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2022年5月28日 (土)

中小企業の雇用システムについて@愛知県経営者協会『日本企業に「ジョブ型」は馴染むのか?』

Image0-11 愛知県経営者協会の研究委員会報告書『日本企業に「ジョブ型」は馴染むのか?』が届きました。この「第5章 有識者からの寄稿」というコーナーに、「中小企業の雇用システムについて、報告書第1章・第2章を読んでの所感」という小文を寄稿しました。

 私が2021年9月に『ジョブ型雇用社会とは何か』(岩波新書)を刊行したとき、その主たる対象読者は、大企業部門の典型的な日本型雇用システムの中にあって、なにやら柔軟で生産性が高いと評判の目新しい「ジョブ型」とやらに興味が惹かれている人々であった。あちこちから「目から鱗」との評をいただけたのは、その狙いが当たったことを示しているのであろう。そう、欧米で実際に動いている本当のジョブ型は古くさくて硬直的であり、それゆえにこそ過度に柔軟化してしまった日本の組織の有り様の歪みを見直す清涼剤たり得るのだが、そこのところの認識が世のジョブ型論者は全くひっくり返っているのである。
 だが、日本の労働社会の大部分は中小零細企業であり、従業員規模によって程度の差はあれ大企業に典型的なメンバーシップ型の特徴はそれほど濃厚ではない。拙著で述べたように、企業規模が小さくなればなるほど、勤続年数は短くなり、賃金カーブは平べったくなり、労働組合は存在しなくなる。実際、企業規模は小さいほど異動できる職務は限られるので、無限定正社員と言ったところで、事実上かなり限定されているのと変わらない。企業体力が弱い分、整理解雇で失業することもそれほど珍しくない。
 とはいえ、だから日本の中小企業はジョブ型に近い、と言ってしまうと完全な間違いになる。むしろ大企業型とはひと味違うある種のメンバーシップ性が濃厚にあるというべきだろう。1つには、戦後高度成長期に上から構築されたモダンなメンバーシップ型とは対照的な、伝統的人間関係そのものの延長線上に存在するある種の家族主義の感覚が残っている。「ジョブ型以前」的な原初的メンバーシップ感覚だ。他方では、大企業で確立したメンバーシップ型のさまざまな規範が、その現実的基盤の希薄な中小零細企業にも「あるべき姿」として染み込んできている。こちらはいわば「ジョブ型以後」的なメンバーシップ思想である。この両者は厳密には齟齬があるはずだが、両者入り交じって「明日は大企業みたいな雇用システムになろう」という「あすなろ」中小企業が大部分になっているように思われる。
 たとえば、新卒採用が困難なので中途採用で人手を確保せざるを得ず、さまざまな年齢層の社員が社内のごく限られた職務に就いているような中小企業では、ジョブローテーションによる仕事の幅の拡大を根拠とする年功制の合理性は薄いはずだが、もっともらしく大企業モデルの職能資格制度を導入して、却って中高年の過度な高賃金という不要な自縄自縛をもたらしているのではないか。とはいえ、「あるべき姿」をひっくり返すのは難しい。「うちの社員は皆家族みたいなものだ」という原初的メンバーシップ感覚がそれを支えてもいるからだ、しかも、世にはびこる「ジョブ型」論が描き出す描像は、いまの大企業よりも中小企業の実像に近いものとしてとしてではなく、(いまの大企業にもっともっと柔軟化せよといわんばかりの)この世のどこにも存在しないくらい異常に高度な代物として描こうとするものだから、ますます頭が混乱するのだろう。
 一方、大企業分野に焦点を当てた(まっとうな)ジョブ型論が足をくじくのは入口のところである。いかに「初めにジョブありき、そこにそのジョブを遂行しうるスキルをもった人をはめ込むのだ」と言ったところで、大企業に就職しようと思うような人材のほとんどが、特定のジョブのスキルを身につけるのではなく、何でもできる可能性のあるiPS細胞の養成所へ集中している以上、人と違う行動をとればペナルティを科せられる。異なる仕組みが成立するとすれば、入口から中の仕組みまで全部別扱いする一国二制式しかないであろう。いま大企業がそういう方式を現実に検討しているのは、世界的に争奪戦になっているIT技術者などくらいであろう。
ところが中小零細企業は、ただでさえ新卒採用が難しいがゆえにこの難題からも相対的に解放されている。かつて就職氷河期に就職できないままフリーターとならざるを得なかった氷河期世代の元若者たちを、この20年あまりの間にじわじわと少しずつ採用して、労働社会のそれなりの主流にはめ込んできたのは、ぴちぴちのiPS細胞ばかりにこだわる大企業ではなく、それができないことに劣等感を持つ中小企業であったことに、逆説的だが誇りを持ってもいいのではなかろうか。
 話を一段マクロなレベルに持っていくと、典型的なメンバーシップ型の日本型雇用システムが戦後高度成長期に主として大企業で形成されたのと同様に、典型的なジョブ型の欧米型雇用システムは20世紀中葉にやはりアメリカの大企業で形成されたものだ。やたらに細かいジョブ・ディスクリプションなども、大企業に多種多様な職務がひしめき合い、その間の区分(デマーケーション)を明確にすることが求められたからやむを得ず作らざるを得なかったのだ。ジョブ型社会といえども、中小零細企業になればそんな硬直的な仕組みをわざわざ作る必要はない。そういう意味では、洋の東西を問わず、中小零細企業は雇用システムなどにあまりこだわる必要はないのかも知れない。
 いま中小企業が考える必要があるとすれば、それはジョブ型伝道師が売り歩くこの世ならぬ「ジョブ型」を導入しようかと思い惑うことなどではなく、自社の寸法に合わない過度なメンバーシップ型の「あるべき姿」を、ちょうどいい具合になるまで脱ぎ捨てることではないかと思われる。それを何と呼ぶかは自由である。

 

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