なぜWell-beingを「幸せ」と訳すのでは足りないか?@鈴木恭子
JILPTのリサーチアイに、鈴木恭子さんが「なぜWell-beingを「幸せ」と訳すのでは足りないか?」という大変興味深いエッセイを寄稿しています。
最近、政府から学者までみんなウェルビーイングウェルビーイングと口にしますが、はてその意味は?と考えると、いろいろと問題が孕まれているようです。
冒頭のところだけコピペしますので、その続きは是非リンク先で読んで下さい。
JILPTリサーチアイ 第79回 なぜWell-beingを「幸せ」と訳すのでは足りないか?
1. 「崖っぷち」にある日本のWell-being
Well-beingは生活の質をあらわす概念として、こんにち各国の公共政策において重要な位置を占める。日本でも近年、学術的な議論や政策の場に限らず、企業経営やマスメディアで「ウェルビーイング」という言葉を広く目にするようになった。本稿では労働との関連において、Well-beingという概念をどのように理解し位置づけるべきかを論じたい。・・・・
2. 「主観的ウェルビーイング」が好きな日本
3. 本人が満足していればそれで良いか
4. Well-beingで「企業中心社会」をおりる
(参考)
なお、本ブログでは4月に鈴木恭子さんのこの論文も紹介しておりました。
鈴木恭子「労働に「将来」を読み込む思考はどう構築されたか」@『社会政策』第14巻第3号
社会政策学会の学会誌『社会政策』の第14巻第3号に掲載されている投稿論文、鈴木恭子「労働に「将来」を読み込む思考はどう構築されたか:工場法制定過程におけるジェンダーの差異化」は、恐らく多くの読者にとって思いもよらぬ視角からの論文で、いくつも考えさせられる点を発見できるのではないかと思われます。
2020年には、
あと、論文Todayで鈴木恭子さんが「消えた格差─ジェンダー・バイアスが「存在すること」と「見えること」のあいだ」という興味深い紹介をしていますが、その鈴木さんが、『大原社会問題研究所雑誌』の本日刊行の4月号でも、「労働組合の存在と正規雇用の賃金との関連-かたよる属性、差のつく賃金カーブ、広がる年齢内格差」という力のこもった論文を書かれていて、大活躍です。大御所揃いの今号で数少ない若手の文章も是非。
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