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2023年12月29日 (金)

『DIO』392号の税金論

Dio3921 連合総研の『DIO』392号は「公平、中立、そして、わかりやすい税制と政治の責任」という特集ですが、神津里季生理事長が、最近の減税をめぐる動きに対して大変辛辣な批判をしています。

https://www.rengo-soken.or.jp/dio/dio392-t01.pdf

・・・さてそんななかで、ここ最近の岸田政権の「減税」が極めて評判が悪い。それはなぜだろうか?さすがに多くの有権者もこの借金地獄の財政ではなんともならんと腹を括ったからであろうか?
 願望を含めてそう思いたいところであるが、どうなのだろう?
 潮の目は変わりつつあるのか?・・・

・・・ ここ最近の岸田総理の発信は、このような心理とは相容れないということなのかもしれない。つい最近防衛増税が必要と言っていたではないか?それがいきなり減税と言ってみたり、いったい我々の生活をどのようにしようとしているのか?
 増税メガネなどというわけのわからないあだ名が日本列島を駆け巡り、支持率が減り続ける現状は「変わってほしくない」という心理との関係で考えないと説明がつかないようにも思える。

 岸田総理には冷たい言い方になるかもしれないが、ある意味でこの状況は身から出たサビである。いや岸田総理お一人の問題ではない。とりわけ税財政をめぐる問題は、政治の世界全体が醸し出してきた「政治不信」の所産に他ならない。
 問題の本質は、いつもいつもその場しのぎのパッチあてでものごとが決められているという点だ。これまで幾多のパッチあての施策の都度、借金は折り重なってきている。本来は、借金が累増の一途をたどる財政構造を根本的・構造的に立て直す設計図を構築し、そこに向かって道標を示すことこそ求められているのだが、現実はパッチあての繰り返し→借金の累増→苦し紛れのパッチあてという悪循環を繰り返してきている。
 今回不評の「減税策」は、選挙目当てが見え見えではないかという推測を生じさせた。そもそも政権が人気取りに走ろうとするのは、この国の政治があまりにも人気がないことを背景としていることに相違ない。堂々とこの国の有り様を提示して、私を信じてついてきてくださいと言っても、ほとんど誰もついて来ないのではないか。そういう心配が常につきまとうので、本当の意味でのグランドデザインが描かれない。

そして、あるべき姿を高らかに謳うのは、もちろん井手栄策英策さんです。

https://www.rengo-soken.or.jp/dio/dio392-3.pdf

・・・議論を進めよう。では、私たちはどの税目を中心に財源を確保すべきなのだろうか。私は消費税を財源の中心に据え、これに所得税の累進性強化、減税の続いた法人課税の回復、金融資産や相続財産への課税強化、一定の所得層で頭打ちとなる社会保険料の改正等を議論すべきだと考えている。

・・・日本の政治では、しばしば消費税の逆進性が問題視される。だが、税の累進性の強いアメリカでは所得格差が大きく、累進性の弱いスウェーデンでは所得格差は小さい。給付の手厚さが決定的に異なるからだ。
 社会的公正は、負担だけでなく、給付とのバランスで決まる。品位ある最低保障では、住宅手当を創設し、全体の2割にあたる低所得層に月額2万円を給付する。仮に消費税を6%あげても、彼らは年に約15万円得をする。そのうえでサービスの無償化が実現し、施しが権利に変わる。消費税がいかに逆進的でも、他の税との組み合わせを考え、税収を生存・生活保障にバランスよく使えば、低所得層の暮らしは劇的に改善される。

・・・確認しよう。税は搾取ではない。給付と結び付いた税は、負担と同額の受益を手にできるのだから。しかもそれは、自己責任の社会を連帯共助の社会に転換する力を秘めている。給付は景気を良くするための手段ではない。生存・生活の必要を充足するための手段である。議会制民主主義のもと、社会のニーズを特定し、どの税で、誰にどの程度の負担を求めるのかを議論する。ニーズの発掘、責任ある充足によって社会を統合する。これこそが新時代の財政のあるべき姿である。
 現在の財政論議では、「物価高対策の放漫財政」「財政危機を回避するための緊縮財政」の二者択一となっている。だが、両者の本源的な「中庸」は「必要充足原理」である。財源論を欠く放漫財政、ニーズを軽視する緊縮財政、いずれも量的な差異でしかなく、財政の本質から乖離している。
 受益と負担のバランスを正面から問うことで社会的公正を追求し、安心と痛みを共有した連帯共助の社会を作る。財政論議の向こう側にあるのは、景気の良し悪し、財政収支のバランスではない。私たちの社会の未来、私たちの希望そのものなのである。

 

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コメント

本来、問うべきは「放漫か?緊縮か?」でなく、「少なく取って、少なく配る(リベラル)か?多く取って、多く配る(ソーシャル)か?」というお馴染みの話ですかね。リベラルが悪、という話は良く分からないですけど。

 井手さんさすがですね。新書版で新著を出すらしいです。そろそろ再起動かな?

 今トマ・ピケティ先生の「資本とイデオロギー」を読み進めています。ピケティ先生もスウェーデン社会民主主義が理想のようですね。ピケティ先生は累進課税、そして企業系塀の共同決定方式による労働者の参加をこれまで西欧主要国の社会民主主義勢力が等閑にしてきたことを批判しています。

 共同決定方式は日本で行うとすればhamachan先生も書かれている連合が法制化を主張した労働者代表委員会がベースになるでしょうか。

>もちろん井手栄策さんです。

揚足鳥で申し訳ありませんが、 井手英策さん だと思います。


>私たちはどの税目を中心に財源を確保すべきなのだろうか。私は消費税を財源の中心に据え、これに所得税の累進性強化、減税の続いた法人課税の回復、金融資産や相続財産への課税強化、一定の所得層で頭打ちとなる社会保険料の改正等を議論すべきだと考えている。

私は、 ”これに”以下の 所得税の累進性強化、減税の続いた法人課税の回復・・・社会保険料の改正等 に関してはまったく同意見です。定量的な話になりますが、私はこれらの課税強化を行えば消費税の必要性はかなり低くなると思いますが、井出氏はなぜこれらの課税強化を行っても消費税を財源の中心に据える必要があるのか分かりません。


>税の累進性の強いアメリカでは所得格差が大きく、

アメリカの税の(実質的な)累進性は強いのでしょうか?古い記事ですが現在でも状況はあまり変わっていないと思います。
  富豪の税率、秘書より低い 所得税制の盲点
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO94645310R01C15A2I00000/
      「自分が納めている所得税の税率は秘書よりも低い」。
      米著名投資家ウォーレン・バフェット氏の告白が数年前、話題を呼んだ。


>累進性の弱いスウェーデンでは所得格差は小さい。給付の手厚さが決定的に異なるからだ。

ずっと昔ですが収入(賞金)に対する税率が高すぎるといって国外に行ったスウェーデンのプロテニス選手がいたと思います。その後状況が変わったのでしょうか?
また鶏と卵の関係かもしれませんが、スウェーデンでは所得格差が少ないので累進性が弱い(大金持ちが少ないので累進性を強くしても税収はあまり増えない)という事はないでしょうか?


>全体の2割にあたる低所得層に月額2万円を給付する。仮に消費税を6%あげても、彼らは年に約15万円得をする。

岸田総理が
  物価高への支援として、住民税非課税世帯(低所得層?)に現金を支給する
と発表した時
  税金を払っている世帯も物価高で困っているのに、なぜ税金を払っていない世帯だけ支援するのか?
という批判も多かったと思います。現金支給の原資については何も言っていなくても批判が強いので、井出案のように
  全体の2割にあたる低所得層が年に約15万円得するために、残りの8割の方は消費税6%分をさらに負担して下さい
となったら、さらに批判が強くなると思います。このように反対する人の性根を叩き直す というのも消費税増税を中心とした井出案の目的の1つでしょうか?


>税は搾取ではない。給付と結び付いた税は、負担と同額の受益を手にできるのだから。

国民全員が増税分の負担と同額の受益を手にできるという事は増税しないのと同じ事だと思います。どんな税でも増税によって社会保障を強化する(増税の負担より給付が多い層が存在する)という事は、増税の負担より給付が少ない層が存在する事と同じだと思います。
私は
 ・増税の負担より給付が少ない層を減らす(増税対象を狭くする)
 ・生活への負担が少ない層を増税の対象にする
という点から、消費税よりも高所得層への税金を増やすべきだと思います。

>揚足鳥で申し訳ありませんが、 井手英策さん だと思います。

指摘した側が間違えておりました
   井出氏 → 井手氏
でした。大変申し訳ありませんでした。

2023年はジャニーズや派閥のキックバック等、みんな薄々気が付いていたが見ないふりをしてきた問題が露わになった年だったと思います。2024年は運送業のいわゆる「2024年問題」やバス路線が維持できなくなるほどの運転手不足等エッセンシャルワークの部門で、社会が負担を現場に押し付けて見ないふりをしてきた問題が露わになって対応を迫られるような気がします。

2024年が皆様にとって良い年である事を願っています。

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