武藤浩子『企業が求める〈主体性〉とは何か』
武藤浩子『企業が求める〈主体性〉とは何か 教育と労働をつなぐ<主体性>言説の分析 』(東信堂)をお送りいただきました。
https://www.toshindo-pub.com/book/91843/
教育界・産業界に飛び交うマジック・ワード――〈主体性〉
近年、〈主体性〉を持った人材が社会で広く求められており、教育界もまた、〈主体性〉を持った人材の育成に取り組んでいる――しかし、その〈主体性〉とは一体何なのか?
本書は、これまで曖昧なままにされてきた〈主体性〉に鋭く切り込み、〈主体性〉が強く求められることで生じるパラドキシカルな今日的課題についても示唆する。〈主体性〉に関わる教育界・産業界の方々、また教育から労働へと移行する学生、必読の書。
ということですが、実は本書には私の本が若干引用されていまして、それがp13の
・・・では、企業では、このような定型、非定型の仕事に対して、誰がどのように評価をしているのだろうか。濱口(2013)は、上司(管理職者)が、部下社員の日々の仕事ぶりを観察することで、社員の能力は評価できるとした。・・・
なんですが、これはいささかミスリーディングな引用のような気がします。拙著では、確かにp125以下で
「社員」の選抜基準
あらためて、日本の会社がどういう基準で「社員」となるべき者を選抜するのかを考えてみましょう。その基準が、一九六九年の『能力主義管理』で掲げられた「職務遂行能力」、すなわち、いかなる職務をも遂行しうる潜在能力にあることはいうまでもありません。問題はそれをどのようにして確認するか、ということです。
会社に入ってからの人事管理であれば、それはまさに日々の作業ぶりを上司が観察することで、とりわけOJTで未経験の仕事をしながらその仕事をいかに早く的確にこなせるようになっていくかを観察することによって、その「社員」の「能力」を評価することができます。そして、それを配置転換を重ねることにより複数の上司の目で繰り返し評価を行い、これを長期間積み重ねていくことにより、ますます的確な評価を下すことができます。長期雇用慣行の下で定期人事異動を繰り返すという人事管理には、そういう意味も込められているのです。
しかし、それらはすべて、「社員」として会社のメンバーに採用してからの話です。ところが、新規学卒者は定義上、そういう長期的に仕事ぶりを見極めて「能力」を確認するということが不可能です。あるいは少なくとも極めて困難です。なぜなら、定義上、会社に入社する四月一日の前の三月三一日まではその者は学生であり、その主な活動は学業にあるはずだからです。・・・
と書いていて、それを素直に書き写しただけなんでしょうけど、この文脈はジョブ型社会のように資格や経験で選抜するのではないメンバーシップ型社会の選抜の特殊性を論じているところであり、日々の仕事ぶりを観察云々も、まさに素人の若者がOJTで仕事を覚えていく状況を前提に書いているところなので、それを一般化して、日本企業では上司による日々の仕事ぶりの観察によってあらゆる社員の能力を常に的確に評価しているんだぞ、キリッ、と、日本型能力主義万能!みたいなことを言っているようにとられると、それこそとりわけ中高年や女性の問題をめぐって、日本的な「能力」概念の特殊さをいっぱい論じている身からすると、すごくずれた引用をされている感があります。
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武藤さんの本の文脈がちょっとよく分からないのですが、日本企業の人事管理に関する建前について解説している部分をそのまま現実として行われているかのように引用してしまっているということでしょうか。それだと、ちょっと待ってください、と言わざるを得ないような。
投稿: 希流 | 2023年5月20日 (土) 16時05分