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2022年12月28日 (水)

hamachanブログ2022年ランキング発表

今年も年末が近づいてきたので、恒例のhamachanブログ今年のエントリPVランキングの発表を行います。

世の中的には「ジョブ型」で明け暮れした1年でもありましたが、本ブログのトピック的には、トップ10位内にはわずか1件、それもようやく6位に、日本の中の数少ないジョブ型世界の「医療界もメンバーシップ型へ??」というものすごくねじれた二重三重に皮肉な話題がランクインしただけでした。

まず第1位は、8月の「いや、それが「賃上げ」ってものなんだが・・・」です。小幡績という人が書いていることがあまりにも非論理の極みだったので、それを素直に書いただけだったのですが、なぜか今年の一番人気記事になってしまいました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2022/08/post-ebadd2.html(ページビュー数:9,558)

Img_2a901bb2ba311b78dc653400d94b33377936 プロフィールによると、東大経済学部を首席卒業し、大蔵省に入省して、今は慶應義塾大学の先生をしているという方が、東洋経済オンラインに「日本人の「賃上げ」という考え方自体が大間違いだ」という文章を書いているのですが、初めの数パラグラフを読んだところで頭を抱えてしまいました。いや、その主張に賛成とか反対とかいうレベルの話ではなく、その言っていることが論理的に全く理解できないのです。

https://toyokeizai.net/list/author/%E5%B0%8F%E5%B9%A1_%E7%B8%BE

https://toyokeizai.net/articles/-/609671(日本人の「賃上げ」という考え方自体が大間違いだ 給料を決めるのは、政府でも企業でもない)

・・・しかし、実は、彼らもかんべえ氏も180度間違っている。なぜなら「賃上げ」という考え方そのものが間違っているからだ。
 賃上げ、という言葉にこだわり続ける限り、日本の賃金は上がらない。アメリカには、賃上げという概念が存在しない。だから、賃金は上がるのだ。
 では「賃上げ」の何が間違いか。賃金は、政府が上げるものではもちろんないが、企業が上げるものでもないのである。
 「賃上げ」は、空から降ってこないし、上からも降ってこない。「お上」からも、そして、経営者からのお慈悲で降って来るものでもないのである。それは、労働者が自らつかみ取るものなのである。経営者と交渉して、労働者が払わせるものなのである。・・・ 

さあ、この4パラグラフは何を言っているのでしょうか?冒頭、「「賃上げ」という考え方そのものが間違っている」と断言しているにもかかわらず、4パラグラフ目では、「賃上げは・・・・・・・労働者が自らつかみ取るものなのである。経営者と交渉して、労働者が払わせるものなのである」と言っているのです。

いや、私はまさにこの第4パラグラフは正しいと思います。労働者が経営者に要求して、場合によっては給料上げないなら働いてやらないぞと脅して、労働の対価を高く引き上げることが日本に限らず世界共通の賃上げというものであって、「「お上」からも、そして、経営者からのお慈悲で降って来るものでもない」。全くその通り。そして小幡氏はこうも言う。

・・・日本の賃金が低いのは、労働者が、この闘争を「サボっているから」なのである。努力不足なのである。「政府の、お上からの経営者への指示」を待っていても、「雇い主の施し」を待っていても、永遠に得られないのである。・・・ 

小幡氏が首席卒業したという東大経済学部で労使関係論を受講したかどうかは定かではありませんが、こういうことは授業で聞かなくたって常識としてわきまえていてしかるべきことではありましょう。

ところが、そういうちゃんとわかっているかのような文章を書きながら、なぜか彼の頭の中では「賃上げ」という言葉は、労働者が勝ち取ることではなく、国や経営者がお慈悲で与えてくれるものだけを指す言葉として理解しているようなのですね。だから、タイトルに堂々と「日本人の「賃上げ」という考え方自体が大間違いだ」とぶち上げ、文章の中でも「なぜなら「賃上げ」という考え方そのものが間違っているからだ」などと奇妙なことをいうわけです。

実をいえば、法定最低賃金を否定し、労働組合が自力で勝ち取る賃金のみが唯一あるべき姿だと主張するのが、スウェーデンやデンマークの労働組合であり、それゆえに現在、EUの最低賃金指令案をめぐって労働組合運動の中で対立が生じているわけですが、そこまでいかなくても、労働組合の力が及ばないところは政府の力を借りざるをえないけれども、そうでない限りは労働組合が力で勝ち取るものだというのは、ごく普通の感覚でしょう。

奇妙なのは、この東大経済学部首席卒業がご自慢らしい小幡氏の議論が、そういう国家権力に頼らない本来の意味の「賃上げ」を、なぜかそれだけを自分の脳内の「賃上げ」という概念から排除してしまっているように見えることです。そして、そういう本来の「賃上げ」には及ばない、いわばまがい物の国や経営者のお慈悲に過ぎないものだけを自分の脳内では「賃上げ」と呼んで、「日本人の「賃上げ」という考え方自体が大間違いだ」と断言してしまっていることです。

正直、最初この文章を読んだとき、言っていることがある面であまりにも正しいにもかかわらず、ある面ではあまりにも間違い過ぎているので、頭の中が混乱の極みに陥りました。

慶應義塾大学で授業をされる際には、学生たちの頭をあまり混乱させないようにしていただきたいものです。

第2位は2月の記事ですが、これもややねじれた話で、隠岐さや香氏と東浩紀氏の間の半ば感情的な一連のやりとりから遥か昔の悪夢が引きずり出されてきます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2022/02/post-712ad5.html(ページビュー数:4,150)

隠岐さや香氏と東浩紀氏の間の半ば感情的な一連のやりとりに関わる気は毛頭ありませんが、隠岐氏の恐らく無意識に漏らした片言隻句がどういう人々の心にぐさぐさと刺さったのだろうかということを考えると、第一線で活躍中の東氏なんかよりも百万倍、非正規労働でその日を支えながら暮らしているテニュアをとれないまま中高年化した人文系知識人の人々にであろうし、これは位相をすこしずらすと(もう15年も前のことになりますが)赤木智弘氏が当時の『論座』で「丸山眞男をひっぱたきたい」と叫んだことにつながり、さらには戦前の帝国議会で斉藤隆夫がいわゆる粛軍演説の中で、当時の右翼的革新運動を「生存競争の落伍者、政界の失意者ないし一知半解の学者」と罵っていたことにまでつながっていきますね。

松尾匡さんの言うレフト2.0、格差や貧困を糾弾するレフト1.0とは対照的に、もっぱら政治的に正しいアイデンティティポリティクスやダイバーシティを追求するレフト2.0が、まさにダークサイドに落ちた生存競争の落伍者に対して投げかける侮蔑的眼差しが、どういうどろどろした「魔」を水底から引きずり出してくるのかといういい実例かもしれません。

ピケティの言うバラモン左翼に踏みつけられた者が商売右翼の培養土となっていくという因果応報の世界。その意味では、このつぶやきは(そのまなざしの冷酷さまで含めて)それ自体がその構図を的確に描き出している。

https://twitter.com/okisayaka/status/1489455501968830467

ところで最近、2000−2010年代に大学改革の犠牲になった(ようにみえる)人文系論客がダークサイドに落ちてオルタナ右翼っぽい論調でダイバーシティを叩いて客集めをしているようで、なんともディストピア。是非本来の敵に立ち向かってほしいのだが、はけ口がそっちに行っちゃうんだな…

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_2af2.html(赤木智弘氏の新著その2~リベサヨからソーシャルへ)

>男性と女性が平等になり、海外での活動を自己責任と揶揄されることもなくなり、世界も平和で、戦争の心配が全くなくなる。
>で、その時に、自分はどうなるのか?
>これまで通りに何も変わらぬ儘、フリーターとして親元で暮らしながら、惨めに死ぬしかないのか? 

>ニュースなどから「他人」を記述した記事ばかりを読みあさり、そこに左派的な言論をくっつけて満足する。生活に余裕のある人なら、これでもいいでしょう。しかし、私自身が「お金」の必要を身に沁みて判っていながら、自分自身にお金を回すような言論になっていない。自分の言論によって自分が幸せにならない。このことは、私が私自身の抱える問題から、ずーっと目を逸らしてきたことに等しい。

第3位は5月の「ナチス「逆張り」論の陥穽」です。最近本棚自作評論家として大活躍の田野大輔さんが、「ナチスも良いことをした」という逆張り論を批判していることの陥穽を指摘したものです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2022/05/post-ed416b.html(ページビュー数:3,438)

As20220524001471_comm 昨日の朝日新聞の15面に、「逆張りの引力」という耕論で3人が登場し、そのうち田野大輔さんが「ナチスは良いこともした」という逆張り論を批判しています。

https://www.asahi.com/articles/ASQ5S4HFPQ5SUPQJ001.html

 私が専門とするナチズムの領域には、「ナチスは良いこともした」という逆張りがかねてより存在します。絶対悪とされるナチスを、なぜそんな風に言うのか。私はそこに、ナチスへの関心とは別の、いくつかの欲求があると感じています。
 ナチスを肯定的に評価する言動の多くは、「アウトバーンの建設で失業を解消した」といった経済政策を中心にしたもので、書籍も出版されています。研究者の世界ではすでに否定されている見方で、著者は歴史やナチズムの専門家ではありません。かつては一部の「トンデモ本」に限られていましたが、今はSNSで広く可視化されるようになっています。・・・

正直、いくつも分けて論じられなければならないことがややごっちゃにされてしまっている感があります。

まずもってナチスドイツのやった国内的な弾圧や虐殺、対外的な侵略や虐殺といったことは道徳的に否定すべき悪だという価値判断と、その経済政策がその同時代的に何らかの意味で有効であったかどうかというのは別のことです。

田野さんが想定する「トンデモ本」やSNSでの議論には、ナチスの経済政策が良いものであったことをネタにして、その虐殺や侵略に対する非難を弱めたりあわよくば賞賛したいというような気持が隠されているのかもしれませんが、いうまでもなくナチスのある時期の経済政策が同時代的に有効であったことがその虐殺や侵略の正当性にいささかでも寄与するものではありません。

それらが「良い政策」ではなかったことは、きちんと学べば誰でも分かります。たとえば、アウトバーン建設で減った失業者は全体のごく一部で、実際には軍需産業 の雇用の方が大きかった。女性や若者の失業者はカウントしないという統計上のからくりもありました。でも、こうやって丁寧に説明しようとしても、「ナチスは良いこともした」という分かりやすい強い言葉にはかなわない。・・・

ナチスの経済政策が中長期的には持続可能でないものであったというのは近年の研究でよく指摘されることですが、そのことと同時代的に、つまりナチスが政権をとるかとらないかという時期に短期的に、国民にアピールするような政策であったか否かという話もやや別のことでしょう。

田野さんは、おそらく目の前にわんさか湧いてくる、ナチスの悪行をできるだけ否定したがる連中による、厳密に論理的には何らつながらないはずの経済政策は良かった(からナチスは道徳的に批判されることはなく良かったのだ)という議論を、あまりにもうざったらしいがゆえに全否定しようとして、こういう言い方をしようとしているのだろうと思われますが、その気持ちは正直分からないではないものの、いささか論理がほころびている感があります。

これでは、ナチスの経済政策が何らかでも短期的に有効性があったと認めてしまうと、道徳的にナチにもいいところがあったと認めなければならないことになりましょう。こういう迂闊な議論の仕方はしない方がいいと思われます。

実をいうと、私はこの問題についてその裏側から、つまりナチスにみすみす権力を奪われて、叩き潰されたワイマールドイツの社会民主党や労働組合運動の視点から書かれた本を紹介したことがあります。

Sturmthal_2-2 連合総研の『DIO』2014年1月号に寄稿した「シュトゥルムタール『ヨーロッパ労働運動の悲劇』からの教訓」です。

https://www.rengo-soken.or.jp/dio/dio289.pdf

・・・著者は戦前ヨーロッパ国際労働運動の最前線で活躍した記者で、ファシズムに追われてアメリカに亡命し、戦後は労使関係の研究者として活躍してきた。本書は大戦中の1942年にアメリカで原著が刊行され(1951年に増補した第2版)、1958年に邦訳が岩波書店から刊行されている。そのメッセージを一言でいうならば、パールマンに代表されるアメリカ型労使関係論のイデオロギーに真っ向から逆らい、ドイツ労働運動(=社会主義運動)の悲劇は「あまりにも政治に頭を突っ込みすぎた」からではなく、反対に「政治的意識において不十分」であり「政治的責任を引き受けようとしなかった」ことにあるという主張である。
 アメリカから見れば「政治行動に深入りしているように見える」ヨーロッパ労働運動は、しかしシュトゥルムタールに言わせれば、アメリカ労働運動と同様の圧力団体的行動にとどまり、「真剣で責任ある政治的行動」をとれなかった。それこそが、戦間期ヨーロッパの民主主義を破滅に導いた要因である、というのだ。彼が示すのはこういうことである(p165~167)。

・・・社会民主党と労働組合は、政府のデフレイション政策を変えさせる努力は全然行わず、ただそれが賃金と失業手当を脅かす限りにおいてそれに反対したのである。・・・
・・・しかし彼らは失業の根源を攻撃しなかったのである。彼らはデフレイションを拒否した。しかし彼らはまた、どのようなものであれ平価切り下げを含むところのインフレイション的措置にも反対した。「反インフレイション、反デフレイション」、公式の政策声明にはこう述べられていた。どのようなものであれ、通貨の操作は公式に拒否されたのである。
・・・このようにして、ドイツ社会民主党は、ブリューニングの賃金切り下げには反対したにもかかわらず、それに代わるべき現実的な代案を何一つ提示することができなかったのであった。・・・
社会民主党と労働組合は賃金切り下げに反対した。しかし彼らの反対も、彼らの政策が、ナチの参加する政府を作り出しそうな政治的危機に対する恐怖によって主として動かされていたゆえに、有効なものとはなりえなかった。・・・

 原著が出された1942年のアメリカの文脈では、これはケインジアン政策と社会政策を組み合わせたニュー・ディール連合を作れなかったことが失敗の根源であると言っているに等しい。ここで対比の軸がずれていることがわかる。「悲劇」的なドイツと無意識的に対比されているのは、自覚的に圧力団体的行動をとる(AFLに代表される)アメリカ労働運動ではなく、むしろそれとは距離を置いてマクロ的な経済社会改革を遂行したルーズベルト政権なのである。例外的に成功したと評価されているスウェーデンの労働運動についての次のような記述は、それを確信させる(p198~199)。

・・・しかし、とスウェーデンの労働指導者は言うのであるが、代わりの経済政策も提案しないでおいて、デフレ政策の社会的影響にのみ反対するばかりでは十分ではない。不況は、低下した私的消費とそれに伴う流通購買力の減少となって現れたのであるから、政府が、私企業の不振を公共支出の増加によって補足してやらなければならないのである。・・・
それゆえに、スウェーデンの労働指導者は、救済事業としてだけでなく、巨大な緊急投資として公共事業の拡大を主張したのである。・・・

 ここで(ドイツ社会民主党と対比的に)賞賛されているのは、スウェーデン社会民主党であり、そのイデオローグであったミュルダールたちである。原著の文脈はあまりにも明らかであろう。・・・

田野さんからすれば「「良い政策」ではなかったことは、きちんと学べば誰でも分かります」の一言で片づけられてしまうナチスの経済政策は、しかし社会民主党やその支持基盤であった労働運動からすれば、本来自分たちがやるべきであった「あるべき社会民主主義的政策」であったのにみすみすナチスに取られてしまい、結果的に民主的勢力を破滅に導いてしまった痛恨の一手であったのであり、その痛切な反省の上に戦後の様々な経済社会制度が構築されたことを考えれば、目の前のおかしなトンデモ本を叩くために、「逆張り」と決めつけてしまうのは、かえって危険ではないかとすら感じます。

悪逆非道の徒は、そのすべての政策がとんでもない無茶苦茶なものばかりを纏って登場してくるわけではありません。

いやむしろ、その政策の本丸は許しがたいような非道な政治勢力であっても、その国民に向けて掲げる政策は、その限りではまことにまっとうで支持したくなるようなものであることも少なくありません。

悪逆無道の輩はその掲げる政策の全てが悪逆であるはずだ、という全面否定主義で心を武装してしまうと、その政策に少しでもまともなものがあれば、そしてそのことが確からしくなればなるほど、その本質的な悪をすら全面否定しがたくなってしまい、それこそころりと転向してしまったりしかねないのです。田野さんの議論には、そういう危険性があるのではないでしょうか。

まっとうな政策を(も)掲げている政治勢力であっても、その本丸が悪逆無道であれば悪逆無道に変わりはないのです。

第4位は7月の「アンチが騒ぐ前にリベラル派が騒いで潰した人権擁護法案」ですが、隠岐さやかさんのつぶやきでこれも古い話を思い出したものです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2022/07/post-c89bf3.html(ページビュー数:2,775)

朝日のこの記事に、

https://www.asahi.com/articles/DA3S15344730.html(あらゆる差別禁止、法律化求める動き 「包括法」欧州各国で制定進む)

おきさやかさんがこうつぶやいているんですが、

https://twitter.com/okisayaka/status/1544266020172341248

欧州だけでなく韓国も導入してたような。日本は2000年代にアンチが騒いで頓挫した

歴史的事実を正確に言うと、右派のアンチ人権派が騒ぐより前に、本来なら人権擁護を主張すべきリベラル派が報道の自由を侵すと騒いで潰したんですよ。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-0347.html(人種差別撤廃条約と雇用労働関係)

・・・・実は、2002年に当時の小泉内閣から国会に提出された人権擁護法案が成立していれば、そこに「人種、民族」が含まれることから、この条約に対応する国内法と説明することができたはずですが、残念ながらそうなっていません。
 このときは特にメディア規制関係の規定をめぐって、報道の自由や取材の自由を侵すとしてマスコミや野党が反対し、このためしばらく継続審議とされましたが、2003年10月の衆議院解散で廃案となってしまいました。この時期は与党の自由民主党と公明党が賛成で、野党の民主党、社会民主党、共産党が反対していたということは、歴史的事実として記憶にとどめられてしかるべきでしょう。
 その後2005年には、メディア規制関係の規定を凍結するということで政府与党は再度法案を国会に提出しようとしましたが、今度は自由民主党内から反対論が噴出しました。推進派の古賀誠氏に対して反対派の平沼赳夫氏らが猛反発し、党執行部は同年7月に法案提出を断念しました。このとき、右派メディアや右派言論人は、「人権侵害」の定義が曖昧であること、人権擁護委員に国籍要件がないことを挙げて批判を繰り返しました。
 ・・・一方、最初の段階で人権擁護法案を潰した民主党は、2005年8月に自ら「人権侵害による被害の救済及び予防等に関する法律案」を国会に提出しました。政権に就いた後の2012年11月になって、人権委員会設置法案及び人権擁護委員法の一部を改正する法律案を国会に提出しましたが、翌月の総選挙で政権を奪還した自由民主党は、政権公約でこの法案に「断固反対」を明言しており、同解散で廃案になった法案が復活する可能性はほとんどありませんし、自由民主党自身がかつて小泉政権時代に自ら提出した法案を再度出し直すという環境も全くないようです。 

政策の中身よりも政治的対立軸を優先する発想からすれば、小泉純一郎内閣が出してきた法案などけしからんものに決まっているのだから、メディア規制がけしからんとかいろいろ理屈をつけて潰せば野党の得点になると思ったのでしょうけど、あにはからんや、世の中はもう少し複雑怪奇であって、その政府自民党の中からナショナリストの右派が人権擁護法案絶対反対を叫びだし、自民党はそちらに足並みがそろってしまい、民主党政権になってかつて自分たちが潰した法案を出しなおしてみても、結局潰されて、いまだに何もないという状況になっているわけです。

そういう歴史的事実をきちんと学ばないから、いつまでたっても同じ過ちを繰り返すんだと思いますよ。何よりも政治的「対立軸」を大事にする発想が何を生み出し、何を潰すかという歴史的事実を。

第5位は5月の「性交契約の違法性について」で、いまだに尾を引いている例のアダルトビデオ新法の話から、そもそも性交契約の法的評価はどういうことになっているのかについての以前のエントリをサルベージしたものです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2022/05/post-f2f9d9.html(ページビュー数:2,649)

余りきちんと追いかけていなかったのですが、例の成人年齢引下げとアダルトビデオの問題が新法制定という話になり、こういう問題が提起されるに至っていたようです。

https://www.asahi.com/articles/ASQ5C00K8Q5BUTFL00L.html(AV対策新法に「待った」 性行為の撮影、合法化しないで)

アダルトビデオ(AV)撮影による被害を防ぐため、与党がまとめた新しい法律の骨子案に対し、「性行為の撮影を合法化してしまう」と懸念の声が上がっています。・・・・

――新法にはどんな懸念があるのでしょうか。教えてください。

岡さん まず、与野党が協議している法案の骨子案にAVの定義が書いてあります。「性行為などを撮影した映像」という趣旨の文言です。性交など性行為の撮影を肯定することが前提となっており、この法律自体がそうした性行為を伴う契約が許されると認めてしまうことになります。・・・・

001

現在、性交契約それ自体の合法性、違法性を明示した法令や裁判例は存在しないと思われますが、若干の労働法制において「公衆道徳上有害な業務」として、それに関わる派遣、紹介、募集等の行為を一定の刑事罰の対象としています。

そもそも現在問題となっているのは特定のビデオ商品の製造販売事業とそれに関わるさまざまな業務なのであって、私的自由との関係で重大な議論になり得る性交契約の合法性、違法性といった話に一足飛びに向かう前に、現在の法制度上どこまでが違法とされているのかについての正確な情報を踏まえて議論がされることが望ましいと思われるので、若干古い情報ですが、6年前に本ブログで若干の裁判例を紹介したエントリを再掲しておきます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/post-d708.html(公衆道徳上有害な業務に就かせる目的で労働者派遣をした者は)

こんなニュースが流れていますが、

http://www.sankei.com/affairs/news/160612/afr1606120006-n1.html  (大手AVプロ元社長逮捕 労働者派遣法違反容疑 女性「出演強要された」)

経営していた芸能事務所に所属していた女性を、実際の性行為を含むアダルトビデオ(AV)の撮影に派遣したとして、警視庁が11日、労働者派遣法違反容疑で、大手AVプロダクション「マークスジャパン」(東京都渋谷区)の40代の元社長ら同社の男3人を逮捕したことが、捜査関係者への取材で分かった。女性が「AV出演を強いられた」と警視庁に相談して発覚した。

最近話題のAV出演強要問題について、目に余ると考えたか、警察は労働者派遣法を適用するというやり方を取ってきたようです。

AvHaken_2

しかし、労働法学的にはいくつも論点が満載です。

まずもって、AVプロダクションがやっているのは労働者派遣なのか?AVプロダクションに「所属」しているのは、AVプロダクションが当該女優を「雇用」しているということなのか?

そういう判断はあり得ると思われますが、そうすると、今やっている全てのAVプロダクション、にとどまらず、多くの芸能プロダクションは届出もせず許可も受けずに業として労働者派遣をやっているということになりかねませんが、そういうことになるのかどうか?

後述の判決ではこの点は当然の前提として議論になっていません。

もっと重要なのは、この問題について強要の有無ではなく、当該出演内容たる性行為を「公衆道徳上有害な業務」と判断して適用してきたという点です。

労働者派遣法にはこういう条文があります。

第五十八条 公衆衛生又は公衆道徳上有害な業務に就かせる目的で労働者派遣をした者は、一年以上十年以下の懲役又は二十万円以上三百万円以下の罰金に処する。

記事はこういう記述があり、

労働者派遣法は実際の行為を含むAVへの出演を「公衆道徳上有害な業務」として規制している。捜査当局が同法を適用して強制捜査に踏み切るのは異例。

実際、確かに、アダルトビデオ派遣事件判決(東京地判平成6年3月7日判例時報1530号144頁)では、こう述べています。

本件における派遣労働者の従事する業務内容についてみると、派遣労働者である女優は、アダルトビデオ映画の出演女優として、あてがわれた男優を相手に、被写体として性交あるいは口淫等の性戯の場面を露骨に演じ、その場面が撮影されるのを業務内容とするものである。右のような業務は、社会共同生活において守られるべき性道徳を著しく害するものというべきであり、ひいては、派遣労働者一般の福祉を害することになるから、右業務が、「公衆道徳上有害な業務」にあたることに疑いの余地はない。そして、労働者派遣法五八条の規定は、前述のように、労働者一般を保護することを目的とするものであるから、右業務に就くことについて個々の派遣労働者の希望ないし承諾があつたとしても、犯罪の成否に何ら影響がないというべきである。

弁護人は、性交ないし性戯自体は人間の根源的な欲求に根ざすものであるから「有害」でないと主張するけれども、性交あるいは口淫等の性戯を、派遣労働者がその業務の内容として、男優相手に被写体として行う場合と、愛し合う者同士が人目のないところで行う場合とを同一に論じることができないことは、明らかであり、この点の弁護人の主張もまた採用することができない。

たしかに「右業務に就くことについて個々の派遣労働者の希望ないし承諾があつたとしても、犯罪の成否に何ら影響がない」と言いきっていますが、ここは議論のあるべきところでしょう。

同判決は後段でさらに「たとえ雇用労働者が進んで希望した場合があつたにせよ、若い女性を有害業務に就かせ、継続的、営業的に不法な利益を稼ぎまくつていたことも窺われ、その犯情は極めて悪質で、厳しく咎められなければならない」とまでいっています。

この判決からすると、今回の警察の動きはそれに沿ったものということになりますが、そもそも出演「強要」を問題にしていた観点からすると、こういう解決の方向が適切であるのか否かも含めて議論のあるべきところでしょう。

(追記)

当該女性がAVプロダクションに雇用された労働者なのか、という点について、上記平成6年3月7日東京地裁判決では、被告側が争っていないので議論になっていないのですが、そこを争った事案はないかと探してみたら、こういうのがありました。平成2年9月27日東京地裁判決です。被告側が雇用関係不存在を主張したのを判決が否定しているところです。

・・・弁護人は、CはAが雇用する労働者ではないし、また、被告人がCをBの指揮命令のもとに同人のためモデルとして稼働させたことはないから、被告人の行為は労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の就業条件の整備等に関する法律(以下、「労働者派遣法」という)五八条にいう「労働者派遣」に該当しない旨主張する。

そこで検討するのに、前掲関係各証拠によれば、Aは、昭和六三年七月ころから事務所を設置して無許可でいわゆるモデルプロダクション「E」の経営を始め、同年九月ころ、Cに対しモデルになるよう勧誘し、Cはこれに応じたこと、そのころから平成元年一〇月ころまでの間、Aは、Cを本件のBのほか、いわゆるアダルトビデオ制作販売会社、SMクラブ、ストリップ劇場等に派遣したこと、Cに対する報酬は、いずれの場合も派遣先から直接同女には支払われず、A又はAと意思を通じたFから支払われ、その金額はAらが決定していたものであり、本件において、Aは、派遣料として取得した六万円のうち二万円をギャラとしてCに支払ったこと、AはCに対し仕事の連絡のため一日一回必ず電話するよう指示し、同女は右指示に従っていたことが認められ、以上の事実に照らせば、Cは、相当長期間にわたりAの指揮命令のもとにモデルとしての労働に服し、その対価として報酬を得ていたというべきであって、AとCとの間には労働者派遣法二条一号にいう雇用関係を認めることができる。

また、前掲関係各証拠によれば、Bは昭和五九年秋ころから多数のモデルの派遣を受けて、同女らとの性交及び性戯のビデオ撮影を反復継続してきたこと、本件において、Bは、右と同様のビデオ撮影の目的をもって被告人からCの派遣を受けたものである上、当日は、ビデオカメラ、モニターテレビ、照明器具等の備え付けられた判示の「D」(省略)号室内において、約六時間にわたりCとの性交、性戯等の場面をビデオ撮影していること、その間、CはBの指示に従い、同人を相手方とせず単独で被写体となって自慰等種々のわいせつなポーズをとっていたことも認められるから、CがBの指揮命令の下にモデルとして稼働したことは明らかである。

なお、弁護人は、CはBの性交又は性戯の相手方となったに過ぎないから、Cは労働に従事したとは言えない旨主張するが、前記事実関係に照らせば、BによるCのビデオ撮影は、同女がBの性交又は性戯の相手方となったことに付随するものにとどまるとは認められない。

以上のとおり、被告人の本件行為は労働者派遣法五八条にいう「労働者派遣」に該当するものと認められるから、弁護人の右主張は採用できない。

(追記2)

判例を調べていくと、プロダクションが雇用してビデオ製作会社に派遣するという労働者派遣形態としてではなく、プロダクションがビデオ製作会社に紹介して雇用させるという職業紹介形態として、やはり刑罰の対象と認めた事案があります。平成6年7月8日東京地裁判決ですが、

第一 被告人Y1及び同Y2は共謀のうえ、同Y2が、平成五年九月一七日ころ、東京都渋谷区(以下略)先路上において、アダルトビデオ映画の制作等を業とするC株式会社の監督Dに対し、同人らがアダルトビデオ映画を撮影するに際し、出演女優に男優を相手として性交性戯をさせることを知りながら、E’ことE(当時二一歳)をアダルトビデオ映画の女優として紹介して雇用させ

第二 被告人Y1及び同Y3は共謀のうえ、同Y3が、同月二八日ころ、東京都新宿区(以下略)F(省略)号室において、アダルトビデオ映画の制作等を業とする有限会社Gの監督Hに対し、同人らがアダルトビデオ映画を撮影するに際し、出演女優に男優を相手として性交性戯をさせることを知りながら、I’ことI(当時一八歳)をアダルトビデオ映画の女優として紹介して雇用させ

それぞれ、公衆道徳上有害な業務に就かせる目的で職業紹介をした。

という事実認定のもとに、

一 本件の争点は、本件アダルトビデオ映画に女優として出演する業務が、職業安定法六三条二号にいう「公衆道徳上有害な業務」に該当するか否かである。

二 前掲各証拠によれば、本件アダルトビデオ映画への出演業務は、制作会社の派遣する不特定の男優を相手に性交あるいは口淫、手淫などの性戯を行い、これを撮影させて金銭を得るものであると認められる。ところで、本来、性行為は、その相手の選択も含めて個人の自由意思に基づく愛情の発露としてなされるものである。しかるに、本件のように、女優が不特定の男優と性交渉をし、それを撮影させて報酬を得るということは、女優個人の人格ないし情操に悪影響を与えるとともに、現代社会における一般の倫理観念に抵触し、社会の善良な風俗を害するものであるから、これが職業安定法六三条二号にいう「公衆道徳上有害な業務」に該当することは明らかである。

三 右の点につき、弁護人は、男女の性器を隠すなどの修正を加え、自主的倫理審査委員会の審査を経たうえで市販されるアダルトビデオ映画は、今日の日本社会においては社会的風俗として受容されており、それに出演する業務についても一定の社会的な受容があるから、右業務は右法条にいう「公衆道徳上有害な業務」に該当しない旨主張する。

  しかしながら、右のような修正及び審査を経て市販されるアダルトビデオ映画が社会的風俗として受容されているか否かと、その制作過程の出演業務が公衆道徳上有害であるか否かとは別個の問題であり、たとえ、右のようなアダルトビデオ映画に一定の社会的受容があるとしても、前述した本件のごとき内容のアダルトビデオ映画への出演業務は、「公衆道徳上有害な業務」に該当するというべきである。

  また、弁護人は、右法条は売春またはそれに準ずる程度に著しく社会の道徳に反し、善良な風俗を害する業務に限定して適用すべきであると主張するが、前記のとおり、本件アダルトビデオ映画への出演業務が「公衆道徳上有害な業務」に該当することは明らかであり、弁護人の主張は理由がない。

と判示しています。

ご承知のように、労働者派遣法58条はもともと職業安定法63条2号からきています。

第六十三条    次の各号のいずれかに該当する者は、これを一年以上十年以下の懲役又は二十万円以上三百万円以下の罰金に処する。

一   暴行、脅迫、監禁その他精神又は身体の自由を不当に拘束する手段によつて、職業紹介、労働者の募集若しくは労働者の供給を行つた者又はこれらに従事した者

二   公衆衛生又は公衆道徳上有害な業務に就かせる目的で、職業紹介、労働者の募集若しくは労働者の供給を行つた者又はこれらに従事した者

こちらは「暴行、脅迫、監禁その他精神又は身体の自由を不当に拘束する手段によつて」というのがあるのですが、派遣法にはないのですね。

ただいずれにせよ、プロダクションのアダルトビデオ出演を募集/紹介/供給/派遣する行為は、法的形態がどれであるにせよ、「公衆道徳上有害な業務に就かせる目的」であるというのは、地裁レベルとはいえほぼ確立した判例になっているようです。

(追記3)

ちなみに、上記職業安定法63条2号には「募集」も含まれます。判例には、ビデオ制作メーカーがこの「公衆道徳上有害な業務に就かせる目的で」「労働者の募集」をしたとして有罪になった事案もあります。東京地判平成8年11月26日(判例タイムズ942号261頁)は、

被告人は、わいせつビデオ映画の制作販売業を営んでいたものであるが、わいせつビデオ映画制作の際に女優として自慰等の性戯をさせる目的で、平成七年一二月二〇日ころ、東京都渋谷区代々木〈番地略〉○○ビル二階の被告人の事務所において、B子(当時一五歳)と面接し、同女に対し、「セックス場面は撮らないで、入浴シーンやオナニーシーンを中心に撮る。」「出演料はいくら欲しいの。」「顔や人物がわかる部分はあまり撮らないし、入浴シーンなどで変な部分が写ったらボカシを入れる。三万円欲しければ三万円なりの内容でいく。五万円欲しければ五万円の内容でいく。親や友達には絶対分からないようにするから安心しなさい。」などと申し向け、自己の制作するわいせつビデオの女優として稼働することを説得勧誘し、もって、公衆道徳上有害な業務に就かせる目的で労働者を募集した。

という事案について、

被告人は、前示犯罪事実につき、B子と面接した際、同女を全裸にせずに下着を着けさせてビデオを撮影するつもりであったから公衆道徳上有害な業務に就かせる目的はなかったと主張する。右主張は、B子の供述内容に反するばかりでなく、被告人自身がその後に実際にB子を全裸にして撮影していることに照らしても疑わしいところであるが、仮に、当初は被告人が主張するような意図であったとしても、本件のように心身の発達途上にある一五歳の女子中学生が自慰などをし、その場面を撮影させて報酬を得るということは、当該女子の人格や情操に悪影響を与えるとともに、現代社会における善良な風俗を害するものであるから、このような業務が職業安定法六三条二号にいう「公衆道徳上有害な業務」に該当することは明らかである。したがって、いずれにせよ、被告人の主張は理由がない。

と判示しています。もっとも、同判例は、芸能プロダクションから紹介された別の女性については「募集」に当たらないとして無罪としています。

このように、派遣でも紹介でも、さらには直接募集でも「公衆道徳上有害な業務に就かせる目的」であれば刑罰の対象となるのです。

(新追記)

以上のような裁判例は確立したもので、近年の裁判例もほぼ同様の判断を繰り返しているようです。

東京地裁平成30年6月29日

 被告人両名は,未成年であった被害者のモデルになりたいという夢につけ込み,十分な説明もせずに公衆道徳上有害な業務であるアダルトビデオへの出演の話を進め,被害者が出演を渋ると,アダルトビデオに出ないで有名になる方法はないなどと誤導したり,仕事をしないなら見捨てるなどと圧力を加えたりして,精神的に追い詰め,冷静な判断力を奪うなどしてアダルトビデオへ出演させたものであり,このような行為は,未成年者の判断力の未熟さに乗じ,なおかつ,女性の人格を尊重しないものであって,強く非難されるべきである。上記のような経緯によるアダルトビデオ出演の結果,被害者にただならぬ精神的・肉体的苦痛が生じたことも軽視できない。さらに,本件では,アダルトビデオ制作会社がプロダクションに支払った出演料のうち,被害者の手元に渡ったのは2割程度で,残りは全てスカウト側とプロダクション側とで折半していたものであり,その搾取の程度は著しい。
 本件の犯情は悪く,また,このような犯行を禁圧すべき社会的要請も強いのであって,当然懲役刑を選択すべき事案である。

東京地裁平成30年12月25日

 本件は,アダルトビデオ制作会社に女性を売り込むプロダクションで面接等を担う被告人が,同プロダクションでマネージャーを担う者及びアダルトビデオ出演を勧誘してプロダクションに紹介するスカウトを担う者らと共謀して,被害者をアダルトビデオ制作会社に紹介して雇用させた,という有害職業紹介の事案である。
 本件では,スカウト側の共犯者らが,未成年者であった被害者のモデルになりたいという夢につけ込み,十分な説明をせずにアダルトビデオ出演の話を進め,被害者が出演を渋ると,アダルトビデオに出ないで有名になる方法はないなどと誤導したり,仕事をしないなら見捨てるなどと圧力を加えたりするなどし,被告人も,プロダクションの面接において,被害者が撮影可能な性的行為の種類を少なく答えるなどしてアダルトビデオ出演に前向きでない姿勢を示していたにもかかわらず,より多くの種類の性的行為の撮影に応じられる旨の言質を誘導的に取るなどしている。このような被告人らの行為は,未成年者の判断力の未熟さに乗じ,なおかつ,女性の人格を尊重せず,有害な労務に誘導するものであって,強く非難されるべきである。上記のような経緯によるアダルトビデオ出演の結果,被害者にただならぬ精神的・肉体的苦痛が生じたことも軽視できない。さらに本件では,アダルトビデオ制作会社がプロダクションに支払った出演料のうち,被害者の手元に渡ったのは2割程度で,残りは全てスカウト側とプロダクション側とで折半していたものであり,その搾取の程度も著しく,この種行為の問題性が如実に表れている。
 被告人は,プロダクションの人事部所属の従業員として,スカウト側の共犯者から被害者の紹介を受けてその面接を行い,前示のようにアダルトビデオ出演に必ずしも乗り気でない被害者からこれを受入れるような言質を取るなどしている。被告人は,プロダクションとしての契約締結の場面には関与していないとしても,その後被害者がアダルトビデオに出演することに向けた地ならしともいえる行動に及んでおり,本件犯行において重要な役割を果たしたものである。
 本件の犯情は悪く,また,このような犯行を禁圧すべき社会的要請も強いのであって,当然懲役刑を選択すべき事案である。しかるに,被告人は,公判廷に至っても,自分は一度面接をしただけであり,その後被害者がアダルトビデオに出演することになるかどうかは分からなかったなどと不合理な,あるいは自己の責任を極力矮小化する発言に終始しており,自身の行為の問題性を省みる姿勢も被害者の心情に思いを致す態度も甚だ不十分であって,その刑責の程を理解させるに足りる科刑が必要である。

第6位に、ようやくジョブ型がらみのテーマが出てきますが、ものすごくねじれた話題で、日本の中の数少ないジョブ型世界の「医療界もメンバーシップ型へ??」という二重三重に皮肉な話題です。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2022/05/post-67666b.html(ページビュー数:2,589)

日経新聞にこんな記事が出てるんですが、

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA2549K0V20C22A5000000/(薬剤師が看護師の仕事も 医療「職務シェア」の改革案)

政府の規制改革推進会議の医療・介護分野の答申案が判明した。医療従事者の仕事は法律などに基づいて定められているが、職種を超えて分担する「タスクシェア」を検討すると明記した。介護施設の人員配置基準を緩和する方針も盛り込んだ。改革案は約70項目に及ぶ。改革には抵抗も予想され実現は不透明な部分もあるが、新型コロナウイルスの感染拡大で問題となった医療の効率化は待ったなしだ。・・・

日本はメンバーシップ型だと言いながら、その一番大きな例外は医療の世界です。なんといっても、すべての職種が入口から出口まできっちりジョブ・デマケされている、いやいや入口のずっと前から、医学部で勉強しないと医師にはなれないし、看護学校で勉強しないと看護師になれないし、薬学部で勉強しないと薬剤師になれない。そして、医師は医師、看護師は看護師、以下同文で、ごく限られた領域を除いてそのタスクは法律で厳格に分割されている。

ジョブ型の話をするときによく使うジョークですが、「君も看護師を10年近くやって慣れてきたからそろそろ医者をやってみるかね。最初はOJTでぼちぼちと」なんて言わないでしょう。でも日本の企業でやっているのはそういうことなんですよ、というと、ははあ、ジョブ型というのは、メンバーシップ型というのはそういうことか、とわかってもらえる。配属された最初はみんな素人なので、OJTで見よう見まねで覚えていくという日本的なやり方はジョブ型の医療の世界では許されないのです。成果主義だなんだというのがいかにインチキで、ジョブのデマケでがちがちなのがジョブ型社会なんですからね。

そういうまことに古めかしく硬直的な、ジョブ型の中のジョブ型というべき医療の世界を、iPS細胞宜しく柔軟性の極致ともいうべき日本的なメンバーシップ型に作り替えようという陰謀(笑)が進められているようです。

何かというとジョブ型を推奨してやまない規制改革推進会議が、医療界をジョブ型からメンバーシップ型にしようというのも相当にシュールですが、一昨年からあれほど口を極めて(いささかおかしな)ジョブ型を宣伝してきた日経新聞が、こういう反ジョブ型の陰謀を歓迎しているっぽいのも、なかなかに興味深い光景と申せましょう。

第7位は、これはもう何年も連続してベスト10に顔を出し続けている2018年の記事「勝谷誠彦氏死去で島田紳助暴行事件を思い出すなど」です。なぜか読み継がれている伝説の記事となっているようですね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2018/11/post-dd55.html(ページビュー数:2,464)

ほとんど限りなく雑件です。

勝谷誠彦氏が死去したというニュースを見て、

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181128-00000060-spnannex-ent(勝谷誠彦氏 28日未明に死去 57歳 公式サイトが発表)

吉本興業で勝谷氏担当のマネージャーだった女性が島田紳助に暴行された事件の評釈をしたことがあったのを思い出しました。

これは、東大の労働判例研究会で報告はしたんですが、まあネタがネタでもあり、『ジュリスト』には載せなかったものです。

せっかくなので、追悼の気持ちを込めてお蔵出ししておきます。

http://hamachan.on.coocan.jp/yoshimoto.html


労働判例研究会                             2014/01/17                                    濱口桂一郎
 
中央労働基準監督署長(Y興業)事件(東京地判平成25年8月29日)
(労働経済判例速報2190号3頁)
 
Ⅰ 事実
1 当事者
X(原告):Y興業の従業員(文化人D(勝谷誠彦)担当のマネージャー)、女性
被告:国
Y:興業会社(吉本興業)
E:Y専属タレント(島田紳助)
 
2 事案の経過
・平成16年10月25日、Xは担当文化人Dに同行して赴いた放送局内で、面識のないEに話しかけたが、その際の態度を不快に感じたEがXに説教し、さらに立腹してEの控室に連れ込み、暴行を加えた(「Xの左側頭部付近を殴り、Xの髪の毛を右手でつかみ、3,4回壁に押さえつけたり、リュックサックで左耳付近を殴り、唾を吐きかけたりするなど」)。同日、警察に通報
・Xは同日から11月2日まで各病院で、「頚部、背中、左前腕捻挫」「頭部外傷I型、頸椎捻挫」「左上肢、背部打撲」「頸椎捻挫」「外傷性頭頸部障害、背部打撲」の診断を受けた。また11月9日には「急性ストレス障害」の診断を受け、平成17年1月「外傷性ストレス障害」(PTSD)に変更された(L意見書)。
・(本判決には出てこないがマスコミ報道によれば)平成16年12月9日、Eは傷害罪で略式起訴され、同日大阪簡裁が略式命令、罰金30万円を納付。Xは事件後休職、平成18年6月に休職期間満了で退職。平成18年8月5日、XはEとY興業を相手取って損害賠償請求訴訟を起こし、同年9月21日、東京地裁はEとY興業に1,045万円の支払を命じる判決を下した(判例集未搭載)。雇用関係確認も訴えたが認めず。双方控訴。平成19年9月22日、東京高裁で1,450万円を支払う旨の和解が成立。
・平成19年7月4日、Xは業務が原因で発症したPTSDとして監督署長に休業補償給付を請求。監督署長は平成20年7月2日、不支給処分(①)。平成19年7月4日、Xは業務が原因の外傷性頭頸部障害、背部打撲として休業補償給付を請求。平成20年7月2日、不支給処分(②)。平成19年8月16日、Xは業務が原因の外傷性頭頸部障害、背部打撲として療養補償給付を請求。平成20年7月2日、不支給処分(③)。
・平成20年8月28日、Xは上記3件の不支給処分を不服として審査請求。①については、平成21年7月21日、東京労働者災害補償保険審査官が棄却、8月19日に再審査請求、平成22年2月17日、労働保険審査会が棄却。②、③については、平成21年10月6日、東京労働者災害補償保険審査官が棄却、11月30日に再審査請求、平成22年8月4日、労働保険審査会が棄却。
・Xは、①について平成22年7月27日、②、③について同年11月15日、取消訴訟を提起。両事件は併合。
 
Ⅱ 判旨
1 本件事件(Eによる暴行)による災害の業務起因性
「本件事件は、・・・業務遂行中に発生したものといえる。」
「しかしながら、本件事件の発端についてみるに、XはY興業の社員(マネージャー)であり、EはY興業の専属タレントであるが、XはEの担当マネージャーではないことはもちろん、タレントとは異なる文化人マネジメント担当であり、Xの主たる業務上の接触先は,担当文化人やテレビ・ラジオのプロデューサーやディレクターであって(書証略)、XとEは、同じ会社に所属する社員と専属のタレントということのみで、具体的な業務上のつながりは認められない。」
「本件事件当日の具体的状況としても、・・・Xが、Dのマネージャーとしての担当範囲を超えて業務上のつながりがないEに対して何らかの業務上の行為を行うべき必要性は認められない。」
「これらの点からすれば、XはEに対して、東京広報部文化人マネジメント担当としての業務のために話しかけたものではなく、Eの上司であるMやNとの個人的つながりを持ち出して、私的に自己紹介しようとしたものであるとみるのが相当である。
 したがって、本件事件の発端となるXのEに対する話しかけ行為は、業務とはいえないというべきである。」
「また、XがEから暴行を受けるに至った経緯についてみても、・・・確かに、Eが立腹するに至った事情として、Y興業の社員であるXがM及びNを呼び捨てにしたことがあり、同人らは本件事件前後の時期においてY興業の幹部であったことは認められる。しかし、Xは両名を高校生の頃に面識のあった人物として名前を出したものであって、Xの発言内容自体は、本来のXの業務との関連性は乏しいし、Eが立腹した理由の一つがXがY興業の社員であることであったとしても、XのEに対する話しかけやこれに続くXとEとの口論はXの業務とは関連性がない。」
「以上の通り、本件事件の発端は、XがEに対して私的にX自身を自己紹介しようとしたところ、Eがその態度に不快感を覚えたというものであって、そのXの行為について業務性は認められないこと、暴行に至る経過において、XがM及びNを呼び捨てにしたことがあるが、その発言自体は、Xの業務との関連性に乏しいことなどからすれば、本件事件による災害の原因が業務にあると評価することは相当ではなく、Xの業務と本件事件による災害及びそれに伴う傷病との間に相当因果関係を認めることができないから、業務起因性を認めることはできない。」
2 精神障害による休業(①)の業務起因性
「客観的にみれば、本件事件におけるその心理的負荷が「死の恐怖」を味わうほどに強度のものであったとまで言えるかは疑問である。」
「L医師による、Xの供述に全面的にあるいはXの本件における供述以上の暴行態様を前提としたPTSDの判断については、疑問を呈さざるを得ない。」
「以上によれば、Xが本件事件後、PTSDに罹患していたとは認めがたい。そして、Xの時間外労働の内容及び本件事件後に生じた事情等を考慮しても前期判断は左右されるものではない。したがって、XがPTSDに罹患したことを前提として、本件処分①の違法をいうXの主張は採用することができない。」
3 外傷・打撲による休業・療養(②、③)の業務起因性
「以上からすると、Xの外傷に対する治療は、平成16年11月2日までに終了していると判断されるべきであり、同日以後の療養については、本件事件との因果関係は認められず、同日以降の療養について療養補償給付を求める本件請求③は支給要件に該当しないというべきである。」
「そもそも、休業補償給付が支給されるのは、療養のために労働をすることができず、労働不能であるがゆえに賃金も受けられない場合であることからすれば、療養が必要でなければ休業も当然必要ではないこととなるので、本件においては、休業補償給付の支給の要件を満たさないというべきである。したがって、平成16年11月2日以降の休業は、本件事件との因果関係が認められず、同日以降の休業について休業補償給付を求める本件請求②は支給要件に該当しないというべきである。」
 
 
Ⅲ 評釈 1に疑問あり。2,3は賛成。
 
1 本件事件(Eによる暴行)による災害の業務起因性
 本判決は、Xの遂行すべき業務範囲が「文化人D担当のマネージャー」であることから、その範囲外である専属タレントEへの話しかけを私的行為と判断している。しかし、被告主張にもあるように、「XがY興業所属の社員(マネージャー)であり、EがY興業の専属タレントであることから、このような両者の会話については業務性が肯定されるという見解もあり得る」のであり、もう少し細かな考察が必要である。
 事実認定において、判決はX側の「Xが業務遂行場所における業務遂行途上において、Y興業専属の大物タレントが一人で放置されていたことから声かけするのは職場における社員として常識的な行動である」との主張に対し、「本件事件当時、Eが特に担当マネージャー以外のY興業の社員からの声かけを必要とするような状況にあったことはうかがわれない」とか「XがEに話しかけた動機としては、職務上の立場とは無関係に、個人的な懐かしさの感情から話しかけたとみるのが相当である」と退けている。しかし、この論点の立て方では、Xがたまたまその時点で担当していたDのマネージャー業務以外は、Yの業務であっても特段の理由がない限り私的行為となってしまい、現実の日本における仕事のあり方とやや齟齬があるように思われる。X側が以下の論点をまったく提起していないので、いささか仮想的な議論になるが、本来はこういう議論があるべきではないか。
 判決文には示されていないが、XはDのマネージャー業務に限定してY興業に採用されたわけではないように思われる。本件事件当時Dのマネージャーを担当していたとしても、今後他の様々なタレントを担当する可能性はあったであろうし、その時のために、担当ではない時期から他のタレントに挨拶し、いわゆる顔つなぎをしておくことは、職業人生全体の観点からすれば将来の業務の円滑な遂行のための予備的行為としての側面があり、まったく個人的な行為とみることはかえって不自然ではなかろうか。現実の社会では、業務の輪郭はより不分明であって、Eに挨拶すること自体を厳密にXの業務範囲外と断定することには違和感がある。ちなみに、判決文ではEは「大物タレント」、Dは「文化人」と書かれており、それぞれのマネージャー業務は一見異なる種類の業務のように見えるが、実は両者ともY興業に属してテレビのバラエティ番組で半ば政治評論的、半ば芸能人的なコメントを行うタレントであって、一般社会的にはほとんど同種の業務と見なしうるように思われる。
 そしてこれを前提とすれば、将来担当する可能性を否定できないEが、過去幾多もの暴力事件を起こし、社内やテレビ局内でも暴力事件を起こしていたことから、本件事件による災害がEを専属タレントとして抱えて業務を遂行する過程に内在化されたリスクとのX側の主張も、「相当でない」と安易に退けることは疑問がある。
 もちろんこれに対しては、その時点での担当業務ではないにもかかわらず、将来担当したり関わったりする可能性のあるタレントと顔つなぎをしておきたいという意図で声かけをすることには、業務性は認められず、業務に関連した私的行為に過ぎないという反論もあり得る。ただ少なくとも、この論点を欠いたままの「個人的な懐かしさの感情」との判断には、いささか短絡的との感を免れない。
 
2 精神障害による休業の業務起因性
 現在、精神障害の認定基準は、「心理的負荷による精神障害の認定基準について」(平成23年基発1226第1号)及び「心理的負荷による精神障害の認定基準の運用等について」(平成23年基労補発1226第1号)によって行われているが、本件について給付請求、審査請求が行われていた時点においては、「心理的負荷による精神障害等に係る業務場外の判断指針について」(平成11年基発第544号)、平成21年4月6日以降は同通達の改正通達(平成21年基発第0406001号)、及びその関連通達によって行われていた。
 本件に対するこの通達の基準の当てはめについては、争点②についての被告側主張に詳細に述べられており、心理的負荷の強度はⅡ、総合評価は「中」であって、業務に起因するとは認められないとしている。この判断は基本的に是認しうる。
 また被告側主張では、訴訟提起後に発出された上記認定基準へのあてはめも行っており、そこでも総合評価を「強」とする「特別な出来事」はなく、「具体的出来事」としては「中」であって、業務起因性を否定している。この判断も是認しうる。
 また、X側のPTSDとの主張に対しても、詳細な反論を行っており、納得できるものがある。ちなみにL医師によるPTSDとの診断に対する疑念は、本人供述に基づく診断を基本とせざるを得ない精神医学について本質的な問題を提起しているようにも思われるが、ここでは深入りし得ない。
 なお、本件労災給付申請は事件発生の3年近く後に、民事訴訟の和解が近づいた時点で行われており、その動機にやや不自然なものも感じられる。
 
3 外傷・打撲による休業・療養の業務起因性
 これについても、被告側主張に詳細に述べられており、是認できるものである。

第8位は、これも2016年の記事がなぜか読み継がれている「1日14時間、週72時間の「上限」@船員法」です。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/11472-bfad.html(ページビュー数:2,348)

先日都内某所である方にお話ししたネタですが、どうもあんまり知られていなさそうなのでこちらでも書いておきます。といっても、六法全書を開ければ誰でも目に付く規定なんですが。

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S22/S22HO100.html

労働時間を定めているのは労働基準法、というのが陸上の常識ですが、海上では船員法です。

労働時間の原則は労基法と同じですが、


(労働時間)

第六十条  船員の一日当たりの労働時間は、八時間以内とする。

2  船員の一週間当たりの労働時間は、基準労働期間について平均四十時間以内とする。

時間外労働には3種類あります。「船舶の航海の安全を確保するため臨時の必要があるとき」(第64条1項)、「船舶が狭い水路を通過するため航海当直の員数を増加する必要がある場合その他の国土交通省令で定める特別の必要がある場合」(同第2項)、そして労基法36条と同じく「その使用する船員の過半数で組織する労働組合があるときはその労働組合、船員の過半数で組織する労働組合がないときは船員の過半数を代表する者との書面による協定をし、これを国土交通大臣に届け出た場合」(第64条の2)です。

この3種類の時間外労働のうち、はじめのもの、つまり「船舶の航海の安全を確保するため臨時の必要があるとき」については性質上上限はないのですが(これ以上働けないからと言って船を危険にさらすわけには行かない)、あとの二つについては法律上の上限が規定されています。


(労働時間の限度)

第六十五条の二  第六十四条第二項の規定により第六十条第一項の規定又は第七十二条の国土交通省令の規定による労働時間の制限を超えて船員を作業に従事させる場合であつても、船員の一日当たりの労働時間及び一週間当たりの労働時間は、第六十条第一項の規定及び第七十二条の国土交通省令の規定による労働時間並びに海員にあつては次項の規定による作業に従事する労働時間を含め、それぞれ十四時間及び七十二時間を限度とする

2  第六十四条の二第一項の規定により第六十条第一項の規定又は第七十二条の国土交通省令の規定による労働時間の制限を超えて海員を作業に従事させる場合であつても、海員の一日当たりの労働時間及び一週間当たりの労働時間は、第六十条第一項の規定及び第七十二条の国土交通省令の規定による労働時間並びに前項の規定による作業に従事する労働時間を含め、それぞれ十四時間及び七十二時間を限度とする

3  船舶所有者は、船員を前二項に規定する労働時間の限度を超えて作業に従事させてはならない。

4  第六十四条第一項の規定により船員が作業に従事した労働時間は、第一項及び第二項に規定する労働時間には算入しないものとする。

さらに、船員法には休息時間という規定もあります。


(休息時間)

第六十五条の三  船舶所有者は、休息時間を一日について三回以上に分割して船員に与えてはならない。

2  船舶所有者は、前項に規定する休息時間を一日について二回に分割して船員に与える場合において、休息時間のうち、いずれか長い方の休息時間を六時間以上としなければならない。

もっとも、EUの陸上の労働時間規制と違って、1日最低連続11時間というわけではなく、1日2回まで分割してもいいというかたちです。1日の労働時間の上限が14時間ですから、休息時間を1日で計10時間とすると、5時間と5時間ではダメで、せめて6時間と4時間にしろということになりますね。

いろいろな意見があると思いますが、何にせよ海上ではこういう法律に現に存在しているということは、陸上の労働法を論じる人々も頭の片隅には置いておいた方が良いようにも思われます。

第9位は、これは大変素直は情報提供もので、7月の「世界の最低賃金」です。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2022/07/post-d3d8ef.html(ページビュー数:2,167)

ドイツのハンス・ベックラー財団の経済社会研究所(WSI)が出している「WSI最低賃金リポート2022」に、今年1月現在の世界主要国の最低賃金の状況が載っています。

https://www.wsi.de/de/faust-detail.htm?sync_id=HBS-008280

まずは、実額ベースで見ると、

Wsi01

当然のことながら、高い国、中くらいの国、低い国とあるわけですが、日本は韓国、アメリカと並んで中くらいに位置します。ロシアもウクライナも低いですが、若干ウクライナの方が高め。で、意図的かどうかはともかく、そこで色分けを変えてますね。ウクライナは中くらいだが、ロシアは低いと。でも、大事なのはそこじゃない。

最低賃金がその国の賃金水準に比べてどれくらいかという観点で見ると、違った様相が見えてきます。これは最低賃金がその国の賃金の中央値の何%に当たるかというグラフですが、

Wsi02

たぶん、ドイツのWSIの人が言いたいのはこちらで、ドイツの最低賃金は高いというけれど、中央値の50%しかないじゃないか、ということでしょう。フランスは61%、イギリスだって58%だと。60%のところに線が引いてあるのは、ここまでは上げるべきだという趣旨でしょう。

ちなみに、日本は45%ですが、アメリカに至っては30%弱ですね。面白いのは韓国が中央値の63%とトップクラスに高いことです。

第10位は、これもすごい小ネタのやや古い記事がなぜか読み続けられていて、2019年の「「工業高校」と「工科高校」の違い 」です。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2019/11/post-4eb5d6.html(ページビュー数:2,111)

正直意味がよくわからないニュースです。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191122/k10012186251000.html (「工業高校」を一斉に「工科高校」に変更へ 全国初 愛知県教委)

愛知県の教育委員会が、県立の「工業高校」13校の名称を、再来年4月から一斉に「工科高校」に変更する方針を固めたことが分かりました。科学の知識も学び、産業界の技術革新に対応できる人材を育成するのがねらいで、工業高校の名称を一斉に変更するのは全国で初めてだということです。 ・・・

いやまあ、高校の名称をどうするかは自由ですが、その理由がよくわからない。

・・・関係者によりますと、すべての県立工業高校の名称について「工学だけでなく、科学も含めた幅広い知識を学ぶ高校にしたい」というねらいから、再来年の4月から一斉に「工科高校」に変更する方針を固めたということです。・・・

ほほう、「工業高校」だと科学は学べないとな。「工科高校」だと科学が学べるとな。

「工業高校」の「業」は「実業」の「業」ですが、「工科高校」の「科」は「科学」の「科」だったとは初めて聞きましたぞなもし。

東京工業大学は実業しか学べないけど、東京工科大学は科学が学べるんだね。ふむふむ。

というだけではしょうもないネタなので、トリビアネタを付け加えておくと、東京工業大学は前身は東京高等工業学校でしたが、それとならぶ東京高等商業学校は、一橋大学になる前は東京商科大学でした。一方が「業」で他方が「科」となった理由は何なんでしょうか。

ちなみに、東京高商と並ぶ神戸高等商業学校は、大学になるときには神戸商業大学と名乗っていますな。今の神戸大学の前身ですが、同じ商業系でもこちらは「科」じゃなくて「業」です。

さらにちなみに、神戸商科大学というのもあって、これは戦前の兵庫県立神戸高等商業学校が戦後大学になるときにそう名乗ったんですね。今の兵庫県立大学の前身です。

なんだか頭が混乱してきましたが、東京商科大学は戦時中東京産業大学と名乗っていたので、別に「業」を忌避していたわけでもなさそうです。

ということで、今年もこんな場末の小ブログにわざわざ読みに来ていただける皆様のおかげでなんとかここまで来れました。まだ数日残しておりますが、来年も本ブログを宜しくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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