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2024年1月26日 (金)

ローマ法学者 on 日本型雇用

09191 『法律時報』2月号には、ローマ法学者の木庭顕さんが「労働市場改革」というエッセイを寄せていますが、もちろんそんじょそこらにあるような生やさしい中身ではありません。

https://www.nippyo.co.jp/shop/magazines/latest/1.html

●論説 「労働市場改革」……木庭 顕

ローマ法のlocatio conductioの話がえんえんとなされて、多くの読者にはいささかちんぷんかんぷんではないかとも思われますが、それ以外も深い皮肉に満ちた文章が次々に繰り出され、人によっては木庭節に酔いしれるかも知れません。

たとえば、ローマ法の視角から見れば、こういう議論になります。

・・・労働時間規制がかからない「正規」というabsurdな形姿が、雇用関係が一種の丸抱えになっていることから導かれる、ということに疑いはない。正規労働者は福利厚生からあのおぞましい大宴会付き温泉旅行に至るまでたっぷりと恩恵を施され、それと引き換えに「配転」その他労働条件の恣意的な変更から公私混同のサーヴィスに至るまで何でもしなければならないのである。しかし我慢していれば定年退職とともに退職金及び年金は保障される。厳密に定義すればこれは奴隷に他ならない。・・・

そして、そういう日本型雇用を経済成長の源泉として礼賛しながら、一方で解雇の自由を叫んでいた1980年代前後の保守派知識人に対して、極めて辛辣な言葉を投げかけています。

・・・ところが、『文明としてのイエ社会』が解雇の自由を主張するのであれば、反「日本的雇用慣行」=流動性支持の側に立つに違いない、と読者は思う。・・・ところが、『文明としてのイエ社会』は、「日本的雇用慣行」に依拠するはずの「日本型経営」を「日本の」成功の秘訣とする。・・・そのくせ、アメリカのように解雇を自由にせよ、と叫ぶ。その大事な「イエ」を崩してよいのか。なぜこうもあから様な自己撞着を犯すのか、と読者は訝しく思う。・・・

私は基本的にこういうのはすべて時代精神(Zeit Geist)の表出に過ぎず、近代日本においては、それは20年周期で軽々と入れ替わっていくものだと考えていますが、2000年前のローマ法に視座を据えてみれば、まことに軽々しく見えるのも宜なるかなという気もしないではありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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コメント

もしも仮に飼い犬(もしくは、奴隷)であるべきという認識であるのならば
その不始末は直ちに飼い主の責任と解釈され、飼い犬(奴隷)に制裁を加え
なければ無責任であるという自称リベラルの主張は単なる当然の帰結ですね

日本型雇用は管理職という名の経営者を育てるためのシステムであり、経営者という名の創業家一族の資質に依らず会社を維持させるためには必要な制度なのだと理解した方が良いと思う。

日本で言う管理職は、少なくとも法的には、経営者ではありません。
ただ、経営者との一体性を強く期待されている存在ではあるかもしれません。
確かに、そのような存在を育てている、ということは言えるように思います。
齟齬を解消するために、労協化するところも今後、出て来るかもしれません。

> 労働者を会社に一体化せよといわんばかりの代物
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2024/01/post-1e0e15.html

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