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2022年8月 4日 (木)

アラン・シュピオ『労働法批判』@労働新聞

4779516749 『労働新聞』で月1回廻ってくる「本棚を探索」という書評コラム、今回はアラン・シュピオの『労働法批判』です。夏休みの課題図書として是非。

https://www.rodo.co.jp/column/135309/

 『労働新聞』のコラムでありながら、いままでわざと労働法関係の本を取り上げてこなかったへそ曲がりの濱口が、ようやく素直に専門書を取り上げるに至ったか、と勘違いするかも知れないが、いやいやそんな生やさしい本ではない。哲学書の棚に並ぶ同じ著者の『法的人間 ホモ・ジュリディクス』や『フィラデルフィアの精神』(いずれも勁草書房)と同じくらい、深い深い哲学的思考の奥底に潜り込んでいく快感が味わえる。その意味では、毎日毎日新たな立法と判例を追いかけるのに忙しい労働法関係者にこそ、夏休みの課題図書としてじっくり読んで欲しい本でもある。
 特に必読なのは、冒頭の「予備的考察(プロレゴメナ)」の準備章「契約と身分のあいだ」だ。近頃流行りの「ジョブ型」「メンバーシップ型」を聞きかじって上っ面で理解している人は、是非その歴史的淵源をしっかりと学んで欲しい。近代西欧の労働関係は、ローマ法の「労務の賃貸借契約」の考え方と、ゲルマン法の「忠勤契約」の考え方が絡み合って作り上げられたものだ。
 労務の賃貸借とは、もともと物の賃貸借や家畜の賃貸借と同様に奴隷主がその所有する奴隷を人に貸し付ける契約であったが、その賃貸人と賃貸物件が同一人物である場合、自分で自分自身(の労務)を貸し出して賃料を受け取るという技巧的な構図になる。これが「ジョブ型」の原点だとすれば、賃金労働者とは奴隷主兼奴隷であり、労働時間は賃金奴隷だが非労働時間にはご主人様の身分を取り戻す。とすれば労働時間の無限定とは、奴隷の極大化、ご主人様の極小化ということになり、一番悪いことだ。
 これに対して忠勤契約は封建制の下での主君と家臣の「御恩と奉公」であり、人格的共同体への帰属こそがその本質となる。これが「メンバーシップ型」の原点だとすれば、被用者とは主君たる使用者に無定量の忠誠を尽くす家臣であり、主君の命じることはいつでも(時間無限定)なんでも(職務無限定)やらなければならないが、その代わり「大いなる家」の一員として守られる。無限定さこそが誇るべき身分の証しなのだ。
 ところが対極的に見えるこの両者がその両極で一致する。古代ローマ法で奴隷は家族の一員であり、逆に言えば家長には家族の生殺与奪の権限があった。一方、中世ドイツ法で忠勤契約は庶民化して奉公契約になり、遂には僕婢(召使)契約に至ったのだ。ジョブ型の極限にはメンバーシップ型があり、メンバーシップ型の極限はジョブ型となる。
 この契約と身分の絡み合いのさらに奥には、第1部「人と物」で論じられる人の法(身分法)と物の法(財産法)の逆説的な関係が控えている。労働法は民法の債権各論にある以上物の法であるとともに、労働者の身体と精神の安全に関わる人の法でもある。そして、それは第2部「従属と自由」で論じられる集団性と不可分である。その集団性自体が、労務賃貸人のカルテルたる労働組合と、企業従業員の自治組織たる従業員代表制に二重化する。
 労働法の法哲学という、現代日本ではほぼ他に類書のない本であるだけに、夏休みの課題図書にするのは重たすぎるかも知れないが、でも是非読んで置いて欲しい本である。    

 

 

 

 

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