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2023年8月 2日 (水)

龍井葉二『猪俣津南雄』

629216 龍井葉二さんより近著『猪俣津南雄 戦略的思考の復権』(同時代社)をお送りいただきました。

http://www.doujidaisya.co.jp/book/b629216.html

日本資本主義論争を尻目に農村踏査を行い、反ファッショの統一戦線を模索し続けた猪俣津南雄――。その闘いの軌跡

恐らく圧倒的に多くの人にとって、猪俣津南雄って誰?という状態でしょう。戦前のマルクス主義者の中で独自の位置にいる人です。アメリカ留学中に社会主義者になり、帰国後第一次共産党結成に参加するも、第二次共産党には参加せず、『労農』同人として、共産党系の講座派と対立する労農派の代表的な論者でしたが、その後『労農』も脱退し、多くの著作を残した人です。

248639 ちなみに、岩波文庫にも『窮乏の農村』が収録されています。

本書はそんな猪俣の評伝ですが、龍井葉二さんとどういう関係にあるかというと、彼の師匠の師匠に当る人なんですね。本書にも随所に若き日の高野実が出てきますが、猪俣の最後の内縁の妻だった大塚倭文子と高野実が結婚して、高野孟と津村喬の兄弟が生まれるのですね。

戦後高野実は総同盟主事から総評の事務局長となり、いわゆる高野時代を作ることになりますが、若き日の龍井さんは高野実の労働関係資料の整理に大船のお宅に通うようになったそうで、いわば高野実の弟子筋ということになりましょう。

お手紙には「20代半ば以来、40数年間も放置していたものを,リタイアを機にどうにか形にした」と書かれていて、その意味では龍井さんのライフワークということになります。

緒 言
  〈一〉時代を超えて共鳴し合うもの
  〈二〉ロシア革命インパクトと組織問題
  〈三〉批判的活動を通じた独自の思想形成
  〈四〉戦略的思考が切り開くもの
第一章 共産党結成と旧思想の克服 一九二一~二三
第二章 共産党再建と無産政党をめぐる確執 一九二四~二六
  〈一〉活動制限下の調査研究
  〈二〉猪俣の社会主義思想
第三章 独自の現段階分析と戦略規定
第四章 「帝国主義研究」と「現代日本ブルジョアジーの政治的地位」
  〈一〉世界革命の展望――『帝国主義研究』
  〈二〉日本革命の展望――「現代日本ブルジョアジーの政治的地位」
第五章 戦略論争と組織論争の展開 一九二八~二九
  〈一〉戦略規定をめぐる論争の展開
  〈二〉混迷深める無産政党合同問題
  〈三〉労働戦線再建の試みと『労農』脱退
第六章 戦略的思考と横断左翼論
  〈一〉戦略的思考――戦略論争が提起するもの
  〈二〉横断左翼論――統一戦線と前衛結成の交互作用
第七章 戦略論争の新展開
  〈一〉「野呂・猪俣論争」再考
  〈二〉「コミンテルン綱領」をめぐって
  〈三〉その後の猪俣の活動
第八章 「労働戦線」から「民衆戦線」へ
  〈一〉職場に根ざした労働組合の構築
  〈二〉反戦運動の展開と全評結成
  〈三〉加藤勘十訪米と「英文レポート」
  〈四〉「統一運動に現れた労働者大衆の生長」
第九章 ファシズム批判と未完の農村革命論
  〈最期の日々〉一九三七年~一九四二年
第一〇章 生い立ち~米国留学時代
  〈一〉俳人「鹿語」として
  〈二〉米国における留学生活

 

 

 

 

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コメント

目次を見る限りでは猪俣津南雄さんは戦後も労農マルクス主義者として向坂逸郎氏率いる社会主義協会とも一線を画して活動を続けられた荒畑寒村さんと近いのでしょうか。

 荒畑寒村と猪俣津南雄
 寒村と猪俣は第一次共産党~「労農」同人(労農派)として行動を共にしましたが、1929(昭和4)年、中間派無産政党であった、日本大衆党の清党事件
(当時の書記長、平野力三が「黒い金」を貰っていたのではないか、として労農派の猪俣、鈴木茂三郎らがこれを糾弾したことにより、喧嘩両成敗的処分がなされ、平野も労農派も離党させられた事件。
 平野の立場からするこの事件の評価として、横関 至「平野力三の戦中・戦後 1 日本大衆党の清党事件」
( oisr-org.ws.hosei.ac.jp/images/oz/contents/613-04.pdf )(大原社会問題研究所雑誌  №613 43~48ページ)がある)
 を契機として、猪俣が「労農」同人からも脱退したことにより、たもとを分かつことになります(横関論文にもあるように、寒村はこの清党事件における、「労農」同人の行動には極めて批判的)。
 その後、二人が再会したのは、1937(昭和12)年の人民戦線事件第一次検挙で、二人が共に逮捕された、獄中でのことでした。
 このあたりの経過は、荒畑の自伝、「寒村自伝」にも出てくるので、興味があったら、読んでみてくださいね。

 ということで、「寒村自伝」の愛読者である、私もこの本は読んでみたいです。

本をざっと読んでみた限りでは荒畑寒村との接点はほとんど出てきませんね。荒畑と猪俣、それぞれ別の歩みを進んでいたということではないかと思います。猪俣はそもそもインテリであって荒畑とはやはり性が合わなかったのでは。

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