『家政婦の歴史』に見られる人々のマヌケさ
save_asさんの「名前をつけて保存」というブログで、『家政婦の歴史』に過分の御評価をいただいています。
濱口桂一郎の新刊『家政婦の歴史』を読んだんだけどこれがとんでもなくすさまじい本で、労働法にひっそりと書かれた時代錯誤な条文が戦後から今の今まで生き残っており、なおかつそのことに誰も気づいていなかったということを丁寧に実証していくというたいへんな労作であり、労働研究者らのフェミニズムへの関心のなさ(さらに穿った見方をすれば、フェミニストの労働問題への関心の弱さも?)を暴いた本として強烈に印象に残る。新書の書き手としてはベテランの濱口の軽妙な語り口も相まって、サラっと読めるわりにとてもスリリングな本でたいへんおすすめできる。・・・
過分の御評価、有り難い限りです。
この後の部分は、正直私には全く分からない分野の話なのですが、
・・・だが、『家政婦の歴史』に見られる人々のマヌケさを見てちょっと思いが変わった。たぶん古栗読者も、家政婦の問題を見落としていた人々と同じで、古栗の受けたパワハラを「見落としている」のだ。
でも、お互いにほとんど没交渉の社会のある部分と別の部分とに、思いがけない相似形が浮かび上がってくるということはあるのかもしれません。
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