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2023年5月19日 (金)

日本の賃金が上がらない構造@『政経研究時報』2023年4月号

Seikei 公益財団法人政治経済研究所というところが出している『政経研究時報』2023年4月号に、去る3月13日に行った「日本の賃金が上がらない構造」という講演の概要が載っています。

Ⅰ 日本型雇用システムにおける賃金

⑴ 雇用システム論の基礎の基礎

 日本の賃金について考える前提として、まず日本の雇用システムという構造的な部分に遡って議論を始める。

日本の雇用システムの本質は雇用契約に職務(job)が明記されず、使用者の命令によって定まることである。日本の雇用契約ではその都度遂行すべき特定の職務が書き込まれるのである。つまり、日本における雇用とはジョブ型雇用ではなく、メンバーシップ型雇用である。

 ⑵ ジョブ型とメンバーシップ型の対比

 ジョブ型雇用では、職務を特定して雇用するので、その職務に必要な人員のみを採用し、必要な人員が減少すれば雇用契約を解除する。ジョブ型雇用では職務以外の労働を命じることは契約違反なのである。

これに対してメンバーシップ型雇用では、職務が特定されていないので、ある職務に必要な人員が減少しても他の職務に異動させて雇用契約を維持できる。これが日本の長期雇用慣行に繋がっている。ただし、日本の解雇規制が他国に比べて厳しいというわけではない。正当な理由なく解雇出来るアメリカを除けば、欧州もアジアも正当な理由がない限り解雇は許されない。

 また、ここ数年議論になっている同一労働同一賃金についても、契約で定める職務によって賃金が決まるのが同一労働同一賃金原則の本質であり、裏を返せばジョブが違えば賃金も違うということである。日本(メンバーシップ型)は全く逆であり、契約で職務が特定されていないため、職務に基づいて賃金を決めることは困難である。したがって職務と切り離した「人基準」で賃金を決めざるを得ないため、客観的な基準は勤続年数や年齢となることから、結果としてこれが年功賃金制へと繋がる。

またジョブ型では、団体交渉・労働協約は職種ごとに賃金を決めるため、職業別・産業別労働組合にならざるを得ない。一方、メンバーシップ型では賃金が職務で決まらないので、団体交渉・労働協約は企業別に総人件費の増分の配分を交渉するため、企業別労働組合となる。

 ⑶ ジョブ型社会の労使関係

そもそも労働者は企業の一員ではなく、企業の取引相手である。法律上、雇用は債権(債務)契約である。つまり、労働と報酬の交換契約となっている。しかし取引相手の中でも労働者はとりわけ弱いため、強大な企業と取引する弱小な労働販売業者が「団結」(=談合)をするわけだが、これはまさにカルテルである。現在、これが容認されている。

賃金とは労働という商品の価格、団体交渉とは労働の価格の集合的取引(collective bargaining)であり、労働組合とはそのためのカルテル、労働協約とは種類別の労働の価格一覧表である。

 ⑷ ジョブ型社会の賃金引上げ

ジョブ型社会での採用とは、全て具体的なポストへの「はめ込み」である。したがってジョブ型社会における賃金とは、人に値段が付くことではなく、はめ込まれるポストにあらかじめ付いている価格のことである。したがってポストが変わらない限り、自動的にその価格が上昇することはありえないのである。

それゆえ、ポストに貼り付けられた価格を労働者みんなが交渉して一斉に引き上げる必要が出てくる。これがジョブ型社会の団体交渉であり、数年に一回大規模に労働価格表の書き換えを行うのである。

 ⑸ 日本の労使関係

日本社会では報酬をもらっている労働者は企業の一員(社員)であると考えられているが実定法上は欧米と同じく企業の取引相手に過ぎない。

また日本ではヒラの労働者から管理職、経営者に至るまで、オペレーションとマネージメントの割合が連続的に変化する連続体をなし、前者から後者に昇進していくことが社会的規範となっている。それゆえ、管理職と非管理職の線引きが問題となるが、そもそも雇用契約で職務が限定されていないので、企業の命令で様々な職務に従事し、(特定のジョブの専門家ではなく)特定の企業の専門家になっていく。それゆえ、賃金を職務に紐付けることも困難(高給職から低給職に配転を命じられない)である。したがって年齢・勤続年数をベースに、賃金決定せざるを得ない(年功賃金制)。職務が変わっても賃金は上がらないが、職務が変わらなくても賃金は上がるという構造である。

 ⑹ 日本の賃金引上げ

このようなことを前提としたうえで、日本における賃上げとは一体何か。日本には全く異なる2種類の賃上げがある。定期昇給とベースアップである。

定期昇給とは、毎年個人の賃金が上昇していくことである。しかし、定期昇給では、最も高給の最年長者が定年退職していなくなり、最も低給の新規採用者が入社してくるので(これを「内転」という)、企業にとっての賃金コストは(年齢別人員構成が変わらなければ)増加しない。個人の賃金は上がっているけれども、全員の賃金を足し上げると全然上がっていないという現象のミクロ的基礎はここにある。

それに対して、ベースアップというものがあるが、これも日本独特のものである。これは、企業の売上げの中から「社員」への分け前としてどれぐらい配分するかという概念であって、定期昇給による年齢別賃金表の全体を上方に書き換えるものである。ジョブの値札を一斉に付け替えるジョブ型団体交渉とは似て非なるものである。日本の企業別労働組合は毎年ベースアップを要求して労働争議を繰り返してきた(春闘)。

 ⑺ 日本の賃金闘争

敗戦後、日本中の企業で多くの労働組合が結成された。その主流は一企業一組合原則に基づく工場委員会型の企業別組合であった。

その最大の特徴は、ブルーカラーとホワイトカラー(課長や部長クラスまで組織)双方を組織する工職混合組合である。

高度成長期までの日本は、世界的に見ても労働争議の多い国であった。しかし過激な闘争をやりすぎると肝心の組合員が引いていき、穏健な第二組合が結成されて、あっという間に衆寡逆転。これが戦後日本労働組合運動史のミクロ的基礎である。その後の企業別組合は穏健化し、労働争議は絶滅したが、ジョブ型社会の穏健組合とは違い、企業の生産性向上の労働者への配分を担当する機関として存続することなる。21世紀に入ると、そもそもベースアップ要求をしなくなり、定期昇給の維持を要求する機関になった。

 Ⅱ 日本の賃金が上がらなくなった経緯

⑴ 石油危機後の賃上げ自粛

ここからは過去半世紀にわたる歴史から賃金が上がらなくなった理由を考えたい。

1973年、第4次中東戦争で石油価格が暴騰、これを受けて日本でもインフレが起こり、1974年の春闘では32.9%という空前の賃上げ率が実現した。

1974年の大幅賃上げを受けて、当時の政府部内では所得政策が本格的に検討されつつあり、インフレ抑制に協力する形で宮田義二鉄鋼労連委員長が経済整合性論を打ち出し、他の組合も同調して、1975年春闘では13.1%の引上げにとどまった。このとき経営側(日経連)が、生産性基準原理という賃金抑制のロジックを提起し、その後のベースアップは生産性向上の範囲内とされていく。

 ⑵ 安い日本の原因は高い日本批判

1990年ごろの日本では、「高い日本」こそが大問題であり、それを安くすることが労使共通の課題であった。当時は、物価引下げによる実質所得の向上が国全体の実質購買力の増加させ、商品購買意欲の高まることにより新商品の開発、新産業分野への参入などの積極的な行動が活発化し、経済成長を大いに刺激すると考えられていた。しかし、実際には、過去30年間全く逆の道筋が展開した。名目賃金も実質賃金も下落し、国民の購買力も縮小し、商品購買意欲も収縮し、研究開発や設備投資も後退した。

 ⑶ 生産性向上の誤解

そもそも「生産性」とは何か?これについては圧倒的に多くの人が誤解している。まず、勤勉に働くと生産性が高くなるというのは誤りである。物的生産性であればそうとも言えるが、日本生産性本部が毎年発表しているのは付加価値生産性である。付加価値とは売上高から原材料費等を差し引いた額である。それゆえ高く売れば付加価値生産性が高くなり、安く売れば付加価値生産性は低くなる。これは善悪ではなく定義の問題である。勤勉とは言い難い欧米は賃金が高く、それゆえ物価が高く、それゆえ付加価値生産性が高い。勤勉な日本は賃金が低く、それゆえ物価が低く、それゆえ付加価値生産性が低い。決して日本の労働者の人件費が高いことは生産性が低いことの原因ではない。

賃金が上がると生産性が向上するのに、生産性の範囲内に賃上げを自粛すると、結局賃金も生産性も上がらない、という罠にはまり込んでしまう。

以上のように、構造的な部分とともに、労働組合や経営側の動き、世間の誤解などによって今の日本の賃金が上がらないという状況に至ったのではないだろうか。

私の講演録の次には、松尾匡さんの「コロナショックドクトリンと帝国主義への道」という』文章も載っていますね。

ちなみに、この政治経済研究所というのは、この表紙の左下に書かれているように、東亜研究所を受け継いで戦後末弘厳太郎を所長に設立された団体のようです。知らなかったのですが、労働法とは大変縁の深い団体であったようです。

 

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コメント

松尾匡さんの講演内容はこのようなものだったようですね。

https://www.seikeiken.or.jp/news/view/411

いかにもマルクス主義者らしい講演内容と言いますか。
松尾さん、アベノミクス以上の金融緩和、そして減税をやれ!と言ってたはずですが、正体見たりと言う気がします。
2000年代にリベラル界隈で持て囃された金子勝氏の二番煎じ、だったという事になりましょうか。

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