オベリスクさんの『家政婦の歴史』評
今まで多くの拙著をブログで書評してきていただいてるオベリスクさんが、今回は『家政婦の歴史』に若干の戸惑いを示しつつ感想を述べられています。
https://obelisk2.hatenablog.com/entry/2023/08/09/163259
夜。
濱口桂一郎先生の『家政婦の歴史』を読み始めたが、社会科学全般に疎いので、読むのがたいへん。歴史についても無知で、そもそも本書に頻出する「派出婦会」や「派出婦」といった語すら、聞いたことがなかった有り様だ。だからというか、本書の何についてわたしは興味をもてばよいのか、とまどいながら読んでいたのであるが、第五章まで読んで、やっとおもしろくなってきた。うまく言語化できないのだが、「国家の定める法」と現実が乖離するとき、実際に何が起きるのか、ということである。
「派出婦会」というのは1918年に最初にできたもので、家事を代行する「派出婦」を、パートタイマー的に家庭に送り込んで手数料を取る団体であり、これは(無給のことすらあった)「女中」の存在を衰退させるくらい、社会に必要とされたという。しかし敗戦から日本を統治した GHQ はこのような存在を前近代的な悪弊(労賃をピンハネしたり、劣悪な労働環境を強制する、というような)をもつ、悪しきものと見做し、法的にこれを規制しようとした。しかし「派出婦」は、現実に必要とされており、そのあたりの齟齬をどうするか、現場は困るというわけである。まだ、そこまでしか読んでいないが、その矛盾の帰結が、いまでも「家政婦」という存在に残っているということらしい。
他人にはどうでもいいことだろうが、恥ずかしいけれど、わたしは「法」という観点から、国家を見たことがあまりなかったな。まったく、これまでいろいろ勉強してこなかったなあといまさら思う。
いやいや、労働法研究者を含め、本書を読む圧倒的多数の方々が、「派出婦会」という言葉を聞いたことがなかったと思いますよ。
そこのところを突っ込むのが本書なんで、まさに第5章あたりからいろいろな伏線が絡み合ってくることになるのです。
X(旧ツイッター)で安眠練炭さんが「労働法の闇の歴史の本」と評されていましたが、現在起こっている小さな事件の背後に数十年も昔の曰く因縁が隠されているという意味では、その昔の探偵小説に近いものがあるのではないかと思っています。
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