例の家政婦の労災問題は、労働基準法の家事使用人の適用除外がけしからんという風に議論されています。そういう意見も分かるのですが、実は、この規定がもともと念頭に置いていた「女中」タイプの家事労働者と、今回の方のような「家政婦」タイプの家事労働者とは、もちろんやっている作業自体はほとんど共通ではあるものの、その法的性格は微妙に違っており、実は労働基準法は家政婦に対してまで適用除外しようとはしていなかったのではないかと考えられるのです。
労働基準法の制定過程については詳細に明らかになっていますが、今の家事使用人の適用除外規定の原型は、一番最初の第1次案に既に現れています。ただし、その表現はだいぶ違いました。
第1次案:本法は左の各号の一に該当する事業にして同一の家に属せざる者を使用するものにこれを適用する。
第1次案修正:ただし同一の家に属する者のみを使用する事業についてはこの限りに非ず。
表から書くか裏から書くかの違いはあれ、要するに「同一の家に属する者」であるかどうかで線引きしようとしていました。「同一の家に属する者」というのは、古代語では家つ子(=やつこ)、中世語では「家の子(郎党)」と呼ばれる血縁関係のないものも含めた拡大家族的な「イエ」の構成員ということです。
この時代にはまだ、住み込みの女中といわれる人々が結構いましたが、彼女らはまさにこの意味での「同一の家に属する者」でした。
そういう家の子と、血縁関係のある家族を一緒にしたカテゴリーが、この「同一の家に属する者」であったと考えられます。
この用語法が変わるのは、第7次案からです。
第7次案(修正):ただし同居の家族のみを使用する事業及び家事使用人には適用しない。
この流れから判断すると、それまでの「同一の家に属する者」が、「同居の家族」と「家事使用人」に分割されたと考えられます。それまで入っていなかった同一の家に属していないような他人が「家事使用人」としていきなり入り込んできたわけではないのです。
そして、この規定ぶりが制定当時の労働基準法第8条柱書に(「家族」が「親族」になりますが)ほぼその形で盛り込まれ、現在は附則に移行してそのまま生きているわけです。
そして、この「家事使用人」という言葉が、一般家庭と直接雇用契約を締結してその指揮命令を受ける「家政婦」にも適用されるのは当たり前だという理解のもとで、今回の判決に至っているわけです。
しかし、本当にそうなのか、労働基準法の第1次案から第6次案まで存在していた「同一の家に属する者」というカテゴリーに、女中は当然含まれるとして、家政婦は本当に含まれるのか、というのは、実は疑問の余地があるのです。
なぜなら、労働基準法とともに施行された労働基準法施行規則第1条には、法第8条の「その他命令で定める事業又は事務所」として、「派出婦会、速記士会、筆耕者会その他派出の事業」というのがあったからです。
労働基準法施行規則(厚生省令第23号)
第一条 労働基準法(以下法という)第8条第17号の事業または事務所は次に掲げるものとする。
一 (略)
二 派出婦会、速記士会、筆耕者会その他派出の事業
三 (略)
派出婦というのは家政婦のことです。え?家政婦は適用除外される家事使用人じゃないの?
つまり、施行当時の労働基準法担当者は、自分らが作った条文に書かれている適用除外の「家事使用人」には、派出婦会から派出(=供給、派遣)されてくる家政婦は含まれていないと認識していたとしか考えられないのです。
そして、それは労働基準法施行時点では何ら不思議なことではありませんでした。
今から見れば終戦直後のどさくさで労働組合法やら労働基準法やら職業安定法やらが続々と作られたように見えますが、でもその間には時差があり、労働基準法が施行される直前までは戦前来の工場法が生きていたのであり、職業安定法が施行されるまでは戦前来の職業紹介法が生きていたのです。
労働基準法の施行は1947年9月です。職業安定法の施行は1947年12月です。その間の3か月間は、労働基準法と職業紹介法が併存していました。つまり、職業紹介法に基づいて労務供給事業規則が存在し、許可を受けた労務供給事業は立派に合法的に存在していたのです。
そして、1938年に制定された労務供給事業規則の別表1の所属労務者名簿の備考欄には、供給労務者の職種の例として、大工、職夫、人夫、沖仲仕、看護婦、家政婦、菓子職といったものが列挙されていたのです。
そう、家政婦というのは、労務供給事業者である派出婦会に所属する労務者なのであって、派出される先の一般家庭に所属しているわけではないのです。
似たような作業をしているからといって、女中と家政婦をごっちゃにしてはいけないのです。女中は働いている家庭の「同一の家に属する者」、つまり一般家庭のメンバーシップを有するものと認識されていたからこそ、労働基準法が適用除外されているのに対して、家政婦はあくまでも派出婦会から派遣されてきて家事労働に従事しているだけの「他人」なのであって、それゆえに、派出婦会から派遣されてくる家政婦は第8条柱書きの適用除外ではなく、各号列記の一番最後の第17号に基づく省令で定める事業として、立派に労働基準法の適用対象事業になっていたわけです。
これは何ら問題のない法体系です。1947年9月から11月までは。
ところが、1947年12月から職業安定法が施行され、GHQのコレットさんの強い主張により、弊害のあった労働ボス型の労務供給事業だけではなく、こういう派出婦会みたいなタイプのものも一律に禁止されてしまいました。
これは実は職業安定法案を審議する第1回国会でも懸念されていたことでした。そもそも、8月15日の労働委員会で、米窪労働大臣の提案理由説明に続いて、上山顕職業安定局長が説明する中で、自分からこんなことを喋っています。
次に第四十四條以下に勞働者供給事業について規定がございます。これはただいまの大臣の説明にもございましたように、いろいろ弊害を起しやすい仕事でございますので、原則的には全面的に禁止をいたしておるわけでございます。ただ關係者が自主的な組合をつくりましてやつてまいりたいという場合には、勞働組合の許可を受けさせまして、弊害がないと認めました場合には、無料の勞働者供給事業を認めたいつもりでございます。ことはたとえば、家政婦なんかも勞働者供給事業ということになつているわけでございますが、ただいまのように、営業的にやります家政婦會というようなものは認められないことになります。しかし現在家政婦であつた人たちが集まりまして、組合組織でやつてまいりたいというような場合には、勞働者供給事業ということにはなりますが、特に勞働大臣の許可を受けて認めていこう。こういう考えでございます。なおこの勞働者供給事業が廢止されますと、ただいま關係者が相當おりまして、現にこういう仕事をやつておる際でございますので若干影響は考えられるのでございますが、私たち對策といたしましては、一つはただいま申しました勞働組合法による組合をつくつてやる場合を認めております。
当時の労働省職業安定局は、派出婦会はみんな労働組合にしてしまえば問題は解決すると思っていたようですが、実際には田園調布家政婦労働組合のように労働組合化したケースも若干はありましたが、大部分は組合化しなかったのです。この問題は尾を引いて、色々揉めたあげく、最終的に特定の職種についてのみ認められていた有料職業紹介事業として認めることで決着しました。
この結果、ビジネスモデルとしてまごうことなき労務供給事業、すなわち現在でいうところの労働者派遣事業以外の何物でもなかったはずの派出婦会が、職業紹介をしているだけであって、使用者責任はすべて全面的に紹介した先の一般家庭にあるというおかしなことになってしまいました。
やっている作業は似たようなものであっても、もともと家庭のメンバーである女中とは全く違い、派出婦会のメンバーとして家庭に派遣されてくるはずの家政婦が、女中と何ら変わらないことにされてしまったのです。「他人」だと思っていたらいつの間にか「家族」まがいにされてしまっていたわけですね。
そして、おそらくこういうやり方で何とか片を付けた人々は全く意識していなかったのでしょうが、その結果として、職業紹介法とそれに基づく労務供給事業規則が存在した時代には、労働基準法施行規則第1条に基づき立派に労働基準法の適用対象であった派出婦会から派遣されてくる家政婦たちが、その派出婦会というのが職業安定法で非合法化されてしまった後は、女中と同じ家事使用人扱いされ、労働基準法の適用から排除されるという憂き目をみることとなってしまったわけです。
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