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2023年7月20日 (木)

大塚久雄とナチスとユダヤ人

417iuyir0l_sy344_bo1204203200_ 大塚久雄といえば、戦後日本の進歩的文化人の代表格で、西洋経済史の権威で、日本の封建性を口を極めて批判した人として知られていますが、その彼が戦時中に極めて反ユダヤ的な言辞を弄していたことは、中野敏男が暴露するまで知られていませんでした。

このことを詳細に検証したのが恒木健太郎の『「思想」としての大塚史学』です。

それは1943年に『経済学論集』に掲載された「マックス・ウェーバーと資本主義の精神-近代社会における経済倫理と近代工業力」の一節で、

ユダヤ人のうちに、かの「寄生的」(非生産力的)な営利「慾」が純粋培養に近い姿で見出されることは、ヒットラーを待つまでもなく、すでにウェーバーが、むしろ彼こそが、強調してやまなかったところである。

と、露骨にナチス賛美、ユダヤ人排撃をあらわにしていますが、戦後こういう表現はすべて温和化されて繰り返し刊行され、戦後日本における経済史学の中心に居続けました。

しかし、露骨な表現であろうがなかろうが、大塚史学の根幹が、生産にかかわらない遠隔地交易や高利貸しのような「前記的資本」を蛇蝎の如く忌み嫌い、こつこつと生産に励みそれを局地的市場で交換して拡大していく「中産的生産者層」を資本主義の精神を体現するものとして褒め称えるものであったことは周知の通りです。

その意味では、表面のナチス賛美やユダヤ排撃が露呈していようがそうでなかろうが、戦後日本の経済史学を牛耳った大塚史学の本質には変わりはなかったということになります。

実際、多くの経済学部で経済史の教科書として多くの学生に読み続けられた『欧州経済史』には、こんな一節があります。

アントウェルペンの取引所は、その建物に「民族と言語の如何を問わずあらゆる商人の使用のために」と記されていたというが、まさしく「悪魔の集う殿堂で、そこには金融業者、遠洋航海の船乗り、投機や先物取引をやる者、巨大商人-そして金儲けさえできるなら、どんな手段でも暗殺さえも喜んでやる詐欺師や山師までが群がり集うていた」(ピレンヌ)、各地から参集する商人たちの間で自由な商品取引や手の込んだ金融操作がなされていたばかりではない。既に様々な投機や富籤までが盛んに行われていた。

わたしはベルギー在住時何回もアントウェルペンを訪れました。往時の世界貿易の中心地時代の風情はありませんが、かつての栄光の跡が街のあちこちに残っています。この街が、大塚久雄には前期的資本という悪の集う「悪魔の殿堂」と見えていたのです。

その精神構造たるや、戦時中にナチス賛美をしていた時と寸分違いません。(ユダヤ的な)商人資本や高利貸し資本は非生産的な前期的資本であるから極悪人であり、(プロテスタンティズムに基づき)生産活動にいそしみ倹約して産業資本として勃興していく中産的生産者こそが正義の騎士だというわけです

しかし文章の表面上に出てこないからといって、大塚久雄の経済思想に何の変化もなかったのですから、戦後日本人はみんなご立派な進歩的思想として隠されたナチス経済思想をありがたく拝聴し続けていたことになりましょう。

そんな大塚久雄が、1967年ごろには対談で毛沢東の文化大革命を褒め称える発言までしていたというのですから、あきれて物も言えませんが。

実のところ、正面からナチスを礼賛するなどという莫迦なことをやるのはそれで目立ちたいチンピラライター位でしょうし、そんなものは無視しておいても大して実害もないでしょう。真の問題は、そうとは見えない反ユダヤ的経済思想がいかにも正義の論であるかのような形で忍び込んでくることです。

ほら、ナチス礼賛本などというチンケな雑書よりも遙かに膨大な数の、(今では前期的資本などという大塚用語は死語になっていますが)国際金融資本の陰謀で我々こつこつと生産活動に励む庶民の経済が破壊されている云々といった類いの煽情的な本が本屋を埋め尽くしているではありませんか。

 

 

 

 

 

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コメント

 大塚センセイはユダヤ人が金融業に携わるようになったのは中世カトリック教会が金融業を禁止し、ユダヤ人はキリスト教徒なら就ける職業に就けないようにされたから仕方なく金融業に就くしかなかった、と言う事実をご存じなかったのでしょうね。

プロテスタントの祖マルティン・ルターも反ユダヤ的な言動がありましたし、キリスト教がユダヤ教に対するコンプレックス故にユダヤ教徒を迫害したのは疑いのない事実。
だからローマ教皇がかつてのユダヤ教徒迫害を謝罪したほどです。

大体新約聖書にもちゃんとお金を銀行に預けて財産を増やした部下を褒める君主の話がイエス様のたとえ話として載ってます。
中世カトリック教会の方がおかしかったんです。

私は大塚センセイの訳した「プロ倫」の解説があまりにも細かくて読む気をなくしてしまって以来、大塚センセイの事は忘れました(^^;

これってゾンバルトの反ユダヤ主義の影響を受けている可能性がありますね。ゾンバルトではなくウェーバーーの名前を出しているのが奇妙だが。

お行儀だけはもっと良く、それなりの場面でも、まともな議論として扱われているのは「金融取引税(トービン税)」ですね。まあ、この手の措置はミクロには激烈な影響がある訳ではないので、やってみて、マクロな影響を様子見というのはありなのでしょう。それに対して、ナチス様は「ミクロに激烈なことをなさった」ことが大きな問題だったのでしょう。

 ゾンバルトは「欲望」を求めたため資本主義は発展したのではないか、と唱えた事で最近再注目されていますね。

他にも16.17世紀の英国政府から特許状を許されて略奪貿易をおこなった海賊たち、あるいは東インド会社のように特許状をもらって独占的な交易をおこなった連中こそ資本主義の先駆けではないか、と言う説も最近は有力視されています。

ユダヤ人について言えばユダヤ人が金などの貴金属を扱うのにたけているのは彼らが迫害を受けた時に持ち運べるようにしたから、と言うのもあります。

いずれにしましてもユダヤ人と資本主義を結び付けようとするのは感心できませんね。

>(ユダヤ的な)商人資本や高利貸し資本は非生産的な前期的資本であるから極悪人であり、(プロテスタンティズムに基づき)生産活動にいそしみ倹約して産業資本として勃興していく中産的生産者こそが正義の騎士だというわけです
>、戦後日本人はみんなご立派な進歩的思想として隠されたナチス経済思想をありがたく拝聴し続けていたことになりましょう。

ナチスはそのように考えていたかもしれませんが、そのように考えていたのはナチスだけではないと思います。
例えば、徳川幕府は
  農民や職人は物を生産するが、商人は生産にかかわらず農民や職人が生産した物を動かすだけだ
という理由で”商”を”農”や”工”より下の身分にしたそうですが、これはナチス経済思想とは無関係だと思います。


>真の問題は、そうとは見えない反ユダヤ的経済思想がいかにも正義の論であるかのような形で忍び込んでくることです。
>国際金融資本の陰謀で我々こつこつと生産活動に励む庶民の経済が破壊されている云々といった類いの煽情的な本が本屋を埋め尽くしているではありませんか。

ナチスや反ユダヤ主義者は金融業を批判し生産業を称賛したかもしれませんが、私は金融業を批判し生産業を称賛する考え方をすべて批判すべきナチス経済思想や反ユダヤ的経済思想だとは思いません。
私は金融業は工業や農業などの生産業に比べて
 (A) 事業を始めてから利益が出るまでの期間が短い
 (B) 少数の優秀な人で事業を行える
という特徴があると思います。(A)により金融業は生産業よりも利益が多くなります。しかも(B)により生産業よりも多い利益を生産業よりも少ない(優秀な)人が得る事になります。このため何も規制しないと
 ・金融業が生産業よりも盛んになり
 ・一部の優秀な人が多数のそうでない人よりもずっと多くの収入を得る (格差が増大する)
事になると思います。この事はナチス経済思想や反ユダヤ的経済思想に関係ないと思います。
このような格差を減少させるために
  多数の生産業従事者が生活できるように配慮すべきだ
と主張する人もいると思いますが、私はそのような主張をナチス経済思想だとも反ユダヤ的経済思想だとも思いません。


hamachan先生は、
 ・ウォール街を占拠せよ という運動

 ・かつての工業地帯の住民(忘れられた人々)に配慮する政策

 ・高所得層(主に金融関係者)に増税し中流以下の人(主に生産業やサービス業従事者)を支援するという政策

 ・r>gを提唱した人
は、いかにも正義の論であるかのような形で忍び込んできた批判すべきナチス経済思想や反ユダヤ的経済思想だとお考えでしょうか?


>金儲けさえできるなら、どんな手段でも暗殺さえも喜んでやる詐欺師や山師

21世紀になっても日本では、消費者金融の会社が特例として認められた高利で貸した金を返済できなくなった客に対して強硬な取り立てを行い、それに耐えきれず自殺した客の保険金を返済に充てる事も容認されていました。このため多くの消費者金融の会社は巨額の利益を上げていました。
第一次安倍内閣で
 貸付金の金利には特例を認めず、これまで客が払った特例分の金利は返還する
という法律が成立しました。この法律には ”資本主義の根幹である契約の自由を制限するものだ” という反対意見もありました。この法律によりほとんどの消費者金融の会社はやっていけなくなりましたが、返済に悩む人は激減しました。
この法律は私にとって第一次安倍内閣におけるほとんど唯一の評価できる施策です。

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