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2023年9月14日 (木)

熊沢誠『イギリス炭鉱ストライキの群像』

633450 熊沢誠さんより『イギリス炭鉱ストライキの群像』(旬報社)をお送りいただきました。

イギリス炭鉱ストライキの群像 新自由主義と闘う労働運動のレジェンド

鎌田 慧(ルポライター)氏推薦!

「イギリス労働運動の敗北と復活の歴史から、異議申し立ての文化と連帯、
 相互扶助の精神を引き出し、復活させた渾身の力作」

1980年代以降、イギリスでは保守党サッチャー政権による改革が行われ、世界的な新自由主義拡大の嚆矢となった。
その一方で、改革に抵抗し、自らの誇りとコミュニティを護るために闘い抜いた炭鉱労働者とその家族の姿がある。
本書はストライキをはじめ、みずから望ましい労働環境を獲得しようという意識の失われた現代の日本に、イギリス炭鉱ストライキのもつパワーと、連帯の意義を伝える。

熊沢さんは既に80代半ばですが、労働運動に対するほとばしるような思いはなお枯れることなく、1980年代半ばにサッチャー政権に挑戦して敗れていったイギリス炭鉱労組の「英雄なき闘い」を一冊の本として世に問わんとしています。

序章 今なぜ、イギリスの炭鉱ストライキ(一九八四.八五年)の物語を描くのか
第1章 イギリス炭鉱ストライキ(一九八四~八五年)の史的検証
第2章 第Ⅰ期:八四年春 ストライキの拡大と強権の始動
第3章 炭坑夫とはどのような人びとなのか
第4章 第Ⅱ期の苦闘:八四年夏~秋
第5章 ストライキを持続させるムラ・コミュニティ
第6章 第Ⅲ期の軌跡:八四年一一月~八五年三月
第7章 その後の憂鬱な経過
第8章 思想的・体制論的な総括
むすびにかえて
英略語一覧
主要参考文献一覧

正直いって、このNUMの闘いに勝算はなかったのだろうな、と思わざるを得ません。読みながら、1950年代の日本の労働争議の敗北に次ぐ敗北の歴史を想起する人も多いと思います。

熊沢さんはサッチャーの勝利が招いた社会として新自由主義が支配する社会が到来したとし、近年それに対抗する動きが出てきたにもかかわらず、日本だけはそれがないと批判します。

そして、現在の日本で唯一希望を持てる労働運動として刑事弾圧を受けている関生支部を挙げるのです。このあたりの感覚は、かつて本ブログで疑問を呈した木下武男さんと共通しています。

それゆえ、本書に対する違和感も、木下さんの本に対するものと共通しています。

木下武男『労働組合とは何か』

・・・ここに、私は本書の一つ目の問題点を見ます。半世紀前の英米労働史中心史観のままでは、現在の世界の労使関係状況を分析できないのではないかということです。そしてそれはもう一つの大きな論点につながります。

なぜドイツ始めとする大陸ヨーロッパ諸国は産業別労働条件決定システムを維持しているのか。人によっていろいろ議論はあると思いますが、まちがいなく事業所委員会などの企業内従業員代表制が企業内のことを担当してくれているから、安心して企業の事情に引きずられない産別決定が可能になっているのではないかと思うのです。この話が、本書では欠落しています。むしろ、従業員代表制がアメリカでは会社組合とされ禁じられてしまうがゆえに、安定した企業レベルと産業レベルの分業体制が構築できず、今日のノンユニオン型に陥ってしまったのではないか、ということを考えれば、これは極めて大きな問題です。

いや、木下さんが明示的に書かなかったこの点を正面から取り上げたのが本書なのではないか、と言われるかも知れません。

・・・しかし、話はそこで終わってはいないのです。

イギリスはその後、労働組合のコントロールの及ばないショップスチュワードの世界が展開し、それが政治問題になり、それがちょうど拙著ではアラン・フランダースの本で説明した辺りですが、その後サッチャーの手で労働組合に壊滅的な打撃が加えられ、労働組合による集団的決定の世界は非主流化してしまいました。今のイギリスはむしろノンユニオン型です。

熊沢さんはいうまでもなく、イギリスとアメリカの労働運動史から研究史を始められた方であり、伝統的なトレードユニオニズムに親和感を持つのは当然とも言えますが、半世紀前に叩きつぶされた路線こそが希望の道だったのだというわけにもいかないでしょう。叩きつぶされることなく生き残り、むしろ今日まで力を発揮し続けてきている労働運動はなぜそれができてきているのか、という問いも等しく重要なはずです。

でも、考えてみれば、そういう議論すら最近の日本ではほぼまったくされることもないまま、労使関係論などは完全に放置プレイの対象扱いされてきていることを考えれば、ものごとをもういっぺん考え直すうえで、この40年前の敗北戦の歴史を読み直すことは決して無意味なことではないと思います。

 

 

 

 

 

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