1925年の派出婦会
例の家政婦の過労死事件に関連して、そもそも労基法が施行されたときには、派出婦会の派出の事業は労基則第1条第2号により労基法の適用対象事業であったので、適用除外になる家事使用人とは別物であったということが、その後労働者供給事業が全面禁止され、やむなく異なるビジネスモデルである有料職業紹介事業にしてしまったために、本来別物の家政婦と女中の区別が付けられなくなってしまい、労基法も労災保険法も適用されないというおかしな事態をもたらしてしまった、ということは少し前に本ブログで書きましたが、たぶん今現在生きている人のうちには、家政婦が紹介所なんていう世を忍ぶ仮の姿になる前の派出婦会という本来の姿であった時代のことを経験している人は居ないと思われるので、今からほぼ100年前に、派出婦会という当時のニュービジネスが登場してきた頃のことを描き出した文章を紹介しておきます。
1921年に職業紹介法が制定され、市町村立の職業紹介所の連絡調整をする為に、渋沢栄一も関わった財団法人協調会に中央職業紹介事務局が設置され、そこが毎月『職業紹介公報』というのを発行していました。戦後の『職業安定公報』の前身みたいなものですが、1925年2月28日に発行されたその第16号に、「東京府下に於ける派出婦会の概況」という文章が載っています。
これが、当時の派出婦会の姿をよく描き出しているので、せっかくなので皆様にもご披露しておきます。
一、業態 一般に派出婦会と称せらるゝは家庭に於て臨時に人手を要する場合に、其必要に応じ臨時に簡便に使用し得らるゝ女中代りの女性労働者の供給機構であつて一方派出し得べき多数の女性会員を擁し他方需要家庭の申込に応じて、適当なる会員を派出するを業とするものである。さうして此等の派出さるべき会員を通常派出婦と称へられてゐるが其実質に至つては寄子業営業と変る所がない。寄子業では今も尚親分乾分と称へられてゐるに対し、派出婦会では会長又は会主会員と称へて其名称を異にして居る丈で一種の労力供給機関たるに変りはない。然し寄子業営業主は大正六年二月十日警視庁令第一号紹介営業取締規則に依つて取締られて居るが、派出婦会営業に就ては何等の取締が行はれて居ないが、此等の派出婦会に対しても速かに相当の取締規則を設くる必要があると認められる。同じく労力の供給機関で派出婦会、寄子業類似のものを挙ぐれば・・・の美術標本人モデル営業(モデル供給)、・・・東京配膳会のヘリツプ(臨時ボーイ供給)、・・・苦学生労働実行会(雑役人夫供給)、・・・日本海員内外航海社(下級船員供給)等多種多様に亘るが大体に於て其内容実質に変りがない。派出婦会の名称は何々派出婦会と称するを普通と思はるゝも一般に然らざるものが多い。婦人共同会、婦人協働会、婦人はたらき協会、東婦人会、婦人相愛会、婦人復興会、青山婦人共同会等の如く一見派出婦会と認め難いものが過半を占めてゐる。
二、起源及び趨勢 婦人共同会主大和俊子女史が本所区内に住まつてゐた際に近隣の主婦達が主人の出勤不在中多くは何等為す所もなく日を暮して居るのを見て、大正五年に家庭内職の普及を思ひ立ち主として和服仕立の注文を集めて、之を近隣の主婦達に配布し、出来上れば又之を纏めて注文主へ納めて居たが、大正七年現住所四谷区に移転した為め此事業は中絶してしまつた。当時四谷方面の家庭では蒲団や着物の仕立直し、大掃除、来客、外出等臨時に手不足を来した場合は谷町辺りから伝手を求めて主婦や婆やさんを食事付一日三十銭から五十銭位で手伝つて貰つて居たものであつた。斯の状態を見て四五名の同志婦人と共に家庭に在る既婚婦人が自分の暇な時間を利用して他の家庭の裁縫から洗濯までの仕事を手伝つたら、何んなものであらうかと更に之を羽仁もと子女史と相談の結果、一応輿論の反響を観ることゝし羽仁もと子女史の主宰する雑誌「婦人の友」大正七年十月号に此企てのあることを発表したところが折柄一般に女中難に陥つて居た際であつたのと施設が簡便で時代に適応して居たゝめか好評を以て迎へられ、盛に雇入の申込があつたので多数の未亡人や主婦達は内職として一日食事付五十銭位で派出されて行つたものである。雇主も此等派出婦に対しては相当の敬意を以て迎へ決して侮る様なことはなかつた。先づ型の如く挨拶があつてお茶を進め乍ら色々と其日の仕事を順序よく頼み、派出婦の方でも夕方までには頼まれたより以上の仕事を完全に済ませて夕食を了へて帰つたものである。であるから現今の派出婦が全くの女中代りであるのとは異り主婦代りとでも云つた方が近い位で充分に品格が保てゝ居たものである。それが段々と需要が増加して申込に応じ切れなくなつたので新聞広告で派出婦を募る様になつた。と同時に他にも続々と派出婦会の設立を見たので勢ひ会と会との競争も伴つて派出婦募集を兼ねて求人口開拓の為め新聞広告の外にポスター、引札、立札等を利用する様になつたので一般に派出婦会の存在が知られて行つた。派出婦会を組織するにしても派出婦になるにしても他の婦人職業と異なつて学力や技術や資格も経験も必要とせず且何の制限もないので、今迄の女中が起きるから眠る迄家庭で束縛されてゐるよりか比較的自由でより収入の多い派出婦に走る様になり、又女中となるべき田舎出の娘が派出婦となる様になつたので一般に学力も品性も下落して来た為め自然に今迄の様な真面目な未亡人や主婦達はいつとはなしに影を潜めて仕舞つた。一方需要家庭でも今迄の様に幾分遠慮して手伝つて貰ふと云ふ様なことよりか遠慮なく使へて懸命に働く下働きの女中代りを求める様になり、其需要家の範囲も最初は知識階級のみであつたが今では裏長屋住ひの人々にさへ打算的に利用される様になつた。又派出婦会の方でも需要に恰当した婦人を集める様になつて漸次に派出婦会本来の目的が没却されて営利本位となり種々の弊害を醸す様になつたので此等の弊害を除き派出婦会相互の向上を図るために大正十三年の夏左記十名が連合会を組織して先づ派出料金の協定を行ひ漸を逐つて一般派出婦会の改善向上を図ることとなつた。・・・
警視庁に於ては前記の如く派出婦会が自発的に組織した連合会を善導して其の弊害を防ぐことに努むると唱へられる。因に婦人共同派出婦会主大和俊子女史は大正八年警視庁令紹介営業取締規則に拠つて正規の手続を履み其営業許可を受けて居たが大正十年に至つて同規定に依る営業でないとて廃業の届出を為し今日に及んでゐる。従つて営業税も同期間丈け納入したのであるが其他の派出婦会は此の何等の資格も制限もないのを利用して組織したのが殆ど全部なので届出は勿論営業税を納めて居るものは一つもない。・・・
三、・・・経営者は一二の特例を除いて全部個人経営で生計の資を得る為めの営利事業として営まれて居る。で内容に至つては人夫部屋と何等異る所がない。会長又は会主は殆ど婦人の名義になつて居るが過半は其の配偶者が主宰して居る。一般に派出婦から入会に際し入会金として金一円を徴し派出料金の一割五歩を会費として納入せしめる。中には入会金を徴しない会もある又三十五銭乃至五十銭の徽章代を取り会費又は会の維持費として毎月一円を徴する会もある。需要者側からは一機期間十日或は十四日間と定め其期間毎に二十銭乃至三十銭を手数料として申受ける中には第二期目より十銭位手数料の歩引を行ふ会もある・・・
会によつては田舎出の婦人には電気、瓦斯、水道の使用法から一寸した行儀作法まで派出婦として必要な指導を為し附属の寄宿舎に収容する。寝具、食料等では利益を取らうとして居ないから大抵実費で支給して居る。中には一切無料の会もあるそれは月の中殆ど派出されてゐるから一寸位会に帰つても会主の家族同様な取扱を受けるからである。
・・・需要家の負担は派出料金、手数料の外、派出婦の往復実費(市内は電車賃丈け)で又正午から後の派出は日給の半額である。そうして派出中の派出婦が意に充たない時は看護婦会同様交代を請求することが出来ると同時に派出婦の方が需要家に対して不都合を感じた場合は又会へ交代の派出婦を請求して帰会することも出来る。そうして其の日の中に何人変つても需要家は其の日一日の分の給料を支払へばよいことになつて居る会が多い。・・・
この中で、前は主婦代わりだったのに、近頃は女中代わりだみたいな表現が出てきますが、いうまでもなく、主婦代わりが主婦自体でないように、女中代わりは女中自体ではありません。
家政婦は女中とは異なる存在である(のに似たようなことをやっている)という趣旨なのですね。
この派出婦会が労務供給事業として許可制の下に置かれるようになったのは、1938年の職業紹介法改正によってであり、そのときに労務供給事業規則が制定されたということも、前に本ブログで書きましたが。実はそれに先だって、1925年に警視庁が独自に派出婦会取締規則というのを制定していました。派出婦会だけを対象にした規制という意味で興味深いものなので、こちらもお蔵出ししておきましょう。
派出婦会取締規則(警視庁令第三十七号)
第一条 本令ニ於テ派出婦会ト称スルハ臨時家事ニ従事セシムルノ目的ヲ以テ婦女ノ派出ヲ業トスル者ヲ謂フ
第二条 派出婦会ヲ経営セムトスル者ハ左ノ事項ヲ具シ業務所所在地管轄警察官署ニ願出テ許可ヲ受クヘシ
一 本籍、住所、氏名、職業、生年月日(法人ニ在リテハ其ノ名称事務所所在地代表者ノ住所、氏名及定款ノ写)
二 業務所所在地
三 会則
②前項ノ申請人未成年、禁治産者、準禁治産者又ハ妻ナルトキハ其ノ法定代理人、保佐人又ハ夫ノ連署ヲ要ス
第三条 会則ニハ左ノ事項ヲ記載スヘシ
一 名称
二 業務所所在地
三 寄宿舎所在地
四 入会及退会ニ関スル事項
五 会費、食費其ノ他派出婦ノ負担トナルヘキ一切ノ費用並其ノ徴収ニ関スル事項
六 派出料、往復費其ノ他派出先ノ負担トナルヘキ一切ノ費用並其ノ徴収ニ関スル事項
七 経営者ト派出婦トノ間ニ於ケル派出料分配ニ関スル事項
八 家政婦ノ勤務ニ関スル事項
九 家政婦ノ監督ニ関スル事項
十 其ノ他必要ナル事項
第四条 前条第二号乃至第七号ノ事項ヲ変更セムトスルトキハ願出テ許可ヲ受クヘシ
②第二条第一号及第三条第一号並第八号乃至第十号ノ事項ヲ変更シタルトキハ五日以内ニ届出ツヘシ
第五条 派出婦会ヲ廃止シ又ハ業務ヲ休止シタルトキハ五日以内ニ届出ツヘシ
②派出婦会経営者(以下単ニ経営者ト称ス)死亡シ又ハ所在不明トナリタルトキハ同居ノ戸主又ハ家族ヨリ遅滞ナク前項ノ届出ヲ為スヘシ
第六条 左ノ各号ノ一ニ該当スルトキハ第二条ノ許可ヲ為サス
一 申請人不適当ト認メタルトキ
二 業務所又ハ寄宿舎ノ場所若ハ構造不適当ト認メタルトキ
三 其ノ他公安又ハ風俗ヲ害スルノ虞アルトキ
第七条 経営者ハ宿屋、料理屋、飲食店、貸座敷、引手茶屋、待合茶屋、貸席、芸妓屋、遊技場、紹介営業其ノ他之ニ類スル営業及看護婦会ヲ兼業シ又ハ其ノ使用人タルコトヲ得ス
第八条 経営者ハ派出婦入会シタルトキハ其ノ本籍、現住所、氏名、生年月日及入会年月日、退会シタルトキ其ノ氏名及退会年月日ヲ五日以内ニ届出ツヘシ
②前項ノ規定ニヨリ届出テタル事項ニ変更アリタルトキハ遅滞ナク届出ツヘシ
第九条 経営者ハ左ノ各号ノ一ニ該当スルモノヲ会員ト為スコトヲ得ス
一 法定代理人ノ同意ナキ未成年者
二 夫ノ承諾ナキ妻
三 入会前一箇年以内ニ芸妓娼妓又ハ酌婦タリシ者
四 身許詳カナラサルモノ
五 健康又ハ素行不良ニシテ派出婦トシテ不適当ナル者
第十条 経営者ハ左ノ事項ヲ遵守スヘシ
一 会員以外ノ者ヲ派出セサルコト
二 名義ノ如何ニ拘ラス会則ニ定メアル外派出婦及派出先ヨリ金品ヲ徴収セサルコト
三 派出婦ノ意思ニ反シテ派出ヲ強要セサルコト
四 第七条ニ掲クル営業所ニ派出セサルコト
五 派出婦ヲシテ傷病者又ハ褥婦ノ看護ヲ為サシメサルコト
六 派出婦ノ素行ニ関シ十分ナル監督ヲ怠ラサルコト
第十一条 派出婦派出中現住所又ハ派出先以外ニ宿泊セムトスルトキハ経営者ヨリ左ノ事項ヲ届出ツヘシ
一 派出婦ノ氏名、年齢
二 派出先ノ住所、氏名、職業
三 宿泊ノ場所及期間
第十二条 経営者ハ其ノ名称及氏名ヲ記シタル看板ヲ業務所外睹(ミ)易キ場所ニ掲出スヘシ
第十三条 経営者ハ所轄警察官署ノ検印ヲ受ケタル派出婦名簿(第一号様式)及派出簿(第二号様式)ヲ業務所ニ備ヘ当該事項ヲ記入シ異動アル毎ニ訂正スヘシ
②前項ノ帳簿ハ使用廃止後一箇年間之ヲ保存スヘシ
第十四条 経営者ハ第三条第六ニ掲クル事項ヲ記載シタル派出婦紹介状ヲ派出先ニ交付スヘシ
第十五条 当該警察官吏ニ於テ業務所若ハ寄宿舎ノ臨検又ハ帳簿其ノ他ノ書類ノ検査ヲ為サムトスルトキハ之ヲ拒ムコトヲ得ス
第十六条 経営者組合ヲ設ケタルトキハ組合代表者ハ其ノ組合員役員ノ氏名ヲ記シ組合規約書ヲ添ヘ主タル事務所所在地所轄警察官署ヲ経テ遅滞ナク警視庁ニ届出ツヘシ其ノ届出事項ヲ変更シタルトキ亦同シ
第十七条 所轄警察官署ハ取締上必要アリト認ムルトキハ臨時ニ別段ノ命令ヲ発スルコトアルヘシ
第十八条 左ノ各号ノ一ニ該当スルトキハ警視庁ニ於テ許可ヲ取消シ又ハ業務ノ停止ヲ命スルコトアルヘシ
一 本令又ハ本令ニ基キテ発スル命令ニ違反シタルトキ
二 公安又ハ風俗ヲ害スルノ虞アルトキ
第十九条 第二条第一項、第四条、第五条及第七条乃至第十六条ノ規定ニ違反シ又ハ第十八条ノ規定ニ基キテ発スル命令ニ違反シタルトキハ拘留又ハ科料ニ処ス
第二十条 経営者ハ其ノ代理人、戸主、家族、雇人其ノ他ノ従業者及派出婦ニシテ其ノ業務ニ関シ本令又ハ本令ニ基キテ発スル命令ニ違反シタルトキハ自己の指揮ニ出テサルノ故ヲ以テ処罰ヲ免ルルコトヲ得ス
第二十一条 経営者未成年又ハ禁治産者ナルトキハ本令ノ罰則ハ之ヲ其ノ法定代理人ニ適用ス但シ其ノ営業ニ関シ成年者ト同一ノ能力ヲ有スル未成年者ハ此ノ限ニ在ラス
第二十二条 経営者法人ナルトキハ本令ノ罰則ハ之ヲ其ノ代表者ニ適用ス
附則
第二十三条 本令は大正十四年十月一日ヨリ之ヲ施行ス
第二十四条 本令施行ノ際現ニ派出婦会ヲ経営セル者ハ大正十四年十月三十一日迄ニ本令第二条ニ定ムル事項ヲ具シ所轄警察官署ニ届出ツヘシ
②前項ノ届出ヲ為シタルモノハ本令ニ依リ許可ヲ受ケタルモノト看做ス
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