カール・マルクス『一八世紀の秘密外交史 ロシア専制の起源』@『労働新聞』書評
毎月一回寄稿している『労働新聞』の書評ですが、今回はマルクスです。とはいえ、一筋縄ではいきませんよ。
https://www.rodo.co.jp/column/150864/
一昨年から毎月、書籍を紹介してきたが、今回の著者は多分一番有名な人だろう。そう、正真正銘あの髭もじゃのマルクスである。
ただし、全50巻を超える浩瀚なマルクス・エンゲルス全集にも収録されていない稀覯論文である。なぜ収録されていないのか? それは、レーニンやとりわけスターリンの逆鱗に触れる中身だからだ。そう、マルクスを崇拝していると称するロシアや中国といった諸国の正体が、まごうことなき東洋的専制主義であることを、その奉じているはずのマルクス本人が、完膚なきまでに暴露した本であるが故に、官許マルクス主義の下では読むことが許されない御禁制の書として秘められていたわけである。
本書の元論文がイギリスの新聞に連載されたのはクリミア戦争さなかの1856年。そんな19世紀の本が、いま新たに翻訳されて出版されるのは何故かといえば、いうまでもなく、歴史は繰り返しているからだ。今目の前で進行中のウクライナ戦争を理解するうえで最も役に立つのが、19世紀のマルクスの本だというのは何という皮肉であろうか。
マルクス曰く「タタールのくびきは、1237年から1462年まで2世紀以上続いた。くびきは単にその餌食となった人民の魂そのものを踏み潰しただけではなく、これを辱め、萎れさせるものであった」。「モスクワ国家が育まれ、成長したのは、モンゴル奴隷制の恐るべき卑しき学校においてであった。それは、農奴制の技巧の達人になることによってのみ力を集積した。解放された時でさえ、モスクワ国家は、伝統的な奴隷の役割を主人として実行し続けていた。長い時間の末、ようやくピョートル大帝は、モンゴルの奴隷の政治的技巧に、チンギス・ハンの遺言によって遺贈された世界征服というモンゴルの主人の誇り高き野望を結びつけた」。
ヨーロッパ国家として歩み始めたキエフ国家が滅び、タタールのくびきの下でアジア的な専制主義を注入されたモスクワ国家が膨張し、ロシア帝国を形成していく過程を描き出すマルクスの筆致は、ほとんどロシア憎悪にすら見える。もちろん彼が憎んでいるのはツァーリ専制の体制である。そしてそれがそのまま共産党支配下のスターリン専制に、今日のプーチン専制に直結している。
しかもその射程はロシアに留まらない。序文を書いているカール・ウィットフォーゲルの主著は『東洋的専制主義』で、彼がマルクスのロシア像の向こう側に透視しているのは皇帝専制の中華帝国であった。本書をいま刊行しようとした石井知章、福本勝清という二人の編訳者はいずれも現代中国研究者であり、天安門事件以来の中国共産党支配と習近平の専制政治を見つめてきた人たちである。
訳者の一人福本は言う。「今日の世界情勢が告げていることは、専制主義は既に過去のものと考えることはできない、という事実である。…専制国家が世界史の動向を左右する、あるいは専制国家の振る舞いが周辺国家を脅かす、という可能性は今後も消えることはない。…今後、いかに強大な専制国家と対峙していくか、その非専制化への歩みをどのように促すのか、保守革新、左右両翼など従来の枠組みに関わりなく、問われている」。
余計な台詞ですが、マルクスのロシア帝国主義批判の本の書評が載っているメディアの名前が何処かの独裁国家の新聞名とそっくりなのも何かの皮肉でしょうか。
« 裁判所における解雇の金銭解決の実態令和編@JILPTリサーチアイ | トップページ | JILPT図書館常設展示「千束屋看板と豊原又男」 »
コメント
« 裁判所における解雇の金銭解決の実態令和編@JILPTリサーチアイ | トップページ | JILPT図書館常設展示「千束屋看板と豊原又男」 »
関連して、現代中国に関して、学術書なのにめちゃくちゃ面白い本を見つけましたので、ここで紹介させてください。
その一冊は、中兼 和津次 東大名誉教授(現代中国経済研究)の「毛沢東論―真理は天から降ってくる(名古屋大学出版会)」です。
毛沢東が自分のことを「マルクス+始皇帝」と称していた、という髭の大先生(マルクス)が聞いたら、「俺と始皇帝にいったいどんな共通点があるんだ?」と腰を抜かすような事実の紹介から始まるのだから、これが面白くないわけがない。
毛沢東の行動原理は「無法無天」であって、実際に、スターリン批判後の「百花斉放百家争鳴(1956~7年)」でいったん、言論の自由を大幅に認めておきながら、批判が大きくなると、一転して「反右派闘争(1957年)」による知識人狩りを始め、「これは陰謀ではないか」という抗議に対して「いや、陽謀だ」と答えたとか、党内の会議で反対が多くなると、「もう一度、井崗山に行って革命をやり直す」と言い出して我意をおし通すとか、焚書坑儒の始皇帝もビックリのエピソードが満載なんですよ。
もちろん、ロシアにも「マルクス+イヴァン雷帝」という先輩(スターリン)もいたことからすれば、決して意外なことではないのでしょうが、習近平が「毛沢東№2」を目指して奮闘中(?)の今現在、毛沢東とはどんな国家指導者だったのかを改めて確認しておくのに最適な本だと思います。装幀もよくできていますので、ぜひ一度お読みになってください。
(参考として、読売新聞電子版 2021/06/27 の国分良成 前防大校長の書評もあげておきます https://www.yomiuri.co.jp/culture/book/review/20210626-OYT8T50159/)。
投稿: SATO | 2023年6月 1日 (木) 16時24分