『POSSE』51号はジョブ型特集
『POSSE』51号をお送りいただきました。いつもありがとうございます。今号はジョブ型特集です。
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〔第一特集〕労働運動は「ジョブ型」とどう向き合うべきか?
2000年代後半に顕在化した正規・非正規の「格差」問題に対して、2010年代には安倍政権下での「限定正社員」政策に対して、本誌では労働運動の対抗戦略としての「ジョブ型」を特集してきた。
いま、ジョブ型をめぐる議論はかつてなく高まり、新たなステージに突入した。背景にあるのは、90年代以降の「成果主義」の迷走を経て、経営者たちが陥った「危機」だ。労働者のエンゲージメントは国際的に最低水準まで落ち込み、グローバル化やDXなどのデジタル化に対応できるホワイトカラー人材の獲得も容易ではない。
同時に、労働者たちもジョブ型に潜在的な要求を抱いている。歯止めのない不明瞭な「責任」のシステムが限界を迎えているのだ。責任の範囲の不確定さに若者たちは不安を募らせ、高い拘束性の有無を根拠として非正規の賃金格差が「正当化」される現実もある。
経営者たちがついに本腰を入れ始める中、この現状を直視し、労働運動は今度こそジョブ型を「武器」にできるのだろうか。エンゲージメントなき時代の処方箋としてのジョブ型 遠藤公嗣×木下武男×今野晴貴
経団連のジョブ型推進と労働組合の交渉戦略――雇用の流動化により労働条件の交渉力は高まる⁉ 中村天江
職務の観点から人事制度を検討する――公平で持続可能な社会の実現にむけて 秃あや美
どれも興味深いですが、やはり3人による鼎談が、労働サイドでジョブ型を掲げてきた人々であるだけに、いろいろと深みがあります。そこは、今野さんがいうように
・・・もっとジョブというのは社会的なもののはずなのに、最近の議論では、それがすごく小さく、本当の趣旨が分からなくなるくらいに切り縮めされてしまっている気がします。企業内人事の話ではなく、本当は社会システムの話ですし、もっといえば労働者の連帯の話とも言えるし、そのような社会性がジョブという問題を考えるときには極めて重要な鍵になっているはずなのに、そこが抜けてしまっている。
ということなんですが、それに続けて遠藤さんが労働運動側に対して手厳しい批判をぶつけています。
私が問題だと思うのは、1990年代から現在までの30年間、これからの雇用システムを展望するプランが労働側にあったのかということです。はっきり言って何もないです。・・・だから、なんであれ、出されたものを労働側は単に受け入れていくだけだったと言ってもよい。
左派の組合は、それは嫌だと言います。しかし、これからの雇用システムで労働側にとって何が良いのか、左派は展望をもっていません。男性主流の左派は、旧来の年功給・年功制度が良いのだと秘かにまだ思っているのかも知れませんが、しかし、これからの時代においてなぜ年功給・年功制度が良いのかということについて、理由をはっきり答えられない状況だと思います。もっとも答えられないのは当然ですが・・・。
そもそも、私と並んで「ジョブ型」という言葉を作って使い出した木下さんは、無念そうに「取られた」という言い方をしています。
今野 そうですね。それでますますジョブ型志向が強まっていくだろうと思います。ところが、こうした彼らの潜在的要求を、社会的に具現化する言葉がない。運動と言葉がないから、ジョブ型だといわれても、それは人事制度の話だと捉えられれしまう。元々は木下先生も労働運動の言葉として広げたはずなのですが、気づいたら人事用語になってしまった。
木下 取られたのです。労働運動がジョブを捨てたから。
遠藤 取られたというのが当たっているかも知れませんね。そういうものについて自民党はなかなか能力のある組織で。本質的には敵対的なものまで上手に取り込んで、自分の味方にしてしまうという。
今野 いま議論して思いましたが、この若者の潜在的要求に言葉を与えるような労働運動が答えになる気がします。成果主義でもジョブ型でもなく、「責任が明確な雇用」とかでしょうか。
言葉が次々に使い古されて新たな言葉をひたすら求めるという日本の悪弊が現れているようにも感じますが、「責任が明確な雇用」というのは確かに明確です。
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