髙橋哲『聖職と労働のあいだ』
髙橋哲さんの『聖職と労働のあいだ 「教員の働き方改革」への法理論』(岩波書店)をお送りいただきました。
https://www.iwanami.co.jp/book/b606521.html
教師という職業は、なぜこれほどつらい仕事になってしまったのか? 本書は、教師が主体性を奪われ、現在の異常な労働環境へと至った歴史的・法制度的構造を明らかにするとともに、多くの問題が指摘される給特法を徹底的に分析する。教師が子どもと向き合う職業であり続けるために、厳しい現状からの「出口」を示す決定版。
教師の長時間労働の惨状を訴える本は最近多く出されていますが、本書はその中で、労働法の観点から徹底的に緻密な議論を展開している点に特徴があります。給特法については私も若干の小文を書いたりしていますが、ここまで詳細に論点を片っ端から叩いている本はたぶんほかにないでしょう。
自分でもいくつかむかしの資料を読んで考えたりしていたことですが、給特法という法律の最大の皮肉は、終戦直後以来教師聖職論でやっていたおかしな運用が最高裁判決でいよいよ駄目になろうとする瞬間に、人事院という国家公務員法「のみ」を所管する官庁が文部省に助け舟を出す形で作られた法律だということではないかと思います。
日本の公務員法というのは終戦直後の経緯からおかしな点がいっぱいありますが、国家公務員についてはマッカーサーの怒りの鉄拳で労働基準法が全面適用除外になってしまったのに対し、地方公務員については逆に労働基準法原則適用であって、一部の規定のみが非適用となっています。
ここで重要なのは、給特法の基本的なアイディアを出した人事院というのは、労働基準法が全面適用除外された国家公務員だけを所管しているのであって、何か法律を作るときに労基法は参考にはするけれども、この条文に違反するとかしないとかギリギリした議論はないところだということです。
給特法は、もともとできた時には国立学校がメインの規定であって、第3条から第7条まで国立学校のことばかり規定しており、第8条でようやく「公立の義務教育諸学校等の教育職員については、第三条から第五条までに規定する国立の義務教育諸学校等の教育職員の給与に関する事項を基準として教職調整額の支給その他の措置を講じなければならない」と規定していたんですね。
教師の数からいえば公立学校の方がはるかに多いけれども、法律構造からは国立学校がメインであって、公立学校はおまけに過ぎなかったんです。そういう法律のしくみを考えたのは、公立学校のことなんか全然所管していない人事院でした。
ところが、本書にもあるように、国立学校の法人化に伴って、国立学校はみんな労働法上は私立学校になってしまいました。給特法はメインの国立学校がなくなって、それに倣っていただけの公立学校が主役になってしまったのだけれども、公立学校教員は地方公務員であって、すなわち労働基準法が原則適用される労働者なのであって、話がひっくり返ってしまったわけです。
そういうひっくり返った状況下で、今やアイディア元の人事院は給特法とは縁もゆかりもなくなってしまったにもかかわらず、労働基準法が適用されている地方公務員の公立学校教員についてのみ、労働基準法上の確立した労働者概念と異なる考え方を無理無理押し付けようとしたらどこかで破綻するのは火を見るより明らかなので、正直言って今の文部科学省の役人たちは先輩のツケを押し付けられて可哀そうだな、という気すらしてきます。
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法律的な観点からの議論が重要なのは言うまでもないことですが、教育労働運動の立場からの議論があまり見られないようにも感じます。日教組にまだそれなりの力があったころは給特法の問題はそれほど顕在化されなかったようにも思われるのですが、そうではないのでしょうか。
投稿: 希流 | 2022年6月13日 (月) 16時34分