経営権としての定期昇給
対馬洋平さんが、私のブログに触発されて、私鉄総連が定期昇給に反対した歴史を掘り出していますが、
https://twitter.com/yohei_tsushima/status/1627574592108908544
このエントリにつながる話。私鉄総連は1950年代に「定期昇給制度の導入は、職階制賃金の強化をつうじて、今後、労務管理の上で会社の一方的支配を強め労働組合を無力化することになる」として定期昇給制度の導入に反対した。
» ジョブ型と賃上げの関係: hamachanブログ
実は1950年代半ばは、ベースアップ闘争を繰り返す労働組合側に対して、日経連が(ベースアップに代えて)定期昇給を主張して対決していた時代なのです。
このあたりを詳しく研究しているのが、かつて日経連、経団連に在職し、その後埼玉大学で労使関係を研究して『日経連の賃金政策-定期昇給の系譜』(晃洋書房)を書かれた田中恒行さんです。
http://www.koyoshobo.co.jp/book/b436736.html
労働問題に関する数多くの提言を公表し、世論をリードする役割を果たしてきた日経連。本書は、その主張・提言の中から、賃金、なかでも日本の賃金決定において中心的な役割を果たしてきた定期昇給に焦点を当て、日経連・日本経団連に代表される経営側が定期昇給を維持・展開してきた歴史を、戦後から現代まで時系列に、さまざまな観点から分析を行ったものである。日本の経営者が日本の賃金についていかなる考えを持ってきたのかを検討して探る。
この本の中の節タイトルとしてとても印象的なのが「経営権としての定期昇給」という言葉です。いうまでもなく、日経連は「経営者よ、正しく強かれ」というスローガンで経営権の確立を主張したわけですが、その経営権の現れこそが定期昇給だったのです。
そのきっかけが、上の対馬さんのツイートでも触れられている1954年の私鉄賃金争議ですが、
私鉄総連(労働組合)は1954 年1 月以降のベース・アップ要求について、「一律2 千円プラスアルファ」を要求したが、経営側はこれを拒否し、中労委に調停申請を行った。4 月17 日に私鉄53 社各社に調停案が出されたが、その冒頭に、下記の文言が出てくる。
中労委私鉄賃金争議調停委員会調停案(1954 年4 月17 日)
一.昭和29 年4 月以降定期昇給を実施することとし、右昇給分を含めて現行基準賃金(税込)を左の通り増額する(幅は会社により7.5%~3%)私鉄総連は、アップ率が過少にすぎ、生活が保障されていないこと、定期昇給制度の導入は職制による組合圧迫の恐れがあること等を理由として、調停案を拒否したが、5 月までには各社ともに斡旋または自主交渉により妥結した。
これを受けて、日経連が1954年10月に「定期昇給制度に関する一考察」を取りまとめたのが理論的な出発点で、以後日経連は組合側のベースアップ攻勢に対して、定期昇給性の確立を以て対置していくことになります。
というわけで、なんとベースアップに代わって定期昇給で行けと言い出したのは、実は中労委だったんですね。
いや、正確にいうと、「ベースアップに代わって」とは言っていないな。「右昇給分を含めて・・・左の通り増額」と、まさに「定昇込み幾ら」というものの言い方の元祖が、 ここにありますね。
恐らく、この時の中労委はベースアップと定期昇給の理論的区別の如何などということはあんまり考えてなくて、まさに「足して二で割る」感覚で、組合側のベースアップ要求を水で薄める程度のつもりで定期昇給込みでという言い方をしたんだと思いますが、それが経営側の琴線に触れて、その後の日経連の賃金政策の大黒柱になっていくことになるわけです。
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