厚生省は1938年1月に設置されていて,それまでは内務省
厚生労働省の厚生労働科学研究成果データベース)に「法学的視点からみた社会経済情勢の変化に対応する労働安全衛生法体系に係る調査研究」という膨大な労働安全衛生法の超絶詳細コンメンタールがアップされています。
https://mhlw-grants.niph.go.jp/project/161220
三柴さんを初めとする研究者による労作で、PDFファイルで3525ページに上ります。
https://mhlw-grants.niph.go.jp/system/files/download_pdf/2022/202201015A.pdf
ただただ圧倒されるばかりなのですが、関心のある部分をぱらぱらとみていたら,ちょっと気になる記述を見つけました。直接安全衛生にかかわる話ではないのですが、健康診断の沿革にかかわるところ(PDFファイルで1620ページの右下)で、
職域における健康診断に関する規定の創設には、戦時下における労働力強化の要請とこれに反する実態としての結核の蔓延 178及び健康状態の低下が大きく関わっている。1937(昭和 12)年 7 月 7 日盧溝橋事件に端を発した「北支事変」は漸次拡大して「支那事変」となったが、事変の拡大とともに、軍需産業においては相当長時間の残業が継続的に行われ、労働者の健康状態の低下、災害の増加は免れがたい状態となった。こうしたなかで、これを放任するときは生産の増加及び生産力の持久について憂慮すべきものがあるとして、健康の維持等に関しても事業主の注意事項をかかげてその実行を勧奨するため、1936(昭和 11)年に設置された保健社会省に内務省から移管された
社会局は、1937(昭和 12)年 10 月 8 日、「軍需品工場に対する指導方針」(発労第96 号)として、地方庁に通牒を発した。そこでは、「随時健康診断を実施し疾病の早期発見とその予防に努むること、有害なる業務に従事する職工に対しては一層之を厳重に行ふこと」、「食堂又は寄宿舎の炊事係に対しては厳重なる健康診断を為すこと」が要請されている 179。
・・・なお、1938(昭和 13)年 1 月、保健社会省は厚生省に改称されている。
これだと、厚生省が設立されたのは保健社会省という名前で1936年であって、それが1938年に厚生省に改称されたことになりますが、保健社会省などという役所は現実に存在したことはありません。1936年に陸軍省が体力増進のため衛生省の設立を求め、これを受けた近衛内閣が1937年に保健社会省の設置を決めましたが、枢密院から時節柄「社会」という文字は不適当だと因縁がつけられ、結局書経の一節から「厚生」の二字を持ってきて、1938年1月にようやく厚生省として発足した,というのが歴史的事実です。
上記通牒が出されたときには,まだ厚生省はなく、内務省社会局です。内務省から保健社会省に移管されることも、そういう省はできていないのですから、ありえません。
安全衛生と直接関係のない枝葉末節のことで恐縮ですが、労働行政体制の推移についてはほっとけないたちなので一言だけコメントしました。
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厚生省の外局に入庁し、労働省との統合により厚生労働事務官として働いていた身としましては、元々内務省だったためにどれほど苦労させられましたことか。
内務省の出先機関は都道府県でした。
そう、戦前の都道府県は国の出先機関だったのですね。
ここが肝心。
戦前は都道府県は地方自治体ではなかったのです。
厚生省が分かれた時も厚生省が管掌している多くの行政業務が都道府県に残されたのですよね。
戦後GHQがそう言う事情を良く知らないまま、社会保険は地方分権して都道府県にやらせろ!と無茶を言いました。
日本側は社会保険は全国一体的にやらないといけません、と反対したものの、GHQの意向を覆すことはできず、地方事務官制度として人事面での国の関与を残すこと、そして機関委任と言う方法で何とか社会保険が全国一体的にやれる可能性を残すことが出来ました。
しかし原則は社会保険は地方自治体である都道府県の所管、と言うことになっているもので、記録問題などの組織のガバナンス問題がなかなか解決に向かわず、結局社会保険庁解体に至ることになりました。
厚生労働省は社会保険庁解体に伴い、地方厚生局を設置し、ようやく財務省、国土交通省などのように地方支分局を持つことが出来ました。
厚生労働省が内務省だったおかげでどれほど多くの人間が苦労することになったことか。
GHQによる改革は概ね良いものだったとは思いますが、日本の実情をよく知らないまま実行された改革があまりよろしくない結果を招いたのもあるのですね。
内務省関係は警察の体質もあまり変わってないようです。
「内務省解体」の実態はもっと研究されても良いのではないでしょうか。
投稿: balthazar | 2023年6月20日 (火) 18時25分
社会保険庁の廃止前においても厚生局等はありました。所管していたのは専ら国立病院等に関する事務でしたが。
投稿: 赤坂裕彦 | 2023年6月20日 (火) 20時06分
地方医務局の事ですね。
国立病院は戦前の陸軍病院から移管されたものですね。
他に陸軍省・海軍省の業務を引き継いだ復員庁が統合された社会・援護局もあります。
組合の大会で国立病院の職員と交流したことがありますが、何だか雰囲気が違うな、と感じた事があります。
投稿: balthazar | 2023年6月20日 (火) 22時48分
お世話になっております。この執筆箇所は私が担当した部分でございます。改めて、参照した文献も確認致しましたが、ご指摘のとおりでございます。何故上記のような思い違いをしたのか、読み間違えたのか分かりませんが、お恥ずかしいかぎりです。この度はご指摘を頂き誠に有難うございました。
投稿: 石崎由希子 | 2023年6月22日 (木) 14時48分
厚生省の設置と健康診断規定の創設については、『労基旬報』に書いた「健康診断の労働法政策」にやや詳しく書きました。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2023/06/post-ed342b.html
投稿: hamachan | 2023年6月23日 (金) 20時02分