるいわば武家ベーシックインカムであって、実際の役職とは関係がない。俸禄は役職に就いていない武士にも支給される。こういう社内失業者を「小普請組」といい、江戸の旗本の約4割は、そういう近世版「働かないおじさん」であったらしい。
一方で、社会の複雑化に対応して武士のやるべき仕事も高度化・専門化していく。剣術や四書五経ばかり学んできた「長期蓄積能力活用型」の武士は実務能力に乏しい。そこで、「高度専門能力活用型」の非正規武士の登用と「役職手当」で調整する。下級武士に一代限りの俸禄上乗せ(「足高」)をして財務経営などの仕事をやらせるに留まらず、実務的な知識を身に着けた町人・百姓を召し抱えて専門的な仕事をやらせる。伊能忠敬とか二宮尊徳はこの類いだ。
幕末には、近代軍事技術に対応するために、各藩の藩士を幕府に「在籍出向」(「出役」)させることもみられた。長州藩の村田蔵六もその一人だが、出向元の長州藩から帰藩を命じられれば戻らざるを得ない。彼はその後大村益次郎と名乗って、出向先だった幕府を倒す立役者となった。中津藩から出向して幕臣に移籍した福沢諭吉は、こういう身分制度を「親の仇」と呼んだのである。
一方、武士の家でさまざまな労務に従事するのは、武士ではなく町人・百姓身分の武家奉公人だ。彼らは江戸のハローワークたる口入屋からの紹介で、通常1年契約で住み込みで働く「雇用柔軟型」非正規労働者である。また、殿様の駕籠を担ぐ「陸尺」、馬の世話をする「別当」など、細かな職務ごとに雇われる近世版ジョブ型雇用であった。驚いたことに、江戸城の大手門の門番役もこうした短期雇用の町人・百姓であったという。
商家の奉公人も営業経理を担当する大企業正社員タイプと雑用に従事する非正規労働者タイプに分かれる。三井越後屋をはじめ、江戸の大店はほぼ上方に本店があり、子供(丁稚)は本店で(新卒ではないが)一括採用して、江戸の出店に配転される。彼らは手代、番頭、支配人と出世していく近世版メンバーシップ型雇用だが、落ちこぼれるものも多い。一方、下男下女は現地採用であり、口入屋経由の年季奉公であった。さらにその日その日で働いて賃銭を受け取る日雇労働者(「日傭取」)というのもいた。
このように、見れば見るほど現代と通じるものが感じられる江戸時代の働き方だが、女性の働き方は大きく変わった。武家屋敷の奥女中奉公というのは、今日ではドラマのなかでしか想像できない。一方、吉原などの遊女屋奉公は、かなり形を変えながら生き残っているようでもある。
« フリーランスと労働法の谷間に「橋」を掛ける試み@『ちくま』4月号 | トップページ | 外国人労働者数約205万人@『労務事情』4月1日号 »
コメント
« フリーランスと労働法の谷間に「橋」を掛ける試み@『ちくま』4月号 | トップページ | 外国人労働者数約205万人@『労務事情』4月1日号 »
な、なるほど!ガラパゴス化した日本のメンバーシップ型雇用はやはり江戸時代に原点があったのですね。
「四民平等」の明治維新を経て第二次世界大戦後の「奇跡の復興」「高度成長」を実現し、誰もが現代の武士=企業エリートになれる、と言う時代が到来した事により、日本のメンバーシップ型雇用はさらに拡大し、強固なものになったという事ですね。
でも所詮企業が成長できないと維持できない現代の身分制=メンバーシップ雇用は21世紀に入って日本が低成長時代になると化けの皮が剥がれつつある、と言う事なのでしょう。
投稿: balthazar | 2024年3月28日 (木) 20時29分
上記に追加。
江戸時代は大名が知行を減らされることが良くありました。
例えば上杉鷹山のいた米沢藩。
上杉家が断絶しかけて急養子と言う手で何とか藩は残ったけど知行はそれまでの30万石から15万石の半分に減らされた。
それでも藩士は一人も首にしなかった。
そのために藩の財政は傾いて鷹山が改革に取り組むしかなくなった。
それで米沢藩は立ち直り、江戸時代型メンバーシップ雇用も維持されました。
・・・めでたしめでたし。
メンバーシップにこだわる日本型企業は案外米沢藩に憧れているのかもしれません。
現に上杉鷹山の本はよく売れるし。
「いつか俺の会社にも上杉鷹山みたいなリーダーが現れて何とかしてくれるのさ」
…現れるわきゃないでしょ(^^;
米沢藩のような成功例は少数で他の藩の多くは藩主の出費や藩士のメンバーシップ型雇用維持のために藩財政は火の車だったはず。
現代の日本でもメンバーシップ型雇用の大企業は内部留保が沢山ある企業が多いかも知らんが、現代の藩=地方自治体や国の財政は火の車。
江戸時代も今の日本もそんなに変わらんぞ(^^;
投稿: balthazar | 2024年4月13日 (土) 04時47分