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2023年7月 2日 (日)

専門知をふりかざし市民を圧倒する人は専門家と呼べない

朝日新聞記者のこのツイートがさんざん批判されていますが、

https://twitter.com/erika_asahi/status/1674254761049337856

素朴な異論や懸念を「わかってない!」と封じ込める光景にTwitter等でよく遭遇します。
そうした「専門知をふりかざし市民を圧倒する人は専門家と呼べない」と三牧聖子さん
@SeikoMimaki
「専門家は市民の痛みや苦しみに人一倍敏感でなければ」の指摘、いいね100万回以上です。

実は話はも少しねじれている。

というのも、少なくともここ半世紀くらいは、専門知をふりかざして市民の素朴な異論や懸念を封じ込める偉そうな奴らだとさんざん罵倒されてきたのが、朝日新聞や岩波書店のようなそれなりにアカデミックな知識でもって世を啓蒙しようという人々であり、そういう専門家の知った風な議論をせせら笑って「ぼくのかんがえたさいきょうの」議論を振り回してきたのがwillやhanadaな人々であったわけで、いやまあそういうのがお好きなら別に止めはしませんけれど、という感想が湧いてくるのを抑えられない。

いや私の言ってるのはネットに書き込むこともままならないような「市民の痛みや苦しみ」の話なんで、ネット上で聞きかじった一知半解の知識を振り回している天下無敵なド素人の皆さんのことじゃない、と言いたいんだろうけど、それをどこで区別できるかと言えば、区別のしようはないわけです。そういう人々だって、主観的にはまさしく「市民の痛みや苦しみ」に充ち満ちているのであって、それは偽物の「市民の痛みや苦しみ」であり、私が抱えている方が真正なる「市民の痛みや苦しみ」だなんて、超越的な神の目線に立っているのでない限り証明することは不可能でしょう。

もちろん、専門家の議論には専門家の議論である故の見落としや落とし穴があり得、それを素人の異論や懸念が見事にえぐり出すと言うこともあります。というか、いつもいつもそんなことがあるわけではないけれども、ときにはそんなこともないわけではない、という程度にはあり得る。

とはいえ、その素朴な異論や懸念が実は専門家の議論の盲点を鋭く突くものであるということを的確に判断し、その位置づけをきちんと説明できるためには、ホントの素人の手には余るのであって、少なくとも専門家の中で議論できる程度の専門的知識を持っている人でないといけないわけです。

非常にうまくいけば、専門家集団の中で主流の議論に疑問を感じている専門家がそういう素人の素朴な異論や懸念をうまくすくい上げて的確に言語化し理論化するということも、ないわけではないし、それが学問の発展につながるということもないわけではないけれども、でも、いつもいつもそういうわけにはいかないし、ましてや素人の異論や懸念だけでそんなうまい話になるなんてことはあり得ない。

そういうのを全部すっとばかして、素人の素朴な異論や懸念を祭り上げるようなことをいっていると、「ぼくのかんがえたさいきょうの」議論ばかりが世を覆うことになるでしょうけど、それでいいのかな、ということです。

 

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コメント

>専門知をふりかざし市民を圧倒する人は専門家と呼べない
>そういうのを全部すっとばかして、素人の素朴な異論や懸念を祭り上げるようなことをいっていると、「ぼくのかんがえたさいきょうの」議論ばかりが世を覆うことになるでしょうけど、それでいいのかな、ということです。

専門家が素人の「ぼくのかんがえたさいきょうの」を祭り上げる必要はないと思いますが、どこに問題があるかを素人にもわかるように説明して頂ければと思います。専門家が素人に理解できないレベルで問題点を指摘しても、指摘された側は”専門家が専門知をふりかざして圧倒した”と思うかもしれません。専門家が分かり易く問題点を指摘しても指摘された側は納得しないかもしれませんが、素人に理解できるレベルの説明であれば、多くの第三者にとって専門家と指摘された側のどちらが妥当かを判断できると思います。
私は中学の時に
  地面を蹴ったら空中に上がるから、地面に落ちる前に蹴ったら空中に居続けるはずなのにうまくいかないのはなぜだろう?
と思い物理の先生に質問した事があります。先生は「ぼくのかんがえたさいきょうのひこうほうほう」の問題点を分かり易く説明して下さいました。  
私は別の記事で井出氏の主張に批判的なコメントを投稿しました。これも「ぼくのかんがえたさいきょうのぜいせい」かもしれません。そうであれば専門家の方に私が理解できるレベルで問題点を指摘して頂ければと思います。私が理解できるレベルであれば、このブログの読者の方も判断できると思います。
井上ひさしという作家は
   むずかしいことをやさしく、
   やさしいことをふかく、
   ふかいことをおもしろく、
   おもしろいことをまじめに、
   まじめなことをゆかいに、
   そしてゆかいなことはあくまでゆかいに
をモットーにしていたそうです。専門家の方も大変だと思いますが、この考え方で素人に対応して頂ければ嬉しいです。

うん、だから、そういう風に思って、歴史の専門家が一生懸命分かりやすく一つ一つ史料を示しながら説明しても、そんな虚偽の宣伝には一切耳を貸すことなく、南京虐殺などかけらもなかったよいうたぐいの「正しい歴史の真実」をひたすらわめき続ける「真実に目覚めた」「市民の皆さま」に、いい加減嫌気がさしてきたというのが、ここ十数年の日本近代史をめぐる流れであったように思いますが、それでも倦むことなく、何一つ聞く気のないような「ぼくのかんがえたさいきょうの」市民諸氏に対して、一言も耳に入らないであろうことが予め分かっていることを説き続けろというのは、そういう真摯な歴史家の皆様方に対して,あまりにも酷というものではなかろうかと思わないでもありませんね。

中学生時代のAlberichさんのように、諄々と説き聞かせれば素直に理解する気のある「市民」だけからなる市民社会ではありませんので。

専門家は市民の痛みや苦しみに人一倍敏感でなければならない、というのはその通りではありますが、しかしだからと言って、その市民の痛みや苦しみにただ流されたり寄り添ったりするだけではそれはもう専門家とは言えないですよね。別に専門家が専門知をフルに駆使して市民を圧倒することが悪いとは思いませんが。むしろそれが期待されている一面もあるとは思います。そのための専門家だろ、とだれか言ってやれ。

「専門家でもないくせにエラそうに。
文句があるなら、専門家と肩を並べるぐらい、その分野を勉強しろ。
それができないなら、黙って専門家に従え。
それも、業界のメインストリームの優秀な専門家をな。
そしてそんな優秀な専門家は、日本政府に多く集まる。
日本政府に近い専門家の言うことに従え。
男は黙って権威主義。
分かったな?」 

以上!

某H誌や某W誌や正※誌に”ぼくのかんかえたさいきょうの”を発表している人は、それでご飯を食べている、いわば教祖様なのでどんなに説明しても説得するのは難しいと思います。しかしこれらの雑誌の読者には、いわば入信したばかりの人や入信しようか迷っている人も多いと思うので、それらの人は説得できる可能性が高いと思います。偏った考えだけに接していると症状がどんどん重くなるので早い時期に専門家のまともな意見に接していると重症化は防げると思います。
一般論ですが専門家は教祖様より不利だと思います。専門家は(不利な事も含め)その分野で確立した事しか言えませんが教祖様はなんでもありです。
例えばコロナワクチンに関して専門家が言える事は
 A.接種によりほとんどの人は感染や重症化を防ぐ事ができる
 B.ごく一部の人は副反応により体調が悪くなったり亡くなる事がある
 C.接種のリスクより利益のほうがはるかに高いので接種すべきである
という事だけです。A.の利益だけでなくB.のリスクもきちんと説明しなければなりません。
これに対して教祖様は
 コロナワクチンはディープステートの陰謀である
とか
 コロナワクチンにはマイクロチップが混入されているので接種されると5Gの電波で誘導される
とか言いたい放題です。
私は、専門家と教祖様はプロレスの善玉と悪役のようだと思います。悪役レスラーは凶器を使った反則等やりたい放題ですが、善玉レスラーはルールの範囲でしか戦えません(悪役の使った凶器を奪ってやり返す事はできません)

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