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2023年9月15日 (金)

電機連合出身の首相補佐官

2023091400686354fnn0001view 岸田改造内閣のニュースの中で、こんなのが飛び込んできました。

首相補佐官に前国民参院議員の矢田稚子氏を任命へ…「自公国」構想実現への布石狙い

岸田首相は、首相補佐官に国民民主党前参院議員で労働組合出身の矢田 稚子わかこ 氏(57)を任命する方針を固めた。近く正式に任命する見通しだ。国民との政策連携の仲介役となることを期待しており、自民、公明両党の連立政権に国民を加える「自公国」構想実現への布石とする狙いがある。

政治評論家や政治部記者的には、そういう政党関係の話が中心になるのでしょうが、矢田さんは立憲と国民に別れる前の民進党時代から、電機連合の組織内議員として活動してきた方なので、この人事は何よりも、岸田政権が労働組合の中に直接手を突っ込んできたということを意味し、その含意は自公国連立といった規模の小さな話を超える射程を持っているようにも思われます。

とりわけ、その所掌が、

補佐官としての担当政策は、賃金・雇用とする方向だ。政府・自民内では、国民が重視する政策を担ってもらうことで、国民との政策連携が促進されることへの期待が出ている。

いやいや賃金・雇用というテーマは、別に小さな国民民主党だけが重視するテーマではないでしょう。それこそ、連合自体にとって一番重要なテーマであり、それを官邸内で所管しているのが電機連合出身の首相補佐官だとしたら、そこがメインゲートにならないはずがない。

それこそ、連合のもう一つの組織内議員を抱える政党であるより大きな立憲民主党が、そういう組合員の関心事項とはかけ離れたことにばかりかまけていると、重要事項ほどスルーされてしまう危険性すらあり得ます。

この一手がどこまでを睨んで打った一手なのかは、首相の腹の中ですが、労働問題の観点からすると、「自公国」構想実現などというみみっちい話に止まらないような気がします。

 

 

 

 

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コメント

 まあ、こういう手を思いつかれるようでは立憲民主党の政権奪取と言う勇ましい掛け声が嘘くさく思えてきますね。

 完全に自由民主党に見透かされてるんですよ(^^;

 私がもう一つ気がかりなのは、国民民主党と立憲民主党の関係がかつての日本社会党の右派の一部が分派した民主社会党、後の民社党と右派の一部・左派が残留した日本社会党との関係に似てきていないか?と言う事です。
 民社党はのちに土光臨調の頃から自由民主党に協力的になり、減税を主張するなど政策的には新自由主義になり、また反共産主義が高じて極右ナショナリズムに近くなりました。
 日本社会党も左派の社会主義協会色が強くなり、後に江田三郎氏の離党、「新宣言」採択しながら路線変更がうまくいかない、と言う有様になります。
 そして両党とも東西冷戦崩壊後の「政治改革」時代に解党していしまいました。

 国民民主・立憲民主もまたその繰り返しになりかねないです。

これは連合の組織としての性格が今後どのようになっていくのかと関連しますね。

連合が、従来どおり大企業の正社員を構成員とする企業内組合を基盤とする限り、日本型雇用の崩壊で中核社員は縮小していきフランスのカードルのようなエリートばかりとなれば(フランスではカードルの大衆化が進んでいるようなので結果的に似たようなものに収れんする)、エリートを基盤とする連合と結びついた保守政党として自民党がむしろ純化される。対してノンエリートの組織化が連合とは別の形で進んでそれを基盤とする労働者政党が成立すれば、ヨーロッパ的な政治構図となる。

連合がノンエリート層を広範に取り込んでむしろ大企業の中核社員がそこから離脱すれば、連合と結びついた自民党は労働者政党色を強める。まあ、もともと自民党の伝統的支持基盤であった零細農家や自営業者層は、本来的には戦後改革によってプチブル化した労働者層であって、自民党は純粋な保守政党とはいいがたかった。小泉純一郎はこれを切り捨てて都市中流を基盤とした政党に自民党を改造しようとしたといえるが、この方向を他の政党が担うのであれば、アメリカ型の二大政党制に近づくのかもしれない。

まあしかし、現実にもっともありそうなのは、連合の性格は曖昧なまま推移し、上の方がいうように国民民主、立憲民主は民社党や社会党のようになって五十五年体制のリバイバルとなる展開であろうか。しかし維新の存在がその単純な繰り返しを許さないようにも思われる。

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