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2023年3月23日 (木)

人文科学と女子の職業的レリバンス(の欠如)

恵泉女学園大学の募集停止というニュースに対して、こういう感想を漏らされている方がいるのですが、

https://twitter.com/Medieval_Ragbag/status/1638418005146349568

長い間文学部系の女子大に勤めた者として、恵泉女子学園大の募集停止は非常につらく悲しいです。学長の大日向先生はよくテレビにも出ていた児童教育の権威者のようですが、立派な方とお見受けしました。閉学(と言って良いのでしょうか)の時に学長を務めるとは、辛い役割でしょう。

https://twitter.com/Medieval_Ragbag/status/1638418933257732097

かっての女子大の多くが文学や西欧語学を中心とした人文系で、これらの大学が日本の人文系学問のすそ野を支えてきたわけですが、社会にも政府にも、そして高校生や在学生にまでそっぽを向かれて滅びつつありますね。女子大の衰退は日本の人文学研究の衰退とかなり一致しているでしょう。

もしこの方の言われるとおり、女子大を中心とした人文系が「日本の人文系学問のすそ野を支えてきた」とするならば、それは卒業していく学生の職業的レリバンスを全く顧慮しなくて済むという優越的立場を利用したものであったということなのでしょう。

もう17年前のエントリですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_722a.html(なおも職業レリバンス)

歴史的にいえば、かつて女子の大学進学率が急激に上昇したときに、その進学先は文学部系に集中したわけですが、おそらくその背景にあったのは、法学部だの経済学部だのといったぎすぎすしたとこにいって妙に勉強でもされたら縁談に差し支えるから、おしとやかに文学でも勉強しとけという意識だったと思われます。就職においてつぶしがきかない学部を選択することが、ずっと仕事をするつもりなんてないというシグナルとなり、そのことが(当時の意識を前提とすると)縁談においてプラスの効果を有すると考えられていたのでしょう。

一定の社会状況の中では、職業レリバンスの欠如それ自体が(永久就職への)職業レリバンスになるという皮肉ですが、それをもう一度裏返せば、あえて法学部や経済学部を選んだ女子学生には、職業人生において有用な(はずの)勉強をすることで、そのような思考を持った人間であることを示すというシグナリング効果があったはずだと思います。で、そういう立場からすると、「なによ、自分で文学部なんかいっといて、いまさら間接差別だなんて馬鹿じゃないの」といいたくもなる。それが、学部なんて関係ない、官能で決めるんだなんていわれた日には・・・。

こちらは12年前のエントリで、金子良事さんのツイートに反応しています。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-0ec2.html(花嫁修業の職業的レリバンス)

金子良事さんの大変面白いつぶやき

>戦後、短大で文学を勉強するなどが花嫁修業のように見做されたこともあったが、戦前であれば、そんなものは認められなかっただろう。元々の良妻賢母教育は徹底した実学であり、そういう意味では職業的レリバンスにあふれていたのである。

ということは、かつての家庭内労働力としての性能向上のための職業訓練としての花嫁修業が、戦後「人間力」「官能性」を高めるためのよく分からない何かに「進化」していったということなのでしょうね。

これももう8年前になりますが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/post-32e9.html(女子教育と職業レリバンス)

女性差別的な教育談義を批判するのに、職業教育批判を持ち出すような方がいるとすれば、それこそ「人文」系の知識人といわれる方々の社会認識の偏りを示しているのでしょう。

むしろ、職業レリバンスの乏しい教育を娘に受けさせることが、花嫁レリバンスの高さに繋がっていたことが、「人文」系大学教員の雇用機会の拡大の大きな理由であったわけですけど。

どうせ永久就職するのだから就職の心配などする必要のない「楽園」であればこそ花開いた人文科学のあれやこれやが、なまじ女子も男子に伍して活躍すべく職業的レリバンスという名の世俗のがらくたに巻き込まれてしまったために「衰退」していくのだとすれば、それをただひたすらに悲しむこと自体が一定のジェンダー的バイアスを有しているわけですが、まあ人文的「知」をお持ちの方々がそれにどこまで自覚的であるかは必ずしも定かではありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

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コメント

私が就職した時代は職業レリバンスの高い学部で勉強した女性であっても良い職業に就けるわけではない、と言う時代でありまして、国家Ⅱ種である中央省庁に入庁できた私の同期の女性職員に1種も受かっていたのにどこからも内定がもらえなくてやむを得ずⅡ種採用で入庁した、と言うのが2人もいました。
2人のうち一人は法学部出身。
もう一人は分からないですが、こちらも恐らく法学部出身。
Ⅰ種に合格したからと言ってその事情を考慮して人事評価をすることはないので私は彼女の境遇を聞いて大いに同情したものです。
本人たちは明るい表情で働いてはいたのですが。

もっともⅠ種採用されても中央省庁なので男性並みのブラック労働は必至でした。
これは今も変わっていない省庁が多いのではないでしょうか。

そうですね、その時代にほぼ唯一そういう上級職の女性を採用し続けていたのが旧労働省の婦人少年局で、その彼女らが超絶ブラックなタコ部屋で、連日の徹夜作業で作り上げたのが男女雇用機会均等法であり、それ以後、労働省の他局も含めて、一般化していったというわけです。

hamachan先生

>超絶ブラックなタコ部屋

いや、全くその通りでして、私、そして女性同期は若い頃霞が関に行っていなかったのですが、霞が関に行った同期は寮に朝6時ごろに帰ってきて別の部署にいた同期にびっくりされた、と言う話があります。
霞が関に行っていなかった私も23区内にあった本庁機能の一部を担う部署にいたもので、夜11時まで連日超勤したこともありました。
女性同期も同じ部署にいたのでそのくらい遅くまでが当たり前でした。

入庁当時は「霞が関」では省庁は異なりますが、「婦人少年局」と同じ庁舎でした。
今は・・・お分かりかと思います(^^;

> 「めんどうをみる」という概念を持っていないのではないか、ということ。
https://twitter.com/contractio/status/1639605283533242368
> 「めんどう」って何?論文指導?それとも就職の世話するみたいな不正な行為に近いやつ?
https://twitter.com/Cristoforou/status/1639829661986492416

以上は、主に院生が念頭にはあるようですけど、

> 生涯就業力を磨く
https://www.keisen.ac.jp/

こういうお題目が看板倒れなのではないの?という疑問だ、と思うのですけどね。
実際の現場に「就業力を付ける」という概念がありますか?という疑問でしょう。

> あえて法学部や経済学部を選んだ女子学生には、職業人生において有用な(はずの)勉強をすることで、そのような思考を持った人間であることを示すというシグナリング効果

メンバーシップ雇用なので、実際のところ、教育の中身はあまり問われないわけですから、
看板を何となく「経済、経営、ビジネス」を想起させるものに代えて、社会科学系の学部の
パイを奪いに行けばいいと思うのですけどね

実際には、「マルクスを源流とする人文思想」でも教えれば、いろいろと辻褄が合うと思う
(でも、本気で教えに行ってしまう教員がわんさかと、出てきちゃうから駄目なのかもね)

以前にも似たような事をうかがったような気もしますが

>女子大を中心とした人文系が「日本の人文系学問のすそ野を支えてきた」とするならば、それは卒業していく学生の職業的レリバンスを全く顧慮しなくて済むという優越的立場を利用したものであったということなのでしょう。

もし
  ・日本の人文系学問は、卒業していく学生の職業的レリバンスを全く顧慮しなくて済むという
   優越的立場によってすそ野を支えてきた
  ・ジョブ型の欧米では、卒業していく学生の職業的レリバンスを顧慮しなければならない
の2点が正しいとすると
  欧米では人文系学問のすそ野を支えてくれる優越的立場が存在しない
という事になります。そうだとすると欧米の人文系学問は日本に比べると
  A.すそ野を支える力が弱いので日本より不活発である
  B.日本とは別の手段ですそ野を支えているので日本と変わらない
のいずれでしょうか?

>我が国が東洋平和のためにこんなに一生懸命してやってるのに、鬼畜米英なんかとつるんで敵対しやがってふざけるな、暴支膺懲だ!

ウヨク(第二次大戦の日本を擁護する人)の立場としては、この他に
  帝国の存立亦正に危殆に瀕せり。事既に此に至る。
  帝国は今や自存自衛の為、蹶然起つて一切の障礙を破砕するの外なきなり。
という立場(国の存続が危うくなった事に対する自衛行為)に基づく意見もあります。戦後にマッカーサーがアメリカ議会で同様の発言をした事もあって、この立場から日本を擁護するウヨクも多いようです。そしてロシアの行為も当時の日本の行為と同様に(NATOの東進やウクライナのNATO加入希望により)国の存続が危うくなった事に対する自衛行為として擁護する人は欧米にもいるようです。キッシンジャーがウヨクがどうかは分かりませんが、彼は当初はこのような理由(西側が東進しすぎた)でロシアに同情的だったそうです(最近は意見を変えたようですが)


>アメリカ帝国主義がこの世の全ての悪の根源であり、

サヨク(戦後レジームを支持する人)がアメリカを批判するのは帝国主義という抽象的な理由ではなく実際に批判するべき行動があったからだと思います。例えばベトナム戦争はアメリカがベトナムという小国に武力介入したのが発端で、これはロシアがウクライナに武力介入したのと同じだと思います。当時のアメリカ、北ベトナム、南ベトナムは現在のロシア、ウクライナ、(親露派の)何とか人民共和国に対応すると思います。
ロシアがウクライナに介入したのは、ウクライナが西側になるとロシアの存続が危うくなるのでそれを防ぐ事が理由でしたが、アメリカがベトナムに介入したのもベトナムが共産側になると東南アジア全体が共産側になる(ドミノ理論)のでそれを防ぐ という同じような理由からでした。
ベトナム戦争時には戦争を終わらせるために米軍の撤退を要求し米軍の活動を妨害する(脱走兵の支援, 日本からベトナムへの兵器輸送の妨害)事は、現時点でウクライナの戦争を終わらせるためにロシア軍の撤退を要求しロシア軍の活動を妨害する事と同じくらい道義性があると考えられていたと思います。


>かつての平和勢力であった共産圏

ベトナム戦争では共産圏(ソ連、中国)は米軍に対抗するための武器は提供しましたが(空軍以外の)兵力は送りませんでした。これはウクライナで西側諸国がロシア軍に対抗するための武器は送るが兵力を送っていないのと同じです。その意味でベトナム戦争での共産圏は現時点での西側諸国と同様に平和勢力かどうかは分かりませんが、より道義性があると考えられていたと思います。


>それに抵抗する勢力は何をやらかそうが正義の側に位置するという信念を、

当時でも米軍に比べて抵抗勢力(ベトコン, 北ベトナム軍)に対する報道が甘いという批判はあったそうです。しかしそれは現在でも、ウクライナに汚職やオリガルヒ等の問題があってもそれらはほとんど報道されず、ウクライナ国民は一致団結してロシアと戦っている という報道が大部分なのと同様だと思います。」


>反米であるが故に絶対正義の側にあるプーチン

現在のサヨクで、プーチンや金正恩やビン・ラディンは反米であるが故に絶対正義の側にあると考えている人は(全くいないとは言えませんが)極めて少数だと思います。

サヨクのもう一つの特徴は ”戦争反対” だと思います。
  戦闘による犠牲者をこれ以上増やさないために、ウクライナもロシアも言い分はあるだろうが、とりあえず停戦すべきだ
と主張する人はそれほど珍しくはないと思います。
元大阪府知事が左翼がどうかは分かりませんが、彼はウクライナが成人男性の国外撤去を禁止した事に反対して
  プーチンは高齢で先は長くないから、ウクライナから逃げたい人はどんどん逃げて
  プーチンが死んだら戻ってくればよい
と主張していたと思います

日経ビジネスに「定員割れで募集停止の恵泉女学園大 「御三家」も厳しい女子大」と言う記事が載りました。

https://business.nikkei.com/atcl/plus/00050/041200007/

これによると人文系学部主体の女子大学はやはり経営が厳しくなっているそうです。
とはいえ、女性の進学率は上昇していて、そればかりでなく、難関大学の法学部へ女性が進出しているとの事。
彼女たちは公務員を志望して法学部を目指しているそうです。

実に頼もしいですね。
職業レリバンスの強い法学部に入って公務員になって「情けない男なんざ目じゃないよ!」と職場でも頑張ってこの国のジェンダー格差の縮小を実現してほしいと思います。

かつて日本社会が男女差別で埋め尽くされていた頃には、女性がのびのびと学びスキルを身につける一種のアジールとしての女子大という存在にはそれなりの意義があったと思うのですが、もうそういうのが必要とされる時代ではなくなりつつあるということなのでしょう。

家政学部(花嫁修業とは仮の姿、かくして、その実態は…)
まあ、花嫁修行の仮面が不要になった、ということですわね

 私の最初の就職先の中央省庁の1年先輩の女性職員にいわゆる「大東亜帝国」の文学部卒業で2種合格して入庁した人がいました。
 彼女は職場結婚しましたが、出産後も退職せずに働き続けています。
 それからmixiの友達に女性で税理士の人がいるのですが、彼女も文学部だったそうです。聞いてみたら、実家は元々商売人だったとのこと。
 30年ぐらい前までは職業レリバンスの高い社会科学系の学部に行くべきなのに、女性だから、と言う事で花嫁修業の場としての文学部に行かざるを得なかった、と言う人も相当いたようですね。

 それが今では法学部、経済学部、経営学部などの社会科学系にもどんどん女性が入学してそのまま就職して頑張ってる。
 前の職場のエネルギー系の大企業では職場に早慶上智の経営学部出身の20代後半の女性がいて、とっくに結婚してましたが、まさにバリキャリ。カッコ良かったです。

 彼女たちのような職場で頑張っている女性たちにもっと政治や経済の中枢を任せれば「衰退しつつある」日本も案外あっさりと再建できるのに、と夢想してしまいます。

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