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2022年11月30日 (水)

宮台真司氏の奇妙な議論たち

東京都立大学の社会学者である宮台真司氏が正体不明の男に襲撃され大怪我を負ったとのことです。断じて許されない事件であり、宮台氏の一刻も早い回復を心よりお祈り申し上げます。

と同時に、せっかくの機会ですので、本ブログでこれまで宮台氏の議論を取り上げて批評してきたエントリを拾い上げておきたいと思います。色々と批判的なことを言っておりますが、いうまでもなく宮台氏個人に対する攻撃を如何なる意味でも正当化するものではありません。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_b921.html(非社会性?)

宮台真司氏が「公共機関のために準備中の文章」の中で、イギリスやEUの社会的排除/社会的包摂について論じているのですが、

http://www.miyadai.com/index.php?itemid=652

イギリスやEUの政策動向については、おおむね正しい情報を得ていると見えて、変なことは書いていないのですが、(たとえば:

>我が国では「自立」できない若者への「自立支援」という問題の立て方が専らだが、「ニート」という言葉を生み出した英国では、「個人の不全」personal imperfectionの問題より「社会の不全」social imperfectionの問題として議論され、各国の政策に大きな影響を与えてきた。

>かくして報告書は、悪循環を解消するには社会的包摂social inclusionの回復こそが必要だと結論づける。一口でいえば、「個人に問題が生じているので政治や行政が個人を支援せよ」ではなく、「個人に問題が生じているのは、社会的包摂が失われているのが原因だから、社会が包摂性を回復できるように政治や行政が支援せよ」という図式なのである。

>日本でニート概念が誤解され、「社会の問題」というより「若者の問題」として理解された背景に、二つの要因を指摘できよう。第一は、日本においてはニート問題が議論される直前まで、フリーター問題がいわば「怠業批判」として議論されていたこと。

その宮台氏が、紹介を超えて自分の言葉で語り始めると、こういうあらぬ方向に漂い出します。

>我が国でも若者が社会性を失う現象--非社会性--が名指され、社会問題になっている。

>英国の社会的排除局が着目した「ニート」も含めて、「従来の社会システムが明に暗に前提としてきた社会性を、社会成員が持っていない事態」を、「非社会性」non-socialityという言葉で指し示すことにしよう。加えて、社会成員がそうした状態に立ちいたる過程を、「脱社会化」de-socializationという言葉で指し示すことにしよう。

はあ?非社会性?なんでそういう俗流社会学ふうの方向に行っちゃうの?

どうも、「エクスクルージョン」とか「インクルージョン」という言葉を、素直に社会政策をやってる人間のように解釈するんじゃなくて、気の利いた風な言葉をちりばめた今様迷宮社会学風に解釈してしまっているからじゃないかと思われるんですが。

これこそまさに、「社会」を問題にすべき地点で「個人」を問題にするという、一番駄目な議論そのものじゃないですかね。

もちろん、宮台真司氏という社会政策とは何の関係もない社会学者がそういうことをお喋りになること自体は全くご自由ではありますが、この文章の悪質さは、イギリスやEUの(そういう俗流社会学とは何の関係もない)社会政策としてのエクスクルージョン、インクルージョンという議論を、そういうやくたいもない議論の一種であるかのように見せてしまうという点にあると思います。

ヨーロッパで社会政策の文脈で論じられている社会的排除とは、いかなる意味でも「社会システムが前提とする社会性を社会成員が持たないという非社会的な事態」などとは関係ありませんから。

やや詳しめの紹介は:

http://homepage3.nifty.com/hamachan/exclusion.html(EUにおける貧困と社会的排除への取組み )

この中で引用している社会政策グリーンペーパーのこの一節が簡にして要を得ています。

>貧困は昔からある現象であるが、ここ15年間、社会的排除という構造的問題が注目されている、問題は単に社会の上層と下層の不均等にあるのではなく、社会の中に居場所のある者と社会からのけ者にされてしまった者との間にあるのだ。社会的排除は単に所得が不十分だということではない。職業生活への参加ということだけでもない。それは住宅や教育、医療、サービスへのアクセスといった分野で顕著である。単なる不平等ではなく、分断された社会という危険を示唆しているのである。排除された者の怨恨は暴力や麻薬、ひいては人種差別主義や政治的過激派の温床となる。所得維持はもはや社会政策の唯一の目的ではない。社会政策は人々が社会の中に居場所を見出せるよう援助するというもっと野心的な目的を追求しなければならない。その主たるルートは(もちろんただ一つのルートではないが)報酬のある仕事である。そしてそれがゆえに雇用政策と社会政策はもっと密接に連携しなければならない

 

 

 

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コメント

社会学者なんてのはどうにも怪しげというか、なんだかはっきりしないものだとついつい感じてしまいますな。

宮台先生をはじめとする日本の社会学者には欧米社会ではちょっと理解しがたい「ムラ社会」を良く問題にしますよね。
で、この日本的ムラ社会ですが、ムラ社会に入ってしまえば雇用や福祉はある程度保障される。つまりムラ社会は日本的な社会政策を担っていると言えなくもない。
だから宮台先生はそう言う論理が頭の中にしみついてしまっているので本来は社会政策として捉えるべき社会的排除を日本的なムラ社会の論理に知らず知らずのうちに置き換えてしまって頭の中でグタグタ考えるうちにおかしな議論になったのではないかと(^^;
宮台先生は頭が良いからなおさら論理が頭の中で暴走したんでしょう(^^;

宮台先生など日本の有名な社会学者にはあの小室直樹先生のお弟子さんが多いらしいですね。
小室先生は確かに天才なのでしょうが、奇行も多かったらしいなど、ちょっとあまり近づきたくないなあ、と言う印象があります。
そう言う人に師事したのだから宮台先生は師匠のおかしな点も引き継いでしまったのかもしれないですね(^^;

あらためて言われて見ると、日本における福祉国家論や社会的包摂に関する論集の中に、社会学者が意外に少ないことに気付かされます。図書館で社会学の標準教科書的な本をいくつか手に取ってみましたが、エスピンアンデルセンの名前すら出ていないのに驚きました(他方、政治学の教科書では詳しく紹介されています)。エスピンアンデルセン自身は社会学者を名乗っているはずですが、なぜか日本の社会学会では軽視されているようです。

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