マシナリさんが『家政婦の歴史』を書評
昨日の労務屋さんに続いて、マシナリさんにも『家政婦の歴史』を書評していただきました。タイトルは「「正義の刃」の犠牲者たち」と、まさに私が言いたいことの核心に迫っていただいています。
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-846.html
いやまあ「勢い」と書いてしまって本書が雑な論旨で煽っているように誤解されてしまうのは申し訳ないのですが、労務屋さんが「実際ほぼ一気読みしてしまいました」とおっしゃるように、ニュービジネスとして颯爽と登場した派出婦会が、ヤクザな労務供給請負事業と一緒くたにされて、結局戦後は「家政婦」と呼ばれて労働基準法の適用除外とされ、労災の適用も任意とされてしまう流れは、裕福な家庭の主人公に様々な困難が降りかかるドラマを見せられているような気分になります。
ただしそれはドラマではなく現在にまで続く歴史的事実であり、しかもハッピーエンドではないという後味の悪いものではあるのですが。
そう、自分とは直接関わりのない理由でいきなり不条理な状況に放り込まれてしまうドラマを描くつもりもありました。
このような優雅(?)な出自の派出婦会に対して、本書で引用されている矢次一夫の記述によると労務供給請負業はいわゆる人夫供給のブローカーであり、その描写からは、劣悪な環境で生活に困窮した男たちを薄給で酷使しながら自分は贅沢三昧を決め込むという五社英雄の映画に出てきそうな親分が頭に浮かびます。まあそもそも本書でも指摘されている通り、山口組は正に港湾労働での労務供給請負業がその起源ですのでイメージは間違っていないと思うのですが、それはともかく多重請負で末端の労働者が搾取されるという業態は現在にも通じるものがありますね。
矢次一夫や吉田英雄のどん底生活のどろどろした描写も、戦前の派出婦たちとの対比を狙ってわざと引用したものです。
しかし歴史的事実としては、戦後の占領下でGHQが法整備を進める中で、こうした視点を持たずに制定されたのが職業安定法であり、GHQの一担当官であるスターリング・コレットの個人的見解によって労働者供給事業が禁止されることとなります。このとき、hamachan先生の言葉を借りると「労働者供給事業撲滅への十字軍的な強い意志」によりコレットが声明文を作成するのですが、個人的にはこの声明文がいわば本書のクライマックスとして「勢い」を感じるポイントにもなっています。その「勢い」は是非お手にとって感じていただきたいところでして、「十字軍的な強い意志」と現実の制度が適切に機能するかは全くの別次元の問題だという教訓として銘記すべき事案ですね。
コレットの「正義」は、決して間違っていたわけではなく、彼の念頭にあった人夫供給業についてはまさに正しいものであったにもかかわらず、その「正義の刃」が何の罪もない派出婦たちを叩き斬る無情の刃になったというところにこそ、私が一番本書で読者に訴えたかった点があります。
この職業安定法によって、戦前は合法的なニュービジネスだった派出婦会の労働者供給事業が非合法化されたものの、それが現実にある需要と乖離したものであったため派出婦会によって賄われていた家政婦や附添婦などの現場が混乱に陥ります。そして、労働組合による労働者供給事業はこのときの代替案だったわけですが、これも労働委員会によって労働組合の資格審査ではねのけられてしまい、職業安定所が派出婦会の機能を肩代わりするなど迷走します。hamachan先生はこの経過を「派出婦会という労働者供給事業の枠組みでしか円滑に作動させることができない代物を、そのビジネスモデルをイデオロギー的に全面否定する枠組みの中でなんとかもっともらしくでっち上げなければならないという究極の無理ゲーを強いられた(p.157)」と評されるのですが、former地方公務員としても読んでいるだけで陰鬱な気分になります。
私も役人だったので、自分がこのときの職安局の役人だったらやっぱり同じように右往左往して醜態をさらしていただろうなと思います。
政治を論じる際には立場の如何を問わずこうした視点が不可欠だと思うところです。既存の仕組みを「イデオロギー的に全面否定する」ような威勢のいい言説はいつの世にも強い支持を得るものでして、またぞろ小沢信者界隈が政権交代すればすべて解決するというような動きを見せているようですが、現に施行された法規制やそれによって形成された人々の活動を軽視する「正義の刃」ほど怖いものはないという格好の事例として多くの人に読まれるべきと思います。
インチキな「正義」であれば、そのインチキを暴露すればいい。なまじ半分正しい「正義の刃」だから問題なんです。やってる本人も本気だし、その正義は確かに正しい。かなりの部分において。だけど、小さくても重要な点においてそうじゃない。正義じゃない。そういう「おおむね正義」が絶対正義として権力的に行使されると何が起こるのか。その絶好の実例だったんだろうと思います。
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早速取り上げていただきありがとうございます。
書評ともいえないような駄文で恐縮ですが、特に
> やってる本人も本気だし、その正義は確かに正しい。かなりの部分において。だけど、小さくても重要な点においてそうじゃない。正義じゃない。
とご指摘の部分は拙エントリでの記述が不充分でしたので蛇足ながら追記いたしました。
なお蛇足ついでに、職業安定所が使用者となったり、労働組合による労働者供給事業として位置づけようとしたりというのは当時の苦肉の策だったのかもしれませんが、現在から見ると海老原嗣生さんが以前提唱されていた「公的派遣http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-400.html」に通じていたり、特定の分野では現在まで労組労協が機能していたりして、社会の適応力の高さのようなものを感じたりしました。
投稿: マシナリ | 2023年8月 3日 (木) 23時59分
追記ありがとうございます。
まあ、確かにこちらは悪いけれどもそちらはそうじゃない、みたいな議論は、変革期にはとりわけ、生ぬるいとか、中途半端だと罵倒されがちで、勇気がないとなかなか言えないものでしょう。
本件の場合、GHQという絶対権力者には絶対に逆らえないという特殊事情があったわけですが
投稿: hamachan | 2023年8月 4日 (金) 09時08分
民法の原則としては不味くないことを(例えば、労働法などで)規制するということが
「そもそも、どういうことなのか?」という認識が薄いのでしょうね
いや、最近の動向としては、労働法よりも、アレな方々の動向の方が問題なんだけれど
投稿: らく | 2023年8月 5日 (土) 07時17分