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2022年5月29日 (日)

諾否の自由について

Isbn9784589042217_20220529212601 昨年11月に開催された日本労働法学会第138回大会の記録を載せた『 日本労働法学会誌135号』が届いていました。

https://www.hou-bun.com/cgi-bin/search/detail.cgi?c=ISBN978-4-589-04221-7

わたしは井川さん、岡村さんら若手と一緒にEU労働法のワークショップに出たほか、「プラットフォームエコノミーと社会法上の課題」と題する大シンポジウムに出て、いくつかの質問をしたのですが、そのうち鈴木俊晴さんに対する質問は、あまりうまく問題意識を伝えられていないきらいがあるのですが、できればほかの人々にも考えていただきたい問題ではないかと思われるので、自分の発言部分だけアップしておきます。

 日雇い労働・日雇い派遣と諾否の自由
米津(司会) それでは引き続き、濱口柱一郎会員からの質問を読み上げます。「プラットフォーム労働者について、指揮命令はアルゴリズム従属性で論じるとして、労基法上の労働者性について重要な要素とされている諾否の自由については、そもそも就労するか否かの視点における諾否の自由の有無を労働者性の要素とすることの是非にさかのぼる必要もあるのではないか。そもそも日雇い労働、日雇い派遣は日々諾否の自由を行使しているわけで、日雇いの存在を抜きにした労働者概念自体を見直す必要がありそうだ。逆に言えば、既に雇用労働の範囲内でタスク型就労が存在している以上、ウーバー型プラットフォームはそれに引き付けて論じることが可能な気がする。沼田会員の指摘する日雇い雇用保険の機能不全も既に日雇い派遣の段階で露呈していた」。濱口会員、今読み上げたことに何か付け加えることはありますか。

濱口桂一郎(JILPT) 私は、川口会員のように飛び離れた議論はなかなか難しいと思うので、いわゆる労基法上の労働者性概念を前提として考えますが、その中でも時間的、空間的拘束性や諾否の自由は、文言上の根拠があるわけではなく、かつ、今までも、誰も労働者であることを疑っていないような人たちにおいても、そこが希薄な人たちが居るのではないかという問題意識です。時間的、空間的拘束性については結構議論されていますが、諾否の自由について、労働者性の議論であまり出てこないのが日雇い労働ではないかと思っています。日雇い労働は昔からあって、考え方によっては、日々働くかどうかの自由を、それを諾否の自由と言うのかどうか分かりませんが、行使していると言えるかもしれません。あるいは、最近の就労形態でいいますと、日本で言ういわゆるシフト制、欧州でいうオンデマンド労働、ゼロ時間労働を考えますと、事実上、諾否の自由がないことが問題になっていますが、逆に言うと、形式的には諾否の自由があります。こうした、プラットフォームでないタイプのタスク型労働は、国によって法的地位はさまざまかもしれませんが、基本的に労働者性に疑問は抱かれていません。つまり、既に労働者であることを誰も疑っていない者の中に、プラットフォームワーカー、あるいはもう少し広く言うと、いわゆる個人請負型就労者と類似するような性格を持ったものが結構あるのではないか。そこに着目した形で議論していくほうがいいのではないのかという趣旨で述べました。日雇い雇用保険の話は、最後の沼田会員の話ともつながってきますが、必ずしも全てが新しい話ではないのではないか。みんなが雇用労働だと疑っていない働き方の中に、そういう要素は既にあって、問題はいろいろ露呈していたのではないか。そこに着目した形で、既に労働者であるところについてこういうふうになっているから、プラットフォーム労働者についても共通した問題として議論をしていくことができるのではないかというサジェスチョン的な意味で書きました。

濱口(JILPT) その日毎の労働契約がさらに短くなって、たとえば半日とか1時間単位の労働契約という風になってくると、どこで線が引けるのか。つまり、諾否の自由と言ったときに、何をもって諾否の自由と考えるのかということです。例の新国立劇場事件の場合、ベースとなる契約と個々の歌う契約があって、あれは労基法上の労働者性がないという話ですが、今日、ここに行って歌いますという話と、日雇いの労働者が、その日はそこで働きますというのと本質的に何が違うのかと言い出すと、なかなか難しい感じです。勿論歌手の場合は、歌は指揮命令ではないとか、建設現場は指揮命令であるとか、あるのかもしれませんが、単発的な仕事になればなるほど、諾否の自由をどこで見るのかは、実はかなり曖昧になってきます。なぜそこに着目するかというと、最後に沼田会員が述べた雇用保険との関係で関わってくると思うからです。諾否の自由とみんな言いますが、その中身はいったい何なのか。例えば日雇いの場合、現場で、「さあ、おまえ、ここに穴を掘れ」とか、「さあ、木材を持ってこい」とか、それに対する諾否の自由の話をしているんだろうか。それを言い出したら、歌手がある所に行って、「さあ、次にこの歌を歌え」と言われるのと区別がつきにくくなる感じがします。そこはなかなか解決しにくいですが、逆に雇用保険との関係で言うと、単発で仕事が来て、それがあぶれたかどうかの判断ができるのであれば、そこで議論ができるのではないかという話です。私が質問した意図はそんなところです。

濱口(JILPT) 例えば、建設労働でもプラットフォーム型があります。建設現場で働く人を、プラットフォームで紹介しているのか派遣しているのかよく分かりませんが、そういう仕組みがあります。あれは何でしょうか。恐らく現場で働いている作業そのものは、労働者として一緒です。どこが違うのかと言うと、おそらくウーバーイーツの場合は、1人で自転車に乗って運転しているから、人間が指揮命令していない、AIでコントロールしているだけだからという話になってしまうのではないか。諾否の自由というところでは違いがないのではないかという問題意識です。もう1つ、日雇い派遣の場合、派遣法上はその都度その都度、労働契約が発生して、派遣されていない期間は労働契約ではなくて登録状態です。逆に言うと、仕事を引き受けるその都度その都度に労働契約が発生するという考え方は、日雇い派遣では既に存在しています。この場合でも労働者性は十分存在しているので、何も、ずっと通しで労働契約があると言わなくても、あり得るのではないかという趣旨で申し上げました。

 

 

 

 

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