職務給に労働組合は悩んでいた@『月刊労委労協』2023年4月号
『月刊労委労協』2023年4月号に「職務給に労働組合は悩んでいた」を寄稿しました。
去る2023年1月23日、岸田文雄首相は第211回国会の施政方針演説で「従来の年功賃金から、職務に応じてスキルが適正に評価され、賃上げに反映される日本型の職務給へ移行することは、企業の成長のためにも急務です。本年6月までに、日本企業に合った職務給の導入方法を類型化し、モデルをお示しします」と語りました。こうした職務給への志向は、同じ宏池会出身の池田勇人首相がそのちょうど60年前の1963年1月23日に、第43回国会の施政方針演説で「従来の年功序列賃金にとらわれることなく、勤労者の職務、能力に応ずる賃金制度の活用をはかるとともに、技能訓練施設を整備し、労働の流動性を高めることが雇用問題の最大の課題であります」と語っていたことが、ちょうど干支が一巡りして元の場所に戻ってきた感があります。池田首相の下で1960年に策定された『国民所得倍増計画』は、「終身雇用制、年功序列型賃金制度等の諸要素が労働力の流動性をより著しく阻害している」との認識に立ち、「労務管理体制の変化は、賃金、雇用の企業別封鎖性を超えて、同一労働同一賃金原則の浸透、労働移動の円滑化をもたらし、労働組合の組織も産業別あるいは地域別のものとなる」と、より明確に職務給への移行を唱道していました。また1963年の経済審議会の『人的能力政策に関する答申』は、「経営秩序近代化の第一歩は、従来半ば無規定的であった労働給付の内容を職務ごとに確定すること、即ち職務要件の明確化に始まる。・・・職務要件を明確にすることは企業内の賃金制度や昇進制度を公正で秩序あるものとするための基本となる」と、より詳細に職務給のあり方を描き出していました。当時、つまり1960年代前半期の日本では、同一労働同一賃金に基づく職務給というのが政労使の間で流行語になっていたのです。この少し前の1958年に設立された日本労働協会(労働政策研究・研修機構の前身)は、1960年10~11月に箱根強羅で開催した賃金に関する労働組合幹部専門講座で職務給の問題を取り上げ、ナショナルセンターや産別幹部によるその講演・質疑の記録を翌1961年に『労働組合と賃金 その改革の方向』という書物にして刊行しています。さらに同年5月に開催した個社単組幹部による講演・質疑の記録も『職務給と労働組合』として刊行しました。これらを読むと、当時の労働組合リーダーたちが、労働組合運動の旗印である同一労働同一賃金原則と、政府や経営側が主導する職務給攻勢とのはざまで様々に悩んでいたことが浮かび上がってきます。本稿では、これら書物を中心に、いまではその後輩たちからほぼ完全に忘れ去られているであろう干支一巡前の労働組合の職務給に対する見解を振り返ってみたいと思います。1 ナショナルセンターの温度差・新産別・全労
・総評
2 それぞれに悩む産別
・全造船
・合化労連
・電労連
・全繊同盟
3 単組の試み
・昭和電工労組
・いすゞ自動車
・東京電力
4 職務給志向の消滅と局所的復活
5 非正規労働問題から日本型「同一労働同一賃金」へ
6 男女同一賃金の(再)浮上
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