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2024年1月 6日 (土)

熊沢誠さんの至言

2461887_l 『POSSE』55号をお送りいただきました。

特集は「物流危機を救うのはAIと規制緩和か?」ですが、面白かったというか考えさせられたのは、熊沢誠さんのインタビュー記事でした。

◆『イギリス炭鉱ストライキの群像』をめぐって──40年前の敗北の闘争がいま、私たちに教える経験とは 熊沢誠(甲南大学名誉教授)

ここで熊沢さんがイギリスの労働組合運動をベースに語っていることは、日本人の労働者感覚と如何にかけ離れているのかをしみじみと感じさせます。

・・・いまの日本のマスコミ用語では、「分断」が悪いという強烈な倫理コードがありますよね。私はこれはおかしいと思います。これはいわば闘争するなってことですよね。・・・

・・・日本では階級・階層間の価値観の統合を要求される。典型的な例として、対照的に例えばイギリスでは、ブルーカラーは欠席や遅刻で賃金をカットしていたのを、日本的経営が入ってきて、「従業員は平等」ということで、月給制にして引かないようにした。その代わり、労働者が休んだら本当に病気で休んでいるのか、遊びに行ったのかを管理者が巡回して見回りするようになったんです。イギリスの労働者はそれを喜ばない。賃金を引かれるのだから、休みたい時に休んでもいい。さぼれる。月給制になって賃金がカットされないのだからさぼるのは禁止というのは嫌だと。日本ではなかなか通らないでしょうが、面白い考え方ですね。

日本の企業社会は、ある意味での平等性がかなり徹底している。しかし、その裏面で労働者も会社側と同じように考えなければならないという息苦しさがある。もっとも、非正規労働者は別です。平等に扱うのは限界があるから、労働条件は劣悪ですがある意味では「自由な」非正規雇用を活用したのです。

ここには、等しく「職場の民主主義」とか「産業民主主義」という言葉を掲げながらも、その中身がほとんど正反対であるイギリスと日本の対照が浮き彫りになっています。終戦直後の日本の労働者が、労働運動が必死に追い求め、実現してきた「日本における産業民主主義」とは、エリートとノンエリートを「同じ社員じゃないか」という平等主義の沼に等しく浸けきらせることであり、それこそイギリスの労働者が、労働組合が最も忌むべきこととして忌み嫌ってきたことであったわけです。

こういういわば「原ジョブ型」とでもいうべき「分断」の感覚がかけらもない日本社会にどっぷり漬かった人々が、流行の商品よろしく「ジョブ型」を売り歩くのですから、その特殊日本的「ジョブ型」なるものが、もっとますます労働者を会社に一体化せよといわんばかりの代物に成り果てるのもむべなるかなと言えましょう。

若い&同世代の真面目な友達と話すとよく「うちの会社の上層部は危機感ない」という話になるのだが、むしろ私たちが無駄に危機感を持ちすぎている可能性もあって、一労働者なのだから会社にそこまで危機感も責任感も持たなくていいし、危機感ない上層部を心配する必要すら本来はないんじゃないか。

ってのが、駒沢誠さんの推奨する労働者根性であり、本当の「ジョブ型」はこっちに近いのです。

一点だけ指摘しておくと、ここで熊沢さんが非正規は劣悪だけど自由だといっているのはもはや過去の話になっているようです。

同誌の常見陽平の「スラムダンクの倫理とバ畜の精神」では、「会社に飼い慣らされ思考停止した『社畜』のアルバイト版」であるバ畜の問題を(皮肉たっぷりに)とりあげています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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コメント

上司が期待する動きをできて普通、それ以上の成果を出して優秀、という人事評価は実に日本的ですね。「期待する」がミソで、「指示した」ではないところがね。

「労働者であれば職」の行く末が重大な関心事で、「投資家であれば会社」の行く末が重大な関心事のはずです
日本で労働者と言われている人々の多くは、純粋な労働者では全然、ありませんね
日本で広く浸透している規範意識は「投資家と労働者を区別するべきではない」(正直、アホか)ということになるでしょう

> 「ジョブ」が他社に移転するにも関わらず、その「ジョブ」から引きはがされて元の会社に残されてしまう-ことを最大の不利益とみなし、そのようなことが起こらないよう「ジョブ」と一緒に労働者も移転できるようにする
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-6e84.html

> 労働者なのだから会社にそこまで危機感も責任感も持たなくていいし、危機感ない上層部を心配する必要すら本来はない
https://twitter.com/nomikaishiyouze/status/1743266153659789519

 昨日、トマ・ピケティ先生の「資本とイデオロギー」ようやく読了しました。
 ピケティ先生は「参加型社会主義」と言う理念を提唱し、ドイツの「共同決定」方式のように労働者が企業の経営に参加できるようにすべきだと言っておられます。

 しかし今の日本の労働者の規範が変わらないまま労働者が経営参加したら、「自主管理」と称して(^^;労働者が自発的に「あいつはさぼってないよな」とか相互監視するオソロシイ事態がかえって進んでしまう気がしてまいりました(^^;

そのはなしが、拙著『働き方改革の世界史』で取り上げたエドモン・メールの『自主管理への道』の解説の最後のところで採り上げた問題です。

 いずれにしても、フランス自主管理思想はフランスなりの文脈において、学歴がそのまま職業資格として権威的指揮命令関係を正当化し、集団的労使関係は企業の外側にのみ活発に存在し、企業内には入り込めないような労働社会のあり方を根本から変革するという問題意識に基づいて発展してきたものです。しかしそれを労働運動の政治的枠組みの都合で出羽の守よろしく輸入した先の日本の労働社会は、それとは全く別の文脈で動いている社会でした。集団的労使関係はほとんど企業内にしか存在せず、それも具体的な職場レベルでの人間的なつながりが大きな役割を持ち、企業内での経験による知識が企業外教育による知識よりも重視されるような、あべこべの世界です。そのあべこべの世界では、フランスでは上述のような労使関係の企業内化という革新的な役割を果たした自主管理思想は、現に存在する日本型労使関係の正当性を弁証するという保守的な役割以外を果たせる可能性はなかったのかもしれません。
 1990年代以降、日本社会における言説の主流は、労働者が自主管理的に企業に一体化し、猛烈に働く有り様を、「企業人間」とか「社畜」と批判する(左派的な)思想と、企業が労働者集団によって自主管理企業まがいに経営されている状況を市場原理から厳しく批判する(右派的な)思想になりました。そういう時代には、労働者自主管理などという考え方は、(実のところ労使のかなり多くの部分が内心は支持しているとしても)とても恥ずかしくて表立って主張しにくい代物になってしまった感があります。1970年代に労働者自主管理に関する論文をいくつも書いていた中谷厳氏が、1990年代には竹中平蔵氏と並んで市場原理主義のイデオローグとして活躍したことは、2008年頃から再び180度転換したこととも併せ、時代の変遷を感じさせます。
 おそらく今の若い世代は、40年前に「労働者自主管理」が論壇のホットトピックであったことすらほとんど知らないでしょう。今となっては当時の熱を偲ぶよすがもほとんどありませんが、思想と文脈という問題を考える上で、大変興味深い実例であることだけは間違いないと思います。 
 

 以前私が行っていた「意識高い系」の読書会でドラッカーが人気だったのは熊沢さんの言う通り「日本の企業社会は、ある意味での平等性がかなり徹底している。しかし、その裏面で労働者も会社側と同じように考えなければならないという息苦しさがある。」からなのでしょうね。コンサル会社の社員もいましたが、あとは40.50代のサラリーマンでした。
 もっともその読書会は後で「意識高い系」よりも哲学や文学の系統の方に人気が集まってました。
 変だなあ、と思っていたらそれは「しかし、その裏面で労働者も会社側と同じように考えなければならないという息苦しさがある。」企業社会からの逃れ場だったんでしょうねえ。
 だから哲学や文学に対する理解が深まらなくても別に問題はなかったのでしょうね(^^;

> 政治的枠組みの都合で出羽の守よろしく輸入した先の日本の労働社会は、それとは全く別の文脈で動いている
> 人間的なつながりが大きな役割を持ち、企業内での経験による知識が企業外教育による知識よりも重視されるような、あべこべの世界
> 日本社会にどっぷり漬かった人々が、流行の商品よろしく「ジョブ型」を売り歩くのですから、その特殊日本的「ジョブ型」なるものが、もっとますます労働者を会社に一体化せよといわんばかりの代物に成り果てる

言ってる当人は現状を強く非難してるつもりで、実は現状維持に一役、買うもの、ですね。
どこかの国の野党や自称リベラルさんみたいですね。

https://digital.asahi.com/sp/articles/ASS352JT9S2MUPQJ00C.html

人事考課が働く人を追いつめる 会社に好都合な「強制された自発性」

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