児童手当は何のために作られたか、誰も記憶していない
最近、政治方面で児童手当をめぐって騒がしいようですが、どうも出てくる登場人物の誰も、児童手当というものがどういう趣旨で作られたのかという歴史的経緯をさっぱりと忘れ去っているようなので、やや迂遠ではありますが、旧稿の関連部分をお蔵出ししておきたいと思います。
ただ、その前に、十数年前に当時の民主党政権が子ども手当を打ち出したときにも、肝心の彼ら自身がその意義を的確には理解していなかったことについて、当時『世界』の座談会で述べた一節を引用しておきます。
座談会 民主党政権の社会保障政策をどう見るか(宮本太郎・白波瀬佐和子・濱口桂一郎)(『世界』2010年8月号)
濱口 私は昨年、政権交代のときに書いた文章の中で、子ども手当を非常に高く評価したんです。ただ、高く評価した理由は労働政策の観点からで、子ども対策という観点からではない。
どういう趣旨か。いままでの日本の雇用システムでは、成人男子の正社員が奥さんと子どもを養うだけの賃金を会社が払う。その対極にある非正規労働者は、家族を養うどころか、自分自身が養われているんだから、生活保護以下の水準でも構わないという形で労働市場が二極化してきた。これを何とかしよう、同一労働・同一賃金にしなければ、という議論は繰り返しされるんですが、賃金で家族の生活まで全部面倒見るということがデフォルトルールになっているので、なかなか変えられない。その意味で、子ども手当というのは、実は子どものためというよりも、労働市場の構造を変えるための部品という面があるんです。
それは歴史をさかのぼると明らかです。そもそも児童手当は一九七一年につくられたのですが、一九六〇年の国民所得倍増計画の中で、日本の労働市場をいままでの終身雇用、年功賃金型から、同一労働・同一賃金に基づいたものに変えていく必要がある、そのためにも児童手当は必要だという議論をして、ようやく七〇年代初頭にできたのです。ところがその後は、そんなことは会社が全部面倒見るんだというのが世の中の大勢で、小さく産まれた児童手当がますます小さくなってしまった。ですから労働政策、社会政策全体として見たときには、子ども手当には、児童手当の初心に返って、それをもう一遍大きく育てていこうというインプリケーションがあるはずです。そういうインプリケーションを意識していれば、その目的を達成するためにどう改善すべきかという対応があり得たと思うのですが、そこが切れてしまっている。なぜ子ども手当が必要なのかが十分理解できていないまま、部品を絶対視するので、混乱が生じているように思います。
ここでごくあらあら述べていることを、その後『季刊労働法』2020年夏号に書いた「家族手当・児童手当の労働法政策」でかなり詳しく解説していますので、やや長いですが、読んでいただければ大体のことが頭に入ると思います。
2 公的社会保障としての児童手当への道
(2) 経済・労働政策としての児童手当
児童手当が再び政策課題に上ってくるのは1960年代からですが、その問題意識はまず経済政策、労働政策としてのものでした。その重要なエポックとして、1960年11月に閣議決定された「国民所得倍増計画」が挙げられます。同計画は拙著『日本の労働法政策』でも述べたように、年功序列から同一労働同一賃金原則への雇用の近代化を掲げていましたが、その関係で「年功序列型賃金制度の是正を促進し、これによって労働生産性を高めるためには、全ての世帯に一律に児童手当を支給する制度の確立を検討する要があろう」と示唆したのです。
さらに1963年1月に経済審議会が行った「人的能力政策に関する答申」では、賃金体系の近代化や労働移動の円滑化が掲げられていますが、その文脈で「中高年齢者は家族をもっているのが通常であり、したがって扶養手当等の関係からその移動が妨げられるという事情もある。児童手当制度が設けられ賃金が児童の数に関係なく支払われるということになれば、この面から中高年齢者の移動が促進されるということにもなろう」と述べ、さらに、児童手当は「賃金体系の合理化により職務給への移行を促進する意味もあり、生活水準の実質的な均衡化、中高年労働力の流動化促進等人的能力政策の方向に沿った多くの役割を果たす」とその重要性を強調しています。
もっとも、本来は「全児童に対し、その一切の費用を賄う」べきとしながらも、日本では「使用者から家族手当が支給される一方、税制上扶養控除がなされている」ため、「いきなり本来の姿に到達することは困難であるので、段階的に実施に移すことが肝要」と述べています。具体的には、①児童数による制限、②所得の制限、③手当の内容による制限(教育費、学校給食費等)あるいはその組合せを提起していますが、「余り制限を設けて児童手当の本旨を失うようなことがあってはならない」と釘を刺してもいます。また財源については、「児童の育成は家庭の責任であると同時に国家の責任でもあり、また使用者が扶養手当を支給しているといういきさつも考慮して扶養者、使用者及び国の三者による負担が妥当」としつつも、「三者同一の負担率ではなく、使用者の負担が中心」としているのは、企業の家族手当からの移行を中心に据えてみているからでしょう。
国民所得倍増計画に続く1965年1月の「中期経済計画」では、児童手当を「わが国において残された唯一の社会保障部門」と呼び、「児童養育費の増大、中高年労働力の流動化などその緊急な実施を要請する社会経済的諸条件は急速に醸成されつつある」と切迫感をあおり、「計画期間中になるべく早く制度の発足を行う」ことを求めています。経済政策の観点からは、児童手当の機能は「年功序列型賃金体系から職務給体系への移行の円滑化、中高年労働力の流動化の促進、中高年層において著しい所得格差の是正」にあり、それゆえに「民間企業の家族給に肩代わりする面もあって、それだけ企業負担を軽減する点も忘れてはならない」と、使用者の費用負担を正当化しています。
総理府の社会保障制度審議会も1962年8月の「社会保障制度の総合調整に関する基本方策についての答申及び社会保障制度の推進に関する勧告」の中で、児童手当について「まず被用者に対する社会保険として発足させ」るが、被用者以外でも一定所得以下の者は被用者と同時に実施すべきと述べています。このほか、1965年7月の社会開発懇談会中間報告書、1966年11月の国民生活審議会答申なども、児童手当の必要性を強調していました。・・・・4 児童手当制度の有為転変
(1) 児童手当に対する批判
児童手当は「小さく産んで大きく育てる」ということで、1972年の施行から数年間は支給対象の第3子以降の支給期間を5歳未満から中学校修了までに徐々に拡大していきましたが、1970年代という時代は日本型雇用システムに対する評価が急激に高まっていた時代であり、この制度自体に対する否定的な考え方が社会に広まった時代であったということができます。それを最もよく示しているのが、1979年12月の財政制度審議会第2特別部会の「歳出の合理化に関する報告」です。
(3)児童手当
①問題点
ハ 児童手当が創設されてかなりの期間を経過した現在においても、(イ)我が国の場合、児童養育費の負担の在り方に関し、ヨーロッパ諸国と比較して、親子の家庭における結びつきが強く、広く社会的に負担するというヨーロッパ諸国のような考え方になじみにくい状況にあること、(ロ)我が国の賃金体系は、ヨーロッパ諸国と異なり、多くの場合、家族手当を含む年功序列型となっており、生活給としての色彩を有していること、(ハ)児童養育費の負担軽減に資するものとして、一般的には、税制上の扶養控除制度が存在していること、(ニ)保育所その他の児童福祉施策との関連において、また、広く社会保障施策全体の中で、必ずしも優先度が高いとはいえないこと、(ホ)これらを反映して、51年に厚生省が実施した意識調査においても、児童手当の存在意義について積極、消極おおむね半ばしていること等から、その意義と目的についてなお疑問なしとしないところである。
ニ また、児童手当の費用負担について、現行制度では、被用者(サラリーマン)にかかる分については、事業主からの拠出を求めているのに対し、非被用者(自営業者、農業者等)にかかる分については、全額公費負担となっており、負担の公平化、適正化の観点から、現在の費用負担の方法には、基本的な問題があると考えられる。
②検討の方向
児童手当については、以上のような問題があり、社会保障全般について従来にもまして公平、かつ、効率的な制度運営が求められなければならない状況にあるので、制度の存廃、費用負担の在り方を含め、制度を基本的に見直すべきである。
「制度の存廃」まで踏み込んだこの報告には、当時の日本社会の常識的感覚が浮き彫りになっています。かつては、年功序列的な生活給、家族給こそが変わるべき悪しき日本的特徴であったはずであり、その変化を促進するためにこそ児童手当が唱道されていたはずですが、その舞台設定ががらりと変わってしまい、日本的な年功序列賃金こそが維持すべき望ましいものであり、にもかかわらずそれとバッティングするような児童手当などそもそも存在する値打ちもない、という意識が一般的になっていたのです。
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岸田内閣のリスキリング推進、そして児童手当の所得制限撤廃は相当本気でジョブ型雇用への移行を考えていると見ていいのでしょうか。
としますと、問題は立憲民主党ですね。この10年間の児童手当の歩みを検証するらしいのですが、果たしてどこまで問題意識が深まっていますやら。
ジョブ型と立憲民主党の主張する社会的サービスの拡充政策は不即不離であることに気付いてますかね?
相変わらず連合はメンバーシップ型正規雇用の組合員中心らしいですから。
そして児童手当の所得制限撤廃を足掛かりに野党は社会的サービスの拡充を言ってくるでしょうけれども、この前の選挙で消費税減税を言っていた方々が社会サービスの拡充には自民党が主張する以上の増税を自分たちでやれる、と言う覚悟をお持ちなのでしょうか。
10年前よりマシになったのは年金破綻論に基づく公約が出来なくなったことぐらい?だったら悲しいです。
投稿: balthazar | 2023年2月 1日 (水) 19時00分
balthazar殿
このブログにコメントされる方には立憲民主党やフェミニストに批判的な方も多いような気もしますが
>ジョブ型と立憲民主党の主張する社会的サービスの拡充政策は不即不離であることに気付いてますかね?
申し訳ありませんが、仰る事がよく理解できません。
私の理解では、立憲民主党の主張する(最近は自由民主党も主張し始めていますが)社会的サービスの拡充政策は親の勤務先がメンバーシップ型でもジョブ型でも関係なく必要な支援を行うという事だと思います。
例えば最近の子育ての問題点の1つは共働きの家庭が多くて妻の子育ての負担が大きい事ですが、夫が勤務する会社が担当するジョブが無くなっても他のジョブがあてがわれた雇用が維持されるという意味でメンバーシップ型であっても、年功で上がる賃金が(妻が専業主婦でいられるほど)十分でないので妻もパートで働いているという夫婦も多いと思います。その意味でメンバーシップ型に対しても社会的サービスの拡充政策は必要だと思います。
>相変わらず連合はメンバーシップ型正規雇用の組合員中心らしいですから。
連合の現在のトップは、与党の自民党よりも野党の共産党のほうがもっと嫌い という方らしいので、連合は共産党との協力を否定しない立憲民主党よりも国民民主党を応援しているように思えます。
また立憲民主党は規模が大きいので連合の支援の影響は国民民主党よりかなり小さいと思います。例えば昨年の参議院選挙の全国区では立憲民主党から立候補した5人の連合の候補の得票合計は68万票で政党全体の得票677万票の10%でした。また全国区では7人が当選しそのうち5人が連合の候補でした。これに対して国民民主党から立候補した4人の連合の候補の得票合計は85万票で政党全体の得票316万票の27%でした。また全国区では3人が当選し全員が連合の候補でした。
>児童手当の所得制限撤廃を足掛かりに野党は社会的サービスの拡充を言ってくるでしょうけれども、この前の選挙で消費税減税を言っていた方々が社会サービスの拡充には自民党が主張する以上の増税を自分たちでやれる、と言う覚悟をお持ちなのでしょうか。
税金は消費税だけではありません。消費税減税を主張したからと言って他の税金を増やす覚悟がない事にはならないと思います。以前のコメントでも申し上げましたが岸田総理は総裁選で金融所得に対する課税強化を主張しましたが結局実現できませんでした。多額の金融所得を得ている人のほとんどは自民党支持者だと思うので、岸田総理の主張は元々無理があったと思います。逆に言えば野党の支持者で多額の金融所得を得ている人はほとんどいないので、
金融所得に対する税率を※※%に上げて、その税収で子供手当を月に◇◇円増額します
と主張すればよいと思いますが。
投稿: Alberich | 2023年2月 7日 (火) 21時36分