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2023年4月20日 (木)

岸健二編『業界と職種がわかる本 ’25年版』

11493_1681884897 もはや毎年の風物詩となった岸健二さんの『業界と職種がわかる本』の25年版をいただきました。

https://www.seibidoshuppan.co.jp/product/9784415236711/

これから就職活動をする学生のために、複雑な業界や職種を11業種・8職種にまとめて、業界の現状、仕事内容など詳しい情報を掲載し、具体的にどのような就職活動が効果的か紹介。
実際の就職活動に役立つ就職活動シミュレーションや、最新の採用動向をデータとともに掲載。
自分に合った業界・職種を見つけ、就職活動に臨む準備ができる。

例によって、岸さんの労働あ・ら・かるとの記事を紹介しますが、ちょっと前になりますが、昨年11月に岸さんがJILPTの図書館にいらして、千束屋の看板を御覧になった時のエッセイです。

https://www.chosakai.co.jp/information/alacarte/28612/(千束屋(ちづかや)の看板を見学してきました)

愛読ブログの「hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)」で、労働政策研究・研修機構(JILPT)の労働図書館閲覧室にて『職業紹介と職業訓練 ─ 千束屋看板と豊原又男 ─』が開かれていると知り、早速見学に伺いました。
 労働政策研究・研修機構の労働図書館には、以前は年に1~2度調べものをしに伺っていたのですが、新宿から30分程なのにコロナ禍になって足が遠のいていましたから、3年ぶりくらいです。恥ずかしながら労働図書館の隅に木の看板らしきものがあったような記憶があるものの、それが江戸時代から大正時代まで続いた職業紹介業の看板だとは知らずにいたので、職業紹介事業に関わるようになって三分の一世紀を過ぎた筆者としては、見学しない手はあり得ないと、早速時間を作ったという次第です。
 ということで、今回は受け売り話となりますがご容赦ください。

 約35年前、筆者が職業紹介事業に関心を持ち、当時からあった「職業紹介責任者講習」を受講した時に記憶に残っているのが、江戸時代の職業紹介事業は「けいあん」「口入れ屋」と呼ばれていて、17世紀半ばの頃、江戸の医者大和慶庵が奉公人の斡旋を行ったことから、職業あっせん業の俗称として「けいあん」という用語が使われたという話でした。
 今でも、テレビで時代劇ドラマを見ていると、「口入屋」という看板を掲げた店に、十手を持った当時の捜査官が聞き込みに訪れる場面があって、「この頃は職業安定法も個人情報保護法もなかった時代だしな」と思ったり、飛行機の中で視た10年近く前の映画「超高速!参勤交代」で、「日雇い中間」を活用する場面を見て「これは江戸時代の日雇い派遣じゃないか!」と気づいたりします。モノの本によりますと、江戸時代の口入れ屋は紹介人材の身元保証をした例や、奉公前に衣服を整えてやったり作法を教えたりする例もあったようで、求人需要と求職人材を結び付ける「あっせん(=口入れ)」だけでなく、付加価値を加えて収入増を図った工夫が垣間見えます。
 また大和慶庵は、よほど世話好きだったらしく、縁談の仲介や揉め事の解決の仲介も手掛けたという記述もあり、「けいあん」は人材紹介に限らず、広く周旋者、仲立業、仲介人を指すこともある(あった)ようです。

 労働図書館に入ると、こじんまりした展示ながら、でんと大きく「千束屋」と書かれた看板が置かれていて、裏には平仮名で 「ちづかや」と書かれているのを見ることができました。
 一方、民間職業紹介業界に身を置いて長いのに、恥ずかしながら職業紹介事業の先駆者で東京府職業紹介所長だった豊原又男という方についての知識を全く持ち合わせていなかったので、展示物から得られたものはたくさんありました。
 中でも今回筆者が目を引かれたのは、資料にあった千束屋の宣伝施策です。スマホどころか電話もない江戸時代の宣伝として、社名入りの傘を制作し(資料には記述はありませんがきっと蛇の目傘だったのでしょう)、雨降りの時に芝居茶屋のアルバイトが、観客の家に傘や下駄を取りに行って届ける際にはこの「ちづかや」名入り傘を使用させたりする工夫が功を奏したと書かれていました。
 また水野忠邦の天保の改革の時、「ちづかや」の主要顧客業界であった芝居業界が衰退したわけですが、その時には事業の基礎もできて多方面からの求人求職を多く扱うようになっていたので、地方から江戸にきて仕事を探す奉公人志望人材は、なにしろ芳町の「ちづかや」に行けば飯も喰えると押しかけたそうで、リーマンショックの時、また今般のコロナ禍にあっての職業紹介事業の様子と二重映しになる記述です。

 またWeb検索をしてみますと、「ちづかや」は、落語にも登場しているようです。「百川(ももかわ)」という噺には「日本橋浮世小路にあった名代の料亭百川に、葭町(よしちょう)の桂庵、千束屋から、百兵衛という抱え人が送られてきた。」というくだりがありますし、「化け物使い」という噺には「人使いが荒く使用人が居つかない一人暮らしの隠居のところに、日本橋葭町の桂庵の千束屋の紹介で、杢助さんという無骨な男がやってきた。」というくだりがあります。
 江戸時代から続いた「ちづかや」は、明治、大正の時代になって世の変遷の中、関東大震災前に廃業し、享保の時代からの歴史に幕を閉じたそうですが、その社会的機能は故豊原又男翁による職業紹介所に受け継がれていったのでしょうか。

 筆者のかかわる現在の人材紹介業界が、「仕事を探したいときには何とかしてくれる信頼できる機能」と「必要な時に希望条件に合った人材を速やかに紹介してくれる機能」を、ハローワークと民間職業紹介事業者の連携で、あるいはもっと広く人材ビジネスの広がりの中で、「安心できる情報が得られるチャンネル」となるために、まだまだやるべきことはたくさんあると思いながら、上石神井の坂道を降りて帰路につきました。
『職業紹介と職業訓練 ─ 千束屋看板と豊原又男 ─』は、来年2023年1月20日(金曜)まで、平日9時30分~17時に労働政策研究・研修機構労働図書館で閲覧できます。

Jilptchukai_20230420130101 この千束屋については、先月アップした『労働政策レポートNo.14 労働労働市場仲介ビジネスの法政策―職業紹介法・職業安定法の一世紀―』の冒頭のところでもかなりの紙数を割いて紹介しております。

https://www.jil.go.jp/institute/rodo/2023/014.html

 

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