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« 60年前も職務給が流行し、労働組合は悩んでいた | トップページ | 労災保険料の事業主不服申立制度@WEB労政時報 »

2023年2月 5日 (日)

「30年間給料が上がらない日本の労働者」というのはマクロには正しいがミクロには正しくない・・・からまずいのだが

Japaninflationeconomysuper169 CNNが「30年間給料が上がらない日本の労働者、企業への賃上げ圧力高まる」という記事を書いているんですが、

https://www.cnn.co.jp/business/35199588.html

時吉氏を含む世代の日本の労働者は、その職業人生を通じほとんど賃上げの経験がない。現在、数十年に及ぶデフレの後の物価上昇を受け、世界3位の経済大国は生活水準の低下という重大な問題の考察を余儀なくされている。企業もまた、賃上げへの強い政治的圧力に直面する。・・・

この手の言い方よく見られますが、日本の少なくとも大企業や中堅企業の正社員に関する限り、「その職業人生を通じほとんど賃上げの経験がない」というのは事実ではありません。

もちろん、これは「賃上げ」という言葉の意味によりますが、圧倒的に多くのマスコミが何の疑いもなく使い続けている「定昇込み幾ら」というのが「賃上げ」であるとする限り、彼らはベアはほとんどなくても、つまり総額人件費は全然上がっていなくても、その人の去年の給料よりも今年の給料の方が若干高く、来年の給料はさらに若干高い、という意味においては、つまり定期昇給が続いているという意味においては、その職業人生を通じほぼ毎年賃金が上がってきているんです。

そして、それこそが、日本のマクロ的な意味での賃金が全く上がらなかった最大の原因でもあります。

マクロ的には、つまり日本の労働者全体としてみれば全然賃金が上がっていないにもかかわらず、ミクロには、つまりその労働者個人だけの観点からすれば、去年より今年、今年より来年と、毎年少しづつでも「賃上げ」しちゃっているがゆえに、それが定昇というフェイク賃上げであって、真の賃上げではないのだという真実から目を逸らすことが可能になっているからです。

というような、日本独特の構造を日本人以外に説明するのは骨が折れます。一片の記事だけではとても説明するのは不可能でしょう。まず最初に、定期昇給という外国には存在しないものを説明しないといけないけれども、そんなことを縷々説明しているうちに、一記事に許された紙面はあっという間になくなってしまいます。

定期昇給など存在しない外国人の読者に、日本の賃金は30年間全然上がらなかったといえば、極めて日本の労働事情に詳しいごく少数の異常な人々を除けば、百人中百人までもが、「そうか、日本の大部分の労働者は、毎年給料袋の中身が全然上がらなかったんだな」としか思わないでしょう。

そこで、この記事では、冒頭の具体例をこのように描いています。

香港/東京(CNN) 時吉秀弥氏(54)が英語教師としてのキャリアを東京でスタートしたのは、およそ30年前のことだ。

それ以降、同氏の給料はほとんど横ばいだった。そこで3年前、昇給への望みに見切りをつけ、本の執筆を始めることにした。

本を書いて売ることで新たな収入源を得ているのを幸運に思うと、時吉氏はCNNに語る。それがなければ賃金はいつまでも上がらなかっただろうとし、おかげで何とかやっていくことができたと振り返る。

そう、この時吉さん54歳という特定個人の給料が30年間全然上がらなかったという、日本の普通の正社員ではあまりありえないような描写を持ってくるのでないと、この記事の読者には伝わらないのです。

この時吉さんというのは、おそらく非常勤講師ではないかと想像されます。マクロには上がらないけれどもミクロには上がるという日本のフェイク賃上げは正社員だけの世界であって、非正規労働者には縁がないからです。

もし、この記事の冒頭に、別の正社員である人を持ってきて、その人の給料は30年間に2倍以上に上がってるけれども、日本の賃金は全く上がっていないなんて書いた日には、読者の頭の中には?マークが林立してしまうことでしょう。

そういう風にならないために、この記事の記者は、読者が短い記事の中で認知的不協和にならないように、30年間ミクロにも賃金が上がらなかった人を持ち出してくるしかなかったわけです。

真の文化摩擦というのは、こういう表からは見えにくいところにこそ存在しているのですよ。

 

 

 

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コメント

中小というか零細だと無期雇用でもろくに定昇とかなかったりしますし、ご指摘のとおり非正規労働者は大抵定昇とか無縁ですし、大きく日本社会をみたときに「正社員」なるものがどこまで一般的な労働者のありかたなのかは、疑ってみてもいいのではないかという気はします。

時吉さん54歳のほうが実は「普通」に近い可能性もあるのでは。

数でいえば、時吉さんの方が普通かもしれませんが、普通という言葉にはその方が本来のあるべき姿だみたいな規範的なニュアンスもあるので、その意味では戦後日本社会の感覚では時吉さんは普通ではなく、少数かもしれないけれど大企業や中堅企業の正社員の方が普通ということになります。

 「戦後日本の感覚では少数かもしれないけども大企業や中堅企業の方が普通」と言うのはある意味では恐ろしい話ですね。
 私の父も旧財閥系の有名企業の社員であり、そして息子の私も公務員と言う「戦後社会の普通の人」の道を歩みました。
 その一方で母は育児期間が終わった後は仕事をしたかったのに父に反対されて不満を言っていましたし、私自身も障害があったので理想的な「普通」の家庭とは言えませんでした。
 恐らく「普通」の家庭の影の部分を体現したと言えるでしょう。
 だから労働問題や人権問題に強い関心を持つようになり、「普通の人」ともまた意識が異なる日本人になってしまったのだと思います。
 中小企業の社員、あるいは非正規雇用の人たちとの意識のギャップを強く感じるのもそう言う境遇が反映しているのかもしれません。

 恐らく「普通」の人たちは自分の所属する社会階層以外の人たちとの意識のずれをなかなか自覚できていない。
 まあ、何処の国でもそうなのだとは思いますが。
 日本が変われない、と言うのはその辺りにあるのかもしれないですね。

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