私立学校が公立学校のマネをすると・・・
さいたま地裁も東京高裁も、公立学校の教師の裁判では、(六法全書のどこにも書かれていない)教師という職種の特殊性を朗々と説いて飽きないようですが、それを読んで真に受けてしまった私立学校が迂闊にも公立学校のマネをすると、労働基準監督署の監督指導を受けて、こういう反省をさせられる仕儀と相成りますので、地方公務員という身分を有さない教育関係者の皆様はくれぐれもご注意ください。
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さいたま地裁も東京高裁も、公立学校の教師の裁判では、(六法全書のどこにも書かれていない)教師という職種の特殊性を朗々と説いて飽きないようですが、それを読んで真に受けてしまった私立学校が迂闊にも公立学校のマネをすると、労働基準監督署の監督指導を受けて、こういう反省をさせられる仕儀と相成りますので、地方公務員という身分を有さない教育関係者の皆様はくれぐれもご注意ください。
『労務事情』2022年9月1日号に「非正規労働者の3分の2は雇用保険に加入している」を寄稿しました。
https://www.e-sanro.net/magazine_jinji/romujijo/
リーマンショックやコロナ禍といった雇用危機のたびに、非正規労働者のセーフティネットの不備が指摘されます。とはいえ、政府もそうした指摘を受けてその都度さまざまな改善を行ってきているはずです。一番脆弱な人々が安全網から排除されているという批判を受けて、この間非正規労働者がどれだけ雇用保険の被保険者になってきているのか、あるいはいないのか、案外にきちんとした数値で語られることはないようです。・・・・
朝日新聞のネット版に、滝沢卓記者による「大山鳴動して…「同一労働同一賃金」が進まない事情と、ある勘違い」という私へのインタビュー記事が載っています。
https://www.asahi.com/articles/ASQ8Y725TQ8TUTFL00W.html?iref=comtop_7_06
正社員か非正社員かにかかわらず、同じ仕事をした場合の賃金に不合理な差をつけないようにする「同一労働同一賃金」。安倍晋三元首相は2016年の国会で、その実現に「踏み込む」と答弁し、その後に法改正された制度が20年以降順次スタートした。
諸外国の労働政策に詳しい独立行政法人労働政策研究・研修機構(JILPT)の濱口桂一郎・労働政策研究所長(63)はこの動きについて「大山鳴動したが、ネズミが2匹、3匹出てきたような印象」と手厳しい。ただ、「どの政権、政党でも同じような結果になったはず」とも指摘する。その背景と課題を聞いた。 ・・・・・
https://www.asahi.com/articles/ASQ8X4H4LQ8XPTIL003.html(講師の「腐ったミカン」発言、追手門学院の意向 元職員に労災認定)
学校法人追手門学院(大阪府)が2016年に開いた職員研修で、外部講師が「腐ったミカンは置いておけない」などと発言した問題で、受講していた元職員の男性がうつ病になったのは繰り返し退職を強要されたことが原因だとして、茨木労働基準監督署に労災認定された。労基署は「退職勧奨とも人格否定ともいえる発言」であり、委託した学院の意向に沿ったものだと認めた。
労災認定は3月25日付。労基署が認定内容をまとめた文書によると、男性は学院幹部との面談で退職勧奨を受け、16年8月22~26日の職員研修に参加するよう指示された。研修では、東京のコンサルタント会社「ブレインアカデミー」の外部講師から連日、17年3月末での退職を受け入れるよう求められた。
退職する意思はなく、専任職員としての雇用継続を希望したが、外部講師から「現状維持はあり得ない」と否定され、「あなたのように腐ったミカンを置いておくわけにはいかない」とも言われた。研修後には学院幹部から「退職した上での職種変更しかない」と何度も迫られ、17年2月にうつ病と診断された。
学校側と労働者側の関係はよくある退職勧奨事案ですが、興味を惹かれたのはそこに登場するコンサルタント会社です。
というのも、この会社のサイトを見ると、
https://www.brainacademy.co.jp/
いまの子どもたちは
IoTやビッグデータ、AI、ロボットといった
新たなテクノロジーが身近にある社会を生きていきます。
そんな子どもたちが
テクノロジーと共に新たな時代をつくりあげていくためには
学校での教育活動が必要不可欠です。
日々様々な業務を抱える教職員が
子どもたちと向き合う時間をもっと増やせるように。
「学校に、テクノロジーを。」
私たちは、学校に特化したHR techで
魅力ある私学を一緒につくりあげていきます。
今流行りのHRテクノロジーを売りものにしている会社なんですね。
HRテクノロジーについては、世界的にものすごくいろいろな議論が巻き起こっていて、見えないところで知らないうちに情報を吸い取られ、誰にも説明されない仕組みで勝手に評価され、人事が決められてしまうという危機感の一方で、いやいや生身の人間の方がよっぽど偏見に満ちていて、訳の分からない理由でおかしな人事をされ、ハラスメントに曝されるじゃないか、機械の方がよっぽどましだという考え方もあるわけです。
そこの論点については、ここでは踏み込みません。
でも、そういうHRテクノロジーの粋を尽くしているはずの会社にしては、金八先生じゃあるまいし「腐ったミカン」てのは、あまりにも生臭くも人間くさくて、いやいや「学校にテクノロジーを」じゃなかったのかと。
そういう下手に尻尾をとられるようなことにならないためのHRテクノロジーなんじゃなかったのか、と、まあこれは独り言ですが。
『日本労働研究雑誌』2022年9月号は「住むことと働くこと」が特集で、要するに転勤と通勤を取り上げています。特に転勤です。
https://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2022/09/index.html
提言 転勤問題と「生活人モデル」平野光俊(大手前大学学長・教授)
解題 住むことと働くこと 編集委員会
論文 労働者の居住地選択をめぐる人事施策とその人事管理への影響 今野浩一郎(学習院大学名誉教授)
転勤施策の運用実態と課題─勤務地を決めるのはだれか 武石恵美子(法政大学教授)
転勤の法的論点 篠原信貴(駒澤大学教授)
夫の転勤と妻の同居・就業選択 関島梢恵(公益財団法人NIRA 総合研究開発機構研究コーディネーター・研究員)・阿部眞子(大阪大学大学院国際公共政策研究科博士後期課程)
都市化が労働者に与える影響─労働市場における集積の経済と不経済 東雄大(岡山大学講師)
通勤・通勤手当を巡る法的諸問題 天野晋介(東京都立大学教授)
このうち、武石さんの論文は、日本型雇用システムの特徴である会社主導の転勤について、その意味が低下してきていると指摘しています。
転勤には,複数の拠点に人材を供給する機能に加えて,人材育成の機能が期待されてきた。特に転勤の人材育成機能を重視する傾向は強く,この機能を効率的に発揮するために,多くの日本企業では,企業が転勤命令を出して社員は基本的にそれに従うというように「会社主導」で転勤を進めるのが一般的であった。しかし,転勤経験者は,自身の経験した転勤に関して,キャリア形成上の理由があった,希望どおりの転勤だったと,肯定的に評価する割合は低く,社命に従った結果の社員の納得度は高くはない。会社主導で実施してきた転勤が,社員の納得を得る形では進められてこなかったことにより,自身が経験した転勤についての能力開発面での効果等に対する評価は低く,今後の転勤を受け入れる姿勢にもネガティブな影響を及ぼしている。企業が人材育成のために社員に転勤を求めていくことの合理性は失われつつあると考えられる。・・・・
書評では、関家ちさとさんの『日本型人材育成の有効性を評価する─企業内養成訓練の日仏比較』を須田敏子さんが書評していますが、最後のところで「本研究の主な課題は理論面での弱さだろう。例えば、比較対象国をフランスとした点にはいくつか疑問が挙げられる」と述べていて、いやそれはフランス語でのインタビュー能力には自信があった(けれども他の言語ではそれほど自信がなかった)からでしょうとしか。
というか、もう少しそこんとこの理屈づけをきちんとしとけという意味ならそう思いますけど、現実にはどの研究者も純粋理論的に演繹的に比較対象国を選定しているわけではないと思いますが(ほぼ英語でやれるオランダ、スウェーデン、デンマーク等々はまた別ですが)。
去る8月25日に下された例の埼玉県事件(公立学校教師の残業代請求事件)の控訴審判決がここにアップされていたので読んでみましたが、
https://trialsaitama.info/wp-content/uploads/2022/08/16b349693f394d5379ed5e309a7fbf5d.pdf
ざっと見た限りでは、さいたま地裁の判決に細かな理屈をくっつけているだけでほとんど変わっていないようです。
実をいうと、結論的には給特法という実定法に明確に残業代は払わないと書いてある以上、超勤4項目以外は給特法を外れて労基法に戻るという理屈は立ちにくく、控訴棄却になるしかないと思いますが、地裁判決の時に評釈でかなり強調したことがまるで完全に無視されているのは、控訴人側がそういう主張をしなかったからなのか、控訴人がそう主張したにもかかわらず無視したのかはわかりませんが、裁判官として誠に知的誠実性に欠けると言わざるを得ません。
それは、一言で言えば、
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2022/03/post-a56f54.html
本件は社会的にも注目された事案であるが、判決自体としては極めて出来の悪いものと言わざるを得ない。まず、Y側の主張をそのまま受け入れている教員の職務の特殊性の部分は論理的に破綻している。教員の職務に指揮命令性の希薄さ、自律的判断の可能性など、一般労働者の職務と比べて特殊性があることは確かである。その特殊性にかんがみて、教員の労働時間規制について特例を設けること自体には一定の合理性があると考えられる。しかしながら、そこで言われている教員の特殊性は、国立学校でも公立学校でも、私立学校でも全く変わりのない職種としての教員の特殊性である。現時点において、労基法37条が適用除外され、給特法が適用されているのは公立学校の教員のみであり、国立学校教員も私立学校教員も労基法の規定がフルに適用されている。彼らには公立学校教員が有する裁量性や自律性がないのであろうか?・・・
という点に尽きます。地裁判決も高裁判決もやたらに人事院の文書をもっともらしく持ち出しますが、いうまでもなく人事院には民間人である私立学校の教師に関しては1ミリも、いや1ミクロンも、何の権限も持っていません。
そのくせ偉そうに、教員という職種の特殊性をあれこれ言うのですが、もし本当にそういう職種の特殊性があるのであれば、それは私立学校や国立学校の教師にも全く同じように適用されなければ不当極まるものでしょう。
給特法という実定法は、もっぱらたまたま地方公務員である教師という特殊部分についてのみ、公法上の給与支出についての特例を設けただけの法律であって、人事院が何をいおうがその権限の存在しない私立学校教師と完全に共通する職種としての特殊性とはかけらも関係がないとしか言いようがないのです。
ただまあ、私立学校の教師に何の権限もない人事院が、あたかも私立学校の教師まで含めているかもごとく教師という職種の特殊性をほざいたところで所詮は何の意味もないたわごとに過ぎませんが、もし文部科学省がそういうことを口走ったりするとすれば、それは私立も公立も国立も含む全ての学校教師に権限を有する機関として無責任極まるというべきでしょう。
なぜなら、もし文部科学省が教師という職種には特殊性があるから残業代を払う必要はなく、4%だけ払えばいいのだと、本気で主張するのであれば、教師という職種において全く何の違いもない私立学校や国立学校の教師に給特法が適用されず、労基法がそのまま適用されるというのは、今すぐ是正すべき間違った状況であるはずです。
だって、ときどき新聞等で報道されるように、結構多くの私立学校は、公立学校でやっているからとまったく同じようなことをやらかして、労度基準監督署に是正勧告を受けて、未払いの残業代を無理やり支払わされて、挙げ句にケシカラン奴らだと報じられているんですよ。
全国の私立学校の経営者たちは、文部科学省に対して、自分たちを労基署の魔の手に委ねている状況を直ちに是正して、その主張するところの教師の職種の特殊性に合致した法律制度を直ちに適用するよう要求するべきでしょうね。いやもちろん論理の整合性という学問のイロハが理解できるなら、という話ですが。
そういうわけで、地裁判決も高裁判決も、理屈をだらだら書いているところは全てナンセンスなのですが、とはいえ給特法という実定法の規定ぶりを、それだけを厳密に読んでいく限り、超勤4項目などというのはお題目の訓示規定であって、それに該当しないからといって給特法の基本構造である労基法37条の適用除外をもう一度ひっくり返すことはできません、というその結論は、そこのところだけは正しいというしかないわけです。
理屈はなっていない法律とはいえ、では憲法違反で無効にできるほどの悪法かというと、さすがにそういうわけにはいかない。それこそ労基法の中に残業代を払わないでいい仕組みはいくつもあります。労基法制定時には、ホワイトカラー職員を丸ごと適用除外にするという案すらあったくらいなので、どういう労働者にどういう適用除外をするかは、よほどのものでない限り立法裁量の範囲内といわざるを得ないでしょう。
そういうわけで、さいたま地裁に引き続き、理屈はまるでだめだけれども、結論はこういうことになるしかなかろうという判決になったということでした。
「職場の発達障害者に潰される」というネット記事(note)が話題になっていたようです。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/tender_tulip463/n/n6bfa6436ae65
この記事がどこまで事実を忠実に述べているのかいないのかはわかりませんが、おそらく最重要のポイントは、
彼の武勇伝は、彼が入社した当時にまで遡る。
研修も終わり、配属先が決定した当日、伝説となる発言を放ったのだ。
「私は発達障害持ちです。フォローをお願いします」
配属先である部署の人達は、唖然としたという。
なぜなら、彼は正社員雇用だったからだ。
この人物が、メンバーシップ型雇用社会の中のジョブ型亜空間としての障害者枠ではなく、初めは何にもできないけれども一生懸命取り組んで何でもできるようになるまで頑張ることがデフォルトの純粋メンバーシップ型正社員という枠で入ってきてしまったことでしょう。
世の中にいろんな障害を持つ人々がおり、それら障害にもかかわらずちゃんとこなせる仕事はあるので、その出来る仕事に着目して障害者を雇えば、ほぼみんなを雇用社会のどこかにはめ込むことができる、というのが世界共通の障害者雇用というものの基本的な考え方です。ところが、それが当てはまらないのが日本特有のメンバーシップ型社会です。ここについては、昨年出した『ジョブ型雇用社会とは何か』でやや詳しく解説しましたが、
障害とスキルと「能力」の関係
改めて、雇用における障害とは何かを考えてみましょう。障害とは日常生活や社会生活における行動を制約する心身の特徴ですが、職業生活との関係で考えれば、その障害が遂行するべき仕事にとって不可欠な部分に関わることもあれば、そうでないこともあります。障害者は全て何らかの特定の部分についての障害を有する者なのであって、他の部分では必ずしも障害を有しているわけではありません。肢体不自由な身体障害者であっても事務作業は抜群にできるかもしれませんし、知的障害者であっても辛抱強く単純作業をこなせるかもしれませんし、精神障害者であってもマイペースでやれる仕事には向いているかもしれません。
ジョブ型社会においては、採用とはそのジョブに最もふさわしいスキルを有するヒトを当てはめることです。健常者であっても障害者であってもその点に変わりはありません。違うのは、そのジョブにふさわしいスキル以外の点です。そのジョブをこなすスキルは十分持っているけれども、そのスキルとは直接関係のない部分で障害があり、その障害に対応するためには余計なコストがかかるので、例えば車椅子で作業してもらおうとすると職場を改造しなくてはならないので、その障害者を採用しないというケースが典型的です。個々のジョブレベルではそれは不合理な決定です。しかし企業の採算というレベルでは合理的な判断です。とはいえマクロ社会的な観点からはスキルのある障害者を有効に活用できないのでやはり不合理な決定と言わざるを得ません。この不整合を是正し、ミクロなジョブレベルでもマクロな社会レベルでも合理的な決定に企業を持って行くためのロジックが合理的配慮という発想です。差別禁止と合理的配慮という組み合わせは、ジョブ型社会の基本理念に基づくものなのです。
ところがメンバーシップ型社会では、その全ての基本になるべきジョブやスキルの概念が存在しません。その代わりにあるのは無限定正社員とその不可視の「能力」です。そういう社会の中に、特定のジョブのスキルは十分あるけれどもそれ以外の部分で就労を困難にする要因がある障害者をうまくはめ込むのは至難の業になります。障害者には日本的な意味での「能力」があると言えるのか。考えれば考えるほど答えが出ない領域です。これまでの日本の障害者雇用政策がもっぱら雇用率制度により、別枠として一定数の障害者を雇用させる手法に頼り、とりわけ特例子会社というような形で人事労務管理も完全別立てにすることが多かった理由はそこにあります。2 発達障害と躁鬱気質のパラドックス
空気が読めない発達障害者
近年、障害者の中でも注目されているのがアスペルガー症候群などの発達障害です。この発達障害がとりわけ、知識やスキルよりもコミュニケーション能力を重視するメンバーシップ型雇用と相性が悪いと言われています。
ジョブ型社会であれば、コミュニケーション能力も特定のジョブにおいて必要とされる一つのスキルです。それが求められるジョブにはコミュニケーション能力の高いヒトが採用されるでしょうが、一人で黙々とやればよいジョブであれば、そんなスキルは特に必要ありません。直接の上司が職務上接触するときにだけ気を遣えばいいのです。それが最低限の合理的配慮ということになるでしょう。
ところがメンバーシップ型社会では、コミュニケーション能力が全ての大前提です。そもそも特定のジョブのスキルもない素人を、たまたまあてがわれた上司や先輩が手取り足取りOJTで教育訓練していくわけですし、どんな仕事を進めていく上でも、周りの人々との協調性が全てに優先する要件になります。まるで、空気が読めない発達障害の人が仕事をしにくいように、しにくいようにしつらえたのかと思うような相性の悪さです。
このメンバーシップ型社会の前提する正社員モデルと発達障害との相性の悪さを、現場の同僚たちに押し付けてしまっているのがこの設例ということになるのでしょうか。
マシナリさんが、久しぶりにブログを更新したと思ったら、なかなかに深刻な内容でした。ご自身の幼少時の親に連れられての新興宗教経験を踏まえて考察されているのですが、
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-841.html(新興宗教2世になりかけた件)
私の家族は祖母の代からこちらの図にあるうちの複数の新興宗教に関係していた(現在は完全に縁切りしています)ことがあり、私も物心つく前から親に連れられてその新興宗教の施設に通っていました。・・・
マシナリさんが、疑問を抱くきっかけになったのが雑誌『ムー』の別冊で、古代から現代に至る宗教の系譜を一冊でまとめた内容だったそうですが、そのなかに「戦後に発展してきた新興宗教では、日本の戦後復興で取り残された都市部の貧困層や、高度成長の波が及ばなかった地方在住者に対して、その新興宗教の内部で新たな「地位」を与える手段が発達したという指摘」があったそうです。
私が当時通っていた新興宗教を例にすると、たとえば初級研修を受けると「初級会員」、中級研修を受けると「中級会員」・・・と「位」が上がっていき、初級研修は誰でも受けられますが、上に上がるにつれて○年間で○回の修行を実行し、○円の寄付金を支払い、さらに研修を受ける費用を支払う・・・等の条件が課されていきます。そして、初級→中級・・・と「位」が上がると自分自身や家族、引いては世の中が救われていくという理屈でもって、その行動が推奨されているわけです。
私はその雑誌を読んだ当時、親と一緒に誰でも受けられる研修を受け、布教活動のために知らない町に早朝連れていかれてビラ配りもし、子供のころから貯めていたお年玉の貯金をすべて寄付し、深夜バスで総本山のイベントにも参加して、次の研修を受けろと親に促されていた時期でした。その時期にこの雑誌を読んで、「この仕組みはほかの新興宗教でも同じ? ということなら、この宗教で「位」を上げることで自分や家族が救われるとは限らない? むしろそれぞれの新興宗教が自分のところに囲い込むだけのためにその仕組みを作っているのか?」という疑念をさらに強く持つことになりました。
というこの思い出を、マシナリさんは同時期に発達した日本社会のある仕組みと重ね合わせます。
と私の来歴を長々書いてしまいましたが、今考えてみるとこの仕組みはなんとまあ職能資格給制度と似通っていることかと思ってしまいます。という観点から邪推すると、戦後発達した新興宗教でこの仕組みが整備されていったのは、同時期に日本型雇用慣行として職能資格給制度が普及していったことと無関係ではないとも思われます。つまり、高学歴男性が正社員として職務遂行能力という経験値を積み上げて「職能資格」という「位」を上げていく仕組みが高度成長期を通じて社会規範化していく一方で、低学歴、女性などの属性を持つために「職能資格」という「位」を上げることができない層は、新興宗教の内部の「位」を上げる仕組みに引き寄せられていったという構図があったのではないでしょうか。
より正確にいうと戦後日本社会では、それまで学歴差別の対象であった高卒正社員男性も、会社のメンバーシップがある限り大卒男性社員と同じように職能資格を登っていく「青空の見える人事管理」が実現するという意味で「平等化」が進んだのに対し、そもそもそういう大企業や中堅企業のメンバーシップが与えられないような社会的により下位に属する人々には、新興宗教団体内部での「職能資格」を登っていくという似たようなゲームのルールが提供されたということができるのかもしれません。
とはいえ、1980年代半ばといえば日米貿易摩擦が問題になるほどJapan as No.1という賞賛にあふれていた時代ですから、「メンバー」がその組織でしか通用しない「実績」を積み上げて上に上がっていく日本型雇用慣行類似の仕組みが理想とされ、無条件で礼賛される時代だったといえそうです。上に上がった先に何があるのかなんて突きつめて考えるまでもなく、「上に上がることがよいこと」だと認識されていた時代だからこそ通用したともいえるかもしれません。
そう考えると、若い頃はサービス残業でもなんでもやって会社に対する債権を積み上げていった方が、職業人生の後半期になってから得をするんだぞ、目先の利害にとらわれて会社への貸方を惜しむんじゃないぞ、という昭和の時代にはまことにリアリティのあった人生の教訓が、平成の30年間にガラガラと音を立てて崩れていったのと、新興宗教の「職能資格制度」がぐらついていったのとは、根っこのところで何か共通するものがあったのかもしれませんね。
『労基旬報』2022年8月25日号に「建設業の一人親方対策」を寄稿しました。
近年労働問題の新たなフロンティアとして、フリーランスがクローズアップされてきていますが、労働者類似の自営業者という問題は古くからあります。その中でも建設業の一人親方は、日雇健康保険の擬制適用や労災保険の特別加入制度など、社会保障制度も含めた議論の焦点ともなってきました。そして現在でも労働基準監督の現場では、監督官が直面する労働者性事案の半数近くが建設業の一人親方に係る問題なのです(拙報告書『労働者性に係る監督復命書等の内容分析』(2021年)参照)。
そうした建設業の一人親方問題に対し、建設業を所管する国土交通省が初めて本格的に対策に乗り出したのが、コロナ禍の真っ盛りの2020年6月に設置された「建設業の一人親方問題に関する検討会」(座長:蟹澤宏剛、有識者3名(水町勇一郎・川田?之)、建設業団体16名)です。同検討会は2021年3月に中間取りまとめを公表しましたが、そこでは、社会保険の加入に関する下請指導ガイドラインを改訂して、明らかに実態が雇用形態であるにもかかわらず、一人親方として仕事をさせている企業を選定しない取扱いとすべきと述べています。また、一人親方の処遇改善策として、適正な請負契約の締結や適切な請負代金の支払について周知し、特に一人親方に工事を請け負ってもらう場合には、工事費の他に必要経費を適切に反映させた請負代金を支払うよう元請企業が下請企業に指導せよ等としています。
その後も同検討会は続けられ、2022年3月には社会保険の加入に関する下請指導ガイドラインの改訂案を了承し、同年4月に改訂ガイドラインが発出されました。このガイドラインには、上記中間とりまとめの考え方が取り入れられており、建設行政からの一人親方対策を明示したものとなっています。まず「第1 趣旨」において、「建設業界として目指す一人親方の基本的な姿とは、請け負った工事に対し自らの技能と責任で完成させることができる現場作業に従事する個人事業主であ」り、「その技能とは、相当程度の年数を上回る実務経験を有し、多種の立場を経験していることや、専門工事の技術のほか安全衛生等の様々な知識を習得し、職長クラス(建設キャリアアップシステムレベル3相当)の能力があること等が望まれ、また、責任とは、建設業法や社会保険関係法令、事業所得の納税等の各種法令を遵守すること、適正な工期及び請負金額での契約を締結していることや、請け負った工事の完遂がされること、他社からの信頼や経営力があること等が望まれる」と述べています。
その後に付けられた「また、令和6年4月1日以降、建設業においては労働基準法の時間外労働の上限に関する規制が適用されることからも、請負人として扱うべき者であるかについてより適切な判断が必要となっている」という一文も、一人親方の労働者性問題に神経質にならざるを得ない理由を示しています。建設業の一人親方の労働者性が問題になるのは現場で労災事故が起こったことがきっかけになることが多いのですが、そこで労働者性ありとされると、それまで問題にならなかった労働時間(残業代の未払い)問題が首をもたげてくるからです。
改訂ガイドラインでは、下請企業選定時の確認・指導等として、「登録時に社会保険の加入証明書類の確認を行うなど情報の真正性が厳正に担保されている建設キャリアアップシステムを活用して確認を行うこと」が求められていますが、重要なのは「一人親方の実態の適切性の確認」という項目です。やや長いのですが、建設行政として労働者性問題に切り込んだ初めての文書として、以下に引用しておきます。建設工事の現場には、従業員を雇っていない個人事業主として、自身の経験や知識、技能を活用し建設工事を請け負い報酬を得るいわゆる「一人親方」という作業員がいる。元請企業は労災保険料の適切な算出や、令和6年4月1日以降に適用される時間外労働規制の導入への対応に向けて、当該作業員が、工事を請け負う個人事業主として現場に入場するのか、実態が雇用契約を締結すべきと考えられる雇用労働者として現場に入場するのか十分確認することが必要である。
具体的には、一人親方として下請企業と請負契約を結んでいるために雇用保険に加入していない作業員がいる場合、元請企業は下請企業に対し、一人親方との関係を記載した再下請負通知書及び請負契約書の提出を求め、請負契約書の内容が適切かどうかを確認するとともに、一人親方本人に対し、現場作業に従事する際の実態を確認すること。確認には別紙4の働き方自己診断チェックリストを参考にすること。その結果、個人事業主としての一人親方と考えられる場合には、元請企業は適切な施工体制台帳・施工体系図を作成すること。
一方、社会保険加入対策や労働関係法令規制の強化に伴い、法定福利費等の労働関係諸経費の削減を意図しての一人親方化が進むことは、技能者の処遇低下のみならず、法定福利費を適切に支払っていない企業ほど競争上優位となることにより、公平・健全な競争環境が阻害される。そこで、元請企業は、明らかに実態が雇用労働者でもあるにもかかわらず一人親方として仕事をさせている企業は、社会保険関係法令、労働関係法令や税法等の各種法令を遵守していないおそれがあることに留意すること。実態が雇用労働者であるにもかかわらず、一人親方として仕事をさせていることが疑われる例としては次のような場合が考えられる。
ア 年齢が10代の技能者で一人親方として扱われているもの
イ 経験年数が3年未満の技能者で一人親方として扱われているもの
ウ 働き方自己診断チェックリストで確認した結果、雇用労働者に当てはまる働き方をしているもの
上記ア及びイについては未熟な技能者の処遇改善や技能向上の観点からひとまずは雇用関係へ誘導していく方針とする。ア~ウに該当する場合、元請企業は当該建設企業に雇用契約の締結、働き方に合った社会保険の加入及び法定福利費の確保を促すこと。その際に、法定福利費等の追加見積り等がなされた場合、元請企業と下請企業で十分に協議を行う必要がある。なお、再三の指導に応じず、改善が見られない場合は当該建設企業の現場入場を認めない取扱いとすること。
元請企業が直接、一人親方と請負契約を締結する場合、建設業法を遵守し取引の適正化に努めること。そのため、見積書を事前に交わすことや請負契約書を書面で交付することを徹底すること。また、当該請負契約は、請負金額に雇い入れている同種の社員の賃金に必要経費を加えた適切な報酬が支払われるよう努めるべきである。なお、一人親方との契約の形式が請負契約であっても、実態が元請企業の指揮監督下において労務を提供し、労務の提供として対価が支払われるものである場合、当該契約は建設工事の完成を目的とした請負契約には当たらないため、建設業法の適用を受けないことに留意すること。一人親方と契約を締結する前に、働き方自己診断チェックリストで働き方を確認し、その結果、労働者に当てはまる働き方になっていると認められる場合は雇用契約の締結・社会保険の加入を行うこと。その際には、期間の定めのない雇用契約による正社員、工期に合わせた期間の定めのある雇用契約による契約社員とすることもあり得るものであり、その実情に応じて処遇が適切に図られるようにすること。
事業主が労務関係諸経費の削減を意図して、これまで雇用関係にあった労働者を対象に個人事業主として請負契約を結ぶことは、たとえ請負契約の形式であっても、当該個人事業主が実態に照らして労働者に該当する場合、偽装請負として職業安定法(昭和22年法律第141号)等の労働関係法令に抵触するおそれがあることから、この観点からも働き方自己診断チェックリストを活用して実態の確認を行うこと。
他方、雇用契約を締結していないにもかかわらず、自社の労働者である社員とすることも適正とは言えない。具体的には次のような例が考えられる。
ア 請負契約を締結し、社会保険にも加入していないが、例えば会社のヘルメットやユニホーム、名刺等を支給され、表向きは社員と呼ばれているもの
イ 雇用契約を締結しておらず、社会保険も加入していないが、作業員名簿上は社員(雇用)とされているもの
上記ア及びイのような場合については、働き方の実態を働き方自己診断チェックリストで確認した上で、実態に合った取扱いとすべきである。具体的には、実態が労働者に当てはまるような働き方になっているのであれば、適切に雇用契約を締結し、労働関係法令、社会保険関係法令等の各種法令を遵守すること。
請負関係にある一人親方は、厚生年金と比べて国民年金の受給額が少なくなる可能性が高いほか、病気や仕事が無くなったとき、失業給付や雇用調整助成金等の対象から外れ、生活資金に影響があるなど生活保障の観点に加え、法定福利費を適正負担する企業間による公平・健全な競争環境の整備という観点からも、実態が雇用労働者であれば早期に雇用契約を締結し、適切な社会保険に加入させること。
なお、令和8年度以降、働き方自己診断チェックリストの活用による事務負担の軽減、技能者の処遇改善及び技能向上の観点から、経験年数が一定未満(あるいは建設キャリアアップシステムのレベルが一定未満)の技能者が一人親方として扱われている場合など、「適正でない一人親方」の目安を策定することを目指す。そのため、働き方自己診断チェックリストの活用のあり方等について、本ガイドラインの運用状況等を踏まえつつ更なる検討を行い、令和5年度末に一定の道筋を示す。さらに改訂ガイドラインの最後の「第4 一人親方について」では、一人親方自身に対しても、「建設企業との契約の形式が請負契約であっても、実態が当該建設企業の指揮監督下において労務を提供し、労務の提供として対価が支払われるものである場合、当該契約は建設工事の完成を目的とした請負契約に当たらないため、建設業法の適用を受けないことに留意すること。働き方自己診断チェックリストで働き方を確認し、その結果に応じて、雇用契約の締結・社会保険の加入を行うよう当該建設企業に求めること。なお、当該建設企業が雇用契約の締結や社会保険の加入等に必要な手続に応じない場合、関係行政機関等に相談すること」と、自らの労働者性に基づいた行動を慫慂しています。
また、事業者としての一人親方に対しては、「一人親方が建設企業と請負契約を締結する際に、当該請負契約が建設工事の完成を目的とした内容である場合、事業者として当該工事に責任を持って施工する必要があるため、建設業法等を遵守し、取引の適正化、工事費には必要経費を適切に反映した請負代金の確保に努めること。その際は、見積書を事前に交わすことや請負契約書を書面で交付することを徹底しなければならない。なお、現場作業の進め方等は一人親方に裁量があるが、元方事業者には関係請負人に対して労働安全衛生法(昭和47年法律第57号)等に違反しないよう必要な指導を行う義務が課されているため、当該指導には従う必要があることに留意すること」と、自らの事業者性を意識した行動を求めています。
建設業の一人親方については、上記監督復命書の分析の中で筆者自身が感じたことですが、雇用契約であるか請負契約であるかが当事者自身においても判然と区別されず、時によって請負事業者として働いたり、雇用労働者として働いたりしており、その相違も明確でなく、渾然一体とした働き方が広がっているようです。個別事案の背景を見ていくと、一人親方の入職の経緯が親族関係や知人、友人関係など、極めてインフォーマルな人間関係に基づいて行われていることが多く、それが雇用契約か請負契約か判然とし難い実態を生み出しているようでもあります。この改訂ガイドラインは、そうした雇用と請負が渾然一体とした一人親方の世界に、明確な区分を持ち込もうという意思が示されたものということもできるかも知れません。
『月刊連合』の8/9月号は、「労働組合の平和行動」が巻頭特集ですが,その次の「10年目の「ワークルール検定」労働組合は、なぜワークルール教育に取り組むのか?」という鼎談が、私自身の思い出ともつながるところがありました。
https://www.jtuc-rengo.or.jp/shuppan/teiki/gekkanrengo/backnumber/new.html
9月の「れんごうの日」のテーマは「ワークルールを知ろう!」。なぜワークルール教育が必要なのか。なぜ労働組合はワークルール教育や検定事業に取り組むのか。法政大学キャリアデザイン学部の上西充子教授、日本ワークルール検定協会の木村裕士専務理事、内藤靖博総合運動推進局長が、これまでの取り組みを振り返り、その意義や可能性を語り合った。
というのも、この鼎談にもちらりと出てきますが、2008年から2009年にかけて厚生労働省で行われた「今後の労働関係法制度をめぐる教育の在り方に関する研究会」の立ち上げに、私自身が若干関わったからです。
私は2008年6月まで3年間政策研究大学院大学で外国人留学生相手に労働政策や人的資源管理を教えていましたが、7月にいったん厚生労働省に移り、翌8月の12日にJILPTに移っています。この正味1ヶ月半足らずの間に、委員の先生方にお願いに行くなど研究会の準備をし、1回目の開催まで見届けました(その後も最後まで傍聴していましたが)。
8月8日の1回目の議事録が残っていますが、
https://www.mhlw.go.jp/content/2008__08__txt__s0808-1.txt
〇 濱口大臣官房付 定刻になりましたので、ただいまから「第1回今後の労働関係法制度をめぐる教育の在り方に関する研究会」を開催します。委員の皆様におかれましてはご多忙中にもかかわらず、ご出席いただきありがとうございます。本来、議事の進行は座長にお願いするところですが、座長を選出いただくまでの間、私が議事の進行をさせていただきます。よろしくお願いいたします。・・・
この研究会はいろいろと思い出がありますが、なんといっても一番惹き付けられたのは、12月の第4回会合でお話しされた神奈川県立田奈高等学校の吉田美穂先生のお話しでした。これも資料と議事録が残っていますので、もう14年も昔ですが一読してみて下さい。
https://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/12/s1201-8.html
https://www.mhlw.go.jp/content/2008__12__txt__s1201-3.txt
最終的な報告書は翌2009年2月にとりまとめられました。
https://www.mhlw.go.jp/houdou/2009/02/dl/h0227-8a.pdf
この問題は、その後2015年の青少年雇用促進法の中に第26条として労働に関する法令に関する知識の付与の努力義務規定が設けられましたが、超党派の議員立法でワークルール教育推進法案を出すという話は、折からの働き方改革法案をめぐる与野党対立の煽りを食らって出せずじまいのまま今日に至っています。
日本弁護士連合会の主催で、「シフト制労働のあるべき姿 –労働時間を一方的に指定したり、減らすことは何が問題なのか–」というシンポジウムが10月5日の夕方に開かれます。
https://www.nichibenren.or.jp/event/year/2022/221005.html
いわゆる「シフト制労働」は、労働者・使用者双方にとって、「自らの希望を所定労働日・労働時間に反映させられるメリットがある」とされる反面、契約上、就労日や就労時間帯が書面上必ずしも明記されていないことによるトラブルは絶えません。半ば強制的にシフトを入れられるといった相談や、権利主張をした労働者がシフトを外されるという相談も多く、コロナ禍においては、休業時の補償についても大きな社会問題となりました。
シフト制労働は、雇用契約に透明性や予見性を欠くという要素をもっており、こうした課題に対応すべく、厚生労働省は2022年1月「「シフト制」労働者の雇用管理を適正に行うための留意事項」を定めました。契約書に就労日、就労時間をどのように書き込んでいくべきか、シフト確定の手続きをどのように定めるかが、実務的な課題となっていますが、シフト制労働に関する検討は、実務的にも理論的にも十分な検討がなされているとは言い難い状況にあります。
そこで、本シンポジウムでは、独立行政法人労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎氏をお招きし、2019年に制定されたEUの「透明かつ予見可能性のある労働条件指令(2019)」を参考にこうした問題に対する国際的な対応の例を学ぶとともに、実務に詳しい人事担当者、労働組合の役員、労使の弁護士の参加により具体的な設例をもとに検討いたします。
ということで、メインイベントは以下の方々(労使それぞれ+労使各側弁護士)によるパネルディスカッションですが、わたくしが冒頭にEUの透明かつ予見可能性のある労働条件指令についてお話しします。
1 講演:EU「透明かつ予見可能性のある労働条件指令(2019)」を学ぶ
濱 口 桂一郎 氏(独立行政法人 労働政策研究・研修機構)
2 パネルディスカッション:設例の検討
コーディネーター
竹 村 和 也 会員(東京弁護士会)
渡 邊 徹 会員(大阪弁護士会)
パネリスト
濱 口 桂一郎 氏(独立行政法人 労働政策研究・研修機構)
原 田 仁 希 氏(首都圏青年ユニオン)
柴 山 裕 司 氏(イオン株式会社 人事部 グループ人事)
新 村 響 子 会員(東京弁護士会・労働者側弁護士)
佐 藤 有 美 会員(愛知県弁護士会・使用者側弁護士)
坂本貴志さんの『ほんとうの定年後 「小さな仕事」が日本社会を救う』(講談社現代新書)をお送りいただきました。
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000367702
年収は300万円以下、本当に稼ぐべきは月10万円、50代で仕事の意義を見失う、60代管理職はごく少数、70代男性の就業率は45%、80代就業者の約9割が自宅近くで働く……全会社員必読! 知られざる定年後の「仕事の実態」とは?
漠然とした不安を乗り越え、豊かで自由に生きるにはどうすればいいのか。豊富なデータと事例から見えてきたのは、「小さな仕事」に従事する人が増え、多くの人が仕事に満足しているという「幸せな定年後の生活」だった。日本社会を救うのは、「小さな仕事」だ!
坂本さんからは、2020年12月に、『統計で考える働き方の未来─高齢者が働き続ける国へ』(ちくま新書)をお送りいただいているので、ほぼ1年半での新著ということになります。
第1部は15項目にわたってさまざまなデータを使って定年後の仕事の実態をあれこれと示しています。ここは元官庁エコノミストとして目配りが効いています。
第2部は、そこから得られた「小さな仕事に意義を感じて働く」人々の姿を7つの事例でもって浮かび上がらせています。ここは、民間シンクタンクに移っての少しジャーナリズム的なセンスが行間に滲み出てきます。
もちろん他人の経験ではあるのですが、事例1の山村さんについては、書きながらかつての自分とダブるところもあったかも知れません。山村さんは国鉄が民営化されるときに某市役所に転職したのですが、当時苦労したのは議会関連の仕事だったそうです。
・・・議員さんの対応は、結構大変でした。結局、悪い言葉でいうと忖度しなきゃいけない部分ってあるんですね。自分は本音で話したいんだけど、話せないことってあるじゃないですか、現実問題。議員先生の言うことに対して本当は違うんだよなって思いつつも、言葉を慎重に選びながらうまく立ち回っていく。だからなんなんだろう、そういうのはめんどくさいよね。要するにもう定年過ぎてからあと5年間そんな仕事の仕方をしたくはねえなと、そういう思いもありました。・・・
で、第3部が結論部分ということになりますが、ここでちょっと面白いなと思ったのが「生産者に主権を移し、良質な仕事を生み出す」という一節です。これからますます労働供給制約時代になっていくことを前提にすると、
・・生産者と消費者との力関係はその時々の経済環境に依存して変化する。
過去、働き手が余っていた時代においては、消費者は強い力を持っていた、・・・・
・・・純粋消費者が増えて働き手が足りなくなる現代の日本社会においては、生産者と消費者の関係は必然的に変ってくるだろう。つまり、消費者が過剰に存在していて生産者が足りない労働供給制約社会においては、主権は生産者に移るはずなのだ。・・・
ここは、そうなるという話なのか、そうなるべきだという話なのか、ほっとくとそうならない可能性も高いようにも思えますが、この話がその数ページ先では、例のサービスの品質は断トツなのに安い値付けのために生産性が低いサービスとみなされてしまうというパラドックスのことが書かれていて、賛意を表したいところです。
・・・このように見ていくと、こうした生活に身近な仕事について、働き手はその仕事の価値に見合った適正な賃金を受け取れるべきではないか。・・・適正な賃金を支払うということは、その分のサービス価格の上昇を社会が甘受すべきであるということであり、これはすなわち消費者が相応の負担を受け入れるべきだということにほかならないからだ。
ときどきおかしな記事が載るとはいえ、ダイヤモンドオンラインという、一応三大経済誌の一角を占めるネットメディアに、ここまでものごとの基本のキを理解していない記事が堂々と乗ると、いささか心配になります。というのも、完璧に間違っているだけでなく、そのまちがっている理由が小学生の国語レベルの勘違いだからです。
https://diamond.jp/articles/-/308207(国税庁「300万円以下は副業ではない」サラリーマンなら「2つ目の稼ぎ口」に今すぐ取り組むが大正解な理由)
300万円以下の副収入の儲けは「事業所得」ではなく「雑所得」である旨、所得税基本通達に明記されることとなりました。パブリック・コメントを経て、令和4年1月から遡って適用されます。そこで今回は、この改正がサラリーマンの副業に及ぼす影響と、最も適切な対応策についてお伝えします。
事業所得とは文字通り、「事業による所得」です。それが主たる事業なら「本業」、副たる事業なら「副業」です。それより小さい雑所得は、事業による所得ではないので、「副業による所得」になりません。強いて言うなら、「副業ごっこによる所得」です。だからその儲けは、事業所得ではなく雑所得となります。副業ではないので、会社に迷惑をかけない限り、就業規則違反にはなりません。
税務署の実務上はこれまで、いくらまでが雑所得で、いくら以上が事業所得かの線引きが曖昧でした。でも、今回の改正で300万円という分岐点が明示されたので、とてもスッキリしました。・・・
国税庁の新通達が言っているのは、いうまでもなく税法上の事業所得と雑所得との線引きであり、それに尽きます。労働法で問題になる、就業規則で禁止したり制限したりすることがいいとか悪いとかという議論になる「副業」とは、ここが大事ですが、およそ全くいかなる意味でも何の関係もありません。
そもそも、労働法上で問題になる「副業」は、主として勤務する企業等以外で何らかの報酬を伴う活動全てをいい、他の企業で雇われて働く(税法上の給与所得)のも、独立自営業者として働く(税法上の事業所得)のも、その間のもろもろの報酬を伴う活動(ひっくるめて雑所得)も、全部労働法上の「副業」であり、就業規則違反になるとかその就業規則は無効だとかいうあれこれの議論が湧いてくるのもそのすべてです。
というようなことは、労働法のイロハのイなので、こんなところでシャカリキに書いていること自体が絶望的な徒労感を醸し出してしまうのですが、とはいえ、ここまで悉く間違っている記事が堂々と出て、
そうか!税務署で事業所得にならなければ「副業」じゃないので、就業規則違反にならないんだな、これはいいことを聞いちゃった!
と思い込む可哀そうな人が万が一にも出てきたらまずいので、徒労感を振り絞りながらこうやって書いているわけです。
たぶん、この記事の筆者は、「副業」の「業」という一字を見て、これは「事業」の「業」だと勝手に脳内で思い込み、事業でなければ「業」はないと心の底から信じ込んでしまったのでしょうね。
いやいや、そもそもその副業が違反になるとならないと言っている会社の規則のことをなんていいますか?
就「業」規則 ですね。
会社に雇われて働くのも立派に「業」なんです。
産前産後休「業」とか、育児休「業」とか、別に独立自営業者が子供ができたからといって自らの事業を休む話じゃありません。
かつて男女均等法以前に女性が禁止されており、今でも年少者が禁止されている夜中に働くことをなんと言うか。深夜「業」ですね。いうまでもなく、独立自営の年少者が徹夜して商品を一生懸命作っても、労働者ではないので、いかなる法律にも違反しません。
そういう、他社勤務も独立自営もその他もろもろも含めた「副業」を、これまでは就業規則で原則禁止するのが普通だったのを、原則容認に変えようというのが、働き方改革実行計画以来の5年間にあれこれ進められてきた政策なわけですが、そういうことにかかわりを持っている人が、この記事を読んで、どれだけ徒労感が噴出してきたか、ご理解いただけましたでしょうか。
(追記)
この記事に200件を超すブックマークがついているのですが、
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/diamond.jp/articles/-/308207
圧倒的大部分は、根っこから間違っているこの認識を何の疑いもなく素直に受け取った上でそれがいいとか悪いとか言っているだけで、そもそも根っこの認識からすべて間違っているとちゃんとわかっているコメントは、ざっと見る限りたった2件しかないようです。
例の『いちばんやさしいWEB3の教本』では、それでもIT業界の自浄作用が働いて絶版に追い込まれたようですが、こっちでは何事もないようで、こういうのが平然と通用していくのかと思うと頭がくらくらします。
WEB労政時報に「いじめ・嫌がらせとパワーハラスメント」を寄稿しました。
周知のとおり、2019年5月の労働政策総合推進法改正により、「職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題」、いわゆるパワーハラスメントに関する措置義務が規定されるとともに、労働局の紛争調整委員会による「調停」の対象に格上げされました。それまでは個別労働関係紛争解決促進法に基づく「あっせん」の対象だったのですから、制度として重みを増したことになります。同法改正の施行は、大企業については2020年6月でしたが、中小企業は2022年4月からなので、まだ完全施行から半年足らずしかたっていません。・・・・
辻廣雅文さんより『金融危機と倒産法制』(岩波書店)をお送りいただきました。ありがとうございます。
https://www.iwanami.co.jp/book/b609311.html
日本の金融危機が先進国間で突出して長期化した理由は何か。危機克服のために再構築が進められた倒産法制はその要請に応えられたのか。金融機関、官僚、法律家、研究者等に対する綿密な取材で得られた情報を比較制度分析の手法によって体系化し、経済システム転換の困難さを経路依存性の視点から捉えて全貌を明らかにした。
まずもって、本書のでかさ-物理的なでかさが半端ありません。B5版で900ページ近い分厚さで、お値段も本体17,000円。
しかも、目次は下に示すとおりで、金融論と倒産法という経済学と法学のそれぞれ難所をジャーナリズムの感性でもって切り結ぶという凄い本であって、わたくしなんぞの出る幕はなさそうですが、それが、最後のあたりでしゃしゃり出てくるんですね。
序 章 認識と制度はいかに形成されるか
第Ⅰ部 平成金融危機の真相
第1章 プルーデンス政策における制度的無防備 問題の所在Ⅰ
第1節 長期不況の原因
第2節 金融危機長期化の論点
第3節 銀行の公共的機能と金融危機の概念
第4節 事前的プルーデンス政策
第5節 事後的プルーデンス政策
第6節 規制・監督当局と銀行界の“一体型行政組織”
第7節 時代制約論に対する本書の立場第2章 制度構築の空白期間 寺村銀行局長の時代
第1節 日銀の破綻処理「四原則」
第2節 大蔵省銀行局
第3節 寺村の漸進主義
第4節 フォーベイランス・ポリシー批判第3章 動態的不良債権論 日銀信用機構局の考察
第1節 “破綻処理法制”研究会の成果
第2節 日銀ペーパー
第3節 大蔵省銀行局の拒絶第4章 金融システムの周辺に止まった改革 西村銀行局長の時代
第1節 東京二信組の破綻
第2節 「機能回復」と金融三法
第3節 大手銀行の不良債権の把握
第4節 住専処理第5章 政策形成プレイヤーたちの認識ギャップ
第1節 金融仲介機能に対する感度
第2節 分析枠組みと認識形成
第3節1 990年代前半における教訓第6章 “システムワイドな金融危機” の実際
第1節 財金分離と金融ビッグバン
第2節 金融危機前夜の破綻処理
第3節 1997年「魔の11月」
第4節 規制・監督当局が目指したプルーデンス政策
第5節 早期是正措置第7章 金融国会と長銀破綻
第1節 官僚危機
第2節 公的資金の導入
第3節 金融再生法と長銀破綻
第4節 会計基準の変更と長銀裁判第8章 不毛なる二者択一 柳澤から竹中へ
第1節 第二次公的資本注入
第2節 破綻処理法制の恒久化
第3節 柳澤金融再生相時代
第4節 竹中金融相時代第9章 世界金融危機と国際的金融規制改革
第1節 世界金融危機の実相と教訓
第2節 破綻処理の国際標準
第3節 米国と EU の対応
第4節 日本の対応と公的資金再考
第5節 ベイルイン vs. ベイルアウト第Ⅱ部 倒産処理制度の改革
第10章 倒産処理制度の改革前夜 問題の所在Ⅱ
第1節 倒産処理制度の重要性
第2節 倒産処理の三流国
第3節 法的整理手続の機能不全
第4節 破産法への不信
第5節 和議法と会社更生法の欠陥
第6節 メインバンク・ガバナンスと私的整理手続第11章 倒産法制改革の思想と民事再生法
第1節 司法界の始動
第2節 園尾プロジェクト
第3節 民事再生法の思想と構造
第4節 民事再生法の運用と定着
第5節 民事再生法の実績評価
第6節 民事再生法の今日的課題第12章 事業再生市場と会社更生法改正
第1節 事業再生市場の勃興と更生手続の変化
第2節 新会社更生法の特徴
第3節 DIP 型会社更生の相克
第4節 更生手続の制度としての危機第13章 「企業価値の段差」の克服
第1節 私的整理手続の活況
第2節 「企業価値の段差」問題と商取引債権の保護
第3節 私的整理手続に発生した問題第Ⅲ部 新たな相互補完的な制度体系を目指して
第14章 再び,危機へ 事業再生の今日的課題
第1節 事業再生制度の機能不全
第2節 金融行政による倒産の阻止
第3節 来たるべき倒産法再改正の課題
第4節 法的整理手続と私的整理手続の架橋
第5節 企業金融論と倒産法終 章 1975年体制の克服
第1節 長期雇用制度とメインバンク・ガバナンス
第2節 高まる中小企業の生産性改革の必要性結 語
が、まずその前に、版元の岩波書店のサイトに載っている白川前日銀総裁の推薦の辞を:
白川方明(前日本銀行総裁)氏推薦
倒産制度は経済や社会のありようを最も深い所で規定している。日本のバブル崩壊以降の経験はこのことを端的に示している。不良債権問題の「先送り」も近年の生産性上昇率の低迷も、倒産制度という補助線を引き、しかも「通し」で議論することなしには理解できない現象である。しかし、この作業は容易ではない。まず制度自体が複雑である。同じ倒産でも金融機関と一般企業とではシステミック・リスクの有無をはじめ重要な差異も存在する。そして何よりも、制度の変容をもたらす大きなメカニズムについての理解が必要である。著者は倒産制度の変遷を単に追うだけでなく、それをもたらした政策形成プレイヤーの行動に注目し、政治や社会との関係、組織と個人、理論と実務等幅広い視点から様々な教訓を引き出そうとしている。私はこうした書物の出現を長い間渇望していた。この難しい課題に挑戦した著者の勇気、情熱、責任感に心より敬意を表するとともに、現在の閉塞的な社会状況からの脱却の糸口を探している多くの人に本書を推薦したい。
白川さんの言う「現在の閉塞的な社会状況からの脱却」を論じているのが、「第Ⅲ部 新たな相互補完的な制度体系を目指して」の「終章 1975年体制の克服」であり、その「第1節 長期雇用制度とメインバンク・ガバナンス」で、わたくしの議論がかなり縦横に引用され、金融と労働という二つの世界を繫ぐ議論が展開されています。
・・・・このようにして、1975年体制は瓦解し始め、その中核にある日本的雇用慣行の「雇用保証」も変質せざるを得なくなった。しかし、1975年体制は戦後の日本を作り上げた強固な成功モデルであるから、制度としての自己拘束性は強靱であり、制度的解体が一挙に進むものではなかった。環境変化に対して、「雇用保証」制度は周辺からゆっくりと変容して対象の範囲は狭まっていくものの、中核部分は頑健に継続され、制度としての適合性と不適合性の両方を経済社会に対して発揮することになった。
その「制度としての適合性」の例として示すのが、「雇用保証との代替で賃金の引下げを可能とする機能の発揮」であり、ここで上で推薦文を書いている白川前日銀総裁が登場し、
・・・不良債権問題が依然として解決せずに経済が一段と悪化した2000年代初頭においては、日本がなぜデフレスパイラルに陥らないのか、各国は関心を深めていた。白川(2018)は、その理由について・・・「名目賃金の設定が伸縮的になり、下方硬直性がなくなったこと」を挙げている。・・・つまり、社内雇用の維持と引き換えに正規社員の賃金を引き下げることでデフレスパイラルに陥ることが防がれたのであり、それは1975年体制の特質そのものと言えよう。
他方、制度としての不適合性とは、社内雇用の維持が日本企業の競争力の低下に結びついたことである。・・・・上述のように、日本企業は経済的ショックに対して、企業内で雇用を維持することで「外圧への抵抗力」を発揮しようとする。その経済ショックが景気後退というような一時的な需要の低下であるなら、雇用維持は企業特殊的な技能の温存というメリットをもたらして、意図通りの耐性を発揮することになる。ところが、経済ショックが長期的あるいは構造的なものである場合は、ビジネスモデルの変革が必要になるが、雇用維持はその変革を阻んで不採算部門の温存というデメリットを生んでしまう。・・・・
ちなみに、p835の注52では、わたくしへのインタビューで私が喋ったらしいことが出てきます。たぶん本邦初公開です。
いうまでもなくプーチンのロシアによるウクライナ侵略は全面的に批判されるべきであり、さっさと降伏せずに抵抗するから殺されるんやみたいなことを口走る「平和主義」者の皆さんは、日本の侵略に抵抗した中国の蒋介石に対しても全く同じように「日本軍に抵抗したから多くの中国人が殺されたじゃないか!」と糾弾し、中国人の命を救うために侵略者との協調に転じた汪兆銘を口を極めて賞賛すべき道徳的義務がありますが、その義務を果たす立派な「平和主義」者を見たことがありません。
と、それは当然の前提ではありますが、とはいえ、侵略に抵抗しているからと言ってウクライナ政府のやっていることやろうとしていることが立派だとほめるべき筋合いはないし、とりわけ労働関係では極めて問題の多い政策をかなり強引に推し進めているようです。
先日ソーシャル・ヨーロッパの記事を紹介したところですが
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2022/07/post-d8be21.html(ウクライナの労働者権利破壊法)
同じソーシャル・ヨーロッパに、ウクライナの労働弁護士の声を紹介する続報が載っているので、こちらも紹介しておきます。
https://socialeurope.eu/ukraine-could-abandon-key-labour-principle(Ukraine could abandon key labour principle)
The government’s post-war reconstruction plans threaten a ‘Mad Max-style dystopia’, says Ukrainian labour lawyer.
政府の戦後復興計画は「マッド・マックススタイルのディストピア」の脅威をもたらす、とウクライナの労働弁護士は言う
「マッド・マックススタイル」とは具体的にどんな計画なのか?曰く、「‘everybody will negotiate on their own without any rules’. 」(誰もが何のルールもなく、自分だけで交渉する)世界のようです。
そして、ウクライナ当局は、ILOの労使対話を時代遅れと批判しているのだそうです。
‘People don’t want to negotiate their employment through collective agreements, but through civil law, royalties, author rights,’ Tretiakova said. ‘But the International Labor Organization, created in 1919, in the epoch of industrialisation, says no … [The ILO says] a person is economically dependent on their employer and should therefore come under Ukraine’s labour code, developed in 1971.’
「人々はその雇用を団体交渉を通じてではなく、民法、特許権、著作権を通じて交渉したいと思っている」「しかし産業化時代の1919年にできたILOはノーという」「人びとは経済的に従属しているから1971年のウクライナ労働法典に従えという」
ふむむ、団体交渉を否定し、労働者個人の「交渉」だけでやるべきだというあたり、もしかしてウクライナ政府は例の小幡績さんの授業を受けたんですかね。しかもその「交渉」は、特許権や著作権を武器にするもののようです。そんなもん武器にできる労働者がどれだけ居ると思っとるんや。
いずれにしても、ウクライナ政府の労働政策は極めて今風のやたら「意識の高い」ものになっているようで、危なっかしいったらありゃしないという感じです。
If the legislation is signed by Zelenskyy, employees will be encouraged to strike individual bespoke agreements with their employers, with both sides acting on a supposed equal footing—a direct breach of ILO principles.
もしこの立法にゼレンスキーが署名すれば、労働者は使用者との間で両者がイコールフッティングで個別の注文仕立ての合意を締結するよう奨励される。これはILO原則の露骨な違反だ。
何とも言えない気持ちになるのは、ロシア侵略前にはウクライナの労働組合がこの「国民のしもべ」党の法改正に対して抵抗を企画していたのに、
Critics have claimed that deputies in the Ukrainian parliament have used Russia’s invasion, which has displaced millions inside and outside the country, as a ‘window of opportunity’ to pass potentially controversial reforms.
批判者が言うには、ウクライナ議会は何百万人を国内外で難民化したロシアの侵略を、潜在的に議論のある改革を通過させるための「機会の窓」として利用している
ということですね。
戦時に労働者を含む国民の権利が制限されるというのは、英米も含めてどの国でも見られた現象ではあるのですが、それは戦争が終われば元に戻るという性質のものです。今回のウクライナの労働法改正は、そもそもきわめて反労働組合的なイデオロギーに基づいた政策がロシアによる侵略前から企図されており、それをロシアの侵略を奇貨として恒久的な仕組みとして導入してしまおうという話なのですね。
文春オンラインに「「21世紀最大の発明は間違いなく株式会社」炎上→販売終了→回収…インプレス『Web3の教本』が「トンデモ本」扱いされた2つの理由」という記事が載っていて、私は全然詳しくない分野なんですが、なにやらてんでわかってない人がいい加減なインチキばかりを書き散らした本が炎上騒ぎを起こしたんだそうです。
https://bunshun.jp/articles/-/56562
・・・話を戻そう。なぜ『いちばんやさしいWeb3の教本』が情報商材レベル、いや、それ以下なのか、理由は内容にある。
新しい概念やモノを説明するにあたって、旧来のそれを否定的に論じるのはよくあることだが、本書に関しては、著者がまるでWeb2に、特にGAFAにいじめられでもしたのかというくらいにGAFAを叩きまくっている。
それが、とことんズレまくっているというか、そもそも間違った知識を振りかざしながら叩いているので、始末に負えない。
この本のどこがどうとことんずれまくっているのかはこの分野に疎い私にはよくわかりませんが(著者のレベルが良くわかったのは、「資本主義における21世紀最大の発明は間違いなく株式会社 」という世紀の大発見ですが・・・)、でもこういうたぐいのインチキ本は私の分野でもわんさか出てきてますね。
そういうインチキ本の特徴は、ここでこういわれている通りですが、
・・・本来であれば、ここまで程度の低い書籍を発行することなどあり得ないのだが「Web3」というバズワードに惑わされてしまったのだろうか。この一冊で、同社の他の書籍の評判まで落としてしまうことを考えると非常に残念である。
バズワードに惑わされた書籍は、なにもWeb3に限った話ではない。考えてみれば、自分が関わっているデジタルマーケティングの世界は、出版されている書籍の大半がバズワードを煽るものでしかない。大抵が、そのバズワードで商売をしている似非マーケターが、中途半端な知識で読者を煽るものであり、自分自身を紹介する、ちょっとかさばる名刺のような存在でしかない。
自分の意見を述べるのは大いに結構なのだが、少なくとも最低限の知識を持った上で、事実をねじ曲げることなく書いていただきたい。バズワードに乗って我欲を満たすために、間違った知識、情報を書籍としてまき散らすことはあってはならないのだ。
いやまあ、まさしくここ2年あまり、「ジョブ型」というバズワードに惑わされた、中途半端な知識で読者を煽り、間違った知識、情報をまき散らすような本が山のように出ていますからね。そして、そういう本が炎上することもなく平然とまかり通り、結構売れているというのは、雇用関係の業界はIT関係の業界よりも自浄作用に乏しいということなのかもしれませんね。本屋の人事労務の棚に並んでいるジョブ型本を見ていくと、ジョブ型が21世紀の大発明にされてしまいかねない状況ですから。いやいやジョブ型は古臭いんだよ、というところから説き起こさなきゃいけない私はなんなんだろう。
神谷悠一さんの『差別は思いやりでは解決しない』(集英社新書)をお送りいただきました。
https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=978-4-08-721226-6
思いやりを大事にする「良識的」な人が、差別をなくすことに後ろ向きである理由とは――。
「ジェンダー平等」がSDGsの目標に掲げられる現在、大学では関連の授業に人気が集中し企業では研修が盛んに行われているテーマであるにもかかわらず、いまだ差別については「思いやりが大事」という心の問題として捉えられることが多い。なぜ差別は「思いやり」の問題に回収され、その先の議論に進めないのか?
女性差別と性的少数者差別をめぐる現状に目を向け、その構造を理解し、制度について考察。
「思いやり」から脱して社会を変えていくために、いま必要な一冊。
「あなたの人権意識、大丈夫?
“優しい”人こそ知っておきたい、差別に加担してしまわないために――。
価値観アップデートのための法制度入門!」――三浦まり氏(上智大学教授)、推薦!
日本の学校で行われる「道徳教育」の弊害が一番よく現れているのが、この何でもかんでも「思いやり」で解決できるというねじれた「人権」思想なんでしょうね。
冒頭、ジェンダーについて講義したら、学生たちから「ジェンダーについてもっと気をつけたいと思います」「もっと多くの人が思いやりを持つようになったらいいなと思いました」といった、小学校以来必ずこう書きなさいと叩き込まれてきた「正しい」感想文が押し寄せて、著者を悲しませるわけです。
先日、ある方と喋っていて、言っている中身は今までと同じことなんですが、つい口をついて出てきた台詞が、自分でもびっくりするくらい名文句になっていたので、ちょっとご披露。
なんで日本の給料は上がらないのか、情報労連REPORTの昨年12月号では、今から30年前に、できたばかりの連合が、物価引下げを求める消費者意識ばかりを掲げていたことを引用しましたが、
http://ictj-report.joho.or.jp/2112/sp01.html(労働組合は「安い日本」を変えられるか? )
・・・今から30年前、昭和から平成に変わった頃の日本では(今では信じられないかもしれませんが)、「高い日本」が大問題であり、それを安くすることが労使共通の課題であったのです。1990年7月2日、連合の山岸会長と日経連の鈴木会長は連名で「内外価格差解消・物価引下げに関する要望」を出し、規制や税金の撤廃緩和等により物価を引き下げることで「真の豊かさ」を実現すべきと訴えていました。同日付の物価問題共同プロジェクト中間報告では、「労働組合は、職業人の顔とともに、消費者の顔をもつ」と言い、「労働組合自らが消費者意識を高め、消費者に対しては物価引下げに必要な消費者意識や消費者世論の喚起に努めるべき」とまで言っていたのです。消費者にとってうれしい「安い日本」は労働者にとってうれしくないものではないのか、という(労働組合本来の)疑問が呈されることはなかったようです。
マクロ経済面については、1993年8月の日経連内外価格差問題研究プロジェクト報告が、「物価引下げによる実質所得の向上は…商品購買力の高まりが生まれ…新商品開発、新産業分野への参入など積極的な行動が取れるようになり…経済成長を大いに刺激することになる」と論じていました。失われた30年のゼロ成長は、この論理回路が100%ウソであったことを立証しています。
それにしても、サービス経済化が進展し、労働への報酬がほぼサービス価格となるような経済構造に向かう中で、労働組合が(賃金引き上げを求める)労働者意識よりも(価格引き下げを求める)消費者意識に重点を置いてしまったら、賃金が上がらないのはあまりにも当然でした。サービス業において付加価値生産性とは概ねサービス労働者への賃金を意味しますから、これは日本経済における生産性の停滞を意味することになりました。そして、日経連報告とは逆に、賃金停滞による実質所得の停滞は成長しない経済をもたらし、欧米どころかアジア諸国よりも安い日本をもたらしたのです。・・・
でも考えてみたら、労働者が自分たちの利益ばかりを考えて、俺たちの給料さえ上がればいいんだ、物価が上がろうが、インフレになろうが知ったことか、というかつて批判されていた欧米の労働者のような行動をとらないことは、利己主義ではなく利他主義の見本であり、まことに「美徳」と申せましょう。
それに対し、欧米の労働組合どもときたら、利己主義の塊、自分たちの給料さえ上がれば、マクロ経済がどうなろうと知ったこっちゃないと嘯いて、平然と消費者を困らせるような賃上げばかりを要求していたのですから、これこそまことに「悪徳」と申せましょう。
美徳の極みの日本の労働組合と、悪徳の極みの欧米の労働組合の、その後の運命のいたずらはまことに心をかきむしられる思いがします。
消費者のことを第一義に考え、物価が上がらないように上がらないように賃上げをひたすら我慢してきた日本は、その後賃金と物価のデフレスパイラルで、ビッグマック指数は韓国やスペインをも下回るほど安い国になりました。国を安くした功績はやすくに神社に祀ってもいいくらいです。
消費者のことなんか知ったことじゃないと賃上げを我慢しなかった諸外国は、労働コストが商品価格に跳ね返り、それがまた賃上げに跳ね返りと、賃金と物価の正のスパイラルが30年間効いてきた結果、賃金も物価もそれなりに高い国になっていったわけです。
マクロ経済的に意味を有する生産性概念は付加価値生産性しかないので、これを生産性の言葉でいえば、賃金をひたすら我慢してきた日本は、(工場内の物的生産性は上がったかも知れないけれど)付加価値生産性は上がらなかった。賃金を上げ、商品やサービスの価格を上げてきた諸外国は、(実のところ工場内の物的生産性が上がってるかどうかは分からないけれど)少なくとも価格ベースの付加価値生産性は毎年着実に上がってきたわけです。
そして、最大の皮肉は、消費者のために賃金を我慢するという「美徳」を貫いてきた日本の労働者は、(社内でのみ計量可能な物的生産性は必死の努力で上がっていても)価格ベースの付加価値生産性は全然上がっていないので、「おまえら日本の労働者は生産性が低いから駄目なんだ!」と、罵られ、ますます必死の努力をするけれども、それがなんら価格ベースに反映されないままという、まさにサドの描く「美徳の不幸」そのもの。
それに対して、消費者のことなんか知ったこっちゃないと賃金を上げ、物価を上げてきた諸国は、(物的生産性はともかく)商品やサービスの値段だけはちゃんと上がっているので、付加価値生産性が高くなっている立派なことだと褒められる。まことにサドの描く「悪徳の栄え」そのもの。
そろそろ利他主義の「美徳の不幸」から脱却して、利己主義の「悪徳の栄え」を目指した方がいいのではないか、という話。いや中身はいままで言っていることなんだけど、なぜかふいとサドの小説のタイトルが飛び出してきました。
去る6月に、欧州議会と閣僚理事会が最低賃金指令に最終合意したというニュースを紹介しましたが、
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2022/06/post-27aa28.html(EU最低賃金指令に理事会と欧州議会が合意)
まだ最終的に条文が確定しきっていないようで、現時点でまだ成立はしていませんが、ほぼ確定した条文は公表されているので、とりあえず未確定部分のある最終規定以外の部分を全訳してみました。
EU最低賃金指令
欧州連合における十分な最低賃金に関する欧州議会と理事会の指令(2022/〇〇/EU)
第1章 総則
第1条 主題
1 欧州連合における労働生活条件、とりわけ上方への社会的収斂に貢献し、賃金の不平等を縮小するため、労働者にとっての最低賃金の十分性を改善する観点で、本指令は次の枠組みを設定する。
(a) まっとうな生活労働条件を達成する目的で法定最低賃金の十分性、
(b) 賃金決定における団体交渉の促進、
(c) 国内法及び/又は労働協約により規定される最低賃金保護の権利へ労働者の有効なアクセスの向上。
2 本指令は労使団体の自治を全面的に尊重するとともに、その団体交渉し労働協約を締結する権利を妨げない。
3 条約第153条第5項に従い、本指令は最低賃金の水準を設定する加盟国の権限、労働協約に規定する最低賃金保護へのアクセスを促進するために法定最低賃金を設ける加盟国の選択を妨げない。
4 本指令の適用は、団体交渉の権利を全面的に遵守するものとする。本指令のいかなる部分も、次のことを義務付けるものと解釈されてはならない。
(a) 賃金決定がもっぱら労働協約を通じて確保されている加盟国に対して、法定最低賃金を導入すること、
(b) いかなる加盟国に対しても、労働協約の一般的拘束力を付与すること。
5 国際労働機構の理事会によって承認された合同海事委員会又は他の機関が定期的に設定する船員最低賃金に関する措置を実施する加盟国の立法には第2章は適用しない。かかる立法は団体交渉の権利及びより高い最低賃金水準を採択する可能性を妨げない。第2条 適用範囲
本指令は、欧州連合司法裁判所の判例法を考慮しつつ、各加盟国で効力を有する法律、労働協約又は慣行で定義される雇用契約又は雇用関係を有する欧州連合内の労働者に適用される。第3条 定義
本指令においては、次の定義が適用される。
(1) 「最低賃金」とは、公的部門も含めた使用者が、所与の期間中に、遂行された労働に対して、労働者に支払うよう求められる、法律又は労働協約によって決定された最低報酬をいう。
(2) 「法定最低賃金」とは、適用される規定の内容について当局にいかなる裁量の余地もない一般的拘束力を付与された労働協約によって決定された最低賃金を除き、法律又はその他の拘束力ある法的規定によって決定された最低賃金をいう。
(3) 「団体交渉」とは、加盟国の国内法及び慣行に従って、一方において使用者、使用者の集団又は一若しくはそれ以上の使用者団体、他方において一又はそれ以上の労働組合との間で、労働条件及び雇用条件を決定するために発生するすべての交渉をいう。
(4) 「労働協約」とは、一般的拘束力を有するものも含め、国内法及び慣行に従いそれぞれ労働者と使用者のために交渉する能力を有する労使団体によって締結される労働条件及び雇用条件に関する規定に関する書面による合意をいう。
(5) 「団体交渉の適用範囲」とは、次の比率で算定されるところの国レベルの労働者に占める労働協約が適用される者の割合をいう。
(a) 労働協約が適用される労働者の数、
(b) その労働条件が、国内法及び慣行に従い労働協約によって規制される労働者の数。第4条 賃金決定に関する団体交渉の促進
1 団体交渉の適用範囲を拡大し、賃金決定に関する団体交渉権の行使を容易にする目的で、加盟国は労使団体を関与させつつ、国内法と慣行に従って、次の措置をとるものとする。
(a) とりわけ産業別又は産業横断レベルにおいて、賃金決定に関する団体交渉に関与する労使団体の能力の構築及び強化を促進すること、
(b) 労使団体が賃金決定に関する団体交渉に関してその機能を遂行するために適当な情報にアクセスできるという対等の立場で、両者間における賃金に関する建設的、有意味で情報に基づく交渉を奨励すること、
(c) 適当であれば、賃金決定に関する団体交渉権の行使を保護し、労働者や労働組合代表に対して賃金決定に関する団体交渉に参加し又は参加しようとしたことを理由とするその雇用に関する差別から保護ための措置をとること、
(d) 賃金決定に関する団体交渉を促進する目的で、適当であれば、団体交渉に参加し又は参加しようとする労働組合及び使用者団体に対して、その設立、運営又は管理において互いに又は互いの代理人若しくは構成員によるいかなる干渉行為からも保護する措置をとること。
2 これに加えて加盟国は、団体交渉の適用率が80%未満である場合には、労使団体に協議して又は労使団体との合意により、団体交渉の条件を容易にする枠組みを導入するものとする。これら加盟国はまた、労使団体に協議した後に、労使団体との合意により又は労使団体の共同要請に基づき労使団体間の協定により、団体交渉を促進する行動計画を策定するものとする。この行動計画は、労使団体の自治を最大限に尊重しつつ、団体交渉の適用率を段階的に引き上げる明確な日程表と具体的な措置を規定するものとする。この行動計画は定期的に再検討され、必要があれば労使団体に協議した後に、労使団体との合意により又は労使団体の共同要請に基づき労使団体間の協定により更新するものとする。いかなる場合でも少なくとも5年に1回は再検討するものとする。この行動計画及びそのすべての更新版は公表され、欧州委員会に通知されるものとする。第2章 法定最低賃金
第5条 十分な法定最低賃金の決定手続き
1 法定最低賃金を有する加盟国は、法定最低賃金の決定及び改定の必要な手続きを設けるものとする。かかる決定及び改定は、まっとうな生活条件を達成し、在職貧困を縮減するとともに、社会的結束と上方への収斂を促進し、男女賃金格差を縮小する目的で、その十分性に貢献するような基準に導かれるものとする。加盟国はこれらの基準を国内法によるか権限ある機関の決定によるか又は三者合意により定めるものとする。この基準は明確なやり方で定められるものとする。加盟国は、各国の社会経済状況を考慮して、第2項にいう要素も含め、これら基準の相対的な重要度について決定することができる。
2 第1項にいう国内基準は、少なくとも以下の要素を含むものとする。
(a) 生計費を考慮に入れて、法定最低賃金の購買力、
(b) 賃金の一般水準及びその分布、
(c) 賃金の成長率、
(d) 長期的な国内生産性水準及びその進展。
3 本条に規定する義務に抵触しない限り、加盟国は追加的に、適当な基準に基づきかつ国内法と慣行に従って、その適用が法定最低賃金の減額につながらない限り、法定最低賃金の自動的な物価スライド制を用いることができる。
4 加盟国は法定最低賃金の十分性の評価を導く指標となる基準値を用いるものとする。このため加盟国は、賃金の総中央値の60%、賃金の総平均値の50%のような国際的に共通して用いられる指標となる基準値や、国内レベルで用いられる指標となる基準値を用いることができる。
5 加盟国は、法定最低賃金の定期的かつ時宜に適した改定を少なくとも2年に1回は実施するものとする。第3項にいう自動的な物価スライド制を用いる場合には少なくとも4年に1回とする。
6 各加盟国は法定最低賃金に関する問題について権限ある機関に助言する一またはそれ以上の諮問機関を指名又は設置し、その機能的な運営を確保するものとする。害6条 変異及び減額
1 加盟国が特定の労働者集団に対して異なる法定最低賃金率又は法定最低賃金を下回る水準にまで支払われる賃金を減少させる減額を認める場合には、加盟国はこれら変異及び減額が非差別と比例性(合法的な目的の追求を含む)の原則を尊重するよう確保するものとする。
2 本指令のいかなる部分も、加盟国に法定最低賃金の変異や減額を導入する義務を課すものと解釈されてはならない。第7条 法定最低賃金の決定及び改定における労使団体の関与
加盟国は、法定最低賃金の決定及び改正において、第5条第6項にいう諮問機関への参加及びとりわけ次の事項を含め、意思決定過程を通じた審議への自発的参加を提供する適時かつ効果的な方法で、労使団体の関与に必要な措置をとるものとする。
(a) 第5条第1項、第2項及び第3項にいう法定最低賃金の水準の決定と、自動物価スライド制がある場合にはその確立と修正のための基準の選択及び適用、
(b) 法定最低賃金の十分性の評価のための第5条第4項にいう指標となる基準値の選択及び適用、
(c) 第5条第5項にいう法定最低賃金の改定、
(d) 第6条にいう法定最低賃金の変異及び減額の確立、
(e) 法定最低賃金の決定に関与する機関及び他の関係当事者に情報を提供するためのデータの収集及び調査と分析の遂行の双方に関する決定。第8条 法定最低賃金への労働者の効果的なアクセス
加盟国は、労使団体の関与により、労働者が適切に効果的な法定最低賃金保護(適当であればその強化と執行を含め)にアクセスすることを促進するために、次の措置をとるものとする。
(1) 労働監督機関又は法定最低賃金の施行に責任を有する機関によって行われる効果的、比例的で非差別的な管理及び現地監督の提供、
(2) 法定最低賃金を遵守しない使用者に狙いを定め追及するための訓練と指導によるガイダンスによる施行機関の能力向上。第3章 通則
第9条 公共調達
EU公共調達指令(2014/24/EU、2014/25/EU、2014/23/EU)に従い、加盟国は公共調達又は営業権の授与及び遂行において、事業者及びその下請事業者が、賃金に関して適用される義務、EU法、国内法、労働協約又はILOの結社の自由と団結権条約(第87号)及び団結権と団体交渉権条約(第98号)を含む国際的な社会労働法規定によって確立した社会労働法分野における団結権及び賃金決定に関する団体交渉権を遵守するよう確保する適切な措置をとるものとする。第10条 監視とデータ収集
1 加盟国は、最低賃金保護を監視するために効果的なデータ収集用具を確保する適切な措置をとるものとする。
2 加盟国は次のデータおよび情報を2年ごとに、報告年の10月1日までに、欧州委員会に報告するものとする。
(a) 団体交渉の適用範囲の比率と進展、
(b) 法定最低賃金については、
(i) 法定最低賃金の水準及びその適用される労働者の比率、
(ii) 既存の変異と減額の説明及びその導入の理由とデータが入手可能であれば変異の適用される労働者の比率。
(c) 労働協約によってのみ規定される最低賃金保護については、
(i) 低賃金労働者に適用される労働協約によって設定される最低賃金率又は正確なデータが責任ある国内機関に入手可能でなければその推計、及びそれが適用される労働者の比率又は正確なデータが責任ある国内機関に入手可能でなければその推計、
(ii) 労働協約が適用されない労働者に支払われる賃金水準及びその労働協約が適用される労働者に支払われる賃金水準との関係。
一般的拘束力宣言を受けたものも含め、産業別、地域別及び他の複数使用者労働協約については、加盟国は第10条第2項第(c)号(i)にいうデータを報告するものとする。
加盟国は、本項にいう統計及び情報を、できる限り性別、年齢、障害、企業規模及び業種によって区分集計して提供するものとする。
最初の報告は国内法転換年に先立つ3年間を対象とするものとする。加盟国は国内法転換日以前に入手可能でなかった統計及び情報を除外することができる。
3 欧州委員会は第2項にいう報告及び第4条第2項にいう行動計画において加盟国から送付されたデータと情報を分析するものとする。同委員会はそれを2年ごとに欧州議会と理事会に報告し、同時に加盟国から送付されたデータと情報を公表するものとする。第11条 最低賃金保護に関する情報
加盟国は、法定最低賃金保護とともに一般的拘束力を有する労働協約の定める最低賃金に関する情報(救済制度に関する情報を含む)が、必要であれば加盟国が決定する最も関連する言語によって、包括的かつ障害者を含め容易にアクセス可能な仕方で一般に入手可能とするように確保するものとする。第12条 不利益取扱い又はその帰結に対する救済と保護の権利
1 加盟国は、適用される労働協約で規定される特別の救済及び紛争解決制度に抵触しない限り、雇用契約が終了した者も含む労働者が、法定最低賃金に関する権利又は国内法若しくは労働協約でその権利が規定されている最低賃金保護に関する権利の侵害の場合において、効果的で適時かつ中立的な紛争解決及び救済の権利にアクセスすることを確保するものとする。
2 加盟国は、労働組合員又はその代表者を含む労働者及び労働者代表が、使用者からのいかなる不利益取扱いからも、また使用者に提起した苦情又は国内法若しくは労働協約でその権利が規定されている最低賃金に関する権利の侵害の場合に法令遵守を求める目的で提起したいかなる手続から生じる不利益な帰結からも保護するに必要な措置をとるものとする。第13条 罰則
加盟国は、本指令の適用範囲内の権利及び義務が国内法又は労働協約に規定されている場合、当該権利及び義務の侵害に適用される罰則に関する規則を規定するものとする。法定最低賃金のない加盟国においては、これら規則は労働協約の執行に関する規則に規定される補償又は契約上の制裁への言及を含むか又はそれに限定することができる。規定される罰則は効果的で比例的かつ抑止的であるものとする。第4章 最終規定(略)
労働に関する常識が雲散霧消してしまった現代日本では、「賃上げ」とはそもそもどういうことであったかをきちんと説明してくれるような本がほとんどなくなってしまったので、私は一昨年、海老原嗣生さんとの共著で『働き方改革の世界史』(ちくま新書)を刊行したのですが、ジョブ型本と違ってこっちはあんまり売れてくれず、依然として世間に常識として広まってくれていないようなので、この際、その第一講のウェッブ夫妻の『産業民主制論』を取り上げた章の肝心要の部分を引用して皆さまの閲読に供覧いたしますね。さもないと、とんちんかんな反応がそのままになりかねないので。
3 団体交渉とは集合取引
本題のコレクティブ・バーゲニングです。現在でも労働組合のもっとも中心的役割と見なされている機能です。でも、戦前の本だけあって、訳語が古いですね。「集合取引」だなんて、まるで市場で商品を取引しているみたいな表現です。もしちくま学芸文庫で新訳を出すのであれば、ちゃんと「団体交渉」と訳して欲しいところです・・・・。って、いやいや、冗談じゃありません。戦後の「社員組合」に慣れ親しんだ人々の、会社の仲間同士の間での、必ずしも切れ目がないその上の方の人々と下の方の人々で行われる、会社の売上げのどれくらいを会社の中のどの層にどういう風に配分するかを決めるための、日本型「団体交渉」とはまるで違うのが、このコレクティブ・バーゲニングであるということを腹の底まで理解するためには、まずはその用語を古めかしい「集合取引」としておく必要があります。そう、それは市場取引なのです。労働という商品の取引なのです。まさにバーゲニングなのです。
ではなぜ取引を集合的にしなければならないか?それは「各人の特殊なる必要の影響を全然度外視し得る」からです。「若し職長が各職工と個人的に取引したとすれば、或る者が非常なる困窮に陥つて半日も仕事を離るゝに忍びないことを知り、これを利用して非常に安い賃銀を強制することも出来るであらう。・・・然るに、集合取引の方法が行はるゝときは、職長は、これら両種の職工の競争を利用して、他の職工の所得を低下せしむることが出来なくなる」からです(邦訳202頁)。そして、都市や地方のすべての雇主と職工を拘束する「従業規則」(ワーキング・ルール)によって、「雇傭に関して、最も富裕なる企業者も、破産に瀕せる建築業者も、又注文輻輳せる会社も、閑散を極めてゐるものも、皆これに依て一様の地位に立つことゝなる」からです(邦訳203頁)。おやおや、また古くさい訳語が出てきました。「従業規則」だなんて。今度ちくま学芸文庫で新訳出すときにはちゃんと「就業規則」って・・・。いやいや、企業内だけで通用する現代日本の「就業規則」なんて言葉で訳された日には、読者の頭の上には?マークが林立しちゃいますよ。これは地域的産別協約そのものなんです。何故それが必要なのか?「一地方に於ける凡ての会社、又は一産業に於ける凡ての地方が、人間労力の購買価格に関しては、出来得る限り同一の立場に置かるゝとすれば、彼等の競争は、自ら機械の改良、良質安価なる原料の仕入、有利なる販売市場の獲得の形を取るの外はないと云ふことになる」からです。こうして百年前のイギリスでは既に、「曾ては雇主の労働組合に答ふる常套語であつた『自分は各々の職工にその必要又は働きに応じて報酬を与ふるのであつて、自分自身の使用人以外何人とも交渉するを肯んじない』と云ふ言葉は、最早今日は、主要産業に於ては、或は片田舎の地方とか又は格別に専横なる雇主の口よりする外、殆ど耳にしなくなつた」のです(邦訳206頁)。
「人間労力の購買価格」!現代日本ではおそらく、労働者をモノ扱いするとはなんというふざけた奴だ、という非難が、とりわけ「社員組合」の方面から集中するでしょう。いやいや、労働という商品を出来るだけ高く売るための仕組みがトレード・ユニオンなんです。そのためには、上述の「各個罷業」をみんなで一斉にやる「同盟罷業」も有効です。「かくの如き労働の停止は、吾々の見解を以てすれば、個人的にしろ団体的にしろ、労働の雇傭に関する凡ての商取引に必然的なる附物であつて、これは、恰も御客が番頭の云ひ出し値段に同意しない時その店を去る所の小売商売に伴ふ所の事柄と同様である」(邦訳256頁)。「商売」なんですよ。
4 標準賃銀率
トレード・ユニオンの「商売」の目的は何か?労働という商品の値段を標準化することです。「一様に適用せらるべき或る一定の標準に従つて賃銀を支払ふべしとの主張即ちこれである」(邦訳330頁)。この「標準賃銀率」(スタンダード・レート)の発想がない国では、同一労働同一賃銀という舶来の概念もあらぬ方向にばかり迷走していってしまいます。その意味では、大変アクチュアルな概念でもあります。
本書には、当時の経済学者が労働組合を「熟練、知識、勤勉及び性格の相違を無視して、均一賃銀率を求めるといふ、最も誤れる最も有害な目的」(邦訳333頁)と非難している文章も出てきます。今日の日本でも見られる光景です。ウェッブ夫妻はかかる非難を的外れと評します。「英国労働者は決して共産主義者ではない」と。むしろ、トレード・ユニオンが求めるのは「同一骨折に対する同一報酬の原則、換言すれば普通に所謂標準賃銀率」であり、これは「賃銀の平等とは正反対のものである」(邦訳385頁)と断言します。
ここでは詳説はしませんが、戦後日本の年功賃金制の原型が呉海軍工廠の伍堂卓雄の生活給思想であり、終戦直後の電産型賃金体系であり、その主たる哲学的動因がジョブの如何に関わらない社員としての平等にあったことを考えれば、イギリスのトレード・ユニオンが生み出したスタンダード・レートの発想ほど、日本の社員組合の生活給思想の対極に位置するものはなかったとすら言えるかも知れません。戦後日本ではイギリスの労使関係についての文献が山のように出されてきましたが、この一番肝心要の所はしかしながらあまり明確に指摘されてこなかったように思われます。5 雇傭の継続と日本型デフレ
最後に日本型社員組合にとって何よりも大事な雇用継続に対する姿勢を見ておきましょう。「雇主にその雇はんとする労働者に継続的の雇傭を供する義務を負はすが如き労働組合規制は実に一つもない。賢明か不賢明かは知らぬが、労働組合は、資本家は労働者へ仕事を与へることの出来る間彼等に賃銀を与へるやう期待され得るのみであると云ふ見解を暗黙に承認してゐる。故に雇傭の継続は、消費者の需要の継続に、或はもつと正確に云へば需要供給の的確なる調整に左右せらることゝなる」(邦訳535頁)。仕事がないのに雇い続けろなんて発想はないのです。むしろ、彼らが抵抗するのは日本型社員組合が真っ先にやりたがるようなやり方です。以下、ウェッブ夫妻の説くところを見ていきましょう。
「併し乍ら、資本家と筋肉労働者とは、少数の例外は双方にあるが、それを得るに正反対の方法を主張して来てゐる。事業が閑散となり売れ行が現象する時、雇主の第一本能は価格を下げて顧客の購買心をそゝることである。」「この低下を彼は主として賃銀率の方面に求める。」「労働組合運動者はこの政策と全然意見を異にする。」「労働組合運動者が雇主の彼に要求する犠牲は無用と云ふよりも更に悪いものであると信ずることは、彼の激昂を一層烈しからしむる所以となる。単に商品をヨリ低廉な価格にて提供することは、商品に対する世界の総需要を毫も増加するものではない。」「唯一の結果は、労働者は同一賃銀に対してヨリ多くの仕事を為さねばならぬ。」(邦訳535~528頁)
雇用の継続を至上命題とし、それゆえ長時間労働と賃金の下落を受け入れ、結果的にデフレの20年間を生み出してきた日本型社員組合とは対極的な19世紀末のトレード・ユニオンの姿が、百年の時を隔ててくっきりと浮かび上がってくるのが感じられないでしょうか。
プロフィールによると、東大経済学部を首席卒業し、大蔵省に入省して、今は慶應義塾大学の先生をしているという方が、東洋経済オンラインに「日本人の「賃上げ」という考え方自体が大間違いだ」という文章を書いているのですが、初めの数パラグラフを読んだところで頭を抱えてしまいました。いや、その主張に賛成とか反対とかいうレベルの話ではなく、その言っていることが論理的に全く理解できないのです。
https://toyokeizai.net/list/author/%E5%B0%8F%E5%B9%A1_%E7%B8%BE
https://toyokeizai.net/articles/-/609671(日本人の「賃上げ」という考え方自体が大間違いだ 給料を決めるのは、政府でも企業でもない)
・・・しかし、実は、彼らもかんべえ氏も180度間違っている。なぜなら「賃上げ」という考え方そのものが間違っているからだ。
賃上げ、という言葉にこだわり続ける限り、日本の賃金は上がらない。アメリカには、賃上げという概念が存在しない。だから、賃金は上がるのだ。
では「賃上げ」の何が間違いか。賃金は、政府が上げるものではもちろんないが、企業が上げるものでもないのである。
「賃上げ」は、空から降ってこないし、上からも降ってこない。「お上」からも、そして、経営者からのお慈悲で降って来るものでもないのである。それは、労働者が自らつかみ取るものなのである。経営者と交渉して、労働者が払わせるものなのである。・・・
さあ、この4パラグラフは何を言っているのでしょうか?冒頭、「「賃上げ」という考え方そのものが間違っている」と断言しているにもかかわらず、4パラグラフ目では、「賃上げは・・・・・・・労働者が自らつかみ取るものなのである。経営者と交渉して、労働者が払わせるものなのである」と言っているのです。
いや、私はまさにこの第4パラグラフは正しいと思います。労働者が経営者に要求して、場合によっては給料上げないなら働いてやらないぞと脅して、労働の対価を高く引き上げることが日本に限らず世界共通の賃上げというものであって、「「お上」からも、そして、経営者からのお慈悲で降って来るものでもない」。全くその通り。そして小幡氏はこうも言う。
・・・日本の賃金が低いのは、労働者が、この闘争を「サボっているから」なのである。努力不足なのである。「政府の、お上からの経営者への指示」を待っていても、「雇い主の施し」を待っていても、永遠に得られないのである。・・・
小幡氏が首席卒業したという東大経済学部で労使関係論を受講したかどうかは定かではありませんが、こういうことは授業で聞かなくたって常識としてわきまえていてしかるべきことではありましょう。
ところが、そういうちゃんとわかっているかのような文章を書きながら、なぜか彼の頭の中では「賃上げ」という言葉は、労働者が勝ち取ることではなく、国や経営者がお慈悲で与えてくれるものだけを指す言葉として理解しているようなのですね。だから、タイトルに堂々と「日本人の「賃上げ」という考え方自体が大間違いだ」とぶち上げ、文章の中でも「なぜなら「賃上げ」という考え方そのものが間違っているからだ」などと奇妙なことをいうわけです。
実をいえば、法定最低賃金を否定し、労働組合が自力で勝ち取る賃金のみが唯一あるべき姿だと主張するのが、スウェーデンやデンマークの労働組合であり、それゆえに現在、EUの最低賃金指令案をめぐって労働組合運動の中で対立が生じているわけですが、そこまでいかなくても、労働組合の力が及ばないところは政府の力を借りざるをえないけれども、そうでない限りは労働組合が力で勝ち取るものだというのは、ごく普通の感覚でしょう。
奇妙なのは、この東大経済学部首席卒業がご自慢らしい小幡氏の議論が、そういう国家権力に頼らない本来の意味の「賃上げ」を、なぜかそれだけを自分の脳内の「賃上げ」という概念から排除してしまっているように見えることです。そして、そういう本来の「賃上げ」には及ばない、いわばまがい物の国や経営者のお慈悲に過ぎないものだけを自分の脳内では「賃上げ」と呼んで、「日本人の「賃上げ」という考え方自体が大間違いだ」と断言してしまっていることです。
正直、最初この文章を読んだとき、言っていることがある面であまりにも正しいにもかかわらず、ある面ではあまりにも間違い過ぎているので、頭の中が混乱の極みに陥りました。
慶應義塾大学で授業をされる際には、学生たちの頭をあまり混乱させないようにしていただきたいものです。
(追記)
https://b.hatena.ne.jp/entry/4723493204965038114/comment/tekitou-manga
元記事読んでないけど、タイトルは筆者が付けるものではない(場合が多い)という事だけは一応
いや、タイトルだけに脊髄反射してるわけじゃないよ。
間違いなく本人が書いている本文中に、はっきりと、
なぜなら「賃上げ」という考え方そのものが間違っているからだ。
と言い切っていますからね。元記事読まなくても、せめてこのブログ記事の中の引用文くらいは目を通してからコメントしましょう。
岩波書店さんによると、拙著『ジョブ型雇用社会とは何か』が、日本の人事部「HRアワード2022」に入賞したそうです。
https://twitter.com/Iwanamishoten/status/1554663349958324225
そのアワードのサイトに行ってみますと、書籍部門に12冊ばかり並んでいますが、ざっと見た感じでは、拙著以外はまさに実践的な人事はこうやるべしみたいな本のようで、そういう新商品売り歩き型みたいなのを批判している拙著はいささか場違いな感もありますね。
https://hr-award.jp/nominate2.php#2-6
昨日、連合総研の未来塾で「労使関係思想から見たジョブ型・メンバーシップ型」についてお話ししました。
https://www.rengo-soken.or.jp/info/2022/08/051028.html
講演録は後日掲載するということですが、私が使った資料がアップされています。
岩波書店編集部の藤田紀子さんより、イエスタ・エスピン=アンデルセン著 , 大沢真理監訳『平等と効率の福祉革命 新しい女性の役割』(岩波現代文庫)をお送りいただきました。
https://www.iwanami.co.jp/book/b608021.html
キャリアとジェンダー平等を追求する女性と、性別分業に従う女性との間で広がる格差。価値観・学歴の似た者同士が結婚する結果、世帯間の格差が増幅し、社会の効率性が下がり、さらには世代を越えて格差が継承されてしまう。どうすればこの流れを転換することができるのか。比較福祉国家論の第一人者による提言の書、待望の文庫化。
正直言うと、エスピン・アンデルセンを文庫に入れるなら、まず何より『福祉資本主義の三つの世界』を、それも岩波現代文庫よりも岩波文庫の白版あたりに入れるのが先じゃないかという気もしますが(だって、ウォーラーステインがはいるんだから)、そこはいろいろと難しい問題があるのかも知れません。
「子どもまん中」とか言いながら、どこまで分かっているのか、あらぬ方向に行きかねない政治の姿を見るにつけ、改めて10年以上前に出された本書を政治家も官僚も評論家諸氏も新聞記者諸氏も熟読玩味する必要がありそうです。
とはいえ、こんなちっぽけな文庫本一冊読み通すのは難儀だという人のためには、著者本人による「あとがき」が一番端的に本書の趣旨を示しています。
・・・しかし、平等主義という動機のみに基づいて福祉国家の改革を主張しても、得心するのは既にそれに賛成している人々だけだろう。反面で、政策の改革によって私たちがより優れたパレート・フロンティアに進めることを示せるなら、福祉国家改革の主張は遥かに多くの支持を得られるだろう。これは、衡平性が増すとともに、潜在生産力がより有効に動員されるという、両得の成果を意味する。他の何人の利得を損なうこともなく、ある人々の利得を増すことができるという意味で、パレート的に、女性の革命に対する福祉国家の適応という策を打ち出せることは、多くの差し迫った問題領域で十分に明白なはずである。女性の革命に福祉国家が適応するという方法以外では-それは基本的に家族か市場に頼るという方法になる-全ての差し迫った問題領域において次善の解決策にしかならないはずである。
衡平性と効率性という最小限の基準に基づき、私は、第一に、母親であることと雇用とを両立させるという面で福祉国家を支持する主張を、かなり有力に展開したと信じている。この面では、福祉国家による支援がなければ、二つのうち一つ(あるいは両方)の弊害が生じるだろう。すなわち、過度の少子化、あるいは(若しくは及び)、過度の労働力不足と家族所得不足である。私はさらに、引退における世代内の衡平の促進を主張したつもりである。この二つ目の面に関しては、衡平性を保障することができなければ、引退を延期するための努力が台無しにされるだろう。この努力はますます喫緊のものとなっており、引退を遅らせることができなければ、今度は。国家財政の持続可能性及び世代間の契約が深刻な危機に陥るだろう。しかし、他の何にもまさって説得力ある議論は、間違いなく、子どもへの投資に関するものである。子どもへの投資は、機会の平等の向上と、生産性の大幅な増大を同時に保障する。そして、幼い時期から子どもに十分に投資することは、高齢期の貧困やニーズに対する非常に優れた保険にもある。結論として、福祉国家が女性の役割の革命を加速させることに役立つなら、私たちは恐らく全面的に、平等と効率の大きな成果を収穫することができるのである。
まさに、ここで著者が挙げている過度の少子化、過度の労働力不足、家族所得不足、国家財政の持続可能性及び世代間の契約の深刻な危機等々といった多くの弊害が同時に押し寄せてきている現代日本において、この2パラグラフは大きな太字で印刷して、全ての政治家の手元に届けてあげたい珠玉の文章です。
『労働新聞』で月1回廻ってくる「本棚を探索」という書評コラム、今回はアラン・シュピオの『労働法批判』です。夏休みの課題図書として是非。
https://www.rodo.co.jp/column/135309/
『労働新聞』のコラムでありながら、いままでわざと労働法関係の本を取り上げてこなかったへそ曲がりの濱口が、ようやく素直に専門書を取り上げるに至ったか、と勘違いするかも知れないが、いやいやそんな生やさしい本ではない。哲学書の棚に並ぶ同じ著者の『法的人間 ホモ・ジュリディクス』や『フィラデルフィアの精神』(いずれも勁草書房)と同じくらい、深い深い哲学的思考の奥底に潜り込んでいく快感が味わえる。その意味では、毎日毎日新たな立法と判例を追いかけるのに忙しい労働法関係者にこそ、夏休みの課題図書としてじっくり読んで欲しい本でもある。特に必読なのは、冒頭の「予備的考察(プロレゴメナ)」の準備章「契約と身分のあいだ」だ。近頃流行りの「ジョブ型」「メンバーシップ型」を聞きかじって上っ面で理解している人は、是非その歴史的淵源をしっかりと学んで欲しい。近代西欧の労働関係は、ローマ法の「労務の賃貸借契約」の考え方と、ゲルマン法の「忠勤契約」の考え方が絡み合って作り上げられたものだ。労務の賃貸借とは、もともと物の賃貸借や家畜の賃貸借と同様に奴隷主がその所有する奴隷を人に貸し付ける契約であったが、その賃貸人と賃貸物件が同一人物である場合、自分で自分自身(の労務)を貸し出して賃料を受け取るという技巧的な構図になる。これが「ジョブ型」の原点だとすれば、賃金労働者とは奴隷主兼奴隷であり、労働時間は賃金奴隷だが非労働時間にはご主人様の身分を取り戻す。とすれば労働時間の無限定とは、奴隷の極大化、ご主人様の極小化ということになり、一番悪いことだ。これに対して忠勤契約は封建制の下での主君と家臣の「御恩と奉公」であり、人格的共同体への帰属こそがその本質となる。これが「メンバーシップ型」の原点だとすれば、被用者とは主君たる使用者に無定量の忠誠を尽くす家臣であり、主君の命じることはいつでも(時間無限定)なんでも(職務無限定)やらなければならないが、その代わり「大いなる家」の一員として守られる。無限定さこそが誇るべき身分の証しなのだ。ところが対極的に見えるこの両者がその両極で一致する。古代ローマ法で奴隷は家族の一員であり、逆に言えば家長には家族の生殺与奪の権限があった。一方、中世ドイツ法で忠勤契約は庶民化して奉公契約になり、遂には僕婢(召使)契約に至ったのだ。ジョブ型の極限にはメンバーシップ型があり、メンバーシップ型の極限はジョブ型となる。この契約と身分の絡み合いのさらに奥には、第1部「人と物」で論じられる人の法(身分法)と物の法(財産法)の逆説的な関係が控えている。労働法は民法の債権各論にある以上物の法であるとともに、労働者の身体と精神の安全に関わる人の法でもある。そして、それは第2部「従属と自由」で論じられる集団性と不可分である。その集団性自体が、労務賃貸人のカルテルたる労働組合と、企業従業員の自治組織たる従業員代表制に二重化する。労働法の法哲学という、現代日本ではほぼ他に類書のない本であるだけに、夏休みの課題図書にするのは重たすぎるかも知れないが、でも是非読んで置いて欲しい本である。
労働調査協議会の月刊誌『労働調査』2022年7月号に「ジョブ型雇用社会とは何か」を寄稿しました。この7月号は、「ジョブ型を考える」という特集で、以下のような記事が載っています。
特集 ジョブ型を考える
ジョブ型雇用社会とは何か 濱口桂一郎(独立行政法人労働政策研究・研修機構 研究所長)
労働組合は「ジョブ型雇用」にどう対応すべきか 今野浩一郎(学習院大学名誉教授、学習院さくらアカデミー長)
多様な働き方を可能にするジョブ・ベースのマネジメント 奥野明子(甲南大学経営学部 教授)
<インタビュー>日立製作所におけるジョブ型人財マネジメント 橋本修平(日立製作所労働組合 書記長)
<インタビュー>KDDIにおける新人事制度 長谷川強(KDDI労働組合中央本部 副中央執行委員長)永渕達也(KDDI労働組合中央本部 政策局長)
わたくしのはその冒頭に登場しています。
1.はじめに
私が昨年9月に「ジョブ型雇用社会とは何か」(岩波新書)を出版したのは、現在世間で流行しているジョブ型論にはあまりにも多くの誤解や間違いが氾濫しているからです。先ず認識してほしいのは、ジョブ型という概念は決して新しいものではなく、むしろ古くさいということです。こういうことを聞くと、「何を言っているのか。古くさく、硬直的で、生産性の低い日本の雇用システムであるメンバーシップ型をやめて、柔軟で生産性の高い、新しいジョブ型に移行すべきであるという説が流行っているではないか」と思われるかもしれません。確かに今、ジョブ型という言葉を弄んでいる人たちの多くはその手の主張を展開していますが、それは間違いで、ジョブ型の方がメンバーシップ型よりも古いのです。
ジョブ型やメンバーシップ型という言葉を作って雇用システムの在り方を分析し始めたのは私自身ですが、これらの概念自体は新しく作った訳でもなく、以前は就職型、就社型などと称されいろいろな形で議論されてきたものに、ジョブ型、メンバーシップ型という新しいラベルを貼り付けたに過ぎません。ジョブ型がどのくらい古いかというと、少なくとも100年、200年ぐらいの歴史があります。18~19世紀に近代産業社会がイギリスを起点に始まり、その後ヨーロッパ諸国、アメリカ、日本そしてアジア諸国へと徐々に広がって行ったわけですが、この近代社会における企業組織の基本構造がジョブ型なのです。
2.ジョブ型とメンバーシップ型の概念
3.日本型雇用システム
4.雇用の入口
5.雇用の出口
6.賃金制度
7.定年退職制の矛盾
8.ジョブ型社会のその先は?
今朝の朝日新聞は、19面の「働く」という面で、「(資本主義NEXT 日本型雇用を超えて:1)その人事制度、持続可能なのか」という記事を載せています。経団連の故。中西前会長の顔写真入りで、真面目にジョブ型を論じています。
https://www.asahi.com/articles/DA3S15374098.html
「日本型雇用」は世界でもまれな仕組みです。仕事を限定せず「就社」させた新卒を、強い人事権のもとで育てます。働き手は不満を持っても、年々増える賃金、安定雇用を期待します。大企業で発展したこの労使の共同体が、日本の資本主義の成功をもたらしたと称賛されました。
日本経済が成長する中でできたこの仕組みの課題は長く指摘されてきました。女性は排除され、男性正社員は長時間労働を強いられます。非正規労働者の処遇改善も進みません。
持続可能な資本主義のため、雇用の形はどうあるべきか。5回にわたり報告します。初回は、日本を代表する製造業大手、日立製作所の動きを追います。・・・
どこかの「ジョブ型を売り歩く人々」的なのとはだいぶ趣が違い、しっかりとした取材記事になっています。澤路毅彦さんが担当しているんですね。
左上に、ジョブ型とメンバーシップ型の分かりやすい絵解きが載っています。
安中繁『新標準の人事評価』(日本実業出版社)をお送りいただきました。
https://www.njg.co.jp/book/9784534059383/
「有能な社員を採用できないし、定着しない」「長くいる社員が自動的に高給をもらう状況になっている」「社員を育成できる人材が不足している」「経営理念が浸透しない」……、課題だらけの中小企業に適した「人財育成」ができる人事評価制度の導入法を解説。
安中さんからは5年前に『週4正社員のススメ 』を頂いていましたが、
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/4-2c28.html
今回は管理職層の労働時間という課題に取り組んだものとのことです。
楠山精彦・和田まり子 [著] NPO法人キャリアスイッチ[編]『40歳からのキャリアチェンジ[第2版] 充実した人生を送るための求職・転職術』(経団連出版)をお送りいただきました。
https://www.keidanren-jigyoservice.or.jp/pub/cat9/da12594f93aa9ff546ad62ff1a79ad254d84ebb5.html
近年、40歳代以上のシニア・ミドル世代を即戦力として採用する企業が増えてきています。年齢は問わないと考える会社も多く、豊富な経験や高い専門性、環境適応力が求められていることの表れです。一方で、だれもが転職して成功できるわけではなく、中高年ならではの問題も発生します。
転職を成功させるには、自分に何ができて、相手が何を求めているのかを理解することが大切です。中高年の転職市場では、多くの企業が、志望者の「知識」「経験」「技術」をもとに判断します。逆に言えば、自身が積み上げてきた知識や経験、技術が求められる会社を選ぶことが、中高年の転職を成功させる第一歩となるでしょう。
そこで本書では、自分なりの強みを発見し追求していくこと、キャリアデザイン構築を推進するとともに、充実した職業人生を切り開き、希望のもてる求職活動のために、職務能力の棚卸しの仕方、自信の持てる仕事の選び方から、職務経歴書の書き方、面接の上手な受け方まで、成功するキャリアチェンジの実際を具体的に説き明かします。自分の職業人生を充実させるための転職の手順がわかります。
今朝の朝日が1面トップに「技人国」の話題を取り上げています。
https://www.asahi.com/articles/DA3S15374166.html(「技人国」29万人、外食にITに 「高度人材」在留、実習生並みに拡大)
https://www.asahi.com/articles/DA3S15374128.html(広く根おろす「技人国」 留学生から移行「親日の大卒人材」)
この「技人国」の問題、先日の吉野家の時にも本ブログで若干コメントしましたが、昨年5月にWEB労政時報に寄稿した「ジョブ型「技人国」在留資格とメンバーシップ型正社員の矛盾」がまとまっていますので、改めて再掲しておきます。
日本の外国人労働政策は至るところに矛盾を孕(はら)孕(はら)んだ形で展開してきました。その代表格は「労働者として」入れるのではない定住者という在留資格の日系南米人と、最初は「労働者ではない」研修生で、次は一応労働者ではあるが主目的は国際貢献という触れ込みの技能実習生ですが、留学生の資格外活動(アルバイト)を週28時間まで認めているのも、ローエンド技能労働者のサイドドアであることは確かです。この労働需要に対しては、2018年12月の入管法改正により、ようやく特定技能という在留資格が設けられ、それなりのフロントドアが作られたといえます。これらに対して、日本政府はずっとハイエンドの外国人は積極的に受け入れるという政策をとってきました。その中でも、いわゆる普通のホワイトカラーサラリーマンの仕事に相当する在留資格が技術・人文知識・国際業務、いわゆる「技人国」です。出入国管理及び難民認定法(以下、入管法)の別表では、「本邦の公私の機関との契約に基づいて行う理学、工学その他の自然科学の分野若しくは法律学、経済学、社会学その他の人文科学の分野に属する技術若しくは知識を要する業務又は外国の文化に基盤を有する思考若しくは感受性を必要とする業務に従事する活動」と、定義されています。要するに、理科系と文科系の大学を卒業し、そこで学んだ知識を活用して技術系、事務系の仕事をする人々ということですから、ジョブ型社会における大卒ホワイトカラーを素直に描写すればこうなるという定義です。つまり、日本の入管法は他の多くの法律と同様に、欧米で常識のジョブ型の発想で作られているといえます。ジョブ型の常識で作られているということは、メンバーシップ型の常識は通用しないということです。法務省の「『技術・人文知識・国際業務』の在留資格の明確化等について」には、「従事しようとする業務に必要な技術又は知識に係る科目を専攻していることが必要であり、そのためには、大学・専修学校において専攻した科目と従事しようとする業務が関連していることが必要」と書かれています。何という職業的レリバンスの重視でしょうか。これは、専門技術職は積極的に受け入れるけれども、単純労働力は受け入れないという原則を掲げている以上当然のことです。ところが、それが日本のメンバーシップ型社会の常識と真正面からぶつかってしまいます。今まで留学生の在留資格だった外国人が、日本の大卒者と同じように正社員として採用されて、同じように会社の命令でどこかに配属されて、同じように現場でまずは単純作業から働き始めたとしたら、それは「技人国」の在留資格に合わないのです。大卒で就職しても最初はみんな雑巾がけから始める、などというメンバーシップ型社会の常識は通用しないのです・・・しないはずでした。ところが、それでは日本企業が回らないという批判を受けて、法務省は2008年7月「大学における専攻科目と就職先における業務内容の関連性の柔軟な取扱いについて」という局長通達で、「現在の企業においては、必ずしも大学において専攻した技術又は知識に限られない広範な分野の知識を必要とする業務に従事する事例が多いことを踏まえ、在留資格『技術」及び『人文知識・国際業務』の該当性の判断に当たっては、(中略)柔軟に判断して在留資格を決定する」ことと指示したのです。とはいえ、あくまでもジョブ型の大原則は変えていないので、「例えばホテルに就職する場合、研修と称して、長期にわたって、専らレストランでの配膳や客室の清掃等のように『技術・人文知識・国際業務』に該当しない業務に従事するといった場合には、許容されません」と、それなりに厳格さは維持されていました。しかし、それでもまだ足りないという批判が繰り返され、あっさり本来のジョブ型制度が後退してしまったのです。上記2018年12月の入管法改正を受けて同月に策定された外国人材受入れ・共生対応策では、留学生の就職率が3割強にとどまっていることから、大学を卒業する留学生が就職できる業種の幅を広げるために在留資格の見直しを行うとされ、翌2019年5月の告示改正で、「日本語を用いた円滑な意思疎通を要する業務」という名目の下、飲食店、小売店等でのサービス業務や製造業務も特定活動46号として認めることとしたのです。同時に出されたガイドラインの具体的な活動例を見ると、以下のとおり、よほどの単純労働でない限り、普通の技能労働レベルのものがずらりと並んでいます。
ア飲食店に採用され、店舗管理業務や通訳を兼ねた接客業務を行うもの(日本人に対する接客を行うことも可能です)。
※厨房での皿洗いや清掃にのみ従事することは認められません。
イ工場のラインにおいて、日本人従業員から受けた作業指示を技能実習生や他の外国人従業員に対し外国語で伝達・指導しつつ、自らもラインに入って業務を行うもの。
※ラインで指示された作業にのみ従事することは認められません。
ウ小売店において、仕入れ、商品企画や、通訳を兼ねた接客販売業務を行うもの(日本人に対する接客販売業務を行うことも可能です)。
※商品の陳列や店舗の清掃にのみ従事することは認められません。
エホテルや旅館において、翻訳業務を兼ねた外国語によるホームページの開設、更新作業等の広報業務を行うものや、外国人客への通訳(案内)を兼ねたベルスタッフやドアマンとして接客を行うもの(日本人に対する接客を行うことも可能です)。
※客室の清掃にのみ従事することは認められません。
オタクシー会社において、観光客(集客)のための企画・立案や自ら通訳を兼ねた観光案内を行うタクシードライバーとして活動するもの(通常のタクシードライバーとして乗務することも可能です)。
※車両の整備や清掃のみに従事することは認められません。
※タクシーの運転をするためには、別途第二種免許(道路交通法第86条第1項)を取得する必要がありますが、第二種免許は、個人の特定の市場への参入を規制することを目的とするものではないことから、いわゆる業務独占資格には該当しません。
カ介護施設において、外国人従業員や技能実習生への指導を行いながら、日本語を用いて介護業務に従事するもの。
※施設内の清掃や衣服の洗濯のみに従事することは認められません。
キ食品製造会社において、他の従業員との間で日本語を用いたコミュニケーションを取りながら商品の企画・開発を行いつつ、自らも商品製造ラインに入って作業を行うもの。
※単に商品製造ラインに入り、日本語による作業指示を受け、指示された作業にのみ従事することは認められません。ハイエンド労働者は入り口からハイエンドの仕事をし、ローエンド労働者はずっとローエンドの仕事をするというジョブ型社会の常識が、ハイエンド(に将来なる予定/なるかも知れない/なるんじゃないかな)の労働者が入り口ではローエンドの仕事をするという日本社会の常識に道を譲ったわけです。それは、もしその就職した留学生たち全員が本当にハイエンド労働者になることを予定しているのであれば、ジョブ型の制度趣旨に反するというだけで、否定されるべきではないのかもしれません。しかしながら、日本の外国人政策における留学生の位置づけを振り返ってみると、その点にもかなりの疑問符が付きそうです。なにしろ、いまや本家の「技人国」ですら、中国人を抑えて、一番多いのはベトナム人になっているのですから、どこまでハイエンド労働者なのか、大変疑わしい状況になりつつあります。
本日の午後3時に中央最低賃金審議会目安に関する小委員会の第5回目の会合が予定されているようですが、
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_26808.html
そこで30円以上の引上げが決まる予定だと、毎日新聞が報じています。
https://mainichi.jp/articles/20220731/k00/00m/010/125000c
2022年度の最低賃金の引き上げ幅(目安)について、「中央最低賃金審議会」(厚生労働相の諮問機関)の小委員会が全国加重平均で「30円以上」の額とすることで最終調整に入ったことが31日、関係者への取材で分かった。8月1日に最終協議に入り、同日中に決着する見通し。円安などによる物価高騰を考慮した結果で、実現すれば過去最大の上げ幅になる。・・・
法律上の最低賃金は各都道府県労働局の地域最低賃金審議会で秋までに決めなければならないので、そろそろ目安を示さないと間に合わないタイミングではあります。
今年はロシア・ウクライナ戦争の影響などもあり、今までになく物価が上昇してきているので、それが背景にあるのでしょう。
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