フォト
2024年6月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ

« 2023年11月 | トップページ | 2024年1月 »

2023年12月

2023年12月31日 (日)

米国O*netと日本版O-netを見比べると雇用システムの違いが実感できる件について

現在正式名称はjob-tagになっていますが、世間的には日本版O-netの方が通りがいいでしょう。厚生労働省が運営する職業情報サイトで、米国政府のO*netに倣って作られていますが、とはいえ両国の雇用システムは大変異なるので、そもそも調べるべき対象の「職業」概念が大きく食い違っています。

たとえば、企業の中で人事労務管理を担当する仕事についてみると、米国のO*netでは次の3層の職業が説明されています。

Human Resources Managers

Plan, direct, or coordinate human resources activities and staff of an organization.

Human Resources Specialists

Recruit, screen, interview, or place individuals within an organization. May perform other activities in multiple human resources areas.

Human Resources Assistants, Except Payroll and Timekeeping

Compile and keep personnel records. Record data for each employee, such as address, weekly earnings, absences, amount of sales or production, supervisory reports, and date of and reason for termination. May prepare reports for employment records, file employment records, or search employee files and furnish information to authorized persons.

企業の人事労務管理を計画、指示、調整するマネージャークラス、その下で採用、面接その他の活動に携わるスペシャリストクラス、そしてその下でもろもろの事務作業をこなしていくアシスタントクラス、と、欧米社会の原則通り、みごとにジョブの三層構造をなしています。

これに対して、我が日本政府が運営している(そのデータはJILPTが提供しているのですが)日本版O-netでは、そんな企業内ジョブ構造は存在しません。

人事課長

人事課長は管理職として、人事課の業務の進捗管理に加えて、部下に対して、就業に関わる指導・助言、また、部下の人事評価や勤務管理等の人事労務管理を行う。課の業務の一部を担当することもある。

人事事務

採用から退職までの従業員の人事管理に関わる事務を行う。

人事課長というたった一つのポストと、それ以外のすべての人事事務というふうにしか区分のしようがないのですね。しかも、この人事課長も人事事務員も、会社の人事権でもっていろんな部署を配置転換されるわけです。

こういうところに、欧米と日本の雇用システムの違いというものがくっきりと浮かび上がってくるのです。

ところが、アメリカのホワイトカラーエグゼンプションにインスパイアされて、日本でも似たような仕事をしている者をエグゼンプションにしよう、いやそれはまだ時期尚早だから企画業務型裁量労働制を作ろう、というわけで、1998年改正で企画業務型裁量労働制というのができたわけです。アメリカでいえば、マネージャークラスとアシスタントクラス(いわゆるクラーク)の間のスペシャリストクラス向けの制度ということになるはずですが、残念ながら日本にはそういうジョブの三層構造がないので、企画業務型裁量労働制の指針告示でこういうことを言われても、いやいや人事事務の人はみんなこういう業務『も』やってますよ、ということになるわけです。日本型サラリーマンというのは、みんななにがしかマネージャーであり、なにがしか(見よう見まねの)スペシャリストであり、そしてなにがしかアシスタントであって、ただそれらの割合が少しずつ異なるだけなのですから。

労働基準法第38条の4第1項の規定により同項第1号の業務に従事する労働者の適正な労働条件の確保を図るための指針

(ロ) 対象業務となり得ない業務の例
① 経営に関する会議の庶務等の業務
② 人事記録の作成及び保管、給与の計算及び支払、各種保険の加入及び脱退、採用・研修の実施等の業務
③ 金銭の出納、財務諸表・会計帳簿の作成及び保管、租税の申告及び納付、予算・決算に係る計算等の業務
④ 広報誌の原稿の校正等の業務
⑤ 個別の営業活動の業務
⑥ 個別の製造等の作業、物品の買い付け等の業務

 

 

 

 

 

 

 

2023年12月30日 (土)

『ジョブ型雇用社会とは何か』岩波新書2023年売り上げ第3位

71cahqvlel_20231230111401 岩波書店のサイトに「2023年 ジャンル別売上ベスト10」が載っています、

2023年 ジャンル別売上ベスト10

各ジャンル毎に見ていくと、文系単行本の1位は佐藤正午さんの『月の満ち欠け』、岩波文庫の1位がマルクス・アウレリウスの『自省録』、そして岩波新書はなんと未だに大木毅さんの『独ソ戦』が1位をキープしていますね。同書はコロナ禍前の2019年に刊行され、2020年に新書大賞を受賞した本なのですから、ものすごい本です。

で、その岩波新書の第2位が小川さんと成田さんの『世界史の考え方』で、これも昨年の本、そしてそれに続いて第3位は、わたくしが一昨年に上梓致しました『ジョブ型雇用社会とは何か』なので、結構ロングセラーが並んでいます。

世間で一知半解の「ジョブ型」がはやるたびに、この「ジョブ型」って、そもそもなんなんだろうか、と、売らんかなの人事コンサルの本では満足できない方々が、本書を手にとっていただいているということなのでしょう。

254914 ちなみに、児童書(絵本)部門の第1位はバージニア・バートンの『ちいさいおうち』だそうで、これは私が幼い頃に何回も眺めていた絵本なので、そのロングセラーぶりは超絶的といえましょう。

350_ehon_7864 本当はここに、同じようにためすすがめつながめていた『ちびくろさんぼ』も並んでいて不思議はないのですが、妙な(間違った)ポリティカリー・コレクトネスのために、そうなっていないのはまことに残念です。

中国が特異か日本が特異か

Armf6or2_400x400 経営法曹の向井蘭さんが、拙著を読まれてこんなつぶやきを

とても面白かったです(そこまで言うかという箇所も)。如何に日本が特異な雇用社会かが分かります(中国にいると痛感する)。教育や文化ともにかかわるので容易には変わらないですね。 ジョブ型雇用社会とは何か 正社員体制の矛盾と転機 (岩波新書)

いま中国におられるようですね。

中国の目から見て「如何に日本が特異な雇用社会か」を痛感するというのですから、よっぽどなのでしょう。

政治体制とか言論の自由といったことでいえば、いうまでもなく「如何に中国が特異か」というはなしになるのでしょうが、こと雇用システムという観点から見れば、中国は欧米とあまり変わり映えのしない普通のジョブ型社会であるのに対して、日本はそれとは隔絶した「特異な雇用社会」なのです。

 

 

 

2023年12月29日 (金)

『DIO』392号の税金論

Dio3921 連合総研の『DIO』392号は「公平、中立、そして、わかりやすい税制と政治の責任」という特集ですが、神津里季生理事長が、最近の減税をめぐる動きに対して大変辛辣な批判をしています。

https://www.rengo-soken.or.jp/dio/dio392-t01.pdf

・・・さてそんななかで、ここ最近の岸田政権の「減税」が極めて評判が悪い。それはなぜだろうか?さすがに多くの有権者もこの借金地獄の財政ではなんともならんと腹を括ったからであろうか?
 願望を含めてそう思いたいところであるが、どうなのだろう?
 潮の目は変わりつつあるのか?・・・

・・・ ここ最近の岸田総理の発信は、このような心理とは相容れないということなのかもしれない。つい最近防衛増税が必要と言っていたではないか?それがいきなり減税と言ってみたり、いったい我々の生活をどのようにしようとしているのか?
 増税メガネなどというわけのわからないあだ名が日本列島を駆け巡り、支持率が減り続ける現状は「変わってほしくない」という心理との関係で考えないと説明がつかないようにも思える。

 岸田総理には冷たい言い方になるかもしれないが、ある意味でこの状況は身から出たサビである。いや岸田総理お一人の問題ではない。とりわけ税財政をめぐる問題は、政治の世界全体が醸し出してきた「政治不信」の所産に他ならない。
 問題の本質は、いつもいつもその場しのぎのパッチあてでものごとが決められているという点だ。これまで幾多のパッチあての施策の都度、借金は折り重なってきている。本来は、借金が累増の一途をたどる財政構造を根本的・構造的に立て直す設計図を構築し、そこに向かって道標を示すことこそ求められているのだが、現実はパッチあての繰り返し→借金の累増→苦し紛れのパッチあてという悪循環を繰り返してきている。
 今回不評の「減税策」は、選挙目当てが見え見えではないかという推測を生じさせた。そもそも政権が人気取りに走ろうとするのは、この国の政治があまりにも人気がないことを背景としていることに相違ない。堂々とこの国の有り様を提示して、私を信じてついてきてくださいと言っても、ほとんど誰もついて来ないのではないか。そういう心配が常につきまとうので、本当の意味でのグランドデザインが描かれない。

そして、あるべき姿を高らかに謳うのは、もちろん井手栄策英策さんです。

https://www.rengo-soken.or.jp/dio/dio392-3.pdf

・・・議論を進めよう。では、私たちはどの税目を中心に財源を確保すべきなのだろうか。私は消費税を財源の中心に据え、これに所得税の累進性強化、減税の続いた法人課税の回復、金融資産や相続財産への課税強化、一定の所得層で頭打ちとなる社会保険料の改正等を議論すべきだと考えている。

・・・日本の政治では、しばしば消費税の逆進性が問題視される。だが、税の累進性の強いアメリカでは所得格差が大きく、累進性の弱いスウェーデンでは所得格差は小さい。給付の手厚さが決定的に異なるからだ。
 社会的公正は、負担だけでなく、給付とのバランスで決まる。品位ある最低保障では、住宅手当を創設し、全体の2割にあたる低所得層に月額2万円を給付する。仮に消費税を6%あげても、彼らは年に約15万円得をする。そのうえでサービスの無償化が実現し、施しが権利に変わる。消費税がいかに逆進的でも、他の税との組み合わせを考え、税収を生存・生活保障にバランスよく使えば、低所得層の暮らしは劇的に改善される。

・・・確認しよう。税は搾取ではない。給付と結び付いた税は、負担と同額の受益を手にできるのだから。しかもそれは、自己責任の社会を連帯共助の社会に転換する力を秘めている。給付は景気を良くするための手段ではない。生存・生活の必要を充足するための手段である。議会制民主主義のもと、社会のニーズを特定し、どの税で、誰にどの程度の負担を求めるのかを議論する。ニーズの発掘、責任ある充足によって社会を統合する。これこそが新時代の財政のあるべき姿である。
 現在の財政論議では、「物価高対策の放漫財政」「財政危機を回避するための緊縮財政」の二者択一となっている。だが、両者の本源的な「中庸」は「必要充足原理」である。財源論を欠く放漫財政、ニーズを軽視する緊縮財政、いずれも量的な差異でしかなく、財政の本質から乖離している。
 受益と負担のバランスを正面から問うことで社会的公正を追求し、安心と痛みを共有した連帯共助の社会を作る。財政論議の向こう側にあるのは、景気の良し悪し、財政収支のバランスではない。私たちの社会の未来、私たちの希望そのものなのである。

 

「経済書2023 エコノミストが選んだおすすめ本」に拙著『家政婦の歴史』が

日経新聞の「経済書2023 エコノミストが選んだおすすめ本」に拙著『家政婦の歴史』がちょこんと入っておりますな。

経済書2023 エコノミストが選んだおすすめ本

年末年始のまとまった休みは、腰を据えた読書に絶好の機会です。著名なエコノミストらが選んだ良書の中から、2023年に本紙読書面で大きく取り上げた10冊の書評を紹介します。

Https___imgixproxyn8sjp_dsxzqo4236399020

ピケティ御大の『資本とイデオロギー』などそうそうたる名著群と並べていただいているのは、まことに有り難く思います。

Https___imgixproxyn8sjp_dsxzqo4236407020

 

 

 

 

2023年12月28日 (木)

違法や不当を糺すのは業所管官庁だけではない、というよりむしろそうじゃない

2023122700000082san0005view 某東京新聞の記者さんが、林芳正官房長官に、「政府に芸能や音楽業界をしっかり監督し、指揮するような監督官庁がないことでセクハラが横行しているとの指摘もある」との議論を提起したそうですが、

東京・望月記者、林長官に持論展開「芸能を監督する官庁がないからセクハラ横行」 松本人志さん報道も言及

なんだか、業所管官庁といえば親も同然、所管業界といえば子も同然、箸の上げ下ろしからすべて業所管官庁様のご指導の宜しきを得なければ何事もまともに動かないかの如き、昭和感覚満載の発言でありますな。

業所管官庁というのは、許可制とか届出制とかといった形で事業自体を所管しているに過ぎず、所管業界の企業が何か違法なことをしたり不当なことをしたりした場合に、それらをすべて業所管官庁が面倒見るというわけではありません。

当たり前ですが、建設会社で労災事故が発生したら国土交通省が面倒見るのではなく、厚生労働省の労災担当部局が出てきますし、日本相撲協会で未払い残業があれば、業所管官庁たる文部科学省ではなく、厚生労働省の労働時間担当部局が出てきます。

という当たり前の理屈が、必ずしもよく理解されていないのは、この新聞記者さんだけの問題ではなく、業所管官庁といえば親も同然、所管業界といえば子も同然、箸の上げ下ろしからすべて業所管官庁様のご指導の宜しきを得なければ何事もまともに動かないという、かつて昭和の時代には結構はびこっていた感覚のなれの果てがこういう形で出てくるのでしょうね。

(参考)

ちなみに、かつて伊予銀行・いよぎんスタッフサービス事件において、松山地裁も高松高裁も、労働者派遣事業において「特定労働者派遣事業」が「その事業の派遣労働者が常時雇用される労働者のみである労働者派遣事業」を意味するにもかかわらず、労働者派遣法にはなんら権限を有しない大蔵省が「特定の派遣先にのみ労働者を派遣する事業」だと誤解して通達を出していたことになんら疑問をもたず、特定派遣として届出で運営しながら派遣労働者は登録型であるという違法状態をなんら問題と感じないという間違った判決を下したことがあります。

この件については、私が『ジュリスト』2007年7月1日号の判例評釈で指摘したのですが、誰もあんまり認識していないようです。

このように、かつては銀行がやることはことごとく大蔵省銀行局が面倒見るのであって、よその役所が口出しすることではないかの如き感覚が結構あったんでしょうね。

 

 

 

 

団結と参加の未来@『ひろばユニオン』2024年1月号

Hiroba_20231228144401 『ひろばユニオン』2024年1月号に「団結と参加の未来」を寄稿しました。

 3年前の2021年3月に『団結と参加 労使関係法政策の近現代史』という本を上梓しました。内容は英仏独をはじめ43か国(地域)の集団的労使関係法の歴史を取りまとめたものですが、その冒頭に「序章 労使関係法政策の諸類型と日本法制の性格」という小文を付けています。まずはその概要を紹介した上で、その延長線上にこれからの未来像を展望してみたいと思います。・・・・

・・・では、こうした「団結」と「参加」のありようは、今後どのようになっていくのでしょうか。まず人類史的観点から見れば、労使関係という概念自体が、産業革命とともに生み出されたごく最近の産物に過ぎません。それ以前には、親方と職人や徒弟の関係というものはあっても、それを労使関係ととらえる観点は存在しませんでした。その意味では、現在進みつつある情報通信技術の発展がどこまでの社会変化をもたらすかによって、そもそも労使関係といえるような関係が社会において重要なものとして存在し続けるのか、それとも周辺的な社会関係の一つに収縮してしまうのかが変わってくるということになります。

 産業革命以前の農業社会においては、雇われた農業労働者というのもいましたが、主たる存在形態は自作農と小作農です。小作農は地主から土地を借りて農産物を生産し、その収入のかなりの部分を地代として地主に払わねばなりません。戦前の日本では労働争議と同様に小作争議というのが全国で頻発し、大きな社会問題となりました。戦後農地改革で小作農という存在はほぼ消滅し、今日ではほとんど記憶されていませんが、かつて労働組合と並んで小作組合が争議の担い手であった歴史は、改めて記憶を蘇らせてみる値打ちがあるように思います。というのも、ITやAIの発展によって現在世界的にプラットフォームワークとかギクラウドワークと呼ばれる非雇用型の労働形態が急速に拡大しつつありますが、彼らが雇用労働者としての権利を行使できないのであれば、労働者ではなかった小作人たちが組合を結成して争議を起こしてきた歴史を蘇らせ、非雇用労働者による団結と団体交渉、争議の仕組みを構築していく必要があるはずだからです。実は、そうした非雇用型労働者の団結に向けた試みは、特に欧州諸国でいくつも進んでいます。

 そこまで話を先走らせないで、現在の日本の労使関係が直面している問題をどのように解決していくべきかというレベルで考えれば・・・・

 

 

欲望の資本主義2024 ニッポンのカイシャと生産性の謎

Image_20231228090501 NHKのサイトに、来年元日の夜放送予定の「BSスペシャル 欲望の資本主義2024 ニッポンのカイシャと生産性の謎」の予告編がアップされています。

欲望の資本主義2024 ニッポンのカイシャと生産性の謎

日本の会社の何が問題か?難問山積の時代、労働の定義も変わる。逆転の発想は?錯綜する欲望の資本主義の迷宮を解き明かすスリリングな90分。今年も元日から思考の旅へ。

進むインフレ、円安、上がらない賃金。AI時代に日本の生産性を上げる鍵は?デジタル経済の時代に静かに忍び寄る「新しい封建制」とは?「富を生むルール」激変の時代、かつて称賛された「日本的経営」の功罪を見極め、今あるべき組織の形を探り、企業の生産性の本質を問う。知性たちと考える資本主義の最前線。「やめられない、止まらない」欲望の行方は?閉塞感を打開する道は?毎年恒例の異色ドキュメント、2024年最新版。

Yokubounoshihonshugi2024

 

2023年12月27日 (水)

リスキリングと賃上げと雇用システム@『労基旬報』1月5日号

まだ年末ですが、いろんな雑誌の新年号が既に出てきています。私が連載している『労基旬報』も1月5日号が届きました。最後のページに「リスキリングと賃上げと雇用システム」というエッセイを寄稿しております。冒頭「昨2023年」と言っているのは、これが2024年1月5日号だからです。

 昨2023年11月2日に閣議決定された「デフレ完全脱却のための総合経済対策~日本経済の新たなステージにむけて~」は、「構造的賃上げに向けた三位一体の労働市場改革の推進」を掲げ、「賃上げを一過性のものとせず、構造的賃上げとして確固たるものとするため、①リ・スキリングによる能力向上支援、②個々の企業の実態に応じた職務給の導入、③成長分野への労働移動の円滑化の三位一体の労働市場改革について、・・・変革期間において、早期かつ着実に実施する」と述べています。しかしながら、なぜこれらによって賃金が上がるのかという肝心の点については、必ずしも説得力のある論拠が示されているわけではないようです。むしろ、③の労働移動などは賃金が下がる下方移動の方が多いではないかという批判がなされています。ただ、こうした政策を打ち出す人々がどういう発想でこれらが構造的賃上げにつながると考えているのかについては、雇用システム論という補助線を引いてみることで、大変わかりやすくなるように思います。今回は、現在の岸田内閣官邸がどういう論理回路でこうした政策を打ち出しているのかを岡目八目よろしく解説してみましょう。
 
1 雇用システム論の基礎
 
 私の著書を読まれた方にはいささか退屈でしょうが、まずは雇用システム論の基礎の基礎をごく簡単におさらいしておきましょう。日本型雇用システムの本質は職務と人間のつなげ方にあります。欧米やアジアなど日本以外の社会では、労働者が遂行すべき職務(ジョブ)が雇用契約に明確に規定されますが、日本では雇用契約に職務は明記されず、どんな仕事をするかは使用者の命令によって定まります。つまり日本の雇用契約はその都度遂行すべき職務が書き込まれるべき「空白の石版」であり、この点をとらえて、私は日本における雇用は欧米やアジアのように職務(ジョブ)ではなく、成員(メンバーシップ)であると規定しました。ここ数年来世間で流行っている「ジョブ型」という用語の源流はこれです。日本以外の社会ではジョブ型しかないので、すべての雇用が該当する当たり前のことをわざわざ呼ぶための「ジョブ型」という言葉もありません。
 ジョブ型社会では、雇用契約で定める職務によって賃金が決まります。これを日本では「職務給」と呼びますが、これもジョブに値札がついているのが当然の前提である日本以外の社会ではまったく通用しない言葉です。というより、ジョブという商品に値札がついていなくて、商品の如何を問わず売り手が誰であるかによって価格が決まるなどという奇妙な事態は想像すらできないでしょう。しかし、もちろん日本ではそういうジョブ型社会から見れば奇妙な事態が当たり前です。雇用契約で職務が特定されていないのですから、職務に基づいて賃金を決めることは困難ですし、無理にそうしても、高賃金職種から低賃金職種への配置転換をしようとすると労働者が猛烈に反発してうまくいきません。メンバーシップ型社会特有の人事権を円滑に行使するためには、賃金を職務に紐付けることはできず、勤続年数や年齢、あるいは毎年の人事査定の積み重ねである「能力」に紐付けるしかないのです。ちなみに、日本的職能資格制でいうところの「能力」とは、特定のジョブを遂行するスキルとはほとんど関係のない不可思議な概念です。高スキルの若者は「能力」が低いから低賃金なのであり、「働かないおじさん」たちは「能力」が高いので高賃金なのです。「能力」とスキルをごっちゃにすると、雇用に関わるすべての議論がめちゃくちゃになります。
 
2 リスキリングのジョブ型とメンバーシップ型
 
 もともとジョブ型社会にリスキリングなどというものはありませんでした。人生の初期に必要な職業教育訓練を受け、その獲得したスキルで就職したら、その後はずっとそのジョブをやり続けて引退に至る。今日でも欧米社会の基本構造はそういうモデルです。本来のジョブ型とは就職時に雇用契約で定めたジョブをずっとやり続けるものであり、ジョブを変えるのは例外なのです。ところが技術革新が展開する中で、それではまずいと登場したのがリスキリングです。ジョブとスキルに基づく基本構造を大前提にしつつ、職業人生の中で新たなジョブのための新たなスキルを身につけるために、いったん今のジョブから離れ、新たなスキルのための教育を受ける時期を保障することがその眼目です。
 これに対し、メンバーシップ型の日本では、入社前にその会社でやる仕事のスキルを身につけておくことは求められません。リスキリング以前に、スキリングがないのです。正確に言えば、入社後に上司や先輩がOJTでスキリングしてくれます。社内配転で新たな部署に移っても、またOJTでリスキリングを繰り返します。ME革命の1980年代には、「だから日本は強いんだ」という議論があふれていました。硬直的なジョブに悩む欧米を尻目に、柔軟な日本型モデルが礼賛された時代です。そんな時代に、硬直的なジョブを前提にしたリスキリングなど誰も目を向けようとしませんでした。
 ところが1990年代以降、多くの若者が「入社」できずに低スキルジョブの非正規雇用に落ち込む一方で、少数精鋭の正社員になれた者もまともなOJTを受けることなく膨大な作業に追いまくられ、まともなスキルを獲得することなく中高年になった高給社員(「働かないおじさん」)は会社から邪魔者扱いされる有様です。
 1990年代後半以降の職業教育訓練政策は、それまでの企業内教育一辺倒から企業外のフォーマル教育に重点を移そうと努めてきましたが、根強いメンバーシップ感覚によって足を引っ張られ、なかなかうまくいきません。1998年の教育訓練給付は費用の8割助成という大盤振る舞いでしたが、その大半は駅前の英会話教室やパソコン教室に投じられ、世論の批判の中で2000年代には助成率が2割に引き下げられました。日本社会がジョブとスキルに基づく社会になっていなかったがゆえに、趣味的な教室に流れたと言えましょう。2013年には「学び直し支援」が政策のスローガンとなり、特定の教育訓練給付の助成率が再度引き上げられましたが、その対象は文部科学省所管の専修学校、専門職大学院、専門職大学及び大学における職業実践力育成プログラムや、経済産業省所管の情報通信技術課程ばかりです。しかしスキルアップで転ジョブする社会ではないため、その効果はなお不明です。
 2023年に経済産業省は「リスキリングを通じたキャリアアップ支援事業」を開始しました。リスキリング講座を受講して転職すれば、最大56万円補助するという大盤振る舞いですが、そもそも「転職」の概念に問題が孕まれています。
 ジョブ型社会では、社内であれ社外であれ、新たなジョブに就くためにはそのジョブを遂行できるスキルが必要です。そこで、そのための教育訓練を国が援助して職業資格を取得し、その結果、社内や社外の公募に応募して採用されめでたく転ジョブして給与アップという美しいストーリーが描けます。重要なのは、「新たなスキル→新たなジョブ→高い給与」という回路であって、そのジョブが社内か社外かは本質ではありません。
 ところが日本では、社内配転でそのつどスキルがなくても転ジョブし、配属されてからOJTでスキルを身につけ、一方でそれとは無関係に定期昇給で給与が上がるという仕組みです。スキルがあっても転ジョブするわけではありませんし、スキルがなくても転ジョブしていきます。そして、どっちにしても「能力」と「情意」で昇給するのですから、ジョブもスキルも関係ないのです。
 そこで「これはおかしい。せっかくお金を出してスキルを身につけたのに転職しないなんてもったいないじゃないか。そうだ、転職するいい子だけにお金を上げる仕組みを作ろう」と経産官僚が思いついたというわけでしょう。それ自体はもっともなのですが、メンバーシップ型社会にどっぷり浸かった日本人ゆえ、ジョブ型社会のような社内転ジョブという発想がそもそもないので、転職(=転社)のみで制度設計せざるを得ないのです。しかしながら、これでは退職予定の在職者のみへの給付となり、辞めるつもりの社員を抱えている在職中の会社との関係が奇妙なものにならざるを得ません。もしこれを喜んで受け入れる会社があるとしたら、それはその社員にとっとと出ていってほしい会社でしょう。ということは、この制度はアウトプレースメントの道具となる以外にあまり使い道はなさそうです。
 
3 ジョブ型、メンバーシップ型と賃上げのパラドックス
 
 改めて基礎の基礎を確認しますが、ジョブ型社会における募集とは、すべて具体的なポストの欠員募集であり、採用とはすべて具体的なポストへの「はめ込み」です。そして、ジョブ型社会における賃金とは、ヒトの背中に貼り付けた価格ではなく、ヒトが座る椅子に予め貼り付けられた価格であり、誰がそこに座ろうがその値段が払われるべき固定価格です。従って、ポストが変わらない限り、自動的にその価格が上昇することはありえません。ジョブ型社会では同意なき職務変更はないのですから、同一職務における昇進を除けば、昇進による賃金上昇もありません。ちなみに、日本人はほとんどすべて勘違いをしていますが、管理職とは管理という専門ジョブであって、事務職が自動的に昇進してなるものではありません。
 もちろん、企業内外の欠員募集に応募してより高給のポストに「就職」していく道はありますが、大部分のノンエリート労働者には縁なきことです。それゆえ、ポストに貼り付けられた固定価格をみんなで交渉して一斉に引き上げる必要が出てくるのです。これがジョブ型社会の団体交渉であり、数年に一回大規模に労働価格表の書き換えをやるのです。
 ごくごく単純化して言えば、ジョブ型社会というのは、賃上げしないと賃金が上がらない社会です。一見同義反復のように見えますし、ジョブ型社会の人々にとっては実際同義反復でしかないのですが、人に値札が付いているのではなく、座る椅子に値札が付いている社会ですから、同じ椅子に座っている限り賃金は上がりません。個人レベルで賃金を上げたければ、社内社外の欠員募集に応募して、今よりもっと高い値札の付いた椅子に座るしかありません。しかしながら、労働者個人の賃金は去年よりも上がったかも知れませんが、これは「賃上げ」とは言えません。個人ベースで賃金の高いジョブを狙って上昇するというのは、社会全体の賃金上昇とは関係のない話に過ぎません。
 ジョブ型社会の賃上げとは、ほっとくと永遠に上がらない賃金を上げるために、働くみんなが団結して、団体交渉して、時には争議に訴えて、椅子に張り付けられた値札を一斉に高い価格に張り替えることなのです。賃上げしないと賃金が上がらないのがジョブ型社会というのはそういう意味です。ジョブ型社会というのは、賃金を上げたかったら、みんなで「賃上げ」するしかない社会なのです。
 これに対して、日本には2種類の賃上げがあります。定期昇給とベースアップです。定期昇給とは、毎年(査定により程度の差はあれ)個人の賃金が上昇していくことを意味します。21世紀になっても、ずっと2%程度の定期昇給は継続しています。しかし、定期昇給制度の下では、毎年最も高給の最年長者が定年退職していなくなり、最も低給の新規採用者が入社してくるので(これを「内転」といいます)、企業にとっての賃金コストは(年齢別人員構成が変わらなければ)増加しません。労働組合もマスコミもみんな賃上げ率を「定昇込み何%」と言いたがりますが、その「込み」の部分は真水部分ではないのです。確かに労働者個人の賃金は去年より上がっているけれども、全員の賃金を足し上げると全然上がっていないというマクロ的現象のミクロ的基礎はここにあります。こんなことは常識だよと言う人も多いでしょうが、一方で賃上げ率を定昇込みで語っておいて、過去20年以上にわたって日本の賃金は全然上がっていないなどと論じてみせるのは、あまり誠実な態度とは言いかねます。もし本当に毎年2%ずつ賃上げしていたら、欧米並みに20年で1.5倍にはなっているはずです。
 ごくごく単純化して言えば、日本のメンバーシップ型社会というのは賃上げしなくても賃金が上がる社会です。一見語義矛盾のように見えますし、実際ジョブ型社会の人から見ればただのたわごとにしか聞こえないでしょうが、日本の正社員社会ではれっきとした現実です。全体としてはプラスマイナスゼロで総額人件費は変わらないにもかかわらず、労働者個人の立場で見れば、毎年確実に賃金が上がってくれる素晴らしい仕組みです。ジョブ型社会のノンエリート労働者たちのように、みんなで団結して団体交渉して時には争議に訴えて、椅子に張り付けられた値札を一斉に書き換えるということをしなくても、自分の賃金は上がるのです。いや自分の賃金だけではありません。みんなの賃金も同じように上がるのです。みんなの賃金が上がるのに、その上がったはずの賃金を全部足し合わせると、なぜか全然上がっていないという事態になるのですが、とはいえ労働者個人としては、去年よりも上がっているからいいじゃないかということになります。賃上げしなくても賃金が上がるのがメンバーシップ型社会というのはそういうことです。メンバーシップ型社会というのは、みんなで「賃上げ」しなくても、賃金が上がる社会です。だから、わざわざめんどくさい思いをしてまで「賃上げ」しようとしないのでしょう。
 
4 賃上げと労使関係 
 とはいえ、以上はまだ話の半分に過ぎません。日本の賃金がマクロ的に上がらなくなった30年前までは、定期昇給のほかにベースアップ(略して「ベア」)というのがありました。これが久しぶりに昨年復活したようですが、これも日本独特のものです。これは、企業の賃金総額を従業員数で割った平均賃金額の増加分を意味しますが、その経済的意味は、企業の売上げの中からどれくらいを「社員」への分け前として配分するかという概念であって、ジョブの値札を一斉に付け替えるジョブ型団体交渉とは似て非なるものです。もっとも、定期昇給とは異なり、「ベア」は全体の賃金総額を引き上げるものですから、真水の賃上げ部分です。実際には、定期昇給による年齢別賃金表の全体を上方に書き換える形で行われます。
 既に一世代分にわたってベアのない時代が続いてきたために、今の若い人々にとっては異国の話のように聞こえるかも知れませんが、かつての日本では、企業別労働組合が毎年ベースアップを要求して労働争議を繰り返してきました。「春闘」という俳句の季語は戦後生まれたものです。日本の労働運動は1955年から「春闘」を開始しましたが、それはリーダーの太田薫の「暗い夜道もお手々つないでいけば怖くない」という言葉に示されているように、企業別組合が自社だけで賃上げを要求しても同業他社で賃上げしなければ業種内で競争条件を悪化させるので、産別レベルで闘争スケジュールを統一して行う「弱者の連帯」でした。それでも、1960年代から70年代前半期には、毎年10%以上の賃上げを獲得していました。今では想像もつかないかも知れませんが、高度成長期までの日本は世界的に見ても労働争議の多い国だったのです。その最大の動因は、企業はこんなに儲かっているんだから、我々にもその分け前を寄こせ、というものだったと思われます。これを裏返せば、企業が儲からなくなると、分け前を寄こせと要求しづらくなり、定期昇給で個人の賃金は上がっているのだからと、ベアは失われていきました。これもメンバーシップ型ならではの現象であったと言えましょう。

 

2023年12月24日 (日)

武井寛・矢野昌浩・緒方桂子・山川和義編『労働法の正義を求めて 和田肇先生古稀記念論集』

09179 武井寛・矢野昌浩・緒方桂子・山川和義編『労働法の正義を求めて 和田肇先生古稀記念論集』(日本評論社)をお送りいただきました。

https://www.nippyo.co.jp/shop/book/9179.html

984ページ、本体価格 13,000円という超大冊なので、多くの方にとっては冬休みの読書感想文の課題図書になるのではないかと思われます。全40編に上る力のこもった論文がぎっしり詰まっており、とてもまっとうな感想をかける段階ではないので、まことにつまらない枝葉末節の話だけ。

労働弁護士の豊川義明さんの書かれた「「開かれた法」の解釈のために」は、労組法の使用者概念、配転権限、平等原則の3つの論点について判例を素材に論じたものですが、その2番目の配転論で、あの有名な最高裁判決を「東アペイント事件」と表記されているんですね。

最初はこれは単純な変換ミスが校正をすり抜けたのかと思ったのですが、次々に出てくる本件のリファーがすべて「東アペイント」なんです。

本文に6か所、脚注に3か所、すべて「東アペイント」なので、これはもう豊川さんがあえて意図的にこう書いているに違いないと思うのですが、その理由がよく分からないのです。少なくとも、現在日本ゼオンの子会社たるトウペが正式名称であるこの会社の旧社名は判決の名前として著名な「東亜ペイント」であり、販売部門を「東京トーアペイント」等という名称で独立させたことはありますが、「東アペイント」という豊川さんが使っている表記法は存在したことはないはずです。

豊川さんが本論文で力を込めて論じている大事な論点とは全く関係のない枝葉末節の極みみたいなことしかコメントできずにまことに申し訳なく思いますが、でも読み始めてこの表記が続々と出てくるのに驚き慌ててほかのことが全く頭に入らなくなってしまったので、お許しいただければ。

目次
_______________________________

第1部 労働法の基礎理論・方法論
_______________________________

日本における労働法とデモクラシー
――日本の企業社会におけるハビテゥス(Habitus)変革の展望に寄せて  ……米津孝司

労働政策の実現手法の動向と課題――個別的労働関係分野を中心に  ……山川隆一

ソフトローによる労働法規範の柔軟化・再考……和田 肇

19世紀ドイツの労働法制形成におけるF.E.ケテラーの役割  ……野川 忍

自由主義的労働法批判について――シュピオとハイエク……本久洋一

現代イギリスにおける憲法学と労働法学の対話――K. D. ユーイングの政治的憲法論を精読する……愛敬浩二

「開かれた法」の解釈のために……豊川義明

日本とドイツの労働法における法文化  ……ロルフ・ヴァンク/(翻訳)橋本陽子

_______________________________

第2部 個別的労働関係をめぐる法的課題
_______________________________

労働者(被用者)の逆求償権について……土田道夫

雇止め法理の再検討――労契法19条2号の判断基準について  ……中村和雄

労基法26条の趣旨とその機能の再検討……山下 昇

ドイツにおけるロックダウン中の公的命令に基づく事業所閉鎖と賃金請求の可否――連邦労働裁判所2021年10月13日判決の検討  ……桑村裕美子

韓国における就業規則の不利益変更の法理……宋剛直

配転・転勤法理の探求――憲法の具体化、民法の労働法的発展の観点から……相澤美智子

韓国と日本における同一労働同一賃金原則――雇用形態による待遇の相違を中心に……盧尚憲

アメリカ男女雇用平等法制の新展開――2022年に制定された3つの連邦法を中心に……中窪裕也

裁量労働制をめぐる諸問題……塩見卓也

ドイツ労働契約における呼出労働の合意の許容性……岡本舞子

最近のドイツにおける労働時間法の展開について――労働時間把握義務と時間外労働に対する賃金請求権の問題を中心に  ……橋本陽子

自由時間の創造について――複線的な日常を構想する……緒方桂子

_______________________________

第3部 集団的労働関係と公務労働
_______________________________

親会社と労組法7条2号の使用者……川口美貴

アメリカ労働者協同組合の組織化と全国労働関係法……柳澤 武

台灣不當勞動行為制度における行政的救濟の意義とその問題点について――「行政裁決」と「裁判所による救済」との関連を中心に  ……林良榮

台湾における不当労働行為裁決の裁判所による審査の発展とその検討  ……侯岳宏

日本における公務員の任用・勤務関係と労働者の労働契約関係の再整序に向けた一試論……早津裕貴

公務員の意見具申と憲法……渡邊 賢

_______________________________

第4部 労働市場と社会保障
_______________________________

職業安定法上の労働契約締結過程に係る規制の展開と契約解釈――締結過程の理想形と意思形成のデフォルト  ……新屋敷恵美子

職業安定法63条2号と労働権……有田謙司

労働者主導で仕事の知識や技能の向上を目指す仕組み――フランスの職業訓練個人口座(CPF)の考察……柴田洋二郎

高年齢者雇用確保政策の功罪について考える……山川和義

内部柔軟性によるドイツ労働市場の高い調整力  ……ハルトムート・ザイフェルト/(翻訳)金井幸子

海外療養費についての一考察……岩村正彦

スウェーデンの障害年金制度の概要と特徴――わが国との比較の観点から  ……中野妙子

「柔軟な」働き方の不平等――社会保障法におけるケアの視角  ……上田真理

就労貧困への法的アプローチの試み――労働は賢者の石か?  ……矢野昌浩

_______________________________

第5部 現代的課題への挑戦
_______________________________

労働法と競争法の交錯問題再考……荒木尚志

アルゴリズムと労働法……水町勇一郎

ロシアにおけるプラットフォーム労働従事者と法……武井 寛

ドイツの人権デューディリジェンス立法の人的適用範囲――特徴と示唆  ……井川志郎

ドイツ労働法――変化と課題  ……ライムント・ヴァルターマン/(翻訳)緒方桂子 

 

2023年12月23日 (土)

EUプラットフォーム労働指令の合意はひっくり返ったらしい

11319322800x450 先週、EUのプラットフォーム労働指令案に、両立法府である理事会と欧州議会が合意したというニュースが流れ、本ブログでも早速それを紹介したところですが、

EUのプラットフォーム労働指令に理事会と欧州議会が合意

Rights for platform workers: Council and Parliament strike deal

Platform work: deal on new rules on employment status

なにやらそれがひっくり返ったようです。

それを報じているのはEurActivのこの記事ですが、

Member states deal heavy blow to platform work deal

Member states’ ambassadors failed to find a majority over a platform work directive deal struck last week, dealing a heavy blow to the Spanish Presidency of the Council of the EU and raising concerns the file may not get through before the end of the mandate.

A provisional deal found last week at the outset of negotiations between the European Commission, the Spanish Presidency and MEPs – known as ‘trilogues’ – failed to secure a qualified majority in a Committee of Permanent Representatives (Coreper) on Friday (22 December).

どうも、理事会の議長国を努めていたスペインがちゃんと加盟国の同意を取り付けないまま、このくらいでよかんべと欧州議会側と合意に達してしまっていたらしく、昨日のコレペールでは、我が国はこんなの認めちゃいねえぞ、という苦情が多くの諸国の大使から吹き出して、まとまらなかったようです。

No formal vote was even held on the text, as it became clear there would be no majority. According to information obtained by Euractiv, 12 member states, including the Baltics, Bulgaria, Czech Republic, Finland, France, Greece, Hungary, Ireland, Italy, Sweden formally said no to a deal they believed was too far gone from the Council’s version of the directive.

バルト諸国、ブルガリア、チェコ、フィンランド、フランス、ギリシャ、ハンガリー、アイルランド、イタリア、スウェーデンの計12カ国がノーと言ってるらしく、これでは多数決で押し切るわけには生きませんね。

結構な大失態のようですが、これってスペインの交渉担当者の見込み違いなのか、押し切れると見誤ったのか、何にせよ、来年早々にもプラットフォーム指令誕生かと思っていたのが、そうじゃなくなって気が抜けました。

別の記事によると、反対論の黒幕はフランスのマクロン大統領らしく、欧州議会の担当議員は、マクロンを社会的ヨーロッパの殺人者だと糾弾しているようです。

Macron may be ‘killer of Social Europe’, Platform Work Directive rapporteur warns

Member states must do everything to ensure the Platform Work Directive provisional deal is approved, Parliament file rapporteur Elisabetta Gualmini told Euractiv in an interview, warning that France’s refusal to vote on the text is “unacceptable”.

 

 

 

 

 

 

 

 

2023年12月20日 (水)

労働組合組織率は16.3%に低下

本日、令和5年労働組合基礎調査の概況が公表されましたが、

https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/roushi/kiso/23/dl/gaikyou.pdf

組織率は昨年から0.2%下がって16.3%となったようです。

既に昨年から労働組合員の数が1000万人を割り込んでおり、なかなか反転の兆しはなさそうです。

 

 

 

 

 

2023年12月19日 (火)

駒川智子・金井郁編『キャリアに活かす雇用関係論』

636515 駒川智子・金井郁編『キャリアに活かす雇用関係論』(世界思想社)をお送りいただきました。

キャリアに活かす雇用関係論

働きがいのある人間らしい仕事の実現へ
経済社会の変化と人々の価値観の多様化が、性別に基づく雇用管理に変化を迫る。就職から始まるキャリアの形成過程をジェンダーの視点から分析し、現状・課題・解決への道筋を示す。働くすべての人の必携書!
雇用関係論、人事労務管理論、人的資源管理論、キャリア形成論、労働問題、労働経済論、社会政策、キャリア教育、ワークルール教育などの授業テキストとして最適。
【序章より】
自分の望む働き方を手にするには、どうすればよいだろう。たとえ安定的な企業・組織に勤めていても、上司や組織に任せているだけではうまくいかない。なぜなら、自分が望むことは、自分にしかわからないからだ。色々な業務にチャレンジしたい、管理職になりたい、育児や介護と無理なく両立させたいなど、仕事に求めることは人それぞれである。だからこそ希望する働き方に向けて、自分の労働条件や職場環境を理解し、どうすればよいかを考えて行動することが重要となる。そのためには、働くことを自分でコントロールする知識と力が必要である。幸せな職業生活を自分の手でつかむためには、働くことの仕組みを学ぶことが大切なのである。このことは、自分だけのためではなく、社会で働く人皆のための行動にもなる。

「雇用関係論」というタイトルはあんまりほかで見かけないですが、中身は下にコピペした目次を見れば分かるように、人事労務管理論とか人的資源管理論といわれるようなテキストと変わりません。ただ、一読した感想ですが、全体としてジェンダー格差やそれと絡む諸問題により敏感であり、戦後日本型雇用システムの生み出す矛盾により批判的であり、オルタナティブな雇用の在り方を唱道する傾向が若干強い点が、あえていえば特徴なのかも知れません。

序 章 なぜ雇用管理を学ぶのか〔駒川智子・金井郁〕
第1章 大卒就職・大卒採用――制度・構造を読みとく〔筒井美紀〕
第2章 配属・異動・転勤――キャリア形成の核となる職務〔駒川智子〕
第3章 賃 金――持続可能な賃金のあり方とは〔禿あや美〕
第4章 昇 進――自分のやりたいことを実現する立場〔大槻奈巳〕
第5章 労働時間――長時間労働の是正に向けて〔山縣宏寿〕
第6章 就労と妊娠・出産・育児――なぜ「両立」が問題となるのか〔杉浦浩美〕
第7章 ハラスメント――働く者の尊厳が保たれる仕事場を〔申琪榮〕
第8章 管理職――誰もが働きやすい職場づくりのキーパーソン〔金井郁〕
第9章 離職・転職――長期的キャリア形成の実現に向けて〔林亜美〕
第10章 非正規雇用――まっとうな雇用の実現のために〔川村雅則〕
第11章 労働組合――労働条件の向上を私たちの手で〔金井郁〕
第12章 新しい働き方――テレワーク、副業・兼業、フリーランス〔高見具広〕
第13章 いろいろな人と働く――SDGsによる企業の人権尊重とDE&Iの推進〔田瀬和夫・真崎宏美〕
終 章 労働の未来を考える〔金井郁・駒川智子〕
より深い学びのために

一点だけコメントしておきますと、第1章で「能力の実体論」と「能力の社会的構成論」を対比させているんですが、この対比自体は欧米社会を前提とした社会学の対立図式のものですが、日本企業における「能力」という概念の複雑怪奇さは、到底素朴な社会的構成論の次元ではないくらいであって、企業が自分で作り出した「能力」概念の深みにはまり込んで中高年の人事処遇で四苦八苦しているという皮肉きわまる状況を論じるにはやや力不足な感じがします。

 

 

 

 

雇用保険の適用拡大@WEB労政時報

WEB労政時報に「雇用保険の適用拡大」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers/article/86291

 年内のおそらくあと数日後には、労働政策審議会職業安定分科会雇用保険部会(公労使各5名、部会長:守島基博氏)で、雇用保険法の改正に関する報告が取りまとめられるものと思われます。今回の改正内容は失業等給付、育児休業給付、教育訓練給付など多岐にわたっていますが、その中でも制度の本質に関わる改正が予定されているのは適用拡大に関わる部分です。現在の雇用保険法は、その6条1号で「1週間の所定労働時間が20時間未満である者」を適用除外としていますが、これを10時間未満にして、週10時間以上の者は雇用保険を適用しようという方向が打ち出されようとしているのです。今回は、なぜそういう政策が打ち出されることになったのかという経緯を見ていきたいと思います。・・・・

 

 

2023年12月18日 (月)

弁護士法人髙井・岡芹法律事務所編『裁判例・労働委員会命令にみる不当労働行為性の判断基準』

55bbb852ee59f99f122bbd840cfb2758 弁護士法人髙井・岡芹法律事務所編『裁判例・労働委員会命令にみる不当労働行為性の判断基準』(経営書院)をお送りいただきました。

https://www.e-sanro.net/books/books_jinji/romukanri/86326-367.html

労働組合の組織率は低下傾向が続いていますが、労働組合による組合員の解雇・雇止め、降格・降職、残業代、ハラスメント、メンタルヘルス等にかかわる問題提起は、件数としては少なくありません。また、大幅に件数が減ったとされる集団争議についても、最近では組合員の雇用確保を巡るストライキ等が実行され、関心を集めています。
そして、このような労働問題が生じるなかでは、労働組合に対する使用者の言動が不当労働行為に当たるか否かという点が、争点となります。労働組合の提起により、裁判所や労働委員会の場で使用者の言動が不当労働行為にあたると判断されれば、労組法違反の事案として、労使間の紛争はさらに困難な局面に至ってしまいます。
本書は、過去の裁判例・労働委員会命令のすべてを検証したうえで、労使紛争の中での使用者の言動を具体的に分類し、裁判所や労働委員会で不当労働行為と判断された事例、そうでなかった事例の双方を紹介することにより、不当労働行為性の判断基準を明らかにするものです。
本書で紹介した先例を参考に、使用者の言動が不当労働行為に当たるか否かの判断を、より正確に、効率的に行うことで、労働問題における不必要な労使紛争やトラブルを避けることができます。

最近はあまりはやらない分野ではありますが、こうやってまとまってみると、実に様々な事件が発生し、様々な論点があるものだなあと感じます。

 

 

 

2023年12月16日 (土)

職業レリバンスとは社会構造である

もう百万回以上繰り返してきた話のような気がしますが、でも社会に出ようとしている若者にとっては、その都度我が身に降りかかってくる問題なのでしょうね。

https://togetter.com/li/2276249

大学で民俗学やって、一般教養で美術史とか美学とか歴史とか取りまくって、フル単どころか超過しててもうめちゃくちゃ勉強楽しかったんだけど、就活のときに「あなたが大学でやってきたことが我が社にどう役立ちますか?」って質問されて、「えっ、役立たないとあかんもんなの」とショックを受けて

そりゃ技術職なら専門学校とか大学でやってきたことを活かしたいですって言えるのかもしれんけど、ただの一般大学の文系学部で興味あることだけワーッと勉強してきたって、そんなもん仕事に活かせるわけないじゃん、精々「雑学王」みたいな…、営業マンになるための勉強とか一切してないんだもん・・・・・

この件については、20年近く前から山のようなエントリがいっぱいあって、このブログで「レリバンス」で検索したら30以上の記事がぞろぞろ出てくるはず。

ここでは、伝統的な日本型雇用システムの下では、そういういかにも文化系のいかにも役に立たなさそうなものこそが就職に直結するシグナルになっていたというはなしを再掲しておきましょう。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-2313.html


就職に強いといえば、かつての女子短大は最強でした。四年制大卒女子が軒並み土砂降りで泣き濡れているときでも、すいすいといくらでも就職できたのです。それも、なまじ栄養学科なんていう仕事に役立てようなんて色気のありそうなところじゃなくって、英文科とか国文科とか、絶対に職業人としてやっていく気なんてこれっぽっちもありませんから、と言わんばかりなところのほうが就職率は良かったわけです。

それは極めて明快な理由であって、男女異なる労務管理がデフォルトルールであった時代には、一生会社勤めしようなどと馬鹿げたことを考えたりせず、さっさと結婚退職して、子どもが手がかからなくなったらパートで戻るという女性専用職業コースをたどりますというメッセージになっていたからでしょう。あるいは、結婚という「永久就職」市場における女性側の提示するメリットとして、法学部や経済学部なんぞでこ難しい理屈をこねるようになったかわいくない女性ではなく、シェークスピアや源氏物語をお勉強してきたかわいい女性です、というメッセージという面もあったでしょう。

現実の社会構造の中で、それが会社への入口で高く評価される以上、それも立派な職業的レリバンスに違いありません。だから多くの十代の女子たちは、自らの将来設計を冷静に冷徹に見据えた上で、そういう意思決定をしていたわけです。そしてそれは(少なくとも入口では)確かにペイするものでありました。

ところが、1990年代に舞台設定ががらりと変わり、それまでいくらでも採用してくれていた女子短大というレーベルが、とりわけ英文科とか国文科といった定番のレーベルが、一番お呼びでないものになってしまいました。文系男子と同様、ばりばり会社のために無限定に働きますというメッセージを発する文系女子のレーベルは、それまで可愛くないと忌避されてきた法律経済系の四大卒に変わってしまったわけです。もちろん、それだって、どのジョブのどのスキルとはなんの関係もない「意欲」と「能力」の指標でしかないわけですが、求められる「意欲」と「能力」ががらりと変わってしまった以上、そっちが職業レリバンスのあるシグナルであることはどうしようもありません。

その時期に、女子短大英文科の教授氏が、なぜ日本社会は(俺様の教える)英文学の価値を理解しなくなったのだ、などと悲憤慷慨してみても、あんまり意味がない、というのと、まあよく似た話だと言うことですね。

なお、哲学・文学といった分野について、もう少し真っ正面から論じたのはこちらです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_c7cd.html

平家さんの「労働・社会問題」ブログで、大学教育の職業レリバンスをめぐって平家さんと私との間にやりとりがありました。これのもともとは、本田由紀先生のブログのコメント欄におけるやりとりです。

http://d.hatena.ne.jp/yukihonda/20060327

この日のエントリーで、本田先生は例によって「大学の学習でどんな能力・スキルを身につければ、社会でどのように役に立つのかを、きっちりと学生に示せるか」云々という文章を引いて、大学教育の職業レリバンスの重要性というご自分のテーマを強調されていたわけですが、これに対するコメント欄において、「通りすがり」氏が「私は大学で哲学を専攻しました。その場合、「教育のレリバンス」はどのようなものになるんでしょうか?あと国文とか。」という皮肉に満ちた発言をされたのです。

私だったら、「ああそう、職業レリバンスのないお勉強をされたのねえ」といってすますところですが、まじめな本田先生はまじめすぎる反応をされてしまいます。曰く、「哲学や国文でも、たとえばその学部・学科を出られた方がどんな仕事や活動に従事しており、学んだ内容がそれらの将来にいかなる形で直接・間接に関連しうるのかを強く意識した教育を提供することはできると思うのです。それと同時に、ある分野に関するメタレベルの認識を与えることが教育において常に意識される必要があると思います。たとえば国文ならば、文学や「言葉」とは人間にとっていかなる意味をもっているのか、それを紡ぎ出す出版や編集、マスメディアの世界にはどのような意義と陥穽があるのか、といったようなことです。いずれにしても、今を生きる人間の生身の生にかかわらせることなく、ただ特定の知識を飲み込め、というスタンスで教育がなされることには問題があると思います」と。

これは「通りすがり」氏の皮肉な口調に対する対応としては、あまりにも正面から受け答えされ過ぎたとも言えますし、逆に、通りすがり氏の無遠慮なものの言い方に変に遠慮して、本来のご自分の職業レリバンス論の意義を失わせるような後退をされたのではないかという印象も受けます。

このやり取りに対して、平家さんがご自分のブログで、やや違った観点からコメントをされました。

http://takamasa.at.webry.info/200604/article_6.html

ここで平家さんが言われているのは、「大学のどのような学部であっても、学生に社会人として意味のあるスキル、能力を身につける機会を提供することは可能」であり、「それは「その主張の根拠を明示して、自分の主張を明確に述べるスキル」である、「哲学など人文科学系の学部は、むしろこういう教育に向いているのではないでしょうか」ということです。

これに対して、私は話がおかしくなっているのではないかと感じました。その旨を当該エントリーへのコメント欄に次のように書き込みました。

あえて、手厳しい言い方をさせていただければ、それは問題の建て方が間違っているのではないでしょうか。ここで言われているのはあくまで「職業的レリバンス」であって、そういう「人間力」的な話ではないはずです。いや、もちろん、そういう自己主張能力的なスキルは大事ですよ、でも、そのために哲学や文学をやると言うことにはならない。それは哲学や文学のそれ自体としての意義(即自的レリバンスとでもいいますか)に対してかえって失礼な物言いでしょう。それに、おそらく、ロースクールあたりで現実の素材を使ってやった方が、もっと有効でしょう。

問題は、大学教育というものの位置づけそれ自体にあるのではないでしょうか。学校教育法を読めばわかりますが、高校も高専も、短大も、大学院ですら、「職業」という言葉が出てきますが、大学には出てこないんです。職業教育機関などではないとふんぞり返っているわけですよ、大学は。実態は圧倒的に職業人養成になっているにもかかわらず。
冷ややかに言えば、哲学や文学をやった人のごく一部に大学における雇用機会を提供するために、他の多くの人々がつきあわされているわけです、趣味としてね。いや、男女性別役割分業のもとでは、それはそれなりに有効に機能してきたとは言えます。しかし、もはやサステナブルではなくなってきた、そういうことでしょう。

特に後半はかなり舌っ足らずなので、大変誤解を招きかねない表現になっていますが、前半でいってることは明確だと思います。ただ、話が本田先生のブログから始まっただけに、私が本田先生の立場に立ってものを言っているという風に誤解されてしまった嫌いがあるようです。

平家さんは翌々日のエントリーで、

http://takamasa.at.webry.info/200604/article_8.html

「私としては、問題を発展させたという意識です」と言われています。それはそうなんですよ。もとの本田先生のコメント自体が、哲学や国文にも職業レリバンスを見つけようという(どこまで本気かはわかりませんが)姿勢で書かれていますから。私としては、そういう回答の仕方自体が、「問題の建て方が間違っている」と言いたかったわけです。本田先生自身が自分の主張を裏切っているのではないか、と言っているのです。

いや、もちろん、これは「職業レリバンス」なる言葉の定義をどうするかということに最後は至りつくのです。しかし、こういう本田先生のコメントや、それを発展させた平家さんのコメントの方向性というのは、結局、職業レリバンスというものを、現実の労働市場から引き離し、何やら抽象的な「メタレベルの認識」だの、「人間にとっていかなる意味」だの、いやもちろん大いに結構ですよ、大いにおやりになればよい、私も大好きだ、趣味としてね、しかしそういう観念的な世界に持ち出すだけではないかと言いたかったわけです。

実際、本田先生のコメントや平家さんのコメントに見られるのは、まさに本田先生が「言うな!」と叫んでおられる「人間力」そのものではありませんかね。私は、実は人間力なるものはそれなりに大事だと思うし、「言うな!」とまで叫ぶ気はありませんが、少なくとも「職業レリバンス」が問題になっているまさにその場面で、そういう得体の知れない人間力まがいを提示するというのはいかがなものか、と言わざるを得ません。ご自分の主張を裏切っているというのはそういうことです。

上で申し上げたように、私は「人間力」を養うことにはそれなりの意義があるとは考えていますが、そのためにあえて大学で哲学や文学を専攻しようとしている人がいれば、そんな馬鹿なことは止めろと言いますよ。好きで好きでたまらないからやらずには居られないという人間以外の人間が哲学なんぞをやっていいはずがない。「職業レリバンス」なんて糞食らえ、俺は私は世界の真理を究めたいんだという人間が哲学をやらずに誰がやるんですか、「職業レリバンス」論ごときの及ぶ範囲ではないのです。

一方で、冷徹に労働市場論的に考察すれば、この世界は、哲学や文学の教師というごく限られた良好な雇用機会を、かなり多くの卒業生が奪い合う世界です。アカデミズム以外に大して良好な雇用機会がない以上、労働需要と労働供給は本来的に不均衡たらざるをえません。ということは、上のコメントでも書いたように、その良好な雇用機会を得られない哲学や文学の専攻者というのは、運のいい同輩に良好な雇用機会を提供するために自らの資源や機会費用を提供している被搾取者ということになります。それは、一つの共同体の中の資源配分の仕組みとしては十分あり得る話ですし、周りからとやかく言う話ではありませんが、かといって、「いやあ、あなたがたにも職業レリバンスがあるんですよ」などと御為ごかしをいってて済む話でもない。

職業人として生きていくつもりがあるのなら、そのために役立つであろう職業レリバンスのある学問を勉強しなさい、哲学やりたいなんて人生捨てる気?というのが、本田先生が言うべき台詞だったはずではないでしょうか。

(追記)

あり得べき誤解を避けるため、平家さんのブログのコメント欄に以下のようなコメントを追加しておきました。

私は、個人的には哲学や文学は好きです。特に、哲学は大好きといってもいい。「哲学者や文学者も生かして置いた方が豊かな生活が送れる」と思っています。そして、そういう人々を生かしておくためには、「哲学や文学を教える」役割の人間を一定数社会の中に確保しておくことが重要であろうと考えています。問題は、それを”制度的に”「教えられる」側の人間の職業生涯との関係で、それをどう社会的に調整すべきかということです。
「性別役割分業の下での有効性のお話」は、そういう意味合いで申し上げたことです。

 

 


 

 

 

 

 

アンコレさんが拙著を書評

51sgqlf3yol_sx310_bo1204203200__20231216175701 UNCORRELATED(アンコレ)さんが、ブログ「ニュースの社会科学的な裏側」で、拙著『家政婦の歴史』を丁寧に書評していただいております。

規制行政に関心がある人は読むべき『家政婦の歴史』

労働法とそれに関連した歴史的な話題を発掘整理している濱口桂一郎氏の新著(といっても出てから4ヶ月経った)『家政婦の歴史』を拝読したので、感想を記しておきたい。
私にとって家政婦はマンガやドラマの中でしか見かけない存在で、最初に題名を見たときはテーマがマニアックすぎだとお茶を噴いてしまったのだが、創作物の設定と現実のどこがどの程度乖離しているかという話題が好物なので目を通してみた。
内容はNHK解説委員室の濱口氏の「家政婦は『家事使用人』ではなかった」が要約になっているので詳しくは触れないが、GHQの偉い人が現実の細部、人夫供給業と派出婦会の違いをよく見なかったために、派出婦会で機能していた近代的な雇用制度が近世的な雇用関係を前提としたモノにされてしまい、家政婦に適切な労働者保護が与えられてこなかったという規制行政の歴史の話であった。GHQの偉い人が日本を去った後、制度の根本部分をこっそり改正すべきであったが、派遣労働の容認が大きな論点になってしまった余波か、緊急避難的な措置が永続的になったのが残念なところで、2022年のある過労死事件の遠因になる。・・・・・

 なお、本書での叙述の仕方についても、

ウェブでの話しと異なり、書籍の本書は小説や国会答弁などの引用もあって、江戸から明治、戦中から戦後の雰囲気が分かるように工夫されている。

と評価していただいています。

 

 

 

2023年12月15日 (金)

労使関係の「近代化」の非近代的帰結

283_h1_20231215141701 今日届いた『季刊労働法』冬号は、ストライキ特集ですが、その冒頭を飾る小山敬晴さんの「日本におけるストライキの停滞状況に関する法的分析―団交権中心論の歴史的意義と限界」は、日本でこんなにストライキがなくなったのは、プロレーバー法学を批判して主流化した団交権中心論のゆえではないか、と批判するものです。

Tm_mjqwx5vcmq これを読んで、この話は労働法学内部の対立だけに視野を狭めるのではなく、戦後日本社会における労使関係のあり方をめぐる議論に拡大して論じられるべきではないか、と感じました。というのも、実は今から10年前に『季刊労働法』240号に「労使関係の『近代化』とは何だったのか」という論考を書いていて、小山さんが労働法学内部で団交権中心論ととらえた発想を、より広く「労使関係近代化論」と捉え、それが日本的な家族争議的などろどろした企業内労使関係を欧米風のからりとした取引的な労使関係に転換することを唱えながら、結局はむしろ協調的な企業主義的な労使関係を確立することになったというアイロニカルな帰結を跡づけたものです。

同じような話ではないかと思われるかもしれませんが、労働法学内部の学説のどっちが主流かというような話は、所詮コップの中の話であって、それが現実社会をすべて動かしたかのような議論は、いささか労働法学の力を過信しすぎているように思われます。むしろ、労働法学内部で団交権中心論が主流化したこと自体が、労使関係近代化論の労働法学への現れであったと考えるべきでしょうし、団交権中心論が主流化する中で肝心の団体交渉が空洞化していったのも、労使関係近代化論がの非近代的帰結の現れというべきなのではないかと思います。

(参考)

4 「労使関係近代化」の帰結が「近代主義の時代」を終わらせた
 
 本連載でも繰り返し述べてきたように、日本の労働法政策は1970年代初頭までは「職業能力と職種に基づく近代的労働市場」をめざし、年功制を脱した職務給を唱道してきましたが、1970年代半ば以降は企業内における雇用維持を最優先とし、企業を超えた外部労働市場の充実は二の次三の次と見なすような政策思想に大きく転換しました。
 この転換のもとになった要因にはさまざまなものがあります。もっともよく指摘されるのは、高度経済成長下で進められた技術革新の中で、新規事業への転換が頻繁に起こり、職務給のような「古くさい」考え方ではそれに対応していけないという企業現場レベルの反発です。これを受けて、すでに1960年代末には、日経連も『能力主義管理』において職務主義から能力主義への転換を図っていました。
 なお近代主義の言葉を語り続けていた政府が最終的に立場を翻したのは1970年代半ばでした。1973年に起こった石油ショックに対して、労使一体となった要求に基づき、雇用調整助成金の導入による雇用維持を最優先とする方向に大きく舵を切ったのです。労使一体で雇用維持を求めたのは、同盟系の組合だけでなく、雇用保険法の改正に反対していた総評系の組合も含まれていました。まさに、「個々の労働者の現実から遊離した政治活動」から現場の労働者の利益に直接関わる政策課題への転換でした。この流れがやがて政策推進労組会議を経て、全民労協、民間連合、そして現在の連合につながっていくわけですが、それはまさに上述の日本生産性本部が広めようとしていた「労使関係近代化」の延長線上にあるとともに、それなるがゆえに、1960年代に経済政策サイドや雇用政策サイドが主唱していた「近代主義の時代」に終止符を打つものでもあったのです。
 「労使関係近代化」の帰結が「近代主義の時代」を終わらせたというのが、この皮肉に満ちた一部始終を総括する結論になりそうです。

hamachanブログ2023年ランキング発表

まだ年末までに半月ありますが、そろそろ今年の総決算ということで、本ブログの2023年ランキングを発表します。

まず第1位は、これは正直やや意外でしたが、7月の「ナチス「逆張り」論の陥穽(再掲) 」でした。これはそもそも昨年のランキングで第3位になった記事ですが、昨年は朝日新聞の耕論に対するコメントだったのを、今年田野さんの本が出て話題になっていたので再掲したものです。

私はそもそもこの問題をナチス側からではなくナチスに叩き潰された社会民主党や労働組合の側から見ているので、こういう感想にならざるを得ないのです。

ナチス「逆張り」論の陥穽(再掲)(ページビュー数:5,905

最近、田野さんの本が話題になっているということなので、この点はきちんと明確にしておかなければならないと思い、昨年のエントリをそのまま再掲することにしました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2022/05/post-ed416b.html

As20220524001471_comm 昨日の朝日新聞の15面に、「逆張りの引力」という耕論で3人が登場し、そのうち田野大輔さんが「ナチスは良いこともした」という逆張り論を批判しています。

https://www.asahi.com/articles/ASQ5S4HFPQ5SUPQJ001.html

 私が専門とするナチズムの領域には、「ナチスは良いこともした」という逆張りがかねてより存在します。絶対悪とされるナチスを、なぜそんな風に言うのか。私はそこに、ナチスへの関心とは別の、いくつかの欲求があると感じています。
 ナチスを肯定的に評価する言動の多くは、「アウトバーンの建設で失業を解消した」といった経済政策を中心にしたもので、書籍も出版されています。研究者の世界ではすでに否定されている見方で、著者は歴史やナチズムの専門家ではありません。かつては一部の「トンデモ本」に限られていましたが、今はSNSで広く可視化されるようになっています。・・・

正直、いくつも分けて論じられなければならないことがややごっちゃにされてしまっている感があります。

まずもってナチスドイツのやった国内的な弾圧や虐殺、対外的な侵略や虐殺といったことは道徳的に否定すべき悪だという価値判断と、その経済政策がその同時代的に何らかの意味で有効であったかどうかというのは別のことです。

田野さんが想定する「トンデモ本」やSNSでの議論には、ナチスの経済政策が良いものであったことをネタにして、その虐殺や侵略に対する非難を弱めたりあわよくば賞賛したいというような気持が隠されているのかもしれませんが、いうまでもなくナチスのある時期の経済政策が同時代的に有効であったことがその虐殺や侵略の正当性にいささかでも寄与するものではありません。

それらが「良い政策」ではなかったことは、きちんと学べば誰でも分かります。たとえば、アウトバーン建設で減った失業者は全体のごく一部で、実際には軍需産業 の雇用の方が大きかった。女性や若者の失業者はカウントしないという統計上のからくりもありました。でも、こうやって丁寧に説明しようとしても、「ナチスは良いこともした」という分かりやすい強い言葉にはかなわない。・・・

ナチスの経済政策が中長期的には持続可能でないものであったというのは近年の研究でよく指摘されることですが、そのことと同時代的に、つまりナチスが政権をとるかとらないかという時期に短期的に、国民にアピールするような政策であったか否かという話もやや別のことでしょう。

田野さんは、おそらく目の前にわんさか湧いてくる、ナチスの悪行をできるだけ否定したがる連中による、厳密に論理的には何らつながらないはずの経済政策は良かった(からナチスは道徳的に批判されることはなく良かったのだ)という議論を、あまりにもうざったらしいがゆえに全否定しようとして、こういう言い方をしようとしているのだろうと思われますが、その気持ちは正直分からないではないものの、いささか論理がほころびている感があります。

これでは、ナチスの経済政策が何らかでも短期的に有効性があったと認めてしまうと、道徳的にナチにもいいところがあったと認めなければならないことになりましょう。こういう迂闊な議論の仕方はしない方がいいと思われます。

実をいうと、私はこの問題についてその裏側から、つまりナチスにみすみす権力を奪われて、叩き潰されたワイマールドイツの社会民主党や労働組合運動の視点から書かれた本を紹介したことがあります。

Sturmthal_2-2 連合総研の『DIO』2014年1月号に寄稿した「シュトゥルムタール『ヨーロッパ労働運動の悲劇』からの教訓」です。

https://www.rengo-soken.or.jp/dio/dio289.pdf

・・・著者は戦前ヨーロッパ国際労働運動の最前線で活躍した記者で、ファシズムに追われてアメリカに亡命し、戦後は労使関係の研究者として活躍してきた。本書は大戦中の1942年にアメリカで原著が刊行され(1951年に増補した第2版)、1958年に邦訳が岩波書店から刊行されている。そのメッセージを一言でいうならば、パールマンに代表されるアメリカ型労使関係論のイデオロギーに真っ向から逆らい、ドイツ労働運動(=社会主義運動)の悲劇は「あまりにも政治に頭を突っ込みすぎた」からではなく、反対に「政治的意識において不十分」であり「政治的責任を引き受けようとしなかった」ことにあるという主張である。
 アメリカから見れば「政治行動に深入りしているように見える」ヨーロッパ労働運動は、しかしシュトゥルムタールに言わせれば、アメリカ労働運動と同様の圧力団体的行動にとどまり、「真剣で責任ある政治的行動」をとれなかった。それこそが、戦間期ヨーロッパの民主主義を破滅に導いた要因である、というのだ。彼が示すのはこういうことである(p165~167)。

・・・社会民主党と労働組合は、政府のデフレイション政策を変えさせる努力は全然行わず、ただそれが賃金と失業手当を脅かす限りにおいてそれに反対したのである。・・・
・・・しかし彼らは失業の根源を攻撃しなかったのである。彼らはデフレイションを拒否した。しかし彼らはまた、どのようなものであれ平価切り下げを含むところのインフレイション的措置にも反対した。「反インフレイション、反デフレイション」、公式の政策声明にはこう述べられていた。どのようなものであれ、通貨の操作は公式に拒否されたのである。
・・・このようにして、ドイツ社会民主党は、ブリューニングの賃金切り下げには反対したにもかかわらず、それに代わるべき現実的な代案を何一つ提示することができなかったのであった。・・・
社会民主党と労働組合は賃金切り下げに反対した。しかし彼らの反対も、彼らの政策が、ナチの参加する政府を作り出しそうな政治的危機に対する恐怖によって主として動かされていたゆえに、有効なものとはなりえなかった。・・・

 原著が出された1942年のアメリカの文脈では、これはケインジアン政策と社会政策を組み合わせたニュー・ディール連合を作れなかったことが失敗の根源であると言っているに等しい。ここで対比の軸がずれていることがわかる。「悲劇」的なドイツと無意識的に対比されているのは、自覚的に圧力団体的行動をとる(AFLに代表される)アメリカ労働運動ではなく、むしろそれとは距離を置いてマクロ的な経済社会改革を遂行したルーズベルト政権なのである。例外的に成功したと評価されているスウェーデンの労働運動についての次のような記述は、それを確信させる(p198~199)。

・・・しかし、とスウェーデンの労働指導者は言うのであるが、代わりの経済政策も提案しないでおいて、デフレ政策の社会的影響にのみ反対するばかりでは十分ではない。不況は、低下した私的消費とそれに伴う流通購買力の減少となって現れたのであるから、政府が、私企業の不振を公共支出の増加によって補足してやらなければならないのである。・・・
それゆえに、スウェーデンの労働指導者は、救済事業としてだけでなく、巨大な緊急投資として公共事業の拡大を主張したのである。・・・

 ここで(ドイツ社会民主党と対比的に)賞賛されているのは、スウェーデン社会民主党であり、そのイデオローグであったミュルダールたちである。原著の文脈はあまりにも明らかであろう。・・・

田野さんからすれば「「良い政策」ではなかったことは、きちんと学べば誰でも分かります」の一言で片づけられてしまうナチスの経済政策は、しかし社会民主党やその支持基盤であった労働運動からすれば、本来自分たちがやるべきであった「あるべき社会民主主義的政策」であったのにみすみすナチスに取られてしまい、結果的に民主的勢力を破滅に導いてしまった痛恨の一手であったのであり、その痛切な反省の上に戦後の様々な経済社会制度が構築されたことを考えれば、目の前のおかしなトンデモ本を叩くために、「逆張り」と決めつけてしまうのは、かえって危険ではないかとすら感じます。

悪逆非道の徒は、そのすべての政策がとんでもない無茶苦茶なものばかりを纏って登場してくるわけではありません。

いやむしろ、その政策の本丸は許しがたいような非道な政治勢力であっても、その国民に向けて掲げる政策は、その限りではまことにまっとうで支持したくなるようなものであることも少なくありません。

悪逆無道の輩はその掲げる政策の全てが悪逆であるはずだ、という全面否定主義で心を武装してしまうと、その政策に少しでもまともなものがあれば、そしてそのことが確からしくなればなるほど、その本質的な悪をすら全面否定しがたくなってしまい、それこそころりと転向してしまったりしかねないのです。田野さんの議論には、そういう危険性があるのではないでしょうか。

まっとうな政策を(も)掲げている政治勢力であっても、その本丸が悪逆無道であれば悪逆無道に変わりはないのです。

繰り返します。

悪逆非道の徒は、そのすべての政策がとんでもない無茶苦茶なものばかりを纏って登場してくるわけではありません。

まっとうな政策を(も)掲げている政治勢力であっても、その本丸が悪逆無道であれば悪逆無道に変わりはないのです。

悪逆無道の輩はその掲げる政策の全てが悪逆であるはずだ、という全面否定主義で心を武装してしまうと、その政策に少しでもまともなものがあれば、そしてそのことが確からしくなればなるほど、その本質的な悪をすら全面否定しがたくなってしまい、それこそころりと転向してしまったりしかねないのです。

第2位は、これはわたしの本領の話で、2月の「ジョブ型と賃上げの関係」です。「賃上げしないと賃金が上がらないので、賃上げをするので賃金が上がるジョブ型社会」と「賃上げしなくても賃金が上がるので、賃上げをしないので賃金が上がらないメンバーシップ型社会」というまことにパラドクシカルなものの言い方をしていますが、筋道は極めて明快でわかりやすいと思います。

ジョブ型と賃上げの関係(ページビュー数:5,504)

ますます訳の分かっていない人があれこれ分からないことを分かったように言うもんだから、ますます訳が分からなくなるというスパイラルに入っているようですな。

ごくごく単純化して言えば、ジョブ型社会というのは、賃上げしないと賃金が上がらない社会だ。

一見同義反復のように見えるし、ジョブ型社会の人々にとっては実際同義反復でしかないのだが、人に値札が付いているんじゃなくて座る椅子に値札が付いている社会だから、同じ椅子に座っている限り賃金は上がらない。

どこかの国の親切な人事部みたいに勝手に昇進させてくれたりしないので、個人レベルで賃金を上げたければ、社内社外の欠員募集に応募して、今よりもっと高い値札の付いた椅子に座るしかない。でも、これは「賃上げ」ではない。

ジョブ型社会の賃上げとは、ほっとくと永遠に上がらない賃金を上げるために、働くみんなが団結して、団体交渉して、時には争議に訴えて、椅子に張り付けられた値札を一斉に高い価格に張り替えること。

賃上げしないと賃金が上がらないのがジョブ型社会というのはそういう意味だ。

ジョブ型社会というのは、賃金を上げたかったら、みんなで「賃上げ」するしかない社会なのだ。

ジョブ型と賃上げの関係というのは、要するにそういうことであって、それ以外のあれこれは全てどうでもいいことだ。上で述べた個人ベースで賃金の高いジョブを狙って上昇するというのは、社会全体の賃金上昇とは関係ない話に過ぎない。そういうのをジョブ型の賃金上昇だと思い込んであれこれ語る人の言っていることは全部無視して良い。

さて、では日本のメンバーシップ型社会はどうか。

ごくごく単純化して言えば、賃上げしなくても賃金が上がる社会だ。

一見語義矛盾のように見えるし、実際ジョブ型社会の人から見ればただのたわごとだろうが、日本の正社員社会ではれっきとした現実だ。

椅子に値札が付いているんじゃなくて人の背中に値札が付いていて、これが毎年少しずつ上がっていく社会だから、同じ椅子に座っていても賃金は毎年上がっていく。椅子も2,3年ごとに順番で次々に席替えをしていくんだが。

この定期昇給というのは、毎年一番賃金の高い人が定年退職していって、一番賃金の低い新入社員が入ってくるので、全体としてはプラスマイナスゼロで総額人件費は変わらないんだが(年齢構成一定ならば)、労働者個人の立場で見れば、毎年確実に賃金が上がってくれる仕組みだ。

ジョブ型社会のノンエリート労働者たちのように、みんなで団結して団体交渉して時には争議に訴えて、椅子に張り付けられた値札を一斉に書き換えるということをしなくたって、自分の賃金は上がるんだ。

自分の賃金だけじゃない。みんなの賃金も同じように上がるのだ。みんなの賃金が上がるのに、その上がったはずの賃金を全部足し合わせると、なぜか全然上がっていないということになるんだけれど、でも、上がっているからいいじゃないか。

賃上げしなくても賃金が上がるのがメンバーシップ型社会というのはそういうことだ。

メンバーシップ型社会というのは、みんなで「賃上げ」しなくても、賃金が上がる社会なのだ。だから、わざわざめんどくさい思いをしてまで「賃上げ」しようとしないのだ。

ジョブ型じゃないということと賃上げの関係というのは、要するにそういうことであって、それ以外のあれやこれやは全部どうでもいいことだ。どうでもいいことばかり語りたがる人がいっぱいいるけれども、どうでもいいことはしょせんどうでもいいことだ。

ということで、以上を(一見パラドクシカルな言い方で)まとめると、

賃上げしないと賃金が上がらないので、賃上げをするので賃金が上がるジョブ型社会と、

賃上げしなくても賃金が上がるので、賃上げをしないので賃金が上がらないメンバーシップ型社会、

ということになるのかな。

第3位は3月の「サヨクとウヨクのウクライナジレンマ」です。

サヨクとウヨクのウクライナジレンマ(ページビュー数:4,593

我が国が東洋平和のためにこんなに一生懸命してやってるのに、鬼畜米英なんかとつるんで敵対しやがってふざけるな、暴支膺懲だ!

という実にいい実例があるにもかかわらず、誰もウクライナ戦争にそれを持ち出そうとしないのは何故か?

中国側の理由は簡単で、習近平がそれを許さないから。内心、プーチンの理屈は大日本帝国と同じやないかと思っている中国人は少なくないと思うが、習近平の世界戦略に反するので、そんなことを匂わせることも許されない。それはよく分かる。

では何故言論が自由な日本でそういう議論がほとんど出てこないのか、といえば、サヨクな人々にとってもウヨクな人々にとっても、それが都合が悪いからだろう。

アメリカ帝国主義がこの世の全ての悪の根源であり、それに抵抗する勢力は何をやらかそうが正義の側に位置するという信念を、かつての平和勢力であった共産圏がほぼ崩壊した後も心の奥底に守り続けてきたサヨクな人々にとっては、反米であるが故に絶対正義の側にあるプーチンを極悪非道であったはずの大日本帝国になぞらえるなどというのは許されない。

逆に、たとえ敗れたりと雖も大東亜共栄圏の理想は正しかったのであり、アメリカとつるんで正義の日本に敵対した支那が悪いんやとの信念を戦後民主主義の悪流の中ですっと守り続けてきたウヨクな人々にとっても、極悪非道のプーチンを絶対正義の大日本帝国になぞらえるなどというのは許されない。

どっちからしても許されないから、そういう誰もが思いつきそうな喩えは出てこなくなるということなんだろう。

第4位は再び労働関係で、9月の「志望動機を聞くのはメンバーシップ型だから」です。これは、あるツイートに触発されたものですが、ちょうどその前日にそこに関わることをしゃべっていたので、そのときのスライドをいくつか挙げています。

志望動機を聞くのはメンバーシップ型だから(ページビュー数:3,787

志望動機ウザすぎだろ お前が募集してたから応募したんだよ

昨日、都内某所で喋っていたことそのものなので思わずぷっと吹き出しました。

001_20230906132001

「この仕事できる人いますか?」というのが募集であり、「はい、わたしこの仕事できます」というのが応募であり、「じゃあ、この仕事やって下さい」というのが採用であり、「では、この仕事やります」というのが就職である。

というのが、日本以外のジョブ型社会の常識中の常識なので、できると言ってるけれど本当にこの仕事ができるのかどうかという点はちゃんと確認しようとするが、志望動機なんていうジョブともスキルとも関係のないどうでもいいことには関心がないのは当たり前。

逆に、日本のメンバーシップ型社会では、「我が社の一員になる気がありますか」というのが募集であり、「はい、御社の一員になりたいです」というのが応募であり、「じゃあ、我が社の一員として粉骨砕身して下さい」というのが採用であり、「では、御社に骨を埋める覚悟で頑張ります」というのが就職なので、ジョブとかスキルとかいうどうでもいいことじゃなくって、志望動機こそが最重要項目になるのは当たり前。

いやいや、それは新卒一括採用の話だろう、これは即戦力を求める中途採用の話なんだぞ、と思ったあなた。詰めが甘い。日本の中途採用は決して素直なジョブ型じゃないのです。

002

ちなみに、今では憶えている人はほとんどいないと思うけど、バブル真っ最中の1989年に、学生援護会のDODA(デューダ)が、「御社に骨を埋めさせていただきます」というCMを流していたんですね。イッセー尾形と大地康雄がいい味を出していました。

Hqdefault

https://youtu.be/NZFaRUgNO2g?si=JjwmxSsZErFFOLeX

第5位は、朝日新聞のインタビュー記事の紹介ですが、子育て支援と増税の問題をめぐって、日本的な「憎税」感覚のもとを探っています。

税金は取られ損の意識はどこから 専門家が指摘する企業頼みの構図@朝日新聞デジタル(ページビュー数:2,852

本日の朝日新聞デジタルに、浜田陽太郎記者による私のインタビュー記事が載っています。

https://www.asahi.com/articles/ASR4W72GWR4VUTFL009.html

Jj 子育て支援のお金をどう集めるのか。岸田政権が訴える「異次元の少子化対策」の成否は財源確保にかかっています。天からお金が降ってくるわけではないので、何らかの形で国民が払わなければならないはず。でも、負担増への拒否感は根強くあります。厚生労働省出身で、労働政策研究・研修機構(JILPT)の濱口桂一郎・労働政策研究所長は、強い拒否感は、日本における雇用のあり方と密接に関係しているといいます。話を聞きました。

 ――岸田政権の訴える少子化対策の財源確保策についてどう見ますか。
 「その質問に関係して最近のエピソードで興味深かったのは、『五公五民』という言葉がネットで急激に盛り上がったことですね」

 ――国民所得に占める税や社会保険料の割合を示す「国民負担率」が、2022年度に47.5%になったと財務省が発表し、ツイッターでトレンド入りしました。
 「取り上げられた税金は我々庶民のところに戻ってくるものではなくて、どこかでうまいメシを食っているあいつらが取るんだと。そんな感覚でしょう」 

 ――「一揆起こさなあかん」とか「江戸時代とどっちがマシなのか」などとつぶやかれたようです。
「自分の取り分を減らして、政府に預けておけば、めぐりめぐって、自分を含めたみんなを潤すという回路が感じられていない」
「でも、それは良い悪いじゃなくって、社会構造がそうなっていたからです」

――どういうことでしょうか。
「自民党や野党が一斉に、児童手当の所得制限をやめるとか言い出しているのに、世論調査をしてみると、反対の方が多い。児童手当は貧しい人のためのもの、みんなに配るなんておかしい。そう考えるのは、勤務先の企業が子育てに必要なお金は面倒をみるべきだという規範が岩盤のようにあるからです」
 「企業が家族を養うための手当を出すんであって、国の手当なんて意味がない、という考え方が主流としてあり、日本社会は動いてきた。国なんかにカネを出すよりも、会社に預けておいた方がいい。残業代がまともに出ないかもしれないのに長時間労働するのは、会社に恩を売っておけばちゃんと自分に返ってくると思っているからです」・・・・・・・・・・・・

その先の方では、これが左派やリベラルといわれるような人々の問題でもあることを指摘しています。

――介護のための社会保険が23年前に導入され、保険料で財源が確保されました。介護と子育て支援はどこが違うのですか。
 「介護保険は新たな公的支援を望む国民の声があったから実現できたと思います。メインストリームにいる人たちにとっても、親の介護は、企業が面倒をみてくれる対象ではなく『公が何とかしなくちゃいかん』というロジックが突破力をもっていた。もちろん、当時も前近代的な家族意識から『年寄りは嫁が面倒をみるべきだ』などと考える政治家らもいたのですが、それよりも『大変だ。どうにかしないと』という有権者の声の方が大きかったということでしょう」

 ――負担が増えても子育て支援を求める有権者の声が高まっていないのでしょうか。朝日新聞の世論調査でも、「少子化対策にあてるため国民負担が増えてもよいか」と尋ねたら、「増えるのはよくない」が6割を占めました。
 「今の50歳以上の人たちの多くは、何とか自分たちで子育てしてきたと思っている。『近頃の若い人たちは子どもに自分のカネを使わないのは何事か』などと感じているのかもしれません。そんな『生活態度としての保守層』が多数派のうちは、負担増の受け入れはなかなか難しいでしょう」 

――大きな壁ですね。
「メンバーシップ型雇用の恩恵を享受してきた保守層は、企業福祉より見劣りすると感じる『政府による福祉』に無意識の敵対心を抱く。そこに小さな政府を志向する新自由主義的なグループや、国家権力による再配分に反発する層も加わり『神聖なる憎税同盟』を形成しているのが日本社会です」

 ――日本では左派やリベラルも増税に否定的ですか。
 「欧州では国民から集めた税金を再分配することこそが社会民主主義です。しかし、日本の戦後の左派にはその感覚が少ない。あったのは税金の廃止を理想とするようなものだった。この日本的な左派と、世界的に広がる新自由主義的なグループの考え方が意図しない形で結びついている。メンバーシップ型を前提とする給料が当然だと考える雇用層も加わって、『五公五民』意識が強化されてきたのではないでしょうか」・・・・・・

第6位は6月の「ジョブ型社会の男女賃金格差、日本の男女賃金格差」で、まさに雇用システムと賃金という真っ正面の話です。

ジョブ型社会の男女賃金格差、日本の男女賃金格差(ページビュー数:2,793)

ジョブ型社会とは同一ジョブ同一ペイであり、裏返して言うと異なるジョブ異なるペイである。この一番肝心要が分かっていない人が多いが、ジョブ型社会とはジョブがもっとも正当な格差をつける理由となる社会である。

それゆえ、同じジョブで男女平等であったとしても、ジョブの性別分布によって社会全体としては男女不平等となる。よりアグレッシブで闘争的な(いわゆる「マッチョ」な)高給ジョブは男性が多く、より対人関係配慮的でケア志向的な(いわゆる「フェミニン」な)低給ジョブは女性が多いからである。それを問題だとする労働フェミニストと雖も、ジョブ型社会の根本原則(異なるジョブ異なるペイ)を否定するわけではなく、高給ジョブに女性をもっと多くしろというか(ポジティブアクション)、女性の多いケア労働などの低給ジョブの職務評価をもっと高くしろ(正確な意味での同一価値労働同一賃金)ということになる。

同一ジョブでも成果によって差をつける成果給は、少数派ではあるが近年拡大傾向にある。ただ、圧倒的に多くの日本人の認識とは逆に、ジョブ型社会の成果給とは、そうしなければジョブにへばりついた固定価格から上げられない賃金を成果を上げたという理由で個別に引き上げるものである。

そして、近年労働フェミニストが問題だとしているのは、このジョブ型社会の成果給が男性により有利に、女性にはより不利に働いているという点だ。これはジョブの性別分布のために、アグレッシブで闘争的なジョブほど成果給による個別引上げが容易であり、対人関係的でケア的なジョブほどそれが困難だからである。男性の方が成果給の恩恵を受け、女性は成果給の恩恵を受けにくいことそれ自体が間接差別であるというロジックだ。

日本的なメンバーシップ型社会では、以上のロジックがすべて逆向きに回転する。

メンバーシップ型社会とは同一身分同一賃金であり、裏返して言えば異なる身分異なる賃金である。やってる仕事が同じか違うかなどという枝葉末節はどうでもよくて、同じ正社員か、同じ総合職か、といった身分がすべてである。

それゆえ、男女賃金格差の生成要因は主として、男女の雇用区分間の分布の不均衡によるものとなる。男性は正規に多く、女性は非正規に多い、男性は総合職に多く、一般職はすべて女性である。それゆえ、それを解決するロジックも、女性をより多く正規へ、総合職へ、というコースの平等を志向することとなる。

日本的な年功賃金は決してストレートな年齢給、勤続給ではなく、ほぼ全員に対して能力評価、情意評価というブラックボックスによる差別化が行われる点に特徴があるが、ここで意識的無意識的に男性に高評価、女性に低評価の傾向が生じるのは、会社への貢献志向度(実際にどれくらい貢献したかではなく、貢献する気があるか)に自ずから男女差があるからである。

さて、日本でも成果主義と称する賃金制度が四半世紀前に導入されたが、その意味合いはジョブ型社会の成果給とは全く逆であった。ほっとくと上がらない賃金を、成果を上げた労働者について個別的に引き上げるのがジョブ型社会の成果給だが、それとは全く逆に、日本の成果主義というのは、ほっとくと(能力が毎年上がっているという建前に基づいて)ほっとくとどんどん上がってしまう(主として中高年男性の)高賃金を、「お前は成果を上げていないではないか」と難癖をつけて個別に引き下ろすための道具である。

よって、成果主義の影響をもろに受けるのは能力評価の積み重ねで上がりきってしまった中高年男性であって、その結果相対的に男女格差を縮小する効果をもたらすことになる。別段女性が成果主義で高く評価されて引き上げられるなどということはないのだが、結果的に特殊日本型成果主義は特殊日本型能力主義による中高年男性の高給を引き下げることによって、女性を相対的に引き上げることになる。

成果給の男性バイアスを厳しく批判するジョブ型社会の労働フェミニストから見れば、信じられないようなアリスのワンダーランドというべきであろうか。

第7位は贈呈いただいた本の紹介で、3月の「カール・マルクス『一八世紀の秘密外交史』」です。この本、結構評判を呼んだようなので、6月には『労働新聞』の書評にも取り上げました。

カール・マルクス『一八世紀の秘密外交史』(ページビュー数:2,315

621504_lrg カール・マルクス『一八世紀の秘密外交史 ロシア専制の起源』(白水社)をお送りいただきました。

https://www.hakusuisha.co.jp/book/b621504.html

と、書くと、えっ?と思われる方も多いかも知れません。

いや、正真正銘の、あのひげのおじさんのマルクスの本です。ただし、浩瀚なマルクス・エンゲルス全集には収録されていない稀覯論文です。

なぜ収録されていないか?それは、レーニンや、とりわけスターリンの逆鱗に触れるような中身だからです。

タタールの軛がもたらしたものは? なぜロシアは膨張したのか? クリミア戦争下構想され、数奇な運命を辿ったマルクスによるロシア通史。

「ロシアが欲しいのは水である」

資本主義の理論的解明に生涯を捧げたマルクス。彼はこの『資本論』に結実する探究の傍ら、一八五〇年代、資本の文明化作用を阻むアジア的社会の研究から、東洋的専制を発見する。
他方、クリミア戦争下に構想された本書で、マルクスはロシア的専制の起源に東洋的専制を見た。ロシア社会の専制化は、モンゴル来襲と諸公国の従属、いわゆる「タタールの軛」(一二三七―一四六二)によってもたらされたと分析したのである。
このため、マルクスの娘、エリノアの手になる本書は歴史の闇に葬られ、とりわけ社会主義圏では一切刊行されなかったという。
とはいえ、東洋的専制という問題意識は、その後、本書の序文を書いたウィットフォーゲルによって深められた。
フランクフルトの社会研究所で頭角を現した彼は、『オリエンタル・デスポティズム』(一九五七年)に収斂していく研究で、専制の基底に大規模灌漑を要する「水力世界」を見出し、さらに、ソ連・中国の社会主義を東洋的専制の復活を見た。
ウクライナ戦争が長期化する中、ロシアの強権体質への関心が高まっている。本書収録「近代ロシアの根源について」は今こそ読まれるべきだ。

そう、マルクスを崇拝していると称するロシアや中国といった諸国の正体が、まごうことなき東洋的専制主義であることを、その奉じているはずのマルクス本人が、完膚なきまでに暴露した本であるが故に、官許マルクス主義の下では読むことが許されない御禁制の書として秘められていた本というわけです。

そういうクリミア戦争を見ながら書かれた19世紀の本が、いま新た日本訳されて出版されるのは何故かと言えば、いうまでもなく、歴史は繰り返しているからです。今目の前で進行しつつあるウクライナ戦争を理解する上で最も役に立つのが、19世紀のマルクスの本だというのは何という皮肉でしょうか。

そして、本書のマルクスが書いたあんこの部分を包む皮の部分を書いているのが、70ページに及ぶ序文を書いているのが、あの東洋専制主義の大著を書いたカール・ウィットフォーゲルであり、40ページ近い解説を書いているのが、中国の専制主義を論じた福本勝清さんであり、その後の10ページ弱のあとがきを書いているのが本ブログでも何回も登場している石井知章さんという風に、いずれも中国の専制主義に強い関心を持っている人々である、というのも、まさに今日のアクチュアルな関心にぴたりと対応していると言えましょう。

序(ウィットフォーゲル)
 Ⅰ ロシア—どこへ? 人類—どこへ?
 Ⅱ マルクスのロシアに関する発見をめぐる深くかつ矛盾だらけの根源
 Ⅲ ピョートル大帝への再評価と世界史の新しい視点への切り口
 Ⅳ ロシア政治に関するある新しい歴史草案──大掴みで不安を煽るようなもの
 Ⅴ マルクスの『一八世紀の秘密外交史』を超えて──「アジア的復古」
 Ⅵ 「偶然」と「自由」──マルクスが残した最高の遺産
第一章 資料と批判 一七〇〇年代のイギリス外交とロシア
第二章 北方戦争とイギリス外交──『北方の危機』
第三章 イギリスのバルト貿易
第四章 資料と批判 イギリスとスウェーデンの防衛条約
第五章 近代ロシアの根源について 
第六章 ロシアの海洋進出と文明化の意味
 解説(福本勝清)
 あとがき(石井知章)
 人名索引/関連年表

第8位は、これもあるツイートに触発されたものですが、9月の「ポンコツジョブとポンコツ従業員 」です。

ポンコツジョブとポンコツ従業員(ページビュー数:2,073)


アメリカ社会の凄い所は、基本的にクズでポンコツでヤル気も能力もない従業員が作業をしても、全体では生産性が高くなるように、一部のとてつもなく優秀な人たちが良い仕組みを作り続けてることだと思うな。マネジメントってそういう事だよね。バカとハサミは使いよう。

正確に言えば、ポンコツでも務まる下級ジョブにはそれにふさわしい人を選んではめ込み、その上のまあまあな人でないと務まらないけどまあまあな人でも務まる中の下のジョブにはそういう人を選んではめ込み、その上のそれなりの人でないと務まらないけどそれなりの人なら務まる中の中のジョブにはそういう人を選んではめ込み、その上の相当な人でないと務まらないけど相当な人なら務まる中の上のジョブにはそういう人を選んではめ込み、その上のとても優れた人でないと務まらないような上級ジョブにはそういう人を選んではめ込む、というのが、実際にそういう風に理想的になっているかどうかは別として(かなりの場合そうなっていないんだろうけど)、少なくとも理念型としてのジョブ型組織のあるべき姿ということになっているはず。

上記ツイート(X)は、まずそもそもの前提として具体的なジョブへのはめ込み以前に「クズでポンコツでやる気も能力もない従業員」という一般的存在を前提としている点で、極めて日本的な組織の有り様に引きずられた考え方になっているように思われる。

正確に言えば、日本の組織というのは、ジョブ型社会ならポンコツ用の下級ジョブから優秀者用の上級ジョブまで、何でもやらせる前提の『能力』の高いことになっている従業員が、ジョブなどという硬直的なものにとらわれずにフレキシブルにその『能力』を発揮して仕事をするということになっているので(これまた理念型であって、実際にはそんなうまい具合に行かないことが多いんだけど)、うまくいかないと従業員がポンコツやからだめなんやと責任をなすりつけたがるんだろうね。

第9位もそうなんですが、これは為末大さんの広末涼子の一件へのツイートへの反応です。

言いたい(であろう)ことには賛成なんだが、言ってることは完全にナンセンス(ページビュー数:1,869

Merytld4 為末大さんのこのつぶやきには、何というか、言葉を失う。

https://twitter.com/daijapan/status/1668801359993536513

ワークライフバランスも、兼業副業も、ジョブ型も、その本質は公私の切り離しだと思いますが、日本で実現するのは難しそうです。
広末涼子を無期限謹慎処分、所属事務所が発表「鳥羽様との関係は記事のとおり」本人が報道認める

いや、為末さんの言いたいこと、と言うかたぶん言いたいのであろうこと、というかおそらくこういうことを言いたいんじゃないのかな,と想像されることに対しては、ほぼ完全に賛成なのだ。女優が不倫したからと言って無期限謹慎処分とか、日本はいつからイランやアフガン並みの道徳警察だらけの嫌らしい国に成り果てたんだと言いたいんだろうと思う。

でもね、それとワークライフバランスも、兼業副業も、いわんやジョブ型も、何の関係もない。ちょびっとはかすっているかという気配もない。かけらもない。なので、このつぶやきは完全にナンセンスな台詞になっちゃっているんだな。

なんでこんな全くかけらも関係のない労働関係のバズワードが広末不倫一件でぞろぞろ湧いてくるのか謎の極みではありますが、たまたまニュースで耳に入った意味不明の言葉がなぜかふっと湧いて出た、というだけではないとすると、もしかしたらこういうことかなという謎解きを。

もしかしたら、為末さんの脳内では、女優業というのがワークで、男女関係というのがライフで、不倫で女優業から下ろされるというのはワークとライフのバランスを取り損なったというイメージなのかも知れない。ふむ、でもそれは、ワークライフバランスという労働用語とはかけらも関係がない。

もしかしたら、為末さんの脳内では、女優業というのが本業で、男女関係というのが副業で、不倫で女優業から下ろされるというのは本業と副業がバッティングしてしまったというイメージなのかも知れない。ふむ、でもそれは、兼業副業という労働用語とはかけらも関係がない。

ここまでは何とか解読作業ができたけれども、最後のジョブ型だけは全く歯が立たない。そのジョブ型という労働用語を作り出し、いろいろと本も書いた当の本人にも全く理解できない。何でここにジョブ型が出てくるんや。誰か教えてくれ。

もしかしたら、明日(6月15日)発売の『季刊労働法』夏号のジョブ型特集に、そのヒントが見つかるかも知れませんね。

で、第10位にはなぜか2019年の「「工業高校」と「工科高校」の違い」が入っていて、これは昨年のランキングでも第10位に入っていて、なぜこんな地味な記事が読まれ続けているのか、書いた本人にもよくわかりかねるのですが、なんなんでしょうね。

「工業高校」と「工科高校」の違い (ページビュー数:1,809

正直意味がよくわからないニュースです。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191122/k10012186251000.html (「工業高校」を一斉に「工科高校」に変更へ 全国初 愛知県教委)

愛知県の教育委員会が、県立の「工業高校」13校の名称を、再来年4月から一斉に「工科高校」に変更する方針を固めたことが分かりました。科学の知識も学び、産業界の技術革新に対応できる人材を育成するのがねらいで、工業高校の名称を一斉に変更するのは全国で初めてだということです。 ・・・

いやまあ、高校の名称をどうするかは自由ですが、その理由がよくわからない。

・・・関係者によりますと、すべての県立工業高校の名称について「工学だけでなく、科学も含めた幅広い知識を学ぶ高校にしたい」というねらいから、再来年の4月から一斉に「工科高校」に変更する方針を固めたということです。・・・

ほほう、「工業高校」だと科学は学べないとな。「工科高校」だと科学が学べるとな。

「工業高校」の「業」は「実業」の「業」ですが、「工科高校」の「科」は「科学」の「科」だったとは初めて聞きましたぞなもし。

東京工業大学は実業しか学べないけど、東京工科大学は科学が学べるんだね。ふむふむ。

というだけではしょうもないネタなので、トリビアネタを付け加えておくと、東京工業大学は前身は東京高等工業学校でしたが、それとならぶ東京高等商業学校は、一橋大学になる前は東京商科大学でした。一方が「業」で他方が「科」となった理由は何なんでしょうか。

ちなみに、東京高商と並ぶ神戸高等商業学校は、大学になるときには神戸商業大学と名乗っていますな。今の神戸大学の前身ですが、同じ商業系でもこちらは「科」じゃなくて「業」です。

さらにちなみに、神戸商科大学というのもあって、これは戦前の兵庫県立神戸高等商業学校が戦後大学になるときにそう名乗ったんですね。今の兵庫県立大学の前身です。

なんだか頭が混乱してきましたが、東京商科大学は戦時中東京産業大学と名乗っていたので、別に「業」を忌避していたわけでもなさそうです。

さて、今年の10位以内には入らなかったけれども、いかにも今年の記事らしいものとして、第12位の「桃色争議 」を挙げておきましょう。今も毎朝放送されている連続テレビ小説「ブギウギ」に出てきた桃色争議の実話編です。

桃色争議(ページビュー数:1,746

G7736 朝の連続テレビ小説「ブギウギ」は、いよいよ桃色争議が佳境に入っていくようですが、そういえば2年前に紹介した『日本人の働き方100年 定点観測者としての通信社』に、この桃色争議の写真があったのではないかと思い出しました。

テレビでは「梅丸少女歌劇団」となっていますが、もちろんこれは現実に存在した松竹少女歌劇団のことです。この少女たちが、1933年(昭和8年)に起こしたのが、有名な桃色争議です。

『日本人の働き方100年 定点観測者としての通信社』に載っているこの写真は、東京の水ノ江滝子を中心とする争議団で、大阪の三笠静子(テレビでは福来スズ子)らが参加したものではありませんが、でも当時の争議の雰囲気が良く伝わってきます。

_prw_pi3lg_hp057ypf_20231021183601

多くの人は勘違いをしていますが、戦時体制下に近いこの時代でも、今日に比べると遙かに多くの労働争議が起こっていたのです。

この1933年には、全国で1897件の争議が起こり、115、733人が参加していました。今日のスト絶滅に近い状態とは対照的です。

それだけではなく、この時代には、こうした芸能人が労働者としてストライキをするということに対して、誰も疑問を呈することがなかったということも、今日改めて考え直す必要がありそうです。

芸能人は労働者に非ず、自営業者なり、というおかしな理屈がまかり通って、労働者としての権利を行使することもできなくなっている今日のおかしな状況を考え直す上で、1933年という戦争直前の時期に少女歌劇団の少女たちが起こしたストライキが提起するものがかなり大きなものがあるはずです。

(参考)

芸人は民法上れっきとした雇傭契約である件について

第12章 雇傭及ヒ仕事請負ノ契約

第1節 雇傭契約  

第260条
 使用人、番頭、手代、職工其他ノ雇傭人ハ年、月又ハ日ヲ以テ定メタル給料又ハ賃銀ヲ受ケテ労務ニ服スルコトヲ得  

第265条
 上ノ規定ハ角力、 俳優、音曲師其他ノ芸人ト座元興行者トノ間ニ取結ヒタル雇傭契約ニ之ヲ適用ス

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023年12月14日 (木)

EUのプラットフォーム労働指令に理事会と欧州議会が合意

2022_12_digital_platform_workers_thumbna EUの理事会と欧州議会のサイトに、両者がプラットフォーム労働指令に合意したというニュースが報じられているので、多分間違いなくそうなったんでしょう。

Rights for platform workers: Council and Parliament strike deal

Platform work: deal on new rules on employment status

現時点では、どちらにも合意したとされる条文が載っていないので、その記事を紹介するしかありませんが、労働者性については5要件のうち2つを満たせばいいということになったようです。

The provisional agreement reached with the Parliament today addresses these cases of misclassification and eases the way for such workers to be reclassified as employees. Under the agreement, workers will be legally presumed to be employees of a digital platform (as opposed to self-employed) if their relationship with the platform fulfils at least two out of five indicators set out in the directive. These indicators include:

  • upper limits on the amount of money workers can receive
  • supervision of their performance, including by electronic means
  • control over the distribution or allocation of tasks
  • control over working conditions and restrictions on choosing working hours
  • restrictions on their freedom to organise their work and rules on their appearance or conduct

According to the agreed text, member states may add further indicators to this list as a matter of national law.

In cases where the legal presumption applies, it will be up to the digital platform to demonstrate that no employment relationship exists according to national law and practice.

条文がアップされれば、詳細な検討を加えてみたいと思います。

 

 

2023年12月13日 (水)

江夏幾多郎,岸野早希,西村純,松浦民恵編著『新・マテリアル人事労務管理』

L16619 江夏幾多郎,岸野早希,西村純,松浦民恵編著『新・マテリアル人事労務管理』(有斐閣)をお送りいただきました。

新・マテリアル人事労務管理

人事労務管理をめぐる100のトピックに関して,実態を表す“マテリアル”(グラフや数表,概念図など)を提示し,1~2頁ずつで解説する。章構成や項目立てを刷新したリニューアル版。

かつて佐藤博樹、藤村博之、八代充史という今や大御所の3人によって刊行されていたものを、「新」をつけて、若手研究者による共同執筆の書として生まれ変わらせたということです。

編著者は中堅ですが、各項目を執筆しているのは博士後期課程とか助教とか研究員といった若手の人々ですね。

なお、編著者4人の執筆になる「002 戦後の人事労務管理」は、たった1ページに戦後の変遷をすべてぶち込んでまとめた文章になっています。

 

 

 

2023年12月11日 (月)

『季刊労働法』冬号はストライキ特集

283_h1 『季刊労働法』冬号の宣伝が出ていますが、今号は「ストのない日本と世界のスト」が特集のようです。

https://www.roudou-kk.co.jp/books/quarterly/11427/

特集:ストのない日本と世界のスト
 物価高等を背景に、各国でストが頻発する一方、日本におけるストは発生そのものが珍しいものとして注目されがちです。政府や使用者側が賃上げの旗を振っているようにも見え、労使関係においてストの影が薄くなっています。諸外国のストの現状を概観し、その意義を再考します。 

日本におけるストライキの停滞状況に関する法的分析―団交権中心論の歴史的意義と限界 大分大学准教授 小山 敬晴

ドイツにおけるストライキの現在 名古屋経済大学教授 榊原 嘉明

フランスにおけるストライキ権の個人的特質―民間一般労働者と公役務就業者との対比を中心に 弘前大学助教 渋田 美羽

イギリスにおけるストライキの現状と法的課題―争議権保障と2023年ストライキ(最低サービス水準)法をめぐって 東京大学教授 神吉 知郁子

ストライキに対するアメリカ労働法上の保護の動揺?:Glacier Northwest 事件判決を素材として 法政大学准教授 藤木 貴史

いずれも生きのいい若手研究者による論文で、是非読みたいと思わせます。

●第2特集では、教員の労働問題を取り上げます。23年3月に出た最高裁判決と給特法の問題だけにとどまらず、なり手不足、質の確保といった教員の労働市場問題、教員の仕事、その裁量性・専門性をどう捉えるか、などといった点からの論稿も掲載します。

 公立学校教員の時間外勤務をめぐる新争点―埼玉教員超勤訴訟上告棄却決定を受けて― 大阪大学准教授 髙橋 哲

教員が苦慮し、教員志望者が不安視する「保護者対応トラブル」の現状 大阪大学名誉教授 小野田 正利

新たな段階に入った教員未配置問題 公教育の構造的危機 ゆとりある教育を求め全国の教育条件を調べる会 山﨑 洋介

所定勤務時間における「授業準備」の位置付けにみる教師の専門性と裁量性 埼玉大学教授 北田 佳子

その他の論文は以下の通りです。

【集中連載】AI・アルゴリズムの導入・展開と労働法
フランスにおけるAI・アルゴリズムへの労働法規制の一考察―集団的アプローチの意義と課題 大分大学准教授 小山 敬晴

■論説■
固定残業代の割増賃金該当性―熊本総合運輸事件最高裁判決(最二小判令5・3・10労判1284号5頁)を踏まえて 専修大学教授 石田 信平

労災保険のメリット制適用事業主の手続保障と受給被災者保護の問題と提言 弁護士 安西 愈 弁護士 柊木野 一紀

「特定技能2号」の対象分野拡大の意義と課題 弁護士 山脇 康嗣

■要件事実で読む労働判例―主張立証のポイント 第6回■
整理解雇に関する要件事実―日本航空運航乗務員解雇事件・東京高判平成26・6・5労経速2223号3頁を素材に 弁護士 中山 達夫

■アジアの労働法と労働問題 第54回■
インドネシアにおける企業別組合の実情―増大する警察権力と迷走する組合― 弁護士・法学博士 イク・ファリーダ 法学博士 鬼 正一

■労働法の立法学 第68回■
健康診断の労働法政策 労働政策研究・研修機構労働政策研究所長 濱口 桂一郎

■判例研究■
デジタルプラットフォーム就労者(ウーバーイーツ配達パートナー)の労組法上の労働者性 Uber Japan ほか1社事件(東京都労委令和4年10月4日命令) 北海道大学法学研究科博士後期課程 松田 朋彦

■重要労働判例解説■
パワーハラスメントを理由とした消防職員の分限免職処分 長門市・市消防長事件(最三小判令和4年9月13日労判1277号5頁) 全国市長会 戸谷 雅治

■追悼■
道幸哲也先生を偲んで 北星学園大学教授 加藤 智章 

私の連載は、健康診断です。

 

 

 

河野龍太郎『グローバルインフレーションの深層』

29340 河野龍太郎『グローバルインフレーションの深層』(慶応義塾大学出版会)をお送りいただきました。

グローバルインフレーションの深層

「大いなる過熱」の後に何が起きるか
コロナ禍を機に急激なインフレが世界を襲った。第一の原因は、先進各国の大規模な財政政策だ。第二の原因は、インフレを一時的と誤認し、サプライチェーンの寸断など供給ショックに怯えた中央銀行が利上げに出遅れたことだ。今や米国の高金利が誘発する超円安は、供給能力の低くなった日本のインフレを助長し、同時に財政インフレリスクも忍び寄る。局面打開に何が必要か。著名エコノミストが理論・歴史・政治・国際的視点から金融経済の行方を読み解く得心の一書!
・長い間、ゼロインフレと経済停滞に苦しんできた日本でも、この一、二年は、いきなり3~4%の物価上昇が見られた。この世界的な高インフレ状況(グローバルインフレーション)と、それが日本の経済社会に及ぼすさまざまな影響、そして国際通貨としての「円」の賞味期限について、詳しく、しかしわかりやすく論じた、モヤモヤ感を解消できる納得の一冊。
・グローバルインフレと、グローバルな視点から見た日本のインフレへの影響が本書の縦糸だとすると、横糸として、それぞれの問題に関し歴史的・政治的・文化的な視点を交えた分析を盛り込んでいる。
・今後、仮にインフレが長引き、急激な利上げが必要になった時には、四半世紀もゼロ金利が続いてきたわが国では、欧米以上に金融経済への衝撃は大きいはずだ。物価高に利上げが追いつかなければ、超円安が進む恐れもある。今後どのようなリスクが想定されるか、それを回避する手立てはあるのか、といった事柄に対しても有益な示唆を与えてくれる。 

河野さんからは、昨年『成長の臨界』という大著をいただき、「ああ、広くて深い議論というのはこういうのをいうんだな、と、ページをめくりごとに感じさせられる本」という感想を呈させていただいておりましたが、今回はグローバルインフレについて深堀りされています。

第1章 1ドル150円台の超円安が繰り返すのか
超円安時代の到来/1ドル150円台の衝撃/ジャンプした均衡実質為替レート/構造変化の原因を探る/好循環なのか/長期実質円安の実相/実質円高のトレンドが終わったのは1990年代半ば/「世界一物価の高い日本」から「安い日本」へ/長期実質円安の原因
第2章 グローバルインフレの真因
繰り返すショックと中央銀行の誤算/何が過去30 年の物価安定をもたらしたのか/三度のショックと誤診/一時的なショックだったのか/システマティック・エラーの中で沈む中央銀行の信認/インフレ期待はアンカーされていたのか/「信認」に頼りすぎた中銀/r*の過小評価と高いインフレの許容/ライス論文の日本へのインプリケーション
第3章 グローバルインフレは財政インフレなのか
しつこく高いインフレは、いつでもどこでも財政的現象/2022年のジャクソンホール/財政インフレ論を唱えるビアンキ=メロージ論文/財政インフレがもたらす金融システムへのストレス/1980年代初頭のグレートインフレーション終息のもう一つの理由/グレートインフレ終息の真の立役者はレーガンか/日本のゼロインフレはグレートインフレの早期克服が遠因
第4章 構造インフレ論、中国日本化論、強欲インフレ論
米中新冷戦と構造インフレ論/リベラルな国際秩序の崩壊と構造インフレ論/日本への思わぬ恩恵/デジタル社会の加速と種の限界/中国が直面する日本化(ジャパニフィケーション)問題/グッドハートらの高インフレ再来論/グローバルインフレと逆行する中国の実相/補
論・強欲インフレの意外な真実/強欲が原因ではなかった/カンザスシティ連銀論文の詳細/今後の日米欧へのインプリケーション
第5章 日本がアルゼンチンタンゴを踊る日
少子化対策と財源問題/規範に縛られる日本人/異次元の少子化対策の落とし穴/岸田政権下で変質する財政スタンス/国際通貨「円」を保有する日本の公的債務の持続可能性/先進国と新興国の大きなちがい/国際通貨「円」の賞味期限 

私が何がしか感想を呈することができそうなのは第5章の「少子化対策と財源問題」のあたりくらいでしょうが、ここで言われていることは全く同感という感じです。

・・・1986年の男女雇用機会均等法の施行以降、働き方に関して言えば、日本でもジェンダー平等が大きく進んだが、それは、常に女性が男性の働き方に近づく形での進展であった。非正規雇用に関して言えば、かつては主婦のパートや学生のアルバイトとみなされていた時代もあり、男性が女性の働き方に近づいたとも言える。

 しかし、正規雇用に関して言えば、男性の働き方は週休二日制の導入で昭和のモーレツサラリーマンの時代から多少変わったとはいえ、大枠は変わらず、基本的には、総合職となった女性が男性の働き方に近づいている。そうした場合、多くの妻は、苛烈な有償労働の後に家事、育児などの無償労働を一人でこなさなければならない。これでは、一部のスーパーウーマンを除くと、なかなか二人目の出産とはならないのだろう。・・・・

ちなみに、河野さんは「少子化対策の財源は、最善策としては、消費税のような付加価値税であると考えてい」ますが、「日本社会は消費税に対するアレルギーがあまりにも強く、消費税に財源を求めるのは、もはや現実的ではない」という諦観を示しています。

 

 

佐藤博樹,藤村博之,八代充史『新しい人事労務管理 第7版』

L22227 佐藤博樹,藤村博之,八代充史『新しい人事労務管理 第7版』(有斐閣アルマ)をお送りいただきました。第6版が2019年でしたから4年ぶりで、奥付を見るときれいに見事に4年間隔で改定されていることがわかります。

新しい人事労務管理 第7版 これからの雇用とキャリアを考えるために

この間に何が変わったのかというと、佐藤博樹さんが中央大学を辞められ、中央大学ビジネススクールで私の非常勤の受け入れ責任者でなくなったことと、藤村博之さんが法政大学を辞められてわたくしの直属の上司としてJILPTに来られたことでしょうか。

 日本企業の実態を踏まえて人事労務管理を解説する好評定番テキスト。ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用,エンゲージメント,リスキリング,アルムナイなど,雇用をめぐる環境や考え方が大きく変化しつつある中,必須となる基礎的な理解を得られる最新版。

目次
第1章 企業経営と人事労務管理──人事労務管理の機能と担い手
第2章 雇用管理──人と仕事の結びつき
第3章 職能資格制度と職務等級制度──人事制度と昇進管理
第4章 賃金管理──給与決定の仕組み
第5章 労働時間と勤務場所の管理──労働サービスの供給量と供給のタイミングの管理
第6章 能力開発──能力を高める意義と方法
第7章 非正規従業員と派遣労働者──コンティンジェント・ワーカーの活用
第8章 従業員の生活支援──企業の福利厚生制度
第9章 労使関係管理──労働者の利益をいかに守るか
第10章 人事労務管理の変遷と展望──歴史的・国際的な位置づけ
終 章 幸せな職業人生を送るために

 

 

2023年12月 6日 (水)

野村駿『夢と生きる バンドマンの社会学』

635068 野村駿『夢と生きる バンドマンの社会学』(岩波書店)をお送りいただきました。

https://www.iwanami.co.jp/book/b635068.html

人生を賭ける夢に出会えたことの幸福と困難――。いつの時代にも少数派ながら「卒業したら就職する」という、普通とされる生き方を選ばない者がいる。夢は諦めに終わるのか、形を変えて続くのか? 数年にわたる二十代から三十代のバンドマンへの貴重なインタビュー調査をもとに現代の「夢追い」のリアルな実態を描き出す。

第3章が、夢追いと働き方の葛藤を扱っています。

 第3章 フリーターか正社員か――夢追いに伴う働き方の選択
  1 フリーターとして夢を追い始める
  2 なぜフリーターを選択するのか
  3 なぜフリーターであり続けられるのか
  4 そもそもフリーターになるべきなのか――正社員バンドマンの存在
  5 夢を追うためにフリーターになるか、正社員になるか

バンドという一番大事なことをきちんとやろうとすると、正社員ではだめでフリーターでないとやれない。

-フリーターを選んだ理由には、何があるの?

カズマ:正社員だと、絶対中途半端になっちゃうだろうなあって思ったから。

-中途半端って何かができなくなるとか?

カズマ:ライブも多分限られてくる。できる日にちが。みんなの予定も合わせられない。とにかくバンドに制限がたくさんできちゃうから。

これはこの世界では規範化すらされているようです。

リク:それね、本当ね、僕も一時期めっちゃ思ってました。なんか、もうバンドにどんだけ時間割けるか。バンドというものに対して、めちゃくちゃシビアに時間を使っていける。たとえば、バイトとかなら融通が利いちゃうわけじゃないですか。そういう立場であることがめちゃくちゃ大事やって、もうなんとなくそうやって思い続けてきた時期があって。バンドにどんだけ尽力するかみたいな。

なんだか、会社にどれだけ尽力するかみたいな、昭和の会社人間の感覚と、ポジとネガが反転しているだけでよく似ているような気もしないではありません。

いずれにしても、こういう規範を内面化した若者たちに、フリーターを強いられているかわいそうな若者への就労支援政策というのは、そもそもほとんど響かないものであろうことは確かなようです。

 

 

 

 

 

 

2023年12月 5日 (火)

逢見直人さんが『家政婦の歴史』を書評@『改革者』

23hyoushi12gatsu 政策研究フォーラムの『改革者』12月号で、元UAゼンセン会長の逢見直人さんに、拙著『家政婦の歴史』を書評いただいています。

http://www.seiken-forum.jp/publish/top.html

・・・・・著者は、裁判所が、家政婦は家事使用人に当たるので労基法の適用除外と単純に判断したこと自体が間違いであるとして、「家政婦の歴史」をひも解いていく。そこから「家政婦」という職業が労働基準法と職業安定法という二つの労働法の谷間で翻弄された驚くべき事実を知らされることになる。・・・・・

・・・・・家政婦をこの落とし穴から救い出す必要がある。

 

2023年12月 3日 (日)

今年1年間の『労働新聞』書評たち

今年も最後の月になりました。この1年間、『労働新聞』に月1回連載してきた書評も12回分溜まりましたので、例によってまとめておきます。

グレゴワール・シャマユー『統治不能社会』

726d577b64d21123af489672df0965cf 『労働新聞』に月イチで連載している書評コラムですが、今年からまたタイトルが変わり、「書方箋 この本、効キマス」となりました。

その第1回目に私が取り上げたのは、グレゴワール・シャマユー『統治不能社会』(明石書店 )です。

https://www.rodo.co.jp/column/143561/

 半世紀前の1975年に、日米欧三極委員会は『民主主義の統治能力』(サイマル出版会)という報告書を刊行した。ガバナビリティとは統治のしやすさ、裏返せばしにくさ(アンガバナビリティ)が問題だった。何しろ、企業の中では労働者たちがまるでいうことを聞かないし、企業の外からは環境や人権問題の市民運動家たちがこれでもかと責め立ててくる。本書はその前後の70年代に、欧米とりわけアメリカのネオリベラルなイデオローグと企業経営者たちが、どういう手練手管を駆使してこれら攻撃に反撃していったかを、膨大な資料―それもノーベル賞受賞者の著作からビジネス書やノウハウ本まで―を幅広く渉猟し、その詳細を明らかにしてくれる。

 評者の興味を惹いた一部だけ紹介すると、それまでの経営学ではバーリ=ミーンズやバーナムらの経営者支配論が優勢で、だからこそその権力者たる経営者の責任を問い詰める運動が盛んだったのだが、この時期にマイケル・ジェンセン(3340号7面参照)がその認識をひっくり返すエージェンシー理論を提唱し、経営者は株主の下僕に過ぎないことになった。そもそも企業とはさまざまな契約の束に過ぎない。従って、理論的に企業の社会的責任などナンセンスである。一方でこの時期、ビジネス書などで繰り返し説かれたのは、(厳密にはそれと矛盾するはずだが)問題が大きくなる前に先制的に問題解決に当たれという実践論だった。

 本書は今では我われがごく当たり前に使っている概念が、この時期に企業防衛のために造り出されたことを示す。たとえばコスト・ベネフィット分析がそうだ。労災防止や公害防止の規制は、それによって得られる利益と比較考量して、利益の方が大きくなければすべきではないという議論が流行った。本書が引用するアスベスト禁止の是非をめぐるマレー・ワイデンバウム(レーガン政権で経済諮問委員長になった経済学者)とアル・ゴアのやり取りは、それなら人命に値段をつけろと迫られて逃げ回る姿がたいへん面白い。

 思想史的には、70年代以後のネオリベラル主義が戦前ナチスに傾倒したドイツの政治思想家カール・シュミットとその影響を受けたネオリベラル経済学者ハイエクの合体であることを抉り出した点が新鮮だ。73年にチリのアジェンデ政権を打倒して成立したピノチェト軍事政権に対し、当時主流派のポール・サミュエルソンが「ファシスト資本主義」と批判したのに対し、ハイエクは「個人的には、リベラルな独裁制の方が、リベラル主義なき民主政府より好ましいですね」と答えている。いうまでもなくこの「リベラル」とは経済的な制約のなさを示す言葉であり、その反対語「全体主義」とは国家が市民社会に介入すること、具体的には福祉国家や環境規制がその典型だ。そういう悪を潰すためには、独裁者大いに結構というわけだ。

 とはいえ、先進国で用いられた手法はもっとソフトな「ミクロ政治学」だった。正面から思想闘争を挑む代わりに、漸進的に少しずつ「民営化」を進め、気が付けば世の中のあれこれがネオリベラル化している。その戯画像が、野球部の女子マネージャーにドラッカーの『マネジメント』を読ませて喜ぶ現代日本人かもしれない。

エマニュエル・トッド『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』

81qdi3i0gul 817cpagxh3l 例によって、『労働新聞』連載の「書方箋 この本、効キマス」に、エマニュエル・トッド『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』(文藝春秋)を取り上げました。

https://www.rodo.co.jp/column/144730/

 専制主義は古臭く、民主主義は新しい、とみんな思い込んでいるけれども、それは間違いだ。大家族制は古臭く、核家族は新しいとの思い込み、それも間違いだ。実は一番原始的なのが民主主義であり、核家族なのだ。というのが、この上下併せて700ページ近い大著の主張だ。いうまでもなく、新しいから正しいとか、古臭いから間違っているとかの思い込みは捨ててもらわなければならない。これはまずは人類史の壮大な書き換えの試みなのだ。
 トッドといえば、英米の絶対核家族、フランスの平等主義核家族、ドイツや日本の直系家族、ロシアや中国の共同体家族という4類型で近代世界の政治経済をすべて説明して見せた『新ヨーロッパ大全』や『世界の多様性』で有名だが、その空間論を時間論に拡大したのが本書だ。その核心は柳田国男の方言周圏論と同じく、中心地域のものは新しく周辺地域のものは古いという単純なロジックだ。皇帝専制や共産党独裁を生み出したユーラシア中心地域の共同体家族とは、決して古いものではない。その周辺にポツポツ残っているイエや組織の維持を至上命題とする直系家族の方が古いが、それも人類の歴史では後から出てきたものだ。ユーラシアの西の果てのブリテン島に残存した絶対核家族と、それが生み出す素朴な民主主義こそが、人類誕生とともに古い家族と社会の在り方の原型なのである。おそらく圧倒的大部分の人々の常識と真正面からぶつかるこの歴史像を証明するために、トッドは人類史の時空間を片っ端から渉猟する。その腕前はぜひ本書をめくって堪能してほしい。
 その古臭い核家族に由来する素朴で野蛮なアングロサクソン型民主主義がなぜ世界を席巻し、古代オリエント以来の膨大な文明の積み重ねの上に構築された洗練の極みの君主・哲人独裁制を窮地に追い詰めたのか、という謎解きもスリリングだ。英米が先導してきたグローバリゼーションとは、ホモ・サピエンス誕生時の野蛮さをそのまま残してきたがゆえの普遍性であり、魅力なのだという説明は、逆説的だがとても納得感がある。我々がアメリカという国に感じる「とても先進的なはずなのに、たまらなく原始的な匂い」を本書ほど見事に説明してくれた本はない。
 本書はまた、最近の世界情勢のあれやこれやをすべて彼の家族構造論で説明しようというたいへん欲張りな本でもある。父系制直系家族(イエ社会)のドイツや日本、韓国が女性の社会進出の代償として出生率の低下に悩む理由、黒人というよそ者を排除することで成り立っていたアメリカの脆弱な平等主義が差別撤廃という正義で危機に瀕する理由、共産主義という建前が薄れることで女性を排除した父系制大家族原理がますます露骨に出てきた中国といった、その一つだけで新書の一冊ぐらい書けそうなネタがふんだんに盛り込まれている。なかでも興味深いのは、原著が出た2017年にはあまり関心を惹かなかったであろうウクライナの話だ。トッドによれば、ロシアは専制主義を生み出す共同体家族の中核だが、ウクライナはポーランドとともに東欧の核家族社会なのだ。ウクライナ戦争をめぐっては勃発以来の1年間に膨大な解説がなされたが、この説明が一番腑に落ちた。

61pollbop9l 『労働新聞』に毎月寄せている書評、今回はジョセフ・ヒース&アンドルー・ポター『反逆の神話』(ハヤカワノンフィクション文庫)です。

https://www.rodo.co.jp/column/145984/

 原題は「The Rebel Sell」。これを邦訳副題は「反体制はカネになる」と訳した。ターゲットはカウンターカルチャー。一言でいえば文化左翼で、反官僚、反学校、反科学、極端な環境主義などによって特徴付けられる。もともと左翼は社会派だった。悲惨な労働者の状況を改善するため、法律、政治、経済の各方面で改革をめざした。その主流は穏健な社会民主主義であり、20世紀中葉にかなりの実現を見た。

 ところが資本主義体制の転覆をめざした急進左翼にとって、これは労働者たちの裏切りであった。こいつら消費に溺れる大衆は間違っている! 我われは資本主義のオルタナティブを示さなければならない。そこで提起されるのが文化だ。マルクスに代わってフロイトが変革の偶像となり、心理こそが主戦場となる。その典型として本書が槍玉に挙げるのが、ナオミ・クラインの『ブランドなんかいらない』だ。大衆のブランド志向を痛烈に批判する彼女の鼻持ちならないエリート意識を一つひとつ摘出していく著者らの手際は見事だ。

 だが本書の真骨頂は、そういう反消費主義が生み出した「自分こそは愚かな大衆と違って資本が押しつけてくる画一的な主流文化から自由な左翼なんだ」という自己認識を体現するカウンターカルチャーのあれやこれやが、まさに裏返しのブランド志向として市場で売れる商品を作り出していく姿を描き出しているところだろう。そのねじれの象徴が、ロック歌手カート・コバーンの自殺だ。「パンクロックこそ自由」という己の信念と、チャート1位になる商業的成功との折り合いをつけられなかったゆえの自殺。売れたらオルタナティブでなくなるものを売るという矛盾。

 しかし、カウンターカルチャーの末裔は自殺するほど柔じゃない。むしろ大衆消費財より高価なオルタナ商品を、「意識の高い」オルタナ消費者向けに売りつけることで一層繁栄している。有機食品だの、物々交換だの、自分で服を作るだの、やたらにお金の掛かる「シンプルな生活」は、今や最も成功した消費主義のモデルだろう。日本にも、エコロジーな世田谷自然左翼というブルジョワ趣味の市場が成立しているようだ。

 彼ら文化左翼のバイブルの一つがイヴァン・イリイチの『脱学校の社会』だ。画一的な学校教育、画一的な制服を批判し、自由な教育を唱道したその教えに心酔する教徒は日本にも多い。それがもたらしたのは、経済的格差がストレートに子供たちの教育水準に反映されるネオリベ的自由であったわけだが、文化左翼はそこには無関心だ。

 本書を読んでいくと、過去数十年間に日本で流行った文化的キッチュのあれやこれやが全部アメリカのカウンターカルチャーの模造品だったと分かって哀しくなる。西洋的合理主義を脱却してアジアの神秘に身を浸して自己発見の旅に出るインド趣味のどれもこれも、伝統でも何でもなくアメリカのヒッピーたちの使い古しなのだ。その挙げ句がホメオパシーなど代替医療の蔓延による医療崩壊というのは洒落にならない。

 しかし日本はある面でアメリカの一歩先を行っているのかも知れない。反逆っぽい雰囲気の歌をアイドルに唱わせてミリオンセラーにする、究極の芸能資本主義を生み出したのだから。

Silentmajority

渡邊大門『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』

71ec9d7ekxl 例によって、『労働新聞』に月一で連載している書評ですが、今回は渡邊大門『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』(星海社新書)です。

https://www.rodo.co.jp/column/147391/

 戦国時代といえば、幕末と並んでNHK大河ドラマの金城湯池だ。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三英傑をはじめ、武田信玄、上杉謙信など英雄豪傑がこれでもかと活躍し、血湧き肉躍る華麗なる時代というのが一般認識だろう。だが、彼らの活躍の陰では、冷酷無惨な奴隷狩り、奴隷売買が横行していた。時代小説やドラマで形作られた戦国の華々しいイメージを修正するのに、この新書本はとても有効な解毒剤になる。

 戦国時代の戦争は、敵兵の首を取り恩賞をもらうだけが目的ではない。戦場での金目の物の略奪も重要な目的で、その中にはヒトを捕まえて売り飛ばすことも含まれていて、当時「乱取り」といった。『甲陽軍鑑』によれば、川中島の戦いで武田軍は越後国に侵入し、春日山城の近辺に火を放ち、女や子供を略奪して奴隷として甲斐に連れ帰ったという。信濃でも、上野でも、武田軍は行く先々で乱取りを行っている。乱取りは恩賞だけでは不足な将兵にとって貴重な収入源であった。

 上杉軍も負けてはいない。上杉謙信が常陸の小田城を攻撃した時、落城直後の城下はたちまち人身売買の市場になったという。これは、謙信の指示によるものだと当時の資料にはっきり書かれている。城内には、周辺に住んでいた農民たちが安全を確保するために逃げ込んでいたのだが、彼らが一人20銭、30銭で売り飛ばされた。伊達政宗の軍も、島津義久の軍も、みんな乱取りをしていた。

 現在放映されている『どうする家康』では絶対に出てこないだろうが、大坂夏の陣で勝利した徳川軍は女子供を次々に捕まえて凱旋している。「大坂夏の陣図屏風」には、逃げ惑う敗残兵や避難民を徳川軍が略奪・誘拐・首取りする姿が描かれている。将兵は戦いに集中するよりも、ヒトや物の略奪に熱中していた。

 国内で奴隷狩り、奴隷売買が盛んな当時の日本は、彼らを外国に売り飛ばす国でもあった。豊臣秀吉は九州征伐の途上で、ポルトガル商人たちが日本人男女数百人を買い取り、手に鉄の鎖をつけて船底に追い入れている様を見て激怒し、イエズス会のコエリョと口論になったという。コエリョ曰く「日本人が売るから、ポルトガル人が買うのだ」。これがやがて秀吉による伴天連追放令の原因になるのだが、理屈からいえばコエリョが正しい。キリスト教徒を奴隷にすることを禁ずる西洋人にとって、非キリスト教徒が非キリスト教徒を奴隷として売ってくるのを買うのは何ら良心が傷まないことだったのだろう。

 伊東マンショら天正遣欧使節の4人の少年たちは、マカオなど行く先々で売られた日本人奴隷を見て心を痛めていた。千々石ミゲルはこう述べたという。「日本人は欲と金銭への執着が甚だしく、互いに身を売って日本の名に汚名を着せている。ポルトガル人やヨーロッパ人は、そのことを不思議に思っている。そのうえ、われわれが旅行先で奴隷に身を落とした日本人を見ると、道義を一切忘れて、血と言語を同じくする日本人を家畜や駄獣のように安い値で手放している。我が民族に激しい怒りを覚えざるを得なかった」と。

 英雄を称賛する大河ドラマには絶対に出ない戦国日本の恥部が、薄い新書本のここかしこに溢れている。テレビの後にご一読を。

ヘレン・ブラックローズ&ジェームズ・リンゼイ『「社会正義」はいつも正しい』

31grvfxfusl_sx343_bo1204203200_ 例によって『労働新聞』に月一回連載している書評コラム、今回はヘレン・ブラックローズ&ジェームズ・リンゼイ『「社会正義」はいつも正しい』(早川書房)です。

https://www.rodo.co.jp/column/149699/

 近年何かと騒がしいポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)の源流から今日の蔓延に至る展開をこの一冊で理解できる。そして、訳者が皮肉って付けたこの邦題が、版元の早川書房の陳謝によって自己実現してしまうという見事なオチまでついた。
 ポリコレの源流は、意外にも正義なんて嘲笑っていたポストモダン(ポモ)な連中だった。日本でも40年くらい前に流行ってましたな。脱構築だの、全ては言説のあわいだとか言って、客観的な真実の追求を嘲弄していた。でもそれは20世紀末には流行らなくなり、それに代わって登場したのが、著者が応用ポストモダニズムと呼ぶ社会正義の諸理論だ。
 たとえばポストコロニアル理論では、植民地支配された側が絶対的正義であり、客観的と称する西洋科学理論は人種差別を正当化するための道具に過ぎない。ポモの文化相対主義が定向進化して生まれたこの非西洋絶対正義理論は、中東アフリカの少女割礼(クリトリス切除)を野蛮な風習と批判する人道主義を帝国主義的言説として糾弾する。
 たとえばクィア理論では、ジェンダーだけではなくセックスも社会的構築物だ。その結果、日本でも最近起こったように、男性器を付けたトランス女性が女湯に入ってくることに素直な恐怖心を表明した橋本愛が、LGBT差別だと猛烈な攻撃を受けて心からの謝罪を表明するに至る。もちろん、ジェンダーは社会的構築物だし、ジェンダー規範の強制が女性たちを抑圧している姿はイランやアフガニスタンに見られるとおりだが、ポモ流相対主義が定向進化すると、それを生物学的なセックスと区別することを拒否するのだ。
 そのジェンダースタディーズも、交叉性フェミニズムという名の被害者ぶり競争に突っ走る。批判的人種理論と絡み合いながら、白人男性は白人男性ゆえに最低であり、客観的なその言説を抑圧すべきであり、黒人女性は黒人女性ゆえに正義であり、どんな主観的な思い込みでも傾聴すべきという(ねじけた)偉さのランキングを構築する。いや黒人女性でも、それに疑問を呈するような不逞の輩は糾弾の対象となるのだ。
 その行き着く先は例えば障害学だ。もちろん、障害者差別はなくさなければならない。しかし、それは障害があるからといって他の能力や個性を否定してはならないということであり、だからこそ合理的配慮が求められるのだ。ところがこのポモ流障害学では、障害がない方がいいという「健常主義」を批判し、障害こそアイデンティティとして慶賀すべきと論ずる。その挙げ句、肥満は健康に悪いから?せた方がいいと助言する医者を肥満に対するヘイトだと糾弾するファットスタディーズなるものまで登場するのだ。もちろん、これは冗談ではない。
 いやほんとに冗談ではないのだ。ポリコレのコードに引っ掛かったら首が飛ぶ。本書にはその実例がてんこ盛りだ。そしてその列の最後尾には、本訳書を出版した早川書房の担当者が、訳者山形浩生の嫌味な解説を同社のサイトに載っけた途端に批判が集中し、あえなく謝罪して削除したという一幕が追加されたわけだ。まことに「社会正義」はいつも正しい。めでたしめでたし(何が)。     

カール・マルクス『一八世紀の秘密外交史 ロシア専制の起源』

61zlf6wghol277x400 毎月一回寄稿している『労働新聞』の書評ですが、今回はマルクスです。とはいえ、一筋縄ではいきませんよ。

https://www.rodo.co.jp/column/150864/

Marx_20230602202801  一昨年から毎月、書籍を紹介してきたが、今回の著者は多分一番有名な人だろう。そう、正真正銘あの髭もじゃのマルクスである。

Stalin  ただし、全50巻を超える浩瀚なマルクス・エンゲルス全集にも収録されていない稀覯論文である。なぜ収録されていないのか? それは、レーニンやとりわけスターリンの逆鱗に触れる中身だからだ。そう、マルクスを崇拝していると称するロシアや中国といった諸国の正体が、まごうことなき東洋的専制主義であることを、その奉じているはずのマルクス本人が、完膚なきまでに暴露した本であるが故に、官許マルクス主義の下では読むことが許されない御禁制の書として秘められていたわけである。

 本書の元論文がイギリスの新聞に連載されたのはクリミア戦争さなかの1856年。そんな19世紀の本が、いま新たに翻訳されて出版されるのは何故かといえば、いうまでもなく、歴史は繰り返しているからだ。今目の前で進行中のウクライナ戦争を理解するうえで最も役に立つのが、19世紀のマルクスの本だというのは何という皮肉であろうか。

Pyotr  マルクス曰く「タタールのくびきは、1237年から1462年まで2世紀以上続いた。くびきは単にその餌食となった人民の魂そのものを踏み潰しただけではなく、これを辱め、萎れさせるものであった」。「モスクワ国家が育まれ、成長したのは、モンゴル奴隷制の恐るべき卑しき学校においてであった。それは、農奴制の技巧の達人になることによってのみ力を集積した。解放された時でさえ、モスクワ国家は、伝統的な奴隷の役割を主人として実行し続けていた。長い時間の末、ようやくピョートル大帝は、モンゴルの奴隷の政治的技巧に、チンギス・ハンの遺言によって遺贈された世界征服というモンゴルの主人の誇り高き野望を結びつけた」。

Putin  ヨーロッパ国家として歩み始めたキエフ国家が滅び、タタールのくびきの下でアジア的な専制主義を注入されたモスクワ国家が膨張し、ロシア帝国を形成していく過程を描き出すマルクスの筆致は、ほとんどロシア憎悪にすら見える。もちろん彼が憎んでいるのはツァーリ専制の体制である。そしてそれがそのまま共産党支配下のスターリン専制に、今日のプーチン専制に直結している。

Xi_20230602203501  しかもその射程はロシアに留まらない。序文を書いているカール・ウィットフォーゲルの主著は『東洋的専制主義』で、彼がマルクスのロシア像の向こう側に透視しているのは皇帝専制の中華帝国であった。本書をいま刊行しようとした石井知章、福本勝清という二人の編訳者はいずれも現代中国研究者であり、天安門事件以来の中国共産党支配と習近平の専制政治を見つめてきた人たちである。

 訳者の一人福本は言う。「今日の世界情勢が告げていることは、専制主義は既に過去のものと考えることはできない、という事実である。…専制国家が世界史の動向を左右する、あるいは専制国家の振る舞いが周辺国家を脅かす、という可能性は今後も消えることはない。…今後、いかに強大な専制国家と対峙していくか、その非専制化への歩みをどのように促すのか、保守革新、左右両翼など従来の枠組みに関わりなく、問われている」。

余計な台詞ですが、マルクスのロシア帝国主義批判の本の書評が載っているメディアの名前が何処かの独裁国家の新聞名とそっくりなのも何かの皮肉でしょうか。

ダニエル・サスキンド『WORLD WITHOUT WORK』

20230302160351722619_85b439f76d138b1e8f7 例によって『労働新聞』7月3日号に、書評(【書方箋 この本、効キマス】)を寄稿しました。今回はダニエル・サスキンドの『WORLD WITHOUT WORK――AI時代の新「大きな政府」論』(みすず書房)です。

https://www.rodo.co.jp/column/152297/

 原題の英文を訳せば「仕事のない世界」となる。「AI(人工知能)で仕事がなくなるからBI(ベーシックインカム)だ」という近頃流行りの議論を展開している一冊だといえばそのとおりなのだが、日本で近年出された類書に比べて、議論のきめが相当に細かく、かつて『日本の論点2010』(文藝春秋)でBIを批判した私にとっても引き込まれるところが多かった。

 前半の3分の2は、AIで仕事が絶対的に減少していくという未来図を描く。労働経済学では、工場労働のような定型的タスクは機械に代替され、専門職や対人サービスのような非定型的タスクは代替されにくいというが、AIの発達により身体能力、認知能力、感情能力も代替されるようになり、専門職的な知的労働こそがタスク侵蝕に曝されるようになった。その結果もたらされるのは大変な不平等社会だ。ではどうする?

 後半の3分の1はサスキンドの処方箋が展開される。まず批判されるのは「人的資本が大事だ、もっと教育訓練を」という現在主流の政策だ。彼はこれを去りゆく「労働の時代」のなごりに過ぎないと批判する。「学び直しても臨むべき仕事の需要そのものが充分にないとしたら、世界トップレベルの教育も無用の長物」だからだ。だから、「正しい対策は、職業や労働市場に頼らない,全く別の方法でゆたかさを分かち合う方法を見つけ」なければならない。

 そこで「大きな政府」によるBIという話になるのだが、彼は無条件のユニバーサル・ベーシックインカム(UBI)には批判的で、条件付きベーシックインカム(CBI)を主張する。その理由が、かつて私がBIを批判した論点と共通する。それは、誰をBIをもらえるコミュニティ・メンバーとして認めるのかという問題だ。観光ビザで来た外国人にも気前良く給付するというのでない限り、どこかで線引きが必要になる。それは「俺たち仲間のためのBIを奴らよそ者に渡すな」という「血のナショナリズム」を生み出さずにはおかない。労働の時代には仕事で貢献しているというのが移民排斥に対する反論になった。しかし仕事の足りない世界ではそうはいかない。彼がBIに付すべきという条件は労働市場ではなくコミュニティを支えることだ。

 私がかつてBIを批判したもう一つの論拠は「働くことが人間の尊厳であり、社会とのつながりである」ということだった。最終章「生きる意味と生きる目的」で、彼はこの問題を取り上げ、絶妙な処方箋を提示する。CBIの給付条件とは、「有償の仕事をしない人が、経済的な方法ではない形で、自分の時間の少なくとも一部を投じて社会のために貢献すること」である。「労働市場の見えざる手が無価値なものと判定している活動を、目に見えるコミュニティの手ですくい上げ、価値があるもの、大切なものとして掲げ直す」のだ。そうすることで、「CBIの要件を充たして給付金を得ることは、家族のために給料を稼ぐことで感じる充足感とさほど変わらない充足感をもたらす」だろう。これこそが、近年急拡大しているアイデンティティ・ポリティクスへの対抗力になるはずだと彼は言う。これは議論する値打ちのある提言だと思う。

岩井克人『経済学の宇宙』

81p2y7zdzs_ac_uf10001000_ql80_ 例によって月1回の労働新聞書評、今回は岩井克人『経済学の宇宙』です。

https://www.rodo.co.jp/column/153750/

 著者は東京大学経済学部名誉教授であり、日経新聞からこのタイトルで出れば、偉い学者の『私の履歴書』みたいなものと思うのが普通だ。実際、生い立ちからMIT留学までは、貧しいながらも知的な家庭から東大に進学し、米国に留学する立志伝的な話。ところがそこから話がとてつもない方向に逸れていく。新古典派経済学の真っ只中にいながら、市場経済がその根底に不安定さを秘めていることを暴露する不均衡累積過程の理論を構築し、非主流派の道を歩み始める。ちょうどそこへ東大経済学部から声が掛かり、1981年帰国。このとき、評者は法学部生として岩井助教授の「近代経済学」の初講義を聴いたはずだが、中身はまったく記憶にない。

 ここから経済学者の枠を超える岩井の大活躍が始まる。柄谷行人らとの交流のなかから、マルクスの価値形態論の限界を突破し、貨幣商品説と貨幣法制説の双方を超克する貨幣の自己循環論法理論を構築する。その後日本経済論を経て、法人論に取り組むことになる。彼が法人という存在の不思議さに気が付いたのは、プリンストン大学の図書館で戦前の『法律学辞典』の「法人」という項に、末弘厳太郎(「末廣巌太郎」というのは誤り)が「法人とは自然人にあらずして法律上“人”たる取扱いを受くるものを言ふ」と書いているのを見て、驚きのあまり本を落としそうになったときだ。

 私も含めて法学部出身者にとっては、これは民法総則の初めの方で勉強する常識中の常識で、何ら驚くことではない。ところが、学生時代に「法律などという権力の道具にすぎないものを勉強するなんてとんでもない」と思って法律に関する講義は一度も取っていなかった岩井は、ヒトでありながらモノでもある不可思議な存在に驚いた。ヒトは主体としてモノを所有し支配する。モノは客体としてヒトに所有され支配される。奴隷社会や家父長制社会とは異なり、ヒトをモノとして扱ってはいけないのが近代社会のはずだ。だが法人は、モノであるのにヒトとして扱われ、ヒトとして扱われているのにモノでしかない。こんな不思議な存在になぜ今まで気が付かなかったのだろうと。驚いた岩井はそこから法人論や会社法の猛勉強を始め、会社統治の議論に乱入し、流行していた株主主権論を論破する。素直に民法の授業を聞いていた法学部出身者にはできない荒技だ。

 マイケル・ジェンセン(参照記事=【本棚を探索】第5回『マイケル・ジェンセンとアメリカ中産階級の解体』ニコラス・レマン 著/濱口 桂一郎)のエージェンシー理論によって歪められた会社統治のあるべき姿を探し求めて、岩井は「信任関係」という概念に辿り着く。日本では知られていないこの英米法概念こそ、資本主義社会の中核にある会社という存在を根底で成り立たせている経営者の会社に対する忠実義務であり、「倫理=法」なのだ。その根底にあるのは、トマス・シェリングの「人は自分と契約できない」という原理である。経済学は「私的悪こそ公共善だ」と嘯いて倫理を葬ったはずなのに、会社の中核には倫理が法として存在しているというこの逆説。そして、経営者の会社への信任関係を否定して株主利益に奉仕するエージェンシーに貶めたマイケル・ジェンセンのイデオロギーは、株主に奉仕すると称して「自分と契約」することによってお手盛りで巨額の報酬を得る経営者たちとして実現した。

末弘厳太郎の字が間違っているとわざわざ指摘しているのは、世の中にはこの間違いがけっこう多いから。末弘であって、末廣じゃありません!

ちなみに末弘厳太郎は拙著『家政婦の歴史』にも登場して、暴れ回っています。

トマ・ピケティ『資本とイデオロギー』

31f57aheptl_20230830211501 例によって月1回の労働新聞書評、今回は トマ・ピケティ『資本とイデオロギー』(みすず書房)です。

【書方箋 この本、効キマス】第32回 『資本とイデオロギー』 トマ・ピケティ著/濱口 桂一郎

 もう5年以上も前になるが、『21世紀の資本』がベストセラーになって売れっ子だったピケティの論文「Brahmin Left vs Merchant Right」(バラモン左翼対商人右翼)という論文を拙ブログで紹介したことがある。この「バラモン左翼」という言葉はかなり流行したが、右翼のリベラル批判の文脈でしか理解しない人も多く、造語主ピケティの真意と乖離している感もあった。
 原著でも1000ページ、邦訳では1100ページを超える本書は、このバラモン左翼がいかなる背景の下に生み出されてきたのかを人類史的視野で描き出した大著だ。第1章と第2章は中世ヨーロッパの三層社会-聖職者、貴族、平民-を論じ、第3章から第5章はそれが近代の所有権社会に転換していった姿を描く。第6章から第9章は欧州以外の奴隷社会、植民地社会を描くが、特に第8章ではインドのカースト社会を論じる。ここまでで400ページ。いつになったら今日の格差社会の話になるのだとじりじりする人もいるかも知れないが、いやいやこれらが全部伏線になっているのだ。
 20世紀初頭に財産主義に基づく格差社会の極致に達した所有権社会は「大転換」(ポランニー)によって社会民主主義社会に転換する。(ドイツや北欧の)社民党、(フランス等の)社会党、(イギリスの)労働党、(アメリカの)民主党が主導したこの転換は、保守政党によっても受け継がれ、社会は著しく平等化し、1980年代までの高度成長を生み出した。しかし、やがて新たな財産主義のイデオロギーが世を覆うようになっていく。本書では、1950-1980年代と1990-2010年代の間にいかに世界中の国々で格差が拡大していったかという統計データがこれでもかこれでもかと載っている。
 このネオリベ制覇の物語は誰もが知っているが、なぜそんなことが起こったのかについて、本書が提示するのが左翼のバラモン化なのだ。半世紀前には、上記左派政党の支持者は明確に低学歴、低所得層であり、保守政党の支持者は高学歴、高所得層であった。低学歴層に支持された左派政権は教育に力を入れ、高学歴化が進んだ。その結果、学歴と政党支持の関係に大逆転が起こった。左派は高学歴者の党となり、右派が低学歴者の党になったのだ。インテリ政党と化した左翼は、もはや「うるせぇ、理屈はいいから俺たちに金寄こせ」というかつての素朴な叫びからはほど遠く、経済学者や社会学者のこむつかしい屁理屈を振り回す頭でっかちの連中でしかない。その姿を、かつての三層社会の聖職者(インドではバラモン)に重ね焼きして「バラモン左翼」と呼ぶピケティの哀しき皮肉をじっくり味わってもらいたい。
 バラモン左翼に愛想を尽かして社会民主主義政党から離れた低所得層に、「君たちの窮状の原因は移民どもだ」と甘い声をかけるのがネイティビスト(原住民優先、移民排斥の思想で、「自国主義」という訳語は違和感がある)だ。特に、「外国人どもが福祉を貪っているから君たちの生活が苦しいんだ」と煽り立てるソーシャル・ネイティビストが世界中で蔓延っている。ピケティは最後の章で21世紀の参加型社会主義を提起するが、そしてそれは評者の理想と極めて近いものではあるのだが、現実との落差はため息が出るほどだ。 

メアリー・L・グレイ、シッダールタ・スリ『ゴースト・ワーク』

71kv4jf5b0l_sl1500_ 例によって月1回の労働新聞書評、今回は メアリー・L・グレイ、シッダールタ・スリ『ゴースト・ワーク』(晶文社)です。

https://www.rodo.co.jp/column/166499/

 2018年に当時リクルートワークス研究所におられた中村天江(現連合総研主幹研究員)のインタビューを受け、日本ではジョブ型で騒いでいるが、世界ではむしろ安定したジョブが壊れてその都度のタスクベースの労働社会になるのではないかという危惧が論じられていると語ったことがある(https://www.works-i.com/column/policy/detail017.html)。
 2023年になっても状況は変わっていないが、タスク型社会の明暗をそれぞれ強調する翻訳書が出た。(日本支社はジョブ型の売り込みに余念のない)マーサー本社のジェスターサン&ブードロー『仕事の未来×組織の未来』(原題:「ジョブなきワーク」)(ダイヤモンド社)が,伝統的なジョブ型雇用社会の駄目さ加減をこれでもかと徹底批判するのに対し、今回取り上げる『ゴースト・ワーク』は、タスク型労働社会の絶望的なまでの悲惨さを、アメリカとインドの底辺労働者の現実を克明に描き出すことによって訴える。
 「ゴースト・ワーク」とは何か?世間ではAIによって多くの仕事が失われると騒ぐ声が喧しいが、失われるのはまとまった安定的なジョブであって、AIが繰り出す見事な技の背後には膨大な量の隠された人間労働があるのだ。印象的な数字がある。AIをトレーニングするためには膨大な量の画像にラベルを貼る必要がある。最初は学生たちを雇ってやらせたがそれでは作業完了には19年かかる。機械学習でやらせたが間違いが多すぎて使い物にならない。そこで、クラウドワーク大手のアマゾン・メカニカル・タークを使い、167か国4万9千人のワーカーを使って320万の画像に正確にラベル付けできたという。メカニカル・ターク(機械仕掛けのトルコ人)とは、人が中に入っていかにも機械仕掛けのように振る舞うチェス自動(実は手動)機械のことだ。なんと皮肉なことか。
 そう、人間がやってないような顔をしているAIは膨大な人間労働によって支えられているのだ。ただしそれは、一つ一つのタスクを瞬時に世界中で奪い合う苛酷な社会である。彼らは画面上でアルゴリズムに従って作業するだけで、お互いに何のつながりもない。彼らの労働の融通性とは極度の神経集中であり、自主性とは孤独とガイダンスの欠如であり、技術的不具合や善意の努力のせいで不正行為と判断されアカウントを停止され、報酬をもらえないこともしばしばだ。彼らAIを支えるゴースト・ワーカーたちを著者は「機械の中の幽霊」(ゴースト・イン・ザ・マシン)と呼ぶ。アーサー・ケストラーの有名な本のタイトルであるこの言葉が、これほどに似合う人々もいないだろう。
 著者は,2055年までには今日の全世界の雇用の6割が何らかの形のゴーストワークに変わる可能性が高いと警告する。自動化対人間労働というのは偽りの二項対立だ。ジョブという確立した社会安定装置が崩壊し、そのときそのときの見えざる「機械の中の幽霊」労働が世界を覆うだろうと。最後に著者が並べ立てる解決策には、ポータブル評価システム、ゴーストワークのサプライチェーンの責任の所在を明らかにするグッドワークコード、新たな商事改善協会としての労働組合、国民皆保険制度、そして成人労働者全員に被雇用者として基本給を支払う一種のベーシックインカムなどがある。しかし、これで未来は安心だというのはなかなかない。人間の未来は機械の中の幽霊なのだろうか。
ここには書きませんでしたが、著者の一人の名前の「シッダールタ」には、思わず「お、お釈迦さま!」と口走ってしまいました。

栄剣『現代中国の精神史的考察』

61sftprjol277x400 例によって『労働新聞』に月イチで連載の書評ですが、今回は栄剣『現代中国の精神史的考察』(白水社)です。

【書方箋 この本、効キマス】第40回 『現代中国の精神史的考察』栄 剣 著/濱口 桂一郎

 次の台詞はどこの国のどういう勢力が権力掌握前に繰り出していたものか分かるだろうか。

 「民主がなければすべては粉飾だ」、「民主を争うのは全国人民の事柄だ」、「民主主義の鋭利な刀 米国の民主の伝統」、「思想を檻から突破させよ」、「中国は真の普通選挙が必要だ」、「民主が実現しなければ、中国の学生運動は止まらない」、「天賦の人権は侵すことはできない」、「一党独裁は至る所で災いとなる」、「誰が中国を安定させられないのか?専制政府だ!」。

 これは、中国共産党が抗日戦争勝利前後に『解放日報』と『新華日報』に発表した憲政に関する主要な言論を、一切手を加えず原文を再現したものだ。もちろん現在の中国共産党は、こんな恥ずかしい「黒歴史」はひた隠しにしている。

 「民主」を掲げて「共産」を売りつけた後はもっぱら「専制」でやってきた革命の元勲の二世たち(中国でいう「太子党」)の政権にとって、こんな都合の悪いことばかり書かれた本の出版を許すはずはない。本書の原著は、アメリカで出版された中国語の本だ。かつてなら香港辺りで出版されていたのだろうが、今の香港ではもはや不可能なのだろう。著者の栄剣氏は1957年生まれのマルクス主義哲学者。天安門事件で研究を断念し、画廊を経営しながら中国国内で言論活動を展開してきた希有な人だ。その鋭い筆鋒は習近平政権の本質を容赦なく抉り出す。

 初めの4章は習政権成立直前にスキャンダルで倒れた薄熙来の「重慶モデル」を賞賛していた権威主義学者たちの醜態をこれでもかと暴く。革命歌を唱い(「唱紅」)、汚職を摘発(「打黒」)して権力を強化する文革の再来ともいうべき重慶モデルは、薄夫妻のスキャンダルで幕を閉じたが、その本質は同じ太子党の習近平政権に受け継がれていることがよく分かる。

 権力の座を脅かす可能性のある者をことごとく排除してイエスマンで固めた独裁者のアキレス腱は、ずばり後継者問題だと著者は指摘する。独裁者・毛沢東死後の政治危機を経験した鄧小平らが作り上げた任期制(国家主席は10年まで)、隔世決定制(現職の総書記ではなく前任の総書記が次期総書記の人選を行う)、儲君制(皇太子を決めておく)という3原則は、習近平によってことごとく破壊された。

 しかし、そこにこそ破滅の源泉が埋め込まれている。栄剣曰く「憲法改正により長期政権ひいては終身政権に対する法律の妨げが一掃され、反腐敗運動により党内の誰をも戦々恐々とさせる恐怖によるバランス調整を行い、軍隊をがっちりと押さえることにより個人独裁の拠るべき存在としての国家の暴力機械を掌握し、あからさまな個人崇拝により党内で提灯持ちを競っておもねりへつらう皇帝賛美文化を作り上げ、さらに一歩進んでビッグデータなど最先端のITを掌握することにより前例のない政治デジタル全体主義帝国を作り出している。しかし、これらすべては、いずれも党権主義が直面する究極的な権力の難局を有効に解決することができない。それはすなわち、後継者の問題を最終的に解決することができないために、権力の制御システムが遅かれ早かれ崩壊する日が来るのである」と。そろそろ不老不死の妙薬を探しに徐福を蓬莱国に送り出す時期かもしれない。

牛窪恵『恋愛結婚の終焉』

2d9c2dd009c19a459694cd5f3bc32e57246x400 月イチで連載している『労働新聞』の書評、今回は牛窪恵さんの『恋愛結婚の終焉』(光文社新書)です。

【書方箋 この本、効キマス】第44回 『恋愛結婚の終焉』牛窪 恵 著/濱口 桂一郎

 岸田文雄首相が「異次元の少子化対策」を打ち出しても、人口減少の流れは一向に止まらない。結婚した夫婦の子育て支援に精力を注入しても、そもそも若者が結婚したがらない状況をどうしたら良いのか。この袋小路に「恋愛と結婚を切り離せ!」という衝撃的なメッセージを叩き込むのが本書だ。

 でも考えてみたら、なぜこのメッセージがショッキングなのだろう。20世紀半ばまでの日本では、恋愛結婚は少数派で、大部分はお見合いで結婚に至っていたはずなのに。

 そこで著者が元凶として指摘するのが、近代日本に欧米から導入され、戦後開花したロマンティック・ラブ・イデオロギーだ。結婚には恋愛が前提条件として必要だという、恋愛と結婚と出産の聖なる三位一体が、結婚のあるべき姿として確立し、歌謡曲の歌詞や恋愛小説を通じて若者たちの精神を調教してきた。恋愛なき結婚などというのは、薄汚い計算尽くの代物のようにみなされてきた。戦後社会論の観点からすると、このイデオロギーが会社における社員の平等と家庭における主婦の平等を両輪とする戦後型性別役割分業体制の基礎構造をなしてきたのだろう。

 実際、昭和の歌謡曲は、男が「俺についてこい」と歌い、女が「あなたについていくわ」と歌うパターンがやたらに多い。そういうのを褒め称える歌を、みんなが歌っていたわけだ。

 ところが、今日の若者にとって、恋愛はそんなに望ましいものではなくなってきているようだ。恋人がいるという男女が減少しただけでなく、恋人が欲しいという男女も激減しているのだ。にもかかわらず、今日の若者たちは「恋人はいらない」、「恋愛は面倒」と考えながら、いずれ結婚はしたいと思い、そして結婚するなら恋愛結婚でなければならないと思い込んでいる。

 そこで、「恋愛と結婚を切り離せ!」というメッセージになるわけだ。そもそも、恋愛と結婚は一体どころか相反する性格のものなのではないか……と。

 そのあたりの感覚を、20歳代半ばの2人の女性の言葉が見事に表現している。曰く、「結婚で大事なのは、生活を続けられるサステナビリティ(持続可能性)でしょう。恋愛みたいな一過性の楽しみは、学生時代に済ませたから、必要ないんです」。「オシャレなレストランに詳しい男性は、結婚後に浮気するし、冷蔵庫の余り物でこどものご飯を作る能力もない。“恋愛力”なんて(結婚に)邪魔なだけ」。つまり、恋愛と結婚のニーズは180度違うというわけだ。

 かくして著者は、恋愛結婚の終焉を宣言する。曰く――そろそろ私たち大人がロマンティック・ラブの形骸化を認め、結婚と恋愛を切り離し、「結婚に恋愛は要らない」と若者に伝えてあげませんか?また結婚相手を決めかねている男女にも、「不要な『情熱』にこだわらず、互いを支え合える『よい友達』を探せばいいんだよ」と教えてあげませんか?――と。

 トレンド評論家の著者が、社会学、歴史学、進化人類学、行動経済学といった諸学問を渉猟してさまざまなネタを繰り出しながら、恋愛結婚という昭和の遺産からの脱却を説く本書は、軽そうで重く、浅そうで深い、実に味わいのある一冊に仕上がっている。

(牛窪 恵 著、光文社新書 刊、税込1034円)

ちなみに、この牛窪恵さん、かつて拙著『働く女子の運命』を地方紙で書評していただいたことがあります。今回はそのときのお礼を兼ねて。

 

 

 

 

 

第28回 厚生政策セミナー「時間と少子化」は明日です

Ipss01

Shajinken2

Shajinken3_20231203213901


 

2023年12月 1日 (金)

なぜWell-beingを「幸せ」と訳すのでは足りないか?@鈴木恭子

Suzuki_k JILPTのリサーチアイに、鈴木恭子さんが「なぜWell-beingを「幸せ」と訳すのでは足りないか?」という大変興味深いエッセイを寄稿しています。

最近、政府から学者までみんなウェルビーイングウェルビーイングと口にしますが、はてその意味は?と考えると、いろいろと問題が孕まれているようです。

冒頭のところだけコピペしますので、その続きは是非リンク先で読んで下さい。

JILPTリサーチアイ 第79回 なぜWell-beingを「幸せ」と訳すのでは足りないか?

1. 「崖っぷち」にある日本のWell-being

Well-beingは生活の質をあらわす概念として、こんにち各国の公共政策において重要な位置を占める。日本でも近年、学術的な議論や政策の場に限らず、企業経営やマスメディアで「ウェルビーイング」という言葉を広く目にするようになった。本稿では労働との関連において、Well-beingという概念をどのように理解し位置づけるべきかを論じたい。・・・・

2. 「主観的ウェルビーイング」が好きな日本

3. 本人が満足していればそれで良いか

4. Well-beingで「企業中心社会」をおりる

(参考)

なお、本ブログでは4月に鈴木恭子さんのこの論文も紹介しておりました。

鈴木恭子「労働に「将来」を読み込む思考はどう構築されたか」@『社会政策』第14巻第3号

社会政策学会の学会誌『社会政策』の第14巻第3号に掲載されている投稿論文、鈴木恭子「労働に「将来」を読み込む思考はどう構築されたか:工場法制定過程におけるジェンダーの差異化」は、恐らく多くの読者にとって思いもよらぬ視角からの論文で、いくつも考えさせられる点を発見できるのではないかと思われます。

2020年には、

『日本労働研究雑誌』2020年4月号(No.717)

あと、論文Todayで鈴木恭子さんが「消えた格差─ジェンダー・バイアスが「存在すること」と「見えること」のあいだ」という興味深い紹介をしていますが、その鈴木さんが、『大原社会問題研究所雑誌』の本日刊行の4月号でも、「労働組合の存在と正規雇用の賃金との関連-かたよる属性、差のつく賃金カーブ、広がる年齢内格差」という力のこもった論文を書かれていて、大活躍です。大御所揃いの今号で数少ない若手の文章も是非。

 

 

 

 

« 2023年11月 | トップページ | 2024年1月 »