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2023年10月 2日 (月)

建前はジョブ型、実態はメンバーシップ型の学校教師だから

東京高校受験主義という方が、こんな呟きをしていて、

本当に政治家に届いて欲しいんだけど、教え子の大学生と話をしても、教員に興味のある学生はたくさんいるのに多くが諦めます。なぜか?教員免許取得のハードルが高すぎる。 例えば、早稲田大の学生は優秀なのに、教育学部初等教育学専攻以外は、小学校教員免許を取得できない。あり得ないよ。(続)

明治大学も、法政大学も、中央大学も、都内のほとんどの有名大学は正規の授業で小学校教員免許を取得できません。 そもそもほとんどの学生は小学校教員を希望しても免許すら取れない。応募できる分母が非常に限られているのだから、倍率が低下し続けるのは当然。

また、理系の学生も教員希望は多いのに、現実、ほとんどの学生が取得できません。必要取得単位数が多すぎて授業や実験との両立が困難だからです。優秀で真面目な子ほど、教員への道をあきらめているのが実態です。 教員免許は廃止一択。ぜひ政治家に広まってほしいです。

これに、書評家の山下ゆさんがこうコメントしているんですが、

今のRTs、「東大の学生は優秀なのに、理三以外は、医師免許を取得できない。あり得ないよ。」とか、「明治大学も、法政大学も、中央大学も、都内のほとんどの有名大学は正規の授業で医師免許を取得できません。」とかいうようにも応用できるんだろうか?

応用可能だとも応用不可能だとも言えますね。

医療の世界は日本社会では例外的にジョブ型原理が貫徹しており、医学部という高等職業訓練施設でみっちり訓練を受け、医師国家試験によってそれを公的に認証されない限り、医療行為に携わることは禁止されています。看護師や各種検査技師等もそれに準じる形でジョブ型システムが構築されており、給与体系は日本風に年功序列に傾いていても、決してメンバーシップ型ではない。(この一文がわかるかわからないかで、ジョブ型の理解度が測れます)

そういう世界で「東大の学生は優秀なのに、理三以外は、医師免許を取得できない。あり得ないよ 」とか、ましてや「明治大学も、法政大学も、中央大学も、都内のほとんどの有名大学は正規の授業で医師免許を取得できません 」などというジョブのスキル完全無視で地頭の良さ至上主義のイデオロギーを振り回してみても、「あほちゃうか」の一言で終わりです。

ところが、おなじく「センセイ」と呼ばれる職業であっても、学校の教師はそうではない。いや正確に言えば、そもそも明治の文明開化でも戦後改革でもヨーロッパやアメリカのジョブ型原理に基づいて法制度を整備してきた日本では、もろもろの公的な職業規制はジョブ型原理で作られています。だから、建前上は、戦前の師範学校、戦後の大学教育学部という高等職業訓練施設でみっちり訓練を受け、教員免許という形で公的な認証を受けた者のみが学校教師というジョブにつくことが許されることになっている。けれども、その実体は限りなくメンバーシップ型の日本社会に接近しているために、上記のような不平不満が出て来るのでしょうね。

これは、欧米から押しつけられたと感じているジョブ型の建前と「世の中こういうんでまわっとるねん」というメンバーシップ型の本音とのずれが存在するところではいつでもどこでも発生するものなのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

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コメント

果たして、「免許がなければその仕事を行うことはできない」は「ジョブ型と同義」なのか?
それとも、「ジョブ型の重要な一側面」なのか?と問うと、後者のような気がするんですが。
「その仕事を行う能力がなければその仕事を行うことはできない」だと同語反復でしかない。
免許を広げれば、「その仕事ができることの客観的な証明」ですかね。教員については医師と
同様に「実態としても、概ね、そのように運用されている」けれども、他方で「法律で規制が
されているので仕方がなく」という感覚が世間的には一般的であって、その影響を強く受けて
いる点では医師と異なるということでしょう。

現行の制度を前提としても、業務独占である医療職と補助金や税の優遇の対象となる学校の設置基準の一部にすぎない教育職とでは免許の必要度合いに対する認識が異なるのでは。

例えば、義務教育などは独占しているように思われるけど
外部のフリースクールに対して校長が出席認定できるので
独占は弱いと言えますね

どのみち、欧米のジョブ社会のジョブの多くが法的に規制
されている訳ではないので、社会的認識の差の問題なので
しょうねえ

多摩川花火、川崎市側で3400万円の収支不足の見通し 21日に4年ぶり開催 コロナ禍で協賛企業が撤退
2023年10月6日 19時33分https://www.tokyo-np.co.jp/article/282161
"人件費も高騰し、警備要員として市職員を前回よりも60人増の187人とし、警備費の圧縮を図るという。"

日本県医療委員会は医者不足となり手不足解消のため、2023年度中に医師免許取得予定の大学生らに臨時免許を与え、県立病院で非常勤医師として任用することを11日までに決めた。
取得予定以外の院種や医科を担当することもある。
県医委は「医者志望者が段階的に現場経験を積むことは、なり手不足の解消につながるはずだ。一人でも多くの人に応募してほしい」と話した。

> 教員採用試験のうち、9月に行われた水泳の実技試験受験者73人分の採点表を紛失したと発表した。紛失を受け、県教委は水泳の実技試験受験者の点数を全員満点とした。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20231028-OYT1T50071/

「水泳の技能は必要ない」ということなんでしょうね。
ならば、なぜ、試験をしたのですか?

>けれども、その実体は限りなくメンバーシップ型の日本社会に接近しているために、上記のような不平不満が出て来るのでしょうね。

申し訳ありませんが仰る事がよく理解できません。どのような点から
   (教員は医師よりも)その実体は限りなくメンバーシップ型の日本社会に接近している
と判断されたのでしょうか?


>また、理系の学生も教員希望は多いのに、現実、ほとんどの学生が取得できません。必要取得単位数が多すぎて授業や実験との両立が困難だからです。優秀で真面目な子ほど、教員への道をあきらめているのが実態です。 教員免許は廃止一択。ぜひ政治家に広まってほしいです。

理系の学生が希望する教員と言うのは小学校の教員でしょうか?
最近の状況は分かりませんが、昔々私が理系の学生だった頃は理系の学生で高校の教員免許を取得する人も多かったと思うので、高校の教員免許であれば両立はそれほど困難ではないと思います。


>医療の世界は日本社会では例外的にジョブ型原理が貫徹しており、医学部という高等職業訓練施設でみっちり訓練を受け、医師国家試験によってそれを公的に認証されない限り、医療行為に携わることは禁止されています。
>今のRTs、「東大の学生は優秀なのに、理三以外は、医師免許を取得できない。あり得ないよ。」とか、
「明治大学も、法政大学も、中央大学も、都内のほとんどの有名大学は正規の授業で医師免許を取得できません。とかいうようにも応用できるんだろうか?

ジョブ型原理が貫徹している職種では、その職種に携わるには
 A) 高等職業訓練施設による訓練
 B) 国家が行う試験による(訓練の成果の)確認
が必要だという事だと思います。しかしB)の試験によってその職種に携わるのに必要な技能があるかを判定できるのであれば、A)の訓練をB)の試験の受験資格にする必要はないと思います。
つまり
  訓練施設によらず独学であってもB)の試験によってその職種に必要な技能がある事を判定されれば従事できる
という考え方もあると思います。
例えば
  有名大学の学生は優秀だから、医学部で訓練を受けなくても(医師としての技能を認めて)医師免許を取得させよ
という考え方はどうかと思いますが
  有名大学の学生は優秀だから、医学部で訓練を受けなくても(医師としての技能を判定する)医師国家試験の受験を認めよ
という考え方はどうでしょうか?
法律の世界も医療と同様にジョブ型原理が貫徹しており、国家試験(司法試験)によって法律家としての技能を公的に認証されない限り、法律に関する職業に携わる事は禁止されていると思います。しかし昔の司法試験では、法学部という高等職業訓練施設でみっちり訓練を受けなくても司法試験に合格すれば法律に関する職業に携わる事が出来たと思います。例えば中学卒業後にヤクザの愛人になったが一念発起して弁護士になった女性が報道された事があったと思います。
法律の世界では、B) 国家が行う試験による(訓練の成果の)確認 だけを職種に携わる条件にしていたのは、法律の世界は医学や初等教育の世界に比べて書類での処理が多い(体を動かす実技が少ない)ので、試験(ペーパテスト)だけで技能の判定が可能だと考えられていたからなのでしょうか。

探偵小説に ”安楽椅子探偵 という分野があります。これは
 事件が起きても自分で現場の捜査を行わず、安楽椅子に座ったまま事件の資料だけから犯人を推理する
という探偵です。法律の世界では、裁判において安楽椅子に座ったまま裁判資料だけから判決を下す ”安楽椅子裁判官” というのは存在しそうですが、医学や初等教育の世界では安楽椅子に座ったまま仕事をする ”安楽椅子外科医”とか ”安楽椅子小学校教諭” というのは存在しそうにありません。
私事ですが、私の高校の国語の先生の一人は高齢の方でしたが、授業中はずっと椅子に座ったまま生徒に教科書を読ませたり質問したりしていました。今思うと、その先生は ”安楽椅子高校教師”だったかもしれません。

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