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2023年11月30日 (木)

牛窪恵『恋愛結婚の終焉』@労働新聞書評

2d9c2dd009c19a459694cd5f3bc32e57246x400 月イチで連載している『労働新聞』の書評、今回は牛窪恵さんの『恋愛結婚の終焉』(光文社新書)です。

【書方箋 この本、効キマス】第44回 『恋愛結婚の終焉』牛窪 恵 著/濱口 桂一郎

 岸田文雄首相が「異次元の少子化対策」を打ち出しても、人口減少の流れは一向に止まらない。結婚した夫婦の子育て支援に精力を注入しても、そもそも若者が結婚したがらない状況をどうしたら良いのか。この袋小路に「恋愛と結婚を切り離せ!」という衝撃的なメッセージを叩き込むのが本書だ。

 でも考えてみたら、なぜこのメッセージがショッキングなのだろう。20世紀半ばまでの日本では、恋愛結婚は少数派で、大部分はお見合いで結婚に至っていたはずなのに。

 そこで著者が元凶として指摘するのが、近代日本に欧米から導入され、戦後開花したロマンティック・ラブ・イデオロギーだ。結婚には恋愛が前提条件として必要だという、恋愛と結婚と出産の聖なる三位一体が、結婚のあるべき姿として確立し、歌謡曲の歌詞や恋愛小説を通じて若者たちの精神を調教してきた。恋愛なき結婚などというのは、薄汚い計算尽くの代物のようにみなされてきた。戦後社会論の観点からすると、このイデオロギーが会社における社員の平等と家庭における主婦の平等を両輪とする戦後型性別役割分業体制の基礎構造をなしてきたのだろう。

 実際、昭和の歌謡曲は、男が「俺についてこい」と歌い、女が「あなたについていくわ」と歌うパターンがやたらに多い。そういうのを褒め称える歌を、みんなが歌っていたわけだ。

 ところが、今日の若者にとって、恋愛はそんなに望ましいものではなくなってきているようだ。恋人がいるという男女が減少しただけでなく、恋人が欲しいという男女も激減しているのだ。にもかかわらず、今日の若者たちは「恋人はいらない」、「恋愛は面倒」と考えながら、いずれ結婚はしたいと思い、そして結婚するなら恋愛結婚でなければならないと思い込んでいる。

 そこで、「恋愛と結婚を切り離せ!」というメッセージになるわけだ。そもそも、恋愛と結婚は一体どころか相反する性格のものなのではないか……と。

 そのあたりの感覚を、20歳代半ばの2人の女性の言葉が見事に表現している。曰く、「結婚で大事なのは、生活を続けられるサステナビリティ(持続可能性)でしょう。恋愛みたいな一過性の楽しみは、学生時代に済ませたから、必要ないんです」。「オシャレなレストランに詳しい男性は、結婚後に浮気するし、冷蔵庫の余り物でこどものご飯を作る能力もない。“恋愛力”なんて(結婚に)邪魔なだけ」。つまり、恋愛と結婚のニーズは180度違うというわけだ。

 かくして著者は、恋愛結婚の終焉を宣言する。曰く――そろそろ私たち大人がロマンティック・ラブの形骸化を認め、結婚と恋愛を切り離し、「結婚に恋愛は要らない」と若者に伝えてあげませんか?また結婚相手を決めかねている男女にも、「不要な『情熱』にこだわらず、互いを支え合える『よい友達』を探せばいいんだよ」と教えてあげませんか?――と。

 トレンド評論家の著者が、社会学、歴史学、進化人類学、行動経済学といった諸学問を渉猟してさまざまなネタを繰り出しながら、恋愛結婚という昭和の遺産からの脱却を説く本書は、軽そうで重く、浅そうで深い、実に味わいのある一冊に仕上がっている。

(牛窪 恵 著、光文社新書 刊、税込1034円)

ちなみに、この牛窪恵さん、かつて拙著『働く女子の運命』を地方紙で書評していただいたことがあります。今回はそのときのお礼を兼ねて。

 

 

 

 

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コメント

> 不要な『情熱』にこだわらず、互いを支え合える『よい友達』を探せばいいんだよ

何と言うか、異性愛者が同性と結婚することもあるし、同性愛者が異性と結婚するこ
ともあるし、ということで、まずは「両性の合意」なるものを切り崩さないと話にな
らないのでは?と思ったものの、結婚は「妊活」が前提なのでしょうか?仮に妊活を
前提にするなら、「子供に継承されるであろう遺伝的性質に惹かれる」という要素は
依然、残りますね。むしろ、「妊活」と「家族形成」の分離こそが本質のような気が
するのだけれど。それを前面に持ってくると、耳目が集めにくい?

念のため、結婚を「本人の選好」から切り離せという話をしてる訳ではないのよね。
「妊活」、「家族形成」、「本人の選好」を一緒にしたら恋愛結婚になってしまうの
ではないかしら?

ロマンティック・ラブ・イデオロギーがもはや結婚の障害となっているのはその通りで、若い世代では恋愛離れが進んでいるのも確かだが、さりとて恋愛結婚の終焉を宣言しても若者が結婚するようにはならないだろう。根本的に結婚するインセンティブが乏しいのが原因なのだから。

かつて恋愛と結婚が別物だった時代には家族が生産単位であって、家産共同体を維持するために結婚は不可欠だった。家業をもたない下層では生存のために男女が生活共同体を形成するインセンティブがあった。

日本型雇用全盛期には女性は就業機会が限られて結婚しなければ生活できなかったし、年功賃金の恩恵を被る男性と結婚すれば中間層となることができたので女性に結婚へのインセンティブが存在した。男性は結婚しなければ一人前ではないという社会的圧力があったのでやはり結婚せざるをえなかった。


現在では労働市場での男女平等が進んでいるので、女性には生存のために結婚するインセンティブが乏しい。特に賃金が平準化した結果、女性の上昇婚志向を満足させる相手が不足する。まあ、女性の意識が最大のネックとなる。


経済が破綻して多くの国民の経済水準が没落すれば結婚せざるをえなくなるが、人為的に狙うようなものではない。


これまでの歴代政権は少子化対策として結婚した男女への優遇策を推進してきたが、これは結婚していない男女に効果がないし、生活への期待水準を引き上げてむしろ少子化を促進する恐れすらある(高田保馬の国民皆貧論)。


女性の上昇婚志向は特に東アジアでは強いが、これは階級的分断が弱いのが一因であろう。欧米のような階級社会(かつ一夫一婦制規範が強い)では階級を越えた結婚に社会的規制がかかるため、女性の上昇婚志向が抑えられるであろうが、東アジアにはこのような抑制がない。

まあ、一夫多妻制を復活させるというのも一案ではある。伝統的に身分制の弱い東アジア(八百屋の娘が将軍を産んだりする)では一夫多妻制を容認することで女性の上昇婚志向を満足させて出生数を維持してきたであろうからである。しかしそれはロマンティック・ラブ・イデオロギーどころか、西欧近代的建前からの逸脱となる。現実的な選択肢ではないだろう。

結局のところ格差が拡大して中間層が減少して初めて結婚も増えて少子化も収まるほかないのかもしれない。

山田昌弘さんとともに「婚活」ブームを牽引した白河桃子さんが著書の中で今の若者にインドでは許婚制度がまだ根強く残っている、と言う話をすると、「良いですね~」「うらやましいです。」と言う反応が多く返って来る、と書いていましたね。

元々恋愛と言うのは生物が遺伝子の多様性を担保するために行う生存上の戦略と言う事で全ての男女に当てはまる、と言うものではないそうです。
だから恋愛結婚神話もあっさり崩れてしまったのでしょうね。

> 不要な『情熱』にこだわらず、互いを支え合える『よい友達』を探せばいい
> インドでは許婚制度がまだ根強く残っている、と言う話をすると、「良いですね~」「うらやましいです。」と言う反応が多く返って来る

性的にはNOだけど、友人としてはGOODな人と同居をすること自体は自然ですが
そこで、仮に婚姻関係であるのだから「性的関係を持つべきである」を付け加えると
社会的なセクハラの容認になってしまうのでないでしょうか?

恋愛の近年の傾向としては、性的にOKなだけではダメで、友人としても素敵な人で
なければならないという傾向に拍車が掛かって、恋愛のハードルが高くなっていると
いうことはあるかもしれません

プライベートな場であれば異性からのアプローチが嫌だったとしても
もし嫌だったら相手にしなければいいということになると思いますが
「職場はプライベートな場ではない」というのは、その通りですから
職場の同僚と結婚が減少するのは当然の流れだと思います。ところが
メンバーシップ雇用されている者達が、職場以外の居場所を形成する
ことは、あまり容易ではないので、諸外国以上に難しくなっていると
いうことがあるのではないでしょうか。

> 元凶として指摘するのが、近代日本に欧米から導入され、戦後開花したロマンティック・ラブ・イデオロギーだ。

欧米さんの「一部分だけ」を模倣しようとしているという自覚が不充分だったために、そのことによる欧米とは異なる問題の発生を回避するための措置が疎かになっているということは言えそうです

欧米の言説では、その前提については、もちろん、言及はあまりされない訳で、言説の「文章だけ」がちゃんと読めても、あるいは、読めれば読める程、日本への応用に対し適切に判断をすることができないのかもしれません

抽象的な視点では、また、同じような人達が同じような失敗を先導しているということですかね

> かつて、こういった「彼氏にしたい男性の企業ランキング」では「忙しい方が家で顔を合わせなくて済むから助かる」という、なんとも寂しい理由で激務企業が選ばれてきた。しかし、最近は「家事・育児も平等に分担したうえでの共働き」が一般的な家庭像になっていることもあり、ホワイト企業の男性が好かれる傾向にある。
> 実はこの「全部取り」な傾向、男女ともに似てきている。かつて、男性は女性へ年収や学歴を求めない傾向にあった。だが、現在は年収、外見、学歴、職業、家事育児への姿勢など「全部取り」を求める傾向にある。
https://mag.minkabu.jp/life-others/23710

「子供を作る、同一生計、共同生活」と色んなものを一つにしてしまっているので、
要件が高くなってしまうんじゃないですかね?共同生活の部分が重くなったのだから
他の部分を軽くすることで要件を下げましょう、と言っているように思えますけど。
でも、共同生活が目的であるならば、結婚である必要はないように思うのですけど。
一方で、欧州型の高負担・高福祉に移行すれば、同一生計の部分は軽くなりますね。
そうすると、婚外子が増えるなど、結婚の必要性自体が軽くなるんじゃないですか。

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