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« 世界から学ぶジェンダー平等:日本が前進するために大切なこと~世界と比べる『働く×ジェンダー平等』座談会 【後編】~ | トップページ | 『Japan Labor Issues』Vol.7, No.43, May 2023 »

2023年4月26日 (水)

脱成長論の家族介護型社会という帰結

07062472d0f3481da67f8739e85244a9 たまたま中島隆博編『人の資本主義』(東大出版会)という本を見つけてぱらぱらと読んでいたのですが、

https://www.utp.or.jp/book/b497147.html

その中に、ある意味で大変アイロニカルで興味深いやり取りをみつけました。それは、

10章 ポスト資本主義コミュニティ経済はいかにして可能か?――脱成長論の背景・現状・課題(中野佳裕)
討議 地域主義の限界と可能性

という部分の討議の中で、中野佳裕さんが南ヨーロッパの脱成長運動をあれこれ紹介したのに対して、小野塚知二さんがこんな風に疑問を呈しているところです。

小野塚 難しいですね。ただ、中野さんのおっしゃっている特に南フランスとイタリア、スペインというのは、介護に関していうと、家族介護型の社会なのです。つまり、在宅介護型ですね。北欧はすべて施設介護でしょう。北フランスも、ドイツも、スウェーデンも、施設介護なのです。施設介護は国家が管理して、介護労働者を用意して、介護労働者にきちんとした賃金を払いますから、それなりに経済成長ができるわけです。ところが南フランスやイタリア、スペインは、家族介護ですから、結局どうなるかというと、家で介護を見きれなくなると、外国人労働者や移民をどんどん受け入れて、移民に在宅介護をやらせているわけです。

 実を言うと、外側から人口を持ってこないと、南フランスやイタリアやスペインは、社会が成り立っていないのです。これは、介護という点のみを見ればということですけれども。まさにそれと同じ道を、日本や韓国は歩んでいて、移民労働者を入れて介護をしようといっています。台湾もそうですね。

脱成長論は日本でも妙に人気がありますが、その家族介護型社会という帰結まで含めて持て囃しているのかどうかはいささか疑問もありますね。

・・・ついでに言うと、施設介護型の社会では野良猫がいなくなるのです。逆に、在宅介護型の社会では野良猫が発生する。なぜかというと、独居高齢者がいて、猫に餌をやるから、野良猫が増えるのです。岩合光昭さんの「世界猫歩き」には、イタリアやスペイン、台湾や日本は出てくるのですが、ドイツやスウェーデンは出てこないのです。それは介護の在り方が違うからです。野良猫が発生していることの裏返しにあるのは、外側から人口を連れてこないと介護が成り立たないという状況です。

脱成長論がもたらす介護の在り方が猫の在り方を左右するという、まことに目の醒めるようなネコノミクスでありました。

(追記)

ちなみに、小野塚さんは「野良猫の有無と消滅過程に注目した人間・社会の総合的研究方法の開拓」という科研費研究の代表者でもありますね。

https://cir.nii.ac.jp/crid/1040292706157310592

野良猫の有無とその消滅過程に注目して、人間・社会の諸特質(家族形態、高齢化態様と介護形態、高齢者の孤独、猫餌の相対価格、帝国主義・植民地主義の経験とその変容、動物愛護思想、住環境、衛生意識、動物観など、従来はそれぞれ個別に認識されてきたことがら)を総合的に理解する。猫という農耕定着以降に家畜化した動物(犬と比べるなら家畜化の程度が低く、他の家畜よりも相対的に人間による介入・改変が及んでいない動物)と人との関係を、「自由猫」という概念を用いて、総合的に認識し直すことによって、新たに見えてくるであろう人間・社会の秘密を解明し、家畜人文・社会科学という新しい研究方法・領域の可能性を開拓する。

ネコノミクスというよりは、ネコノミック・スタディーズというべき壮大な学問領域を構想しているようです。

 

 

 

 

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コメント

> 施設介護は国家が管理して、介護労働者を用意して、介護労働者にきちんとした賃金を払いますから、それなりに経済成長ができる

育児休業を取るのが男親でも普通になるのは別に悪くはないとは言え、それは少子化対策のメインとしては有効には働かないと思いますね。施設育児の充実を計る。そのためには、「小学校教員」を増やすのではなく、「例えば、学童保育の人員」を増やすなどが必要だと思います。教育学部にいる大学教員連中は抵抗しそうですけど。

 経済成長率は人口増加率+一人当たりの経済成長率で決まります。
 施設介護は施設と言う資本の増加と介護職の専門職化による賃金の上昇につながるので一人当たりの経済成長率が増加して経済成長につながるという事になりますね。
 だから北欧では施設介護の財源として付加価値税を15~20%ぐらいで課税してもそれを施設の充実と介護職の賃金増にまわしているから高い経済成長率を実現できる、と言う事になります。

 この関係が日本では理解されていないですね。
 保守の「家族介護は日本的美徳の発露であり、素晴らしい!」はまあ良い(良くないけど)として日本の「リベラル」も分かってない。
 最近は日本の「リベラル」も以前の介護が措置でやっていた頃を懐かしがっている有様らしい。
 介護保険料が高いとか言ってるらしいです。

 本来であれば「リベラル」は次のように言うべきです。
 介護保険の本人負担率を下げる、介護職の給与を引き上げて介護職の人手不足の解消を図る、などの介護保険の給付の充実を目指す。
 その代わりに若者にも保険料負担を求める、もう少し保険料を上げる、などの給付増に見合うだけの財源の確保を図る。
 そうすれば負担は増えるかもしれないが、介護退職とかもしなくて良くなる、家族介護によるハラスメントも減る、そしてお金が社会にまわるようになって生活が便利になり、それが経済成長につながる…、と「リベラル」は国民を説得すべきです。

 今の国民は給付と負担の関係がはっきり分かるのであれば必要な負担は受け入れる、くらいに意識は向上していることが社会調査の結果で出ているはずです。

>施設介護は国家が管理して、介護労働者を用意して、介護労働者にきちんとした賃金を払いますから、それなりに経済成長ができるわけです。

北フランスやドイツやスウェーデンでは施設介護として国家が用意する介護労働者は外国人労働者や移民ではなく自国民なのでしょうか?


>まさにそれと同じ道を、日本や韓国は歩んでいて、移民労働者を入れて介護をしようといっています。台湾もそうですね。

韓国や台湾の状況は全く分かりませんが、少なくとも日本では家族介護ではなく施設介護が中心だと思います。ただし自国民で介護労働を希望する人が少ないので移民労働者を入れて介護をしようとしているのだと思います


>施設介護型の社会では野良猫がいなくなるのです。逆に、在宅介護型の社会では野良猫が発生する。
なぜかというと、独居高齢者がいて、猫に餌をやるから、野良猫が増えるのです。

つまり
  施設介護型の社会では独居高齢者が存在しないが、在宅介護型(家族介護型)の社会では独居高齢者が存在する
という事でしょうか?
施設介護型の社会でも、施設を希望せず独居(おひとりさま)を希望する高齢者は存在すると思いますが、施設介護型の社会ではそのような希望は認められず施設に収容されてしまうのでしょうか?


>イタリアやスペイン、台湾や日本は出てくるのですが、ドイツやスウェーデンは出てこないのです。

イタリアやスペイン、台湾や日本は冬でも温暖なので、独居高齢者がやる餌で野良猫は冬を越せるが、ドイツやスウェーデンでは独居高齢者がやる程度の餌では野良猫は冬を越せない という事はないでしょうか?


>脱成長論は日本でも妙に人気がありますが、その家族介護型社会という帰結まで含めて持て囃しているのかどうかはいささか疑問もありますね。

この本を読んでいないので申し訳ありませんが、脱成長論 というのはSDGsなどに基づく持続的な成長も否定しているのでしょうか?私のイメージでは、脱成長論が反対しているのは外国人労働者や移民をどんどん受け入れるグローバリズムに基づく成長だと思います。ここで挙げられているドイツやスウェーデンはSDGsを支持しているので脱成長論と対比するのはあまり適切でないように思います。
脱成長論ではありませんが、以前 All for All を提唱した方が All for All の例として日本の北陸地方の社会を賞賛された事があったと思います。これに対して、北陸地方の社会は家族介護等女性に負担を負わせる社会であり目標とすべきでない という反論があった
と思います。

脱成長論を唱える方について、一つ根本的な疑問が。

実質経済成長率150%というと、食料の消費量が1.5倍になって、鉄鋼の消費量も1.5倍になって…(以下、同様)、とか、まさか思ってないですよね?

balthazar氏の介護は日本の「リベラル」も以前の措置でやっていた頃を懐かしがっている有様らしい。⬅️聞いた事ねーよ。一貫して介護の家族化は自民党などウヨ

 今話題のChatGPTで「脱成長」を検索したところ下記の回答が出ました。

「脱成長」とは、経済成長を盲目的に信仰する現代消費社会の価値規範そのものを問い直し、資本主義の世界の中で疎外されてきた、経済以外のものに価値を置いた生活を再評価・模索することを指す考え方です
1
。21世紀の初頭から南ヨーロッパを中心に広がった新たな思想運動でもあり、フランスの思想家、セルジュ・ラトゥーシュらによって消費社会のグローバル化による生活の質の悪化を是正するための、様々な理論や実践が提唱されました


 なるほど。
 実はラトゥーシュは読んだ事があります。
 しかし正直何が言いたいのかよく分からなかったのです。
 経済成長に様々な弊害が生じているのはその通りなのですが、その代替案がどうも胸に響くものではないのですね。
 実のところ脱成長、脱成長論は1970代にシューマッハー「スモール・イズ・ビューティフル」あるいは仏教経済学など、すでに似た考えは出てきています。
 しかし、「スモール・イズ・ビューティフル」は今読みなおしてみるとこれはもうダメじゃないの?と言う様な代物でした。
 手を変え、品を変えて出てきますが、結局上手く行ってないのではないか、としか言いようがないのですね、「脱成長」あるいは「脱成長論」は。
 

そもそも論ですが、スウェーデンは訪問介護(在宅介護)の国という位置付けでは?

https://www.kaigo-kyuujin.com/oyakudachi/skill/43034
> 木村 スウェーデンでは在宅介護が中心ですよね。在宅で最期まで暮らすために、訪問介護などもとても充実しています。日本の特養のような位置づけである、24時間介護の「特別な住居」もありますが、そこにたくさん人が住むと、財政を圧迫してしまいます。そのこともあって、「特別な住居」に至る前の住居形態を強化することで、費用を抑制しつつ、在宅での必要なケアを提供する仕組みが充実しているんですね。エーデル改革という、福祉・医療に関する1992年の改革以来この方針は続いています。

https://i-k-f.biz/media/?p=2065
> 一方、スウェーデンでは「順序モデル」を採用しています。スウェーデンでは、在宅介護を基本としており、できる限り在宅での介護で対応を行います。要介護扱いになった際には、コミューンにいる援助判定員が、施設に入るべきか否かを判断します。基本的には、終末期の数週間しか施設に入ることはできないことになっているのです。

SATO殿

仰るように消費量の増加以上に経済が成長する事は可能だと思います。しかし消費量を増加させずに経済が成長させる事は可能でしょうか?また最近ではCO2のように消費量(排出量)をそれまでよりも大幅に減らさなければならない物もあります。
この様な状況で経済を大きく成長させる事は、なかなか難しいと私は思います。

balthazar殿

>手を変え、品を変えて出てきますが、結局上手く行ってないのではないか、としか言いようがないのですね、「脱成長」あるいは「脱成長論」は。

仰るように半世紀前の「成長の限界」以来多くの「脱成長論」が発表されていますが、依然として経済は成長しています。その意味で「脱成長論」はオオカミ少年のように感じる人もいると思います。しかし私は、そろそろ本当にオオカミが来るのではないかと思います。balthazar殿は、SDGsや温暖化防止のためのCO2排出量削減も新手のオオカミ少年だとお考えでしょうか?
例えばCO2排出量の多くは石炭の利用によるものですが、その石炭の多くは大昔の石炭紀という時代(3億6000万年前~3億年前)に植物が大気中のC02を光合成によって変化させたものです。そして産業革命以降に人類は石炭を燃やしてCO2を大気に戻していますが、現在判明している石炭の埋蔵量で今後200年近く利用できるそうです。つまり人類は6000万年かかった変化を数百年で元に戻そうとしている事になります。このような急激な変化は地球に大きな影響を与えると思うので、現状レベルのCO2排出による成長はこれ以上長くは続けられないと思います。

また一般に豊かになると満足度は上がりますが上がり方はだんだん少なくなっていくそうです。例えば収入がある限度(1000万円/年?)を超えると収入が増えても幸福度はほとんど変わらないそうです。
これまでの成長により高度成長以前はもちろん「成長の限界」発表時と比べても日本はずっと豊かになっていると思います。もちろん現在でも経済的な問題は山積しているので成長を全く止めるべきだとは思いませんが、パイがこれだけ大きくなったのだから今後はパイをさらに大きくする事だけでなく現在のパイをうまく分配する事も重視すべきだと思います。

小野塚知二教授は、
「1、イギリスとドイツでは猫は消滅した」として、その原因は、
「2、介護の形態において、ドイツなどの施設型介護の国は老人が施設に入所するので野良猫に餌やりができず野良猫が減りいなくなる」。
「3、日本などの介護形態が在宅型の国は老人が居宅にとどまるため、野良猫に餌をやりそのために野良猫が増える」。
としています。

前提条件が完全に誤っています。
まずイギリスですが、野良猫が異常に多い国とされており、野良猫ノネコと合わせて1050万匹いると推計されています。
ドイツもかなり多く、300万匹の野良猫がいるとされています。
日本では国土全体の野良猫数の推計はありませんが、2008年に日本ペットフード工業会が出した推計では280万という推計があります(この資料は削除されています)。
また「ドイツは施設介護型で野良猫が消滅、日本は在宅介護型で野良猫が多い」と小野塚教授は主張していますが、ドイツの方がはるかに施設介護利用者比率が高いです。

このブログは私のブログコメントで取り上げました。
http://eggmeg.blog.fc2.com/blog-entry-2044.html#comment18319
又小野塚教授のデマについては、これから反証を挙げてす。
http://eggmeg.blog.fc2.com/


すいません、先にコメントした「さんかくたまご」です。
先のコメントの記述、「ドイツの方がはるかに施設介護利用者比率が高いです」は誤りです。
正しくは、以下の通り。

・ドイツは施設介護型で老人が介護施設に入り老人が野良猫の餌やりができず、そのために野良猫が増えずほぼない、消滅した。
・日本は在宅介護型で老人が居宅にとどまり、野良猫に餌やりするので野良猫が増え多い。
ですが、念のために調べたら、ドイツより日本の方がはるかに介護サービスの利用者比率は施設介護の比率が高かったです。

3、ドイツは介護サービスを受けた人の総数に占める施設介護サービスを受けた人の延べ人数の割合は24.9%
4、日本の介護サービスを受けた人の総数に占める施設介護サービスを受けた人の延べ人数の割合は47.8%

しかも両国とも「施設介護サービス」に分類されるものの、いわゆる「ショートステイ」もそれに含まれ、ドイツはさらに施設介護サービスを受ける人の割合が下がります。

https://www.kenporen.com/include/outline/pdf/kaigai_r01_03.pdf
129ページ(ドイツ)
23ページ(日本)

申し訳ありませんでした。

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