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2023年2月

2023年2月25日 (土)

生理休暇 スペインと日本

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 日本では76年前の1947年に労働基準法に規定された生理休暇が、このたびスペインで法制化されたというニュースが一部で話題を呼んでいるようですが、まずはそのスペインの話を見ておきましょう。ソースはユーロニュース紙。

https://www.euronews.com/next/2023/02/16/spain-set-to-become-the-first-european-country-to-introduce-a-3-day-menstrual-leave-for-wo

Spain has just passed a law allowing those with especially painful periods to take paid "menstrual leave" from work, in a European first.
The bill approved by Parliament on Thursday is part of a broader package on sexual and reproductive rights that includes allowing anyone 16 and over to get an abortion or freely change the gender on their ID card.
The law gives the right to a three-day “menstrual” leave of absence - with the possibility of extending it to five days - for those with disabling periods, which can cause severe cramps, nausea, dizziness and even vomiting.
The leave requires a doctor's note, and the public social security system will foot the bill.
The law states that the new policy will help combat the stereotypes and myths that still surround periods and hinder women's lives. 

スペインはヨーロッパで初めて特に苦痛な期間に有給の「生理休暇」をとることを認める法律を制定した。

木曜日に可決された法案は、16歳以上の者に妊娠中絶とIDカードにおける性別を変更する権利を与える性と再生産に関する権利のより広いパッケージの一部である。

この法律は三日間の「生理」休暇の権利、深刻な痙攣、吐き気、眩暈及び嘔吐を引き起こすほどの場合には五日間に延長可能、を与える。

この休暇には医師の診断書が必要で、公的社会保障制度が休業手当を支払う。

この法律は、新たな政策が女性の生活をめぐるステレオタイプと神話と戦うことを助けるであろう。

しかし、この法律をめぐっては国内に異論があったようです。

But the road to Spain’s menstrual leave has been rocky. Politicians - including those within the ruling coalition - and trade unions have been divided over the policy, which some fear could backfire and stigmatise women in the workplace.
Worldwide, menstrual leave is currently offered only in a small number of countries including Japan, Taiwan, Indonesia, South Korea and Zambia. 

しかし、スペインの生理休暇への道は険しかった。連立与党を含む政治家や労働組合もこの政策をめぐって意見が割れたが、それはこれが職場における女性にとって逆噴射であり、烙印を押すことにならないかという危惧であった。

世界的には、生理休暇を規定する国はごくわずかで、日本、台湾、インドネシア、韓国及びザンビアである。

"It's such a lightning rod for feminists," Elizabeth Hill, an associate professor at the University of Sydney who has extensively studied menstrual leave policies worldwide, told Euronews Next.
The debates around menstrual are often intense, she said, with concern focused on whether such a policy can help or hinder women.
"Is it liberating? Are these policies that recognise the reality of our bodies at work and seek to support them? Or is this a policy that stigmatises, embarrasses, is a disincentive for employing women?" 

「これはフェミニストにとって避雷針だ」と世界の生理休暇政策を研究するシドニー大学のエリザベス・ヒル准教授は語った。

生理休暇をめぐる議論は、それが女性を助けるのかそれとも妨げるのかという点に関心が集中してしばしば激烈だと彼女は語る。

「これは解放か?我々の職場における身体の現実を認識しそれを支援する政策か?それとも女性に烙印を押し女性の雇用へのディスインセンティブとなる政策か?」

 Some Socialists have voiced concern a menstrual leave could backfire against women by discouraging employers from hiring them.
"In the long term, it may be one more handicap that women have in finding a job," Cristina Antoñanzas, deputy secretary of the UGT, a leading Spanish trade union, told Euronews Next when the draft bill was first unveiled.
"Because we all know that on many occasions we have been asked if we are going to be mothers, something that must not be asked and that men are not asked. Will the next step be to ask us if we have period pains?"

社会主義者の中には、生理休暇は使用者が女性を雇用する気を失わせることにより女性に対する逆噴射になるとの懸念を語る者もいる。

「長期的には、これは女性が就職する上でのさらなるハンディキャップとなりうる」と、スペイン最大の労働組合UGTのクリスチナ・アントニャンザス副事務局長は語った。

「我々はみんないつも母親になる気はあるのかと、本来聞いてはいけないし、男性は聞かれることのない質問を受けてきた。次に我々に聞かれるステップは、生理は苦痛ですか?だ」

少なくとも某国の某政党の地方議員さんが考えるほど、ただ素晴らしいだけの政策というわけではないし、そもそも我が日本国においても、76年前に生理休暇の規定が置かれて以来、その是非をめぐって様々な議論がいろんな立場から行われてきたものでもあるのです。

日本における生理休暇の歴史については、すでに様々な著書や論文が積み重ねられてきていますが、ここでは労働基準法施行直後に、当時の労働省婦人少年局が出したリーフレットを参考までに貼り付けておきます。

Hatarakufujin

Seirikyuuka

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2022/05/post-63a408.html

510fduhbcl_20230225095201 というのも、日本で1947年に労働基準法ができるときに、外国にその例がないのに生理休暇という制度が設けられたということはかなり有名で、『働く女子の運命』でも、p52にちらりとこう記述していました。

・・・このときに労働基準法が設けた生理休暇は、世界に類を見ない規定ですが、戦時中の女子挺身隊の受入時に実施されたことを背景に、戦後労働運動の高揚の中で生理休暇要求とその獲得が進み、行政内部でも谷野せつ氏が強く訴えたことから、実現に至ったといわれています(田口亜紗氏『生理休暇の誕生』青弓社)。

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2023年2月24日 (金)

特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律案

本日、フリーランス新法といわれていた法律案が、ようやく自民党の了解を得て国会に提出されたようです。

https://www.cas.go.jp/jp/houan/211.html

名前はさすがにフリーランスなどというカタカナではなく、「特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律案」となっていますね。内容は、パブリックコメントで出ていたのとほぼ同じですが、管轄官庁が条文ごとに明示されています。

樋口直人・稲葉奈々子編著『ニューカマーの世代交代』

622633 樋口直人・稲葉奈々子編著『ニューカマーの世代交代 日本における移民2世の時代 』(明石書店)をお送りいただきました。

https://www.akashi.co.jp/book/b622633.html

移民研究の分野を代表する編著者のもと、「日本在住の移民2世による移民研究」が多数収載された成果。移民コミュニティ、第2世代の学校後の軌跡、ジェンダー化された役割期待、出身国との往来、日本社会からの排除等のテーマを追った意欲的な論集である。

移民2世の若者たちが、それぞれに置かれた状況の中で、様々に生きていく姿がビビッドに描き出されていて、論集というよりはなんというか半ばよくできたルポみたいな感じで読んでいました。

 

 

『新しい労働社会』が第14刷

131039145988913400963_20230224193301 この度、読者の皆様のおかげで、2009年に刊行した『新しい労働社会』が第14刷目となりました。

一昨年の『ジョブ型雇用社会とは何か』とともに、引き続き皆様に読まれ続けているのは、嬉しい限りです。

本書ではかなりの分量をとって論じていながら、『ジョブ型雇用社会とは何か』ではほとんど突っ込んで論じていない分野が、本書第3章の「賃金と社会保障のベストミックス」です。どちらかというと政府の社会保障政策に関わる領域なので、『ジョブ型』では児童手当と企業の家族手当の関係について触れたくらいですが、全世代型社会保障改革がっ話題となる中、本書にも改めて読んでいただくといろいろと発見があるやもしれません。

2023年2月23日 (木)

Available ...... as a Belgian.

去る2月20日に、JILPTの労働政策フォーラム「女性の就業について考える」をオンラインのライブ配信で開催し、1000人以上の皆さんに視聴していただきました。

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パネルディスカッションでは、マザーズハローワークの鈴木玲子さん、NPO法人キッズドアの渡辺由美子さん、日本女子大学の周燕飛さん、千葉大学の大石亜希子さんに加え、JILPTの樋口美雄理事長も加わって100分間の熱心な議論が繰り広げられました。司会をしてたのは私ですが、最後に5分ほど時間が残ってしまったので、「本来司会は余計なことを言っちゃいけないんですが、時間があるので余計なことを言いますね」と、余計なことを言いました。

それは、ベルギーのみやげ物屋に売っているポストカードで、「THE PERFECT EUROPEAN SHOULD BE... 」(完璧なヨーロッパ人はこうでなくっちゃ・・・)というジョーク仕立ての各国人気質を風刺した絵なんですが、そこに出てくるベルギー人は、「Available ...... as a Belgian. 」(ベルギー人のようにいつでもどこでも使える・・・)というセリフとともに、誰もいない席の机の上で空しく鳴り続けている電話の絵が描かれているんですね。

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しかも、その机の上には、「congé」(休暇)の文字が・・・。

いつ電話しても「休暇中」。どこが「available」なんだ、というエスニックジョークですが、でもこれ、裏返して言うと、いつでもどこでも会社にとってavailableでなければならないという日本の正社員の在り方の正反対で、それこそが日本の女性たちの働きづらさの原因なんじゃないの?という問題提起を、最後の最後っ屁みたいな形でパネルディスカッションの締めくくりに喋ったわけです。

これは、今から四半世紀以上も昔の記憶が不意によみがえってきて思わずその場で喋ってしまったんですが、後から考えてみると、このポストカードのことを知らない人にはいささかちんぷんかんぷんだったのではないかと思い、そのポストカードの絵柄をここに載っけておきます。ほかの国の人々に対してもなかなかに皮肉の効いたエスニックジョークが並んでいます。

 

 

 

2023年2月22日 (水)

平塚眞樹編『ユースワークとしての若者支援』

619007 平塚眞樹編、若者支援とユースワーク研究会著『ユースワークとしての若者支援 場をつくる・場を描く』(大月書店)をお送りいただきました。

http://www.otsukishoten.co.jp/book/b619007.html

若者たちに必要なのは、安心して過ごし、やってみたいことに取り組め、多様な人と交われる「場」だ。ユースワークの公的制度が発達している欧州から学び、「スキル獲得」とは異なる、若者支援実践が共有すべき価値を提示する。

メインは第2章のイギリス、第3章の日本それぞれの若者支援のストーリー。その中でも、

Story 5 ただそばに居ること(勝部皓)

の、サカタという少年の不思議な存在感が記憶に残ります。

1 若者支援とユースワーク
①日本の若者支援をとりまく状況(南出吉祥・乾彰夫)     
②ユースワークとしての若者支援(平塚眞樹)           

2 欧州のユースワークとその背景
①イギリスのユースワークを描く
Story1 不安定を生きるチェルシーと共に(ダーレン/中塚史行)                 
Story2 センターはまるで私の一部(チェルシー/北川香・ 乾彰夫)   
Story3 顧みられないワーカーの仕事が僕らを変える(キーラット/北川香・乾彰夫)  
Story4 若者たちの居る街角で関わりをつくる(タニア・ドゥ・セントクロア/ 平塚眞樹)
②フィンランドのユースワーカーに聞く 自分に向きあい、同僚と語りあう(松本沙耶香・松田考)      
③ソーシャルペダゴジー― ユースワークの概念的実践的基盤(横井敏郎)  

3 若者が育つ場をつくる                                  
①ワーカーが描くユースワーク  
Story 5 ただそばに居ること(勝部皓)
Story 6 「なぁ聞いて!」から始まる日常(國府宙世)
Story 7 思いを形にする--「りあらいず」の挑戦(大口智) 
Story 8 「大人は信じない!」からの出発(平野和弘)
Story 9 「あなたのせいではない」と伝えたい(中塚史行)
②若者が語るユースワーク
Story 10 「どこ行く?」「とりあえず、やませい!」(横江美佐子)
Story 11 自分の気持ちがいちばん大事(福井宏充)
Story 12 大好きな“劇”と仲間に出会えて(矢沢宏之) 
Story 13 弱さを見せあえた関係性を支えに(廣瀬日美子) 
③日本のユースワーカーに聞く 若者に聞くことから始まる(横江美佐子) 

4 ストーリーをふりかえる       
①若者と共に場をつくる仕事(原未来) 
②若者が語るユースワークの場での育ち(大津恵実)
③ユースワーカーが〈書く・伝える〉こと(岡幸江・平塚眞樹)

5 場をつくる実践の射程          
①“場”を育てる教育実践としての生活指導(乾彰夫)
②場をつくる学びを組織する地域社会教育(宮崎隆志)
③人を育てる場づくりとしてのコミュニティワーク(木戸口正宏) 

 

 

勤続1年の昇給率が0.0%だってぇ?

なんだかやたらに対馬洋平さんに絡んでばかりいるみたいですが、

https://twitter.com/yohei_tsushima/status/1628244039408689152

川口大司教授〈木村太郎、倉知善行、須合智広の3氏による研究は、勤続年数が1年増えることによる昇給率が05~08年の2.5%から13~17年の0.0%に低下し、賃金カーブのフラット化が起きたことを報告している〉

賃金体系改革の好機に 賃上げ、どこまで可能か - 日本経済新聞

https://twitter.com/yohei_tsushima/status/1628245261280743424

これは…。(前から言われていたけれど)年功賃金なるものは、存在しないということ?

2010年代には年功による昇給分が完全にゼロになったというこの数字はいかに何でも信じがたいので、その元の木村太郎、倉知善行、須合智広の3氏による研究を覗いてみました。

https://www.boj.or.jp/en/research/wps_rev/wps_2019/data/wp19e12.pdf(Decreasing Wage Returns to Human Capital: Analysis of Wage and Job Experience Using Micro Data of Workers Taro Kimura, Yoshiyuki Kurachi, Tomohiro Sugo)

この英文の論文の11ページ目にはこうあります。

This result shows that the returns have decreased from 2.5 percent in the 2000s to 1.5 percent in the 2010s, which is consistent with the result of Section 3.

2000年代には2.5%だったのが、2010年代には1.5%に減少したと。これならいかにもありそうです。

 

 

 

 

 

 

 

海老原嗣生『マーケティングとクリエイティブをもう一度やり直す 大人のドリル』

9784296201464 海老原嗣生さんから『マーケティングとクリエイティブをもう一度やり直す 大人のドリル』(日経BP)をお送りいただきました。

https://bookplus.nikkei.com/atcl/catalog/23/02/08/00662/

「マーケティングやクリエイティブの知識・スキルは、
マーケターやデザイナーに必要なもの」と思っているあなた。
それは間違いです。
すべてのビジネスパーソンが身に付けることで、
明日からの仕事が変わります。
「話がうまく伝わらない」「何を書いたらいいのだろう」「良い発想が浮かばない」――。ビジネスパーソンの多くはそんな悩みを抱えています。そうした悩みに共通するのは「何を伝えたいのか」、すなわち「コンセプト」が欠けていることです。
マーケティングの教科書やMBAの授業でも、コンセプトやマーケティング、クリエイティブについて学ぶことはできますが、実践で使いこなすまでには、なかなか行きつけないものです。
この本では、分かったようで、実は分かっていない、マーケティングとクリエイティブの本質を、身近な事例と実践的なワークを通じて、スムーズに腹落ちさせます。会議、営業、企画、そして夕食の支度にさえすぐに使え、明日からの人生を変えるでしょう。

マーケティングともクリエイティブともほぼ縁のない人生を送ってきた私にとっては、縁なき衆生の物語という感じで本を開いてみましたが、さすが海老原さん、素人にもなるほどと思わせるような巧みな話術でどんどんページをめくらせますね。

とはいえ、日経新聞の拡販広告を打つことになりました。で、出てきたキャッチフレーズが「諸君、学校出たら勉強しよう」だったというのは、それは日本的な大学(特に文系)と会社の関係性ゆえだよなあ、という感想がわいてきて、なかなかその先に進めなくなります。

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最近も、どこぞの私立文系の経済学のセンセが農学部をディスったとかどうとか話題になっていますが、まあ、卒業生が「学校出たら勉強しよう」と真顔で言われるような教育してしてこなかった人々が、それなりにその勉強内容を評価されるような理系学部の悪口を言い捨てて平気なこのニッポンだからこそ、こういう広告がクリエイティブなものとして評価されるんだよな、と。

https://twitter.com/kurakenya/status/1626864830572539904

日本の高等教育だダメな理由の一つは、文科省が「定員」の増減を(補助金行政で)縛っているため。定員3000人の東大で、すでにまったく無益無用な農学部に今も400人が進学する。少なくても私学には自由に学部を新設させて社会の人材ニーズに応えなければ、学生時代の時間と金がムダすぎる。

その、現に私学に「自由に学部を新設させて社会の人材ニーズに応え」て文系、とりわけ経済系の学部を乱造してきた帰結が、「学校出たら勉強しよう」なんですがね。まあ、このヒトにとっては、日本型雇用に過剰適応して、大学で学んだことを全部忘れて営業活動に使えるソルジャー部隊要員を大量生産することが、「学生時代の時間と金をムダ」にしないたった一つの冴えたやり方なんでしょう。ククク。

という風なことばかり書いてると海老原さんに怒られるかもしれませんが、とにかく、ワークブックが別冊付録でついてくるような本は、学生時代以来初めてでした。

 

 

EUの最低所得勧告@『労基旬報』2023年2月25日号

『労基旬報』2023年2月25日号に「EUの最低所得勧告」を寄稿しました。

 本紙で以前指令案の段階で紹介したEUの最低賃金指令は、去る2022年10月19日に正式に採択され、2024年11月15日までに加盟国の国内法に転換すべきこととされました。一方、つい先日の2023年1月31日には、EUの最低所得勧告が採択されています。正式名称は「積極的な統合を確保する十分な最低所得に関する理事会勧告」(COUNCIL RECOMMENDATION on adequate minimum income ensuring active inclusion)です。minimum wageが労働法分野であるのに対して、minimum incomeは社会保障分野であって、直接重なるわけではありませんが、広い意味での生活保障の一環として密接な関係にあるとも言えます。指令ではなく勧告なので拘束力はありませんが、加盟国の制度設計に対する一定の圧力という効果はあるでしょう。なお、欧州労連等の意見を踏まえ、欧州議会は昨年の決議で、本勧告は拘束力ある指令とすべきだと主張していましたが、それは受け入れられていません。
 ここでいう「最低所得」とは、「十分な資源に欠ける人の最後の手段(last resort)としての非拠出型(non-contributory)で資産調査型(means-tested)の安全網(safety nets)」と定義されています。日本で言えば生活保護に相当する社会扶助のことです。しかし、本勧告はその狭義の最低所得の水準や適用範囲、アクセスについて規定するだけではなく、労働市場への統合やエッセンシャルサービスへのアクセスなど、貧困問題を抜本的に解決するための取組みについても規定を設けています。日本でも近年、生活保護制度の柔軟な運用や生活困窮者自立支援法など類似の問題意識が登場してきていることを考えると、本勧告の内容はいろいろと参考になる点が多いように思われます。
 最初に勧告するのはタイトルにもある通り所得支援の十分性(adequacy)です。加盟国は人生の全ての段階で尊厳ある生活を保証するため、金銭給付と現物給付を組み合わせた十分な所得支援をしなければならず、その水準は十分な栄養、住居、医療及びエッセンシャルサービスを含む必要な財やサービスの金銭価値以上でなければなりません。なお興味深いのはここで、女性や若者、障害者の所得保障と経済的自立のため、世帯の個々の世帯員が最低所得を請求できるようにすべきと述べていることです。
 次が最低所得の適用範囲(coverage)で、定まった住所の有無に関わらず最低所得にアクセスできる透明で非差別的な適用基準、世帯の種類や規模の違いに応じた資産調査の水準、申請から30日以内の迅速な処理手続、適用基準を充たしているかの定期的な見直しと働ける者への統合措置、簡易迅速で無料の苦情処理手続等が求められています。
 最低所得の受給に際しては、申請手続の簡素化など行政的負担の縮減、ユーザーフレンドリーな情報へのアクセス、とりわけ一人親世帯の受給を容易にする意識喚起、スティグマとアンコンシャスバイアスへの対策などが求められています。
 ここまで見ると、給付を手厚くしろと言っているだけに見えますが、ここから話は労働市場への統合措置(アクティベーション)に移ります。働ける者には働いて稼ぐ道に戻ってもらうというわけですが、そこには細心の注意が必要です。とりわけ若者にはできるだけ早期に教育訓練や労働市場に戻れるようにすべきです。低技能者や古びた技能の者にはアップスキリングやリスキリングが必要です。また試用期間や訓練生期間の間は所得支援と労働収入を組み合わせて、段階的に脱却していくような仕組みも重要ですし、税社会保障制度による就労ディスインセンティブの見直しや、社会的経済セクターの活用も示唆されます。
 もう一つの柱がイネイブリングサービス(enabling service)とエッセンシャルサービス(essential service)へのアクセスです。このイネイブリングサービスというのは聞き慣れない言葉でしょう。本勧告では「十分な資源に欠ける人が社会と労働市場に統合することができるよう特別の必要に焦点を当てたサービスで、ソーシャルワーク、カウンセリング、コーチング、メンタリング、心理的支援、リハビリテーションに加え、幼児教育や保育、医療、介護、教育訓練、住居等の社会統合サービスも含む」と広く定義されています。エッセンシャルサービスはコロナ禍でよく使われましたが、「水道、衛生、エネルギー、交通、金融サービス及びデジタル通信を含むサービス」と定義されています。加盟国は最低所得受給者にこういったイネイブリングサービスへのアクセスを確保するとともに、エネルギーを含むエッセンシャルサービスへのアクセスも保証しなければなりません。
 こうしたサービスの提供については、一人一人に応じた個別化されたアプローチが必要です。最低所得受給開始から3か月以内に、積極的労働市場措置など社会統合措置の支援パッケージを策定し、ケースマネージャーかコンタクトポイントを指名してその進展を定期的に見守ることが求められます。本勧告はその他、制度のガバナンス、モニタリング、報告等についても規定しています。

 

 

2023年2月21日 (火)

経営権としての定期昇給

対馬洋平さんが、私のブログに触発されて、私鉄総連が定期昇給に反対した歴史を掘り出していますが、

https://twitter.com/yohei_tsushima/status/1627574592108908544

このエントリにつながる話。私鉄総連は1950年代に「定期昇給制度の導入は、職階制賃金の強化をつうじて、今後、労務管理の上で会社の一方的支配を強め労働組合を無力化することになる」として定期昇給制度の導入に反対した。

» ジョブ型と賃上げの関係: hamachanブログ

実は1950年代半ばは、ベースアップ闘争を繰り返す労働組合側に対して、日経連が(ベースアップに代えて)定期昇給を主張して対決していた時代なのです。

436736 このあたりを詳しく研究しているのが、かつて日経連、経団連に在職し、その後埼玉大学で労使関係を研究して『日経連の賃金政策-定期昇給の系譜』(晃洋書房)を書かれた田中恒行さんです。

http://www.koyoshobo.co.jp/book/b436736.html

労働問題に関する数多くの提言を公表し、世論をリードする役割を果たしてきた日経連。本書は、その主張・提言の中から、賃金、なかでも日本の賃金決定において中心的な役割を果たしてきた定期昇給に焦点を当て、日経連・日本経団連に代表される経営側が定期昇給を維持・展開してきた歴史を、戦後から現代まで時系列に、さまざまな観点から分析を行ったものである。日本の経営者が日本の賃金についていかなる考えを持ってきたのかを検討して探る。 

この本の中の節タイトルとしてとても印象的なのが「経営権としての定期昇給」という言葉です。いうまでもなく、日経連は「経営者よ、正しく強かれ」というスローガンで経営権の確立を主張したわけですが、その経営権の現れこそが定期昇給だったのです。

そのきっかけが、上の対馬さんのツイートでも触れられている1954年の私鉄賃金争議ですが、

私鉄総連(労働組合)は1954 年1 月以降のベース・アップ要求について、「一律2 千円プラスアルファ」を要求したが、経営側はこれを拒否し、中労委に調停申請を行った。4 月17 日に私鉄53 社各社に調停案が出されたが、その冒頭に、下記の文言が出てくる。

中労委私鉄賃金争議調停委員会調停案(1954 年4 月17 日)
一.昭和29 年4 月以降定期昇給を実施することとし、右昇給分を含めて現行基準賃金(税込)を左の通り増額する(幅は会社により7.5%~3%)

私鉄総連は、アップ率が過少にすぎ、生活が保障されていないこと、定期昇給制度の導入は職制による組合圧迫の恐れがあること等を理由として、調停案を拒否したが、5 月までには各社ともに斡旋または自主交渉により妥結した。

これを受けて、日経連が1954年10月に「定期昇給制度に関する一考察」を取りまとめたのが理論的な出発点で、以後日経連は組合側のベースアップ攻勢に対して、定期昇給性の確立を以て対置していくことになります。

というわけで、なんとベースアップに代わって定期昇給で行けと言い出したのは、実は中労委だったんですね。

いや、正確にいうと、「ベースアップに代わって」とは言っていないな。「右昇給分を含めて・・・左の通り増額」と、まさに「定昇込み幾ら」というものの言い方の元祖が、 ここにありますね。

恐らく、この時の中労委はベースアップと定期昇給の理論的区別の如何などということはあんまり考えてなくて、まさに「足して二で割る」感覚で、組合側のベースアップ要求を水で薄める程度のつもりで定期昇給込みでという言い方をしたんだと思いますが、それが経営側の琴線に触れて、その後の日経連の賃金政策の大黒柱になっていくことになるわけです。

 

日本的工资不上涨源于“美德的不幸”吗?

英語と中国語で海外に日本の議論を発信する「Discuss Japan — Japan Foreign Policy Forum」(中国語では「 政策意见网上交流平台 」)というサイトがあります。そこに、『世界』1月号に載せたわたくしの「日本の賃金が上がらないのは『美徳の不幸』ゆえか?」の中国語版も掲載されました。

https://cn.japanpolicyforum.jp/economy/pt202302211343179030.html

近年来,“为什么日本的工资不上涨”成为热门话题。早在五年前,玄田有史编著了《为何人手不足而工资却不上涨》这本书反映了该问题。在书中,从经济学的各个角度展开分析,虽然不无道理,但总觉得还是没有完全说透。在高度成长期的日本,伴随“国民收入倍增计划”的口号,工资急剧上升。虽然物价也在上涨,但工资的增长幅度更大。到底是从什么时候形势开始转变的呢?让我们回顾一下历史。

世界の論文を読まれた方も、英語版を読まれた方も、中国語版をちらりとご覧いただければ幸いです。

石油危机的成功经验成为绊脚石
廉价的日本”的原因源自批评“昂贵的日本”
提高生产力的误解
那我们该怎么办? 

ちなみに、これとは全く関係がありませんが、このサイトの英語版での最人気記事がイージスアショアの話であるのに対して、中国語版の最人気記事はいまから7年も前の「中国建国之父毛泽东与日军共谋」なんですね。

 

 

 

 

河本毅著、弁護士法人番町総合法律事務所編『判例から探る不利益変更の留意点[第2版]』

1946thumb1158x1654709 河本毅著、弁護士法人番町総合法律事務所編『判例から探る不利益変更の留意点[第2版]働き方改革時代の労働条件見直しの指針』(経団連出版)を、お送りいただきました。

https://www.keidanren-jigyoservice.or.jp/pub/cat3/b6a34c637d2af9c146f6528f4cf6c6731cfb3d6c.html

◆問題の所在や、不利益変更の要件・限界がわかる
◆紛争を回避するための手続きとは
◆有効とされた例、無効とされた例ともに多数収録
「コロナ禍」といわれる状況が3年以上にわたり、働き方、仕事の進め方が様変わりしました。加えて、使用者、労働者双方とも、心身のリフレッシュの機会も奪われるなど余裕のない時代に突入したといえます。このような状況下、企業は、社会や経済から多大なる影響を受けつつも、その動向を注視し、維持・発展していくことが求められますので、時にルールや当初締結した約束を変えなければいけない場面に遭遇することも見込まれます。
本書は、一体どのような場合に、どういったプロセスを踏み、どの程度会社のルールを変えていいのか、という疑問について、できるだけ背景事情も含め紹介を試みました。その前提としての、労働関係法にかかる原則論はもちろんのこと、近時の働き方改革関連法、同一労働・同一賃金にかかわる事例も取り上げており、労働条件変更を検討する際の参考書として好適です。
不利益変更法理の実務上の取り扱い、どうすれば合理性ありと判断されるのか、労使トラブルを未然に防止する手段など、170のQ&Aで紛争回避の具体例を詳説します。

河本毅さんといえば、3000ページ近い超絶分厚い『労働紛争解決実務講義』で有名ですが、本書は500ページを超える程度の普通の分量の本です。

その河本さん、昨年亡くなられたということで、弁護士事務所の皆さんが改訂したのが本書ということですが、まあでも全編に河本節が鳴り響いていますね。

とにかく、最初の章が「労働契約法の概要と制定に至る歴史的変遷」で、江戸時代の労働契約法制として奉公人請状が載っていたり、江戸時代の集団的労使関係法制として一揆・打毀しが出てきたり、芸娼妓契約の問題点が論じられていたりと、まあ他の労働契約法の本には絶対に出てこないような面白い話が次から次に出てきます。ちなみに、芸娼妓契約については、戦前例えば警視庁令として芸娼妓口入営業取締規則が制定されていたりして、労働市場法制の観点からも興味深い素材だったりします。

巻末の第2版あとがきを、娘さんで弁護士の河本みま乃さんが書いていますが、

父の執務室を整理していると、同一労働同一賃金、成果主義的賃金体系などにかかる裁判例など、第2版にかける熱意が垣間見える資料が数多く見つかった。・・・・本書を、弁護士河本毅に捧げる。

というわけで、まさに霊前に捧げる書ということなのでしょう。

 

2023年2月19日 (日)

ロシアで流行る陰謀論

Se6 日本でも様々な陰謀論がもてはやされ消費されていますが、戦争当事国のロシアでも、妙ちきりんな陰謀論が流行っているんだそうです。

例によってソーシャル・ヨーロッパから、アンナ・マトヴェーヴァさんの「Conspiracies, detachment and confusion in Russia」(ロシアの陰謀論、隠遁、混乱)というエッセイから。

https://www.socialeurope.eu/conspiracies-detachment-and-confusion-in-russia

The reality of the war is so absurd that rational explanations aren’t enough, so the collective mind turns to fantasy. Conspiracy theories abound, even among well-grounded individuals.

戦争の実相はあまりにも馬鹿馬鹿しいので合理的な説明は十分ではないゆえ、集団心理は幻想に向かう。陰謀論が、まっとうな人々の間ですらはびこってる。

One theory centres on a clandestine government that rules the entire world; its members are mostly secret, though they include (before her death) Queen Elizabeth II and the Pope. According to such views, the war in Ukraine is a plot by a shadowy cabal and Putin and the United States president, Joe Biden, are puppets manipulated by puppet-masters. In another variant, the pro-war and pro-peace camps are actually global oligarchies battling each other for world dominance and Ukraine is a mere theatre for their struggle.

ある理論は、全世界を支配する秘密政府に焦点を向ける。そのメンバーはほとんど秘密だが、その中には(生前の)エリザベス2世と教皇も含まれる。かかる見解によれば、ウクライナの戦争は陰に隠れた秘密結社のプロットであり、プーチンとバイデン米大統領は操り人形師によって操られている操り人形なのだ。もう一つの説では、戦争賛成派と戦争反対派は実際には世界支配をめぐってお互いに争っているグローバルなオリガルヒであり、ウクライナは彼らの戦いの劇場に過ぎないのだ。

Other conspiracy theories centre on Putin himself, amid doubts over whether he is a real person or a collection of doubles, as reflected in a new saying: ‘He is no longer himself, or rather, not quite himself.’ Alternatively, Putin is real but he is a necrophiliac determined to take Russia with him when he comes to his natural end. Or he is an Anglo-Saxon agent placed to ruin Russia from within. Or the Kremlin is overrun by occult forces who influence key decisions, in the same way that the tsar Nicolas II was influenced by the ‘mad monk’ Rasputin during the first world war.

他の陰謀論はプーチン自身に焦点を当て、かれがリアルな人間なのかそれとも複数の者の集まりをめぐる疑問の中で、「彼はもはや彼自身ではない、いやむしろ十分に彼自身ではない」という。さもなければ、プーチンはリアルだが、その生命としての死を迎えるときにロシアを道連れにする屍姦者なのだ。あるいは、彼はロシアを中から破壊するために送り込まれたアングロサクソンのエージェントなのだ。あるいは、クレムリンは決定的意思決定に影響を及ぼすオカルト的な力によって支配されている、ちょうど第一次大戦時に皇帝ニコライ2世が怪僧ラスプーチンに影響されていたように。

Such conspiracies cannot be blamed on state propaganda but reflect confusion and collective trauma. They provide an explanation (however far-fetched) for the bewildering reality and also a hope that those who started the war can quickly end it. 

こうした陰謀論は国家のプロパガンダにおいては非難されえないが、混乱と集団的トラウマを反映している。これらは(いかにこじつけであっても)途方に暮れる現実に対し説明を提供し、そして戦争を始めた者たちがすぐにそれを終わらせることができるのだという希望をも提供してくれるのだ。

というわけで、

そう、陰謀論とは、どんなにねじけたものであっても、絶望的な状況にある者に希望を提供してくれるものなのですね。だから世に陰謀論が終わることはない、どんなに馬鹿馬鹿しいものであっても。

 

2023年2月18日 (土)

Are Japanese wages not increasing because of “the misfortunes of virtue”?

Djweb_75_eco_03_pic01 英語と中国語で海外に日本の議論を発信する「Discuss Japan — Japan Foreign Policy Forum」というサイトがあります。そこに、『世界』1月号に載せたわたくしの「日本の賃金が上がらないのは『美徳の不幸』ゆえか?」の英文版が掲載されました。

https://www.japanpolicyforum.jp/economy/pt2023021723213812947.html

At a time when inflation was the greatest macroeconomic problem in 1970s, the mode of trade unions refraining from wage increase was truly a virtue. But this noble act became the weakness of the trade unions, and the virtue became the “misfortune of virtue.”

『世界』の論文を読まれた方にとっては、それが英文でどのように表現されているかも興味深いかも知れません。

The oil crisis success backfired

The cause of “cheap Japan” is criticism of “expensive Japan”

Misconceptions about productivity

So, what to do?

 

 

 

山川隆一『労働紛争処理法 <第2版>』

618403 山川隆一『労働紛争処理法 <第2版>』(弘文堂)をお送りいただきました。

https://www.koubundou.co.jp/book/b618403.html

労働紛争解決システムの全体像を鳥瞰するとともに、労働法学において初めて要件事実論に基づく事件処理の手法を具体的に提示した、実務に役立つ基本書。
労働関係をめぐる紛争の質的・量的な変化により生まれた、労働審判制度などの新制度の運用実態、企業内や行政における労働紛争処理システム等をわかりやすく解説します。
さらに、解雇・雇止めや賃金・退職金、就業規則や配転・出向・病気休職、懲戒処分、男女雇用平等・ハラスメント、有期雇用労働者の無期変換、労働災害・企業組織変動、労働協約、不当労働行為などの典型的あるいは新しいタイプの労働紛争を解決するために要件事実の考え方を初めて導入。
新型コロナウイルス問題の影響をはじめ、労働社会をめぐる状況にも変化がみられ、労働紛争の適切な解決や予防についての基本的な理解やスキル獲得の重要性は増しています。
決定版である本書は必携必読の一冊です。

初版をいただいたのが2012年ですから、11年ぶりの第2版ということになります。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-07f9.html

全体としては労働問題の民事(行政)訴訟法の教科書という感じの一冊です。

この10年余りのいろんな動きが書き加えられているのですが、できればもう少し詳しく書いていただければと思ったところもいくつか。

たとえば、156ページの労働審判の申立ての性格に関するところなど、

・・・労働審判の申立ては、申立人が主張する権利関係を内容とするものであり(申立ての趣旨は、請求の趣旨に対応するものとなる)、この権利関係が審理の対象となると考えられる。労働審判手続きにおいても、以上のような意味ではあるが、「審判物」を観念することができる。

と、淡々と書かれているのですが、しかしながら実際には、労働審判事件の多数を占める解雇・雇止め等の雇用終了事案においては、その「審判物」はほとんどすべてが雇用関係の地位確認であるにもかかわらず、実際の調停・審判結果のほとんどすべてが金銭解決になっているという誰もが承知している事実があっさりスルーされている感があります。

P705 この点については、2014年に出された佐々木亮さんらによる『労働審判を使いこなそう!』の中でも、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-fec7.html

・・・申立人が必ずしも職場に戻るつもりがなくても地位確認で行くべきである。申立の趣旨を「相手方は申立人に対して金○○円を支払え」などとし、はじめから慰謝料等の金銭請求をするのでは、多くを得ることは望めないと知るべし。必ずしも職場に戻る意思がなくとも、そのように主張しないと多くの解決金は望めないからである。

と、まことに実践的な指南をしていることからも明らかなように、内心の「審判物」は高額の金銭解決であっても、それをそのまま出すと低額の金銭解決に陥ってしまうので、外見上の、あるいはそう言ってよければ心にもない虚構の「審判物」を地位確認請求ということにしているということを示しているわけです。

もちろん、この「審判物」の二重構造こそが、労働審判の柔軟な解決を可能にしていることも確かなのですが、とはいえその構造を見て見ぬふりをして公式論だけ論じていて物事が進むのかという気もします。

過去20年間デッドロックにはまり込んでいる(訴訟における)解雇の金銭解決制度のそもそもの問題も、「審判物」ほど柔軟に扱えない民事訴訟法上の「訴訟物」という代物の厄介さゆえに起こっているということも考えると、この点についてはもっと突っ込んで議論してほしいという思いが湧きました。

このページの注78では、「こうした観点からは、労働審判においては、当事者が解決を申し立てた紛争についてどのような解決がなされたのかが不明確にならないよう留意すべきであろう」として、私がかつて評釈したX学園事件さいたま地裁判決を引いていますが、この事件こそは、まさにうえで述べた「審判物」の二重構造がもたらしたものに他ならないのではないでしょうか。

http://hamachan.on.coocan.jp/shukutoku.html (労働判例研究 労働審判における「解決金」の意義--X学園事件)

Ⅱ 労働審判における事実上の金銭解決の法的不安定性
 ところが、法的論理的立場を離れて上記事案の経過を前提とすれば、本事件の処理の仕方としては、本件雇止めを認めずその雇用継続を認めるような判決は、社会常識からしてとうてい受け入れがたいものである。その意味で、本判決は論理的には受け入れがたいが、その結論は社会常識的にまともと言わざるを得ない。逆に言えば、社会常識的にまともな結論を導くために、無理な論理展開を行ったとも見られる。その原因は、判旨Ⅰの労働審判の趣旨の理解にある。
 2006年度に労働審判法が施行されて以来、その解決の圧倒的大部分は「解決金などの金銭の支払い」である(労働者側調査:95.0%、使用者側調査:89.2%)。「その会社で働く権利や地位」はごくわずかである(労働者側調査:4.0%、使用者側調査:4.3%)(東大社会科学研究所『労働審判制度についての意識調査基本報告書』)。労働審判法20条2項は「労働審判においては、当事者間の権利関係を確認し、金銭の支払、物の引渡しその他の財産上の給付を命じ、その他個別労働関係民事紛争の解決をするために相当と認める事項を定めることができる」と定めているが、この「金銭の支払」と「権利関係の確認」の関係については実定法上はなんら規定がない。菅野他『労働審判制度』(弘文堂)には、「たとえば、労働者が解雇の効力を争って職場復帰を求める内容の申立を行った場合について言えば、当事者が労働審判手続の過程において示した様子を総合的に勘案して、当事者の真の意思を推認し、当事者にとって不意打ちにならないと判断されるときには、解雇が無効であると判断した場合であっても、事案の実情を考慮して、金銭補償をした上で労働関係を終了させる旨の労働審判を行うことも可能であると考えられる」(p92)と、ドイツの解消判決類似の労働審判を推奨する記述も見られる。おそらく多くの事案においては、同書の示唆に従い、金銭補償をした上で労働関係を終了させる旨の労働審判を行っているものと思われるが、中には本事件のごとく、権利関係の帰趨はあえて明確化せず、ただ金銭の支払を命ずるだけのものもあるのであろう。ただその場合でも、労働審判当事者は、ただ金銭支払を命ずる労働審判を、労働関係の終了を含意するものと受け取ってきたものと思われる。上記東大社研調査自体がそのような社会常識を前提として設計されているし、近年の規制改革会議や産業競争力会議における提言もそれを前提としつつそれを訴訟における判決にも拡充することを求めている。少なくとも(その価値判断はともあれ)解決金の名目で金銭の支払を命ずる労働審判確定後においても雇用関係が継続しているという前提に立って議論されているものは見当たらない。
 その意味で、圧倒的大部分の労働審判当事者からすれば、本件労働審判の趣旨はY側のいうように「本件解雇が有効であること、少なくとも本件雇用契約の契約期間満了によりX・Y間の契約関係が終了することを前提として金銭解決を図ったもの」と理解するのが自然であり、X側のように「本件解雇が無効であることを前提に、本件雇用契約の契約期間満了までの賃金及び賞与の全額の支払いを命じたもの」と理解するのは社会常識に反するものである。
 しかしながら、かかる法令の明文の根拠なき社会常識は、それに疑義を呈する者が出現することによって容易く動揺する。本事件はまさにその典型例であり、社会常識からすれば解雇無効ではあるが雇用終了と引き替えの金銭解決と受け止められるであろう「相手方は、申立人に対し、本件解決金として144万円を支払え」との労働審判が、解雇無効ゆえに雇用関係は継続しているというXの主張に沿った形で判旨Ⅰのように判断されてしまう余地を残してしまったのである。
 もっとも、この判旨Ⅰは純論理的にもおかしなところがあり、「本件解雇は無効ではある」として「同日[契約期間満了日]までの賃金と賞与の全額の支払いを[Yに]命じ」るのは、労働審判時点では部分的に将来の労務給付に対する報酬の支払いまで一括して「解決金」として支払を命じたことになり、地位確認をした上での金銭支払命令(バックペイ)としては整合性を欠く。
 本件のような事態が生じないようにするために当面必要な対応としては、雇用関係の将来にわたる存在を確認する意図があるのでない限り、労働審判の主文において「金銭補償をした上で労働関係を終了させる」旨を明示することであろう。これは、現実に圧倒的多数の事案において行われていることを確認するだけのことであり、労働契約法上の問題を生じさせるものではない。
 ただ、こうした問題は結局、解雇無効による地位確認請求のみを解決方法として認めてきた訴訟実務を何ら変更することなく、労働審判においても(多くは形式的に)解雇無効による地位確認請求という形式をとらせながら、事実上の取扱いとしてはその大部分について暗黙に雇用終了と引き替えの金銭解決というやり方をとってきたことの矛盾が露呈したものと言うべきであり、解雇事件に対する裁判上の金銭解決という問題に正面から取り組むことが求められていると言うべきではなかろうか。
 この点を極めて明示的に語っているのは、労働審判を多く扱ってきた弁護士による伊藤幹郎他『労働審判を使いこなそう!』(エイデル研究所)の記述である。そこでは解雇事件について、「申立人が必ずしも職場に戻るつもりがなくても地位確認で行くべきである。申立の趣旨を「相手方は申立人に対して金○○円を支払え」などとし、はじめから慰謝料等の請求をするのでは、多くを得ることは望めないと知るべし。必ずしも職場に戻る意思がなくとも、そのように主張しないと多くの解決金は望めないからである。」(11頁)と述べられ、とりわけ第5章の座談会では、「私も基本的には地位確認で進めるのですが、まず申立人を説得します。辞めたくても地位確認をしなければならないのだと。日本の裁判制度はそうなっているのだと。」という発言もある。労働者が不当な解雇に対する金銭補償を求めようとすると、民事訴訟法上は異なる訴訟物である地位確認請求をしなければならないというわけである。
 ここに現れているのは、解雇無効による地位確認請求と、不当な解雇に対する金銭給付請求とが、あらゆる民事訴訟法理論の想定を超えて、法社会学的にはほとんど同一の訴訟物となっているという社会的実態である。解雇の金銭解決問題の本質とは、多くの論者の認識とはまったく異なり、かかる民事訴訟法理論と法社会学的実態との矛盾をいかに解きほぐすかという問題に他ならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023年2月17日 (金)

定年前解雇者の定年後解雇無効判決による地位確認

これは、登場人物が大月隆寛さんという有名人なので、そのことにより注目を集めた解雇裁判ではありますが、それだけではなく労働法学的にも興味深い論点を含んでいます。

https://www.bengo4.com/c_18/n_15667/(懲戒解雇された大月隆寛元教授、札幌国際大に勝訴)

NHK『BSマンガ夜話』の司会などで知られる民俗学者の大月隆寛さんが、学内対立をめぐり教授として勤務していた札幌国際大学から懲戒解雇されたのは不当だとして、解雇無効などを求めていた訴訟は2月16日、札幌地裁で判決があった。

中野琢郎裁判長は、解雇は違法で無効だとし、大学側にバックペイ(解雇期間中の賃金相当額)と慰謝料50万円の支払いを命じた。

労働法学的に興味深い論点はここです。

大月さんは、裁判中に定年の63歳を迎えた。裁判では、定年後再雇用の成否も争点となったが、解雇事由がないことなどから、雇用が継続されるものと期待することに合理的な理由があるとして、現在についても、定年後再雇用された教職員としての労働契約上の地位にあると認めた。

判決文はまだ見られていないので、どういう理屈建てになっているのかはわかりませんが、おそらく高年法に基づき65歳までの継続雇用が義務付けられていることを根拠に、63歳定年後も65歳までは雇用が継続されることになっていたはずだと判断したのでしょう。ただ、「定年後再雇用された教職員としての労働契約上の地位」の確認というのは、具体的にどのような雇用条件で再雇用されたものと認定されたのか、興味をそそられます。

 

 

 

 

 

2023年2月16日 (木)

ジョブ型と賃上げの関係

ますます訳の分かっていない人があれこれ分からないことを分かったように言うもんだから、ますます訳が分からなくなるというスパイラルに入っているようですな。

ごくごく単純化して言えば、ジョブ型社会というのは、賃上げしないと賃金が上がらない社会だ。

一見同義反復のように見えるし、ジョブ型社会の人々にとっては実際同義反復でしかないのだが、人に値札が付いているんじゃなくて座る椅子に値札が付いている社会だから、同じ椅子に座っている限り賃金は上がらない。

どこかの国の親切な人事部みたいに勝手に昇進させてくれたりしないので、個人レベルで賃金を上げたければ、社内社外の欠員募集に応募して、今よりもっと高い値札の付いた椅子に座るしかない。でも、これは「賃上げ」ではない。

ジョブ型社会の賃上げとは、ほっとくと永遠に上がらない賃金を上げるために、働くみんなが団結して、団体交渉して、時には争議に訴えて、椅子に張り付けられた値札を一斉に高い価格に張り替えること。

賃上げしないと賃金が上がらないのがジョブ型社会というのはそういう意味だ。

ジョブ型社会というのは、賃金を上げたかったら、みんなで「賃上げ」するしかない社会なのだ。

ジョブ型と賃上げの関係というのは、要するにそういうことであって、それ以外のあれこれは全てどうでもいいことだ。上で述べた個人ベースで賃金の高いジョブを狙って上昇するというのは、社会全体の賃金上昇とは関係ない話に過ぎない。そういうのをジョブ型の賃金上昇だと思い込んであれこれ語る人の言っていることは全部無視して良い。

さて、では日本のメンバーシップ型社会はどうか。

ごくごく単純化して言えば、賃上げしなくても賃金が上がる社会だ。

一見語義矛盾のように見えるし、実際ジョブ型社会の人から見ればただのたわごとだろうが、日本の正社員社会ではれっきとした現実だ。

椅子に値札が付いているんじゃなくて人の背中に値札が付いていて、これが毎年少しずつ上がっていく社会だから、同じ椅子に座っていても賃金は毎年上がっていく。椅子も2,3年ごとに順番で次々に席替えをしていくんだが。

この定期昇給というのは、毎年一番賃金の高い人が定年退職していって、一番賃金の低い新入社員が入ってくるので、全体としてはプラスマイナスゼロで総額人件費は変わらないんだが(年齢構成一定ならば)、労働者個人の立場で見れば、毎年確実に賃金が上がってくれる仕組みだ。

ジョブ型社会のノンエリート労働者たちのように、みんなで団結して団体交渉して時には争議に訴えて、椅子に張り付けられた値札を一斉に書き換えるということをしなくたって、自分の賃金は上がるんだ。

自分の賃金だけじゃない。みんなの賃金も同じように上がるのだ。みんなの賃金が上がるのに、その上がったはずの賃金を全部足し合わせると、なぜか全然上がっていないということになるんだけれど、でも、上がっているからいいじゃないか。

賃上げしなくても賃金が上がるのがメンバーシップ型社会というのはそういうことだ。

メンバーシップ型社会というのは、みんなで「賃上げ」しなくても、賃金が上がる社会なのだ。だから、わざわざめんどくさい思いをしてまで「賃上げ」しようとしないのだ。

ジョブ型じゃないということと賃上げの関係というのは、要するにそういうことであって、それ以外のあれやこれやは全部どうでもいいことだ。どうでもいいことばかり語りたがる人がいっぱいいるけれども、どうでもいいことはしょせんどうでもいいことだ。

ということで、以上を(一見パラドクシカルな言い方で)まとめると、

賃上げしないと賃金が上がらないので、賃上げをするので賃金が上がるジョブ型社会と、

賃上げしなくても賃金が上がるので、賃上げをしないので賃金が上がらないメンバーシップ型社会、

ということになるのかな。

(追記)

https://twitter.com/osakaspy/status/1626988373683613696

ベアと定昇の違いと実質賃金について言及がない /ジョブ型と賃上げの関係 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

同じブログの別の記事を見ればわかることを、鬼の首をとったみたいに自慢げに触れ回る方もいるようです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2022/02/post-c68d30.html(ジョブ型でなくなるのはベアじゃなくて定昇)

依然としてジョブ型をめぐって混乱した話が飛び交っていますが、ジョブ型になったらベアがなくなるというのは、厳密な議論をすれば別ですが概ねウソです。

もちろん、「ベア」(ベースアップ)というのは、ベース賃金という日本独特の概念に基づくものなので、厳密にはジョブ型社会には対応しませんが、でもジョブ型社会でも産別組合が団体交渉して各職種の賃金額を引き上げるわけで、その総計の平均をベアみたいなものだといってそれほど間違いではない。それは確かに労働組合が交渉で勝ち取った賃上げ分なのですから。

これに対して、ジョブ型社会ではありえないのが「定昇込みいくら」という賃上げの表示方法です。定昇(定期昇給)というのは、その労働者本人にとっては確かに自分の賃金が上がることですが、労働者全体の入れ替わりを考えたら概ね高給の人が出ていって低給の人が入ってくるので平均したらとんとんであって、マクロ的には全然賃金は上がっていないのです。

マクロには賃金が上がっていないのに、ミクロ(本人)にとっては昇給してるからまあいいや、というごまかしの賃上げを「定昇込みいくら」という言い方で積み重ねてきたのが日本であって、そういうのは確かにジョブ型社会ではあり得ないんですね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2023/01/post-1ca4ff.html(毎勤の賃金上昇を決めているのはベア。定昇ではない@中井雅之)

・・・もう長いこと、どれくらい賃上げしたのかを「定昇込み」で何%という風習が続いていますが、それでみると、定期昇給はずっとほぼ2%前後で変わっていない。それに対してかつてはそれなりの割合を占めていたベースアップは2000年前後からほぼゼロに張り付いていて、第2次安倍政権下での官製春闘の時期にほんの0.5%ほどに上がっていた程度。

031fig3

で、労働組合も定昇込みで賃上げ幾らというけれども、それって本当に賃上げなのかを、毎月勤労統計の数字と重ね合わせて確認しようというのが、この中井さんのコラムの眼目です。

031fig4

毎勤の所定内給与の増減という客観的な指標と照らしあわせて見れば一目瞭然、マクロ経済的に正味の賃上げといえるのは定昇抜きのベア部分だけであって、定昇込み何%という数字は、現実の賃上げラインの遥か上の方を空虚にたゆたっているだけなのですね。

もちろん、個々の労働者個人にとっては、去年の給料よりも今年の給料が幾ら上がったかというのは定昇込みの数字なので、それだけ賃上げしていると思えてしまうのでしょうが、いうまでもなくその定昇部分というのは、毎年、一番高い人々が抜けていって、一番低い人々が入ってくることで、会社にとってはチャラになっているわけであり、それを全部足し合わせたマクロ経済でも全部合算すればチャラになっている(年齢構成の変動部分は一応抜きにして)ので、個人の主観における賃上げは社会の客観的な賃上げではないということになるわけです。

 

 

 

 

 

それは時事通信記者の見解

20230215at91s_p 時事通信がこういう記事を流していますが、

https://www.jiji.com/jc/article?k=2023021500960&g=soc(ジョブ型雇用、学び直し促進 構造的賃上げへ議論―新資本主義会議)

政府は15日、首相官邸で「新しい資本主義実現会議」(議長・岸田文雄首相)を開いた。政権が目指す構造的な賃上げを議論。職務内容を明確に定めて成果で処遇する「ジョブ型雇用」への移行や、賃金の高い仕事に就くための能力を身に付けるリスキリング(学び直し)の強化について意見を交わした。・・・

私が2020年初めに日経新聞の記事を叩いてから3年近く経ちますが、まだまだ「職務内容を明確に定めて成果で処遇する「ジョブ型雇用」」なんていうおかしな言い方がまかり通っているようです。

ただ、この記事を読むと官邸がそういうおかしな言い方をしているように見えますが、少なくとも新しい資本主義実現会議に提出された資料をざっと見た限りでは、「ジョブ型とは成果主義なり」などというおかしなことを云っているものは見当たりません。

https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/atarashii_sihonsyugi/kaigi/dai14/shiryou1.pdf

https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/atarashii_sihonsyugi/kaigi/dai14/shiryou2.pdf

ちょっとだけ気になるのは、これら資料では「ジョブ型雇用(職務給)」という言い方をしていて、それはまさに正しいのですが、正確に言えばジョブ型雇用の賃金面が職務給であって、イコールというより包含関係なんですね。

これは恐らく今の岸田首相の官邸が、もっぱら賃金面に関心が集中し、ジョブ型雇用の他の側面にはあまり手を伸ばそうとは思っていないことを示しているのかも知れません。

いずれにしても、3年前の日経新聞の記事を思い出させる時事通信の記事は、元資料をまともに読まずに自分の脳内の思い込みで書いた記事であったようです。

論点

• 労働市場改革を進め、持続的に賃金が上がる構造を作り上げることが不可避ではないか。そのため、リ・スキリングによる能力向上支援、日本型の職務給の確立、成長分野への円滑な労働移動を進める、という三位一体の改革を、働く人の立場に立って進めることが必要ではないか。

• 日本企業は、平均的には獲得したスキルに応じた賃金差が小さく、スキルの高い人材が報われにくい制度となっている。日本企業と海外企業の間に同じ職務であるにも関わらず、著しい賃金差が存在することに鑑みれば、これらの賃金格差解消が必要ではないか。

• 「新卒一括採用」「会社主導の異動」「従業員は企業から仕事を与えられるもの」「リ・スキリングが生きるかどうかは人事異動次第」といった伝統的な日本の制度を見直し、個々の職務に応じて必要となるスキルを設定し、現在のスキルとのスキルギャップの克服に向けて、従業員が上司と相談しつつ、自ら職務やリ・スキリングの内容を選択していく制度に移行する必要があるのではないか。これにより、併せて、社外から経験者採用を行う門戸を開き、内部労働市場の創設と外部労働市場とのシームレスな接続が可能になるのではないか。

• 国の学び直し支援策について、企業経由が中心となっている在職者支援を、自律的なキャリア形成を促すため、個人への直接支援中心に組み直す必要があるのではないか。他方で、事業環境の変化の下で、従業員のリ・スキリングは、企業経営側の責務であることの再確認が必要ではないか。

• 労働者の生活安定性(セキュリティ)を維持しつつ、リ・スキリングを進めるため、海外と同様、我が国についても在職期間中のリ・スキリングの強化が必要ではないか。

• 6月の指針においては、個々の企業の実情に合った職務給(ジョブ型雇用)の導入方法を類型化する必要があるのではないか。例えば、ジョブ型雇用(職務給)を一度にではなく、順次導入する。あるいは、スキルだけではなく、個々人のパフォーマンスや行動の適格性を勘案するといった導入方法も、バリエーションとして示すことに意味があるのではないか。

• 日本には国家資格としてキャリアコンサルタントがあるが、求人・求職・キャリアアップに関する労働市場の情報を共有しているわけではないので、ハローワークや民間人材会社が有する求人・転職に関する基礎的情報を共有し、コンサルティングがしやすい環境を整備すべきではないか。また、構造的賃上げを進めるためには、官のハローワークにおいても、コンサルティング機能の強化が必要ではないか。

• 労働移動に挑戦できる環境作りの視点に立つと、自己都合で離職する場合と会社都合で離職する場合の保護の差をどのようにするか、検討が必要ではないか。

• 非正規労働者の賃金を上げていくためには、同一労働同一賃金制の徹底した施行が必要であり、本年3月から本格実施される労働基準監督署による調査の効果を見て、その後の進め方を検討すべきではないか。 

 

 

 

 

 

 

 

2023年2月15日 (水)

だからいわんこっちゃない

K10013980391_2302141652_0214174353_01_02 毎度当たり前なことを報じる記事ですが、これが当たり前だと感じられない人がいるから困るんですね。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230214/k10013980391000.html“部活指導は労働時間” 未払い残業代支払うよう是正勧告 千葉)

千葉県にある私立の中学・高校で、休日などに教員が行った部活動の指導などの時間について、労働基準監督署は労働時間として認め、学校に対し、未払いの残業代などを支払うよう是正勧告を行いました。

これは千葉県浦安市にある東海大付属浦安中学・高校で、非正規の教員として働いていた20代の男性が会見で明らかにしました。

それによりますと、男性は去年3月までの2年間、休日や勤務時間外に部活動の顧問としての指導や大会の引率、学級の担任としての準備や生徒の対応などにあたっていたということです。

これについて、労働基準監督署は労働時間と認め、去年12月、学校に対して未払いの残業代や割増賃金の支払いを求める是正勧告を行ったということです。

男性は残業時間が80時間を超える月もあり、その後、体調を崩して学校をやめたということです。

男性は「これだけ多くの業務に追われてしまうと、生徒と向き合う姿勢が中途半端になり教育の質にも関わる。自分と同じような教員は多くいると思うので、学校には改善に努めてほしい」と話していました。

男性が所属する私学教員ユニオンは「公立校では、月給に4%を上乗せする代わりに、残業代は支給しないと定められ時間外も働かせ放題になっている。今回の是正勧告により、私立校では残業代が認められるのに、公立校で認められないという、『同一労働同一賃金』に反する実態が浮き彫りになった」としています。

学校は「これまで誠意を持って話し合いをしてきました。今後も話し合いを継続していきます」とコメントしています。

これが当然なのは、もちろんこの学校が私立学校だからです。

公立学校では、教師がやっていることの中身は100%変わらなくても、ただ教師が地方公務員であるからというそれだけの理由で、この私立学校がやったことが正当とされるのです。それはいかなる意味でも、教師の職務とは何ら関係がないのです。

ということを、繰り返し説明しているのですが、司法試験を通過してきたはずの裁判官ですら理解の乏しい判決を平然と書いたりしたりするので、権威に弱い私立学校の皆さんはついつい勘違いをしてしまうのでしょうね。

279_h1_20221215152301_20230215085501 (参考)「(公立学校)教師の労働法政策 」(『季刊労働法』2022年冬号(279号)

 結局、たまたま地方公務員の身分を有するところの原告に関するかぎり、超勤4項目以外の時間外・休日労働を行わせたことが給特法違反の問題を生じさせることは格別、また適用除外されていない36協定無締結の問題を生じさせることはあり得ても、少なくとも完全適用除外されている第37条に基づく割増賃金の請求は不可能であると言わざるを得ません。
 繰り返しますが、これは原告がたまたま地方公務員の身分を有しているからであって、それ以外のいかなる理由によるものでもありません。もし原告が私立学校の教師であったり、国立学校の教師であったり、公立大学法人附属学校の教師であったりしたら、教師としての職責には全く何の違いもないにもかかわらず、原告の訴えは認められていたはずです。
 しかしながら、さいたま地裁の裁判官も東京高裁の裁判官も、そのような深く突っ込んだ考察は一切ないまま、恐らく教育委員会側から提出された資料を何も考えずに丸写しにするような判決文を書いています。
・・・教員の職務は、使用者の包括的指揮命令の下で労働に従事する一般労働者とは異なり、児童・生徒への教育的見地から、教員の自律的な判断による自主的、自発的な業務への取組みが期待されるという職務の特殊性があるほか、夏休み等の長期の学校休業期間があり、その間は、主要業務である授業にほとんど従事することがないという勤務形態の特殊性があることから、これらの職務の特質上、一般労働者と同じような実労働時間を基準とした厳密な労働管理にはなじまないものである。例えば、授業の準備や教材研究、児童及び保護者への対応等については、個々の教員が、教育的見地や学級運営の観点から、これらの業務を行うか否か、行うものとした場合、どのような内容をもって、どの程度の準備をして、どの程度の時間をかけてこれらの業務を行うかを自主的かつ自律的に判断して遂行することが求められている。このような業務は、上司の指揮命令に基づいて行われる業務とは、明らかにその性質を異にするものであって、正規の勤務時間外にこのような業務に従事したとしても、それが直ちに上司の指揮命令に基づく業務に従事したと判断することができない。このように教員の業務は、教員の自主的で自律的な判断に基づく業務と校長の指揮命令に基づく業務とが日常的に渾然一体となって行われているため、これを正確に峻別することは困難であって、管理者たる校長において、その指揮命令に基づく業務に従事した時間だけを特定して厳密に時間管理し、それに応じた給与を支給することは現行制度下では事実上不可能である(文部科学省の令和2年1月17日付け「公立学校の教育職員の業務量の適切な管理その他教育職員の服務を監督する教育委員会が教育職員の健康及び福祉の確保を図るために講ずべき措置に関する指針」〔文部科学省告示第1号〕においても、教育職員の業務に従事した時間を把握する方法として、「在校等時間」という概念を用いており、厳密な労働時間の管理は求めていない。甲82)。このような教員の職務の特殊性に鑑みれば、教員には、一般労働者と同様の定量的な時間管理を前提とした割増賃金制度はなじまないといわざるを得ない。
 これら判決によれば、労働基準法第37条の適用除外は「教員の自律的な判断による自主的、自発的な業務への取組みが期待されるという職務の特殊性」によるものであり、それゆえ「教員には、一般労働者と同様の定量的な時間管理を前提とした割増賃金制度はなじまない」のだそうです。そうした教員の職務の特殊性は、いうまでもなく私立学校や国立学校の教員にもあるはずですが、これら判決を書いた裁判官の目には彼らの存在が映っていなかったのでしょうか。令和2年度の学校基本調査によれば、給特法の対象に相当する高校までの教員数は、私立学校は158,758人、国立学校は4,618人です。公立学校の834,191人に比べれば若干少ないとはいえ、無視していい数ではありません。
 しかも、当然のことながら労働基準法がフルに適用されている彼らについては、労働基準監督機関が法違反を容赦なく摘発しに来ます。2022年8月に厚生労働省労働基準局監督課が発表した「監督指導による賃金不払残業の是正結果(令和3年度)」には、賃金不払残業の解消のための取組事例として私立学校のケースが載っています。
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 公立学校にでもなったつもりで4%の教職調整額を払い、時間外割増賃金を払わなかった私立学校が、部活動の時間も含めて不払い残業代を払わされています。現行法上当然のことではありますが、もしこの私立学校の経営者が上記さいたま地裁や東京高裁の判決文を読んだらどう思うでしょうか。我が校の教師たちも、「教員の自律的な判断による自主的、自発的な業務への取組みが期待されるという職務の特殊性」はなんら変わることはなく、「教員には、一般労働者と同様の定量的な時間管理を前提とした割増賃金制度はなじまない」のではないのか。労働基準監督署の監督指導は不当だ!と思うのではないでしょうか。そして、そう思った私立学校が、上記判決文を根拠として、職種としての教員にはなじまない割増賃金制度を、法律に書いてあるからといって押しつけてくるのは違法だと言って訴えを提起してきたら、これら判決を書いた裁判官たちは一体どういう判決を下すつもりなのでしょうか。恐らく、そんなことはかけらも脳裡に浮かばなかったのでしょう*8

 

 

 

 

2023年2月12日 (日)

リスキリングは1969年職業訓練法にちゃんと規定されていた・・・けど1992年に消えた

250pxamericanredsquirrel 最近やたらめったらに流行っているリスキリングですが、日本語で何というかご存じでしょうか。実は、かつて日本国の実定法たる職業訓練法には、そのものずばりの用語がちゃんと規定されてたのです。

https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_housei.nsf/html/houritsu/06119690718064.htm職業訓練法(昭和四十四年法律第六十四号 )

(職業訓練の種類)
第八条 第十四条に規定する公共職業訓練施設の行なう職業訓練及び第二十四条第一項の認定に係る職業訓練(以下「法定職業訓練」という。)は、養成訓練、向上訓練、能力再開発訓練及び再訓練並びに指導員訓練とする。
2 養成訓練は、労働者に対し、職業に必要な基礎的な技能(これに関する知識を含む。以下同じ。)を習得させることによつて、技能労働者としての能力を養成するために行なう訓練とする。
3 向上訓練は、養成訓練を受けた労働者その他職業に必要な相当程度の技能を有する労働者に対し、より高度の技能を習得させることによつて、技能労働者としての能力を向上させるために行なう訓練とする。
4 能力再開発訓練は、労働者に対し、従前の職業等を考慮して、新たな職業に必要な技能を習得させることによつて、技能労働者としての新たな能力を開発するために行なう訓練とする。 

https://www.cedefop.europa.eu/en/tools/vet-glossary/glossary/retraining-reskilling (CEDEFOP(欧州職業訓練機構)のグロッサリー)

retraining / reskilling

Training enabling individuals to acquire new skills giving access either to a new occupation or to new professional activities.

Comment

This term is close to, but not synonymous with: upskilling.

という風に、かつての職業訓練法は世界標準に近い訓練概念で構築されていたんですが、1992年の改正でそういう概念区分は消えました。現在の職業能力開発促進法には、リスキリングに相当する概念は見当たりません。

 

 

 

2023年2月10日 (金)

山本隆司・水町勇一郎・中野真・竹村知己『解説 改正公益通報者保護法[第2版]』

619050 山本隆司・水町勇一郎・中野真・竹村知己『解説 改正公益通報者保護法[第2版]』(弘文堂)をお送りいただきました。

https://www.koubundou.co.jp/book/b619050.html

 2020年に改正され、2022年4月から施行されている「改正公益通報者保護法」のポイントは、①通報者の範囲の拡大、②通法対象事実の範囲の拡大、③通報要件の緩和、④内部通報体制整備の義務化、⑤守秘義務、⑥通報者の損害賠償責任の免除です。
 本書は本法を逐条解説し、特に改正点は最新の情報に基づき詳しく解説し、理解を深めるためQ&Aも収録しています。また、行政法・労働法の視点からの解説も加えた決定版です。
 第2版は、事業者等の義務の内容を説明するため、内閣府および消費者庁が公表した「指針」と「指針の解説」、またガイドラインについて、具体的な実務対応ができるよう詳細な解説を加え、全体をアップツーデートにした関係者必読の書です。

第3編第2章の「改正公益通報者保護法のポイント――労働法の観点から」を水町勇一郎さんが執筆しています。

第1編 総論
 第1章 公益通報者保護法制の全体像
 第2章 公益通報者保護法の制定
 第3章 公益通報者保護法改正の経緯
 第4章 公益通報者保護法改正の基本趣旨

第2編 逐条解説
 第1章 全般的事項
 第2章 法目的(1条)
 第3章 「公益通報」の定義(2条)
 第4章 公益通報者の不利益な取扱いからの保護(3条~10条)
 第5章 事業者および行政機関のとるべき措置(11条~22条・別表)
 第6章 その他の法の検討課題
 ◆Q&A 

第3編 行政法・労働法からみた改正法のポイント
 第1章 改正公益通報者保護法のポイント――行政法の観点から
  第1 序
  第2 本法の全体に関する行政法上の問題
  第3 事業者に対する行政措置
  第4 2号通報と行政手続との関係
  第5 国・地方公共団体の公益通報への取組み
  第6 結びに代えて―消費者庁の役割
 第2章 改正公益通報者保護法のポイント――労働法の観点から
  第1 背景―公益通報者保護法の制定と改正
  第2 一般法理としての内部告発者保護法理(裁判例)
  第3 公益通報者保護法の枠組みと改正のポイント
  第4 意義と課題

■資料 公益通報者保護法新旧対照条文・改正法附則

 

 

 

堀田陽平・亀田康次・宇賀神崇『副業・兼業の実務上の問題点と対応』

9784785730123_ 堀田陽平・亀田康次・宇賀神崇『副業・兼業の実務上の問題点と対応』(商事法務)を、監修された皆川宏之さんよりお送りいただきました。

https://www.shojihomu.co.jp/publication?publicationId=19867307

副業・兼業が「普通」の今に効く本!

副業・兼業ガイドラインの解説を中心に実務上の対応を実力派弁護士陣が解説。さらに踏み込んで問題解消に役立つ学説の状況や裁判例も詳細に紹介。副業・兼業をめぐる主要な法律問題について体系的な検討を行い、実務上の指針を示す、充実の1冊。

一つ一つの項目ごとに、問題の所在と、厚労省の見解・行政解釈、そして実務上の対応という形で論じられていて、大変頭が整理されます。

 

2023年2月 9日 (木)

LGBTと人権擁護法案(再掲)

またぞろ似たような状況になっているようなので、またぞろおなじみの話を持ち出すしかないようです。ただ一つ修正が必要なのは、「16年も前の」というところを「21年も前の」と改める点だけでしょうかね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/lgbt-7b3d.html(LGBTと人権擁護法案)

いろいろと世間が騒がしいようですが、LGBTと言われる性的指向に係る差別や侮辱、嫌がらせ的言動については、16年も前の2002年の段階で、当時の自民党政権から提出された人権擁護法案に、ちゃんとこういう規定があったことを、覚えている人はどれくらいいるでしょうか。

http://www.moj.go.jp/content/000104841.pdf


(定義)
第二条 ・・・
5 この法律において「人種等」とは、人種、民族、信条、性別、社会的身分、門地、障害、疾病又は性的指向をいう。

(人権侵害等の禁止)
第三条 何人も、他人に対し、次に掲げる行為その他の人権侵害をしてはならない。
一次に掲げる不当な差別的取扱い
イ国又は地方公共団体の職員その他法令により公務に従事する者としての立場において人種等を理由としてする不当な差別的取扱い
ロ業として対価を得て物品、不動産、権利又は役務を提供する者としての立場において人種等を理由としてする不当な差別的取扱い
ハ事業主としての立場において労働者の採用又は労働条件その他労働関係に関する事項について人種等を理由としてする不当な差別的取扱い(雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律(昭和四十七年法律第百十三号)第八条第二項に規定する定めに基づく不当な差別的取扱い及び同条第三項に規定する理由に基づく解雇を含む。)
二次に掲げる不当な差別的言動等
イ特定の者に対し、その者の有する人種等の属性を理由としてする侮辱、嫌がらせその他の不当な差別的言動
ロ特定の者に対し、職務上の地位を利用し、その者の意に反してする性的な言動
三特定の者に対して有する優越的な立場においてその者に対してする虐待
2 何人も、次に掲げる行為をしてはならない。
一人種等の共通の属性を有する不特定多数の者に対して当該属性を理由として前項第一号に規定する不当な差別的取扱いをすることを助長し、又は誘発する目的で、当該不特定多数の者が当該属性を有することを容易に識別することを可能とする情報を文書の頒布、掲示その他これらに類する方法で公然と摘示する行為
二人種等の共通の属性を有する不特定多数の者に対して当該属性を理由として前項第一号に規定する不当な差別的取扱いをする意思を広告、掲示その他これらに類する方法で公然と表示する行為

こういう立派な法案が、なぜ成立することなく、今では忘れられてしまっているかって?

それはもちろん、当時の野党、つまり今でも野党になっている民主党、社民党等が反対したからです。また、有力マスコミもメディア規制が入っているのがけしからんと、揃って反対しました。それで廃案になり、その後は今度は自民党の中から猛烈な反対論が出て、ついに出せなくなり、潰したはずの民主党が政権についてから法案を出し直したけれどもやはり廃案、今に至るというわけです。

悪い奴らが出す法案はことごとにそのアラを暴き立てて潰すに限ると思い込んでいる方々も多いようですが、うかつにやるとこういう結果になるといういい実例です。

2023年2月 8日 (水)

朴孝淑『賃金の不利益変更』

Large_1e604e45b9ea4095b77902c5ef0eb45d 朴孝淑さんより『賃金の不利益変更― 日韓の比較法的研究』(信山社)をお送りいただきました。

https://www.shinzansha.co.jp/book/b10026822.html

労働契約の基本的要素である賃金の不利益変更につき、欧米における契約当事者間の合意原則と対比してきわめて特徴的な、韓国・日本における就業規則による合理的変更法理を分析する。さらに、韓国での集団的合意原則と日本の合理性審査ついてそれぞれの法制度や裁判例を精査しながら判例法理を描き出し、日韓の合理的変更法理の位置づけの相違を明らかにして、比較法的示唆を導き出す労作。

朴さんは、ちょうど私が東大に客員として来ていた頃に韓国から留学してこられ、しばらくは労働判例研究会でいつもお会いしていました。本書は彼女の博士論文をもとに、最近までの動きを書き加えたもので、いわゆる労働条件の不利益変更法理をめぐる日韓の共通性と相違点を明らかにしています。

共通点は、欧米諸国にとって雇用契約の大原則である合意原則に反し、労働者本人が嫌だと言っても、一定の要件を充たせば減給してもOKという法理が確立し、法律の条文にまでなっているという点です。

相違点は、韓国では過半数組合や過半数代表の同意が要件であるのに対して、日本では「合理性」というまことに柔軟な要件となっている点です。ただし、この点は韓国も日本も二重にねじれていて、韓国ではそれまでの判例にもとづいてそういう法改正をしたけれども、その後の判例はむしろ過半数代表の同意がなくても合理性があれば認める方向に行ったのに対して、日本ではその「合理性」を過半数組合や労使委員会の同意でもって推定するという立法を試みようとしたけれども失敗に終わった、という二重らせんみたいな状況です。

そもそも、本人の合意がなくても減給OKという判例法理は、もし本人合意がなければ絶対だめとすると、会社側はそれなら解雇しかないね、ということになり、欧米ジョブ型社会ではそれが素直な理屈になりますが、解雇が一番避けるべき悪だという前提に立つと、その最大の悪を避けるためなら減給くらいええじゃないか、ということになるわけでしょう。

この分野の様々な文献を渉猟して書かれた労作です。

◇序論 本書の検討課題
 Ⅰ 問題の所在
 Ⅱ 本書の検討内容

◆第1章 欧米における賃金の集団的・個別的不利益変更

第1節 アメリカにおける「賃金」の不利益変更
 Ⅰ 規制の概要
 Ⅱ 集団的変更
 Ⅲ 賃金の個別的不利益変更
第2節 イギリスにおける「賃金」の不利益変更
 Ⅰ 規制の概要
 Ⅱ 集団的変更
 Ⅲ 契約条項の変更
第3節 フランスにおける「賃金」の不利益変更
 Ⅰ 規制の概要
 Ⅱ 集団的変更
 Ⅲ 労働契約の変更
第4節 欧米における「賃金」の不利益変更
 Ⅰ 「契約原則」に基づく「賃金(報酬)」の重視
 Ⅱ 「契約原則重視型」と「解雇」

◆第2章 韓国における賃金の集団的不利益変更

第1節 労働協約による賃金の不利益変更
 Ⅰ 労働協約の法的性質
 Ⅱ 労働協約の規範的効力
 Ⅲ 労働協約の拡張適用(一般的拘束力)
第2節 就業規則による賃金の不利益変更
 Ⅰ 就業規則による賃金の不利益変更の可能性
 Ⅱ 就業規則の不利益変更における労働者集団の「同意」
 Ⅲ 集団的同意なき就業規則変更の新規採用労働者への効力
 Ⅳ 就業規則の合理的変更をめぐる3つの立場と判例・学説・立法
第3節 韓国における賃金の集団的不利益変更
 Ⅰ 労働協約による労働条件の不利益変更
 Ⅱ 就業規則による労働条件の不利益変更

◆第3章 日本における賃金の集団的不利益変更

第1節 労働協約による賃金の不利益変更
 Ⅰ 検討の対象
 Ⅱ 規範的効力の性格・効力からみた不利益変更の可否
 Ⅲ 労働組合の目的からの不利益変更の限界(組合自治と司法審査との調整)
 Ⅳ 労働協約の拡張適用の問題(一般的拘束力)
第2節 就業規則による賃金の不利益変更
 Ⅰ 就業規則の合理的変更制度と賃金変更に関する理論的課題
 Ⅱ 就業規則の合理的変更法理における賃金変更の位置づけ(論点1)
 Ⅲ 就業規則による賃金の不利益変更と多数労働者の同意(論点2)
 Ⅳ 新賃金制度の導入・適用と就業規則の不利益変更問題(論点3)
 V 就業規則の変更と個別労働者の「合意」の効力(論点4)
 Ⅵ 就業規則変更法理と個別合意による「特約」(論点5)
第3節 小 括
 Ⅰ 労働協約による賃金の不利益変更問題
 Ⅱ 就業規則による賃金の不利益変更問題
 Ⅲ 労働協約と就業規則による賃金の不利益変更と司法審査  


◆第4章 日本と韓国における賃金の個別的不利益変更

第1節 はじめに
 Ⅰ 年功主義人事制度と成果主義人事制度
 Ⅱ 検討課題
第2節 韓国における賃金の個別的変更
 Ⅰ 契約上合意された労働条件(賃金)の一方的変更(契約上の権限なし)
 Ⅱ 配転・降格(配転)命令権の行使による賃金の変更(契約上の権限あり)
 Ⅲ 年俸制の適用による賃金減額の問題
第3節 日本における賃金の個別的変更
 Ⅰ 契約上合意された労働条件(賃金)の一方的変更(契約上の権限なし)
 Ⅱ 配転・降格命令権の行使による賃金の変更(契約上の権限あり)
 Ⅲ 査定(格付け)による減額(契約上の権限あり)
 Ⅳ 年俸制の適用による賃金減額の問題
第4節 韓国・日本における賃金の個別的不利益変更法理
 Ⅰ 配転命令権における「契約原理」v.「正当理由審査」v.「権利濫用審査」
 Ⅱ 賃金の減額を伴う人事命令における契約原理の妥当性  
 Ⅲ 韓国における労働条件の個別的変更をめぐる問題点

◆第5章 総括― 欧米・韓国・日本の比較法的検討

第1節 賃金の不利益変更における合意原則と合理的変更法理
 Ⅰ 合意原則に基づく「賃金」と「その他の労働条件」との区別
 Ⅱ 雇用の安定を度外視した「合意原則」v. 雇用の安定を前提とした「合理的変更法理」の検証
 Ⅲ 賃金の不利益変更における合理的変更法理の厳格化
第2節 日韓の労働協約による不利益変更法理の到達点
 Ⅰ 韓国の労働協約による賃金の不利益変更問題
 Ⅱ 日本の労働協約による賃金の不利益変更問題
第3節 日韓の就業規則変更法理の比較
 Ⅰ 韓国と日本における「合意」原則の存在と相違
 Ⅱ 集団的合意原則による予測可能性と合理性審査による少数者保護と柔軟性の確保
 Ⅲ 就業規則変更法理と個別的労働条件変更問題
 Ⅳ 日韓の就業規則変更法理比較が示唆するもの
第4節  多様な賃金・人事制度の下での賃金の個別的不利益変更  
 Ⅰ 「合意原則」に基づく処理と黙示の合意認定
 Ⅱ 日本における契約上の人事権行使による賃金減額の法的問題
 Ⅲ 韓国における人事権行使による個別的賃金不利益変更問題

 

 

 

 

 

2023年2月 7日 (火)

宮里邦雄さんの訃報

17118_2_1 日本の労働弁護士の代表格であった宮里邦雄さんの訃報が伝えられました。

https://www.bengo4.com/c_5/n_15632/

 日本労働弁護団会長などを務めた宮里邦雄弁護士が2月5日、死去した。83歳だった。所属する東京共同法律事務所が2月7日に発表した。

 宮里弁護士は大阪府生まれ、沖縄県宮古島育ち。米軍占領下の琉球政府立宮古高校を卒業し、琉球政府の国費留学生として東京大学に進学した。
 1965年の弁護士登録以来、採用内定取り消しが争われた「三菱樹脂事件」、仮眠時間の労働時間性が争われた「大星ビル管理事件」、定年後再雇用者の労働条件をめぐり同一労働同一賃金が争点になった「長澤運輸事件」など、労働者側で多くの著名事件にかかわった。
 近年もコンビニオーナーの労働組合法上の労働者性を争う事件など、多くの労働事件を担当していたが、2022年1月から闘病生活に入っていたという。

労働判例研究会で何回もご一緒させていただいただけではなく、多くのご著書をお送りいただいてきました、

本ブログで取り上げたものを再掲して、追悼の意を表したいと思います。

まずは何より、一昨年刊行されたご本人の伝記です。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2021/06/post-91e965.html(『労働弁護士「宮里邦雄」55年の軌跡』)

24142f60e7e6f0e3bf918796a1e06c30 『労働弁護士「宮里邦雄」55年の軌跡』(論創社)をお送りいただきました。宮里さんといえば労働弁護士の第一人者ですが、その55年にわたる労働弁護士人生を中心にしながら、沖縄の宮古島で育った若き日の思い出などもちりばめられた『ザッツ宮里邦雄』というべき本です。

https://ronso.co.jp/book/%e5%8a%b4%e5%83%8d%e5%bc%81%e8%ad%b7%e5%a3%ab%e3%80%8c%e5%ae%ae%e9%87%8c%e9%82%a6%e9%9b%84%e3%80%8d55%e5%b9%b4%e3%81%ae%e8%bb%8c%e8%b7%a1/

第一部のインタビューがメインですが、インタビュワは全国ユニオンの高井晃、労弁の棗一郎、元連合の高橋均の3人で、す。いきなり冒頭の宮里さんが初めて手掛けた不当労働行為事件の日本教育新聞社事件で、救済命令を勝ち取り、現職復帰を実現するなど完全勝利の事件であったが、復職後職場で孤立し、自殺に追い込まれてしまったというほろ苦い思い出が語られます。

はじめに
第Ⅰ部 インタビューで聞く55年
1 労働弁護士としての遥かなる道
1 最初の不当労働行為事件
2 昭和四〇(一九六五)年代から昭和六〇(一九八五)年代の事件
3 労働運動の内容も時代と共に変化
(1) 一九七〇年代の労働事件
(2) 一九七〇年代の思い出に残る重大事件
(3) 一九八五(昭和六〇)年代以降の労働事件 
(4) 平成(一九八九年)以降現在まで
2 長いたたかいだった「国労問題」
1 マル生反対闘争
2 「スト権スト」と二〇二億円の損害賠償請求
3 国鉄民営分割化と国労への攻撃
3 労働弁護士として生きて
1 弁護士として労働事件に携わる
2 労働弁護士の未来︱︱棗弁護士と労働弁護士の未来を語る
(1) 雇用によらない就業者の労働者性
(2) 新しい就労形態が拡大する中での労働者の保護をどのように図っていくか
(3) 雇用を軽視する制度を認めてはならない
(4) コロナ禍での雇用をどう守っていくべきか
(5) 派遣法とフリーランスという新しい働き方 
(6) 八〇歳を超えても第一線で戦える秘訣
(7) これからの労働運動に求められること
第Ⅱ部 裁判をめぐる随筆
1 ウチナーからヤマトへ
2 沖縄関係訴訟への取り組み
3 最高裁判所弁論(その1)――新国立劇場運営財団事件
4 最高裁判所弁論(その2)――長澤運輸事件
5 わが「労弁」の記
6 ロースクールで「法曹倫理」の講義を担当して
7 強気と弱気――依頼人と弁護士
8 「権利の認知度」と「権利教育」
9 「賃金と貧困」について考える
10 上野裁判の思い出
(1) 提訴とその効果
(2) 広まる支援の輪
(3) 判決の大きな意義
(4) パワハラ訴訟の先駆け
第Ⅲ部 折々の記
1 「自分史」を書く?
2 わがふるさとを語る︱︱沖縄・宮古島
3 ふるさとの味︱︱「ラフテー」は豚肉料理の王様
4 正月――子供の頃の思い出
5 私の幼年時代︱︱シュークリームの甘い思い出
6 蝉しぐれ
7 わが趣味︱︱クラシック音楽
8 映画と名曲喫茶
9 『刑事』(イタリア映画)とラストシーン
10 『チャップリンとヒトラー』を読む
11 忘れ得ぬ酒
12 あの頃、これまで、そしてこれから
13 近況三題
14 近況つれづれ
15 「老兵は死なず、まだ前線にあり」
16 散歩と断捨離 
あとがき
著作一覧  

第Ⅱ部には最高裁における弁論のスクリプトも二つ収録されていて、なかなかの決めの名台詞が載っています。

長澤運輸事件の名台詞はこれです。

・・・「存在するものは合理的である」とはかのドイツの哲学者フリードリッヒ・ヘーゲルのの有名な言葉でありますが、原判決は、「賃金格差は存在する。存在するがゆえに『合理的である』」というのでしょうか。・・・

社会的に広く存在する事実があっても、そしてたとえそれが社会的に容認されているとしても、それが法に照らして許されるかどうかを判断するのが司法の使命ではないでしょうか。・・・

思わず傍聴席から「いよッ、日本一!」と掛け声がかかりそうな名台詞ですが、残念ながら最高裁判事の心を動かすには至らなかったようです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-92a6.html(宮里邦雄『不当労働行為と救済』)

Monrou12日本労働弁護団会長の宮里邦雄先生から、近著『問題解決労働法12 不当労働行為と救済-労使関係のルール』(旬報社)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.junposha.com/catalog/product_info.php/products_id/537

宮里先生は、

弁護士・日本労働弁護団会長。1963年東京大学法学部卒。2004年4月~07年3月、東京大学法科大学院客員教授(労働法)。これまで数多くの不当労働事件に労働者・労働組合の代理人として携わる。主な著書に、『労働委員会-審査・命令をめぐる諸問題』(労働教育センター、1990年)、『労働組合のための労働法』(労働教育センター、2008年)、共著に、『労働基準法入門』(労働大学出版センター、2004年)、『問題解決 労働法6 女性労働・非正規雇用』(旬報社、2008年)など。
連絡先:東京共同法律事務所(TEL03‐3341‐3133)

ちょうどわたくしが東大に客員教授としてお世話になっていたころ、東大の労働判例研究会に、労働弁護団の宮里先生、経営法曹会議の中山慈夫先生という両巨頭(!?)がいらして、毎週金曜日の労判の時間が待ち遠しかったものです(現在はそれぞれ徳住堅治先生、中町誠先生というやはり両巨頭ですが)。

本書は、昨今あんまりはやらない集団的労使関係法の実務書ですが、お送りいただいた書状に曰く、

>不当労働行為の申し立て件数も少なくなり、「不当労働行為の時代は終わった」という意見もありますが、反組合的風土がなくなったとは思えません。

>最近の雇用をめぐる問題などをみても、今こそ「労働組合の出番」ではないかという思いもあります。

という「思い」で書かれた本です。

目次は下の通りですが、実はおもしろいのはこの目次に載っていない「コラム」です。

第1章 不当労働行為制度の意義と内容
1 不当労働行為制度
2 労働委員会
3 行政救済と司法救済
4 不当労働行為の類型
5 不当労働行為制度の適用対象
第2章 不当労働行為の成立要件
1 不利益取扱いについて
2 団体交渉拒否
3 支配介入の成立要件
4 7条各号の相互関係
第3章 不当労働行為における使用者
1 不当労働行為の主体としての使用者
2 管理職の行為は「使用者」の行為といえるか
3 法人の下部組織を「使用者」として救済申立ができるか
4 7条各号と使用者性の関係
第4章 複数組合の併存と不当労働行為
1 複数組合併存時の使用者の中立保持義務
2 中立義務違反の不当労働行為の類型
3 賃金・昇格・昇進等の組合間差別と大量観察方法による立証
第5章 労働委員会による不当労働行為審査手続
1 手続の特徴―民事訴訟との比較
2 初審の手続き
3 再審査の手続き
4 命令の効力と履行
5 和解
6 不当労働行為審査の迅速化
第6章 不当労働行為の類型と救済命令
1 労働委員会の救済裁量と救済の原則
2 救済命令の内容
3 非典型的な救済命令について
4 救済利益
5 救済命令の主文例
第7章 労働委員会命令の司法審査
1 取消訴訟の提起と当事者
2 命令の取消事由と司法審査
3 新証拠の提出制限
4 違法性判断の基準時と判決の効力
5 緊急命令
6 取消訴訟の確定と制裁
第8章 不当労働行為の司法救済
1 不利益取扱いについて
2 団体交渉拒否について
3 支配介入につ
いて

コラムは、こんな中身です。

大正時代の不当労働行為制定論議

科罰主義の不当労働行為制度

労働組合の不当労働行為

性悪説と不当労働行為

和解のメリット・デメリット-覆水盆に返す

ポスト・ノーティスの変遷-「労働者諸君」

不当労働行為制度とILO条約

不当労働行為制度の改革課題

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-17f3.html高井・宮里・千種『労使の視点で読む 最高裁重要労働判例』

Efa64cbbb21d6adcd811afa3045a86ac644 高井伸夫・宮里邦雄・千種秀夫3氏の『労使の視点で読む最高裁重要労働判例』(経営書院)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.e-sanro.net/sri/books/syoin/syj10/syj10_16.html

まえがきで、経営法曹の高井伸夫さんがこの本の由来が書かれていますので、そのまま引用します。

>本書は、「労働判例」916号(2006年9月1日号)~951号(2008年4月1日号)に隔号掲載された連載「最高裁労働判例の歩みと展望」がもとになっている。この度の単行本化のために、当時の原稿に大幅な加筆補正を施し、さらに昨2009年末に出された「パナソニックプラズマディスプレイ(パスコ)事件」最高裁判決(最二小平21.12.18判決、本書159頁参照)も加えて、1冊に取りまとめたものである。

この連載の企画は、私が千種秀夫先生と宮里邦雄先生に予め構想をご相談し、ご快諾頂いたうえで、2005年9月に「労働判例」飯田穣一郎編集長(当時)に提案の手紙をお出ししたことから実現し、飯田氏の定年退職後は、現在の石田克平編集長に引き継がれた。

私がなぜこうした構想を得たかといえば、最高裁労働判例が十分に蓄積され総点検すべき時期にきていると日頃から感じ、それらを労使でともに見直す作業を行うことによって、学者の解説とは別の角度から、労働法実務に些かなりとも裨益するのではないかと考えたからである。

・・・社会の様々な事象のひとつである労働事件が、労働側と使用者側からどのようにとらえられ、労働法の発展にどのように寄与してきたか、そして今後の労働判例の展望はどうなのか、労使の視点を念頭に、生きた勉強の材料を読者に提供できれば幸いである。

取り上げられている判例は、次の21判例です。

[1]労働基準法上の労働者 藤沢労基署長事件
[2]労働時間概念 三菱重工業長崎造船所事件
[3]時間外労働義務 日立製作所武蔵工場事件
[4]過労自殺 電通事件
[5]配転 東亜ペイント事件
[6]出向 新日本製鐵事件
[7]私傷病休職者の職場配置 片山組事件
[8]産後休業等と賞与算定の際の出勤率 東朋学園事件
[9]長期年次有給休暇の指定と時季変更権 時事通信社事件
[10]整理解雇 あさひ保育園事件
[11]有期労働契約の雇止め 日立メディコ事件
[12]偽装請負と黙示の雇用契約の成否 パナソニックプラズマディスプレイ事件
[13]懲戒事由の追加 山口観光事件
[14]就業規則の周知義務 フジ興産事件
[15]就業規則による労働条件の不利益変更 みちのく銀行事件
[16]労働組合法上の使用者 朝日放送事件
[17]労働組合法上の労働者 中日放送管弦楽団事件
[18]組合併存下の中立保持義務 日産自動車事件
[19]労働協約の書面性要件 都南自動車教習所事件
[20]労働協約の規範的効力 朝日火災海上保険事件
[21]労働委員会による救済命令制度の意義 第二鳩タクシー事件

最後のあとがきで、宮里邦雄さんが、

>判例の評価や意義付けについて、期せずして(?)一致していることもあるが、労働側弁護士、使用者側弁護士の立場の違いが現れていることも少なくない。

と述べておられますが、その「期せずして(?)一致」しているようなしていないようなところを一つ紹介しておきましょう。

有期労働契約の雇い止めに関する日立メディコ事件について、宮里さんが労働側からの視点で、

>本判決は、・・・本校の希望退職者募集に先立って臨時員の雇い止めが行われてもやむを得ないとして、雇い止めを有効と判断した。  しかしながら、このような差異が有期労働契約の雇い止めについて当然に許容されるかはきわめて疑問である。

と述べたのに対し、高井さんがひと言で、

>均等待遇になると、雇用関係の解消の場面でも同様に「均等待遇」が取り入れられるから、パートタイマー等の非正規社員であるがゆえに容易に雇い止めできるという構図は否定されることはいうまでもない。  また、正社員の解雇についてもしかるべき理由があれば解雇できる方向に行かざるを得なくなるだろう。

と述べ、また高井さんが使用者側からの視点で、

>現在では、基幹的労働を担う非正規社員がきわめて多く、雇用の安全弁としての性格は希薄化しているから、本判決の論理は、こうした今日的な有期労働契約の労働者には、そのままは妥当しないであろう。彼らには「同一労働同一処遇」の要請が働く結果、当初から雇用期間を限定する趣旨の契約でない限り、業績悪化による雇い止めの合理性は容易には認められないという方向に向かうのではないだろうか。・・・正規か非正規かという雇用の身分にとらわれず仕事の能力・成果で判断することは、「同一労働同一処遇」の理念に基本的に合致する。・・・そのような現代的視点から見ると、本判決の結論は、今となっては、社会的な納得観および適正さの面で大いに疑問があるといわざるを得ない。

と述べるのに対して、宮里さんがひと言で、

>「同一労働同一処遇」の考え方が今後強まるであろうとの指摘、さらに、本判決の結論に疑問を呈し、近い将来、見直されることが予想されるとの指摘には賛同したい。

と賛同しています。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-e4eb.html宮里邦雄+川人博+井上幸夫『就活前に読む 会社の現実とワークルール』

12296宮里邦雄+川人博+井上幸夫『就活前に読む 会社の現実とワークルール』(旬報社)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.junposha.com/catalog/product_info.php/products_id/707

これも、最近多い若者向け労働法の解説書の一つですが、有名な労働弁護士3人の共著ということで、他書にはない特徴があります。それは、全体の約3分の2近くを占める、具体的な企業名を出しての、「この企業で、こんな労働事件が起こったんだよ」というメッセージでしょう。

何はともあれ、目次を見ましょう。

はじめに―事件で学ぶ会社の現実

第Ⅰ部 会社で何が起こっているか―事件で知る
《文系職種》
電通(広告)―「靴でビールを飲め」パワハラと二四歳での死
日本マクドナルド(外食産業)―長時間労働と残業代不払い
オリックス(リース金融業)―二〇代女性総合職の死
クロスカンパニー(アパレル)―入社一年目の女性店長の過労死
兼松(商社)―男女賃金差別
関東リョーショク(食品卸売)―「残業月一五時間」の求人票で入社一年目の死
九九プラス(コンビニ業)―長時間労働ストレスと残業代不払い
日本ファンド(消費者金融業)―パワハラ
中部電力(エネルギー)―「結婚指輪をはずせ」パワハラと三六歳での死
小田急レストランシステム(フードサービス)―部下からの脅迫と五〇代での死
下関農業協同組合(農協)―共済・貯蓄勧誘ノルマと過労死
光文社(出版)―連日深夜までの長時間労働と二四歳での死
コーセーアールイー(不動産業)―採用内々定の取消し
《理系職種》
トヨタ自動車(メーカー)―QCサークル活動も労働時間に含まれる
キヤノン(メーカー)―日本経団連前会長の職場での過労死
東芝(メーカー)―「これからは土曜も日曜もないと思え」
沖電気ネットワークインテグレーション(システム構築)―産業医の指示さえ無視されて
富士通ソーシアルサイエンスラボラトリ(システム開発)―地上波デジタル放送システム開発の犠牲
フォーカスシステムズ(システム開発)―官公庁に強いと言われるIT企業での労災死
ニコンとネクスター(メーカーと派遣会社)―深夜交代制勤務の派遣労働者の過労死
新興プランテック(メーカー)―月二〇〇時間の時間外労働の結果の二四歳での死


労働裁判として有名なものもあれば、労災認定された事例などふつうの労働判例雑誌ではお目にかからないものもありますが、「はじめに」でいうように、

>学生が接する情報というのは、企業が自己宣伝している情報である。・・・しかしながら、どのような企業にも程度の差はあれ、負の部分があり、本来は、この負の部分をも事前に知った上で就職することが望ましい。・・・

という考え方で、「会社で何が起こっているか」を「事件で知る」という企画になっています。

第2部は「就活前に知っておきたいワークルール―要注意会社の見分け方」ということで、ここは他書とあまり変わりありませんが、第1部を読んだ上で読むと、そうでなければさらっと読み飛ばした部分がいちいち目に飛び込んでくるようになるかも知れません。

 

 

 

 

EUにおける新しい働き方と労働社会政策@『年金と経済』41巻4号

Nk4104_000_000  公益財団法人年金シニアプラン総合研究機構が刊行している『年金と経済』誌の41巻4号に、「EUにおける新しい働き方と労働社会政策」を寄稿しました。

https://www.nensoken.or.jp/publication/nenkin_to_keizai/

(要旨) EUでは新しい働き方への対応として、2019年に透明で予見可能な労働条件指令が制定され、日本でいうシフト制に対する保護措置が講じられている。また2021年末にはプラットフォーム労働指令案が提案され、現在審議中であるが、契約上自営業者とされていても5要件のうち2つを充たせば雇用関係を推定するとともに、AIによるアルゴリズム管理にも一定の規制をかけている。
 社会保障関係では拘束力のある立法は乏しいが、2019年の労働者と自営業者の社会保護勧告は、失業給付、疾病給付、母性給付、障害給付、老齢給付、労災給付の6部門について自営業者についても適用を拡大するよう勧告している。さらに2022年9月に提案された最低所得勧告案は、ベーシックインカムとは異なる資産調査と就労要請を伴う最低所得制度について、そのカバレッジや十分性、就労への援助や社会サービスの確保などを求めている。

 

労災保険料の事業主不服申立制度@WEB労政時報

WEB労政時報に「労災保険料の事業主不服申立制度」を寄稿しました。

 去る2022年12月13日、厚生労働省労働基準局の「労働保険徴収法第12条第3項の適用事業主の不服の取扱いに関する検討会」(座長:荒木尚志氏)は報告書を取りまとめました(公表資料はこちら)。これは、“公定力”だの“違法性の承継”だの“争点効”だのといった行政法や民事訴訟法の専門用語が乱舞して、普通の労働関係者にはちんぷんかんぷんの気味がありますが、できるだけ解きほぐして説明してみましょう。・・・・

 

 

2023年2月 5日 (日)

「30年間給料が上がらない日本の労働者」というのはマクロには正しいがミクロには正しくない・・・からまずいのだが

Japaninflationeconomysuper169 CNNが「30年間給料が上がらない日本の労働者、企業への賃上げ圧力高まる」という記事を書いているんですが、

https://www.cnn.co.jp/business/35199588.html

時吉氏を含む世代の日本の労働者は、その職業人生を通じほとんど賃上げの経験がない。現在、数十年に及ぶデフレの後の物価上昇を受け、世界3位の経済大国は生活水準の低下という重大な問題の考察を余儀なくされている。企業もまた、賃上げへの強い政治的圧力に直面する。・・・

この手の言い方よく見られますが、日本の少なくとも大企業や中堅企業の正社員に関する限り、「その職業人生を通じほとんど賃上げの経験がない」というのは事実ではありません。

もちろん、これは「賃上げ」という言葉の意味によりますが、圧倒的に多くのマスコミが何の疑いもなく使い続けている「定昇込み幾ら」というのが「賃上げ」であるとする限り、彼らはベアはほとんどなくても、つまり総額人件費は全然上がっていなくても、その人の去年の給料よりも今年の給料の方が若干高く、来年の給料はさらに若干高い、という意味においては、つまり定期昇給が続いているという意味においては、その職業人生を通じほぼ毎年賃金が上がってきているんです。

そして、それこそが、日本のマクロ的な意味での賃金が全く上がらなかった最大の原因でもあります。

マクロ的には、つまり日本の労働者全体としてみれば全然賃金が上がっていないにもかかわらず、ミクロには、つまりその労働者個人だけの観点からすれば、去年より今年、今年より来年と、毎年少しづつでも「賃上げ」しちゃっているがゆえに、それが定昇というフェイク賃上げであって、真の賃上げではないのだという真実から目を逸らすことが可能になっているからです。

というような、日本独特の構造を日本人以外に説明するのは骨が折れます。一片の記事だけではとても説明するのは不可能でしょう。まず最初に、定期昇給という外国には存在しないものを説明しないといけないけれども、そんなことを縷々説明しているうちに、一記事に許された紙面はあっという間になくなってしまいます。

定期昇給など存在しない外国人の読者に、日本の賃金は30年間全然上がらなかったといえば、極めて日本の労働事情に詳しいごく少数の異常な人々を除けば、百人中百人までもが、「そうか、日本の大部分の労働者は、毎年給料袋の中身が全然上がらなかったんだな」としか思わないでしょう。

そこで、この記事では、冒頭の具体例をこのように描いています。

香港/東京(CNN) 時吉秀弥氏(54)が英語教師としてのキャリアを東京でスタートしたのは、およそ30年前のことだ。

それ以降、同氏の給料はほとんど横ばいだった。そこで3年前、昇給への望みに見切りをつけ、本の執筆を始めることにした。

本を書いて売ることで新たな収入源を得ているのを幸運に思うと、時吉氏はCNNに語る。それがなければ賃金はいつまでも上がらなかっただろうとし、おかげで何とかやっていくことができたと振り返る。

そう、この時吉さん54歳という特定個人の給料が30年間全然上がらなかったという、日本の普通の正社員ではあまりありえないような描写を持ってくるのでないと、この記事の読者には伝わらないのです。

この時吉さんというのは、おそらく非常勤講師ではないかと想像されます。マクロには上がらないけれどもミクロには上がるという日本のフェイク賃上げは正社員だけの世界であって、非正規労働者には縁がないからです。

もし、この記事の冒頭に、別の正社員である人を持ってきて、その人の給料は30年間に2倍以上に上がってるけれども、日本の賃金は全く上がっていないなんて書いた日には、読者の頭の中には?マークが林立してしまうことでしょう。

そういう風にならないために、この記事の記者は、読者が短い記事の中で認知的不協和にならないように、30年間ミクロにも賃金が上がらなかった人を持ち出してくるしかなかったわけです。

真の文化摩擦というのは、こういう表からは見えにくいところにこそ存在しているのですよ。

 

 

 

60年前も職務給が流行し、労働組合は悩んでいた

Jil_20230205171101 去る1月23日に、岸田首相が国会の施政方針演説で「従来の年功賃金から、職務に応じてスキルが適正に評価され、賃上げに反映される日本型の職務給へ移行する」と述べたのですが、これって実は宏池会の首相の大先輩にあたる池田勇人首相がそのちょうど60年前の1963年1月23日にやはり国会の施政方針演説で「従来の年功序列賃金にとらわれることなく、勤労者の職務、能力に応ずる賃金制度の活用をはかるとともに、技能訓練施設を整備し、労働の流動性を高めることが雇用問題の最大の課題であります」と語っていたことがちょうど干支が一巡りして元の場所に戻ってきた感があります。

当時、つまり1960年代前半期の日本では、同一労働同一賃金に基づく職務給というのが政労使の間で流行語になっていました。

そのちょっと前に設立された日本労働協会(今のJILPTの前身の前身)は、この機に乗じて、「賃金問題に関する労働組合幹部専門講座」なるものを開催し、その記録を『労働組合と賃金 その改革の方向』という書物にして刊行しています。

https://honto.jp/netstore/pd-book_03154417.html

この本が面白いのは、一方で同一労働同一賃金という万国共通のスローガンを掲げながら、いざ足元の賃金要求をどうするかとなると、今までの年功賃金との矛盾を引きずらざるを得ず、悩みが深いということです。

ここでは、全造船の西方副委員長の講演の中から、「そうはいっても」な部分を引いてみましょう。

・・・われわれが賃金闘争を組むにあたっても、同一労働同一賃金をうたうと、必ず若い労働者諸君から、これはいいことだ。ぜひやってくれといわれる。ところが、年輩労働者諸君には、確かに同一労働同一賃金がいいという理屈はわかる。しかし、おれたちは一体いままで粒粒辛苦して、やっとこの地位になったんだ、これをおびやかすようなことをやってもらっては困るという気持ちが強い。ずいぶん資料を出したり、あるいは説得してみるが、理屈はわかっても、感じとしてどうしても受け入れられないというのが、現場にもたくさんある。今日の労働運動が、青年層をどう握るか、会社が握るか組合が握るかにかかっている、ということがよくいわれるけれども、確かに、賃金の問題をめぐっても青年層の意欲をどう的確にとらえて全体の中に消化していくかということが、組合に課せられた大きな任務だろうと考えている。・・・

これに限らず、登場する組合のリーダーたちはみんなこの問題に悩んでいたことが文章の間からひしひしと伝わってきます。

合化労連の岡本副委員長はこう痛烈な反省の弁を述べます。

・・・戦後のわれわれの賃上げは、いうまでもなく、電産型からはじまってずっとやってきたわけであるが、極端にいうと、この15年我々が実際何をしてきたか。首切り反対をまずやった。それからもう一つは。年功序列賃金をむしろ育成強化してきた。・・・
 また、結婚資金をよこせ、社宅だ、退職金だ、なんだかんだというが、結局、社内福祉をよくする運動、つまり、今言った日本の家父長的労務管理、労務政策というものを、労働組合自らが育成強化する運動をやってきた。これではいつまでたっても、われわれのほんとうの意味での資本との対決もあり得ない。相手側の作った運動場の中で、われわれはボールを蹴っているに過ぎない。相手側の土俵の中で相撲を取っている、こんな状態では、本来の労働者の自立というものはありえなくなってくるわけである。・・・

ところが、それから10年も経たないうちに、こういう問題意識は日本の政労使の間から消え失せてしまいました。日本型雇用システムが世界で最も素晴らしいという礼賛が世間を覆うようになり、同一労働同一賃金などというとぼけたことをいう奴は姿を消したのです。

以来60年がたち、日本社会はなんだか妙に似たような言葉を掲げて妙に似たような議論を繰り返しているように見えます。

いやもちろん、今日には今日的問題状況があるので、60年前の議論がそっくりそのまま持ってこれるわけでもありませんが、それにしても、こういう問題を論じる人々のほぼ誰一人として、この60年前に喧々諤々となされていた職務給をめぐる議論を覚えていなさそうに見えるのは、いささか残念な気がしないでもありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023年2月 3日 (金)

ジョブ型とメンバーシップ型の世界史的源流@『三田評論』2023年2月号

Book_cover 明治31年から続く慶應義塾の機関誌 『三田評論』2023年2月号が「日本の“働き方”再考」という特集を組んでいまして、そこにわたくしも小論を寄稿しております。

https://www.keio-up.co.jp/mita/202302/

「ジョブ型」って本当は何? 巷間よく言われる雇用の形態を指すこの言葉ですが、日本では様々な使われ方をしているようです。「働き方」は本当に毎日の生活に関わるもので、働く側も、会社側もよりよい働き方を模索し続けているのだと思います。コロナ禍のテレワーク導入も絡み、まさに激変期にある「日本の働き方」が向かう先はどこなのでしょうか。

座談会 多様な働き方と雇用形態の変化が向かう未来とは
坂爪洋美 法政大学キャリアデザイン学部教授・塾員
野間幹子 国分グループ本社執行役員社長室長兼経営統括本部部長 仕事における幸福度担当・塾員
高橋菜穂子 ノバルティスファーマ・ポルトガル人事統括ディレクター・塾員
森安亮介 みずほリサーチ&テクノロジーズ主任コンサルタント・塾員
八代充史(司会)慶應義塾大学商学部教授

関連記事
ジョブ型とメンバーシップ型の世界史的源流 濱口桂一郎 労働政策研究・研修機構労働政策研究所所長
リモートワークは日本人の働き方をどう変えるか──ジョブ型と、もう一つの選択肢 太田 肇同志社大学政策学部教授
人々を幸せにする「雇用流動化」とは? 中村天江連合総合生活開発研究所主幹研究員
「転居のない転勤」という働き方──「あたらしい転勤(リモート転勤)」プロジェクトの試み 水野英樹三菱地所プロパティマネジメント株式会社人事企画部ユニット長
プロ人材を活用する組織、プロになれる人材 大西利佳子株式会社コトラ代表取締役・塾員 

https://www.mita-hyoron.keio.ac.jp/features/2023/02-2.html

 私が2021年9月に『ジョブ型雇用社会とは何か』(岩波新書)を出版したのは、現在世間で流行しているジョブ型論にはあまりにも多くの誤解や間違いが氾濫しているからです。まず認識してほしいのは、ジョブ型は決して新しいものではなく、むしろ古くさいということです。こういうことを聞くと、「何を言っているのか。古くさく、硬直的で、生産性の低い日本の雇用システムであるメンバーシップ型をやめて、柔軟で生産性の高い、新しいジョブ型に移行すべきであるという説が流行っているではないか」と思われるかもしれません。確かに今、ジョブ型という言葉を弄んでいる人たちの多くはその手の主張を展開していますが、それは間違いで、ジョブ型の方がメンバーシップ型よりも古いのです。ジョブ型がどのくらい古いかというと、少なくとも100年、200年ぐらいの歴史があります。18~19世紀に近代産業社会がイギリスを起点に始まり、その後ヨーロッパ諸国、アメリカ、日本そしてアジア諸国へと徐々に広がって行ったわけですが、この近代社会における企業組織の基本構造が、ジョブに人をはめ込むジョブ型なのです。・・・

 

 

 

 

2023年2月 2日 (木)

ミヒャエル・キットナー著・橋本陽子訳『ドイツ労働法判例50選 ― 裁判官が描く労働法の歴史』

Large_a9881ddf6cfc43d0aa53719fbdd3954e ミヒャエル・キットナー著・橋本陽子訳『ドイツ労働法判例50選 ― 裁判官が描く労働法の歴史』(信山社)をお送りいただきました。

https://www.shinzansha.co.jp/book/b10026938.html

重要50判例の歴史的背景とその後の判例・立法の展開を解説。各判例が現在と将来にもたらす先例的価値が分かり易く理解できる。

ドイツ版『労働判例百選』みたいなものかと思うかも知れませんが、全然違います。学者一人で編んだという点では大内伸哉さんの『最新重要判例200』と共通ですが、そもそも最新どころか、百年以上昔の判例も載っています。

まさに副題にもあるように、ドイツ第二帝国(ライヒ)時代から、ワイマール共和国時代の判例まで載っていて、「労働法の歴史」を判例という切口から叙述する歴史書の趣があります。

・序文
◆序 章
◆ライヒ時代
  1 争議行為の威嚇は脅迫である
  2 キールのパン屋のボイコット
  3 アルトナの木材労働者のストライキ:労働協約
◆ワイマール共和国
  4 キール路面鉄道事件:経営リスク
  5 鉄道員のストライキ:官吏のストの禁止
  6 「ルール鉱山ストライキ」
  7 労働者概念
  8 任意性の留保 

戦後の連邦共和国時代の判例には、私もEU労働法でお目にかかった懐かしいものがいくつも取り上げられています。男女均等指令の間接差別に関わるビルカ事件判決、事業移転の既得権指令に関わるシュミット事件判決、年齢差別に関わるでっち上げ事件のマンゴルド事件判決などです。

驚いたのは、企業活動の自由と労働組合活動の相克が問題となったいわゆるラヴァル・カルテットから、ラヴァル事件とバイキング事件と取り上げていることで、これらはそれぞれスウェーデンとフィンランドの事案で、ドイツに関わるのはリュッフェルト事件なんですが、ここではあえて有名な両事件の方を取り上げていますね。

◆連邦共和国
◆個別的労働法
  9  同一賃金
  10 独身条項
  11 労働者の責任
  12 客観的事由の不要な期間の定め
  13 償還条項
  14 事業所年金:期待権の不喪失
  15 現業労働者と職員
  16 継続就労請求権
  17 教会の労働者
  18 「ビルカ」事件:間接差別
  19 「企業決定」と解雇
  20 「代理商」事件:損なわれた契約対等性
  21 深夜労働の禁止
  22 「クリステル・シュミット」事件:事業移転
  23 「マンゴルド」事件:年齢差別
  24 「ハイニッシュ」事件:公益通報
◆共同決定
  25 効力要件としての共同決定権
  26 「鍋理論(Topftheorie)」
  27 共同決定法は合憲である
  28 「企業決定」と共同決定
  29 「技術者報告システム」事件:コンピュータによる監視
  30 操業短縮における提案権
  31 協約外給付への算入
  32 事業所委員会の差止請求権
  33 「ブルダ」事件:労働組合の差止請求権
  34 団結の自由と「中核領域」
  35 協約単一性
  36 労働組合の概念
  37 差異化条項
  38 算入禁止条項
  39 ドイツ労働総同盟の仲裁裁判所
◆争議行為
  40 新聞スト
  41 大法廷1955年判決
  42 シュレスヴィッヒホルシュタイン州のストライキ
  43 エアヴィッテのザイベル社における職場占拠
  44 ロックアウト
  45 「冷たいロックアウト」:争議行為リスクと共同決定
  46 警告スト
  47 「冷たいロックアウト」:雇用促進法116条
  48 機関士のストライキ
  49 「バイキング」事件/「ラヴァル」事件
  50 「フラッシュモブ」
◆エピローグ―法の継続形成(判例法理)の限界
    ―  ―  ―
◇ミヒャエル・キットナー教授インタビュー
◇訳者解説
・索 引 

日本でも誰か、戦前の判例から始めて、日本の労働法の歴史を判例を中心に描くというような本を書きませんかね。

エマニュエル・トッド『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』@労働新聞書評

81qdi3i0gul 817cpagxh3l 例によって、『労働新聞』連載の「書方箋 この本、効キマス」に、エマニュエル・トッド『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』(文藝春秋)を取り上げました。

https://www.rodo.co.jp/column/144730/

 専制主義は古臭く、民主主義は新しい、とみんな思い込んでいるけれども、それは間違いだ。大家族制は古臭く、核家族は新しいとの思い込み、それも間違いだ。実は一番原始的なのが民主主義であり、核家族なのだ。というのが、この上下併せて700ページ近い大著の主張だ。いうまでもなく、新しいから正しいとか、古臭いから間違っているとかの思い込みは捨ててもらわなければならない。これはまずは人類史の壮大な書き換えの試みなのだ。
 トッドといえば、英米の絶対核家族、フランスの平等主義核家族、ドイツや日本の直系家族、ロシアや中国の共同体家族という4類型で近代世界の政治経済をすべて説明して見せた『新ヨーロッパ大全』や『世界の多様性』で有名だが、その空間論を時間論に拡大したのが本書だ。その核心は柳田国男の方言周圏論と同じく、中心地域のものは新しく周辺地域のものは古いという単純なロジックだ。皇帝専制や共産党独裁を生み出したユーラシア中心地域の共同体家族とは、決して古いものではない。その周辺にポツポツ残っているイエや組織の維持を至上命題とする直系家族の方が古いが、それも人類の歴史では後から出てきたものだ。ユーラシアの西の果てのブリテン島に残存した絶対核家族と、それが生み出す素朴な民主主義こそが、人類誕生とともに古い家族と社会の在り方の原型なのである。おそらく圧倒的大部分の人々の常識と真正面からぶつかるこの歴史像を証明するために、トッドは人類史の時空間を片っ端から渉猟する。その腕前はぜひ本書をめくって堪能してほしい。
 その古臭い核家族に由来する素朴で野蛮なアングロサクソン型民主主義がなぜ世界を席巻し、古代オリエント以来の膨大な文明の積み重ねの上に構築された洗練の極みの君主・哲人独裁制を窮地に追い詰めたのか、という謎解きもスリリングだ。英米が先導してきたグローバリゼーションとは、ホモ・サピエンス誕生時の野蛮さをそのまま残してきたがゆえの普遍性であり、魅力なのだという説明は、逆説的だがとても納得感がある。我々がアメリカという国に感じる「とても先進的なはずなのに、たまらなく原始的な匂い」を本書ほど見事に説明してくれた本はない。
 本書はまた、最近の世界情勢のあれやこれやをすべて彼の家族構造論で説明しようというたいへん欲張りな本でもある。父系制直系家族(イエ社会)のドイツや日本、韓国が女性の社会進出の代償として出生率の低下に悩む理由、黒人というよそ者を排除することで成り立っていたアメリカの脆弱な平等主義が差別撤廃という正義で危機に瀕する理由、共産主義という建前が薄れることで女性を排除した父系制大家族原理がますます露骨に出てきた中国といった、その一つだけで新書の一冊ぐらい書けそうなネタがふんだんに盛り込まれている。なかでも興味深いのは、原著が出た2017年にはあまり関心を惹かなかったであろうウクライナの話だ。トッドによれば、ロシアは専制主義を生み出す共同体家族の中核だが、ウクライナはポーランドとともに東欧の核家族社会なのだ。ウクライナ戦争をめぐっては勃発以来の1年間に膨大な解説がなされたが、この説明が一番腑に落ちた。

 

 

 

2023年2月 1日 (水)

児童手当は何のために作られたか、誰も記憶していない

最近、政治方面で児童手当をめぐって騒がしいようですが、どうも出てくる登場人物の誰も、児童手当というものがどういう趣旨で作られたのかという歴史的経緯をさっぱりと忘れ去っているようなので、やや迂遠ではありますが、旧稿の関連部分をお蔵出ししておきたいと思います。

ただ、その前に、十数年前に当時の民主党政権が子ども手当を打ち出したときにも、肝心の彼ら自身がその意義を的確には理解していなかったことについて、当時『世界』の座談会で述べた一節を引用しておきます。

807 座談会 民主党政権の社会保障政策をどう見るか(宮本太郎・白波瀬佐和子・濱口桂一郎)(『世界』2010年8月号

濱口 私は昨年、政権交代のときに書いた文章の中で、子ども手当を非常に高く評価したんです。ただ、高く評価した理由は労働政策の観点からで、子ども対策という観点からではない。
 どういう趣旨か。いままでの日本の雇用システムでは、成人男子の正社員が奥さんと子どもを養うだけの賃金を会社が払う。その対極にある非正規労働者は、家族を養うどころか、自分自身が養われているんだから、生活保護以下の水準でも構わないという形で労働市場が二極化してきた。これを何とかしよう、同一労働・同一賃金にしなければ、という議論は繰り返しされるんですが、賃金で家族の生活まで全部面倒見るということがデフォルトルールになっているので、なかなか変えられない。その意味で、子ども手当というのは、実は子どものためというよりも、労働市場の構造を変えるための部品という面があるんです。
 それは歴史をさかのぼると明らかです。そもそも児童手当は一九七一年につくられたのですが、一九六〇年の国民所得倍増計画の中で、日本の労働市場をいままでの終身雇用、年功賃金型から、同一労働・同一賃金に基づいたものに変えていく必要がある、そのためにも児童手当は必要だという議論をして、ようやく七〇年代初頭にできたのです。ところがその後は、そんなことは会社が全部面倒見るんだというのが世の中の大勢で、小さく産まれた児童手当がますます小さくなってしまった。ですから労働政策、社会政策全体として見たときには、子ども手当には、児童手当の初心に返って、それをもう一遍大きく育てていこうというインプリケーションがあるはずです。そういうインプリケーションを意識していれば、その目的を達成するためにどう改善すべきかという対応があり得たと思うのですが、そこが切れてしまっている。なぜ子ども手当が必要なのかが十分理解できていないまま、部品を絶対視するので、混乱が生じているように思います。

ここでごくあらあら述べていることを、その後『季刊労働法』2020年夏号に書いた「家族手当・児童手当の労働法政策」でかなり詳しく解説していますので、やや長いですが、読んでいただければ大体のことが頭に入ると思います。

269_h1scaled_20200612171201_20230201122501 2 公的社会保障としての児童手当への道
(2) 経済・労働政策としての児童手当
 児童手当が再び政策課題に上ってくるのは1960年代からですが、その問題意識はまず経済政策、労働政策としてのものでした。その重要なエポックとして、1960年11月に閣議決定された「国民所得倍増計画」が挙げられます。同計画は拙著『日本の労働法政策』でも述べたように、年功序列から同一労働同一賃金原則への雇用の近代化を掲げていましたが、その関係で「年功序列型賃金制度の是正を促進し、これによって労働生産性を高めるためには、全ての世帯に一律に児童手当を支給する制度の確立を検討する要があろう」と示唆したのです。
 さらに1963年1月に経済審議会が行った「人的能力政策に関する答申」では、賃金体系の近代化や労働移動の円滑化が掲げられていますが、その文脈で「中高年齢者は家族をもっているのが通常であり、したがって扶養手当等の関係からその移動が妨げられるという事情もある。児童手当制度が設けられ賃金が児童の数に関係なく支払われるということになれば、この面から中高年齢者の移動が促進されるということにもなろう」と述べ、さらに、児童手当は「賃金体系の合理化により職務給への移行を促進する意味もあり、生活水準の実質的な均衡化、中高年労働力の流動化促進等人的能力政策の方向に沿った多くの役割を果たす」とその重要性を強調しています。
 もっとも、本来は「全児童に対し、その一切の費用を賄う」べきとしながらも、日本では「使用者から家族手当が支給される一方、税制上扶養控除がなされている」ため、「いきなり本来の姿に到達することは困難であるので、段階的に実施に移すことが肝要」と述べています。具体的には、①児童数による制限、②所得の制限、③手当の内容による制限(教育費、学校給食費等)あるいはその組合せを提起していますが、「余り制限を設けて児童手当の本旨を失うようなことがあってはならない」と釘を刺してもいます。また財源については、「児童の育成は家庭の責任であると同時に国家の責任でもあり、また使用者が扶養手当を支給しているといういきさつも考慮して扶養者、使用者及び国の三者による負担が妥当」としつつも、「三者同一の負担率ではなく、使用者の負担が中心」としているのは、企業の家族手当からの移行を中心に据えてみているからでしょう。
 国民所得倍増計画に続く1965年1月の「中期経済計画」では、児童手当を「わが国において残された唯一の社会保障部門」と呼び、「児童養育費の増大、中高年労働力の流動化などその緊急な実施を要請する社会経済的諸条件は急速に醸成されつつある」と切迫感をあおり、「計画期間中になるべく早く制度の発足を行う」ことを求めています。経済政策の観点からは、児童手当の機能は「年功序列型賃金体系から職務給体系への移行の円滑化、中高年労働力の流動化の促進、中高年層において著しい所得格差の是正」にあり、それゆえに「民間企業の家族給に肩代わりする面もあって、それだけ企業負担を軽減する点も忘れてはならない」と、使用者の費用負担を正当化しています。
 総理府の社会保障制度審議会も1962年8月の「社会保障制度の総合調整に関する基本方策についての答申及び社会保障制度の推進に関する勧告」の中で、児童手当について「まず被用者に対する社会保険として発足させ」るが、被用者以外でも一定所得以下の者は被用者と同時に実施すべきと述べています。このほか、1965年7月の社会開発懇談会中間報告書、1966年11月の国民生活審議会答申なども、児童手当の必要性を強調していました。・・・・

4 児童手当制度の有為転変
(1) 児童手当に対する批判
 児童手当は「小さく産んで大きく育てる」ということで、1972年の施行から数年間は支給対象の第3子以降の支給期間を5歳未満から中学校修了までに徐々に拡大していきましたが、1970年代という時代は日本型雇用システムに対する評価が急激に高まっていた時代であり、この制度自体に対する否定的な考え方が社会に広まった時代であったということができます。それを最もよく示しているのが、1979年12月の財政制度審議会第2特別部会の「歳出の合理化に関する報告」です。
(3)児童手当
①問題点
ハ 児童手当が創設されてかなりの期間を経過した現在においても、(イ)我が国の場合、児童養育費の負担の在り方に関し、ヨーロッパ諸国と比較して、親子の家庭における結びつきが強く、広く社会的に負担するというヨーロッパ諸国のような考え方になじみにくい状況にあること、(ロ)我が国の賃金体系は、ヨーロッパ諸国と異なり、多くの場合、家族手当を含む年功序列型となっており、生活給としての色彩を有していること、(ハ)児童養育費の負担軽減に資するものとして、一般的には、税制上の扶養控除制度が存在していること、(ニ)保育所その他の児童福祉施策との関連において、また、広く社会保障施策全体の中で、必ずしも優先度が高いとはいえないこと、(ホ)これらを反映して、51年に厚生省が実施した意識調査においても、児童手当の存在意義について積極、消極おおむね半ばしていること等から、その意義と目的についてなお疑問なしとしないところである。
ニ また、児童手当の費用負担について、現行制度では、被用者(サラリーマン)にかかる分については、事業主からの拠出を求めているのに対し、非被用者(自営業者、農業者等)にかかる分については、全額公費負担となっており、負担の公平化、適正化の観点から、現在の費用負担の方法には、基本的な問題があると考えられる。
②検討の方向
 児童手当については、以上のような問題があり、社会保障全般について従来にもまして公平、かつ、効率的な制度運営が求められなければならない状況にあるので、制度の存廃、費用負担の在り方を含め、制度を基本的に見直すべきである。
 「制度の存廃」まで踏み込んだこの報告には、当時の日本社会の常識的感覚が浮き彫りになっています。かつては、年功序列的な生活給、家族給こそが変わるべき悪しき日本的特徴であったはずであり、その変化を促進するためにこそ児童手当が唱道されていたはずですが、その舞台設定ががらりと変わってしまい、日本的な年功序列賃金こそが維持すべき望ましいものであり、にもかかわらずそれとバッティングするような児童手当などそもそも存在する値打ちもない、という意識が一般的になっていたのです。

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