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2023年4月30日 (日)

公務と民間@『DIO』4月号

Dio3851 連合総研の機関誌『DIO』4月号をお送りいただきました。

https://www.rengo-soken.or.jp/dio/dio385.pdf

「公務」と「民間」、制度の相互作用~賃金、定年、非正規課題~

解題
「公務」と「民間」、制度の相互作用 ~賃金、定年、非正規課題~ 多田 健太郎…………… 4
寄稿
公務員法制と民間労働法制の距離 下井 康史…………… 6
公務員賃金が民間賃金・地域経済に与える影響 島澤 諭 ……………10
公務員65歳定年引上げへの課題―民間企業との比較において 八代 充史 ……………16
日本における同一労働同一賃金の現状―連合アンケート調査を手掛かりに 前浦 穂高 ……………20 

現行法制(というか、そうだと思い込まれ、裁判所もそう疑っていないもの)に従いつつ、現状の問題点をそれぞれに指摘する論文が並んでいます。

それはそれでいいのですが、私としてはその前提に疑問を呈してきているので、この機会に、むしろ過去に書いたそういうものいくつか紹介しておきたいと思います。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-0d8b.html(地方公務員と労働法)

総務省自治行政局公務員課が編集している『地方公務員月報』の10月号に、「地方公務員と労働法」という文章を寄稿しました。

その冒頭のところをここに引用しておきます。

>本誌からの原稿依頼の標題は「地方公務員法制へ影響を与えた民間労働法制の展開」であった。この標題には、地方公務員法制と民間労働法制は別ものであるという考え方が明確に顕れている。行政法の一環としての地方公務員法制と民間労働者に適用される労働法とがまったく独立に存在した上で、後者が前者になにがしかの影響を与えてきた、という考え方である。しかしながら、労働法はそのような公法私法二元論に立っていない。労働法は民間労働者のためだけの法律ではない。民間労働法制などというものは存在しない。地方公務員は労働法の外側にいるわけではない。法律の明文でわざわざ適用除外しない限り、普通の労働法がそのまま適用されるのがデフォルトルールである

1 労働基準法の大原則

 ところが、地方行政に関わる人々自身が、地方公務員ははじめから労働法の外側にいるかのような誤った認識の中にあるのではないかと思われる事案があった。・・・・・・

この雑誌は、全国の地方自治体の人事担当部局で必読雑誌として熱心に読まれているはずですので、こういう認識がきちんと定着することを願ってあえて厳しめの表現をしておりますが、その意のあるところをお酌み取りいただければと思います。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-bd32.html(非正規公務員問題の原点@『地方公務員月報』12月号)

総務省自治行政局公務員課編の雑誌『地方公務員月報』12月号に、「非正規公務員問題の原点」を寄稿しました。

現在の公務関係の中にどっぷりつかっていればいるほど見えなくなるものを指摘したつもりです。

近年、「非正規公務員」問題に対する関心が再び高まってきている。二〇〇七年一一月二八日の中野区非常勤保育士再任用拒否事件をはじめとして、非常勤という名のもとに事実上長期間就労していた職員の雇止めに対して、民間の有期雇用労働者と同様の解雇権濫用法理の類推適用はできないとしつつも、それに代わる損害賠償を命ずる判決が続出している。本稿では、そういった近年の動向自体は取り扱わない。上林陽治『非正規公務員』(日本評論社)はじめ、非正規公務員の現状と裁判例、政策の動きを詳細に分析した本は少なくない。ここで考えてみたいのは、なぜ非正規公務員などという現象が発生するのかという根本問題を、公務員制度の基本に立ち返って、歴史的に振り返ってみることである。
 
1 「公務員」概念のねじれ
 
 公務部門で働く者はすべて公務員であるというのは、戦後アメリカの占領下で導入された考え方である。戦前は、公法上の勤務関係にある官吏と、私法上の雇傭契約関係にある雇員(事務)・傭人(肉体労務)に、身分そのものが分かれていた。これは、現在でもドイツが採用しているやり方である。そもそも、このように国の法制度を公法と私法に二大別し、就労関係も公法上のものと私法上のものにきれいに分けてしまうという発想自体が、明治時代にドイツの行政法に倣って導入されたものである。近年の行政法の教科書を見ればわかるように、このような公法私法二元論自体が、過去数十年にわたって批判の対象になってきた。しかし、こと就労関係については、古典的な二元論的発想がなお牢固として根強い。
 ところが、アメリカ由来の「公務部門で働く者は全員公務員」という発想は、公法と私法を区別しないアングロサクソン型の法システムを前提として産み出され、移植されたものである。公務員であれ民間企業労働者であれ、雇用契約であること自体には何ら変わりはないことを前提に、つまり身分の違いはないことを前提に、公務部門であることから一定の制約を課するというのが、その公務員法制なのである。終戦直後に、日本が占領下で新たに形成した法制度は、間違いなくそのようなアメリカ型の法制であった。それは戦前のドイツ型公法私法二元論に立脚した身分制システムとは断絶したはずであった。
 ところが、戦後制定された実定法が明確に公務員も労働契約で働く者であることを鮮明にしたにもかかわらず、行政法の伝統的な教科書の中に、そしてそれを学生時代に学んだ多くの官僚たちの頭の中に生き続けた公法私法二元論は、アメリカ型公務員概念をドイツ型官吏概念に引きつけて理解させていった。その結果、公務部門で働く者はすべて(ドイツ的、あるいは戦前日本的)官吏であるという世界中どこにもあり得ないような奇妙な事態が生み出されてしまった。結論を先取りしていえば、その矛盾を背負って生み出され、増大していったのが、非正規公務員ということになる。
 ドイツ型(戦前日本型)システムであれば、官吏ではない雇員・傭人の雇用は私法上の雇用契約法制が守ることになる。一方、アングロサクソン型のシステムであれば、(集団的労使関係の特例は別として)公務部門にも当然雇用契約法制が適用される。ところが、戦後日本の非正規公務員とは、公務員だからといって私法上の雇用保護は否定されながら、官吏型の身分保障からも遮断された谷間の存在になってしまった。いわば、非正規公務員とは、ドイツ型公法私法二元論とアメリカ型一元論とがねじれながら奇妙に癒着したシステムが生み出した私生児なのである。
 
2 公務員は現在でも労働契約である
 
 上で述べた「戦後制定された実定法」は、現在でもちゃんと六法全書の上に載っている。本誌二〇一〇年一〇月号に掲載した「地方公務員と労働法」で述べたように、一九四七年に制定された労働基準法は、その第一一二条で「この法律及びこの法律に基づいて発する命令は、国、都道府県、市町村その他これに準ずべきものについても適用あるものとする」と規定している。これは、民間労働者のための労働基準法を公務員にも適用するためにわざわざ設けた規定ではない。制定担当者は「本法は当然、国、都道府県その他の公共団体に適用がある訳であるが、反対解釈をされる惧れがあるので念のために本条の規定が設けられた。」と述べている。労働基準法制定時の国会答弁資料では「官吏関係は、労働関係と全面的に異なった身分関係であるとする意見もあるが、この法律の如く働く者としての基本的権利は、官吏たると非官吏たるとに関係なく適用せらるべきものであつて、官吏関係に特有な権力服従関係は、この法律で与へられた基本的権利に付加さるべきものと考へる」と述べていた。戦前のドイツ的官吏身分の思想を、明文で否定した法律である。
 集団的労使関係をめぐる後述の経緯で非現業国家公務員は労働基準法が全面適用除外となったが、非現業地方公務員には現在でも原則として労働基準法が適用されることは周知の通りである(いや、実は必ずしも周知されていないようだが)。適用される労働基準法の規定の中には、「第二章 労働契約」も含まれる。第一四条(契約期間の上限)、第二〇条(解雇の予告)も適用されるし、解雇予告の例外たる「日々雇い入れられる者」等もまったくそのまま適用される。労働基準法は、非現業地方公務員が労働契約で就労し、解雇されることを当然の前提として規定しているのである。
 労働基準法のうち適用されない規定は、第二条の労働条件の労使対等決定原則など、集団的労使関係の特性から排除されているものであって、就労関係自体の法的性格論(公法私法二元論)から来るものではない。この点は、全面適用除外となっている国家公務員法でもまったく同じである。周知のごとく、二・一ストをはじめとする過激な官公労働運動に業を煮やしたマッカーサー司令官が、いわゆるマッカーサー書簡において、「雇傭若しくは任命により日本の政府機関若しくはその従属団体に地位を有する者は、何人といえども争議行為若しくは政府運営の能率を阻害する遅延戦術その他の紛争戦術に訴えてはならない。何人といえどもかかる地位を有しながら日本の公衆に対しかかる行動に訴えて、公共の信託を裏切る者は、雇傭せられているが為に有する全ての権利と特権を放棄する者である」と宣言した。これを受けて行われた国家公務員法改正で、(団体交渉権や争議権を否定するのみならず)勢い余って(一部に労使対等決定原則を定める)労働基準法まで全面適用除外にしてしまったのだが、それは少なくともアメリカ側当事者の意識としては、官吏は労働契約ではないからなどという(彼らには想像もつかない)発想ゆえでは全くなかったことは、そのマッカーサー書簡の中に「雇傭せられているが為に有する全ての権利」云々という表現が出てくることからも明らかであろう。
 なお、戦後六〇年以上経つうちに労働行政担当者までが(大先輩の意図に反して)公法私法二元論に疑いを持たなくなったようで、二〇〇七年制定の労働契約法は国家公務員及び地方公務員に適用されていない。通達では「国家公務員及び地方公務員は、任命権者との間に労働契約がないことから、法が適用されないことを確認的に規定したものである」などと述べているが、自らが所管する労働基準法の明文の規定に反する脳内法理によってそれと矛盾する実定法を作ってしまうほどにその病は重いように見える。ちなみに、労働基準法が適用除外されている家事使用人についてすら、労働契約であることに変わりはないからとして、労働契約法は適用されているのである。
 
3 国家公務員法の原点の発想
 
 マッカーサー書簡を実際に執筆し、GHQの公務員部長として戦後日本の公務員制度を基本から設計したキーパースンが有名なブレーン・フーバーである。今日に至るまで、公務員法制の基本骨格はフーバーの思想に基づいて構築されている。それは身分的官吏概念とは対極に位置する公務員制度であった。それを象徴するのが職階制である。これは、公務部門の職務を詳細に分類整理し、その職務の明細をきちんと記述し、これに基づいて広く公募し、その職務にもっともふさわしい者をその職に充てるという仕組みである。一九五二年に施行された人事院規則八-一二(職員の任免)について、『人事院月報』27号の「新任用制度の解説」は、「国家公務員法における任用とは官職の欠員補充の方法であると考えられる。すなわち官職への任用であり、職員に特定の職務と責任を与えることであって、職員に或る身分若しくは地位を与えることではない」と述べている。筆者が『日本の雇用と労働法』(日経文庫)や『若者と労働』(中公新書ラクレ)等で用いた言い方を使えば、もっとも典型的なジョブ型の雇用システムであった。
 この時期には、少なくとも人事院は本気でこのシステムを実施しようとしていたようである。その現れが、国家公務員法施行に伴いその附則で「その官職に臨時的に任用されたものとみな」された本省課長以上の官職について、一九五〇年に実施されたいわゆるS-一試験である。
 しかし、この試験が著しく不評を買っただけではなく、職階制自体が他の官庁から極めて強い批判を浴びた。結局一九五〇年に職階法が成立した後も、人事院では職種の決定、職級の設定、等級の設定、格付け等実施準備を進めたが、ついに一度も実施されることなく、多くの人の関心から消え去っていった。戦後公務員の世界は戦前の官吏の世界を再現するように、典型的にメンバーシップ型の雇用システムを構築していったのである。
 ただし、戦前と違ったのは、戦前型システムにおいて公務部門労働力の多数を占めていた私法上の契約による雇員・傭人という枠組が、戦後型システムにおいては全面的に否定されてしまっていたという点であった。戦前の高等官に相当する六級職試験(後の上級試験)、戦前の判任官に相当する五級職試験(後の中級試験)に加え、戦前の雇員に相当する四級職試験(後の初級試験)という身分的枠組が次第に形成されていく中で、公法私法の区別なく全員が公務員というアングロサクソン型システムは、全員が(公法上の)官吏という世界のどこにも存在しないシステムに転化していったのである。・・・・・

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2019/03/post-0f47.html地方公務員と労働基準法@『労基旬報』3月25日号

『労基旬報』3月25日号に「地方公務員と労働基準法」を寄稿しました。
 前回の「公立学校教師の労働時間規制」では、給特法という特別法が教師という職種に着目したものではなく、あくまでも地方公務員という身分に基づくものであり、民間労働者である私立学校や国立学校の教師には一切適用されないものであることを解説しました。そしてそこで「ここも誤解している人がいますが、労働基準法は地方公務員にも原則的に適用されます」と述べたのですが、ここはもう少し親切に詳しく解説しておかなければならなかったところかも知れません。そこで、今回はやや基礎知識になりますが、地方公務員への労働基準法の適用について解説しておきたいと思います。
 そもそも、1947年に労働基準法が制定されたとき以来、同法第112条は「この法律及びこの法律に基いて発する命令は、国、都道府県、市町村その他これに準ずべきものについても適用あるものとする」と明記しています。反対解釈される恐れがあるので念のために設けられた規定です。現在は別表第1に移されてしまいましたが、かつては第8条に適用事業の範囲という規定があり、そこには「教育、研究又は調査の事業」(第12条)、「病者又は虚弱者の治療、看護その他保健衛生の事業」(第13号)に加え、第16号として「前各号に該当しない官公署」まであったのです。公立学校や公立病院はもとより、都道府県庁や市町村役場まで、何の疑問もなく労働基準法の適用対象でした。制定時の寺本広作課長は、「蓋し働く者の基本的権利としての労働条件は官吏たると非官吏たるとに関係なく同一に保障さるべきものであって、官吏関係に特別な権力服従関係はこの法律で保障される権利の上に附加されるべきものとされたのである」と述べています。
 これを前提にわざわざ設けられたのが法第33条第3項です。災害等臨時の必要がある場合は36協定がなくても時間外・休日労働をさせることができるというだけでは足りないと考えられたからこそ、「公務のために臨時の必要がある場合」には「第八条第十六号の事業に従事する官吏公吏その他の公務員」に時間外・休日労働をさせることができることとしていたのです。また、労働基準法施行規則には次のような、公務員のみが対象となるような特別規定がわざわざ設けられていました。
第二十九条 使用者は、警察官吏、消防官吏、又は常備消防職員については、一日について十時間、一週間について六十時間まで労働させ、又は四週間を平均して一日の労働時間が十時間、一週間の労働時間が六十時間を超えない定をした場合には、法第三十二条の労働時間にかかわらず、その定によつて労働させることができる。
第三十三条 警察官吏、消防官吏、常備消防職員、監獄官吏及び矯正院教官については、法第三十四条第三項の規定は、これを適用しない。
 こうした規定を見てもし今の我々が違和感を感じるとすれば、それはその後の法改正によって違和感を感じるようにされてしまったからなのです。そして、公務員の任用は労働契約に非ずという、実定法上にその根拠を持たない概念法学の影響で、いつしか公務員には労働法が適用されないのが当たり前という間違った考え方が浸透してしまったからなのです。ちなみに労働法学者の中にも、労働基準法が地方公務員に原則適用されるという事実に直面して「公務員の任用関係は労働契約関係と異なるという議論も、これでは説得力を失いかねない」などとひっくり返った感想を漏らす向きもありますが*1、そもそも「働く者の基本的権利としての労働条件は官吏たると非官吏たるとに関係なく同一に保障さるべきもの」というのが労働基準法の出発点であったことをわきまえない議論と言うべきでしょう。
 その経緯をざっと見ておきましょう。早くも占領期のうちに、公務員の集団的労使関係法制の改正のあおりを食らう形で労働基準法制まで全面的ないし部分的な適用除外とされてしまいました。1948年7月、マッカーサー書簡を受けて制定された政令第201号は公務員の団体交渉権及びスト権を否定しましたが、その中で労働基準法第2条の「労働条件は、労働者と使用者が、対等の立場において決定すべきもの」との規定が、マッカーサー書簡の趣旨に反するとして適用されないこととされました。これはまだ集団的労使関係法制に関わる限りの適用除外でしたが、同年11月の改正国家公務員法により、労働組合法と労働関係調整法にとどまらず、労働基準法と船員法についてもこれらに基づいて発せられる命令も含めて、一般職に属する職員には適用しないとされました(原始附則第16条)。そして「一般職に属する職員に関しては、別に法律が制定実施されるまでの間、国家公務員法の精神にてい触せず、且つ、同法に基く法律又は人事院規則で定められた事項に矛盾しない範囲内において、労働基準法及び船員法並びにこれらに基づく命令の規定を準用する」(改正附則第3条第1項本文)とされ、準用される事項は人事院規則で定める(同条第2項)とされましたが、そのような人事院規則は制定されていません。また、「労働基準監督機関の職権に関する規定は、一般職に属する職員の勤務条件に関しては、準用しない」(同条第1項但書)と、労働基準監督システムについては適用排除を明確にしました。この改正はどこまで正当性があったか疑わしいものです。否定された団体交渉権やスト権と全く関わらないような最低労働条件を設定する部分まで適用除外する根拠はなかったはずです。時の勢いとしか説明のしようがありません。
 これに対して、1950年12月に成立した地方公務員法では、少し冷静になって規定の仕分けがされています。労働組合法と労働関係調整法は全面適用除外であるのに対し、労働基準法については原則として適用されることとされたのです。ただし、地方公務員の種類によって適用される範囲が異なります。地方公営企業職員と単純労務者は全面適用です。教育・研究・調査以外の現業職員については、労使対等決定の原則(第2条)及び就業規則の規定(第89-93条)を除きすべて適用されます。公立病院などは、労使関係法制上は地公労法が適用されず非現業扱いですが、労働条件法制上は現業として労働基準法がほぼフルに適用され、労働基準監督機関の監督下におかれるということになります。近年、医師の長時間労働が問題となる中で、公立病院への臨検監督により違反が続々と指摘されているのはこのおかげです。
 ところがこれに対して、狭義の非現業職員(労働基準法旧第8条第16号の「前各号に該当しない官公署」)及び教育・研究・調査に従事する職員については、上の二つに加えて、労働基準監督機関の職権を人事委員会又はその委員(人事委員会のない地方公共団体では地方公共団体の長)が行うという規定(地方公務員法第58条第3項)が加わり、労働基準法の労災補償の審査に関する規定及び司法警察権限の規定が適用除外となっているのです。人事委員会がない場合には、自分で自分を監督するという、労働基準監督システムとしてはいかにも奇妙な制度です。このため、教師の長時間労働がこれほど世間の話題になりながらも、公立学校への臨検勧告が行われることはないのです。
 しかし、にもかかわらず、労働基準法が原則適用されているという事実には何の変わりもありません。上で労働基準法施行規則旧第29条、第33条を引用しましたが、これらは1950年の地方公務員法成立後もずっと労基則上に存在し続けてきました。第29条が削除されたのは労働時間短縮という法政策の一環として1981年の省令により1983年度から行われたものであり、第33条の方は対象を増やしながらなお現在まで厳然と存在し続けています。
第三十三条 法第三十四条第三項の規定は、左の各号の一に該当する労働者については適用しない。
一 警察官、消防吏員、常勤の消防団員、准救急隊員及び児童自立支援施設に勤務する職員で児童と起居をともにする者
 団結権すら禁止されている警察官や消防士にも、労働基準法はちゃんと適用されていることを示す規定です。 
*1小嶌典明・豊本治「地方公務員への労働基準法の適用」『阪大法学』63巻3-4号。 

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2019/03/post-b1d7.html(学校事務のおばちゃんと労働基準法)

昨日のエントリ(地方公務員と労働基準法(『労基旬報』2019年3月25日号))に、焦げすーもさんからツイッターでコメントが:
地方公務員と労働基準法@『労基旬報』3月25日号
→学校事務のおばちゃんであるオカンから、36協定の適用について質問を何度も受けているが、明確に答えづらいのよね。。
なかなかニッチなところを狙ってきますな。
えーと、学校事務のおばちゃんというのは、事業で言うと第12号「教育、研究又は調査の事業」なので、官公署とともに労働基準監督官が臨検監督できない領域です。
ところが、教員ではないので、給特法の適用は受けません。なので、
①第36条はフルに適用される。ゆえに36協定を締結しなければ残業させられない
②第33条第3項は適用されない。ゆえに以下同文。
③第37条はフルに適用される。ゆえに残業させたら残業代を払わなければならない
ということになります。
そう、労働時間法制自体は他の労働者(官公署及び教員以外の地方公務員)と基本的に同じなのですが、ただ一つ違っているのは、これらの違反を摘発すべきは人事委員会または地方公共団体の長であるという点だけなのです。

 

 

 

 

 

 

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コメント

なるほど、うかつにも読んでいないところがありました。
今の公務員の正規・非正規が国家公務員も含めておかしくなってるのは戦前のドイツ型の身分型官吏概念を引きずってしまってるからなのですね。
この身分型官吏概念には江戸時代の武士とそれ以外の身分からなる身分制にあったと思われる身分間の精神的障壁の残骸が組み込まれているのだろうか、とも思いました。

行政法学で公法私法二元論が徹底的に批判されているのは周知のことですが、私は公務員関係については、公法私法二元論を復活させてドイツ型の公務員制度に回帰したほうがまだ良いのではないかと常々思っています。少なくとも非正規公務員の待遇改善という点からはそのほうが望ましい。


アングロサクソンで一元論が機能するのは、そもそも社会が階級や人種で分断されており、それを効率的な労働配置にナチュラルに利用できるという条件があったればこそのように思います。そこまで社会の分断が激しくないドイツや、階級構造をほとんど有さない日本では、人為的に区別を与えなければ適切な労働配置が機能しないのではないか。

日本の近代は西欧、特にドイツの制度を基本的構造として受け入れましたが、戦後それにアメリカ的なものを接ぎ木する形になった。正直アメリカ的な部分はあまりうまく機能しなかったと思うが、高度成長期には何とか誤魔化すことができた。単線型の教育システムはその典型であろう。

低成長時代に入り、制度が機能不全に陥ったと感じられるようになると全てをアメリカ的なものに入れ替えようという構造改革が推進された。しかし、改革はことごとく失敗に終わった。これは方向性を完全に見誤っていたのであり、本来やるべきは、アメリカ的なものをバッサリ切除することであったように思われる。

アメリカの猿真似改革が無残な失敗に終わった今も、アメリカ的なものに固執する人間はなお跋扈しているようである。しかし、アメリカの制度はアメリカの世界システム上の特異な地位に依存して機能しているのはなかろうか。日本にそれを再現することはできないだろう。


いいかげん日本の実情に向き合って現実的な方向に向かわなければならないと思うが、その余力すら日本にはもはやないのであろうか。

いや、公法私法二元論は立派に復活してしまっているんですよ。実定法の規定の根拠もないままに。
但し、復活した公法私法二元論は、一旦廃止された前の戦前やドイツ法のそれと違って、公務部門で働く者はことごとく公法上の任用であって、私法上の雇用契約ではないという訳の分からない魔改造になってしまっていたというわけです。

ですので、実を言うと、私も次善の策としては、戦前日本やドイツ法のように、公務部門の中に公法の適用される官吏と私法の適用される労働者(昔の雇員・傭人)という二重構造を作る方がまだましではないかと思っています。

> 二重構造を作る方がまだまし

その場合は、「官吏でない方の人達は二流の人間扱いで可愛そうだ」とワーワー言い出す連中が現れて、普通科高校と職業高校の二重構造の二の舞みたいなことにならないといいのですけどね

まあ、「基本が、どちらなのか?」についての共通認識が必要、ということかな
二流がマジョリティであり、普通であるという認識を否定したがる勢力が多いと

あ~、それから正規公務員には国家公務員ではいわゆるキャリア、ノンキャリアの差もありますよね。
国家公務員の試験区分では一般職と言うメンバーシップ、そして専門職と言うジョブ型の区分もある。
最近は任期付き採用と言うのもあります。

しかし人事制度はメンバーシップ型のキャリア、ノンキャリアごとの運用、と言うのがまだ国家公務員では主流では。

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