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2023年6月

2023年6月30日 (金)

国立国会図書館デジタルコレクションの威力

山下泰平さんという方が、「国立国会図書館デジタルコレクションを使えば生存している人類の中でなにかに一番詳しい人間になれるけど」と言われているのですが、

https://cocolog-nifty.hatenablog.com/entry/kuwashii

恐らく同じような感想を抱いている人は他にも結構いるのではないかと思いますが、私も今回これを痛感しました。

51sgqlf3yol_sx310_bo1204203200_ 来る7月20日に、文春新書から『家政婦の歴史』という本を出すのですが、この本も、国立国会図書館デジタルコレクションがなければ一番肝心のところが書けなかっただろうと思います。

https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166614141

労働市場の仲介ビジネスという観点からこの問題にアプローチし始めたときに最初に活用したのは、わたくしが勤務する労働政策研究・研修機構の労働図書館で、ここには労働政策に関わるむかしの公的文書や官庁関係が出していた雑誌とかが結構収蔵されているので、それを片っ端から見ていくだけで、それなりの描像を描くことはできるのです。

しかし、改めて家政婦の歴史を深掘りしようとしたときには、そういうオフィシャルな文書ではない様々な媒体に書かれた資料が必要となります。この本でいうと、特に第1章の大和俊子が派出婦会を立ち上げて発展させていくあたりなどは、『婦人之友』、『婦人界』,『婦人倶楽部』、『主婦之友』といった当時の婦人雑誌に書かれた記事を駆使しているのですが、こういうのはこのデジタルコレクションで「派出婦会」「大和俊子」で検索して出てきたのをチェックして調べるというやり方ができなかったら,到底やりきれなかったでしょう。

全く土地勘のない人にとってはデータが膨大すぎて使いこなせないかも知れませんが、ある程度こうじゃないかというあたりをつけていい資料がないかと探しているような人にとっては、これは実に宝の山だなあと、改めて感じたことでした。

 

 

 

少数派のメンバーシップ型の規範性

Sn_g_ytv_400x400_20230630093101 女性声優さん(中身は男性)がこう呟いているんですが、

https://twitter.com/ssig33/status/1674374187815927814

濱口桂一郎先生は big picture を描いてるということでおれがいってることはクソリプみたいなもんなのだが、彼が描く雇用スタイルと全然違う周辺領域みたいなのはゲームとかITとかいろいろ日本にもそれなりのボリュームで存在しているのではと想像している。俺の周辺の極一部だけのことだとは思えない

私の定式化したメンバーシップ型をフルセットで実施している世界は日本の労働社会の中では少数派であるということは拙著でも繰り返して述べているところです。

ただ、とりわけ中小零細企業について述べているように、確かに勤続年数は長くないし、賃金カーブも平べったいし、企業別組合なんて見たことないし、新卒採用しようにも学生さん来てくれないし、という状況であっても、決してジョブ型というわけではない。本来あるべき姿はメンバーシップ型なんだけれども、力及ばずしてそうなれていない我が身の情けなさよ、でもできれば大企業みたいな立派なメンバーシップ型になりたいな、明日こそは・・・という、いわば「あすなろメンバーシップ型」であって、本来あるべき姿のジョブ型を日夜実践しているぞ!というようなつもりはまったくないのです。つまり、規範としてのメンバーシップ型の力は、現実に存在するメンバーシップ型の世界を遥かに超えて広がっている。

日本以外の社会のジョブ型というのも、現実の姿である以上にいわば規範であって、がちがちのジョブディスクリプションなんてやってたのは、UAW支配する自動車産業を筆頭とする製造業大企業分野であって、多くの職場はそれなりのジョブ型で適当にやっていたんじゃないかと思いますが、でもあるべき姿はそれなので、労働組合のないホワイトカラー職場にもコンサル会社がジョブディスクリプションを売りつけて広げていった。

で、問題はそういう意味でのメンバーシップ型の規範性が、女性声優さんの言うゲーム業界にはあるのか?ということで、そこは私は全然知らない世界なので、もしかしたらまったく違う世界が広がっているのかも知れないとは思います。

でも、ITの世界なんかは、ジョブ型社会のように一般企業の中にITのジョブがきちんと位置づけられ、IT職の給与処遇が決められ・・・という仕組みは作られることなく、そういう異物になりそうなものはまるっと別会社にして、同一会社同一賃金の裏返しとしての異なる会社異なる賃金というメンバーシップ型ロジックに沿った形で、わざわざ業務委託という形で、当該企業特有のシステムの構築をやらせるなどというめんどくさいやり方をとってきているのは、まさにマクロ的なメンバーシップ型の世界の中に埋め込むための工夫なのであって、そういうことから考えると、ゲーム業界というのも似たようなことではないのかと思います。つまり、メンバーシップ型の世界の中の異物として本体に変な影響を与えないようにゲットー化して置いている。そこだけ見ればジョブ型っぽい面が結構あるけれども、それはあくまでもサブシステムでしかない、という風に。

 

 

 

2023年6月29日 (木)

ジョブ型原理が嫌いな人々の群れ(再掲)

前は薬剤師がネタでしたが,今回は弁護士がネタです。

要するに、職業感覚が欠如したメンバーシップ型日本社会の中で、例外的に(法令の厳格な規定に基づいて)ジョブ型の行為規制が張り巡らされている分野に対して、脳みその根っこは日本的なメンバーシップ型で脳みその表層は市場原理主義に染まった人々が、そのいずれの感覚からも噴出してくるジョブ型原理に対する反発を露呈すると、こういう発言になるという典型なのでしょう。

https://twitter.com/ishiitoshihiro/status/1672947188979343360

弁護士資格なんて廃止して、非弁行為を解禁すればいいと思います。

司法試験を見ると「暗記・暗記…」。インターネットも検索エンジンもない時代の試験をアップデートできずに惰性で続ける。

法曹なんて、AIで淘汰されるべき職種です。

法曹は思考力がない人が多いです。

法令で厳格に行為規制がされている医療分野と異なり、法律実務に関しては、企業の法務部で組織の一員として働くのである限り、弁護士を初めとする様々な法務関係職業資格なんぞはなから要りませんから、ますますこのように感じるのでしょうね。

過去のサルベージエントリはこちら:

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2022/07/post-925cf2.html

なんだか、薬学部なんか無駄だとか、薬剤師免許なんかいらないとかいう議論が一部ではやっているようですが、学校教育で職業資格を得た人間がその職業の専門技能を有していると社会的に見なされて当該職業を遂行していく、という日本以外では当たり前のジョブ型社会の基本原理が、なまじ原則的にそうじゃない日本の労働社会で例外的に妙に厳格なジョブ型原理を持ち込むと、どういう反発が発生するかのいい見本になっていますね。

実のところ、ビジネススクールにせよ、なになにスクールにせよ、そこのディプロマを得た若造が、長年無資格で勤め上げた現場のたたき上げよりも有能であるというのは、ジョブ型社会のお約束事に過ぎないわけですが、世の中全体がそういうお約束で動いている以上は、その若造が卒業とともにエグゼンプトとかカードルとかいうエリートとして偉そうにあれこれ指図し、段違いの高給をもらい、一生動かないノンエリートを横目にあちこち動きながら早々と出世していくのは、そういうものなわけです。

日本に一応あることになっている職業分類というのは、そういうジョブ型原理で作られていますが、しかし実際にある労働者をどちらに分類するか、たとえばあるサラリーマンを管理的職業とするか事務的職業とするか、といった局面になると、世の中がそういう原理でできていないという事実が露呈するわけです。

管理的職業というのは、管理的職業になるためのビジネススクールのようなところで高度(ということになっている)教育を受け、管理的職業として採用され、入ったその日から辞めるまで管理的業務をする職種であり、事務的職業というのは、それよりも下の中くらいレベルの教育を受け、事務的職業として採用され、入ったその日から辞めるまでずっと事務的業務をする職種です。

日本は戦中戦後の激動の中で、戦前にはあったそういう社内職業階層社会を会社員(であるかぎりみな)平等社会に作り替えてしまったわけで、それにどっぷり漬かって3~4世代を経過した現代日本人にとって、役に立っているのかどうかも分からない職業資格なんて言うのは、眉に唾をつけて見られるようなものであるということが、よくわかります。

そういう日本社会の中で、例外的にジョブ型原理でもって構築されているのが医療の世界。医師とは、医学部を出て医師国家試験を通過し、医師として採用され、入ったその日から辞めるまで医師として働く職種であり、看護師とは・・・、なになに技師とは・・・、以下同文、という世界です。

すぐ横にそういう純粋ジョブ型社会があるのを見た薬剤師たちが、俺たち私たちも、と考えるのは不思議ではありません。まことに自然な反応なわけですが、ところがそういう医療の世界を離れた日本社会全体は、それとは全く正反対の、ジョブなき社会でもって生きているわけです。

興味深いのは、そういう欧米社会が作り上げてきたジョブ型社会の原理に疑問を呈するための小道具として、かなり過激な市場原理主義的経済理論が使われる傾向にあることです。市場原理主義からすれば、職業資格のようなジョブ型のあれこれのインフラストラクチャーは最も適切なマッチングを妨害し、市場を歪める代物ということになるわけでしょう。

日本的なメンバーシップ型社会とは、その意味で言えば、職業資格などという下らんものを無視して(その会社の社員であるという唯一無二の資格を有する限り)最も適切なマッチングを人事部主導でやれるとてもいい仕組みなんだ、と、30年以上前の日本型雇用礼賛者であれば言ったのでしょうがね。

 

 

 

駒村康平・諸富徹・全労済協会編『環境・福祉政策が生み出す新しい経済』

625284 駒村康平・諸富徹・全労済協会編『環境・福祉政策が生み出す新しい経済 “惑星の限界”への処方箋』(岩波書店)をお送りいただきました。

https://www.iwanami.co.jp/book/b625284.html

地球環境の破壊を回避しつつ経済活動を営むには? 温暖化による被害の格差を抑えながら経済成長することは可能なのか? 深化するサーキュラー経済など欧州を中心とした産業構造の変化やGDPに代わる指標の開発、幸福感の問い直しなどを考察した刺激的な論集。他の寄稿者=喜多川和典、山下潤、内田由紀子。

ぱらぱらと読み出したのですが、第1章の駒村さんの「経済成長・幸福と自然」を読み進んでいくと,仏教経済学というのが出てくるのですが・・・。

 

 

2023年6月28日 (水)

『家政婦の歴史』詳細目次

Hashutsufu

はじめに
序章 ある過労死裁判から
1 国・渋谷労働基準監督署長(山本サービス)事件
2 そもそも家政婦は家事使用人ではなかった!
3 家政婦が家事使用人にされてしまったわけ
第1章 派出婦会の誕生と法規制の試み
1 派出婦会の始まり
2 派出婦会の組織と活動内容
3 時代の寵児になった大和俊子
4 派出婦会は職業紹介事業ではなかった
5 先駆的な派出婦会取締規則
第2章 女中とその職業紹介
1 女中奉公とその口入
2 営利職業紹介事業の大部分は女中の紹介だった
3 女中調査と派出婦調査
4 女中による放火事件
5 文学の中の女中 戦前編
第3章 労務供給請負業
1 ピンハネ親方の労務供給請負業
2 人夫供給業の経験談
3 労務供給請負業への規制の試み
第4章 労務供給事業規則による規制の時代
1 改正職業紹介法と労務供給事業規則
2 労務供給事業と派出婦会の実態
3 戦時統制と労務供給事業
第5章 労働者供給事業の全面禁止と有料職業紹介事業としてのサバイバル
1 職業安定法の制定と労働者供給事業の全面禁止
2 派出婦会が労働組合になるのは至難の業
3 派出婦会を禁止してさあどうする?
4 有料職業紹介事業として生き延びる道
第6章 労働基準法再考
1 労働基準法に至るまで
2 家事使用人とは何だったのか?
3 労働基準法制定過程における議論の諸相
4 帝国議会での質疑
5 派出婦会は1999年まで存在していた?
6 労災保険法ではどうだったか
第7章 家政婦紹介所という仮面を被って70年
1 家政婦紹介所の実態
2 家政婦紹介所の推移
3 戦後の女中と家政婦の実態
4 文学の中の女中と家政婦
5 紹介所に求職者の福祉増進努力義務?
第8章 家政婦の労災保険特別加入という絆創膏
1 労災保険の特別加入制度とは?
2 家政婦も労災保険に特別加入できるように
3 特別加入の保険料は誰がどのように払っているのか?
第9章 家政婦の法的地位再考
1 女中と家政婦のマクロ的推移
2 適用除外されるべき家事使用人はいま現在存在しているのか?
3 法律学的知恵を絞ってみても
4 家事・介護派遣というもっともまともな解法
終章 「正義の刃」の犠牲者
1 本書が解き明かしてきたこと
2 家政婦たちの真の歴史
あとがき

 

ダニエル・サスキンド『WORLD WITHOUT WORK』@『労働新聞』書評

20230302160351722619_85b439f76d138b1e8f7 例によって『労働新聞』7月3日号に、書評(【書方箋 この本、効キマス】)を寄稿しました。今回はダニエル・サスキンドの『WORLD WITHOUT WORK――AI時代の新「大きな政府」論』(みすず書房)です。

https://www.rodo.co.jp/column/152297/

 原題の英文を訳せば「仕事のない世界」となる。「AI(人工知能)で仕事がなくなるからBI(ベーシックインカム)だ」という近頃流行りの議論を展開している一冊だといえばそのとおりなのだが、日本で近年出された類書に比べて、議論のきめが相当に細かく、かつて『日本の論点2010』(文藝春秋)でBIを批判した私にとっても引き込まれるところが多かった。

 前半の3分の2は、AIで仕事が絶対的に減少していくという未来図を描く。労働経済学では、工場労働のような定型的タスクは機械に代替され、専門職や対人サービスのような非定型的タスクは代替されにくいというが、AIの発達により身体能力、認知能力、感情能力も代替されるようになり、専門職的な知的労働こそがタスク侵蝕に曝されるようになった。その結果もたらされるのは大変な不平等社会だ。ではどうする?

 後半の3分の1はサスキンドの処方箋が展開される。まず批判されるのは「人的資本が大事だ、もっと教育訓練を」という現在主流の政策だ。彼はこれを去りゆく「労働の時代」のなごりに過ぎないと批判する。「学び直しても臨むべき仕事の需要そのものが充分にないとしたら、世界トップレベルの教育も無用の長物」だからだ。だから、「正しい対策は、職業や労働市場に頼らない,全く別の方法でゆたかさを分かち合う方法を見つけ」なければならない。

 そこで「大きな政府」によるBIという話になるのだが、彼は無条件のユニバーサル・ベーシックインカム(UBI)には批判的で、条件付きベーシックインカム(CBI)を主張する。その理由が、かつて私がBIを批判した論点と共通する。それは、誰をBIをもらえるコミュニティ・メンバーとして認めるのかという問題だ。観光ビザで来た外国人にも気前良く給付するというのでない限り、どこかで線引きが必要になる。それは「俺たち仲間のためのBIを奴らよそ者に渡すな」という「血のナショナリズム」を生み出さずにはおかない。労働の時代には仕事で貢献しているというのが移民排斥に対する反論になった。しかし仕事の足りない世界ではそうはいかない。彼がBIに付すべきという条件は労働市場ではなくコミュニティを支えることだ。

 私がかつてBIを批判したもう一つの論拠は「働くことが人間の尊厳であり、社会とのつながりである」ということだった。最終章「生きる意味と生きる目的」で、彼はこの問題を取り上げ、絶妙な処方箋を提示する。CBIの給付条件とは、「有償の仕事をしない人が、経済的な方法ではない形で、自分の時間の少なくとも一部を投じて社会のために貢献すること」である。「労働市場の見えざる手が無価値なものと判定している活動を、目に見えるコミュニティの手ですくい上げ、価値があるもの、大切なものとして掲げ直す」のだ。そうすることで、「CBIの要件を充たして給付金を得ることは、家族のために給料を稼ぐことで感じる充足感とさほど変わらない充足感をもたらす」だろう。これこそが、近年急拡大しているアイデンティティ・ポリティクスへの対抗力になるはずだと彼は言う。これは議論する値打ちのある提言だと思う。

本文中で、私が昔書いた『日本の論点2010』(文藝春秋)のエッセイに言及していますので、そちらも参考までに。

9784165030904_20230628121701 マクロ社会政策について大まかな見取り図を描くならば、20世紀末以来のグローバル化と個人化の流れの中で、これまでの社会保障制度が機能不全に陥り、単なる貧困問題から社会的つながりが剥奪される「社会的排除」という問題がクローズアップされてくるともに、これに対する対策として①労働を通じた社会参加によって社会に包摂していく「ワークフェア」戦略と、②万人に一律の給付を与える「ベーシックインカム」(以下「BI」という)戦略が唱えられているという状況であろう。

 筆者に与えられた課題はワークフェアの立場からBI論を批判することであるが、あらかじめある種のBI的政策には反対ではなく、むしろ賛成であることを断っておきたい。それは子どもや老人のように、労働を通じて社会参加することを要求すべきでない人々については、その生活維持を社会成員みんなの連帯によって支えるべきであると考えるからだ。とりわけ子どもについては、親の財力によって教育機会や将来展望に格差が生じることをできるだけ避けるためにも、子ども手当や高校教育費無償化といった政策は望ましいと考える。老人については「アリとキリギリス」論から反発があり得るが、働けない老人に就労を強制するわけにもいかない以上、拠出にかかわらない一律最低保障年金には一定の合理性がある。ここで批判の対象とするBI論は、働く能力が十分ありながらあえて働かない者にも働く者と一律の給付が与えられるべきという考え方に限定される。
 働く能力があり、働く意欲もありながら、働く機会が得られないために働いていない者-失業者-については、その働く意欲を条件として失業給付が与えられる。失業給付制度が不備であるためにそこからこぼれ落ちるものが発生しているという批判は、その制度を改善すべきという議論の根拠にはなり得ても、BI論の論拠にはなり得ない。BI論は職を求めている失業者とあえて働かない非労働力者を無差別に扱う点で、「文句を言わなければ働く場はあるはずだ」と考え、働く意欲がありながら働く機会が得られない非自発的失業の存在を否定し、失業者はすべて自発的に失業しているのだとみなすネオ・リベラリズムと結果的に極めて接近する。
 もっとも、BI論の労働市場認識は一見ネオ・リベラリズムとは対照的である。ヴァン・パリースの『ベーシック・インカムの哲学』は「資産としてのジョブ」という表現をしているが、労働者であること自体が稀少で特権的な地位であり、社会成員の多くははじめからその地位を得られないのだから、あえて働かない非労働力者も働きたい失業者と変わらない、という考え方のようである。社会ははじめから絶対的に椅子の数の少ない椅子取りゲームのようなものなのだから、はじめから椅子に座ろうとしない者も椅子に座ろうとして座れなかった者も同じだという発想であろう。
 景気変動によって一時的にそのような状態になることはありうる。不況期とは椅子の数が絶対的に縮小する時期であり、それゆえ有効求人倍率が0.4に近い現状において失業給付制度を寛大化することによって-言い換えれば働く意欲を条件とするある種の失業者向けBI的性格を持たせることによって-セーフティネットを拡大することには一定の合理性がある。いうまでもなくこれは好況期には引き締められるべきである。
 しかしながら、景況をならして一般的に社会において雇用機会が稀少であるという認識は是認できない。産業構造の変化で製造業の雇用機会が空洞化してきたといわれるが(これ自体議論の余地があるが)、それ以上に対人サービス部門、とりわけ老人介護や子どもの保育サービスの労働需要は拡大してきているのではなかろうか。この部門は慢性的な人手不足であり、その原因が劣悪な賃金・労働条件にあることも指摘されて久しい。いま必要なことは、社会的に有用な活動であるにもかかわらずその報酬が劣悪であるために潜在的な労働需要に労働供給が対応できていない状況を公的な介入によって是正することであると私は考えるが、BI論者はネオリベラリストとともにこれに反対する。高給を得ている者にも、低賃金で働いている者にも、働こうとしない者にも、一律にBIを給付することがその処方箋である。
 ある種のBI論者はエコロジスト的発想から社会の全生産量を減らすべきであり、それゆえ雇用の絶対量は抑制されるべきと考え、それが雇用機会の絶対的稀少性の論拠となっているようである。しかし、これはいかにも顛倒した発想であるし、環境への負荷の少ない生産やサービス活動によって雇用を拡大していくことは十分に可能であるはずである。
 上述でも垣間見えるように、BI論とネオリベラリズムとは極めて親和性が高い。例えば現代日本でBIを唱道する一人に金融専門家の山崎元がいるが、彼はブログで「私がベーシックインカムを支持する大きな理由の一つは、これが『小さな政府』を実現する手段として有効だからだ」、「賃金が安くてもベーシックインカムと合わせると生活が成立するので、安い賃金を受け入れるようになる効果もある」、と述べ、「政府を小さくして、資源配分を私的選択に任せるという意味では、ベーシックインカムはリバタリアンの考え方と相性がいい」と明言している*1。またホリエモンこと堀江貴文はそのブログでよりあからさまに、「働くのが得意ではない人間に働かせるよりは、働くのが好きで新しい発明や事業を考えるのが大好きなワーカホリック人間にどんどん働かせたほうが効率が良い。そいつが納める税収で働かない人間を養えばよい。それがベーシックインカムだ」、「給料払うために社会全体で無駄な仕事を作っているだけなんじゃないか」「ベーシックインカムがあれば、解雇もやりやすいだろう」と述べている*2。なるほど、BIとは働いてもお荷物になるような生産性の低い人間に対する「捨て扶持」である。人を使う立場からは一定の合理性があるように見えるかも知れないが、ここに欠けているのは、働くことが人間の尊厳であり、社会とのつながりであり、認知であり、生活の基礎であるという認識であろう。この考え方からすれば、就労能力の劣る障害者の雇用など愚劣の極みということになるに違いない。
 最後に、BI論が労働中心主義を排除することによって、無意識的に「“血”のナショナリズム」を増幅させる危険性を指摘しておきたい。給付の根拠を働くことや働こうとすることから切り離してしまったとき、残るのは日本人であるという「“血“の論理」しかないのではなかろうか。まさか、全世界のあらゆる人々に対し、日本に来ればいくらでも寛大にBIを給付しようというのではないであろう(そういう主張は論理的にはありうるが、政治的に実現可能性がないので論ずる必要はない)。もちろん、福祉給付はそもそもネーション共同体のメンバーシップを最終的な根拠としている以上、「“血“の論理」を完全に払拭することは不可能だ。しかし、日本人であるがゆえに働く気のない者にもBIを給付する一方で、日本で働いて税金を納めてきたのにBIの給付を、-BI論者の描く未来図においては他の社会保障制度はすべて廃止されているので、唯一の公的給付ということになるが-否定されるのであれば、それはあまりにも人間社会の公正さに反するのではなかろうか。

 

 

 

 

 

トランス女性と女子大学

津田塾大学がトランス女性の入学を認めるというニュースに、何か違和感を感じたので、それを言語化してみました。

https://www.tsuda.ac.jp/news/2023/0623-02.html

津田塾大学では、2025年度入試(2025年4月に入学する学生が受験する入試)より多様な女性のあり方を尊重することを基本方針とし、女子大学で学ぶことを希望するトランスジェンダー学生(性自認による女性)にすべての学部、大学院研究科にて受験資格を認めることといたしました。

この基本方針は、1900年から女性に高等教育の学びの場を提供してきた本学の伝統を継承する、「Tsuda Vision 2030」のモットー「変革を担う、女性であること」を推進することでもあり、同時に、多様な価値観の共生を目指す社会の構築に貢献することでもあります。本学は、多様な女性の学ぶ権利を守り、共に学ぶ環境を整えてまいります。

性に多様性があるということを社会全体でどのように理解を進めていけるのか。多様な女性のあり方を包摂していく過程で、周縁に置かれている様々な女性たちがエンパワーされ、自らの力量を信じて真摯に前進していけるよう支援していく。それが、21世紀の女子大学のミッションであると考えます。

性の多様性を認めるということや、多様な性の在り方を差別しないということと、女子大学という存在を認めているということそのものの間に、論理的に解決すべき問題が存在しているのではないかと感じます。

そもそも、女子の入学を認めない男子大学は許されないのに、男子の入学を認めない女子大学の存在が認められているのは、ポジティブ・アクション、すなわちこれまでより不利益を蒙ってきた性別に対して積極的に優遇する差別は許されるという考え方によるものであるはずです。

実際、戦前は女性は大学に進学することができませんでしたし、今日においてもなお女性の四年制大学進学率は男性よりもかなり低い水準にあります。現状の判断については様々な議論があり得ますが、議論の筋からいえばそういうことです。

男性が自分が女子大に入学できないのは差別だと訴えても相手にされないのは、一般的には男性の方が女性より有利な立場にあるがゆえに、女性への優遇措置を甘受すべきであると考えられているからでしょう。

ところが、トランス女性はそういう意味において男性に比べて差別されているわけではありません。トランス女性が男性よりも優遇されるべきであると主張する根拠はないはずです。

トランス女性/男性は、シス女性/男性に比べて差別されているから差別を許すべきではない、という議論は、あくまでも比較対象はトランス対シスなのであって、トランス女性を男性一般よりも優遇すべきという理論的根拠にはなり得ないはずです。

津田塾大学は、これまで差別され不利益を蒙ってきた女性をより指導的地位に就けるように積極的差別を行うのは正当であるという理由に基づいて、男性の入学を拒否するという男性に対する差別を行うことが許されている存在であるはずですが、その正当化根拠とは異なる差別の線引きをするということになると、そもそも女子大学であるという存立根拠を危うくする可能性があるのではないかと思います。

ダイバーシティという言葉は便利ですが、便利であるがゆえに、多様性の中身を区別せずにごっちゃにして議論するということになると問題があります。

例えば、人種差別に対するポジティブアクションとして、大学の入学枠において黒人などの有色人種を優遇するということがあります。それ自体の是非はここでは論じませんが、仮にそれが正当だという立場に立ったとしても、それによって正当化されうるのは、男女共学の大学において黒人男女を優遇することと、女子大学において黒人女性を優遇することまでであって、白人女性の多い女子大学に黒人男性を入学させろという話にはならないはずです。

白人男性の入学が許されない女子大学に、黒人女性のみならず黒人男性までダイバーシティの証しとして入学させろなどと言い出したら、それは論理的に間違ったことであるはずです。

津田塾大学には萱野稔人さんという立派な哲学者がいるんですから、もう少しきちんと物事を理論的に考えて行動すべきではないかと思います。

(追記)

コメント欄の議論に対しての総括

*トランス女性が女性それ自体では「ない」ことは明らかであって、もし女性それ自体であってシス女性と何の違いも無いのならば、トランス女性をトランス差別の被害者であるとする根拠自体がなくなります。

差別根拠として男性であるか女性であるかというジェンダー差別の問題と、トランスであるかシスであるかという性的指向・性自認差別の問題は少なくとも別の軸の問題であって、それを意識的にか無意識的にかごっちゃにするような議論はおかしいといっているに過ぎません。

私は差別禁止論として性自認ゆえにトランスをシスとの関係で差別することを問題とする議論は理解できますが、もしそうであるなら、トランス女性はシス女性それ自体とは異なることが前提なのであり、それを全面的に否定する議論とはそもそも論理的に矛盾すると考えています。

*おそらく、ここで話が噛み合わない最大の理由は、そもそも女性差別である男子大学は許されないのに、男性差別である女子大学が許容されるのは,ポジティブ・アクションという積極的差別であるからである、というイロハのイの根本のことが理解されていないからなのでしょうね。

トランス女性が、身体的性別と精神的性自認が異なるトランスジェンダーであるという差別根拠に基づいて「ではなく」、もっぱら女性であるというセルフ・アイデンティティに基づいて、歴史的に身体的性別に基づいて差別されてきた女性にのみ認められた積極的差別たるポジティブ・アクションの権利を自分にも要求するということの根拠が見当たらない、という話なのです。ポジティブアクションとは、いわばこれまで女性だからという理由で差別されてきた身体的女性にのみ認められた特権なのであって、トランスだからといって差別されてきたかも知れないが女性だからといって差別されてきたわけではないトランス女性がそのお相伴にあずかるべき筋合いはないという話なのですが、そこがすっぽり頭の中から抜け落ちてしまっていると、こういうわけの分からない議論になるのでしょう。

*そうか、だんだん分かってきた。この人たちは、そもそも入口で男性のみ入れますとか女性のみ入れますということが、そもそも性別による差別であって許されないという差別禁止原則の一番根幹のことが頭の中にまったくなくって、男性のみ入れますでも女性のみ入れますでも、何でも許されるという大前提に立っているらしいのだな。

だとすると、何の問題もない男子のみ入れますという大学にトランス男性が入りたいということも当たり前のことであって、それと全く同様に、何の問題もない女子のみ入れますという大学にトランス女性が入りたいといってきているンだから入れればいいじゃないか、という思考回路になっているのでしょう。

しかし、だとすると、これはもはや差別の問題では無くなってしまうのだな。そもそも差別禁止原則が存在しない世界、男性のみでも女性のみでも何でも許される世界において、なぜか、ただ自らの性別アイデンティティのみが唯一絶対に尊重されるべきだという議論であって、正直付き合いきれない。

2023年6月27日 (火)

ジョブ型雇用をめぐる動向をどう捉えるか@労働開発研究会

来る7月14日(金)の14:00-16:00に、労働開発研究会の開催する研究会で「ジョブ型雇用をめぐる動向をどう捉えるか」についてお話をします。

https://www.roudou-kk.co.jp/seminar/workshop/10835/

 国は今後、日本企業の雇用制度をいわゆる「ジョブ型雇用」に移行することを促すとして、指針を発表すると表明しています。「メンバーシップに基づく年功的な職能給の仕組みを、ジョブ型の職務給中心のシステムに見直す」と岸田首相が述べるなど、企業の成長と労働者の活躍の促進に向けた人事制度の見直しを企業に求める方向です。またジョブ型雇用を導入した企業が話題となるなど、ニュース等でもジョブ型雇用というワードをたびたび目にするようになっています。
 このようにジョブ型雇用への移行を推進しようとしている状況ですが、はたしてそのようにうまく移行することができるのでしょうか。
 本例会では、労働政策研究・研修機構(JILPT)研究所長の濱口先生を講師にお招きして、そもそもジョブ型雇用とはどのようなものであり、昨今の動向をどのように捉え、また実際の移行は非常に難しい状況だという再認識のもと、現状の課題等の解説をしていただきます。
 国がジョブ型雇用への移行を推進していこうとしている今だからこそ聞いておきたい、この問題の第一人者である濱口先生からの貴重なお話しとなりますので、企業人事や労働組合のご担当者をはじめ関心ある皆様はぜひこの機会にご参加ください。

お申し込みはリンク先から。

『家政婦の歴史』は7月20日刊行です

『家政婦の歴史』(文春新書)は7月20日刊行です。書影が版元にアップされたので、ここで紹介しておきます。

https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166614141

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「家庭のなかの知られざる労働者」の知られざる歴史が浮かび上がる!

家政婦と女中はどう違う?
家政婦は歴史上、いつから家政婦と呼ばれるようになったのか?
2022年9月、ある家政婦の過労死裁判をめぐって、日本の労働法制の根本に潜む大きな矛盾に気づいた労働政策研究者の著者は、その要因の一端を、市原悦子演じるドラマ『家政婦は見た!』に見出し、家政婦をめぐる歴史をひも解くことを決意した。

戦後80年近くにわたって、労働法学者や労働関係者からまともに議論されることなく放置されてきた彼女たちのねじれた歴史を、戦前に遡って描き出す驚くべき歴史の旅程。

目次

序章 ある過労死裁判から
第1章 派出婦会の誕生と法規制の試み
第2章 女中とその職業紹介
第3章 労務供給請負業
第4章 労務供給事業規則による規制の時代
第5章 労働者供給事業の全面禁止と有料職業紹介事業としてのサバイバル
第6章 労働基準法再考
第7章 家政婦紹介所という仮面を被って70年
第8章 家政婦の労災保険特別加入という絆創膏
第9章 家政婦の法的地位再考
終章 「正義の刃」の犠牲者

2023年6月26日 (月)

available as a Belgian

JILPTの『ビジネス・レーバー・トレンド』2023年7月号がアップされました。

https://www.jil.go.jp/kokunai/blt/backnumber/2023/07/index.html

出産後も働き続ける女性が増えており、女性の年齢別労働力率を示す、いわゆる「M字カーブ」は解消されつつある。しかし、その一方で、女性の年齢別の正規雇用比率は20歳台後半をピークに低下する「L字カーブ」を描いており、女性の就業を考えるにあたっては、男女がともに働きやすい環境の整備や、出産・育児の経験が職業生活に負の影響とならずに、誰しもがキャリア形成を図り、能力発揮していくための環境整備と支援が重要となる。本号では、女性の就業をテーマとした労働政策フォーラム、業界団体・企業モニター特別調査の結果や、最近政府から打ち出された女性活躍・男女共同参画推進策やワーク・ライフ・バランス支援策の内容を紹介し、女性就業支援の「これから」を考える。

メイン記事は、2月15日に行われた労働政策フォーラム「女性の就業について考える─環境変化と支援のあり方を中心に─」です。

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https://www.jil.go.jp/event/ro_forum/20230220/houkoku/05_panel.html

このパネルディスカッションの最後のところで、司会の私が勝手に余計なことを喋っていますので、そこだけ引用しておきます。

濱口 最後に司会の職分を超えて若干余計なことを喋っておきます。私はかつてベルギーのブリュッセルにある欧州連合日本政府代表部に勤務していたのですが、ブリュッセルのみやげ物として、EU各国の国民性をジョークにした絵はがきがあります。そこでは、ベルギー人は「available as a Belgian」と書かれていて、その挿絵は、机の上で電話が鳴っているんだけど、誰もいないという構図です。これはひねったジョークで、ベルギー人は全然、アベイラブルじゃないと言っているわけです。でも逆に考えてみると、日本の企業はあまりにも社員に対して「アベイラブルであれ」と言い過ぎたために、今のような女性が働きにくい事態になっているのかもしれません。これをもう一つ裏を返して子どもの目から見たら、日本のお父さんはいつも会社に取られていて全然アベイラブルじゃないとも言えます。今日の議論を聞いていて、働く男女が誰にとってアベイラブルで、誰にとってアベイラブルじゃないのかという問題が、わが国の働き方の根っこにあるのではないかという感想を持ちました。それではこれでパネルディスカッションを終わります。ありがとうございました。

この絵はがきはこちらです。

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2023年6月25日 (日)

連合もなぜ自分たちの期待を裏切る人たちを文句も言わずに応援し続けるのか@井手英策

1b6f8bae5f525271fc711dc601f04622 連合のサイトに、「連合 政策・制度推進フォーラム」第4回総会を開催という記事が載っていて、井手英策さんの記念講演の概要が載っています。

https://www.jtuc-rengo.or.jp/news/news_detail.php?id=2004

今まで民主党系の政治家に何回も裏切られてきた井出さんの心の思いが噴出するような表現が垣間見えますね。

〇消費減税ほど理解が難しい政策はない。5%減税で富裕層には年間23万円が戻り、低所得層には8万円だけ。なぜ金持ち擁護のようにしか映らない政策を選択するのか。理由は野党共闘。選挙区調整はやればよい。しかし、なぜわざわざ「野党共闘」という名前をつけて一蓮托生みたいなアピールをしないといけないのか。タチのよくない政策に揃えて勝とうする姿を国民はどう見ているか

〇社会保障と税の一体改革で民主党はバラバラに。消費税がトラウマというのは理解できるが、学者としては一体改革のスキームは完璧。ところが、財務省との関係か、借金返済を高めたために大きな悲劇を生んだ。このスキームしかないのだから堂々と自信を持ってほしい。もう一つ、連合もなぜ自分たちの期待を裏切る人たちを文句も言わずに応援し続けるのか。組織内議員もいるだろう。政党を割ってほしい。連合新党をつくってほしい。連合も“その人たちしか応援しない”とはっきり言ってほしい。皆さんにとっての理想とともに闘う仲間を増やしていくことが一番大事ではないか。2017年の(民進党の)マニフェストを議論していた時点では我々が最先端に立っていた。まだ間に合う。連合の選挙総括の中にだけは自分が訴え続けた魂が生きている。皆さんで共有してほしい。

〇政治の本質は極に走ることではなく、極と極の中庸を模索すること。人類の歴史において、喜びだけを分かち合うことで成立したコミュニティはない。ともに痛みを分かち合ってでも満たさなければならない何かがあったから。消費税は貧しい人も払わなければならない。だからこそ、堂々とサービスを受け取る権利を手にする。何がベーシックサービスか、どの税で・だれに・何パーセントということを全部話し合わないといけない。国民がほしいものをバラまくなら国会も財政も要らない。必要なものを議論して財源を議論するから、議会、民主主義が必要。義務と権利、受益と負担の間の中庸を模索することが皆さんの使命。“とって使う”という当たり前のことを言えない政治、リベラルに未来はない



 

2023年6月24日 (土)

ジョブなきワークの時代

もう5年以上も前になりますが、当時まだリクルートワークス研究所におられた中村天江さん(現連合総研主幹研究員)のインタビューを受けたことがあります。

https://www.works-i.com/column/policy/detail017.html(濱口桂一郎氏 『メンバーシップ型・ジョブ型の「次」の模索が始まっている』)

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 中村さんは私に、メンバーシップ型の問題点とジョブ型への展望を語らせたかったようですが、あまのじゃくな私はわざと逆のことを喋りました。

中村 人生100年時代では、60歳を超えて80歳まで就業するケースも出てきます。そうなると雇用システムは今のメンバーシップ型でいいのか、あるいはジョブ型がふさわしいのか。どういう方向に進化していくと考えていますか。

濱口 日本では今、メンバーシップ型に問題があるのでジョブ型の要素を取り入れようという議論をしています。ですが、今の私のすごく大まかな状況認識は、これまで欧米で100年間にわたり確立してきたジョブ型の労働社会そのものが第4次産業革命で崩れつつあるかもしれないということです。欧米では新しい技術革新の中で労働の世界がどう変化していくのかに大きな関心が集まっています。

そもそもメンバーシップ型もジョブ型も自然にできたものではありません。産業革命で中世的なメンバーシップ型社会が崩れて労働者がバラバラの個人として市場に投げ出された中で、その拠り所として労働者が普通に働いていける社会のルールとして組み立てられたのがジョブ型です。ジョブ型とメンバーシップ型はある意味でそのルールの作り方の違いなのです。

日本でもマイクロエレクトロニクス(ME)が工場やオフィスに入り始めた30~40年前は、日本的雇用システムの柔軟性こそがME時代に最も適合していると誇らしげに語られました。もちろん間違っていなかったわけですが、ここ20年の間にメンバーシップ型の悪い点が露呈し、うまく対応できないということでジョブ型が注目を集めているのです。

しかし今の欧米は違う。欧米ではこれまで事業活動をジョブという形に切り出し、そのジョブに人を当てはめることで長期的に回していくことが効率的とされた。ところがプラットフォーム・エコノミーに代表されるように情報通信技術が発達し、ジョブ型雇用でなくともスポット的に人を使えば物事が回るのではないかという声が急激に浮上している。私はそれを「ジョブからタスクへ」と呼んでいます。

中村 メンバーシップ型でもジョブ型でもない就業システムが新しい技術革新によって生まれつつあるということですね。いつ頃から議論が始まっているのですか。

濱口 実は欧米でこんな議論が高まったのはこの2~3年です。つまり欧米の労働社会を根底で支えてきたジョブが崩れて、都度のタスクベースで人の活動を調達すればいいのではないか。あるいはそれを束ねるのが人間のマネジメントだと言われていたものでさえもAIがやるみたいな議論が巻き起こっているのです。

それに対して働く側はこれまでジョブ・ディスクリプションに書いてあることをちゃんとやればよかったけど、ジョブがなくなったら自分たちはどうすればいいのかという危機意識がすごく強い。ジョブがなくなれば今後の立脚する根拠をどこに、何を作ればよいのかという議論も起きています。

本当に先が見えない中でものすごい危機感を持って右往左往している状況です。ところが日本でそれほど騒がれていないのが不思議でなりません。

9784478117385  ここで私が言っていた「ジョブ型からタスク型へ」という議論の集大成のような本が去る3月に出ました。ラヴィン・ジェスターサン/ジョン・W・ブードロー『仕事の未来×組織の未来』(ダイヤモンド社)というあんまり食欲をそそらない平凡な邦題になっていますが、原題はこの書影に映っているように「WORK WITHOUT JOBS」(ジョブなきワーク)です。

https://www.diamond.co.jp/book/9784478117385.html

 まさに古くさくて硬直的なジョブ型から柔軟なタスク型への移行を唱道する本です。皮肉なのは、著者はマーサー本社の人で、翻訳はマーサージャパン。現在日本でジョブ型雇用すばらしいぞ、と必死に新商品として売り込んでいる当のマーサーがそれを自己否定するような本を出しているわけです。

 まあ、コンサルタントというのは普通のことをいっていたのでは商売にならないわけで、メンバーシップ型が鞏固に根を張る日本だからそんなのは古いぞ、とばかりジョブ型を新商品として売り込むわけだし、ジョブ型が厳然と確立しているアメリカだから、ジョブ型は古いぞ、タスク型にならなきゃだめだと脅しつけるわけでしょうね。

 実は私は著書の中でも「ジョブ型は古くさいぞ」と繰り返しているのですが、メンバーシップ型の社会的弊害をこれでもかとあげつらうために、あたかもジョブ型を新商品として売り歩く人材コンサルの同類のように見られがちです。日本におけるジョブ型の導入とは、古びた新商品のメンバーシップ型の弊害を縮小するための復古的改革というべきものですが、そういうマクロ的観点が欠如した浅薄な議論が横行するのには閉口します。閑話休題。

では、ジョブ型の本家本元のマーサー本社の人の説く「ジョブなきワーク」とはどういうものでしょうか。ジョブなきメンバーシップの日本型雇用システムとどこが同じでどこが違うのか、詳しいことは是非本書を読んでみていただきたいのですが、ここではちょびっとだけ。

 本書はいうまでもなくジョブ型雇用社会に生きる人々を相手に書かれています。職務記述書(ジョブディスクリプション)に箇条書きの形でまとめられたガチガチの固定的な「ジョブ」(職務)を雇用契約を結んだ従業員(ジョブホルダー)が遂行するという古くさいオペレーティングシステム(OS)を脱構築(デコンストラクション)して、 ジョブを構成する個々のタスクを、インディペンデント・コントラクター、フリーランサー、ボランティア、ギグワーカー、社内人材など多様な就労形態で遂行する仕組みに移行せよというのです。

 伝統的なジョブ型はなぜだめなのか。労働者の能力を職務と結びつけて判断し、職務経験や学位と無関係な能力を把握できないからです。従業員の能力を丸ごと把握することができないからです。そのため、そのジョブに必要な資格を有しているかいないかでしか判断できず、その仕事(個々のタスク)を遂行するにふさわしい人材を発見できないからです。

 というマーサー本社の人の議論を聞いていると、日本のメンバーシップ型はそうじゃないよといいたくなります。資格や経験よりも人格丸ごとを把握し、企業の必要に応じて適宜仕事を割り振っていく日本型を褒め称えているようにすら見えます。いや実際、上記人材リストの中の「社内人材」というのは、フルタイムの従業員であっても「人を職務に縛り付けず、自由な人材移動を可能にする」というものですから、まさに日本型です。

 とはいえ、似ているのはそこまでです。マーサー本社の唱えるタスク型の本領は、伝統的なジョブという安定した雇用形態ではないさまざまな柔軟な就業形態で、タスクベースで人材を活用していこうというものですから、ジョブ無限定でタスク柔軟型の代わりに社員身分がこの上なく硬直的で、社員である限り何かもっともらしい仕事をあてがわなければならない日本型とは対極的であるともいえます。

 冒頭で紹介した私のインタビュー記事でも述べたように、こういう議論が流行る背景にあるのはいうまでもなく情報通信技術の急速な発展で、本書でもITやAIによって仕事の未来がどうなるかというテーマが繰り返されます。近年の労働経済学の議論を踏まえて、あるジョブを構成するタスクのすべてが機械に代替されるわけではなく、代替されるタスクと代替されないタスクがあるのだ、というところから、旧来のジョブという枠組みにこだわるのではなく、機械に代替されない人間用のタスクを柔軟に働く人々に配分していこうという議論につながっていくわけです。

 

 

2023年6月23日 (金)

倉重公太朗・白石紘一編『実務詳解 職業安定法』

1758622 倉重公太朗・白石紘一編『実務詳解 職業安定法』(弘文堂)が届きました。書店にもじきに並ぶと思います。

https://www.koubundou.co.jp/book/b10031450.html

長年、職業紹介事業に関する基本法であった職業安定法。新卒学生の内定辞退率を予測するサービスが炎上して業界を震撼させた近年の「リクナビ事件」などを背景としつつ、テクノロジーの発達による募集情報等提供事業と職業紹介との区分の曖昧化や、人材サービスの活況に伴う職業紹介市場の右肩上がりの拡大などから、職業安定法が実務と関係してくる場面が飛躍的に増えています。2022年10月施行の職業安定法改正では、募集情報等提供事業にかかる届出制の新設のほか、求人情報や個人情報等の取扱に対する規制を強化。また、同改正では労働者を募集する企業に対する規制も拡大され、あらゆる企業が職業安定法に関係しうることとなりました。そこで本書は、職業安定法の最も実践的かつ信頼できる解説書をめざして、当分野第一線の弁護士・研究者・行政関係者が協働。生まれ変わった「シン・職安法」のすべてがわかる唯一無二の書です。

わたくしも序章の第1節を執筆しておりますが、以下のように第一線の弁護士が中心になってまとめられた本です。なんでも、刊行前から注文が殺到して重版が決定したとかで、まことにめでたいことであります。

[編者]
倉重公太朗(KKM法律事務所代表)
白石 紘一(東京八丁堀法律事務所パートナー)

[執筆者]
濱口桂一郎(労働政策研究・研修機構研究所長)
松浦 民恵(法政大学キャリアデザイン学部教授)
大野 博司(アドバンスニュース報道局長)
宮川  晃(元厚生労働審議官)
中山 達夫(中山・男澤法律事務所パートナー)
荒川 正嗣(KKM法律事務所パートナー)
安西  愈(安西法律事務所代表)
板倉陽一郎(ひかり総合法律事務所パートナー)
近衞  大(KKM法律事務所パートナー)
今野浩一郎(学習院大学名誉教授)

職業安定法のまともな解説書は旧労働省が書いたものくらいですが、それも1970年の合冊のコンメンタールが最後で、半世紀以上にわたってほぼ放置プレイ状態であったわけです。その間、私の『労働市場仲介ビジネスの法政策』にもあるように、まことに疾風怒濤の大変化があったわけで、しかも近年の改正はその分野を大きく拡大しつつある、というわけで、我らが倉重弁護士が「だったら自分らで作ろう」と頑張ってここまできたというわけです。

【詳細目次】
序 章 職業安定法の過去・現在・未来
 第1節 職安法規制はなぜ始まり、何を防ぎたかったのか
 第2節 職業キャリア形成の現状とこれから
第1章 令和4年改正職安法の全体像
 第1節 令和4年改正の背景
 第2節 令和4年改正等の主な内容
第2章 雇用仲介サービスの全体像
 第1節 市場の全体像とトレンド
 第2節 新たな雇用仲介サービスの登場
 第3節 さらなるサービスの進化と健全な労働市場整備
第3章 職業紹介
 第1節 職業紹介事業への規制について
 第2節 職業紹介の定義
 第3節 均等待遇
 第4節 労働条件等の明示
 第5節 求人等に関する情報の的確な表示
 第6節 求職者等の個人情報の取扱い
 第7節 求人の申込み
 第8節 求職の申込み
 第9節 求職者の能力に適合する職業の紹介等
 第10節 有料職業紹介の許可等
 第11節 手数料
 第12節 取扱職業の範囲(港湾運送業務および建設業務の紹介の禁止)
 第13節 取扱職種の範囲等の届出、明示等
 第14節 職業紹介責任者
 第15節 帳簿の作成および備付け
 第16節 事業報告等
 第17節 職業紹介事業者の責務等
 第18節 秘密を守る義務等
 第19節 罰則
 第20節 無料職業紹介事業
 第21節 職業紹介と募集情報等提供の区分に関する基準
第4章 募集情報等提供
 第1節 はじめに:令和4年改正を踏まえた募集情報等提供事業に関する規制の趣旨
 第2節 募集情報等提供について
 第3節 特定募集情報等提供事業者に対する規制内容等
 第4節 募集情報等提供事業者に対する規制内容全体像
 第5節 均等待遇に関する事項
 第6節 求人等に関する情報の的確表示
 第7節 求職者等の個人情報の取扱い
 第8節 報酬受領の禁止
 第9節 事業の停止
 第10節 事業概況報告書の提出
 第11節 事業の公開
 第12節 苦情の処理に関する事項
 第13節 募集情報等提供事業を行う者の責務
 第14節 地方公共団体の行う募集情報等提供事業
 第15節 秘密を守る義務等
 第16節 罰則
 第17節 おわりに
第5章 労働者供給
 第1節 労働者供給事業の意義等
 第2節 労働者供給事業の事業運営
 第3節 帳簿書類の備え付け
 第4節 事業報告
 第5節 罰則
第6章 労働者の募集
 第1節 労働者募集の原則
 第2節 公正な採用選考と法律による制限
 第3節 委託募集
第6章補論:企業グループの募集採用をめぐる問題
第7章 個人情報の取扱い
 第1節 個人情報保護法の適用関係の整理等
 第2節 個人情報収集、保管、使用
 第3節 個人情報の適正管理
 第4節 個人情報保護法の遵守
 第5節 人の秘密の漏えい禁止等
 第6節 監督執行
第8章 職安法違反における行政の対応
 第1節 職安法違反企業に対する行政の対応
 第2節 違法行為が軽微な場合・事前の抑制を行う場合
 第3節 違反行為等に対する罰則
 第4節 違反行為に対する行政処分
 第5節 企業対応の実務
 第6節 企業対応におけるリスク管理――リクナビ事件を例に
終章 雇用仲介規制とこれからの職安法
 第1節 はじめに:労働市場における需給調整機能と募集情報等提供事業者
 第2節 募集情報等提供事業者の諸タイプの捉え方
 第3節 需給調整における介在度と規制
 第4節 これから考えるべきこと
【事項索引/判例索引】

 

 

 

 

 

健康診断の労働法政策@『労基旬報』2023年6月25日

『労基旬報』2023年6月25日に「健康診断の労働法政策」を寄稿しました。

 2022年10月29,30日に開催された日本労働法学会の第139回大会は「労働安全衛生法改正の課題」というテーマで大シンポジウムを開きましたが、そこにただ一人労働法学者以外から登壇していたのが産業医科大学教授の堀江正知氏でした。「産業医制度の歴史と新たな役割」というその報告で、堀江氏は戦時体制下で作られた一般健康診断という制度が他国に例を見ない独特の制度であることに注意を促しました。
 現在労働安全衛生法第66条以下に規定されている健康診断については、我々ほぼ全てが労働者として毎年受診してきた経験を持つこともあり、違和感を感じることもないまま過ごしてきていると思われますが、その源流は堀江氏が指摘するとおり、戦時体制下の健民政策にあり、それが戦後80年近くにわたってさらに拡大発展してきたという歴史があります。本稿では、労働法学の本流からは軽視されがちな労働安全衛生法制において、日本独特の発展の方向性を根底で形作ってきたものともいうべき職場における健康診断の源流を見ていきたいと思います。
 現在の労働安全衛生法の出発点は、1911年に制定され1916年に施行された工場法の第13条ですが、これに基づき制定された省令には健康診断規定はありませんでした。現行労働安全衛生法の健康診断規定の直接の原型である規定が初めて設けられたのは、1938年の工場危害予防及衛生規則改正(昭和13年4月16日厚生省令第4号)によってです。この背景には、戦時体制が進む中で、結核対策と国民の体力向上に熱心な陸軍のイニシアティブで厚生省が設置されたことと国家総動員法が制定されたことがあります。
 厚生省が設置されたのは1938年1月11日ですが、これは支那事変が始まった盧溝橋事件から6か月を経過し、近衛文麿首相が「蒋介石政権を対手とせず」と声明した同年1月16日の直前でした。しかしその動きは陸軍省医務局長・陸軍軍医総監であった小泉親彦が1936年秋頃、国民の体力向上のため強力な衛生行政の主務官庁を作る衛生省構想を提起したことに始まります。小泉はその理由を、「全国から某師団に集まる優良なる壮丁三千五、六百名の中で約二百名が慢性の胸の疾患を有つてゐる。然し是は甲種合格である。甲種にならなかつた乙種の体格者、それから不合格者の者を合せれば、全壮丁中の過半数以上となるが、此等の不良体格者の中に、如何に多数の胸の悪い青年が存在するか想像に難くない。病気でなく、日々仕事に励むで居る青年で、口から結核菌を吐出す人が百人に付二人づゝあるのであるから、此の有疾無息の健康者が全日本にどれ位多数あるか、能く考へて見なければならぬ」と述べていました。
 そこで陸軍は、近衛文麿に対し内閣支持の条件として同構想の受入れを求めたのです。一方近衛には福祉国家構想から内務省社会局を中心とした新省設置の考えがあり、この両者を合体させて、「国民体力の向上及び国民福祉の増進を図るため」保健社会省を設置することとしたのです。ところが枢密院から、国内情勢に照らして「社会」という文字は不適当という意見が出され、書経の「正徳利用厚生」からとった「厚生」という言葉を用いることとなり、体力局、衛生局、予防局、社会局、労働局の5局プラス保険院からなる厚生省が設置されたのです。新生厚生省の中でも最重要課題とされたのは国民体力の向上でした。体力局は鋭意調査を進め、国民体力管理法案を作成して議会に提出し、1940年4月8日国民体力法として成立に至りました。同法は未成年者に対する体力検査を義務づけるとともに、同局は国民運動として健民運動を展開しました。こうした動向が、健康診断規定の導入発展の背景事情として存在していたことは重要です。
 1938年工場危害予防及衛生規則改正の主眼は、安全管理者、工場医、安全委員といった、これもまた今日の労働安全衛生法に連なる安全衛生管理体制を義務づけたことにありますが、その工場医の任務として年1回の健康診断が初めて規定されたのです。
第三十四条ノ三・・・ 
⑦工業主ハ工場医ヲシテ毎年少クトモ一回職工ノ健康診断ヲ為サシムベシ
⑧前項ノ健康診断ニ関スル記録ハ三年間之ヲ保存スベシ
 工場危害予防及衛生規則は1940年10月7日に改正され、工場医の選任義務が職工500人以上から100人以上に拡張されるとともに、衛生上有害業務従事者に対する年2回の特殊健康診断(という名称ではありませんが)の規定が設けられました。
第三十四条ノ三・・・
⑦工業主ハ工場医ヲシテ毎年少クトモ一回職工ノ健康診断ヲ為サシムベシ
⑧工業主ハ瓦斯、蒸気又ハ粉塵ヲ発散シ其ノ他衛生上有害ナル業務ニ従事スル職工ニ付テハ工場医ヲシテ毎年少クトモ二回健康診断ヲ為サシムベシ
⑨其ノ年ニ於テ国民体力法ノ体力検査ヲ受ケタル者ニ付テハ一回ヲ限リ前二項ノ規定ニ依ル健康診断ハ之ヲ為サシメザルコトヲ得此ノ場合ニ於テハ国民体力法ニ基キ体力検査ヲ行ヒタル工業主以外ノ工業主ハ国民体力法ノ体力検査票又ハ精密検診票ノ写ヲ作製スベシ
⑩前三項ノ健康診断ニ関スル記録又ハ体力検査票若ハ精密検診票ノ写ハ三年間之ヲ保存スベシ
 このように創設拡充されてきた健康診断規定が、大東亜戦争中の1942年に大きく再編拡充されましたが、これは規定の置かれる省令がそれまでの工場危害予防及衛生規則から工場法施行規則に移行する形を取りました。それまでは安全衛生管理体制の一環として工場医の任務という位置づけであったのが、正面から工業主が職工に対して実施すべき義務として位置づけられたわけです。
第八条 工業主職工ヲ雇入レタルトキハ雇入後三十日以内ニ医師ヲシテ其ノ職工ノ健康診断ヲ為サシムベシ但シ厚生大臣ノ指定スル健康診断ヲ受ケ三月ヲ経過セザル者ヲ雇入レタルトキハ此ノ限ニ在ラズ
第八条ノ二 工業主ハ医師ヲシテ毎年少クトモ一回職工ノ健康診断ヲ為サシムベシ
②瓦斯、蒸気又ハ粉塵ヲ発散シ其ノ他衛生上有害ナル業務ニ従事スル職工ニ付テハ前項ノ健康診断ハ毎年少クトモ二回之ヲ為サシムベシ
③其ノ年ニ於テ前条ノ規定ニ依ル健康診断又ハ厚生大臣ノ指定スル健康診断ヲ受ケタル者ニ付テハ其ノ受ケタル回数ニ応ジ前二項ノ規定ニ依ル健康診断ハ之ヲ為サシメザルコトヲ得
第八条ノ三 前二条ノ健康診断ニ於テハ左ノ項目ニ付計測、検査又ハ検診ヲ行フベシ但シ其ノ年二回以上ノ健康診断ヲ行フ場合ニ於テハ身長、体重及胸囲ノ測定並ニ視力、色神及聴力ノ検査ハ之ヲ一回行フヲ以テ足ル
一 身長、体重、胸囲
二 視力、色神、聴力
三 感覚器、呼吸器、循環器、消化器、神経系其ノ他ノ臨床医学的検査
四 「ツベルクリン」皮内反応検査
②前項第四号ノ検査ハ其ノ反応陽性ナルコト明カナルモノニ付テハ之ヲ省略スルコトヲ得
③「ツベルクリン」皮内反応ガ陽性若ハ疑陽性ノ者又ハ医師ニ於テ必要ト認ムル者ニ付テハ「エツクス」線間接撮影又ハ「エツクス」線透視ヲ行フベシ
④ 前項ノ検査ニ依リ結核性病変又ハ其ノ疑ヲ認ムル者ニ付テハ「エツクス」線直接撮影赤血球沈降速度検査及喀痰検査ヲ行フベシ
⑤地方長官ハ前二項ノ検査ノ実施ヲ困難トスル工場ニ付テハ之ヲ免除スルコトヲ得
⑥業務ノ種類又ハ作業ノ状態ニ依リ厚生大臣必要アリト認ムルトキハ第一項、第三項及第四項以外ノ項目ニ付テモ検査ヲ行ハシムルコトヲ得
第八条ノ四 工業主第八条又ハ第八条ノ二ノ規定ニ依リ職工ノ健康診断ヲ為サシメタルトキハ健康診断ノ結果ニ関スル記録ヲ作成スベシ
②第八条ノ二第三項ノ規定ニ依リ健康診断ヲ為サシメザリシ場合ニ於テハ工業主ハ国民体力法ノ体力検査ノ体力検査票若ハ精密検診票又ハ厚生大臣ノ指定スル健康診断ノ結果ニ関スル記録ノ写ヲ作成スベシ
③前二項ノ規定ニ依ル健康診断ノ結果ニ関スル記録、体力検査票若ハ精密検診票ノ写又ハ厚生大臣ノ指定スル健康診断ノ結果ニ関スル記録ノ写ハ各三年間之ヲ保存スベシ
第八条ノ五 工業主ハ職工ノ健康診断ノ結果注意ヲ要スト認メラレタル者ニ付テハ医師ノ意見ヲ徴シ療養ノ指示、就業ノ場所又ハ業務ノ転換、就業時間ノ短縮、休憩時間ノ増加、健康状態ノ監視其ノ他健康保護上必要ナル処置ヲ執ルベシ
第八条ノ六 工業主ハ毎年一回第八条又ハ第八条ノ二第一項若ハ第二項ノ規定ニ依ル健康診断ノ結果(第八条ノ二第三項ノ規定ニ依リ健康診断ヲ為サシメザリシ者ニ付テハ体力検査又ハ厚生大臣ノ指定スル健康診断ノ結果)ヲ様式第七号ニ依リ地方長官ニ報告スベシ
第八条ノ七 工業主其ノ他健康診断ノ事務ニ従事シ又ハ従事シタル者ハ其ノ職務上知リ得タル職工ノ秘密ヲ故ナク漏洩スベカラズ
第二七条ノ二 第八条ノ七ノ規定ニ違反シタル者(工業主ヲ除ク)ハ百円以下ノ罰金又ハ科料ニ処ス
②前項ノ罪ハ告訴ヲ待テ之ヲ論ズ
 この改正により、健康診断を実施する義務は工場医選任義務のある職工100人以上工場だけではなく、工場法の適用される職工10人以上工場の工業主に課せられます。それゆえ、健康診断を担当するのは工場医に限らない「医師」とされています。また、年1回の定期健康診断と年2回の特殊健康診断に加えて、雇入時の健康診断も義務づけられました。さらに、検査項目にもツベルクリン検査やエックス線撮影など結核対策が前面に打ち出されています。この前年の1941年7月18日、陸軍軍医中将の小泉親彦は第3次近衛文麿内閣で厚生大臣に就任しており、同年10月18日の東条英機内閣でも留任して、1944年7月18日の総辞職までその職を務めました。この省令改正は、「結核は亡国病である」という小泉の信念を実現しようとするものであったと言えましょう。
 戦後になって制定された労働基準法は、労働時間規制をはじめとしてさまざまな分野で戦前の水準を遥かに超える労働者保護を達成した法律ですが、よく見ると戦時下の諸法令で導入されていたいくつもの規定がほぼそのまま、あるいは若干形を変えて盛り込まれていることが分かります。労働安全衛生管理体制や健康診断に関わる領域はその最も顕著な分野です。
 労基法には第5章として「安全及び衛生」が置かれ、危害の防止(第42~45条)、安全装置(第46条)、性能検査(第47条)、有害物の製造禁止(第48条)、危険業務の就業制限(第49条)、安全衛生教育(第50条)、病者の就業禁止(第51条) といった規定に続いて、次のような規定が設けられました。
 (健康診断)
第五十二条 一定の事業については、使用者は、労働者の雇入の際及び定期に、医師に労働者の健康診断をさせなければならない。
②使用者の指定した医師の診断を受けることを希望しない労働者は、他の医師の健康診断を求めて、その結果を証明する書面を、使用者に提出しなければならない。
③使用者は、前二項の健康診断の結果に基いて、就業の場所又は業務の転換、労働時間の短縮その他労働者の健康の保持に必要な措置を講じなければならない。
④第一項の事業の種類及び規模並びに定期の健康診断の回数は、命令で定める。
 法律の文言上は特殊健康診断と一般健康診断がまとめて規定されてしまっていますが、省令レベル(労働安全衛生規則)ではより詳細な規定が設けられています。まず雇入時健康診断は労働者50人以上事業と各号列記されている有害業務の常用労働者に義務づけられます。前者は安衛則第11条により医師である衛生管理者と医師でない衛生管理者の選任義務が課せられている事業と同じですが、1942年規則が工場法の適用される職工10人以上工場に雇入時健康診断を義務づけていたのに比べると小規模工場が対象から外れています。一方定期健康診断については、年1回型と年2回型があるのは1942年規則と同じですが、労基法の適用範囲が工場法よりも大きく拡大したこともあって、規定ぶりが複雑になっています。まず、年1回の定期健康診断が義務づけられるのは、上記雇入時健康診断の対象労働者に加えて、農林水産業と金融広告業、官公署等を除く大部分の業種の常用労働者です。これらには規模要件はありません。言い換えれば事実上ほぼすべての事業の労働者に一般定期健康診断を義務づけたことになります。これに対し、規模に関わりなく雇入時健康診断が義務づけられる各号列記の有害業務については、年2回の定期健康診断が義務づけられています。
 こうしてほぼ戦時下の法令をベースにして作られた健康診断規定が、1972年には労働安全衛生法上により詳細に規定され、その後も累次の改正によって次々と膨れあがっていったことは、読者もよくご存じの通りです。今や労働安全衛生法の第66条から第66条の10までの計13か条、労働安全衛生規則の第43条から第52条の21までの計40か条に及ぶ膨大な健康診断関連規定の原点は、戦時体制下の国民体力向上の必要性にあったという事実は、関係者によってもっと知られてもいいことだと思われます。
なお、字数の関係で一部削除した小泉親彦陸軍省医務局長・陸軍軍医総監の言葉を全部再掲しておきます。これは、『医療及保険』1937年5月号に載った「国民体位の向上は現在の医療制度では断然不可能」という文章です。

 全国から某師団に集まる優良なる壮丁三千五、六百名の中で約二百名が慢性の胸の疾患を有つてゐる。然し是は甲種合格である。甲種にならなかつた乙種の体格者、それから不合格者の者を合せれば、全壮丁中の過半数以上となるが、此等の不良体格者の中に、如何に多数の胸の悪い青年が存在するか想像に難くない。病気でなく、日々仕事に励むで居る青年で、口から結核菌を吐出す人が百人に付二人づゝあるのであるから、此の有疾無息の健康者が全日本にどれ位多数あるか、能く考へて見なければならぬ。・・・だからお医者さんを沢山作つても、病院を拵へても、相談所を拵へても、どうにもならない。けれども結核は撲滅せなければならぬ。是が現在以上に蔓延したら国力はだめである。結核は亡国病である。だから結核撲滅に関しては軍当局は重大な関心を有つて居るのである。・・・
 即ち国民生活に即したる、もつともつと徹底した方策を講じなければならないのである。ではその体力向上の方法如何と云ふ問題が起るのである。そこで是が対策として、陸軍では左の案を以て、関係各省と協議した。その内容は、国民体力の増強を図るために国民健康保険の如きものを実施して既患者の療養方途を講ずることはもとより必要であるが、それよりも無患の青少年の身体の鍛錬、乳幼児妊産婦の保護等積極方途を講ずること、これが為には衛生省の如き中央衛生行政機関を画一的に統合強化すること、国立衛生科学研究所を設立して、中央衛生機関の諮問機関とし、文部省の体育研究所、内務省の栄養研究所、衛生試験所等を整理統合し、なほ集団衛生教育施設もこれに附属する国民体力管理法といふやうなものを制定し、小学校から最終学校卒業まで年々の身体検査成績を記入し徴兵検査の時に提出せしむる。国民体力の根本問題たる生活の安定、例へば青年の都会集中を防止するため地方農村に職を与へること、食糧の配給合理化、勤労力の強大化、持久力の養成等各種社会施設に関しても考研すること。各種衛生事業地方病院、医師等の統制、将来戦に於ける空襲に備へて防空、防毒、防疾の能率増進を講ずること。等を陸軍省案として提出した。・・・

 

2023年6月22日 (木)

70歳までの「創業支援等措置」活用企業113社(0.1%)@『労務事情』7月1日号

B20230701  『労務事情』7月1日号の「数字から読む日本の雇用」、今回は「70歳までの「創業支援等措置」活用企業113社(0.1%)」です。

https://www.e-sanro.net/magazine_jinji/romujijo/

 2020年3月の高年齢者雇用安定法の改正により、65歳から70歳までの高年齢者就業確保措置が努力義務化され、2021年4月から施行されていることは周知の通りです。・・・・

 

 

 

 

2023年6月21日 (水)

矢野眞和『今に生きる学生時代の学びとは』

628274 矢野眞和『今に生きる学生時代の学びとは 卒業生調査にみる大学教育の効果』(玉川大学出版部)をお送りいただきました。

http://www.tamagawa-up.jp/book/b628274.html

「大学で学んだことは社会で役立たない」よく聞かれるこうした発言は果たして的を射ているのか。膨大な卒業生調査のデータを、社会工学や統計分析の知見を活かして実証的に分析。その結果浮かび上がってきた、卒業後に生きる大学の教育効果の真の姿とは。今後、高等教育を論じる上で必読となるべき研究書。

Part 1 卒業生の言葉と数字を組み立てる データ蘇生学の実演

Introduction 卒業生調査による教育効果の見える化
Chapter 1 学生時代の学びが今に生かされる五つのルートと反省
卒業生の言葉を組み立てる
Chapter 2 数字でみる五つの学びルート
言葉を数字で検証しつつ、言葉と数字の相補関係を考える
Chapter 3 どのような学び方が学習成果を高めるか
数字を組み立てながら言葉を紡ぐ 1
Chapter 4 在学中の学びが職業キャリアを豊かにする
数字を組み立てながら言葉を紡ぐ 2
Chapter 5 卒業生 による授業改善の提案
統計分析による言葉の組み立て法

Part 2 ある社会工学者の50年と大学改革

Chapter 6 社会工学からみた教育経済学
Chapter 7 生涯研究の時代
Chapter 8 O.R.T.で学んだ社会工学
Conclusion データ蘇生学序説

本書を読んでいくと、KJ法という懐かしい言葉が出てきました。KJ法といって分かる人は今どれくらいいるのでしょうか。

 

 

梅崎修・江夏幾多郎編著『日本の人事労務研究』

9784502457616_430 梅崎修・江夏幾多郎編著『日本の人事労務研究』(中央経済社)をお送りいただきました。

https://www.biz-book.jp/isbn/978-4-502-45761-6

様々な学問領域で、あるいはそれらを跨ぐ形で展開されてきた日本の人事労務研究を振り返り、その成果を踏まえて将来の研究のあり方を展望。日本労務学会50周年記念の集大成。

というわけで、日本労務学会50周年を記念して、経済学、社会学、心理学、経営学、労働調査の5分野のこれまでの研究を振り返るという部分がメインで、その前と後に割と偉いクラスの方がエッセイ風の文章を寄せています。

はじめに(梅崎 修・江夏 幾多郎)

第Ⅰ部
日本の人事労務研究のこれからを展望する(江夏 幾多郎)

第1章 最近の人事労務研究における「管理」と「労務」(守島 基博)

 1 12年前の問題提起
 2 その後の展開
 3 人事労務研究から人事労務が消えている?
 4 労使関係テーマの衰退
 5 おわりに

第2章 働く当事者からみた人事労務管理(久本 憲夫)
 1 はじめに
 2 「人事労務」研究の学際性と観点
 3 気になる事実関係
 4 おわりに

第3章 S ociety 5.0:新たな社会契約に向けて? (D.ヒュー・ウィッタカー著,江夏 幾多郎訳)
 1 広い視野から見た日本の戦後モデル
 2 バブル崩壊と一貫性の喪失
 3 Society 5.0,DX,SX
 4 Society 5.0の断層と持続可能な資本主義
 5 おわりに

第Ⅱ部 日本における人事労務研究の50年を振り返る(梅崎 修)

第4章 人事労務研究にあらわれた市場と組織の理解:
経済学の観点から(勇上 和史・風神 佐知子・平尾 智隆・佐藤 一磨)

 1 総 論
 2 労働市場論による分析
 3 組織の経済分析
 4 非中核的な労働者に関する研究
 5 今後の研究展望

第5章 社会の中の企業・生活の中の労働:
社会学の観点から(池田 心豪・山下 充・佐野 嘉秀・藤本 昌代)

 1 人事労務管理をとらえる社会学的視座
 2 研究レビューの方法
 3 企業コミュニティ論の成立と展開
 4 企業コミュニティの動揺と働き方・キャリア
 5 今後の研究課題
 6 おわりに

第6章 個人から捉えた人事労務研究:
心理学の観点から(坂爪 洋美・林 祥平・細見 正樹・森永 雄太)

 1 人事労務分野における心理学研究とは何か
 2 人事労務分野における心理学研究①:心理学分野の一領域としての人事労務研究
 3 人事労務分野における心理学研究②:経営学への応用
 4 人事労務分野における心理学研究のこれから

第7章 人事労務の定義・対象・手法の移り変わりを研究者はどう捉えてきたか:
経営学の観点から(江夏 幾多郎・田中 秀樹・余合 淳)

 1 はじめに
 2 経営学的な人事労務研究
 3 人事労務研究における体系的文献レビューのレビュー
 4 分析結果
 5 発見事実の考察
 6 おわりに

第8章 調査は人事労務研究をいかに更新してきたのか:
労働・職場調査の観点から
(梅崎 修・篠原 健一・南雲 智映・松永 伸太朗)

 1 なぜ,調査がレビューの対象となるのか
 2 先行する試みと本章のやり方
 3 テキスト分析によるテーマの変遷
 4 テーマ別に見た労働・職場調査の転機
 5 労働・職場調査の未来

第Ⅲ部 人事労務研究と日本労務学会(梅崎 修)

第9章 人事労務研究の何がどう論じられてきたのか:

 1 大会統一論題テーマの変遷(上林 憲雄)
 2 時代の変遷に伴う人事労務研究の変容
 3 おわりに

第10章 創設期の人物像やその後のいくつかの展開(白木 三秀)
 1 はじめに
 2 学会創設の趣旨
 3 創設期の代表理事
 4 研究奨励賞基金の創設の経
 5 国際会議・国際交流の実施
 6 学会名称変更の試みと結果
 7 おわりに

実を言うと、この元になった2019年の公開討論会@早稲田大学には、この5分野に含まれない労働法政策に関して、わたくしも呼ばれて報告をしていますが,それは本書には含まれていません。

はじめのエッセイ風の文章のうち、久本憲夫さんの第2章では、メンバーシップ型雇用といっても、組織に対する積極的な関与、その中でも特に発言権が重要で、それがなかったらメンバーじゃなくてサーバントにすぎない、そんなものはサーバント型雇用だと言われていまして,それはそうなんですね。というか、所属型身分型雇用の原型はまさにサーバント型であり、ドイツの忠勤契約の退化形態としての僕婢契約(ゲジンデ・フェアトラーク)なわけですから、ほっとくとそういうのに陥ってしまうというのはその通り。逆に、そうではない戦後日本型のメンバーシップ型雇用というのは、戦後民主化の中で労働組合が経営を引っかき回す経営協議会とともに生み出されたなわけです。労働者の集団的発言権を,何に立脚して確保するかという点において、欧米の現場ブルーカラーがトレードやジョブにこだわったのに対して、戦後日本の労働者はメンバーシップにしがみついたのであって、それがなくなったら、言われるが儘に無限定の忠誠義務を負うただのサーバントではないか、ということになりますね。

 

 

 

フリーランス新法を解析する@『先見労務管理』6月25日号

Senken_20230619152201 『先見労務管理』6月25日号に「フリーランス新法を解析する」を寄稿しました。

https://senken.chosakai.ne.jp/

1 はじめに
 本誌の1月10日号の新春企画「2023年のキーワード」で、筆者は「フリーランス新法」を執筆したが、残念ながらその時点では法案も国会に提出されておらず、昨年9月のパブリックコメント用資料をもとにいささか隔靴掻痒気味の解説をせざるを得なかった。その後今年の2月24日に法案が国会に提出され、4月28日に成立し、5月12日に特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律が公布されたので、国会質疑により明らかになったことも含め、改めてその内容を突っ込んで解説したい。・・・・・

 


 

2023年6月20日 (火)

厚生省は1938年1月に設置されていて,それまでは内務省

厚生労働省の厚生労働科学研究成果データベース)に「法学的視点からみた社会経済情勢の変化に対応する労働安全衛生法体系に係る調査研究」という膨大な労働安全衛生法の超絶詳細コンメンタールがアップされています。

https://mhlw-grants.niph.go.jp/project/161220

三柴さんを初めとする研究者による労作で、PDFファイルで3525ページに上ります。

https://mhlw-grants.niph.go.jp/system/files/download_pdf/2022/202201015A.pdf

ただただ圧倒されるばかりなのですが、関心のある部分をぱらぱらとみていたら,ちょっと気になる記述を見つけました。直接安全衛生にかかわる話ではないのですが、健康診断の沿革にかかわるところ(PDFファイルで1620ページの右下)で、

 職域における健康診断に関する規定の創設には、戦時下における労働力強化の要請とこれに反する実態としての結核の蔓延 178及び健康状態の低下が大きく関わっている。1937(昭和 12)年 7 月 7 日盧溝橋事件に端を発した「北支事変」は漸次拡大して「支那事変」となったが、事変の拡大とともに、軍需産業においては相当長時間の残業が継続的に行われ、労働者の健康状態の低下、災害の増加は免れがたい状態となった。こうしたなかで、これを放任するときは生産の増加及び生産力の持久について憂慮すべきものがあるとして、健康の維持等に関しても事業主の注意事項をかかげてその実行を勧奨するため、1936(昭和 11)年に設置された保健社会省に内務省から移管された
 社会局は、1937(昭和 12)年 10 月 8 日、「軍需品工場に対する指導方針」(発労第96 号)として、地方庁に通牒を発した。そこでは、「随時健康診断を実施し疾病の早期発見とその予防に努むること、有害なる業務に従事する職工に対しては一層之を厳重に行ふこと」、「食堂又は寄宿舎の炊事係に対しては厳重なる健康診断を為すこと」が要請されている 179。

・・・

なお、1938(昭和 13)年 1 月、保健社会省は厚生省に改称されている。

これだと、厚生省が設立されたのは保健社会省という名前で1936年であって、それが1938年に厚生省に改称されたことになりますが、保健社会省などという役所は現実に存在したことはありません。1936年に陸軍省が体力増進のため衛生省の設立を求め、これを受けた近衛内閣が1937年に保健社会省の設置を決めましたが、枢密院から時節柄「社会」という文字は不適当だと因縁がつけられ、結局書経の一節から「厚生」の二字を持ってきて、1938年1月にようやく厚生省として発足した,というのが歴史的事実です。

上記通牒が出されたときには,まだ厚生省はなく、内務省社会局です。内務省から保健社会省に移管されることも、そういう省はできていないのですから、ありえません。

安全衛生と直接関係のない枝葉末節のことで恐縮ですが、労働行政体制の推移についてはほっとけないたちなので一言だけコメントしました。

 

転ジョブと転社の間

今朝の日経新聞に、例によって経産省の広告欄代わりの記事が載っていますが、

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA197YH0Z10C23A6000000/(在職者の学び直し、転職成功で最大56万円補助 経産省)

 経済産業省は企業で働く人を対象に、転職を目的とした学び直しを支援する。プログラミング講座などを受講して転職に成功した場合、受講費用として1人あたり最大で56万円を補助する。在職者のスキル向上と転職を後押しし、賃上げにつなげる。

 近く制度の詳細を発表する。

 補助対象となるのは、企業と雇用契約を結んでいる正社員や契約社員、パートやアルバイト、派遣社員。スキル向上の講座を受講するだけで、転職を目指していない人は対象から外す。経営者や個人事業主、フリーランスも含まない。

 支援を受ける人は,キャリアコンサルタントの資格を持つ専門家に相談した上で、必要な講座を受講する。受講期間は1年以内で、プログラミングやビジネススキル、医療・介護などの内容を想定する。

 経産省は40万円を上限として受講費用の半額を補助する。

 受講者が転職に成功し、転職先で1年間継続して働いている場合には、最大16万円を追加で支給する。転職成功時のインセンティブを設けることで,学び直しの効果を高める。

経産省が経産省がと主語がやたらにでかいのですが、財源は当然経産省の独自のお金なんでしょうな。まさか雇用保険2事業の教育訓練給付ですなんてことにはならないよな。どうみても、転職を要件とした教育訓練給付の改造案にしか見えないのですが、だったら主語が経産省にはならないはずですからね。

と、とりあえずいつものようなご挨拶をした上で、それはともかく、気になる中身について。日本社会では正社員というのはジョブの限定がないので、会社の中でどんなにジョブが変わっても転職だとは意識されない。社内転ジョブは転職に非ずで、雇い主が替わる転社のことだけを「転職」と呼んでいる。それは、就社でしかないものを「就職」と呼んでいる学生と同じなんだが、日本社会にどっぷり浸かったメンバーシップ型感覚の人にとっては当然のこと。そして、そういう感覚にどっぷり浸かっていながら、自分ではジョブ型の感覚になったつもりの人が、終身雇用じゃ駄目なんだ、転職しなきゃいけないんだ、とばかり熱を入れると、こういう制度設計になるという典型のようなものになっている。

ジョブ型社会では、社内であれ社外であれ、新たなジョブに就くためにはそのジョブを遂行できるスキルを身につけなければならず、そのための教育訓練を国が援助して、その結果、社内や社外の公募に応募してめでたく転ジョブして給与アップというストーリーがまことに素直に描ける。大事なのは、新たなスキル→新たなジョブ→新たな給与、であって、そのジョブが社内か社外かは本質ではない。

ところが、そもそも日本では社内配転でそのつど転ジョブし、配属されてからスキルを身につけ、一方で定期昇給で給与が上がるという仕組みなので、そもそもこういうジョブ型社会のスキル政策がうまく噛み合わない。という話は今までも繰り返ししてきた。スキルがあっても転ジョブしないし、スキルがなくても転ジョブするのが当たり前。

そういう中で、せっかくお金を出してスキルを身につけたのに転職しないなんておかしいじゃないか、転職するいい子だけにお金を上げる仕組みを作ろう、と、まあ、思ったんでしょうね。たしかに、日本の教育訓練給付というのは、転ジョブにつながりにくい。それはそもそもジョブ型社会ではないからなんだが、それを制度設計をどうにかして変えようと考えると、こういう発想になるのかも知れないな。

でもそうすると、これは転職予定の在職者への給付ということなので、辞めるつもりの社員を抱えている在職中の会社との関係をどう考えるのかということになる。もしこれを喜んで受け入れる会社があるとしたら、それはその社員に早いとこ出ていってほしい会社であり、この制度は要するにアウトプレースメントの道具ということになりそうですね。

 

 

 

 

 

 

2023年6月19日 (月)

第5回JTS学術賞贈呈式

ジャパン・トレジャー・サミットから第5回JTS学術賞をいただきましたが、その贈呈式の模様がJTSのサイトにアップされたようなので、こちらでもご紹介。

https://treasure-summit.jp/activity/2023/06/

2023年5月30日に、「第5回JTS学術賞」贈呈式を執り行いました。
贈呈式は、国際文化会館(東京都港区)において、「第19回JTSサロン」に引き続き、執り行いました。
受賞者は以下の方です:
【2022年度】
「第5回JTS学術賞」
濱口 桂一郎氏   独立行政法人 労働政策研究・研修機構 労働政策研究所長
hamaguchi.jpg
受賞テーマ: 日本型雇用システムの特徴の解明と新しい労働社会の在り方への提言
小宮山宏弊法人代表理事より、上記受賞者に賞状・記念品、ならびに副賞を授与させていただきました。受賞者からは、取り組まれているご研究や活動、今後の抱負等についてお話をいただきました。
hamaguchi2.jpg

 

 

ジョブ型社会の男女賃金格差、日本の男女賃金格差

ジョブ型社会とは同一ジョブ同一ペイであり、裏返して言うと異なるジョブ異なるペイである。この一番肝心要が分かっていない人が多いが、ジョブ型社会とはジョブがもっとも正当な格差をつける理由となる社会である。

それゆえ、同じジョブで男女平等であったとしても、ジョブの性別分布によって社会全体としては男女不平等となる。よりアグレッシブで闘争的な(いわゆる「マッチョ」な)高給ジョブは男性が多く、より対人関係配慮的でケア志向的な(いわゆる「フェミニン」な)低給ジョブは女性が多いからである。それを問題だとする労働フェミニストと雖も、ジョブ型社会の根本原則(異なるジョブ異なるペイ)を否定するわけではなく、高給ジョブに女性をもっと多くしろというか(ポジティブアクション)、女性の多いケア労働などの低給ジョブの職務評価をもっと高くしろ(正確な意味での同一価値労働同一賃金)ということになる。

同一ジョブでも成果によって差をつける成果給は、少数派ではあるが近年拡大傾向にある。ただ、圧倒的に多くの日本人の認識とは逆に、ジョブ型社会の成果給とは、そうしなければジョブにへばりついた固定価格から上げられない賃金を成果を上げたという理由で個別に引き上げるものである。

そして、近年労働フェミニストが問題だとしているのは、このジョブ型社会の成果給が男性により有利に、女性にはより不利に働いているという点だ。これはジョブの性別分布のために、アグレッシブで闘争的なジョブほど成果給による個別引上げが容易であり、対人関係的でケア的なジョブほどそれが困難だからである。男性の方が成果給の恩恵を受け、女性は成果給の恩恵を受けにくいことそれ自体が間接差別であるというロジックだ。

日本的なメンバーシップ型社会では、以上のロジックがすべて逆向きに回転する。

メンバーシップ型社会とは同一身分同一賃金であり、裏返して言えば異なる身分異なる賃金である。やってる仕事が同じか違うかなどという枝葉末節はどうでもよくて、同じ正社員か、同じ総合職か、といった身分がすべてである。

それゆえ、男女賃金格差の生成要因は主として、男女の雇用区分間の分布の不均衡によるものとなる。男性は正規に多く、女性は非正規に多い、男性は総合職に多く、一般職はすべて女性である。それゆえ、それを解決するロジックも、女性をより多く正規へ、総合職へ、というコースの平等を志向することとなる。

日本的な年功賃金は決してストレートな年齢給、勤続給ではなく、ほぼ全員に対して能力評価、情意評価というブラックボックスによる差別化が行われる点に特徴があるが、ここで意識的無意識的に男性に高評価、女性に低評価の傾向が生じるのは、会社への貢献志向度(実際にどれくらい貢献したかではなく、貢献する気があるか)に自ずから男女差があるからである。

さて、日本でも成果主義と称する賃金制度が四半世紀前に導入されたが、その意味合いはジョブ型社会の成果給とは全く逆であった。ほっとくと上がらない賃金を、成果を上げた労働者について個別的に引き上げるのがジョブ型社会の成果給だが、それとは全く逆に、日本の成果主義というのは、ほっとくと(能力が毎年上がっているという建前に基づいて)ほっとくとどんどん上がってしまう(主として中高年男性の)高賃金を、「お前は成果を上げていないではないか」と難癖をつけて個別に引き下ろすための道具である。

よって、成果主義の影響をもろに受けるのは能力評価の積み重ねで上がりきってしまった中高年男性であって、その結果相対的に男女格差を縮小する効果をもたらすことになる。別段女性が成果主義で高く評価されて引き上げられるなどということはないのだが、結果的に特殊日本型成果主義は特殊日本型能力主義による中高年男性の高給を引き下げることによって、女性を相対的に引き上げることになる。

成果給の男性バイアスを厳しく批判するジョブ型社会の労働フェミニストから見れば、信じられないようなアリスのワンダーランドというべきであろうか。

 

 

2023年6月17日 (土)

ジョブ型のエンゲージメント、メンバーシップ型のエンゲージメント

なにやらギャラップの職場意識調査で日本の労働者の熱意が低いとかいう記事が話題になっているようですが、

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF131HN0T10C23A6000000/(日本の「熱意ある社員」5% 世界は最高、広がる差 米ギャラップ調査)

米ギャラップが13日まとめた「グローバル職場環境調査」によると、仕事への熱意や職場への愛着を示す社員の割合が日本は2022年で5%にとどまった。サンプル数が少なくデータがない国を除けば、調査した145カ国の中でイタリアと並び最も低かった。4年連続の横ばいで、世界最低水準が続いている。・・・・

なぜか「熱意」とか訳していますが、これは元の調査の用語ではエンゲージメントです。

 そして、調査対象国の圧倒的大部分がジョブ型雇用社会である以上、このエンゲージメントという言葉はいうまでもなくジョブに対するエンゲージメントを意味します。ジョブの如何を問わない会社への愛社精神という意味にはなりません。

その証拠に、ギャラップのサイトのこの調査結果を示すところに、

https://www.gallup.com/workplace/349484/state-of-the-global-workplace.aspx

Ma5z8kv2j0ko74ipiw4pog

Employee engagement reached a record high in 2022.

"I enjoy my work, and I would miss something if I didn't have to work, even if the money stayed."

- HARTMUT, 63, IT SECURITY MANAGER, GERMANY

ドイツのITセキュリティマネージャーの言葉が引用されています。曰く、「私は私の仕事を享受している。もし仕事をしなくてもいいといわれたら、たとえ給料がそのままであっても何かを失ったみたいに感じるだろうね」

そもそも調査の設計が、日本以外のジョブ型雇用社会向けに、自分のジョブに対する愛着の如何を問うているのであって、どんな仕事を命じられようが一生懸命会社に貢献すべしという会社への愛着を問うているのではない以上、日本の労働者の得点が低くなるのはいうまでもないことです。

逆に、いかなる仕事をやらされようが一貫しての会社への愛着を聞かれたら、日本の得点は異常に高くなるでしょうが、それはそもそも他国と比較する意味があまりない数字でしょう。

それが、純然たる外資系企業の日本IBMで、仕事基準で所属していた会社から引き剥がされた日本人労働者達が怒りのあまり裁判に訴えたことからもわかります。

彼等に、お前は会社名だけにこだわってジョブに対するエンゲージメントがないのかと批判してみても、何の意味もないわけです。

 

 

フリーランス新法の効果は 来秋にも施行、専門家に聞く@日経新聞

日経新聞に、現時点ではネット版だけですが、フリーランス新法についてのインタビュー記事が出ています。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC1506I0V10C23A6000000/

Https___imgixproxyn8sjp_dsxzqo3474385015 独立した事業者として働くフリーランスを不利な取引から守るための、フリーランス・事業者間取引適正化等法が4月に成立した。来年秋までに施行される。フリーランスと取引をする企業などは、発注する仕事内容を明示したり、ハラスメントの防止措置を講じたりすることが義務付けられる。フリーランスは働きやすくなるのか。2人の識者に聞いた。・・・

インタビューされているのは、フリーランス協会の平田麻莉さんと私です。記者は礒哲司さん。

Https___imgixproxyn8sjp_dsxzqo3474391015 -新法を全体的に見た感想は

個人フリーランスを表す新法の「特定受託事業者」の定義をよく読むと、この法律が以前からある建設業の一人親方や、個人受託の自動車運送業者なども対象としていることが分かる。フリーランス保護に関して日本の動きは遅かったが、個人の受託就労全部を対象とするここまで幅広い法制は、私が知る限り先進諸国にはない。一方、EU諸国で問題化し、英国最高裁やフランス破棄院がフルセットの労働者性を認めたのはネット経由のアルゴリズムによって就労する「ギグワーク」だ。・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

2023年6月15日 (木)

人間の顔をしたデジタル

Img_a593ac8108959b439cbcbfadf50653561437 『ハーバード・ビジネス・レビュー』7月号の「人間と機械の新しい関係」という特集の一本として、「デジタルヒューマンの「雇用」が企業と顧客の関係性を変える 人間の顔を持つAIの可能性」というのが載っていて、この「人間の顔」ってのは比喩じゃなくって文字通りの意味、つまり機械と人間とのインターフェイスが人間らしい顔(フェイス)を持つという意味だ。

https://dhbr.diamond.jp/articles/-/9673

すべての企業が、顧客により豊かで魅力的な体験を提供したいと考えている。それは競争優位を構築・維持するうえで、最も効果的な手法の一つだ。ただし、そのような体験を没個性化・コモディティ化させることなく、大規模に提供するのは容易でない。

 この問題に人手を割けば、すぐに莫大な費用がかかる。また、仮に従業員を豊富に抱える企業が個別サービスを大規模に提供できたとしても、顧客は多くの場合、自分と同じ性別や年齢、民族的背景を持つ人とのやり取りを好む。それに応える配置は不可能だ。加えて、人間がどのような仕事でも常に最良の結果を出すとは限らないという研究結果もある。たとえばデロイトUKによると、人間が対応するコンタクトセンターは、自動対応に比べて運営コストが高いだけでなく、顧客体験の一貫性が乏しい傾向があり、顧客サービスの体験が低下することもあると判明した。

 そこで、デジタルヒューマンの登場だ。コンピュータグラフィックスの急速な進歩と人工知能(AI)の進化により、チャットボットなどのコンピュータを活用したインターフェースに、人間のような顔が実装され始めている。・・・・

Img_d0dc46838a039666410faeec3b4425964148

いやまあ、確かに人間の顔をして売り込んでくれたら商売繁盛につながるでしょうが、でもこいつらがチャットGPTよろしく、聞かれたことにもっともらしい答えをやり出したらちょっと怖いね。

ただでさえ、ネット検索で調べてきたことをもっともらしく答えられると、よほどその分野に詳しくて、どこまでがネット上でとれる情報で、どこからはそれではとれない情報かの感覚がちゃんと分かっている人間でないと、ついころりと騙されてしまいかねないのに、そいつがもっともらしい人間の顔をして知ったかぶりのごたくを並べられたら、その分野の素人や半素人だったら気持ちとしてもなかなか抵抗しにくいでしょうな。

「人間の顔をした」という形容詞は、かつて社会主義にくっついて希望のタームだったこともあるんだけど、いまや人を騙すインターフェイスのヒューマンフェイスになりつつあるのかも知れません。

 

 

 

 

『労働事件ハンドブック 改訂版』

Handbook 第二東京弁護士会労働問題検討委員会『第二東京弁護士会 労働問題検討委員会』(労働開発研究会)をお送りいただきました。1100ページを超える大冊であり、4950円と、あと一歩で5000円超えというお値段でもあります。

https://www.roudou-kk.co.jp/books/book_list/10425/

大好評の2018年版、働き方改革を解説した追補版の内容を盛り込み、収録判例もアップデートした全面改訂版!

労働事件について、裁判になった場合に何を主張すべきか。

労働事件を専門とする裁判官がどのような思考をするのか、その判断材料を豊富に掲載。
また、主流の判決とは異なる判断を示した下級審裁判例も多数掲載し、その事例を詳解する。

労働事件を取り扱う弁護士はもとより、労働事件の現状と実務に関心を持つ多くの方におすすめの一冊。

私のような法曹ではない人間からすると、序章の「労働事件の法律相談と事件処理の留意点」が大変参考になります。というか、実際に訴訟記録や労働審判記録を見ていて疑問に思ったことなどが解説されていたりするので。

 

 

 

2023年6月14日 (水)

言いたい(であろう)ことには賛成なんだが、言ってることは完全にナンセンス

Merytld4 為末大さんのこのつぶやきには、何というか、言葉を失う。

https://twitter.com/daijapan/status/1668801359993536513

ワークライフバランスも、兼業副業も、ジョブ型も、その本質は公私の切り離しだと思いますが、日本で実現するのは難しそうです。
広末涼子を無期限謹慎処分、所属事務所が発表「鳥羽様との関係は記事のとおり」本人が報道認める

いや、為末さんの言いたいこと、と言うかたぶん言いたいのであろうこと、というかおそらくこういうことを言いたいんじゃないのかな,と想像されることに対しては、ほぼ完全に賛成なのだ。女優が不倫したからと言って無期限謹慎処分とか、日本はいつからイランやアフガン並みの道徳警察だらけの嫌らしい国に成り果てたんだと言いたいんだろうと思う。

でもね、それとワークライフバランスも、兼業副業も、いわんやジョブ型も、何の関係もない。ちょびっとはかすっているかという気配もない。かけらもない。なので、このつぶやきは完全にナンセンスな台詞になっちゃっているんだな。

なんでこんな全くかけらも関係のない労働関係のバズワードが広末不倫一件でぞろぞろ湧いてくるのか謎の極みではありますが、たまたまニュースで耳に入った意味不明の言葉がなぜかふっと湧いて出た、というだけではないとすると、もしかしたらこういうことかなという謎解きを。

もしかしたら、為末さんの脳内では、女優業というのがワークで、男女関係というのがライフで、不倫で女優業から下ろされるというのはワークとライフのバランスを取り損なったというイメージなのかも知れない。ふむ、でもそれは、ワークライフバランスという労働用語とはかけらも関係がない。

もしかしたら、為末さんの脳内では、女優業というのが本業で、男女関係というのが副業で、不倫で女優業から下ろされるというのは本業と副業がバッティングしてしまったというイメージなのかも知れない。ふむ、でもそれは、兼業副業という労働用語とはかけらも関係がない。

ここまでは何とか解読作業ができたけれども、最後のジョブ型だけは全く歯が立たない。そのジョブ型という労働用語を作り出し、いろいろと本も書いた当の本人にも全く理解できない。何でここにジョブ型が出てくるんや。誰か教えてくれ。

もしかしたら、明日(6月15日)発売の『季刊労働法』夏号のジョブ型特集に、そのヒントが見つかるかも知れませんね。

 

 

 

 

インターンにせめて最低賃金を払え!

Whatsapp-image-20230614-at-113710 日本でインターンシップと称する会社見学をやっている学生たちには絶対理解できないEUの悲惨な若者たちの実情を知るには、こういう記事を読むのが一番です。

https://www.etuc.org/en/pressrelease/parliament-pay-interns-least-minimum-wage

Parliament: Pay interns at least minimum wage

欧州議会:インターンにせめて最低賃金を払え

The European Parliament has today voted by a large majority to ban unpaid internships – putting the ball firmly in the court of the European Commission to stop employers exploiting young people.

欧州議会は今日、大多数で不払いインターンシップを禁止すべしと投票し、使用者が若者を搾取するのをやめさせるボールは欧州委員会の手に渡った。

The report on quality traineeships adopted in plenary, with 404 votes in favour compared to just 78 against, includes calls for an EU Directive that will introduce:  

•            Fair remuneration in line with minimum wage
•            Social Security coverage
•            Clear training and learning objectives

本会議で賛成404票、反対78票で採択されたこの質の高い訓練制に関する報告は、次のものを導入するEU指令を求めてる。すなわち、最低賃金に沿った公正な報酬、社会保障の適用、明確な教育訓練目標だ。

The report comes after a decade long campaign by trade unions to ban unpaid internships, which sees young people used as cheap labour and deepen social inequality.

この報告は若者を安価な労働力として使い社会的不平等を拡大する不払いインターンシップを禁止せよという十年にわたる労働組合のキャンペーンに応えるものだ。

先日書いたように、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2023/05/post-cb629a.html

・・・・・それにしても、労働者として扱われない訓練生として長期間にわたり無報酬ないし低報酬で働き続けているヨーロッパの訓練生たちにとっては、似たような言葉で呼ばれる日本の若者たちの状況は、同じ地球上の出来事とはとても考えられないようなことでしょう。

ジョブ型とかメンバーシップ型といった本来事実認識に基づく学術用語をもてあそぶのであれば、最低限、それらが社会的にもたらす若者雇用への影響がいかなるものであるのかということについての正しい認識を踏まえた上でやって貰いたいものです。

 

 

 

こども未来戦略方針

昨日、こども未来戦略方針が閣議決定されました。

https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/kodomo_mirai/pdf/kakugikettei_20230613.pdf

新聞等で既に報じられているとおり、若い世代の所得を増やす、社会全体の構造・意識を変える、全てのこども・子育て世帯を切れ目なく支援するの3つを基本理念とし、今後3年間を集中取組期間として、児童手当の拡充(所得制限撤廃、支給期間延長、第3子増額)、出産費援助、高等教育費の負担軽減、こども誰でも通園制度等多様な施策を示しています。そのうち「共働き・共育ての推進」として、男性育休の推進(2030年85%目標)、給付率の引上げ(8割程度)、親と子のための選べる働き方制度、育児時短就業給付の創設などが列挙されています。

この戦略方針で重要なのは加速化プランを支える安定的な財源の確保というところです。結論からいうと先送りになったといってあながち間違いでもないのですが、とはいえかなりの程度どういう風なものができ上がるかの枠組みは明示されているとも言えます。

(見える化)
○ こども家庭庁の下に、こども・子育て支援のための新たな特別会計(いわゆる「こども金庫」)を創設し、既存の(特別会計)事業 11を統合しつつ、こども・子育て政策の全体像と費用負担の見える化を進める。

(財源の基本骨格)
① 財源については、国民的な理解が重要である。このため、2028 年度までに徹底した歳出改革等を行い、それらによって得られる公費の節減等の効果及び社会保険負担軽減の効果を活用しながら、実質的に追加負担を生じさせないこと 12を目指す。
 歳出改革等は、これまでと同様、全世代型社会保障を構築 13するとの観点から、歳出改革の取組を徹底するほか、既定予算の最大限の活用などを行う 14。なお、消費税などこども・子育て関連予算充実のための財源確保を目的とした増税は行わない。
② 経済活性化、経済成長への取組を先行させる。経済基盤及び財源基盤を確固たるものとするよう、ポストコロナの活力ある経済社会に向け、新しい資本主義の下で取り組んでいる、構造的賃上げと官民連携による投資活性化に向けた取組を先行させる。
③ ①の歳出改革等による財源確保、②の経済社会の基盤強化を行う中で、企業を含め社会・経済の参加者全員が連帯し、公平な立場で、広く負担していく新たな枠組み(「支援金制度(仮称)」)を構築することとし、その詳細について年末に結論を出す 15。
④ 2030 年代に入るまでの少子化対策のラストチャンスを逃さないよう、徹底した歳出改革等や構造的賃上げ・投資促進の取組を複数年にわたって先行させつつ、「加速化プラン」の大宗を3年間(2026 年度まで)で実施し、「加速化プラン」の実施が完了する 2028 年度 16までに安定財源を確保する。
⑤ その間に財源不足が生じないよう、必要に応じ、つなぎとして、こども特例公債(こども金庫が発行する特会債)を発行する。
⑥ 上記の安定財源とは別に、授業料後払い制度の導入に関して、学生等の納付金により償還が見込まれること等を踏まえ HECS 債(仮称)17による資金調達手法を導入する。
○ 上記の基本骨格等に基づき、Ⅲ-1.の内容の具体化と併せて、予算編成過程における歳出改革等を進めるとともに、新たな特別会計の創設など、必要な制度改正のための所要の法案を 2024 年通常国会に提出する。

大事なことはかなりの程度注に落として書かれています。たとえば、注15はこう書かれています。

15 支援金制度(仮称)については、以下の点を含め、検討する。
・ 現行制度において育児休業給付や児童手当等は社会保険料や子ども・子育て拠出金を財源の一部としていることを踏まえ、公費と併せ、「加速化プラン」における関連する給付の政策強化を可能とする水準とすること。
・ 労使を含めた国民各層及び公費で負担することとし、その賦課・徴収方法については、賦課上限の在り方や賦課対象、低所得者に対する配慮措置を含め、負担能力に応じた公平な負担とすることを検討し、全世代型で子育て世帯を支える観点から、賦課対象者の広さを考慮しつつ社会保険の賦課・徴収ルートを活用すること。

いずれにしても、2024年通常国会に新たな特別会計の創設の法案を出すと明言しているのですから、実質的な枠組みづくりは夏の終わり頃迄には行われていることになるのでしょう。

労働関係でいうと、現在の労働保険特別会計雇用勘定のうちの育児休業給付に係る1000分の4の保険料率の部分は、そこから抜け出て、この新たなこども金庫特別会計の方に引っ越すということになるわけです。

 

 

 

 

 

 

 



水島治郎『隠れ家と広場』

09558_1 水島治郎さんより『隠れ家と広場 移民都市アムステルダムのユダヤ人』(みすず書房)をお送りいただきました。

https://www.msz.co.jp/book/detail/09558/

 アンネ・フランクとスピノザは、ともに迫害されて故国を離れ、アムステルダムにたどり着いた移民二世だった。世界から人々を引きつけるこのグローバル都市は、すでに400年にわたって移民や難民を受け入れてきた「寛容」な街だ。とくにユダヤ人の受容では、西欧でも有数の規模を誇る。そして街の随所にある広場は、市民の日常生活の場であると同時に、移り住んだばかりの新参者にとっても、都市社会になじみ、人と繋がる重要な空間だった。アンネも引っ越してから8年間、思いっきり広場で友だちと遊んでいた。
 しかし1940年、ナチ・ドイツが侵攻してユダヤ人迫害がはじまると、アンネ一家のように隠れ家に潜んだ人たちもいたが、最終的にはオランダから10万人を超えるユダヤ人がアウシュヴィッツなど強制収容所に送られ、その多くが死亡した。
 他方アムステルダムでは、保育士、大学生、法律家などさまざまな人々が、命がけでユダヤ人を支援するレジスタンス活動に加わった。現在、世界のあちこちで戦火は絶えず、難民が増えつづけている。日本にとっても、この街の経験は示唆的だろう。
 なお、アンネとオードリー・ヘプバーンは同い年。このふたりの人生は、意外なかたちで交差する。戦争に翻弄されるなかで、いくつもの物語が生まれた。

水島さんといえば政治学者で、最近はポピュリズム関係で有名な方ではありますが、出発点はオランダ政治で、オランダにはいろいろと思い入れの深いものがあるのでしょう。本書は、アンネ・フランクを縦軸にアムステルダムの近現代史を行き来する歴史エッセイで、なかなかしみじみとした味わいのにじむ本になっています。

序章 「隠れ家」と「広場」
第2章 「寛容の国」オランダ共和国の光と影
第3章 19世紀アムステルダム、都市改革の夢――サルファーティの「約束の地」
第4章 メルウェーデ広場の青春――広場の少女アンネ
第5章 「涙の館」、オランダ劇場にて
第6章 保育士たちのレジスタンス
第7章 学生たちのレジスタンス――大時計の下で
第8章 カルマイヤーのリスト――法律家たちのレジスタンス
第9章 オードリー・ヘプバーンとアンネ・フランク――魂の邂逅
第10章 隠れ家、その後――アンネと仲間たちの「命のバトン」
第11章 終戦と解放――『アンネの日記』が刊行されるまで
第12章 戦後補償と歴史認識の新展開
終章 明日もきっと、元気でね――トークショーの女王、ソンヤ・バーレント

いまから四半世紀以上前に、当時隣国ベルギーのブリュッセルに勤務していた私はときどき車を飛ばしてオランダに行き、アムステルダムの街を歩いたこともあるので、本書を読みながらかすかな記憶を呼び起こしていました。

本書第4章で描かれる隠れ家生活以前の広場で愉しく遊ぶアンネの姿は、同じみすず書房から水島さんらが訳して出したリアン・フェルフーフェン『アンネ・フランクはひとりじゃなかった アムステルダムの小さな広場 1933-1945』の表紙にでています。さて、この女の子たちの誰がアンネでしょうか。答えは本書の64ページにあります。

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2023年6月13日 (火)

『逢見直人オーラル・ヒストリー』

Image0-22 労働関係のオーラル・ヒストリーを続々と出し、遂に今年には『日本的雇用システムをつくる 1945-1995』という大著をまとめた、梅崎、島西、南雲というコンビによるオーラル・ヒストリーの最新作は、元UAゼンセン会長、連合会長代行の逢見直人さんです。

さすがに1954年生まれ、1976年にゼンセン同盟に就職したという年代ですから、戦後活躍していたような戦前生まれ世代とは異なり、血湧き肉躍るような波瀾万丈の物語が展開されるわけではありません。いやまあ、その少し上の世代でも二宮誠さんみたいな伝説の武闘派はいるわけですが、逢見さんは一橋大学の津田真澄ゼミから、政策志向で労働組合に入った知性派なので、そのオーラル・ヒストリーも労働政策が中心になります。とはいえ、若き日に千葉県で小売業の産別最賃を実現するなど、現場での活躍話も入っています。

逢見さんが連合副事務局長からUAゼンセン会長であった時期は、政権交代で労働組合が選挙で応援している民主党が政権に就いた時期でもあるのですが、民主党政権の政策にはいろいろと思うところがあったようです。

逢見 それはありましたね。民主党が政権を取る時に、マニフェストでいろんな政権公約を出すんですけど、財源はどうするんだと問われるわけです。民主党の答えは、「財源はいくらでもある」と。霞ヶ関には、無駄な金がいっぱい残っているんだから、それを財源にすればいいということで、政権を取って事業仕分けをやるんですよ。事業仕分けの中で、1年生議員のことを「少年探偵団」と言っていたんですが、そういう人達が事業を見て何か無駄がないかということを探していって、それを質問するわけですよ。あれも無駄、これも無駄と切り分けられるんですけど、その中には連合が苦労して実現してきたものもあって、そういうものもバッサリ切り捨てられるというのがありました。とにかく、財源を探すために「切ってしまえ」みたいな感じがあって、そこは財源探しのためにせっかくできている仕組みを壊されるということの危機感はありましたね。

 

 

 

 

プラットフォーム指令案成立へ一歩

というわけで、時差の関係で日本時間では今日になりましたが、昨日のEU労働社会相理事会でプラットフォーム労働指令案に合意されたことが理事会のホームページにもアップされています。

https://www.consilium.europa.eu/en/press/press-releases/2023/06/12/rights-for-platform-workers-council-agrees-its-position/

The Council is ready to start negotiations with the European Parliament on a new law that will help millions of gig workers gain access to employment rights.

Today, ministers for employment and social affairs agreed on the Council’s general approach for a proposed directive to improve working conditions for platform workers.

The proposal introduces two key improvements: it helps determine the correct employment status of people working for digital platforms and establishes the first EU rules on the use of artificial intelligence in the workplace.

合意されたテキストはこちらになります。

https://data.consilium.europa.eu/doc/document/ST-10107-2023-INIT/en/pdf

Article 4
Legal presumption
1. Unless Member States provide for more favourable provisions pursuant to Article 20, the relationship between a digital labour platform and a person performing platform work through that platform shall be legally presumed to be an employment relationship when the digital labour platform exerts control and direction over the performance of work by that person.

For the purpose of the previous subparagraph, exerting control and direction shall be understood as fulfilling, either by virtue of its applicable terms and conditions or in practice, at least three of the criteria below:
(a) The digital labour platform determines upper limits for the level of remuneration;
(b) The digital labour platform requires the person performing platform work to respect specific rules with regard to appearance, conduct towards the recipient of the service or performance of the work;
(c) The digital labour platform supervises the performance of work including by electronic means;
(d) The digital labour platform restricts the freedom, including through sanctions, to organise one’s work by limiting the discretion to choose one’s working hours or periods of absence;
(da) The digital labour platform restricts the freedom, including through sanctions, to organise one’s work by limiting the discretion to accept or to refuse tasks;
(db) The digital labour platform restricts the freedom, including through sanctions, to organise one’s work by limiting the discretion to use subcontractors or substitutes;
(e) The digital labour platform restricts the possibility to build a client base or to perform work for any third party.

 

 

2023年6月12日 (月)

EUのプラットフォーム労働指令案が閣僚理事会で一般アプローチに合意

616fae73b98a49b58bacdffabb2328521800x450 本日(6月12日)の労働社会相理事会で、一昨年12月に提案されたプラットフォーム労働指令案について、議長国の妥協案に27カ国中22カ国が賛成して、「一般アプローチ」に合意が成り立ったようです。

現時点(日本時間の午後9時過ぎ、ヨーロッパではまだ昼過ぎ)ではまだ正式の発表はされていないようですが、業界紙のEURACTIVに、こういう記事が早速出ています。

https://www.euractiv.com/section/gig-economy/news/eu-countries-nail-down-common-position-on-platform-workers-directive/

EU labour ministers endorsed a general approach to the Platform Workers Directive on Monday (12 June), marking the close of a year and a half’s worth of intense negotiations and opening the door to interinstitutional negotiations with the Commission and the European Parliament. 

EUの労働大臣たちは月曜日(6月12日)にプラットフォーム労働指令への一般アプローチ(かつての「共通の立場」)を確認し、1年半にわたる激しい交渉を終わらせ、欧州委員会及び欧州議会との間の機構間交渉のドアを開いた。

The legislative proposal is meant to clarify working conditions for the gig economy, regulating the likes of Deliveroo and Uber.

この立法提案はギグ経済の労働条件を明確化し、デリバルーやウーバーなどを規制しようとするものだ。

At the core of the controversy that spanned over three successive EU Council presidencies – held by France, Czechia, and Sweden – was a newly-created legal presumption of employment that is set to reclassify the ‘bogus’ self-employed, under certain conditions. 

フランス、チェコ、スウェーデンという3連続議長国に及ぶ論争の中核にあるのは、一定の条件下で「偽装」自営業者を再分類ための新たに設けられる雇用の法的推定規定だ。

 

 

 

児美川孝一郎『キャリア教育がわかる』

C9490bece1824b97a74405ca812c6052 児美川孝一郎さんより『キャリア教育がわかる』(誠信書房)をお送りいただきました。

https://www.seishinshobo.co.jp/book/b10031597.html

2004年に日本の学校に導入されたキャリア教育は、言葉としては普及した。
しかし、まだその理解は曖昧模糊とした状態にある。

そのキャリア教育を、体系的かつ丁寧に解説するのが本書である。
読み物のような記述により、基本的事項からホットな争点まで、全体像を把握することができる。

教職をめざす学生、実践に取り組む教師、教育行政関係者はもちろん、初めて学ぶ人にとってもしっかり「わかる」キャリア教育の決定版テキストである。

児美川さんからは今までもキャリア教育に関する本を何冊もお送りいただいていますが、今回の本は、一番テキストブック的な感じです。「的」といっても、そうは問屋が卸さないので、ところどころトゲがしっかりはめ込んでありますが。

第I部 キャリア教育――はじめの一歩
第1章 学校がキャリア教育に取り組む理由
トピック1 地方創生とキャリア教育
第2章 誤解にまみれたキャリア教育
トピック2 フリーター・ニート対策か,やりたいこと探しか?
第3章 キャリア教育が求められる背景

第II部 キャリア教育のこれまでと現在
第4章 キャリア教育とは何か
トピック3 諸外国におけるキャリア教育
第5章 キャリア教育の現在
トピック4 大学におけるキャリア支援・教育

第III部 キャリア教育の内容と方法
第6章 特別活動を通じたキャリア教育
トピック5 どうする? キャリア・パスポート
第7章 教科でキャリア教育に取り組む
第8章 学校教育全体を通じたキャリア教育
トピック6 職場体験,インターンシップの現状と課題
トピック7 子どものキャリア形成にとっての部活動
第9章 キャリア教育の評価
トピック8 キャリア教育を通じて身につける能力

第IV部 キャリア教育の推進体制
第10章 誰がキャリア教育を担うのか
トピック9 社会人経験のない教師にキャリア教育ができるのか
トピック10 キャリア教育におけるキャリア・カウンセリング

第V部 キャリア教育──未来へ
第11章 日本の学校とキャリア教育のゆくえ
トピック11 家庭,地域におけるキャリア教育
トピック12 エージェンシーを育てるキャリア教育

概ね文部科学省系列のキャリア教育の展開の流れに沿って論じていきますが、ちょっと雰囲気が変わるのは第11章で、ここでは最近の教育政策が文部科学省の頭越しに、経済産業省が仕込んで官邸主導で進められてる姿が,描き出されていきます。

 

 

 

 

 

2023年6月11日 (日)

労働力の商品化を否定し尽くすと労奴制が待っている件について

マルクス主義者が糾弾した労働力の商品化の実態がいかに悲惨で凄絶なものであったとしても、そこで否定されるべきは商品化のあり方の問題であって、商品化の絶対的否定であってはならない、労働者が自らの労働力を市場において適切にまっとうに売れるように様々な社会的仕組みを整えることこそが必要なのであって、労働者が自らの労働力を売ること自体を絶対的に否定してしまうと、そこに現れるのは人間労働力を道具として無慈悲に使い潰してなんら気にかけることのない絶対的専制権力による冷酷な道具化(社会主義という名の労奴制)であるということを、人類は過去百数十年の共産主義という名の歴史を通じていやというほど思い知ってきたはずなのだが、なかなかその教訓が生かされない。

 

2023年6月10日 (土)

明後日、EUはプラットフォーム労働指令案に合意するかも

95122d274a46855f193ccb599374c953800x 明後日に開催されるEUの労働社会相理事会には、提案から1年半ごしのプラットフォーム指令案について、スウェーデン議長国の妥協案が提示される予定ですが業界紙(EUObserver)によると、合意する可能性が結構高いようです。

https://euobserver.com/health-and-society/157130

After several failed attempts to reach a common position, the EU Council could finally reach an agreement on rules for so-called platform workers' at their ministerial meeting in Luxembourg on Monday (June 12).

The latest meeting of the committee of permanent representatives took place on Wednesday (June 7), but failed to forge a united front, so the ball is now in the ministers' court.

共通の立場に達する努力に何回も失敗した後、EUの閣僚理事会は遂に月曜日(6月12日)にルクセンブルクで開かれる閣僚会合においていわゆるプラットフォーム労働者のルールに関して合意に達するかもしれない(could)。

常任代表者委員会の最終会合は水曜日(6月7日)に開かれたが、統一した見解に他することには失敗し、ボールは今や大臣会合の場にある。

"Although a definitive agreement on the text has not been found in the committee of permanent representatives", reads the memo from the meeting, seen by EUobserver, "the presidency's efforts have attracted increasing support and there exists a widespread view that the text represents the centre of gravity between the diverging views of delegations".

「常任代表者委員会では条文に関して決定的な合意は見出し得なかったが」と、EUObserver紙が見た会議のメモは述べる、「議長国の努力はますます多くの支持を集めており、その条文案は代表者の様々な意見の間の重力の中心を代表しているとの広範な意見が存在している」

The disagreement between delegations is clear, but various diplomatic sources told EUobserver that although the balance is very "tight", an agreement could be reached in the employment, social policy, health, and consumer affairs council (EPSCO).

代表者間の意見の相違は明らかだが、様々な外交筋がEUObserver紙に語ったところによると、バランスは極めて「窮屈」だが、雇用社会政策健康消費者相理事会において合意に達するかもしれない(could)。

というわけで、「could」という未来についての過去形を使っているので、当たっても当たらなくても言い訳できる記事ではありますが、もしかしたら、明後日合意に達するかも知れないということです。

 

 

 

 

 

 

 

 

2023年6月 9日 (金)

『季刊労働法』2023年夏号は「ジョブ型」特集だが・・・

281_h1 労働開発研究会のサイトに『季刊労働法』2023年夏号(281号)の案内が出ています。特集は何と「「ジョブ型雇用」―私はこう理解する 」だそうです。

https://www.roudou-kk.co.jp/books/quarterly/10803/

今号では、「ジョブ型雇用」を特集します。政府、経済団体などが「ジョブ型雇用」という言葉を使い始め、報道等でも「ジョブ型雇用」の文字が躍っています。ただ、まだこの言葉の意味すら未確立なまま連呼されている感もあります。労働法のほか、隣接する専門分野の有識者からも、「ジョブ型雇用」というものをどう定義、理解するのか、論じてもらいます。

私はこの企画には全く関わっていません。12人ものそうそうたる方々がそれぞれにジョブ型を論じておられるようですが、どういうことが書かれているのか、いまから読むのが楽しみです。

「ジョブ型雇用」・「メンバーシップ型雇用」論と労働法 西南学院大学教授 有田 謙司

労働法における「ジョブ型雇用」の位置づけ 北海道大学教授 池田 悠

ジョブ型雇用をどう理解し、どう評価するか―男女間賃金格差の視点から 日本大学大学院講師(元日本大学教授) 神尾 真知子

ジョブ型雇用論の意義・問題点と法的含意 労働法学研究者 毛塚 勝利

ジョブ型をめぐる雑考 法政大学名誉教授 諏訪 康雄

「メンバーシップ型雇用」・「ジョブ型雇用」と社会保障法・社会保障制度 東京大学教授 笠木 映里

「ジョブ型雇用」をどう理解し、どう評価するか~労働者側弁護士の視点から~ 弁護士 佐々木 亮

ジョブ型雇用により日本型雇用をどこまで放棄するか 弁護士 向井 蘭

職務基準(ジョブ型)雇用の現在と将来 明治大学名誉教授 遠藤 公嗣

スローキャリアな限定正社員としての「ジョブ型正社員」 中央大学客員教授 荻野 勝彦

「ジョブ型雇用」の理解 早稲田大学教授 小倉 一哉

「ジョブ型」雇用制度をめぐる「改革」と「構築」の視座 NPO法人POSSE代表  今野 晴貴 

第2特集は「2023年―新法・改正法令の動向」です。

フリーランス保護法の位置付け ―労働法と競争法の協働に向けた一考察 専修大学教授 石田 信平
デジタル給与払いに関する労基法の意義と課題 ―今後の労基法24条 広島大学名誉教授・弁護士 三井 正信
令和4年改正職業安定法の意義と今後の課題 東洋大学名誉教授 鎌田 耕一 
2022(令和4)年障害者雇用促進法改正と今後の課題 福島大学教授 長谷川 珠子

それ以外の記事は以下の通りです。

■論説■
労働契約法におけるフランスと日本の交差 ―ボアソナード、末弘厳太郎、山口俊夫の労働契約論 九州大学名誉教授 野田 進

ドイツの賃金透明化法(1) ボーフム大学名誉教授 ロルフ・ヴァンク 学習院大学教授(解説 訳) 橋本 陽子

団体交渉拒否・誠実交渉義務違反事件の救済方法に関する労働委員会の裁量権―山形大学事件・最判令和4・3・18を素材として― 同志社大学教授 土田 道夫 京都府労働委員会 武内 匡

■要件事実で読む労働判例―主張立証のポイント 第4回■
休職期間満了による退職扱いと復職可能性に関する要件事実―日本電気事件・東京地判平成27・7・29労判1124号5頁を素材に 弁護士 町田 悠生子

■労働法の立法学 第67回■
災害保険と責任保険の間―労働者災害『補償』保険 労働政策研究・研修機構労働政策研究所長 濱口 桂一郎

■アジアの労働法と労働問題 第52回■
韓国の企業別組合の現状と問題点 韓国外国語大学・ロースクール教授 李鋌

■判例研究■
大学における非常勤講師の法的地位 学校法人専修大学事件(東京高判令和4年7月6日労判1273号19頁)神戸女学院専任職員・社会保険労務士 高橋 聡子

復職の要件である「休職の理由が消滅した」の意味 シャープNEC ディスプレイソリューションズ事件(横浜地判令和3年12月13日労経速2483号3頁)弁護士 迫田 宏治

■重要労働判例解説■
無期転換申込権に関連した雇止めの有効性 日本通運(川崎)事件・東京高判平成4・9・14(LEX/DB25593539)立正大学教授 高橋 賢司

看護師のオンコール待機が労働時間にあたるとされた例 アルデバラン事件・横浜地判令和3・2・18 労判1270号32頁 富山県立大学教養教育センター教授 大石 玄 

わたしは、労災保険、正式名称は「労働者災害“補償“保険」という言葉の意味をほじくるところから、この制度をめぐる哲学的な対立軸を洗い出しています。

 

 

 

 

2023年6月 8日 (木)

『家政婦の歴史』@文春新書

Kaseifu 来月の7月20日に、文春新書から『家政婦の歴史』を刊行します。

https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166614141

家政婦の歴史をたどり直す比類なき社会ミステリーの誕生!


家政婦と女中はどう違う?
家政婦は歴史上、いつから家政婦と呼ばれるようになったのか?
2022年9月、ある家政婦の過労死裁判をめぐって、日本の労働法制の根本に潜む大きな矛盾に気づいた労働政策研究者の著者は、その要因の一端を、市原悦子演じるドラマ『家政婦は見た!』に見出し、家政婦をめぐる歴史をひも解くことを決意した。

戦後80年近くにわたって、労働法学者や労働関係者からまともに議論されることなく放置されてきた彼女たちのねじれた歴史を、戦前に遡って描き出す驚くべき歴史の旅程。


目次

序章 ある過労死裁判から
第1章 派出婦会の誕生と法規制の試み
第2章 女中とその職業紹介
第3章 労務供給請負業
第4章 労務供給事業規則による規制の時代
第5章 労務供給十業の全面禁止と有料職業紹介事業としてのサバイバル
第6章 労働基準法再考
第7章 家政婦紹介所という仮面を70年被って70年
第8章 家政婦の労災保険特別加入という絆創膏
第9章 家政婦の法的地位再考
終章 「正義の刃」の犠牲者

なお、この文藝春秋社HPの目次は一部誤字があるようですが、より詳細な正しい目次は以下のようになります。

序章 ある過労死裁判から
1 国・渋谷労働基準監督署長(山本サービス)事件
2 そもそも家政婦は家事使用人ではなかった!
3 家政婦が家事使用人にされてしまったわけ
第1章 派出婦会の誕生と法規制の試み
1 派出婦会の始まり
2 派出婦会の組織と活動内容
3 時代の寵児になった大和俊子
4 派出婦会は職業紹介事業ではなかった
5 先駆的な派出婦会取締規則
第2章 女中とその職業紹介
1 女中奉公とその口入
2 営利職業紹介事業の大部分は女中の紹介だった
3 女中調査と家政婦調査
4 女中による放火事件
5 文学の中の女中 戦前編
第3章 労務供給請負業
1 ピンハネ親方の労務供給請負業
2 人夫供給業の経験談
3 労務供給請負業への規制の試み
第4章 労務供給事業規則による規制の時代
1 改正職業紹介法と労務供給事業規則
2 労務供給事業と派出婦会の実態
3 戦時統制と労務供給事業
第5章 労働者供給事業の全面禁止と有料職業紹介事業としてのサバイバル
1 職業安定法の制定と労働者供給事業の全面禁止
2 派出婦会が労働組合になるのは至難の業
3 派出婦会を禁止してさあどうする?
4 有料職業紹介事業として生き延びる道
第6章 労働基準法再考
1 労働基準法に至るまで
2 家事使用人とは何だったのか?
3 労働基準法制定過程における議論の諸相
4 帝国議会での質疑
5 派出婦会は1999年まで存在していた?
6 労災保険法ではどうだったか
第7章 家政婦紹介所という仮面を被って70年
1 家政婦紹介所の実態
2 家政婦紹介所の推移
3 戦後の女中と家政婦の実態
4 文学の中の女中と家政婦
5 紹介所に求職者の福祉増進努力義務?
第8章 家政婦の労災保険特別加入という絆創膏
1 労災保険の特別加入制度とは?
2 家政婦も労災保険に特別加入できるように
3 特別加入の保険料は誰がどのように払っているのか?
第9章 家政婦の法的地位再考
1 女中と家政婦のマクロ的推移
2 適用除外されるべき家事使用人はいま現在存在しているのか?
3 法律学的知恵を絞ってみても
4 家事・介護派遣というもっともまともな解法
終章 「正義の刃」の犠牲者

 

 

2023年6月 7日 (水)

高原正之「「毎月勤労統計不正」を巡る風説 そして誰も確認しなかった」

大正大学社会共生学部公共政策学科の高原正之さんより、『大正大学公共政策学会年報』第3号に掲載された「「毎月勤労統計不正」を巡る風説 そして誰も確認しなかった」の抜き刷りをお送りいただきました。通常は雑誌論文の抜き刷りの贈呈の場合はブログで紹介することはないのですが、今回はご本人から「ブログやマスコミでのご発言など何らかの形でこの内容が伝わるように発信していただければ有難い」とのお申し出があり、統計学的な判断はできませんが、法制的な問題点についてはその趣旨が理解できたと思うので、ご紹介しておきます。

もっとも、私は統計処理については専門的な知見を有しないので、詳細は当該論文自体に当たっていただくことが望ましいと思います。当該論文は大正大学のリポジトリに収録されているので、関心を持たれた方は是非リンク先で高原論文自体に目を通していただきたいと思います。

https://tais.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=2212&item_no=1&page_id=13&block_id=69

毎勤の問題は2018年から2019年にかけてマスコミやとりわけ国会で炎上状態になりましたが、そこで前提とされていたことは当時の法制度に照らして間違っていたというのが高原さんの主張です。

 毎月勤労統計の 2004 年 1 月分の調査から、それまですべての都道府県で 1 であった常用労働者 500 人以上規模の事業所の抽出率が、東京都に限り 3 分の 1 に引き下げられた。抽出率が 1 であることは、全数調査であること統計学的には同義ではない。しかし、これを全数調査であると誤解して、この引下げが 500 人以上事業所は全数調査するというルールに反するという報道・議論が、2018 年末から 2019 年にかけて、盛んに行われた。この結果、毎月勤労統計を作成する厚生労働省への信頼は低下し、毎月勤労統計調査の回収率が低下するという事態を招いた。
 しかし、500 人以上事業所の抽出率を 1 とするルールは、2004 年当時存在せず、たとえ抽出率 1 を全数調査と解したとしても、この引下げは全数調査するというルールに違反するものでもなかった。なぜなら、このルールは 2017 年 2 月に作成され、2018年 1 月分の調査から適用されたものであり、2004 年には存在しなかったからである。この引下げを巡る報道・議論は、根拠のない風説に過ぎなかったのである。今後、このような過ちを繰り返さないためには、なぜ、このような根拠のない報道・議論が行われたか、なぜ誰もルールを確認しなかったのかを明らかにする必要がある。この論文はその試みである。 

高原さんによれば、抽出率を3分の1とした2004年当時には新統計法ではなく旧統計法が適用されており、旧統計法の下では抽出率は厚生労働大臣に委ねられており、違法ではなかったのに、ほとんどすべての人々が当時もあたかも新統計法下であったかのように勘違いして、違法だったと主張し、厚生労働省の設置した第三者委員会の報告書も当時の法制をきちんと確認することなく、漫然と違法であったかのように非難したのは、間違った認識であったというのです。

抽出率をどのように設定するのが適当であるのかないのかといったことについては判断するだけの見識を有しませんが、法制的に違法でなかったことを違法であったかのようにフレームアップしたとするならば、それはきちんと是正されるべきでありましょう。

 

 

 

2023年6月 6日 (火)

EUプラットフォーム労働指令案は成立に漕ぎ着けるか?

今月12,13日に、EUの雇用社会相理事会が開催される予定で、そのアジェンダには例のプラットフォーム労働指令案で合意に達することも含まれています。

https://www.consilium.europa.eu/en/meetings/epsco/2023/06/12-13/

 Agenda highlights

 Employment and social policy, 12 June
Platform workers
Ministers will aim to agree the Council’s position (‘general approach’) on the platform work directive, which seeks to improve the working conditions and social rights of people working in the ‘gig’ economy.

議長国スウェーデンはコレペールにいろいろと妥協案を示しているようですが、残念ながら理事会のサイトの文書サーチでは、これは部外秘よとなっています。

https://www.consilium.europa.eu/en/documents-publications/public-register/public-register-search/results/?WordsInSubject=&WordsInText=&DocumentNumber=&InterinstitutionalFiles=&SubjectMatters=SOC&DocumentDateFrom=&DocumentDateTo=&MeetingDateFrom=&MeetingDateTo=&DocumentLanguage=EN&OrderBy=DOCUMENT_DATE+DESC&ctl00%24ctl00%24cpMain%24cpMain%24btnSubmit=

ST 10013 2023 INIT - NOTE02/06/2023
Proposal for a DIRECTIVE OF THE EUROPEAN PARLIAMENT AND OF THE COUNCIL on improving working conditions in platform work
Interinstitutional file: 2021/0414(COD)
Subject matter: CODEC, EMPL, SOC
Originator: General Secretariat of the Council
Addressee: Permanent Representatives Committee
Date of meeting: 07/06/2023
The content of this document is not accessible. Nevertheless, a request for access can be sent to the Access to documents department.

ところが、EUの業界紙のEuractivでは、その内容が報じられています。どうなるかは判りませんが、現時点での動向ということで照会しておきましょう。

https://www.euractiv.com/section/gig-economy/news/swedens-third-attempt-to-reconcile-eu-council-on-platform-workers-rules/(Sweden’s third attempt to reconcile EU Council on platform workers rules)

Shutterstock_22505868311800x450The Platform Workers Directive has caused animosity in the EU Council of Ministers, as member states are divided on a fundamental part of the proposal – the rebuttable presumption that would automatically classify platform workers as employees under certain conditions.

Sweden, currently at the helm of the negotiations, has already made two attempts to bridge the difference between the camp that wants stricter classification criteria, which includes the likes of Spain and the Netherlands, and those who want a more flexible approach, including France and the Nordics.

 

プラットフォーム労働指令案はEU閣僚理事会に敵意を生み出しており、加盟国は指令案の根本部分-一定の条件を満たすプラットフォーム労働者を自動的に労働者と分類する反証可能な推定規定について分裂している。

現在交渉の舵取りをしているスウェーデンは既に2回も、スペインやオランダなどより厳格な分類基準を求める陣営と、フランスや北欧などより柔軟なアプローチを求める陣営の間の乖離に架橋しようと試みてきた。

On the legal presumption, “the presidency left the number of criteria and the threshold untouched as to its conviction this represents the right balance between the diverging requests of delegations.”

At the same time, the text clarifies that even when these conditions listed in the criteria are not part of the platform’s terms and conditions, they are to be considered fulfilled if they are met in practice.

Remarkably, a specification that the criteria are not to be fulfilled if that results from compliance with requirements under EU or national law, or collective agreements, especially in terms of health and safety, was kept in the Directive’s preamble.

法的推定については、「議長国は代表らの意見の分散の間のバランスをとるべく多くの基準と閾値をそのままにしている」。同時に、テキストは基準に列挙されたこれら条件がプラットフォームの就業条件に含まれていなくても、実際に合致すれば条件を満たすとみなすことにしている。顕著には、EU法、国内法、労働協約の下での要件、とりわけ安全衛生条件の遵守の結果であれば条件を満たさないものとされる。

Another critical point regards the functioning of the legal presumption.

According to the presidency, the picture is particularly complex as the effects of reclassifying a bogus self-employed worker may vary across the EU as national frameworks vary in how the situation is handled and sometimes even differ in the definition of a ‘worker’.

A consensus was reached that the reclassified worker should be able to enjoy the rights related to employment status, with wording added that these rights must be “deriving from relevant Union law, national law and collective agreements”.

もう一つの要点は法的推定の機能に関してである。議長国によれば、偽装自営業者を再分類する効果は国によって法的枠組みや「労働者」の定義が異なり、様々である。合意されているのは、再分類された労働者が「関係するEU法、国内法及び労働協約から由来する」雇用の地位に関係する権利を享受することができることである。

In previous compromises, Sweden introduced the principle that the legal presumption should be applicable in tax, criminal and social security proceedings. This provision is tough to swallow for the Spain-led camp that considers it would result in a half-baked presumption.

The presidency did not modify this part but felt the need to stress that the EU countries who wish to use the rebuttable presumption in these kinds of legal proceedings can do so by introducing national legislation.

“Alternative ways of drafting this provision, i.e. as an opt-out clause, have been explored but were not considered to be legally sound,” the document adds.

前の妥協案では、スウェーデンは法的推定が税制、刑事、社会保障手続に適用されるとの原則を導入したが、この規定はスペインなどこれが生焼けの推定をもたらすと危惧する陣営には受け入れがたいものである。議長国はこの部分を修正しなかったが、この種の手続において反証可能な推定を利用しようとするEU諸国は国内法でそうすることができると強調する必要を感じている。「この規定を起草する代案としてオプトアウト規定も模索されたが、法的に健全でないとみなされた」と文書はいう。

The EU Council has also introduced the idea that national administrative authorities should have the discretion not to apply the legal presumption in some instances.

理事会はまた国内の行政当局が一定の場合には法的推定を適用しない裁量を有するべきという考えも導入した。

https://www.euractiv.com/section/gig-economy/news/sweden-gives-platform-work-directive-final-push-in-hope-of-eu-council-deal/(Sweden gives platform work directive final push in hope of EU Council deal)

Shutterstock_2307038541800x450 A meeting of EU ambassadors on Wednesday (31 May) will look into a new compromise text on the platform work directive, seen by EURACTIV, in the hope of building a bridge between two starkly divided camps and bringing member states together ahead of a ministerial meeting in mid-June. 

水曜日(5月31日)の外交官の会合で、プラットフォーム労働指令案の新たな妥協案が提示され、EURACTIVも見たが、6月中旬の閣僚会合の前に鋭く分裂する2陣営の間に架橋しようとしている。

EURACTIV understands that countries looking for a more protective text, such as Spain, Belgium, Luxembourg, and the Netherlands, could not agree to derogation clauses which, in their view, would annul any meaningful impact of the legal presumption.

On the other hand, the more liberal countries such as France and Poland also rejected the text presented last week, asking that a broad derogation clause, put into the recitals after pushbacks from the more ‘protective’ camp back in December, be brought back into the operative part of the text.

EURACTIVの理解では、スペイン、ベルギー、ルクセンブルク、オランダなどより保護的な規定を求める諸国は、適用除外規定は法的推定の意味のある影響を失わせるとして賛成しないし、他方フランスやポーランドのようなよりリベラルな諸国は、より広範な適用除外規定を求め、先週示されたテキストを拒否した。

Finally, a group of Eastern European and Baltic countries, like Hungary, Latvia, and Lithuania, favoured a higher threshold to trigger the presumption.

Three criteria out of seven are required to trigger the presumption under the current negotiated text. The Commission’s original text instead required two criteria out of five.

As for Germany, it continues to remain silent and has not yet taken a stance on the file – due to divisions within its domestic coalition.

最後に、ハンガリー、ラトビア、リトアニアなど東欧バルト諸国は法的推定を引き起こす閾値をもっと引き上げることを望んでいる。現在の妥協案では法的推定には7つのうち3つの基準を満たす必要があり、もとの欧州委提案では5つのうち2つだった。

ドイツといえばずっと沈黙を守っている。これは国内の連立内閣の中で意見が分かれているからである。

 

というわけで、今週いっぱいで合意に達する見込みはあまりなさそうですが、来週の閣僚理事会でどういう結論になるか見ていきたいと思います。

(追記)

ようやく今日(6月7日)になって、議長国の妥協案の案文が公開されています。

https://data.consilium.europa.eu/doc/document/ST-10107-2023-INIT/en/pdf

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本的インターンシップとジョブ型ヨーロッパのトレーニーシップ@WEB労政時報

WEB労政時報に「日本的インターンシップとジョブ型ヨーロッパのトレーニーシップ」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers/article/85045

 ジョブ型雇用社会では、募集とはすべて具体的なポストの欠員募集であり、企業があるジョブについてそのジョブを遂行するスキルを有する者に応募を呼びかける行動であり、応募とはそのポストに就いたら直ちにその任務を遂行できると称する者が、それ故に自分を是非採用してくれるように企業に求める行動です。その際・・・・・・

 

 

2023年6月 3日 (土)

『労働新聞』書評2023年前半編

『労働新聞』に月イチで連載している書評欄、今年1月から6月までの半年間に取り上げた6冊を改めてまとめて紹介しておきます。

726d577b64d21123af489672df0965cf 『労働新聞』に月イチで連載している書評コラムですが、今年からまたタイトルが変わり、「書方箋 この本、効キマス」となりました。

その第1回目に私が取り上げたのは、グレゴワール・シャマユー『統治不能社会』(明石書店 )です。

https://www.rodo.co.jp/column/143561/

 半世紀前の1975年に、日米欧三極委員会は『民主主義の統治能力』(サイマル出版会)という報告書を刊行した。ガバナビリティとは統治のしやすさ、裏返せばしにくさ(アンガバナビリティ)が問題だった。何しろ、企業の中では労働者たちがまるでいうことを聞かないし、企業の外からは環境や人権問題の市民運動家たちがこれでもかと責め立ててくる。本書はその前後の70年代に、欧米とりわけアメリカのネオリベラルなイデオローグと企業経営者たちが、どういう手練手管を駆使してこれら攻撃に反撃していったかを、膨大な資料―それもノーベル賞受賞者の著作からビジネス書やノウハウ本まで―を幅広く渉猟し、その詳細を明らかにしてくれる。

 評者の興味を惹いた一部だけ紹介すると、それまでの経営学ではバーリ=ミーンズやバーナムらの経営者支配論が優勢で、だからこそその権力者たる経営者の責任を問い詰める運動が盛んだったのだが、この時期にマイケル・ジェンセン(3340号7面参照)がその認識をひっくり返すエージェンシー理論を提唱し、経営者は株主の下僕に過ぎないことになった。そもそも企業とはさまざまな契約の束に過ぎない。従って、理論的に企業の社会的責任などナンセンスである。一方でこの時期、ビジネス書などで繰り返し説かれたのは、(厳密にはそれと矛盾するはずだが)問題が大きくなる前に先制的に問題解決に当たれという実践論だった。

 本書は今では我われがごく当たり前に使っている概念が、この時期に企業防衛のために造り出されたことを示す。たとえばコスト・ベネフィット分析がそうだ。労災防止や公害防止の規制は、それによって得られる利益と比較考量して、利益の方が大きくなければすべきではないという議論が流行った。本書が引用するアスベスト禁止の是非をめぐるマレー・ワイデンバウム(レーガン政権で経済諮問委員長になった経済学者)とアル・ゴアのやり取りは、それなら人命に値段をつけろと迫られて逃げ回る姿がたいへん面白い。

 思想史的には、70年代以後のネオリベラル主義が戦前ナチスに傾倒したドイツの政治思想家カール・シュミットとその影響を受けたネオリベラル経済学者ハイエクの合体であることを抉り出した点が新鮮だ。73年にチリのアジェンデ政権を打倒して成立したピノチェト軍事政権に対し、当時主流派のポール・サミュエルソンが「ファシスト資本主義」と批判したのに対し、ハイエクは「個人的には、リベラルな独裁制の方が、リベラル主義なき民主政府より好ましいですね」と答えている。いうまでもなくこの「リベラル」とは経済的な制約のなさを示す言葉であり、その反対語「全体主義」とは国家が市民社会に介入すること、具体的には福祉国家や環境規制がその典型だ。そういう悪を潰すためには、独裁者大いに結構というわけだ。

 とはいえ、先進国で用いられた手法はもっとソフトな「ミクロ政治学」だった。正面から思想闘争を挑む代わりに、漸進的に少しずつ「民営化」を進め、気が付けば世の中のあれこれがネオリベラル化している。その戯画像が、野球部の女子マネージャーにドラッカーの『マネジメント』を読ませて喜ぶ現代日本人かもしれない。

81qdi3i0gul 817cpagxh3l 例によって、『労働新聞』連載の「書方箋 この本、効キマス」に、エマニュエル・トッド『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』(文藝春秋)を取り上げました。

https://www.rodo.co.jp/column/144730/

 専制主義は古臭く、民主主義は新しい、とみんな思い込んでいるけれども、それは間違いだ。大家族制は古臭く、核家族は新しいとの思い込み、それも間違いだ。実は一番原始的なのが民主主義であり、核家族なのだ。というのが、この上下併せて700ページ近い大著の主張だ。いうまでもなく、新しいから正しいとか、古臭いから間違っているとかの思い込みは捨ててもらわなければならない。これはまずは人類史の壮大な書き換えの試みなのだ。
 トッドといえば、英米の絶対核家族、フランスの平等主義核家族、ドイツや日本の直系家族、ロシアや中国の共同体家族という4類型で近代世界の政治経済をすべて説明して見せた『新ヨーロッパ大全』や『世界の多様性』で有名だが、その空間論を時間論に拡大したのが本書だ。その核心は柳田国男の方言周圏論と同じく、中心地域のものは新しく周辺地域のものは古いという単純なロジックだ。皇帝専制や共産党独裁を生み出したユーラシア中心地域の共同体家族とは、決して古いものではない。その周辺にポツポツ残っているイエや組織の維持を至上命題とする直系家族の方が古いが、それも人類の歴史では後から出てきたものだ。ユーラシアの西の果てのブリテン島に残存した絶対核家族と、それが生み出す素朴な民主主義こそが、人類誕生とともに古い家族と社会の在り方の原型なのである。おそらく圧倒的大部分の人々の常識と真正面からぶつかるこの歴史像を証明するために、トッドは人類史の時空間を片っ端から渉猟する。その腕前はぜひ本書をめくって堪能してほしい。
 その古臭い核家族に由来する素朴で野蛮なアングロサクソン型民主主義がなぜ世界を席巻し、古代オリエント以来の膨大な文明の積み重ねの上に構築された洗練の極みの君主・哲人独裁制を窮地に追い詰めたのか、という謎解きもスリリングだ。英米が先導してきたグローバリゼーションとは、ホモ・サピエンス誕生時の野蛮さをそのまま残してきたがゆえの普遍性であり、魅力なのだという説明は、逆説的だがとても納得感がある。我々がアメリカという国に感じる「とても先進的なはずなのに、たまらなく原始的な匂い」を本書ほど見事に説明してくれた本はない。
 本書はまた、最近の世界情勢のあれやこれやをすべて彼の家族構造論で説明しようというたいへん欲張りな本でもある。父系制直系家族(イエ社会)のドイツや日本、韓国が女性の社会進出の代償として出生率の低下に悩む理由、黒人というよそ者を排除することで成り立っていたアメリカの脆弱な平等主義が差別撤廃という正義で危機に瀕する理由、共産主義という建前が薄れることで女性を排除した父系制大家族原理がますます露骨に出てきた中国といった、その一つだけで新書の一冊ぐらい書けそうなネタがふんだんに盛り込まれている。なかでも興味深いのは、原著が出た2017年にはあまり関心を惹かなかったであろうウクライナの話だ。トッドによれば、ロシアは専制主義を生み出す共同体家族の中核だが、ウクライナはポーランドとともに東欧の核家族社会なのだ。ウクライナ戦争をめぐっては勃発以来の1年間に膨大な解説がなされたが、この説明が一番腑に落ちた。

61pollbop9l 『労働新聞』に毎月寄せている書評、今回はジョセフ・ヒース&アンドルー・ポター『反逆の神話』(ハヤカワノンフィクション文庫)です。

https://www.rodo.co.jp/column/145984/

 原題は「The Rebel Sell」。これを邦訳副題は「反体制はカネになる」と訳した。ターゲットはカウンターカルチャー。一言でいえば文化左翼で、反官僚、反学校、反科学、極端な環境主義などによって特徴付けられる。もともと左翼は社会派だった。悲惨な労働者の状況を改善するため、法律、政治、経済の各方面で改革をめざした。その主流は穏健な社会民主主義であり、20世紀中葉にかなりの実現を見た。

 ところが資本主義体制の転覆をめざした急進左翼にとって、これは労働者たちの裏切りであった。こいつら消費に溺れる大衆は間違っている! 我われは資本主義のオルタナティブを示さなければならない。そこで提起されるのが文化だ。マルクスに代わってフロイトが変革の偶像となり、心理こそが主戦場となる。その典型として本書が槍玉に挙げるのが、ナオミ・クラインの『ブランドなんかいらない』だ。大衆のブランド志向を痛烈に批判する彼女の鼻持ちならないエリート意識を一つひとつ摘出していく著者らの手際は見事だ。

 だが本書の真骨頂は、そういう反消費主義が生み出した「自分こそは愚かな大衆と違って資本が押しつけてくる画一的な主流文化から自由な左翼なんだ」という自己認識を体現するカウンターカルチャーのあれやこれやが、まさに裏返しのブランド志向として市場で売れる商品を作り出していく姿を描き出しているところだろう。そのねじれの象徴が、ロック歌手カート・コバーンの自殺だ。「パンクロックこそ自由」という己の信念と、チャート1位になる商業的成功との折り合いをつけられなかったゆえの自殺。売れたらオルタナティブでなくなるものを売るという矛盾。

 しかし、カウンターカルチャーの末裔は自殺するほど柔じゃない。むしろ大衆消費財より高価なオルタナ商品を、「意識の高い」オルタナ消費者向けに売りつけることで一層繁栄している。有機食品だの、物々交換だの、自分で服を作るだの、やたらにお金の掛かる「シンプルな生活」は、今や最も成功した消費主義のモデルだろう。日本にも、エコロジーな世田谷自然左翼というブルジョワ趣味の市場が成立しているようだ。

 彼ら文化左翼のバイブルの一つがイヴァン・イリイチの『脱学校の社会』だ。画一的な学校教育、画一的な制服を批判し、自由な教育を唱道したその教えに心酔する教徒は日本にも多い。それがもたらしたのは、経済的格差がストレートに子供たちの教育水準に反映されるネオリベ的自由であったわけだが、文化左翼はそこには無関心だ。

 本書を読んでいくと、過去数十年間に日本で流行った文化的キッチュのあれやこれやが全部アメリカのカウンターカルチャーの模造品だったと分かって哀しくなる。西洋的合理主義を脱却してアジアの神秘に身を浸して自己発見の旅に出るインド趣味のどれもこれも、伝統でも何でもなくアメリカのヒッピーたちの使い古しなのだ。その挙げ句がホメオパシーなど代替医療の蔓延による医療崩壊というのは洒落にならない。

 しかし日本はある面でアメリカの一歩先を行っているのかも知れない。反逆っぽい雰囲気の歌をアイドルに唱わせてミリオンセラーにする、究極の芸能資本主義を生み出したのだから。

Silentmajority

71ec9d7ekxl 例によって、『労働新聞』に月一で連載している書評ですが、今回は渡邊大門『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』(星海社新書)です。

https://www.rodo.co.jp/column/147391/

 戦国時代といえば、幕末と並んでNHK大河ドラマの金城湯池だ。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三英傑をはじめ、武田信玄、上杉謙信など英雄豪傑がこれでもかと活躍し、血湧き肉躍る華麗なる時代というのが一般認識だろう。だが、彼らの活躍の陰では、冷酷無惨な奴隷狩り、奴隷売買が横行していた。時代小説やドラマで形作られた戦国の華々しいイメージを修正するのに、この新書本はとても有効な解毒剤になる。

 戦国時代の戦争は、敵兵の首を取り恩賞をもらうだけが目的ではない。戦場での金目の物の略奪も重要な目的で、その中にはヒトを捕まえて売り飛ばすことも含まれていて、当時「乱取り」といった。『甲陽軍鑑』によれば、川中島の戦いで武田軍は越後国に侵入し、春日山城の近辺に火を放ち、女や子供を略奪して奴隷として甲斐に連れ帰ったという。信濃でも、上野でも、武田軍は行く先々で乱取りを行っている。乱取りは恩賞だけでは不足な将兵にとって貴重な収入源であった。

 上杉軍も負けてはいない。上杉謙信が常陸の小田城を攻撃した時、落城直後の城下はたちまち人身売買の市場になったという。これは、謙信の指示によるものだと当時の資料にはっきり書かれている。城内には、周辺に住んでいた農民たちが安全を確保するために逃げ込んでいたのだが、彼らが一人20銭、30銭で売り飛ばされた。伊達政宗の軍も、島津義久の軍も、みんな乱取りをしていた。

 現在放映されている『どうする家康』では絶対に出てこないだろうが、大坂夏の陣で勝利した徳川軍は女子供を次々に捕まえて凱旋している。「大坂夏の陣図屏風」には、逃げ惑う敗残兵や避難民を徳川軍が略奪・誘拐・首取りする姿が描かれている。将兵は戦いに集中するよりも、ヒトや物の略奪に熱中していた。

 国内で奴隷狩り、奴隷売買が盛んな当時の日本は、彼らを外国に売り飛ばす国でもあった。豊臣秀吉は九州征伐の途上で、ポルトガル商人たちが日本人男女数百人を買い取り、手に鉄の鎖をつけて船底に追い入れている様を見て激怒し、イエズス会のコエリョと口論になったという。コエリョ曰く「日本人が売るから、ポルトガル人が買うのだ」。これがやがて秀吉による伴天連追放令の原因になるのだが、理屈からいえばコエリョが正しい。キリスト教徒を奴隷にすることを禁ずる西洋人にとって、非キリスト教徒が非キリスト教徒を奴隷として売ってくるのを買うのは何ら良心が傷まないことだったのだろう。

 伊東マンショら天正遣欧使節の4人の少年たちは、マカオなど行く先々で売られた日本人奴隷を見て心を痛めていた。千々石ミゲルはこう述べたという。「日本人は欲と金銭への執着が甚だしく、互いに身を売って日本の名に汚名を着せている。ポルトガル人やヨーロッパ人は、そのことを不思議に思っている。そのうえ、われわれが旅行先で奴隷に身を落とした日本人を見ると、道義を一切忘れて、血と言語を同じくする日本人を家畜や駄獣のように安い値で手放している。我が民族に激しい怒りを覚えざるを得なかった」と。

 英雄を称賛する大河ドラマには絶対に出ない戦国日本の恥部が、薄い新書本のここかしこに溢れている。テレビの後にご一読を。

31grvfxfusl_sx343_bo1204203200_ 例によって『労働新聞』に月一回連載している書評コラム、今回はヘレン・ブラックローズ&ジェームズ・リンゼイ『「社会正義」はいつも正しい』(早川書房)です。

https://www.rodo.co.jp/column/149699/

 近年何かと騒がしいポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)の源流から今日の蔓延に至る展開をこの一冊で理解できる。そして、訳者が皮肉って付けたこの邦題が、版元の早川書房の陳謝によって自己実現してしまうという見事なオチまでついた。
 ポリコレの源流は、意外にも正義なんて嘲笑っていたポストモダン(ポモ)な連中だった。日本でも40年くらい前に流行ってましたな。脱構築だの、全ては言説のあわいだとか言って、客観的な真実の追求を嘲弄していた。でもそれは20世紀末には流行らなくなり、それに代わって登場したのが、著者が応用ポストモダニズムと呼ぶ社会正義の諸理論だ。
 たとえばポストコロニアル理論では、植民地支配された側が絶対的正義であり、客観的と称する西洋科学理論は人種差別を正当化するための道具に過ぎない。ポモの文化相対主義が定向進化して生まれたこの非西洋絶対正義理論は、中東アフリカの少女割礼(クリトリス切除)を野蛮な風習と批判する人道主義を帝国主義的言説として糾弾する。
 たとえばクィア理論では、ジェンダーだけではなくセックスも社会的構築物だ。その結果、日本でも最近起こったように、男性器を付けたトランス女性が女湯に入ってくることに素直な恐怖心を表明した橋本愛が、LGBT差別だと猛烈な攻撃を受けて心からの謝罪を表明するに至る。もちろん、ジェンダーは社会的構築物だし、ジェンダー規範の強制が女性たちを抑圧している姿はイランやアフガニスタンに見られるとおりだが、ポモ流相対主義が定向進化すると、それを生物学的なセックスと区別することを拒否するのだ。
 そのジェンダースタディーズも、交叉性フェミニズムという名の被害者ぶり競争に突っ走る。批判的人種理論と絡み合いながら、白人男性は白人男性ゆえに最低であり、客観的なその言説を抑圧すべきであり、黒人女性は黒人女性ゆえに正義であり、どんな主観的な思い込みでも傾聴すべきという(ねじけた)偉さのランキングを構築する。いや黒人女性でも、それに疑問を呈するような不逞の輩は糾弾の対象となるのだ。
 その行き着く先は例えば障害学だ。もちろん、障害者差別はなくさなければならない。しかし、それは障害があるからといって他の能力や個性を否定してはならないということであり、だからこそ合理的配慮が求められるのだ。ところがこのポモ流障害学では、障害がない方がいいという「健常主義」を批判し、障害こそアイデンティティとして慶賀すべきと論ずる。その挙げ句、肥満は健康に悪いから?せた方がいいと助言する医者を肥満に対するヘイトだと糾弾するファットスタディーズなるものまで登場するのだ。もちろん、これは冗談ではない。
 いやほんとに冗談ではないのだ。ポリコレのコードに引っ掛かったら首が飛ぶ。本書にはその実例がてんこ盛りだ。そしてその列の最後尾には、本訳書を出版した早川書房の担当者が、訳者山形浩生の嫌味な解説を同社のサイトに載っけた途端に批判が集中し、あえなく謝罪して削除したという一幕が追加されたわけだ。まことに「社会正義」はいつも正しい。めでたしめでたし(何が)。     

(参考までに)

上記書評の最初と最後で触れた訳者山形浩生の嫌味な解説(削除されたもの)と、全面的に謝罪しながらこれを削除した早川書房の編集者氏のツイートを、参考までに挙げておきます。

https://archive.is/2022.11.15-133517/https://www.hayakawabooks.com/n/n3856ec404c2f

訳者解説

1 はじめに

本書はHelen Pluckrose and James Lindsay 『Cynical Theories: How Activist Scholarship Made Everything About Race, Gender, and Identity—and Why This Harms Everybody』(2020年)の全訳だ。翻訳にあたっては出版社からのPDFとハードカバー版を参照している。

2 本書の背景

本書は、ここ10年ほどで欧米、特にアメリカで猛威をふるうようになったポリティカル・コレクトネス(略してポリコレ)、あるいは「社会正義」運動の理論と、その思想的源流についてまとめた本だ。
現在のアメリカでは、一部の「意識の高い」人々による変な主張がやたらにまかりとおるようになっている。少なくとも、それを目にする機会はずいぶん増えた。性別は自分で選べるといって、女子スポーツに生物学的な男性が出たりする。大学の講義で、人間に生物学的な男女の性別があると言っただけで、性差別だと言われる。人種差別の歴史についての講義でかつて使われた差別用語を紹介しただけで、人種差別に加担したと糾弾される。大学で非白人学生による単位や成績の水増し要求を断ると、白人による抑圧の歴史を考慮しない差別だと糾弾される。
批判を受けるだけなら別に問題はない。だがいったんそうした発言をしたり糾弾を受けたりすると、それがまったくの曲解だろうと何だろうと、その人物は大学や企業などでボイコットを受け、発言の機会を奪われ、人民裁判じみた吊し上げにより村八分にされたりクビにされたりしてしまう。
それどころか、ジェンダーアイデンティティ選択の自由の名のもとに、子供への安易なホルモン投与や性器切除といった、直接的に健康や厚生を阻害しかねない措置が、容認どころか奨励されるという異常な事態すら起きつつある。身近なところでは白人が日本の着物を着れば(あるいは黒人が日本アニメのコスプレをしたら)それが(ほとんどの日本人は気にしないか、むしろおもしろがっていても)関係ない第三者により文化盗用だと糾弾され、他文化の要素を採り入れたデザイナーや企業が謝罪に追い込まれる事態も頻発している。
さらにこうした事態に対して科学的知見に基づく反論をすると、各種科学や数学はすべて植民地帝国主義時代の白人男性が開発したものだから、それを持ち出すこと自体が差別への加担だ、と変な逆ギレをされ、この理屈がいまやカリフォルニア州の算数公式カリキュラムの基盤となりつつある。
そして2022年夏には科学分野で有数の権威を持つ『ネイチャー』誌までこうした運動に入り込まれ、今後はマイノリティのお気持ちに配慮しない、つまり「社会正義」に都合の悪い論文は却下するという公式方針(! !)を打ち出し、中世暗黒時代の再来かと嘆かれている始末だ。いったい何が起きているのか? 何がどうよじれると、こんな変な考えがはびこり、表舞台にまで浸透するようになるのか?
本書はこうした「社会正義」の様々な潮流を総覧して整理してみせる。そしてその源流が、かつてのポストモダン思想(日本では「ニューアカデミズム」とも呼ばれたフランス現代思想)の歪んだ発展にあるのだと指摘する。それが、過去数世紀にわたる飛躍的な人類進歩をもたらした、普遍性と客観性を重視するリベラルで啓蒙主義的な考え方を完全に否定する明確に危険なもので、これを放置するのは分断と敵対、自閉と退行につながりかねないと警鐘を鳴らす。

3 著者たちについて

ジェームズ・リンゼイは1979年生まれ、アメリカの数学者であり、また文化批評家でもある。ヘレン・プラックローズはイギリスの作家・評論家だ。いずれも、リベラリズムと言論の自由を強く支持し、本書に挙げられたような社会正義運動と、それに伴う言論弾圧やキャンセルカルチャーについては強く批判する立場を採る。
どちらも、いろいろ著作や活動はある。だが二人が有名になったのは何よりも、2017~2018年に起こった通称「不満スタディーズ事件」のおかげだ。
哲学研究者ピーター・ボゴシアンとともに、この二人はカルチュラル・スタディーズ、クィア研究、ジェンダー研究、人種研究等の「学術」雑誌(もちろん本書で批判されている各種分野のもの)にデタラメな論文を次々に投稿し、こうした学術誌の査読基準や学問的な鑑識眼、ひいてはその分野自体の学術レベルの低さを暴こうとした。「ペニスは実在せず社会構築物である」といった、明らかにバカげた論文が全部で20本作成・投稿され、途中で企みがバレたものの、その時点ですでに七本が各誌に受理・掲載されてしまった。もちろんこれは1995年にポストモダン系学術誌に物理学者アラン・ソーカルらがでたらめ論文を投稿したソーカル事件(後ほど少し説明する)を明確に意識していたものだったし、この事件も「ソーカル二乗」スキャンダルなどと呼ばれたりする。
この事件で各種現代思想/社会正義研究(少なくともその刊行物)のデタラメさ加減が見事に暴かれた、と考える人は多い。その一方で、ソーカル事件のときとまったく同じく、「手口が汚い」「学者の良心を信じる善意につけこんだ下品な手口」「はめられた雑誌は業界で最弱の面汚しにすぎず、何の証明にもならない」「主流派の焦りを示す悪意に満ちた詐術であり、これ自体がマイノリティ攻撃の差別言説だ」といった擁護論もたくさん登場した。首謀者の一人ボゴシアンは、この一件が不正研究に該当すると糾弾され(だまされた雑誌が「人間の被験者」であり、人間を研究対象とするときの倫理ガイドラインに違反した、とのこと)、勤務先のポートランド州立大学からの辞職に追い込まれている。
その残りの二人が、おそらくはこの事件を直接的に受けてまとめたのが本書となる。

4 本書の概要

本書の最大の功績の一つは、多岐にわたる「社会正義」の各種「理論」を、まがりなりにも整理し、多少は理解可能なものとしてまとめてくれたことにある。
こうした「社会正義」の理論と称するものの多くは、とんでもなく晦渋だ。文字を追うだけでも一苦労で、なんとか読み通しても変な造語や我流の定義が説明なしに乱舞し、その理論展開は我田引水と牽強付会の屁理屈まがいに思える代物で、ほぼ常人の理解を超えている。それをわざわざ読んで整理してくれただけでも、実にありがたい話だ。
さらに一般的には、一応はまともな肩書きを持つ学者たちによる「理論」が、そんなおかしなものだとはだれも思っていない。読んでわからないのは自分の力不足で、理論そのものは難解だけれど、まともなのだろう、世の中で見られる異常な活動の多くは、末端の勇み足なのだろう、というわけだ。
が、実はだれにも理解できないのをいいことに、そうした「理論」自体が、まさに常軌を逸した異常なものと化している場合があまりに多い。それを本書は如実に明らかにしてくれる。
では、本書の指摘する各種理論の変な部分はどこにあるのだろうか? そのあらすじを以下でざっとまとめておこう。
フェミニズム、批判的人種理論、クィア理論等々の個別理論については、ここで細かくまとめる余裕はないので本文を参照してほしい。だが、本書によればそうした理論のほとんどは同じ構造を持ち、その歴史的な源流も同じなのだ。こうした様々な「思想」の基本的な源流はかつてのポストモダン思想にあるという。
で、そのポモ思想って何?

ポモ思想は、本書の認識では左派知識人の挫折から生まれたやけっぱちの虚勢だ。1960年代の社会主義(学生運動)の破綻で、左翼系知識人の多くは深い絶望と挫折を感じ、資本主義社会にかわる現実的な方向性を打ち出せなくなった。その幻滅といじけた無力感のため、彼らは無意味な相対化と極論と言葉遊びに退行した。それがポストモダン思想の本質だった、という。
そのポモ思想によれば世界は幻想だ。客観的事実などは存在せず、すべてはその人や社会の採用する思考の枠組みや見方次第だ。だから資本主義社会の優位性も、ただの幻想なんだよ、と彼らは述べる。
そして、その思考の枠組み(パラダイムとか、エピステーメーとか「知」とかいうとカッコいい)は社会の権力関係により押しつけられる。それは社会の言説(ディスクール、というとカッコいい)としてあらわれるのだ。その中にいるパンピーは、知らぬ間にそうした枠組みに組み込まれてしまい、それがありのままの客観的な世界だと思い込んでいる。そして人々がその支配的な言説に基づき行動/発言すること自体が、まさにその枠組みを強化し、延命させるのだ。
つまりオメーらみんな、口を開いた瞬間に権力に加担している。えらいアタマのいい、言語に対するシャープな批判力を養い、社会を超越した視線を持つ自分たちだけが、その欺瞞に気づけるし、資本主義の幻想の中で右往左往するだけのオメーらのバカさ加減を認識できるんだよ、というのがポストモダニズムだ、と本書は述べる。
ふーん、それで? 資本主義社会が幻想ならどうしろと? それに代わるものをこの理屈は提出できない。その意味でポモ思想は、左翼がかった高踏的なインテリどもの知的お遊びにすぎなかった。やがてその遊びのネタが次第に尽き、自己参照的な言葉遊びに堕すと、こうした知的お遊戯自体が無内容で非建設的なものとして逆に嘲笑の対象と化した。現代思想業界の雑誌が、本物の科学者たちの捏造した無内容なインチキ論文を嬉々として採用してバカにされた1995年のソーカル事件は、そうした社会的な認識の現れでもある。
が、それと前後してポモ思想に飛びついた人々がいた。それが活動家たちだ。活動家たちも、20世紀後半には壁にぶちあたっていた。女性の抑圧や植民地主義、人種差別といった社会の問題は、当初は資本主義社会の抱える本質的な問題と思われていた。社会主義は、資本主義がそういう搾取の上に成立しているのだ、自分たちはそれを解決する、と主張し続けてきた。それを信じて、多くの社会活動家は社会主義、マルクス主義的な立場からの活動を続けてきた。
が……社会主義の惨状と崩壊で、その立場も崩れてきた。一方で啓蒙思想とリベラリズムが広がるとともに、こうした問題も次第に資本主義の枠内で改善してきた。もちろん完璧ではない。地域差もある。だが20世紀半ばまでに、こうした問題のフォーマルな面はかなり解消された。それにつれて多くの社会活動家たちの活動範囲もどんどんせばまった。しかも残された差別の多くは、社会的な慣習、惰性、初期条件の差から来る創発的なもので、政治的な発言力などではなかなかどうにかできるものではないし……
そこにあらわれたのがポモ思想だ。そこでは、各種の抑圧や差別は、社会全体における権力関係として、人々の「知」の構造の中にはびこるものとなる。それを表現するのが言説であり、そしてその言説が繰り返されると「知」は強化され、そこに内在する差別や抑圧はますます強まる。それを何とかしない限り、形式的な法律だの規制だのをいくらいじったところで、各種社会問題は何も解決しないのである! 社会の正義を実現するためには、社会全体の言説と「知」のあり方を変えねばならない!
だがこれは、一瞬で言葉狩りと思想統制と人民裁判へと転じかねない発想だ。差別的な発言を探して糾弾し、それを述べた人物を吊し上げて、言説を発する立場(つまりは職場など)から追い落とすことで言説の権力構造を変える──まさに現在はびこりつつあるキャンセルカルチャーそのものだ。
そして……抑圧者、権力者たちは自分たちに都合のいい、差別を構造化した知/言説を構築し、そこに安住しすぎているが故に、そうした権力構造をそもそも認識できない。それを認識できるのは、排除され、抑圧されてきたが故にその欺瞞を実感している、被抑圧者、被差別者、弱者、他者、マイノリティたち……そしてもちろん、こうした思想や活動を学んで「社会正義」に目覚めた(Wokeな)意識の高い人たち(つまり自分たち)だけなのだ!
つまり自分たちだけが言葉狩りと思想統制の審問官になれる、というわけだ。だからこの人たちの癇にさわった(「トリガーした」)言説は、それだけで有罪確定だ。そこでは事実も論理も関係ない(それ自体が権力的な言説なのだから)。表面的な意味を越えて、そうした言説や表現の持つ構造的な含意にこそ差別があるのであり、それを検出できるのは被差別者や他者のお気持ちだけだ。それに反論するのはまさに、その反論者が差別構造に気づけない、つまりその人物が無自覚な(いやヘタをすると悪意に満ち)罪深い差別者である証拠だ。いやそれどころか、その反論自体が被抑圧者へのセカンドレイプでヘイトスピーチなのだ。
本書で挙げられた各種の「社会正義」理論の流派は、すべてこのパターンにあてはまる。そこでの「弱者」は何でもいい。女性、LGBT、黒人、マイノリティ、肥満者、身体障害者、病人、そしてそうした各種要因の無数の組み合わせ。歴史的経緯や主要論者の嗜好により多少の差はあれ、本書での説明ではどれもおおむね似たようなパターンをたどる。
そしてそのいずれでも、弱者アピールが何よりも正統性の根拠となる。差別されているというアイデンティティによってこそ、その人の「正義」と批判力は担保される。「社会正義」運動の多くが「アイデンティティ・ポリティクス」と呼ばれる所以だ。そしてこれは、往々にしてきわめて倒錯的な主張につながる。この発想からすれば差別をなくして対等な立場と平等性を実現しようとするのは、そうした弱者の特権性をつぶして既存権力構造に隷属させようとする差別的な口封じの陰謀になりかねない。病気を治療したり、マイノリティの教育水準を引き上げて社会的な不利をなくそうとしたりするのは、その人々の弱者としてのアイデンティティ否定だ!
差別をなくす、というのは本来、社会的な不利をなくす、ということだったはずだ。それが弱者アイデンティティの否定だというなら、これは差別をなくすために差別を温存すべきだ、というに等しい変な議論になりかねない。が、いまの「社会正義」理論の一部はまさにそういうものになり果てている。これは誰のための、何のための「正義」なのか、と本書は批判する。
マーティン・ルーサー・キングは、肌の色ではなくその中身で人が判断される時代を待望した。これは啓蒙主義とリベラリズムの思想で、あらゆる人を平等に扱おうとする。だが「弱者」に特権的な視点と判断力があり、その人たちのお気持ちだけを重視すべきで、そこに含まれない人々は目覚めていないんだからその主張は無視してよい、というこの「社会正義」の理論は、分断と対立を煽り、別の形で差別を温存させるだけだ。
そうした危険な動きの拡大には警戒すべきだ、と本書は述べる。アイデンティティを超える普遍的な価値観と万人の共通性を強調した、啓蒙主義とリベラリズムの立場を復活させるべきなのだ。だって、それが実際に社会の平等と公正を拡大してきたのはまちがいのない事実なのだから。そしてそのためには、本書で異様な「社会正義」理論を理解したうえで、それに対して筋の通った反論をしよう。
これまでは、「差別はいけません」といった漠然としたお題目のために、みんなこうした理論に正面きって反対するのを恐れてきた面がある。それがこうした「理論」をはびこらせてしまった。だが「社会正義」理論を否定するというのは、別に差別を容認するということではない。どこは認め、どこは受け入れないのかをはっきりさせて、決然とした対応を!

5 本書の受容とその後

当然ながら、本書はスティーブン・ピンカーをはじめ、啓蒙主義とリベラリズムを擁護し、その21世紀的な復権を主張する論者からはきわめて好意的に迎えられた。もちろん、著者二人の先人ともいうべき、ソーカル事件のアラン・ソーカルも絶賛している。「社会正義」サイドは、無理もないが本書を口をきわめてののしっていて、著者たちも執拗な攻撃を受けている。著者の一人リンゼイは、LGBT活動などをからかったツイートをやり玉にあげられて、2022年の8月5日にツイッターの垢バンをくらってしまった。
またこうした思想的な潮流よりは、社会経済的な背景が重要との指摘もある。学術界全般の悪しきこむずかしさ崇拝傾向に加え、アメリカの大学のほとんどが私学で、学費と寄付金のために生徒やその親の過激な主張に断固とした態度がとれないこと、つぶしのきかない人文系大卒者の激増と就職難に伴う「意識の高い」NGO急増のほうが主因だという説も出た。現代思想は彼らの方便でしかないというわけだ。これは一理あるが、その方便に気圧されないためにも、それが出てきた背景と中身を知っておくのは無駄ではない。
いずれにしても読者の評判はかなりよく、いくつかメジャー紙のベストセラーにランクインするほどの売上を見せている。『フィナンシャル・タイムズ』紙などの年間ベストブックにも選ばれた。こうした理論の冷静でわかりやすい概説書が欲しいというニーズは(おそらく支持者側とアンチ側の双方に)それなりにあったらしい。
そうした解説ニーズに応えるためか、2022年には本書をさらに噛み砕いた「読みやすいリミックス版」(Social (In)justice: Why Many Popular Answers to Important Questions of Race, Gender, and Identity Are Wrong—and How to Know What’s Right)も出版され、こちらもかなり好評だ。
そしておそらく、その後のアメリカの政治状況も、本書の好評とある程度は関係している。「社会正義」理論の弊害への懸念が2010年代末から高まっていたのはすでに述べた通り。それが本書登場の背景でもある。特に2020年に全米で吹き荒れた、黒人差別に抗議するBLM(ブラック・ライブズ・マター)運動とそれに伴う騒乱は、社会に大きな傷痕を残し、それを「社会正義」的な思想の広まりがその暴走を煽ったという指摘もあった。つまりは、左派による「社会正義」理論の濫用が問題だということだ。
だがそこで奇妙な倒錯が生じた。2020年のヴァージニア州知事選で、共和党候補が批判的人種理論ことCRTの教育制限を公約に挙げた。「社会正義」の理論と、その教育現場への安易な導入こそが、人種分断を煽る大きな要因なのだという。だが実際に当選してから彼らがはじめたのは、きわめて穏健な人種差別教育や多様性教育の抑圧だった。そしてそれが、続々と他の州にも拡大し、同時にジェンダー教育などもCRTのレッテルの下に含めて潰そうとしつつある。つまり今度は右派による「社会正義」理論の(レッテルとしての)濫用が課題になってきたというわけだ。
こうしていまや「社会正義」理論は、一部の人しか知らない特異な社会運動理論から、政争ツール最前線にまで踊り出てしまった。好き嫌い(および肯定否定)を問わず、こうした議論の妥当性を判断する一助としても、思想や理論について、概略でも理解する必要性は高まっている。その意味で、本書のような見通しのよい解説書への需要は、今後当分続くのではないだろうか。

6 日本にとっての意義

日本では幸いなことに、本書の発端になったような異常な事件が頻発したりはしていないようだ。各種の思想や哲学系の雑誌で、「社会正義」的な思想の特集が組まれても、その思想自体が各種の運動を煽ったという事例は、寡聞にして知らない。「社会正義」的主張を掲げる抗議運動や、それを口実にした吊し上げやキャンセル活動は確かにある。
だが系統だったものは少なく、また多くの場合には本音の私的な遺恨や派閥抗争がだらしなく透けて見える。一方で受容側の企業や、かなり遅れてはいるが公的機関や大学なども、SNS炎上などの対処方法がだんだんわかってきた様子はうかがえる(基本、無視がいいようだ)。
だからおそらく読者の多くは、「社会正義」が生み出した変な運動の矢面に立たされることもないだろう(と祈っていますよ)。政治トピックに上がるとも思えないから、本書に述べられた個別理論の細部を理解する必要に迫られることもないだろう。本書への関心も、恐い物見たさの野次馬めいたものが大きいのではないか。
だが怪しげな理論の先鋭化と暴走が現実的な問題を引き起こす可能性は常にある。本書を通じてその現れ方を理解しておくのは、決して無駄にはならない。そしてそれ以上に、本当の社会正義や社会集団共存の実現は当然ながら必要なことだ。多くの人がそれを認識しているからこそ、異様な「社会正義」理論(またはその反動)がつけいる隙も生まれてしまう。
それを防ぐためには、その社会正義を自分自身がどう考えるのか、何を目指すのかについて、個人や組織が自分なりの基盤と筋を確立しておく必要がある(本書で懸念されている、「社会正義」の巣窟となりかねない企業や組織の多様性担当者といった役職は、本来はそうした基準の構築が仕事だろう。もちろんCRT禁止の旗印で常識的なジェンダーや多様性の教育まで潰されそうになったときにも、ある程度の知識があれば「これはCRTとちがう」と変な介入をはねかえして筋の通った対応をしやすくなる)。
そして本書や類書の最大の貢献はそこにあるはずだ。本書により「社会正義」理論のおかしな展開を見る中で、読者は自ずと自分にとって何が正しいかを考えるよう迫られるからだ。
それを一人でも多くの読者がやってくれれば、訳者(そしてまちがいなく著者たちも)冥利につきようというものだ。

7 謝辞など

翻訳は、前半を森本、後半を山形が行い、最終的に山形がすべてを見直している。

訳者たちはいずれも、こうした分野の専門家ではない。各種専門用語などは、なるべく慣用や定訳に従ったつもりだが、思わぬまちがいや各種理論・理屈の誤解などはあるかもしれない。また引用部分については、邦訳があるものはなるべく邦訳を参照したが(邦訳の該当ページは注を参照)、文脈その他に応じて修正した部分もそこそこある。誤訳、用語のまちがいなど、お気づきの点があれば、訳者までご一報いただければ、反映させていただく。そうした正誤表や関連リソースについては、以下のサポートページで随時更新する。https://cruel.org/books/books.html#translations
本書の編集は早川書房の一ノ瀬翔太氏が担当された。当方の様々な見落としをご指摘いただいたばかりか、太字や大文字表記などで特殊な概念を示した原著を、日本語での違和感のない表記法を編み出してわかりやすくしていただき、心より感謝する。そしてもちろん、本書を手に取ってくださる読者のみなさんにも。
 2022年9月 デン・ハーグにて

https://twitter.com/shotichin/status/1599788337015189504

『「社会正義」はいつも正しい』解説記事の公開を停止しました。私はテキストが持ちうる具体的な個人への加害性にあまりに無自覚でした。記事により傷つけてしまった方々に対して、深くお詫び申し上げます。記事の公開後、多くのご批判を社内外で直接・間接に頂き、問題を自覚するまでに一週間を要しました。結果、対応がここまで遅れてしまったことにつきましても、誠に申し訳ございません。取り返しのつくことではございませんが、今後の仕事に真摯に向き合い、熟慮を重ねてまいります。

61zlf6wghol277x400 毎月一回寄稿している『労働新聞』の書評ですが、今回はマルクスです。とはいえ、一筋縄ではいきませんよ。

https://www.rodo.co.jp/column/150864/

Marx_20230602202801  一昨年から毎月、書籍を紹介してきたが、今回の著者は多分一番有名な人だろう。そう、正真正銘あの髭もじゃのマルクスである。

Stalin  ただし、全50巻を超える浩瀚なマルクス・エンゲルス全集にも収録されていない稀覯論文である。なぜ収録されていないのか? それは、レーニンやとりわけスターリンの逆鱗に触れる中身だからだ。そう、マルクスを崇拝していると称するロシアや中国といった諸国の正体が、まごうことなき東洋的専制主義であることを、その奉じているはずのマルクス本人が、完膚なきまでに暴露した本であるが故に、官許マルクス主義の下では読むことが許されない御禁制の書として秘められていたわけである。

 本書の元論文がイギリスの新聞に連載されたのはクリミア戦争さなかの1856年。そんな19世紀の本が、いま新たに翻訳されて出版されるのは何故かといえば、いうまでもなく、歴史は繰り返しているからだ。今目の前で進行中のウクライナ戦争を理解するうえで最も役に立つのが、19世紀のマルクスの本だというのは何という皮肉であろうか。

Pyotr  マルクス曰く「タタールのくびきは、1237年から1462年まで2世紀以上続いた。くびきは単にその餌食となった人民の魂そのものを踏み潰しただけではなく、これを辱め、萎れさせるものであった」。「モスクワ国家が育まれ、成長したのは、モンゴル奴隷制の恐るべき卑しき学校においてであった。それは、農奴制の技巧の達人になることによってのみ力を集積した。解放された時でさえ、モスクワ国家は、伝統的な奴隷の役割を主人として実行し続けていた。長い時間の末、ようやくピョートル大帝は、モンゴルの奴隷の政治的技巧に、チンギス・ハンの遺言によって遺贈された世界征服というモンゴルの主人の誇り高き野望を結びつけた」。

Putin  ヨーロッパ国家として歩み始めたキエフ国家が滅び、タタールのくびきの下でアジア的な専制主義を注入されたモスクワ国家が膨張し、ロシア帝国を形成していく過程を描き出すマルクスの筆致は、ほとんどロシア憎悪にすら見える。もちろん彼が憎んでいるのはツァーリ専制の体制である。そしてそれがそのまま共産党支配下のスターリン専制に、今日のプーチン専制に直結している。

Xi_20230602203501  しかもその射程はロシアに留まらない。序文を書いているカール・ウィットフォーゲルの主著は『東洋的専制主義』で、彼がマルクスのロシア像の向こう側に透視しているのは皇帝専制の中華帝国であった。本書をいま刊行しようとした石井知章、福本勝清という二人の編訳者はいずれも現代中国研究者であり、天安門事件以来の中国共産党支配と習近平の専制政治を見つめてきた人たちである。

 訳者の一人福本は言う。「今日の世界情勢が告げていることは、専制主義は既に過去のものと考えることはできない、という事実である。…専制国家が世界史の動向を左右する、あるいは専制国家の振る舞いが周辺国家を脅かす、という可能性は今後も消えることはない。…今後、いかに強大な専制国家と対峙していくか、その非専制化への歩みをどのように促すのか、保守革新、左右両翼など従来の枠組みに関わりなく、問われている」。

余計な台詞ですが、マルクスのロシア帝国主義批判の本の書評が載っているメディアの名前が何処かの独裁国家の新聞名とそっくりなのも何かの皮肉でしょうか。

 

 

 

 

2023年6月 2日 (金)

JILPT図書館常設展示「千束屋看板と豊原又男」

Chizukaya

2023年6月 1日 (木)

カール・マルクス『一八世紀の秘密外交史 ロシア専制の起源』@『労働新聞』書評

61zlf6wghol277x400 毎月一回寄稿している『労働新聞』の書評ですが、今回はマルクスです。とはいえ、一筋縄ではいきませんよ。

https://www.rodo.co.jp/column/150864/

Marx_20230602202801  一昨年から毎月、書籍を紹介してきたが、今回の著者は多分一番有名な人だろう。そう、正真正銘あの髭もじゃのマルクスである。

Stalin  ただし、全50巻を超える浩瀚なマルクス・エンゲルス全集にも収録されていない稀覯論文である。なぜ収録されていないのか? それは、レーニンやとりわけスターリンの逆鱗に触れる中身だからだ。そう、マルクスを崇拝していると称するロシアや中国といった諸国の正体が、まごうことなき東洋的専制主義であることを、その奉じているはずのマルクス本人が、完膚なきまでに暴露した本であるが故に、官許マルクス主義の下では読むことが許されない御禁制の書として秘められていたわけである。

 本書の元論文がイギリスの新聞に連載されたのはクリミア戦争さなかの1856年。そんな19世紀の本が、いま新たに翻訳されて出版されるのは何故かといえば、いうまでもなく、歴史は繰り返しているからだ。今目の前で進行中のウクライナ戦争を理解するうえで最も役に立つのが、19世紀のマルクスの本だというのは何という皮肉であろうか。

Pyotr  マルクス曰く「タタールのくびきは、1237年から1462年まで2世紀以上続いた。くびきは単にその餌食となった人民の魂そのものを踏み潰しただけではなく、これを辱め、萎れさせるものであった」。「モスクワ国家が育まれ、成長したのは、モンゴル奴隷制の恐るべき卑しき学校においてであった。それは、農奴制の技巧の達人になることによってのみ力を集積した。解放された時でさえ、モスクワ国家は、伝統的な奴隷の役割を主人として実行し続けていた。長い時間の末、ようやくピョートル大帝は、モンゴルの奴隷の政治的技巧に、チンギス・ハンの遺言によって遺贈された世界征服というモンゴルの主人の誇り高き野望を結びつけた」。

Putin  ヨーロッパ国家として歩み始めたキエフ国家が滅び、タタールのくびきの下でアジア的な専制主義を注入されたモスクワ国家が膨張し、ロシア帝国を形成していく過程を描き出すマルクスの筆致は、ほとんどロシア憎悪にすら見える。もちろん彼が憎んでいるのはツァーリ専制の体制である。そしてそれがそのまま共産党支配下のスターリン専制に、今日のプーチン専制に直結している。

Xi_20230602203501  しかもその射程はロシアに留まらない。序文を書いているカール・ウィットフォーゲルの主著は『東洋的専制主義』で、彼がマルクスのロシア像の向こう側に透視しているのは皇帝専制の中華帝国であった。本書をいま刊行しようとした石井知章、福本勝清という二人の編訳者はいずれも現代中国研究者であり、天安門事件以来の中国共産党支配と習近平の専制政治を見つめてきた人たちである。

 訳者の一人福本は言う。「今日の世界情勢が告げていることは、専制主義は既に過去のものと考えることはできない、という事実である。…専制国家が世界史の動向を左右する、あるいは専制国家の振る舞いが周辺国家を脅かす、という可能性は今後も消えることはない。…今後、いかに強大な専制国家と対峙していくか、その非専制化への歩みをどのように促すのか、保守革新、左右両翼など従来の枠組みに関わりなく、問われている」。

余計な台詞ですが、マルクスのロシア帝国主義批判の本の書評が載っているメディアの名前が何処かの独裁国家の新聞名とそっくりなのも何かの皮肉でしょうか。

 

 

 

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