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2023年7月10日 (月)

ナチス「逆張り」論の陥穽(再掲)

最近、田野さんの本が話題になっているということなので、この点はきちんと明確にしておかなければならないと思い、昨年のエントリをそのまま再掲することにしました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2022/05/post-ed416b.html

As20220524001471_comm 昨日の朝日新聞の15面に、「逆張りの引力」という耕論で3人が登場し、そのうち田野大輔さんが「ナチスは良いこともした」という逆張り論を批判しています。

https://www.asahi.com/articles/ASQ5S4HFPQ5SUPQJ001.html

 私が専門とするナチズムの領域には、「ナチスは良いこともした」という逆張りがかねてより存在します。絶対悪とされるナチスを、なぜそんな風に言うのか。私はそこに、ナチスへの関心とは別の、いくつかの欲求があると感じています。
 ナチスを肯定的に評価する言動の多くは、「アウトバーンの建設で失業を解消した」といった経済政策を中心にしたもので、書籍も出版されています。研究者の世界ではすでに否定されている見方で、著者は歴史やナチズムの専門家ではありません。かつては一部の「トンデモ本」に限られていましたが、今はSNSで広く可視化されるようになっています。・・・

正直、いくつも分けて論じられなければならないことがややごっちゃにされてしまっている感があります。

まずもってナチスドイツのやった国内的な弾圧や虐殺、対外的な侵略や虐殺といったことは道徳的に否定すべき悪だという価値判断と、その経済政策がその同時代的に何らかの意味で有効であったかどうかというのは別のことです。

田野さんが想定する「トンデモ本」やSNSでの議論には、ナチスの経済政策が良いものであったことをネタにして、その虐殺や侵略に対する非難を弱めたりあわよくば賞賛したいというような気持が隠されているのかもしれませんが、いうまでもなくナチスのある時期の経済政策が同時代的に有効であったことがその虐殺や侵略の正当性にいささかでも寄与するものではありません。

それらが「良い政策」ではなかったことは、きちんと学べば誰でも分かります。たとえば、アウトバーン建設で減った失業者は全体のごく一部で、実際には軍需産業 の雇用の方が大きかった。女性や若者の失業者はカウントしないという統計上のからくりもありました。でも、こうやって丁寧に説明しようとしても、「ナチスは良いこともした」という分かりやすい強い言葉にはかなわない。・・・

ナチスの経済政策が中長期的には持続可能でないものであったというのは近年の研究でよく指摘されることですが、そのことと同時代的に、つまりナチスが政権をとるかとらないかという時期に短期的に、国民にアピールするような政策であったか否かという話もやや別のことでしょう。

田野さんは、おそらく目の前にわんさか湧いてくる、ナチスの悪行をできるだけ否定したがる連中による、厳密に論理的には何らつながらないはずの経済政策は良かった(からナチスは道徳的に批判されることはなく良かったのだ)という議論を、あまりにもうざったらしいがゆえに全否定しようとして、こういう言い方をしようとしているのだろうと思われますが、その気持ちは正直分からないではないものの、いささか論理がほころびている感があります。

これでは、ナチスの経済政策が何らかでも短期的に有効性があったと認めてしまうと、道徳的にナチにもいいところがあったと認めなければならないことになりましょう。こういう迂闊な議論の仕方はしない方がいいと思われます。

実をいうと、私はこの問題についてその裏側から、つまりナチスにみすみす権力を奪われて、叩き潰されたワイマールドイツの社会民主党や労働組合運動の視点から書かれた本を紹介したことがあります。

Sturmthal_2-2 連合総研の『DIO』2014年1月号に寄稿した「シュトゥルムタール『ヨーロッパ労働運動の悲劇』からの教訓」です。

https://www.rengo-soken.or.jp/dio/dio289.pdf

・・・著者は戦前ヨーロッパ国際労働運動の最前線で活躍した記者で、ファシズムに追われてアメリカに亡命し、戦後は労使関係の研究者として活躍してきた。本書は大戦中の1942年にアメリカで原著が刊行され(1951年に増補した第2版)、1958年に邦訳が岩波書店から刊行されている。そのメッセージを一言でいうならば、パールマンに代表されるアメリカ型労使関係論のイデオロギーに真っ向から逆らい、ドイツ労働運動(=社会主義運動)の悲劇は「あまりにも政治に頭を突っ込みすぎた」からではなく、反対に「政治的意識において不十分」であり「政治的責任を引き受けようとしなかった」ことにあるという主張である。
 アメリカから見れば「政治行動に深入りしているように見える」ヨーロッパ労働運動は、しかしシュトゥルムタールに言わせれば、アメリカ労働運動と同様の圧力団体的行動にとどまり、「真剣で責任ある政治的行動」をとれなかった。それこそが、戦間期ヨーロッパの民主主義を破滅に導いた要因である、というのだ。彼が示すのはこういうことである(p165~167)。

・・・社会民主党と労働組合は、政府のデフレイション政策を変えさせる努力は全然行わず、ただそれが賃金と失業手当を脅かす限りにおいてそれに反対したのである。・・・
・・・しかし彼らは失業の根源を攻撃しなかったのである。彼らはデフレイションを拒否した。しかし彼らはまた、どのようなものであれ平価切り下げを含むところのインフレイション的措置にも反対した。「反インフレイション、反デフレイション」、公式の政策声明にはこう述べられていた。どのようなものであれ、通貨の操作は公式に拒否されたのである。
・・・このようにして、ドイツ社会民主党は、ブリューニングの賃金切り下げには反対したにもかかわらず、それに代わるべき現実的な代案を何一つ提示することができなかったのであった。・・・
社会民主党と労働組合は賃金切り下げに反対した。しかし彼らの反対も、彼らの政策が、ナチの参加する政府を作り出しそうな政治的危機に対する恐怖によって主として動かされていたゆえに、有効なものとはなりえなかった。・・・

 原著が出された1942年のアメリカの文脈では、これはケインジアン政策と社会政策を組み合わせたニュー・ディール連合を作れなかったことが失敗の根源であると言っているに等しい。ここで対比の軸がずれていることがわかる。「悲劇」的なドイツと無意識的に対比されているのは、自覚的に圧力団体的行動をとる(AFLに代表される)アメリカ労働運動ではなく、むしろそれとは距離を置いてマクロ的な経済社会改革を遂行したルーズベルト政権なのである。例外的に成功したと評価されているスウェーデンの労働運動についての次のような記述は、それを確信させる(p198~199)。

・・・しかし、とスウェーデンの労働指導者は言うのであるが、代わりの経済政策も提案しないでおいて、デフレ政策の社会的影響にのみ反対するばかりでは十分ではない。不況は、低下した私的消費とそれに伴う流通購買力の減少となって現れたのであるから、政府が、私企業の不振を公共支出の増加によって補足してやらなければならないのである。・・・
それゆえに、スウェーデンの労働指導者は、救済事業としてだけでなく、巨大な緊急投資として公共事業の拡大を主張したのである。・・・

 ここで(ドイツ社会民主党と対比的に)賞賛されているのは、スウェーデン社会民主党であり、そのイデオローグであったミュルダールたちである。原著の文脈はあまりにも明らかであろう。・・・

田野さんからすれば「「良い政策」ではなかったことは、きちんと学べば誰でも分かります」の一言で片づけられてしまうナチスの経済政策は、しかし社会民主党やその支持基盤であった労働運動からすれば、本来自分たちがやるべきであった「あるべき社会民主主義的政策」であったのにみすみすナチスに取られてしまい、結果的に民主的勢力を破滅に導いてしまった痛恨の一手であったのであり、その痛切な反省の上に戦後の様々な経済社会制度が構築されたことを考えれば、目の前のおかしなトンデモ本を叩くために、「逆張り」と決めつけてしまうのは、かえって危険ではないかとすら感じます。

悪逆非道の徒は、そのすべての政策がとんでもない無茶苦茶なものばかりを纏って登場してくるわけではありません。

いやむしろ、その政策の本丸は許しがたいような非道な政治勢力であっても、その国民に向けて掲げる政策は、その限りではまことにまっとうで支持したくなるようなものであることも少なくありません。

悪逆無道の輩はその掲げる政策の全てが悪逆であるはずだ、という全面否定主義で心を武装してしまうと、その政策に少しでもまともなものがあれば、そしてそのことが確からしくなればなるほど、その本質的な悪をすら全面否定しがたくなってしまい、それこそころりと転向してしまったりしかねないのです。田野さんの議論には、そういう危険性があるのではないでしょうか。

まっとうな政策を(も)掲げている政治勢力であっても、その本丸が悪逆無道であれば悪逆無道に変わりはないのです。

繰り返します。

悪逆非道の徒は、そのすべての政策がとんでもない無茶苦茶なものばかりを纏って登場してくるわけではありません。

まっとうな政策を(も)掲げている政治勢力であっても、その本丸が悪逆無道であれば悪逆無道に変わりはないのです。

悪逆無道の輩はその掲げる政策の全てが悪逆であるはずだ、という全面否定主義で心を武装してしまうと、その政策に少しでもまともなものがあれば、そしてそのことが確からしくなればなるほど、その本質的な悪をすら全面否定しがたくなってしまい、それこそころりと転向してしまったりしかねないのです。

 

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コメント

うっかりして読み落としていました
濱口さん、ご紹介ありがとうございます

 最近の日本で行われたいわゆる「アベノミクス」政策がこれに当てはまるのではないでしょうか。
 本来アベノミクス批判はどうしてアベノミクスは経済政策として良いのか悪いのか、を健在学的、経済政策的あるいは学問的見地から批判しなくてはいけない。
 しかし日本の左派側の批判は「安倍晋三がやるからアベノミクスはダメなんだ!」のような属人的な批判が多かったように感じます。

 もともとアベノミクスはアメリカのケインジアン、ポール・クルーグマン、ジョセフ・スティグリッツが提唱したように左派の経済政策です。
 ところが日本では左派の経済政策を政治的左派に実施してもらう、と言う欧米では当たり前の事が出来なかった。
 そうしてまごまごしているうちに安倍元首相にかっさらわれてしまった。

 念のために言えば、私はアベノミクスには批判的です。
 黒田前日本銀行総裁の異次元の金融緩和がもたらした事実上の国債の日本銀行引き受けなどの弊害はこれからじわじわと悪影響が出てきますし、金融緩和政策が意図していたはずのイノベーション、起業の増加による経済成長は起こっていないと思われます。

 とは言ってもやはりアベノミクス批判はあくまで「安倍晋三がやったからアベノミクスはダメなんだ」という批判の延長ではいけない。
 今アベノミクス批判がどうも低調なのは一年前の安倍元首相銃撃事件のために石破茂さんが指摘するように安倍元首相に対する批判がはばかられる雰囲気になっているのがあると思います。

 「本来アベノミクス批判はどうしてアベノミクスは経済政策として良いのか悪いのか、を健在学的」×
 「本来アベノミクス批判はどうしてアベノミクスは経済政策として良いのか悪いのか、を経済学的」○です。

 申し訳ありませんでした。

 hamachan先生の議論は、フランクフルト学派的なのに対し、田野さんの議論は、教条主義的かつ平板な第二インターナショナルないし第三インターナショナル式のマルクス主義の雰囲気がありますね。
 もう少し、突っ込んで考えてみる余地がありそうです。
 もちろん、現代においては、トランプ、プーチン、オルバーン、ドゥテルテ、エルドアン、ボルソナーロといった右翼ポピュリスト政治家とそれを支持する人民について考えてみることになるわけですが。

 さらに、実例をあげて考えてみると、例えば「ムッソリーニは良いこともした」というのは、どうでしょうか。若いころ、ネオ・ファシスト党の青年部長だったという、現首相(メローニ氏)を初め、賛成するイタリア人はかなり多そうです。

 「スターリンは良いこともした」なら?プーチンが第二次世界大戦の戦勝を持ち上げれば持ち上げるほど、「スターリンが戦前に裏切り者を粛清しておいてくれたから、無事に大戦を乗り切ることができたのだ」みたいな話になりそうですね。ちなみに、スターリンの一の子分だった、モロトフは、晩年になされたインタヴューでこう答えていたようです。

 「毛沢東は良いこともした」というのは?中国では毛沢東は未だ神聖不可侵ということですから、これは当然のこととして、認められていますね。 

 ということで、いくつかの例をあげてみましたが、この「~は良いこともした」シリーズというのは結構、奥が深い話になるのだろう、と思っています。

balthazarさん
> しかし日本の左派側の批判は「安倍晋三がやるからアベノミクスはダメなんだ!」のような属人的な批判が多かったように感じます。
具体的には誰です?

SATOさん
日本人ならば『昭和天皇は良いこともした』について考えてみては?
もっと奥が深くなると思いますよ

まあ、この方に関しては、例えば、

> ドイツなら処罰の対象になり得ます。貴方の頭の中だけの世界とやらでは許されるだけで現実は違います
https://twitter.com/tanosensei/status/1692117679853998197

そもそも、そのような規制を正当化する「格別の根拠」の存在という、
基本的なことに思いを馳せることすら、難しいことみたいですからね。
同様の根拠が存在しているか、どうか、と問うこともないのでしょう。

> 一宗教法人のままであったからA級戦犯を合祀して、しかも宗教施設だから介入できないなどという奇怪な話になってしまった
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2023/08/index.html

> 専門分野:ドイツ現代史、ナチズム研究
https://researchers.adm.konan-u.ac.jp/html/548_ja.html

ふ~ん

全体像はよく分かりませんが、一面として、こういう方のようですね。

> 大学の学費は本当にきついです。 家庭にこれほどの負担を強いる教育制度は、根本的に間違っています。
> 納税控えたい
> ゼミ生のほとんどが10月1日は内定式で欠席するらしいので休講にせざるをえなかった。なぜ土日に内定式ができないのか。高い授業料を払っている学生から教育の機会を奪うのは本当にやめてほしい。

https://twitter.com/tanosensei/status/1512077108750606349
https://twitter.com/tanosensei/status/1331626238931296257
https://twitter.com/tanosensei/status/1176671351018409985

> 卒業後の職業人生にとってレリバンスが高く、それを欠席するなどというもったいないことをしてはいけないと思うようなものであれば、別に内田氏が呪いをかけなくてもこういう問題は起きないでしょう
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-b43f.html

「特定のある少数派の視点」では、何もよいことをしていなかった、ということが言いたいのでしょうかね?その当時、「ナチスを支持していた人」もそれなりにいたとは思うんだけど、彼らにとっても、何もよいことはしなかった、ということはあり得そうにはないですからね。自分は「ナチスに迫害された人の側だ」と思いたい、という、そんな人々にポルノ的に商品を売っている、なんてことではないですよね

悲劇を繰り返さないためには、むしろ、「支持をした普通の人々の心理」を追った方が良いでしょうしね

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