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2023年1月 9日 (月)

「身を切る改革」で神聖なる憎税同盟再び・・・

またぞろ「身を切る改革」で神聖なる憎税同盟が再びその雄姿をあらわそうとしつつあるのでしょうか。

http://gendainoriron.jp/vol.28/feature/taidan.php

Taidan_s_20230109103701   濱口:私が読んですごく同感した点と違和感を抱いた点を述べていきたいと思います。この本で一番、我が意を得たりと思った点は、「磁力としての新自由主義」です。この言葉は宮本さんの中では社会保障に着目したかたちで議論されていますが、雇用システムの観点から見るともっと根深いものがあって、まさに「磁力としての新自由主義」がずっと働いている、というのが私が感じてきたことです。宮本さんの本では、大枠としては自民党政権が新自由主義であり民主党はそれを批判する側という枠組だと思うのですが、私の目から見るとかなり違う光景が見えてきます。

2009年の民主党政権は、小泉政権と同じくらい「磁力としての新自由主義」を撒き散らしていたのではないか。宮本さん自身も詳しく書いていますが、2000年代前半の小泉政権は、確かに小泉・竹中の新自由主義路線でした。しかし第1次安倍政権から、福田、麻生政権と進むにつれ、自公政権は徐々に社会民主主義的な傾向を現してきました。それが民主党政権になってもっと社民主義になったというふうに、『現代の理論』の読者は考えているかもしれませんが、私の目から見るとむしろ民主党政権で小泉政権に戻ったのです。構造改革だ、事業仕分けだと言って、無駄を全部切ればお金はいくらでも出てくると主張し、それまで自公政権末期3代で少しずつ積み上げられてきた社会民主主義的な方向が、個々の政策ではつまみ食い的に社会民主主義的な政策はあるものの、大きな流れでいうとむしろ断ち切られてしまった。

鳩山政権はそれとは別の面で失敗して参議院選挙で与野党が逆転してしまい、やむを得ず菅直人は自公政権末期の社民的な政策を徐々に復活させていきました。その社民政策復活を象徴する人物が二人います。一人は財務大臣になった与謝野馨さんですが、もう一人は宮本太郎さんです。皮肉なことに、2000年代から2010年代への変わり目の中で、民主党政権というのは一時期小泉的な構造改革路線に逆流し、それが難しいことが分かって再び福田・麻生政権時代の社民的な政策に復帰して、野田政権で税と社会保障の一体改革に結実したのだと見ています。

こうした流れの中で見ると、第二次安倍政権というのは実に複雑な構造です。新自由主義的なものも部品レベルで見れば確かにあります。民主党政権で排除されていた竹中さんが復活したのはそれを象徴しています。一方で、それまでの社会民主主義的な流れも維持していますし、官製春闘などそれまでにない社民的政策も登場しました。この対立軸とは別の次元で、宮本さんの言う「日常的現実という保守主義」ではなく、頭の中でこしらえられた妙にイデオロギー的な、本来の保守主義とは異なるので私はカタカナで「ホシュ主義」と言ってますけれども、ある種の右翼的アイデンティティ・ポリティクスも強烈に打ち出された。

こういう様々なものがないまぜになったのが安倍政権だったのではないか。しかしここでは第2次安倍政権の正確な位置づけが大事なのではなく、福田・麻生政権で徐々に拡大し、鳩山政権でいったん断ち切られて後期民主党政権で復活した社会民主主義が、現在の安倍・菅政権まで流れてきているということの方が大事だと思います。この辺は社会政策の周りをうろちょろしている私の目から見ると自然にそのように見えるのですが、また宮本さんの見解ともおそらく一致すると思うのですが、世の多くの人にはそのように見えてない人が多いと思います。

ちょうど今自民党の総裁選挙の中で、岸田さんから「新自由主義からの脱却」といった議論が出てくる一方で、かつて民主党政権が唱えていた年金改革論が、規制改革を唱える河野さんから出てくるという、大変興味深い様相になっています。これは、いわば野党側が出してくるであろうカードを先回りして自民党の側が打ち出している形です。あえて社民的な政策を打ち出して見せる一方で、意識せざる新自由主義的な議論を振り回して、自民党としては混合したメッセージになっています。そうした事態の分析を、イデオロギー的に裁断するのではなく、現実の流れに沿った仕分けの仕方が大事である、というのが宮本さんの本を読んだ感想です。

濱口:今宮本さんが言われたことは大枠において私も共有します。本当の新自由主義者はごく少数しかいないのに、なぜ「磁力としての新自由主義」が山のように広がっているのか、つまり意図せざる新自由主義者がそんなに多いのかというと、ヨーロッパであれば社会民主主義の最大の岩盤であるべき安定した労働者層がむしろ新自由主義的な感覚を持ち、しかもそれに反発をする反体制的な、宮本さんのいう「浮遊するリベラル」も、やはり国家権力に対する反発から意図せざる新自由主義に走るという点にあります。イデオロギー的には対立しながら、国が税金を取ってそれを全体に再配分するという本来の社民主義に対して非常に違和感、あるいはむしろ敵対心を持つという意味で、結果的には似通ってしまうという構造だと思います。

ただこの説明はまだ概念的です。面白いのは、この二つのイデオロギーは思想としては対立し、ぶつかり合ってるんですが、社会的実態としてはある程度重なり合っている。社会党・総評ブロックというのはまさにそれを体現していたのではないか。彼らの大部分は、日本的な、私の言葉でいうとメンバーシップ型の企業システムの中に生きてるんですね。企業福祉の中にどっぷりつかって生きているがゆえに、その中で全部完結してしまい、それで十分済んでいる。

ヨーロッパであればもろもろの国家の社会保障で提供されるようなサービスは、企業内ですでに提供されているので、それを超えるようなものはいらないという実感がある。その実感が体制派的な労働者としての無意識的な新自由主義のもとになる。しかし同時に、口先の反体制的なイデオロギーとしては、マルクス主義的に福祉国家なんてものはダラ幹だ、というセリフでそれを正当化していた。この二つは、形而上的にはぶつかり合っているように見えて、形而下的な実態としては密接につながっていたと私は思ってます。

こうした無意識的な新自由主義の感覚が、かなりの程度、21世紀になっても持ち越されてきているのではないか。イデオロギー的には本当の新自由主義と、無意識的な安定労働者層のもつ実感的な新自由主義の感覚と、さらに宮本さんのいう「浮遊するリベラル」の反国家的な新自由主義の感覚とが、強力無比な「神聖なる憎税同盟」というトリア―デを作っている。そうするとその「神聖なる憎税同盟」をかいくぐって、国家が社会保障にしゃしゃり出ることが可能になるのは、それ以外のアクターが出てくる時しかありません。宮本さんのいう「例外状況としての社会民主主義」とはそういう機会なのだろうと思います。

宮本さんが出している三つの事例の中で、最も成功したあの介護保険とはまさにその典型で、その神聖同盟でないところから、すなわち介護の現場から、介護せざるを得ない家庭や、介護現場の声が噴出し、それまでこの無意識的な「神聖なる憎税同盟」に入っていた労働組合や、あるいは自民党の中の人たちも巻き込みながら動いて行ったわけで、まさにその意味で例外だったのでしょう。けれどもそれはあくまでも例外であって、神聖同盟の憎税感覚が変わっているわけではないので、その原動力が弱まってくると、元の磁力としての新自由主義的がまた強まってくる。・・・

安全保障や少子化対策という喫緊の課題に対して、国債という将来への付け回しに逃げるのではなく、正面から増税を掲げようとする与党に対して、またぞろ「身を切る改革」を掲げて憎税同盟の道を突っ走ろうとする某政党の姿に、いろんな思いが交錯する人も多いのではないでしょうか。

 

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コメント

hamachan先生、今年は1993年の自由民主党から新党さきがけ、新生党が分裂し、宮澤喜一内閣が内閣不信任案を可決されて解散総選挙に追い込まれ、そして細川護熙非自民連立内閣が成立して30年目にあたります。

 この時細川内閣に日本の社会主義インターナショナル加盟政党の民社党、日本社会党も参加していました。
 民社支持の同盟、社会支持の総評は解消し連合として1989年ようやくナショナルセンターの統一が実現した後の事です。
 しかしせっかくのチャンスを生かせず、民社党は消滅、日本社会党は社会民主党に党名変更するも消滅寸前。
 社民主義は社会党の大部分が移籍した民主党に引き継がれてはいますが、その民主党も国民民主党、立憲民主党とかつての民社・社会両党の二の舞を演じかねない有様です。

 細川非自民連立内閣もどちらかと言えば始めは「身を切る改革」を標榜していたように感じます。
 しかしその後消費税を7%に引き上げる国民福祉税構想を唐突に打ち出したのがあだになり崩壊。
 その後村山自民・社会・さきがけ三党連立内閣が成立。
 この内閣で消費税は3%から5%に引き上げることが決まり、橋本内閣の時に実行されました。
 その橋本内閣で省庁統合が行われ、厚生省・労働省が統合されて厚生労働省が誕生します。

 「身を切る改革」なるものを論ずるのであれば細川非自民連立政権からの歩みを冷静に振り返る事も必要であろうかと思います。

そうですね、まさに細川連立政権以来の政治の失われた30年をどのように総括するのか。その中で村山政権も橋本政権も小泉政権も民主党政権も安倍政権もすべてひっくるめていかなる「改革」に憑かれていたのかをじっくり考えなおしてみるべき時なのでしょう。

立憲民主党の泉代表が「身を切る改革」と言ってしまいました。

https://www.sankei.com/article/20230108-L2LJIFEEXZLN3AWSW7LG74ECOA/

案の定ツィッターなどで大騒ぎになり、泉代表がご自身のツィッターで釈明したのですが、どうも本心は「身を切る改革」をやるという事のようです。
そりゃ予備費や基金の無駄遣いは検証すべきでしょう。
しかし、その削減だけで膨大な財政赤字は解消できますか?
そして社会保障費や党の公約のベーシック・サービスの実現は可能なのか?

細川非自民連立政権以来の「左派」政党の悪しき習性はいまだに健在なようであります(T_T)

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