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« 定年前解雇者の定年後解雇無効判決による地位確認 | トップページ | Are Japanese wages not increasing because of “the misfortunes of virtue”? »

2023年2月18日 (土)

山川隆一『労働紛争処理法 <第2版>』

618403 山川隆一『労働紛争処理法 <第2版>』(弘文堂)をお送りいただきました。

https://www.koubundou.co.jp/book/b618403.html

労働紛争解決システムの全体像を鳥瞰するとともに、労働法学において初めて要件事実論に基づく事件処理の手法を具体的に提示した、実務に役立つ基本書。
労働関係をめぐる紛争の質的・量的な変化により生まれた、労働審判制度などの新制度の運用実態、企業内や行政における労働紛争処理システム等をわかりやすく解説します。
さらに、解雇・雇止めや賃金・退職金、就業規則や配転・出向・病気休職、懲戒処分、男女雇用平等・ハラスメント、有期雇用労働者の無期変換、労働災害・企業組織変動、労働協約、不当労働行為などの典型的あるいは新しいタイプの労働紛争を解決するために要件事実の考え方を初めて導入。
新型コロナウイルス問題の影響をはじめ、労働社会をめぐる状況にも変化がみられ、労働紛争の適切な解決や予防についての基本的な理解やスキル獲得の重要性は増しています。
決定版である本書は必携必読の一冊です。

初版をいただいたのが2012年ですから、11年ぶりの第2版ということになります。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-07f9.html

全体としては労働問題の民事(行政)訴訟法の教科書という感じの一冊です。

この10年余りのいろんな動きが書き加えられているのですが、できればもう少し詳しく書いていただければと思ったところもいくつか。

たとえば、156ページの労働審判の申立ての性格に関するところなど、

・・・労働審判の申立ては、申立人が主張する権利関係を内容とするものであり(申立ての趣旨は、請求の趣旨に対応するものとなる)、この権利関係が審理の対象となると考えられる。労働審判手続きにおいても、以上のような意味ではあるが、「審判物」を観念することができる。

と、淡々と書かれているのですが、しかしながら実際には、労働審判事件の多数を占める解雇・雇止め等の雇用終了事案においては、その「審判物」はほとんどすべてが雇用関係の地位確認であるにもかかわらず、実際の調停・審判結果のほとんどすべてが金銭解決になっているという誰もが承知している事実があっさりスルーされている感があります。

P705 この点については、2014年に出された佐々木亮さんらによる『労働審判を使いこなそう!』の中でも、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-fec7.html

・・・申立人が必ずしも職場に戻るつもりがなくても地位確認で行くべきである。申立の趣旨を「相手方は申立人に対して金○○円を支払え」などとし、はじめから慰謝料等の金銭請求をするのでは、多くを得ることは望めないと知るべし。必ずしも職場に戻る意思がなくとも、そのように主張しないと多くの解決金は望めないからである。

と、まことに実践的な指南をしていることからも明らかなように、内心の「審判物」は高額の金銭解決であっても、それをそのまま出すと低額の金銭解決に陥ってしまうので、外見上の、あるいはそう言ってよければ心にもない虚構の「審判物」を地位確認請求ということにしているということを示しているわけです。

もちろん、この「審判物」の二重構造こそが、労働審判の柔軟な解決を可能にしていることも確かなのですが、とはいえその構造を見て見ぬふりをして公式論だけ論じていて物事が進むのかという気もします。

過去20年間デッドロックにはまり込んでいる(訴訟における)解雇の金銭解決制度のそもそもの問題も、「審判物」ほど柔軟に扱えない民事訴訟法上の「訴訟物」という代物の厄介さゆえに起こっているということも考えると、この点についてはもっと突っ込んで議論してほしいという思いが湧きました。

このページの注78では、「こうした観点からは、労働審判においては、当事者が解決を申し立てた紛争についてどのような解決がなされたのかが不明確にならないよう留意すべきであろう」として、私がかつて評釈したX学園事件さいたま地裁判決を引いていますが、この事件こそは、まさにうえで述べた「審判物」の二重構造がもたらしたものに他ならないのではないでしょうか。

http://hamachan.on.coocan.jp/shukutoku.html (労働判例研究 労働審判における「解決金」の意義--X学園事件)

Ⅱ 労働審判における事実上の金銭解決の法的不安定性
 ところが、法的論理的立場を離れて上記事案の経過を前提とすれば、本事件の処理の仕方としては、本件雇止めを認めずその雇用継続を認めるような判決は、社会常識からしてとうてい受け入れがたいものである。その意味で、本判決は論理的には受け入れがたいが、その結論は社会常識的にまともと言わざるを得ない。逆に言えば、社会常識的にまともな結論を導くために、無理な論理展開を行ったとも見られる。その原因は、判旨Ⅰの労働審判の趣旨の理解にある。
 2006年度に労働審判法が施行されて以来、その解決の圧倒的大部分は「解決金などの金銭の支払い」である(労働者側調査:95.0%、使用者側調査:89.2%)。「その会社で働く権利や地位」はごくわずかである(労働者側調査:4.0%、使用者側調査:4.3%)(東大社会科学研究所『労働審判制度についての意識調査基本報告書』)。労働審判法20条2項は「労働審判においては、当事者間の権利関係を確認し、金銭の支払、物の引渡しその他の財産上の給付を命じ、その他個別労働関係民事紛争の解決をするために相当と認める事項を定めることができる」と定めているが、この「金銭の支払」と「権利関係の確認」の関係については実定法上はなんら規定がない。菅野他『労働審判制度』(弘文堂)には、「たとえば、労働者が解雇の効力を争って職場復帰を求める内容の申立を行った場合について言えば、当事者が労働審判手続の過程において示した様子を総合的に勘案して、当事者の真の意思を推認し、当事者にとって不意打ちにならないと判断されるときには、解雇が無効であると判断した場合であっても、事案の実情を考慮して、金銭補償をした上で労働関係を終了させる旨の労働審判を行うことも可能であると考えられる」(p92)と、ドイツの解消判決類似の労働審判を推奨する記述も見られる。おそらく多くの事案においては、同書の示唆に従い、金銭補償をした上で労働関係を終了させる旨の労働審判を行っているものと思われるが、中には本事件のごとく、権利関係の帰趨はあえて明確化せず、ただ金銭の支払を命ずるだけのものもあるのであろう。ただその場合でも、労働審判当事者は、ただ金銭支払を命ずる労働審判を、労働関係の終了を含意するものと受け取ってきたものと思われる。上記東大社研調査自体がそのような社会常識を前提として設計されているし、近年の規制改革会議や産業競争力会議における提言もそれを前提としつつそれを訴訟における判決にも拡充することを求めている。少なくとも(その価値判断はともあれ)解決金の名目で金銭の支払を命ずる労働審判確定後においても雇用関係が継続しているという前提に立って議論されているものは見当たらない。
 その意味で、圧倒的大部分の労働審判当事者からすれば、本件労働審判の趣旨はY側のいうように「本件解雇が有効であること、少なくとも本件雇用契約の契約期間満了によりX・Y間の契約関係が終了することを前提として金銭解決を図ったもの」と理解するのが自然であり、X側のように「本件解雇が無効であることを前提に、本件雇用契約の契約期間満了までの賃金及び賞与の全額の支払いを命じたもの」と理解するのは社会常識に反するものである。
 しかしながら、かかる法令の明文の根拠なき社会常識は、それに疑義を呈する者が出現することによって容易く動揺する。本事件はまさにその典型例であり、社会常識からすれば解雇無効ではあるが雇用終了と引き替えの金銭解決と受け止められるであろう「相手方は、申立人に対し、本件解決金として144万円を支払え」との労働審判が、解雇無効ゆえに雇用関係は継続しているというXの主張に沿った形で判旨Ⅰのように判断されてしまう余地を残してしまったのである。
 もっとも、この判旨Ⅰは純論理的にもおかしなところがあり、「本件解雇は無効ではある」として「同日[契約期間満了日]までの賃金と賞与の全額の支払いを[Yに]命じ」るのは、労働審判時点では部分的に将来の労務給付に対する報酬の支払いまで一括して「解決金」として支払を命じたことになり、地位確認をした上での金銭支払命令(バックペイ)としては整合性を欠く。
 本件のような事態が生じないようにするために当面必要な対応としては、雇用関係の将来にわたる存在を確認する意図があるのでない限り、労働審判の主文において「金銭補償をした上で労働関係を終了させる」旨を明示することであろう。これは、現実に圧倒的多数の事案において行われていることを確認するだけのことであり、労働契約法上の問題を生じさせるものではない。
 ただ、こうした問題は結局、解雇無効による地位確認請求のみを解決方法として認めてきた訴訟実務を何ら変更することなく、労働審判においても(多くは形式的に)解雇無効による地位確認請求という形式をとらせながら、事実上の取扱いとしてはその大部分について暗黙に雇用終了と引き替えの金銭解決というやり方をとってきたことの矛盾が露呈したものと言うべきであり、解雇事件に対する裁判上の金銭解決という問題に正面から取り組むことが求められていると言うべきではなかろうか。
 この点を極めて明示的に語っているのは、労働審判を多く扱ってきた弁護士による伊藤幹郎他『労働審判を使いこなそう!』(エイデル研究所)の記述である。そこでは解雇事件について、「申立人が必ずしも職場に戻るつもりがなくても地位確認で行くべきである。申立の趣旨を「相手方は申立人に対して金○○円を支払え」などとし、はじめから慰謝料等の請求をするのでは、多くを得ることは望めないと知るべし。必ずしも職場に戻る意思がなくとも、そのように主張しないと多くの解決金は望めないからである。」(11頁)と述べられ、とりわけ第5章の座談会では、「私も基本的には地位確認で進めるのですが、まず申立人を説得します。辞めたくても地位確認をしなければならないのだと。日本の裁判制度はそうなっているのだと。」という発言もある。労働者が不当な解雇に対する金銭補償を求めようとすると、民事訴訟法上は異なる訴訟物である地位確認請求をしなければならないというわけである。
 ここに現れているのは、解雇無効による地位確認請求と、不当な解雇に対する金銭給付請求とが、あらゆる民事訴訟法理論の想定を超えて、法社会学的にはほとんど同一の訴訟物となっているという社会的実態である。解雇の金銭解決問題の本質とは、多くの論者の認識とはまったく異なり、かかる民事訴訟法理論と法社会学的実態との矛盾をいかに解きほぐすかという問題に他ならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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