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2022年5月

2022年5月31日 (火)

それはジョブ型詐欺

プレジデントウーマンのコラムに、溝上憲文さんが「「転勤はイヤ」「自己完結の仕事がいい」ジョブ型雇用を勘違いした就活生を待ち受ける厳しい現実」という記事を書いているのですが、読んだら頭を抱えてしまいました。

https://president.jp/articles/-/58130

就活生の間でジョブ型人事制度を導入した企業が人気になっている。ジャーナリストの溝上憲文さんは「彼らが転勤を含む異動はもちろん、仕事の進め方や働き方を自分でコントロールできると勘違いしているようです」という――。

言っていることは、それ自体としては正しいとも言えます。日本の企業が導入していると称している「ジョブ型」なるものは、欧米の雇用社会を指す言葉としての「ジョブ型」とは似ても似つかない、変形メンバーシップ型でしかないのですから。

ところが、溝上さんはそれを学生たちの勘違いだと批判するんですね。

もしそうならジョブ型、とくに日本企業が導入しているジョブ型人事制度を明らかに誤解している。・・・・

ではジョブ型を導入している日本企業はどうか。実はジョブ型と紹介される大手企業のジョブ型雇用は、新卒一括採用も行われ、入社後も従来同様にOJT(職場内訓練)や部署間を異動するジョブローテーションによる内部育成も実施されている。人事異動については原則「社内公募制」にするという企業もあるが、あくまで原則であって会社が人事権を手放しているわけではなく、会社主導の人事異動や転勤も実施され、純粋なジョブ型雇用ではない。

いやいや、本来のジョブ型を正しく理解している学生たちをおかしな用語法で「誤解」に引きずり込んでいるのは、インチキなジョブ型を振り回している企業や経営コンサルタントの方ではありませんか。

正しい言葉遣いを理解している者が「日本企業が導入しているジョブ型人事制度を明らかに誤解している と」批判され、間違ったいんちきジョブ型を掲げている企業の側は無罪放免というのは、なんぼなんでもひどすぎませんかね。それこそ「ジョブ型詐欺」というべきでしょう。

もっとも、新卒一括採用に応募しようとしている自分の姿を省みれば、それがジョブ型なんかではないのはあまりにも当たり前で、基本的な労働リテラシーの問題だと斬って捨てられるかもしれません。

 

 

2022年5月29日 (日)

諾否の自由について

Isbn9784589042217_20220529212601 昨年11月に開催された日本労働法学会第138回大会の記録を載せた『 日本労働法学会誌135号』が届いていました。

https://www.hou-bun.com/cgi-bin/search/detail.cgi?c=ISBN978-4-589-04221-7

わたしは井川さん、岡村さんら若手と一緒にEU労働法のワークショップに出たほか、「プラットフォームエコノミーと社会法上の課題」と題する大シンポジウムに出て、いくつかの質問をしたのですが、そのうち鈴木俊晴さんに対する質問は、あまりうまく問題意識を伝えられていないきらいがあるのですが、できればほかの人々にも考えていただきたい問題ではないかと思われるので、自分の発言部分だけアップしておきます。

 日雇い労働・日雇い派遣と諾否の自由
米津(司会) それでは引き続き、濱口柱一郎会員からの質問を読み上げます。「プラットフォーム労働者について、指揮命令はアルゴリズム従属性で論じるとして、労基法上の労働者性について重要な要素とされている諾否の自由については、そもそも就労するか否かの視点における諾否の自由の有無を労働者性の要素とすることの是非にさかのぼる必要もあるのではないか。そもそも日雇い労働、日雇い派遣は日々諾否の自由を行使しているわけで、日雇いの存在を抜きにした労働者概念自体を見直す必要がありそうだ。逆に言えば、既に雇用労働の範囲内でタスク型就労が存在している以上、ウーバー型プラットフォームはそれに引き付けて論じることが可能な気がする。沼田会員の指摘する日雇い雇用保険の機能不全も既に日雇い派遣の段階で露呈していた」。濱口会員、今読み上げたことに何か付け加えることはありますか。

濱口桂一郎(JILPT) 私は、川口会員のように飛び離れた議論はなかなか難しいと思うので、いわゆる労基法上の労働者性概念を前提として考えますが、その中でも時間的、空間的拘束性や諾否の自由は、文言上の根拠があるわけではなく、かつ、今までも、誰も労働者であることを疑っていないような人たちにおいても、そこが希薄な人たちが居るのではないかという問題意識です。時間的、空間的拘束性については結構議論されていますが、諾否の自由について、労働者性の議論であまり出てこないのが日雇い労働ではないかと思っています。日雇い労働は昔からあって、考え方によっては、日々働くかどうかの自由を、それを諾否の自由と言うのかどうか分かりませんが、行使していると言えるかもしれません。あるいは、最近の就労形態でいいますと、日本で言ういわゆるシフト制、欧州でいうオンデマンド労働、ゼロ時間労働を考えますと、事実上、諾否の自由がないことが問題になっていますが、逆に言うと、形式的には諾否の自由があります。こうした、プラットフォームでないタイプのタスク型労働は、国によって法的地位はさまざまかもしれませんが、基本的に労働者性に疑問は抱かれていません。つまり、既に労働者であることを誰も疑っていない者の中に、プラットフォームワーカー、あるいはもう少し広く言うと、いわゆる個人請負型就労者と類似するような性格を持ったものが結構あるのではないか。そこに着目した形で議論していくほうがいいのではないのかという趣旨で述べました。日雇い雇用保険の話は、最後の沼田会員の話ともつながってきますが、必ずしも全てが新しい話ではないのではないか。みんなが雇用労働だと疑っていない働き方の中に、そういう要素は既にあって、問題はいろいろ露呈していたのではないか。そこに着目した形で、既に労働者であるところについてこういうふうになっているから、プラットフォーム労働者についても共通した問題として議論をしていくことができるのではないかというサジェスチョン的な意味で書きました。

濱口(JILPT) その日毎の労働契約がさらに短くなって、たとえば半日とか1時間単位の労働契約という風になってくると、どこで線が引けるのか。つまり、諾否の自由と言ったときに、何をもって諾否の自由と考えるのかということです。例の新国立劇場事件の場合、ベースとなる契約と個々の歌う契約があって、あれは労基法上の労働者性がないという話ですが、今日、ここに行って歌いますという話と、日雇いの労働者が、その日はそこで働きますというのと本質的に何が違うのかと言い出すと、なかなか難しい感じです。勿論歌手の場合は、歌は指揮命令ではないとか、建設現場は指揮命令であるとか、あるのかもしれませんが、単発的な仕事になればなるほど、諾否の自由をどこで見るのかは、実はかなり曖昧になってきます。なぜそこに着目するかというと、最後に沼田会員が述べた雇用保険との関係で関わってくると思うからです。諾否の自由とみんな言いますが、その中身はいったい何なのか。例えば日雇いの場合、現場で、「さあ、おまえ、ここに穴を掘れ」とか、「さあ、木材を持ってこい」とか、それに対する諾否の自由の話をしているんだろうか。それを言い出したら、歌手がある所に行って、「さあ、次にこの歌を歌え」と言われるのと区別がつきにくくなる感じがします。そこはなかなか解決しにくいですが、逆に雇用保険との関係で言うと、単発で仕事が来て、それがあぶれたかどうかの判断ができるのであれば、そこで議論ができるのではないかという話です。私が質問した意図はそんなところです。

濱口(JILPT) 例えば、建設労働でもプラットフォーム型があります。建設現場で働く人を、プラットフォームで紹介しているのか派遣しているのかよく分かりませんが、そういう仕組みがあります。あれは何でしょうか。恐らく現場で働いている作業そのものは、労働者として一緒です。どこが違うのかと言うと、おそらくウーバーイーツの場合は、1人で自転車に乗って運転しているから、人間が指揮命令していない、AIでコントロールしているだけだからという話になってしまうのではないか。諾否の自由というところでは違いがないのではないかという問題意識です。もう1つ、日雇い派遣の場合、派遣法上はその都度その都度、労働契約が発生して、派遣されていない期間は労働契約ではなくて登録状態です。逆に言うと、仕事を引き受けるその都度その都度に労働契約が発生するという考え方は、日雇い派遣では既に存在しています。この場合でも労働者性は十分存在しているので、何も、ずっと通しで労働契約があると言わなくても、あり得るのではないかという趣旨で申し上げました。

 

 

 

 

ナチス「逆張り」論の陥穽

As20220524001471_comm 昨日の朝日新聞の15面に、「逆張りの引力」という耕論で3人が登場し、そのうち田野大輔さんが「ナチスは良いこともした」という逆張り論を批判しています。

https://www.asahi.com/articles/ASQ5S4HFPQ5SUPQJ001.html

 私が専門とするナチズムの領域には、「ナチスは良いこともした」という逆張りがかねてより存在します。絶対悪とされるナチスを、なぜそんな風に言うのか。私はそこに、ナチスへの関心とは別の、いくつかの欲求があると感じています。
 ナチスを肯定的に評価する言動の多くは、「アウトバーンの建設で失業を解消した」といった経済政策を中心にしたもので、書籍も出版されています。研究者の世界ではすでに否定されている見方で、著者は歴史やナチズムの専門家ではありません。かつては一部の「トンデモ本」に限られていましたが、今はSNSで広く可視化されるようになっています。・・・

正直、いくつも分けて論じられなければならないことがややごっちゃにされてしまっている感があります。

まずもってナチスドイツのやった国内的な弾圧や虐殺、対外的な侵略や虐殺といったことは道徳的に否定すべき悪だという価値判断と、その経済政策がその同時代的に何らかの意味で有効であったかどうかというのは別のことです。

田野さんが想定する「トンデモ本」やSNSでの議論には、ナチスの経済政策が良いものであったことをネタにして、その虐殺や侵略に対する非難を弱めたりあわよくば賞賛したいというような気持が隠されているのかもしれませんが、いうまでもなくナチスのある時期の経済政策が同時代的に有効であったことがその虐殺や侵略の正当性にいささかでも寄与するものではありません。

それらが「良い政策」ではなかったことは、きちんと学べば誰でも分かります。たとえば、アウトバーン建設で減った失業者は全体のごく一部で、実際には軍需産業 の雇用の方が大きかった。女性や若者の失業者はカウントしないという統計上のからくりもありました。でも、こうやって丁寧に説明しようとしても、「ナチスは良いこともした」という分かりやすい強い言葉にはかなわない。・・・

ナチスの経済政策が中長期的には持続可能でないものであったというのは近年の研究でよく指摘されることですが、そのことと同時代的に、つまりナチスが政権をとるかとらないかという時期に短期的に、国民にアピールするような政策であったか否かという話もやや別のことでしょう。

田野さんは、おそらく目の前にわんさか湧いてくる、ナチスの悪行をできるだけ否定したがる連中による、厳密に論理的には何らつながらないはずの経済政策は良かった(からナチスは道徳的に批判されることはなく良かったのだ)という議論を、あまりにもうざったらしいがゆえに全否定しようとして、こういう言い方をしようとしているのだろうと思われますが、その気持ちは正直分からないではないものの、いささか論理がほころびている感があります。

これでは、ナチスの経済政策が何らかでも短期的に有効性があったと認めてしまうと、道徳的にナチにもいいところがあったと認めなければならないことになりましょう。こういう迂闊な議論の仕方はしない方がいいと思われます。

実をいうと、私はこの問題についてその裏側から、つまりナチスにみすみす権力を奪われて、叩き潰されたワイマールドイツの社会民主党や労働組合運動の視点から書かれた本を紹介したことがあります。

Sturmthal_2-2 連合総研の『DIO』2014年1月号に寄稿した「シュトゥルムタール『ヨーロッパ労働運動の悲劇』からの教訓」です。

https://www.rengo-soken.or.jp/dio/dio289.pdf

・・・著者は戦前ヨーロッパ国際労働運動の最前線で活躍した記者で、ファシズムに追われてアメリカに亡命し、戦後は労使関係の研究者として活躍してきた。本書は大戦中の1942年にアメリカで原著が刊行され(1951年に増補した第2版)、1958年に邦訳が岩波書店から刊行されている。そのメッセージを一言でいうならば、パールマンに代表されるアメリカ型労使関係論のイデオロギーに真っ向から逆らい、ドイツ労働運動(=社会主義運動)の悲劇は「あまりにも政治に頭を突っ込みすぎた」からではなく、反対に「政治的意識において不十分」であり「政治的責任を引き受けようとしなかった」ことにあるという主張である。
 アメリカから見れば「政治行動に深入りしているように見える」ヨーロッパ労働運動は、しかしシュトゥルムタールに言わせれば、アメリカ労働運動と同様の圧力団体的行動にとどまり、「真剣で責任ある政治的行動」をとれなかった。それこそが、戦間期ヨーロッパの民主主義を破滅に導いた要因である、というのだ。彼が示すのはこういうことである(p165~167)。

・・・社会民主党と労働組合は、政府のデフレイション政策を変えさせる努力は全然行わず、ただそれが賃金と失業手当を脅かす限りにおいてそれに反対したのである。・・・
・・・しかし彼らは失業の根源を攻撃しなかったのである。彼らはデフレイションを拒否した。しかし彼らはまた、どのようなものであれ平価切り下げを含むところのインフレイション的措置にも反対した。「反インフレイション、反デフレイション」、公式の政策声明にはこう述べられていた。どのようなものであれ、通貨の操作は公式に拒否されたのである。
・・・このようにして、ドイツ社会民主党は、ブリューニングの賃金切り下げには反対したにもかかわらず、それに代わるべき現実的な代案を何一つ提示することができなかったのであった。・・・
社会民主党と労働組合は賃金切り下げに反対した。しかし彼らの反対も、彼らの政策が、ナチの参加する政府を作り出しそうな政治的危機に対する恐怖によって主として動かされていたゆえに、有効なものとはなりえなかった。・・・

 原著が出された1942年のアメリカの文脈では、これはケインジアン政策と社会政策を組み合わせたニュー・ディール連合を作れなかったことが失敗の根源であると言っているに等しい。ここで対比の軸がずれていることがわかる。「悲劇」的なドイツと無意識的に対比されているのは、自覚的に圧力団体的行動をとる(AFLに代表される)アメリカ労働運動ではなく、むしろそれとは距離を置いてマクロ的な経済社会改革を遂行したルーズベルト政権なのである。例外的に成功したと評価されているスウェーデンの労働運動についての次のような記述は、それを確信させる(p198~199)。

・・・しかし、とスウェーデンの労働指導者は言うのであるが、代わりの経済政策も提案しないでおいて、デフレ政策の社会的影響にのみ反対するばかりでは十分ではない。不況は、低下した私的消費とそれに伴う流通購買力の減少となって現れたのであるから、政府が、私企業の不振を公共支出の増加によって補足してやらなければならないのである。・・・
それゆえに、スウェーデンの労働指導者は、救済事業としてだけでなく、巨大な緊急投資として公共事業の拡大を主張したのである。・・・

 ここで(ドイツ社会民主党と対比的に)賞賛されているのは、スウェーデン社会民主党であり、そのイデオローグであったミュルダールたちである。原著の文脈はあまりにも明らかであろう。・・・

田野さんからすれば「「良い政策」ではなかったことは、きちんと学べば誰でも分かります」の一言で片づけられてしまうナチスの経済政策は、しかし社会民主党やその支持基盤であった労働運動からすれば、本来自分たちがやるべきであった「あるべき社会民主主義的政策」であったのにみすみすナチスに取られてしまい、結果的に民主的勢力を破滅に導いてしまった痛恨の一手であったのであり、その痛切な反省の上に戦後の様々な経済社会制度が構築されたことを考えれば、目の前のおかしなトンデモ本を叩くために、「逆張り」と決めつけてしまうのは、かえって危険ではないかとすら感じます。

悪逆非道の徒は、そのすべての政策がとんでもない無茶苦茶なものばかりを纏って登場してくるわけではありません。

いやむしろ、その政策の本丸は許しがたいような非道な政治勢力であっても、その国民に向けて掲げる政策は、その限りではまことにまっとうで支持したくなるようなものであることも少なくありません。

悪逆無道の輩はその掲げる政策の全てが悪逆であるはずだ、という全面否定主義で心を武装してしまうと、その政策に少しでもまともなものがあれば、そしてそのことが確からしくなればなるほど、その本質的な悪をすら全面否定しがたくなってしまい、それこそころりと転向してしまったりしかねないのです。田野さんの議論には、そういう危険性があるのではないでしょうか。

まっとうな政策を(も)掲げている政治勢力であっても、その本丸が悪逆無道であれば悪逆無道に変わりはないのです。

 

 

 

 

 

 

 

小島剛一『再構築した日本語文法』

31hj1hulotl_sx350_bo1204203200_ これは全く偶然、たまたま古本屋で目に入って、著者名になんだか古い記憶があったので、ふつうこの題名なら手に取ったりしないのに、わざわざ引っ張り出してみたら案の定、あの名著『トルコのもう一つの顔』(中公新書)の著者だとわかり、え?あの怪人が日本語文法?とおもってぱらぱらめくってみたら、これがもう人をつかんで離さないくらい面白そうで、おもわずそのまま買ってしまい、そのまま一気に読みふけってしまったという一種の怪著です。

https://www.hituzi.co.jp/hituzibooks/ISBN978-4-89476-601-3.htm

学校で「教えられ」た日本語文法には、同時に教えてもらった英語文法(や大学で学んだ第二外国語等の文法)の明晰さに比べて、その訳の分からなさに辟易した思い出を持っている人が多いと思いますが、その鬱屈を一気に爆破するものすごい快感を与えてくれる文法書です。

学校日本語文法がいかに非論理的であるかのみならず、日本語の細かなニュアンスの襞に無頓着であったかがこれでもかこれでもかと叩きつけるように示されて、これは本当に掛け値なしに、目から鱗がぼろぼろと崩れ落ちる轟音が脳内に響き渡ります。

目次は下にコピペしておきますが、中でも特筆すべきは、欧米語の間違った翻訳により「受動態」なるものがあるかの如く「教えられ」ている「れる・られる」の正体が、「情動相」という事実に即したラベルに貼りなおされているところです。

上の文章にも出てきた「教えられ」って、学校日本語文法を「教えられ」た我々はみんな欧米語の受動態に対応する「受身」だと思い込んでいますが、いやいやその用法の現場に密着してよくよく観察すれば、そうではなくて、「話者自身が被害者または受益者であることを表わす構文」なんですね。

教えてもらった英語文法は間違いなく我々は受益者ですが、あの学校日本語文法に関しては間違いなく被害者として「教えられ」たってことが、本書を通読するとしみじみとわかります。

はじめに 品詞分類と構文分類
「主題─述語」構文と「主語─動詞」構文

1. 名詞
1.1. 名詞の定義
1.2. 格標識
1.3. 主題標識
1.4. 形式名詞
1.5. 時を表わす名詞
1.6. 名詞文
1.7. 繋辞の活用
1.8. 明確な表現と「ぼかした」表現
1.9. 名詞文からなる節
1.10. 謂わゆる「代名詞」

2. 数量詞
2.1. 数量詞の定義
2.2. 数量詞句

3. 名詞型形容詞
3.1. 名詞型形容詞の定義
3.2. 名詞型形容詞の分類
3.3. 名詞型形容詞文
3.4. 名詞型形容詞の活用
3.5. 名詞型形容詞文からなる節

4. タル形容詞
4.1. タル形容詞の定義

5. イ形容詞
5.1. イ形容詞の定義
5.2. イ形容詞文
5.3. イ形容詞の活用
5.4. イ形容詞文からなる節

6. 不変化前置形容詞

7. 不変化叙述形容詞

8. 動詞の定義と分類
8.1. 定義
8.2. 活用による分類
8.3. 意味と構文による分類
8.4. 必須補語の数(および格標識の種類と機能)による分類

9. 動詞の「時制」「人称」「受動態」「相」
9.1. 動詞の「時制」「人称」「受動態」
9.2. 動詞の「相」

10. 存在動詞
10.1. 存在動詞の定義
10.2. 存在動詞文
10.3. 存在動詞の活用
10.4. 存在動詞文からなる節

11. 動態動詞
11.1 動態動詞の定義
格標識「を」と「に」の諸機能
11.2. 動態動詞文
11.3. 動態動詞の活用
11.4. 動態動詞の活用形の用法
11.5. 動態動詞文からなる節

12. 認識動詞
12.1. 認識動詞の定義
12.2. 認識動詞文
12.3. 認識動詞の活用
12.4. 認識動詞文からなる節

13. 判断動詞
13.1. 判断動詞の定義
13.2. 判断動詞の構文

14. 病覚動詞
14.1. 病覚動詞の定義
14.2. 病覚動詞の構文

15. 静態動詞
15.1. 静態動詞の定義
15.2. 静態動詞の構文

16. 移態動詞
16.1. 移態動詞の定義

17. 可能動詞
17.1 可能動詞の定義
17.2. 可能動詞の活用

18. 認識動詞の継続相「─ている」
18.1. 認識動詞の継続相の定義

19. 移態動詞の結果相の定義
19.1. 移態動詞の結果相
19.2. 移態動詞の結果相の活用
19.3. 結果相でしか用いない移態動詞

20. 動態動詞の継続相「─ている」

21. 動態動詞の「─ている」で終わる結果相
21.1. 瞬間動詞の結果相
21.2. 持続動詞の結果相

22.  動態動詞の「─てある」で終わる結果相
22.1. 動作主不明の場合
22.2. 動作主が誰であっても重要ではないので言及しない場合
22.3. 動作主が話者自身なので言及しない場合
22.4. 動態動詞の「─てある」で終わる結果相の活用

23. 使役相「─せる・─させる」「─す」
23.1. 使役相の定義
23.2. 使役相の形態
23.3. 使役相の構文
23.4. 使役相の活用

24.  情動相と「擬似受動態」「─れる・─られる」
24.1. 後接辞「─れる・─られる」に関する前置き
24.2. 情動相
24.3. 西ヨーロッパ印欧諸語のなぞりの「擬似受動態」

25. 願望相と他力本願相
25.1. 願望相
25.2. 願望相から派生する動態動詞
25.3. 他力本願相

26. 名詞型複合形容詞
26.1. 複合ナ形容詞
26.2. 複合ノ形容詞
26.3. 複合ナノ形容詞
26.4. 複合ø 形容詞

27. 複合イ形容詞
27.1. イ形容詞で終わるもの
27.2. 活用語尾「─しい」を付加したもの
27.3. イ形容詞型派生接辞で終わるもの
27.4. 接辞化したイ形容詞で終わるもの

28. 複合不変化前置形容詞

29. 複合動詞
29.1. 名詞+動詞
29.2. 名詞+動詞型派生接辞
29.3. 畳語、副詞、感歎詞+「─する」
29.4. 形容詞の中止形+「─する」
29.5. 形容詞の中止形+「─なる」
29.6. 形容詞および動詞 +「─過ぎる」
29.7. 動詞の中止形+動詞
29.8. 動詞の中止形+動詞型後接辞
29.9. 動詞の複合中止形+動詞
29.10. 動詞の複合中止形+接辞化した動詞
29.11. 活用形のように見える接続詞「─たり・─だり」を 含む複合動詞
29.12. 主題標識を含む複合動詞
29.13. 条件節を含む複合動詞
29.14. 動詞の勧誘形+「─と」+「する」
29.15. 前接辞+動詞
29.16. 前接辞「お─・ご─」を含む謙譲語と尊敬語

30. 熟語動詞

31. 指示詞

32. 不定表現

33. 副詞
33.1. 文修飾の副詞(=予告副詞)
33.2. 語修飾の副詞

34. 接続詞
34.1. 名詞と名詞を結ぶ接続詞
34.2. 文と文を結ぶ接続詞
34.3. 節と節を結ぶ接続詞

35. 引用詞
35.1. 文中引用詞
35.2. 文末引用詞
35.3. 引用詞を含む連体節

36. 擬音語、擬態語、擬情語

37. 感歎詞
37.1. 情動を表わす感歎詞
37.2. 応答の感歎詞

 

松永伸太朗・園田薫・中川宗人編著『21世紀の産業・労働社会学』

604696 松永伸太朗・園田薫・中川宗人編著『21世紀の産業・労働社会学 「働く人間」へのアプローチ』(ナカニシヤ出版)を編著者3人の方々からお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.nakanishiya.co.jp/book/b604696.html

現代の労働の多面性を社会学で捉えるために
現代の労働の多面性を分析するために対象・方法論・アプローチが多様化した労働をめぐる昨今の社会学的研究を、「働く人間」に焦点をあてる人間溯及的視点という基礎概念から整理し、産業・労働社会学の独自性を再構築する最新テキスト。 

編著者のうち松永さんについてはその著『アニメーターはどう働いているのか』を紹介したことがありますが、

https://www.rodo.co.jp/column/99888/

編著者も執筆者も若手社会学者で、企業と労働市場、労働者と労働現場の二面からのアプローチに加え、理論と学説の再整理を行っています。

冒頭の序章「「働くこと」の社会学を再考する」の冒頭に、いきなり三菱ケミカルが管理職2900人対象に希望退職募集したという新聞記事がでてきて、そこに「ジョブ型」なる言葉が登場し、それもネタにしながら、

・・・上記のように、たった一つのニュースに対しても、「企業」「労働者」「理論・社会状況」による把握がそれぞれに可能である。・・・

と、労働をめぐる社会学の状況を説明していきます。

正直言って、部外者の眼からすると、学問分野の細かなデマケに関心が集中しすぎている感もなきにしもあらずですが、一つ一つの論文には興味をそそられる指摘がいくつも見られ、議論の発展を期待させるものがありました。特に、西田さんの「失業が作る近代」は、他の労働研究分野である労働法や労働経済ではあまりにも当然の前提にしている「失業」という概念の歴史的な相対性に目を開かせられます。また、テーマはおなじみですが、妹尾さんの「日本的な働き方と対峙する大学生」は面白かったです。

序 章 「働くこと」の社会学を再考する
 産業・労働社会学の21世紀的展開と展望

松永 伸太朗・中川 宗人・園田 薫

1 「働くこと」をめぐる視点の複数性と社会学の立場
2 労働をめぐる社会学の拡散状況
3 「働く人間へのアプローチ」という起源
4 企業と労働市場
5 労働者と労働現場
6 企業・労働市場と労働者をめぐる理論と学説

第1部 企業と労働市場

第1部 イントロダクション
 働く場の境界,構造,変容に迫る

中川 宗人

1 働く場への着目
2 日本的雇用システムの概要
3 日本的雇用システムの研究史
4 働く場へのアプローチの焦点としての組織

第1章 企業データの計量分析からみる新卒採用のジェンダー不平等
 WLB施策と企業の経営状況との関連から

吉田 航

1 問題設定:採用のジェンダー不平等を企業から捉える
2 先行研究と仮説:WLB施策の効果は,企業業績によって変わるのか?
3 方法:企業データの計量分析
4 分析結果:企業業績によって変化するWLB施策の効果
5 解釈:WLB施策をめぐる陥穽
6 結論:雇用の不平等生成メカニズムの解明に向けて

第2章 外国人を採用する日本企業の説明と認識
 社会の論理と企業の論理の交差点

園田 薫

1 日本企業は外国人とどのように向き合ってきたのか
2 企業の行動に潜む人間性を検討する意義
3 本章の扱うデータと対象
4 外国人の採用をめぐる二つの説明と認識
5 企業にとって望ましい外国人とは何か

第3章 経営モデルの企業組織への導入
 1940~60年代における「人間関係論」を対象として

中川 宗人

1 はじめに
2 課題と方法
3 人間関係論の導入過程の検討
4 おわりに

第4章 企業と地域の結節点としての「企業内コミュニティ」
 日立製作所における自衛消防隊の三つの機能

長谷部 弘道

1 企業コミュニティ論の課題
2 地域コミュニティをめぐる研究の課題と本章の目的
3 日立製作所における消防隊の発足とその機能
4 結論と展望

第5章 組織境界の複数性
 組織は多様な活動をどのように可能にしているのか

樋口 あゆみ

1 なぜ組織境界の境界が問題となるのか
2 先行研究と本章の立場
3 安定的境界から動態的境界へ
4 組織の開放性と閉鎖性はいかに記述可能か
5 「組織境界が複数ある」とはどのような意味においてか
6 動態的境界とつき合い続けるマネジメント

第2部 労働者と労働現場

第2部 イントロダクション
 「労働者であること」とはいかなることか?

松永 伸太朗

1 社会秩序を形成する主体としての労働者
2 労働者になること:社会化の問題
3 労働者であることと社会的役割との葛藤
4 労働現場における労働者の多面性

第6章 教育システムと労働市場のリンケージ
 日本の職業教育の強さに関する社会階層研究からのアプローチ

小川 和孝

1 本章の目的と構成
2 社会階層研究における「労働」の捉え方
3 教育システムと労働市場の関連性
4 学校から仕事への移行に関する日本社会の制度的文脈
5 教育システムの国際比較における日本の位置づけ
6 ミクロレベルで教育–職業のリンケージを捉えるアプローチ
7 結 論 

第7章 日本的な働き方と対峙する大学生 
就職活動過程の検討を通じて

妹尾 麻美

1 問われてこなかった就職活動
2 ライフコースと仕事
3 状況の定義という視座
4 大学生の就職活動過程
5 「サラリーマン」になること

第8章 不妊治療と仕事の両立の葛藤をめぐる計量テキスト分析
 職種の違いに着目して

寺澤 さやか

1 不妊治療という盲点
2 職種を問う必要性
3 「不妊治療と仕事の両立」という課題の特異性
4 不妊治療の経験についての計量テキスト分析
5 職種ごとの特徴
6 女性労働研究に不妊治療を位置づける

第9章 新型コロナウィルス感染症の影響下における年休取得行動
 コロナ禍で実施したアンケート調査の計量テキスト分析から

井草 剛

1 日本の年休取得
2 コロナ禍で年休を残す理由
3 年休に関する先行研究
4 調査の概要と主な集計結果
5 アンケートの分析
6 年休取得行動の変化と今後の課題

第10章 日本の外国人労働者問題
 単純労働力としての留学生労働者を中心に

1 少子高齢化と外国人労働者の受け入れ,そして留学生
2 先行研究分析
3 先行研究の問題点と解決策:重層的存在としての留学生
4 現場研究の具体例:サービス職パートタイマー留学生に対する参与観察研究
5 パンデミック以降の外国人受け入れ政策の変化:留学生を中心に
6 結論:今後の変化と留学生労働研究の課題

第11章 労働時間の弾力化と「リズムの専門性」
 フリーランス労働における無収入リスクへの対処を事例として

松永 伸太朗

1 労働時間の弾力化と個人による労働時間管理
2 産業・労働社会学における労働の「時間経験」と「リズムの専門性」
3 アニメーターの仕事の特徴
4 「リズムの専門家」としてのアニメーター
5 労働時間の社会学的記述

第3部 企業・労働市場と労働者をめぐる理論と学説

第3部 イントロダクション
 社会学はいかに「働くこと」を捉えるのか

園田 薫

1 社会学で「働くこと」はどのように捉えられてきたのか
2 日本の社会学は何を明らかにしてきたのか
3 社会構造の変容と「21世紀の産業・労働社会学」の構築に向けて

第12章 日本の産業・労働社会学の学説史的反省
 経済現象を捉える領域社会学との関係性に着目して

園田 薫

1 問題関心と先行研究の整理:多様化する領域社会学の俯瞰と学説史的分析の意義
2 労働現象を扱う領域社会学の現在
3 「産業・労働社会学」はいかに形成されたのか
4 「21世紀の産業・労働社会学」の構築に向けて

第13章 「当事者の論理」を記述するとはいかなることか
 マイケル・ブラウォイの同意生産論のエスノメソドロジー的再考

松永 伸太朗

1 産業・労働社会学における方法論的議論の欠如
2 ブラウォイの同意生産論
3 規則–実践の関係の記述へ
4 「当事者の論理」と労働社会学

第14章 失業が作る近代
 戦中・戦後日本の社会政策思想はなぜ西洋由来の失業概念を用いたのか

西田 尚輝

1 失業概念をめぐる歴史と政治
2 社会的構築物としての失業カテゴリー
3 戦間期と戦後改革期の日本における失業問題と社会政策思想
4 カテゴリーという現実への批判的視座

第15章 「新しい社会運動」論と労働運動論
 労働運動の質的転換と社会運動論的変数の検討

中根 多惠

1 労働社会学と社会運動論の乖離
2 労働社会学の視座から:労働運動の質的転換と河西宏祐の運動論
3 社会運動論の視座から:理論的パラダイムシフトによる労働運動の等閑視
4 労働社会学で「社会運動論的変数」を検討する

終 章 21世紀の産業・労働社会学の構想に向けて
 領域社会学における境界認識の転換とプラットフォーム化

園田 薫・中川 宗人・松永 伸太朗

1 「働くこと」をめぐる視点の複数性と社会学の立場について
2 労働現象の社会学をめぐる拡散状況について
3 人間溯及的視点について
4 論じられていないもの
5 労働研究にたいして 

 

2022年5月28日 (土)

中小企業の雇用システムについて@愛知県経営者協会『日本企業に「ジョブ型」は馴染むのか?』

Image0-11 愛知県経営者協会の研究委員会報告書『日本企業に「ジョブ型」は馴染むのか?』が届きました。この「第5章 有識者からの寄稿」というコーナーに、「中小企業の雇用システムについて、報告書第1章・第2章を読んでの所感」という小文を寄稿しました。

 私が2021年9月に『ジョブ型雇用社会とは何か』(岩波新書)を刊行したとき、その主たる対象読者は、大企業部門の典型的な日本型雇用システムの中にあって、なにやら柔軟で生産性が高いと評判の目新しい「ジョブ型」とやらに興味が惹かれている人々であった。あちこちから「目から鱗」との評をいただけたのは、その狙いが当たったことを示しているのであろう。そう、欧米で実際に動いている本当のジョブ型は古くさくて硬直的であり、それゆえにこそ過度に柔軟化してしまった日本の組織の有り様の歪みを見直す清涼剤たり得るのだが、そこのところの認識が世のジョブ型論者は全くひっくり返っているのである。
 だが、日本の労働社会の大部分は中小零細企業であり、従業員規模によって程度の差はあれ大企業に典型的なメンバーシップ型の特徴はそれほど濃厚ではない。拙著で述べたように、企業規模が小さくなればなるほど、勤続年数は短くなり、賃金カーブは平べったくなり、労働組合は存在しなくなる。実際、企業規模は小さいほど異動できる職務は限られるので、無限定正社員と言ったところで、事実上かなり限定されているのと変わらない。企業体力が弱い分、整理解雇で失業することもそれほど珍しくない。
 とはいえ、だから日本の中小企業はジョブ型に近い、と言ってしまうと完全な間違いになる。むしろ大企業型とはひと味違うある種のメンバーシップ性が濃厚にあるというべきだろう。1つには、戦後高度成長期に上から構築されたモダンなメンバーシップ型とは対照的な、伝統的人間関係そのものの延長線上に存在するある種の家族主義の感覚が残っている。「ジョブ型以前」的な原初的メンバーシップ感覚だ。他方では、大企業で確立したメンバーシップ型のさまざまな規範が、その現実的基盤の希薄な中小零細企業にも「あるべき姿」として染み込んできている。こちらはいわば「ジョブ型以後」的なメンバーシップ思想である。この両者は厳密には齟齬があるはずだが、両者入り交じって「明日は大企業みたいな雇用システムになろう」という「あすなろ」中小企業が大部分になっているように思われる。
 たとえば、新卒採用が困難なので中途採用で人手を確保せざるを得ず、さまざまな年齢層の社員が社内のごく限られた職務に就いているような中小企業では、ジョブローテーションによる仕事の幅の拡大を根拠とする年功制の合理性は薄いはずだが、もっともらしく大企業モデルの職能資格制度を導入して、却って中高年の過度な高賃金という不要な自縄自縛をもたらしているのではないか。とはいえ、「あるべき姿」をひっくり返すのは難しい。「うちの社員は皆家族みたいなものだ」という原初的メンバーシップ感覚がそれを支えてもいるからだ、しかも、世にはびこる「ジョブ型」論が描き出す描像は、いまの大企業よりも中小企業の実像に近いものとしてとしてではなく、(いまの大企業にもっともっと柔軟化せよといわんばかりの)この世のどこにも存在しないくらい異常に高度な代物として描こうとするものだから、ますます頭が混乱するのだろう。
 一方、大企業分野に焦点を当てた(まっとうな)ジョブ型論が足をくじくのは入口のところである。いかに「初めにジョブありき、そこにそのジョブを遂行しうるスキルをもった人をはめ込むのだ」と言ったところで、大企業に就職しようと思うような人材のほとんどが、特定のジョブのスキルを身につけるのではなく、何でもできる可能性のあるiPS細胞の養成所へ集中している以上、人と違う行動をとればペナルティを科せられる。異なる仕組みが成立するとすれば、入口から中の仕組みまで全部別扱いする一国二制式しかないであろう。いま大企業がそういう方式を現実に検討しているのは、世界的に争奪戦になっているIT技術者などくらいであろう。
ところが中小零細企業は、ただでさえ新卒採用が難しいがゆえにこの難題からも相対的に解放されている。かつて就職氷河期に就職できないままフリーターとならざるを得なかった氷河期世代の元若者たちを、この20年あまりの間にじわじわと少しずつ採用して、労働社会のそれなりの主流にはめ込んできたのは、ぴちぴちのiPS細胞ばかりにこだわる大企業ではなく、それができないことに劣等感を持つ中小企業であったことに、逆説的だが誇りを持ってもいいのではなかろうか。
 話を一段マクロなレベルに持っていくと、典型的なメンバーシップ型の日本型雇用システムが戦後高度成長期に主として大企業で形成されたのと同様に、典型的なジョブ型の欧米型雇用システムは20世紀中葉にやはりアメリカの大企業で形成されたものだ。やたらに細かいジョブ・ディスクリプションなども、大企業に多種多様な職務がひしめき合い、その間の区分(デマーケーション)を明確にすることが求められたからやむを得ず作らざるを得なかったのだ。ジョブ型社会といえども、中小零細企業になればそんな硬直的な仕組みをわざわざ作る必要はない。そういう意味では、洋の東西を問わず、中小零細企業は雇用システムなどにあまりこだわる必要はないのかも知れない。
 いま中小企業が考える必要があるとすれば、それはジョブ型伝道師が売り歩くこの世ならぬ「ジョブ型」を導入しようかと思い惑うことなどではなく、自社の寸法に合わない過度なメンバーシップ型の「あるべき姿」を、ちょうどいい具合になるまで脱ぎ捨てることではないかと思われる。それを何と呼ぶかは自由である。

 

ジョブ型雇用の誤解とメンバーシップ型雇用の矛盾@『北陸経済研究』6月号

Geppou
『北陸経済研究』6月号に、私の講演録「ジョブ型雇用の誤解とメンバーシップ型雇用の矛盾」が載っています。これは、去る2月18日に北陸経済研究所の新春講演会で喋ったものです。

https://www.hokukei.or.jp/contents/pdf_exl/kouenkai2206.pdf

Ⅰ 「ジョブ型」は古くさい
1 「ジョブ型」は新商品に非ず
コロナ禍の2年間と重なる形で「ジョブ型」という言葉が流行っています。
新聞、雑誌、ネット上などでいろいろと紹介されていますが、どうも誤解があります。私は、その誤解を払拭するために講演や書物で解説しており、昨年9月には『ジョブ型雇用社会とは何か』を刊行しました。
本の「帯」に「一刀両断!」と書かれていますが、これはまさに今、流行っているジョブ型という言葉の使われ方が間違っているので、そう表現しました。「何が間違っているか?」というと、世の中で流行っている主張の9割以上は、「これまでのメンバーシップ型ではもうダメで、これからはジョブ型にしなければならない」というものです。まるで「ジョブ型が新しいものである」かのように紹介されていますが、それは「ウソ」である、ということをまず言いたいのです。
(1)日本以外はすべて「ジョブ型」
ジョブ型という言葉は、日本以外では通用しません。なぜかというと、日本以外では「ジョブ型“しか”ない」からです。
イギリスで産業革命が始まって以来、企業組織の基本構造はジョブ型であり、それ以外は無い、といっても過言ではありません。海外では「ジョブ型という言葉すら無い」のです。
ネット上では「世界中が今やジョブ型に向かっている」といった論調もありますが、そんな馬鹿なことはありません。最近になってジョブ型が流行り出した、ということではないのです。・・・・・・

2022年5月25日 (水)

そのニッパーダイはどのニッパーダイ?

Uaz8y5opeyo8kq0y5wtk_400x400 藤原正樹さんにいきなり振られたのがニッパーダイなんですが、

https://twitter.com/proofreader2010/status/1529459590664196096

しかし、岩波新書で今野元が登場した時、労働法界隈が何も言わないのは意外だった。ニッパーダイにドイツで師事した花見忠はもう老齢だったが、濱口桂一郎・現研究所長からも言及なかったような。

いや確かに今野元さんのヴェーバー本もドイツナショナリズム本も面白く読んだのですが、基本的には別の畑のお話と思っていたので、いきなり「労働法界隈が何も言わないのは意外」と言われるとびっくりします。何か言うネタがあるんだろうか、と思ったら故花見忠さんがニッパーダイに師事した云々というのを見て、これはもしかしたら労働法学者のハンス・ニッパーダイと、歴史家のトマス・ニッパーダイが混線しているのかもしれません。

http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/4641043108

A.フック,H.C.ニッパーダイ 『労働法講義 第2巻/第1分冊 -- 集団的労働法・総則・労働組合』有斐閣

https://www.hakusuisha.co.jp/book/b555673.html

トーマス・ニッパーダイ 『ドイツ史 1800-1866』白水社

医療界もメンバーシップ型へ??

日経新聞にこんな記事が出てるんですが、

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA2549K0V20C22A5000000/(薬剤師が看護師の仕事も 医療「職務シェア」の改革案)

政府の規制改革推進会議の医療・介護分野の答申案が判明した。医療従事者の仕事は法律などに基づいて定められているが、職種を超えて分担する「タスクシェア」を検討すると明記した。介護施設の人員配置基準を緩和する方針も盛り込んだ。改革案は約70項目に及ぶ。改革には抵抗も予想され実現は不透明な部分もあるが、新型コロナウイルスの感染拡大で問題となった医療の効率化は待ったなしだ。・・・

日本はメンバーシップ型だと言いながら、その一番大きな例外は医療の世界です。なんといっても、すべての職種が入口から出口まできっちりジョブ・デマケされている、いやいや入口のずっと前から、医学部で勉強しないと医師にはなれないし、看護学校で勉強しないと看護師になれないし、薬学部で勉強しないと薬剤師になれない。そして、医師は医師、看護師は看護師、以下同文で、ごく限られた領域を除いてそのタスクは法律で厳格に分割されている。

ジョブ型の話をするときによく使うジョークですが、「君も看護師を10年近くやって慣れてきたからそろそろ医者をやってみるかね。最初はOJTでぼちぼちと」なんて言わないでしょう。でも日本の企業でやっているのはそういうことなんですよ、というと、ははあ、ジョブ型というのは、メンバーシップ型というのはそういうことか、とわかってもらえる。配属された最初はみんな素人なので、OJTで見よう見まねで覚えていくという日本的なやり方はジョブ型の医療の世界では許されないのです。成果主義だなんだというのがいかにインチキで、ジョブのデマケでがちがちなのがジョブ型社会なんですからね。

そういうまことに古めかしく硬直的な、ジョブ型の中のジョブ型というべき医療の世界を、iPS細胞宜しく柔軟性の極致ともいうべき日本的なメンバーシップ型に作り替えようという陰謀(笑)が進められているようです。

何かというとジョブ型を推奨してやまない規制改革推進会議が、医療界をジョブ型からメンバーシップ型にしようというのも相当にシュールですが、一昨年からあれほど口を極めて(いささかおかしな)ジョブ型を宣伝してきた日経新聞が、こういう反ジョブ型の陰謀を歓迎しているっぽいのも、なかなかに興味深い光景と申せましょう。

 

いわゆる『シフト制』留意事項@『労基旬報』2022年5月25日号

『労基旬報』2022年5月25日号に「いわゆる『シフト制』留意事項」を寄稿しました。

 去る1月7日、厚生労働省は「いわゆる『シフト制』により就業する労働者の適切な雇用管理を行うための留意事項」という文書を作成し、関係団体に周知を依頼しました。
 この「シフト制」の問題については、本紙2021年1月25日号に「シフト制アルバイトはゼロ時間契約か?」を寄稿し、日本で近年指摘される諸問題を挙げるとともに、それがヨーロッパ諸国で過去十年近くにわたって「ゼロ時間契約」として問題視されていたものとほぼ同じ問題であることを指摘し、2019年に成立したEUの透明で予見可能な労働条件指令の関係規定を紹介していました。今回の「留意事項」は、この「シフト制」に対して労働行政が初めて一定の考え方を示したものとして重要です。
 この「留意事項」では、「シフト制」を「労働契約の締結時点では労働日や労働時間を確定的に定めず、一定期間(1週間、1か月など。以下同様。)ごとに作成される勤務割や勤務シフトなどにおいて初めて具体的な労働日や労働時間が確定するような形態」と定義し、従前から見られたいわゆる交替勤務(年や月などの一定期間における労働日数や労働時間数が決まっており、その上で、就業規則等に定められた勤務時間のパターンを組み合わせて勤務する形態)は対象外です。そして、シフト制を内容とする労働契約を「シフト制労働契約」、シフト制労働契約に基づき就労する労働者を「シフト制労働者」と呼んでいます。
 「留意事項」は、まずその「労働契約の締結時に明示すべき労働条件」の項において、「労働契約の締結時点において、すでに始業及び終業時刻が確定している日については、その日の始業及び終業時刻を明示しなければなりません」とか、「労働契約の締結時に休日が定まっている場合は、これを明示しなければなりません」と述べていますが、これを裏返して言えば、「労働契約の締結時点において、始業及び終業時刻が確定していない日については、その日の始業及び終業時刻を明示しなくてもよい」、「労働契約の締結時に休日が定まっていない場合は、これを明示しなくてもよい」ということになります。そして、「シフト制」というものを「労働契約の締結時点では労働日や労働時間を確定的に定めず、・・・勤務割や勤務シフトなどにおいて初めて具体的な労働日や労働時間が確定するような形態」と定義している以上、本文の記述はほとんど意味を有さず、それを裏返した記述の方が意味のある文章のはずです。
 ここは文章がいささか入り組んでいるのですが、上記に続く「労働条件通知書等には、単に「シフトによる」と記載するのでは足りず、労働日ごとの始業及び終業時刻を明記するか、原則的な始業及び終業時刻を記載した上で労働契約の締結と同時に定める一定期間分のシフト表等をあわせて労働者に交付するなどの対応が必要です」というのは、あくまでも「労働契約の締結時点において、すでに始業及び終業時刻が確定している」ことを前提にした記述であって、裏返していえば、労働契約の締結時点において、すでに始業及び終業時刻が確定していなければ、「シフトによる」と記載することで足りるということになります。大変誤解を誘導するような記述ですが、筋道を辿ればそういうことになるはずです。
 おそらく、「明示しなくてもよい」と明示するのが嫌だったのでしょうが、現行法の解釈としてはそういうことになるというのが、この「留意事項」の言っていることです。ここは、労基法15条1項と労基則5条1項2号により「始業及び終業の時刻」や「休日」が絶対的明示事項となっていることとの関係で議論になり得るところですが、明示しようにも決まっていないのだから明示できないという理屈が優先し、契約締結時に始業・終業時刻が決まっていないような労働契約は違法だ(つまり「シフト制」はそもそも違法だ)という方向には行かないということです。それ自体は常識的な判断であるといえますが、そうすると、労働条件明示義務の一部が空洞化してしまいます。
 その代わりに「留意事項」が提案するのが、シフト作成・変更の手続と労働日・労働時間などの設定に関する基本的な考え方を労働契約に定めておくことですが、これはいかなる意味でも権利義務に関わるものではないことを明らかにするためか、「考えられます」という大変遠慮した記述になっています。「シフト制労働者の場合であっても、使用者が一方的にシフトを決めることは望ましくな」いとはいえ、決して違法とは言えないからです。「留意事項」がそれ自体としては労基法の解釈通達ではなく、単なる文書という扱いになっているのは、この故だと思われます。その「考えられる事項」は以下の通りです。
a. シフトの作成に関するルール
・シフト表などの作成に当たり、事前に労働者の意見を聴取すること
・確定したシフト表などを労働者に通知する期限や方法
b. シフトの変更に関するルール
・シフトの期間開始前に、確定したシフト表などにおける労働日、労働時間等の変更を使用者又は労働者が申し出る場合の期限や手続
・シフトの期間開始後に、使用者又は労働者の都合で、確定したシフト表などにおける労働日、労働時間等を変更する場合の期限や手続
 これに対し就業規則については少し理屈が違います。労基法89条1号により「始業及び終業の時刻」や「休日」が就業規則の絶対的必要記載事項になっていますが、これは決まっていないから記載しないということはできません。ただし、それは事業場の定めとしての話であって、個々のシフト制労働者については事情が違います。「留意事項」は大変回りくどく誤解を招くような記述ぶりをしていますが、「就業規則上「個別の労働契約による」、「シフトによる」との記載のみにとどめた場合、就業規則の作成義務を果たしたことになりませんが」というところまで読んで、シフト制労働者についても具体的な始業・終業時刻を定めなければいけないのかとつい思って、その次に読み進むと、「基本となる始業及び終業の時刻や休日を定めた上で、「具体的には個別の労働契約で定める」、「具体的にはシフトによる」旨を定めることは差し支えありません」とあるので、結局労働契約の場合と大して変わらないということが分かります。
 以上は、現行法令を一切いじらないという前提の上で議論すれば、こういう結論にならざるを得ないだろうという話です。もし労基則の改正もありうべしという前提で立法論をするのであれば、昨年の拙稿で紹介したEUの透明で予見可能な労働条件指令第4条におけるような規定ぶりが考えられます。
(m) 労働パターンが完全に又は大部分が予見可能でない場合、使用者は労働者に以下を通知するものとする。
 (i) 作業日程が変動的であるという原則、最低保証賃金支払時間数及び最低保証時間を超えてなされた労働の報酬、
 (ii) 労働者が労働を求められる参照時間及び参照日、
 (iii) 労働者が作業割当の開始以前に受け取るべき最低事前告知期間、及びもしあれば第10条第3項にいう取消の最終期限、
 もっとも、この規定についてもいろいろと論点はあり、その点については拙著『新・EUの労働法政策』を参照していただければと思います。
 以上に対し、シフト制であろうがなかろうが適用される規定については、「留意事項」は明確な言い方になります。法定労働時間は現実に労働する時間に対する規制なので、所定労働時間が不確定のシフト制労働者であってもストレートに適用されます。ですから、労基則5条1項2号の「所定労働時間を超える労働の有無」は明示しなくても違法ではないとしても、現実に労働させてその時間が1日8時間、週40時間を超える場合は36協定の締結と割増賃金の支払が必要ということになります。
 今回のコロナ禍で一番問題となった休業については、「留意事項」はまことに通り一遍のことしか記述していません。労基法26条についての一般的な説明が長々と書かれた上で、「シフト制労働者の場合であっても、使用者の責に帰すべき事由により労働者を休業させた場合には、休業手当の支払が必要になります」としているだけです。問題の本質は、「労働契約の締結時点では労働日や労働時間を確定的に定めず、・・・勤務割や勤務シフトなどにおいて初めて具体的な労働日や労働時間が確定するような形態」において、その勤務割作成の段階で具体的な労働日や労働時間が入らないことを捉えて「休業」と言えるかどうか、という点にあるのですが、そこは完全にスルーしています。というより、そこについては一切判断をしないというのが「留意事項」のスタンスと言うべきでしょう。
 近年シフト制をめぐって提起された裁判例は、シルバーハート事件(東京地裁2020年11月25日労働判例1245号27頁)やホームケア事件(横浜地裁2020年3月26日労働判例1236号91頁)などいずれもこの問題が焦点になっているだけに、この点はいささか残念ですが、そもそも告示でもなければ解釈通達でもなく、法規範的性格を持たない文書に過ぎないことからすれば、やむを得ないことかも知れません。

 

育児休業給付の過去・現在・未来@WEB労政時報

WEB労政時報(有料版)に「育児休業給付の過去・現在・未来」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers/article/82990

 新型コロナウイルス感染症が急速に蔓延し始めたさなかの2020年3月に成立し、翌4月に施行された改正雇用保険法により、育児休業給付は失業等給付から独立し、子を養育するために休業した労働者の生活及び雇用の安定を図るための給付と位置付けられました。そしてこのため、育児休業給付の保険料率(1,000分の4)を設定するとともに、経理を明確化し、育児休業給付資金を創設することとされました。その後の約2年間、日本の雇用政策はコロナ禍に振り回されたこともあり、この育児休業給付の問題はあまり注目を集めることはなかったようですが、労働法政策の観点からは興味深い論点がいくつもあります。・・・・

 

 

2022年5月24日 (火)

赤松良子『男女平等への長い列 私の履歴書』

版元ドットコムに、赤松良子『男女平等への長い列 私の履歴書』の刊行予定がアップされたようです。

https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784296114405

いうまでもなく、昨年日経新聞の「私の履歴書」に連載されたもので、日経BPから7月に刊行されるようです。

赤松さんの回想録といえば、もう20年近く前に出された『均等法を作る』(勁草書房)があり、講義でも必ず紹介していますし、またNHKのプロジェクトXでも取り上げられたので、今再放送されているのでそろそろまた見られるかもしれません。

均等法の母と呼ばれて――

2021年末に日経新聞朝刊に元文相・赤松良子氏が連載した「私の履歴書」を大幅加筆のうえ書籍化。女性官僚のさきがけの一人である赤松氏の半生は、戦後日本の女性の地位向上の歴史と軌を一にする。連載時には、特に男性と同等に働きたくても働けなかった世代の女性から、書籍化を望む声が相次いだ。

赤松氏の官僚人生の集大成が1985年の男女雇用機械均等法の成立である。当初“均等法世代”と呼ばれた女性たちには、男性と同等の仕事と責任を任される「総合職」と「一般職」の区別があったが、今では見られない。そしてイクメンが当たり前になった世代にとっては、女性の結婚退職制や男女で異なる定年制があった歴史など知る由もないだろう。戦前の話ではなく、昭和が終わるまでほぼ続いたのである。「育児休業」という言葉も72年の勤労婦人福祉法に初めて企業の努力義務として盛り込まれた。

女性の地位向上といえば、いわゆるフェミニストの人たちがリードしてきたと思われがちだが、法律で社会に制度化されなければ、世の中は動かない。法律の成立には、労使の間で妥協を強いられ国会の力を必要とする。赤松氏が経営者側に妥協しなければ均等法は生まれなかった。しかしこの均等法が整備され、パワハラ・セクハラ禁止などが今ではあたりまえのこととして社会的に制度化されたのである。歴史を動かしたパワフルな自伝!

この宣伝文句をだれが書いたのか知りませんが、「女性の地位向上といえば、いわゆるフェミニストの人たちがリードしてきたと思われがちだが」ってのが、その「いわゆるフェミニスト」に対する今どきの気分を良く表していますね。大事なことはほったらかして、どうでもいいようなことばかりに血道をあげる変な人々というイメージでしょうか。でも、それはネット上で騒がしい一部の人々(いわば「ネトフェミ」)であって、そういう十把一絡げな言い方はあんまり適切ではないでしょう。ある意味では、赤松さんや、拙著『働く女子の運命』に出て来たような方々こそが、言葉の正確な意味で「フェミニスト」と呼ばれてしかるべきなのですから。

 

 

 

 

消費者対応業務関連特定行為対策の推進に関する法律案

UAゼンセンのHPに、「川合、田村両組織内議員が参議院に法案提出! カスハラ対策法案」という記事が載っています。

https://uazensen.jp/2022/05/23/64732/

2022年5月19日、川合孝典・田村まみ両組織内参議院議員が参議院にカスハラ対策法案(消費者対応業者関連特定行為対策の推進に関する法案)を提出しました。法案の主な内容は下記のとおりです。
【カスハラ対策法案】(消費者対応業者関連特定行為対策の推進に関する法案)
 ・働く者の就労環境が害されないこと
 ・事業者がカスハラ対策への取り組みを主体的に行うこと
 ・消費者からの苦情の申出等が不当に妨げられないこと

Uazensen

国会に提出した法案の条文はここにありますね。

https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/gian/208/pdf/t1002080132080.pdf

消費者対応業務関連特定行為対策の推進に関する法律案

目次

 第一章 総則(第一条-第六条)

 第二章 基本方針(第七条)

 第三章 基本的施策(第八条-第十六条)

 第四章 消費者対応業務関連特定行為対策推進協議会(第十七条・第十八条)

 附則

   第一章 総則

 (目的)

第一条 この法律は、消費者が苦情の申出等を行う機会を十分に確保すること等その利益を擁護することが重要である一方で、消費者対応業務関連特定行為が従業者等の業務の遂行に支障を生じさせ、及び従業者等の心身に重大な影響を及ぼすおそれがあるものであること等に鑑み、消費者対応業務関連特定行為対策(消費者対応業務関連特定行為に係る問題に対処するための施策をいう。以下同じ。)に関し、基本理念を定め、国の責務等を明らかにし、及び基本方針の策定について定めるとともに、消費者対応業務関連特定行為対策の基本となる事項を定めることにより、消費者の利益が擁護されるよう配慮しつつ消費者対応業務関連特定行為対策を総合的に推進して、従業者等がその有する能力を有効に発揮するとともに健康で充実した生活を営むことができるようにし、もって国民経済の健全な発展に資することを目的とする。

 (定義)

第二条 この法律において「消費者対応業務」とは、事業者の使用人、役員その他の従業者又は個人事業者(以下「従業者等」という。)が、その事業者による個人に対する物又は役務の提供その他これに準ずる事業活動(専ら従業者等としての個人に対して行うものを除く。)に係る業務の相手方に接し、又は応対する業務をいう。

2 この法律において「消費者対応業務関連特定行為」とは、従業者等に対し、その消費者対応業務に関連して行われる行為のうち、著しく粗野又は乱暴な言動を行うことその他の行為であって当該従業者等に業務上受忍すべき範囲を超えて精神的又は身体的な苦痛を与えるおそれのあるもの(当該従業者等と業務上の関係を有する従業者等がその業務に関して行うものを除く。)をいう。

 (基本理念)

第三条 消費者対応業務関連特定行為対策は、消費者対応業務関連特定行為により従業者等の就業環境が害されないようにすることを旨として推進されなければならない。

2 消費者対応業務関連特定行為対策は、その従業者等に消費者対応業務を行わせる事業者(以下単に「事業者」という。)が消費者対応業務関連特定行為に係るその従業者等の保護のための取組(以下「消費者対応業務関連特定行為に係る取組」という。)を主体的に行うことが重要であるという認識の下に推進されなければならない。

3 消費者対応業務関連特定行為対策を推進するに当たっては、消費者の苦情の申出等を行う機会を十分に確保することが当該消費者の利益を擁護するものであるとともに事業者の事業活動の発展に資することに鑑み、消費者からの苦情の申出等が不当に妨げられることのないよう特に配慮しなければならない。

 (国の責務等)

第四条 国は、前条の基本理念にのっとり、消費者対応業務関連特定行為対策を総合的に策定し、及び実施する責務を有する。

2 地方公共団体は、前条の基本理念にのっとり、消費者対応業務関連特定行為対策に関し、国との連携を図りつつ、その地域の特性に応じた施策を策定し、及び実施する責務を有する。

3 事業者は、国及び地方公共団体が実施する消費者対応業務関連特定行為対策に協力するとともに、消費者対応業務関連特定行為に係る取組を主体的に行う責務を有する。

4 事業者団体(事業者を構成員に含むものに限る。以下同じ。)は、国及び地方公共団体が実施する消費者対応業務関連特定行為対策に協力するよう努めるとともに、その構成員である事業者が行う消費者対応業務関連特定行為に係る取組について、必要な助言、協力その他の援助を行う責務を有する。

5 国民は、消費者対応業務関連特定行為を防止することの重要性に対する関心と理解を深めるよう努めるものとする。

 (消費者対応業務関連特定行為防止啓発月間)

第五条 国民の間に広く消費者対応業務関連特定行為を防止することの重要性に対する関心と理解を深めるため、消費者対応業務関連特定行為防止啓発月間を設ける。

2 消費者対応業務関連特定行為防止啓発月間は、十月とする。

3 国及び地方公共団体は、消費者対応業務関連特定行為防止啓発月間の趣旨にふさわしい事業を実施するよう努めるものとする。

 (法制上の措置等)

第六条 政府は、消費者対応業務関連特定行為対策を実施するため必要な法制上又は財政上の措置その他の措置を講じなければならない。

   第二章 基本方針

第七条 政府は、消費者対応業務関連特定行為対策の総合的な推進に関する基本的な方針(以下「基本方針」という。)を定めなければならない。

2 基本方針は、次に掲げる事項について定めるものとする。

 一 消費者対応業務関連特定行為対策の推進に関する基本的な方向

 二 次章に定める基本的施策の実施に関する基本的な事項

 三 前二号に掲げるもののほか、消費者対応業務関連特定行為対策の推進に関する重要事項

3 厚生労働大臣は、基本方針の案を作成し、閣議の決定を求めなければならない。

4 厚生労働大臣は、基本方針の案を作成しようとするときは、内閣総理大臣その他の関係行政機関の長と協議するとともに、消費者対応業務関連特定行為対策推進協議会の意見を聴くものとする。

5 厚生労働大臣は、第三項の規定による閣議の決定があったときは、遅滞なく、これを公表しなければならない。

6 政府は、定期的に、消費者対応業務関連特定行為に関する実態調査を行い、その結果を公表しなければならない。

7 政府は、前項の規定による実態調査の結果を踏まえつつ、適時に、基本方針に基づく施策の実施の状況について、評価を行わなければならない。

8 政府は、消費者対応業務関連特定行為に関する状況の変化を勘案し、及び前項の評価を踏まえ、少なくとも五年ごとに、基本方針に検討を加え、必要があると認めるときには、これを変更しなければならない。

9 第三項から第五項までの規定は、基本方針の変更について準用する。

   第三章 基本的施策

 (事業者が行う消費者対応業務関連特定行為に係る取組の促進)

第八条 国及び地方公共団体は、事業者が行う消費者対応業務関連特定行為に係る取組を促進するため、次に掲げる施策その他の必要な施策を講ずるものとする。

 一 消費者対応業務関連特定行為の具体的内容、事業者が行う消費者対応業務関連特定行為に係る取組によりとられることとなるべき消費者対応業務関連特定行為への適切な対処方法その他の必要な事項を定めた指針を作成し、公表すること。

 二 事業者及び事業者団体に対し、消費者対応業務関連特定行為に係る取組に関する事例その他のその実施に有用な情報の提供を行うこと。

 三 事業者に対し、消費者対応業務関連特定行為に係る取組の実施のための助成を行うこと。

 四 消費者対応業務関連特定行為があった場合における、事業者による正確な事実の把握、記録の作成及び保存その他の消費者対応業務関連特定行為への事後対応及び将来の消費者対応業務関連特定行為への適切な対処に資する取組を支援すること。

 五 消費者対応業務関連特定行為があった場合において、事業者が消費者対応業務関連特定行為への対処に関する専門的知識を有する者の助言及び指導その他の必要な援助を受けることができる体制の整備を行うこと。

 (相談体制の整備)

第九条 国及び地方公共団体は、消費者対応業務関連特定行為により被害を受けた従業者等(以下「被害従業者等」という。)からの相談に的確に応ずるため、身近な相談体制の整備その他の必要な施策を講ずるものとする。

 (保健医療サービスの提供)

第十条 国及び地方公共団体は、被害従業者等が、消費者対応業務関連特定行為により心身に受けた影響から回復することができるようにするため、当該被害従業者等に対し、その心身の状況に応じた適切な保健医療サービスが提供されるよう必要な施策を講ずるものとする。

 (再就職の促進等)

第十一条 国及び地方公共団体は、消費者対応業務関連特定行為により被害を受けたため離職を余儀なくされた者の就業を促進するため、職業紹介、職業訓練等の体制の整備その他の必要な施策を講ずるものとする。

 (民間団体の活動に対する支援)

第十二条 国及び地方公共団体は、民間の団体が行う消費者対応業務関連特定行為の防止、被害従業者等に対する支援等に関する活動を支援するため、情報の提供、助言、助成その他の必要な施策を講ずるものとする。

 (人材の育成等)

第十三条 国及び地方公共団体は、消費者対応業務関連特定行為に係る取組に関する専門的知識を有する人材その他の消費者対応業務関連特定行為対策の推進に寄与する人材の育成、資質の向上及び確保を図るため、消費者対応業務関連特定行為に係る取組に関する研修の機会の確保及び情報の提供その他の必要な施策を講ずるものとする。

 (調査研究の推進等)

第十四条 国及び地方公共団体は、消費者対応業務関連特定行為があった場合における適切な対処方法に関する研究その他の消費者対応業務関連特定行為対策に関する調査及び研究の推進並びにその成果の普及のために必要な施策を講ずるものとする。

 (啓発及び教育)

第十五条 国及び地方公共団体は、消費者対応業務関連特定行為を防止することの重要性に対する国民の関心と理解を深めるため、前条の調査及び研究の成果を踏まえた啓発活動及び教育活動の実施その他の必要な施策を講ずるものとする。

 (連携協力体制の整備)

第十六条 国及び地方公共団体は、消費者対応業務関連特定行為対策が効果的に実施されるよう、関係省庁相互間その他関係機関、労働者団体、事業者団体その他の民間の団体等の間における連携協力体制の整備を図るために必要な施策を講ずるものとする。

   第四章 消費者対応業務関連特定行為対策推進協議会

第十七条 厚生労働省に、消費者対応業務関連特定行為対策推進協議会(以下「協議会」という。)を置く。

2 協議会は、次に掲げる事務をつかさどる。

 一 基本方針に関し、第七条第四項(同条第九項において準用する場合を含む。)に規定する事項を処理すること。

 二 前号に掲げるもののほか、厚生労働大臣の諮問に応じ、消費者対応業務関連特定行為対策に関する重要事項を調査審議すること。

 三 第七条第六項の規定による実態調査の実施の状況について評価を行い、必要があると認めるときは、厚生労働大臣又は関係行政機関の長に意見を述べること。

3 協議会は、前項第三号に掲げる事務を遂行するため必要があると認めるときは、関係行政機関の長に対し、資料の提出、意見の表明、説明その他必要な協力を求めることができる。

第十八条 協議会は、委員二十人以内で組織する。

2 協議会の委員は、従業者等を代表する者、事業者を代表する者及び消費者対応業務関連特定行為対策に関する専門的知識を有する者のうちから、厚生労働大臣が任命する。

3 協議会の委員は、非常勤とする。

4 前三項に定めるもののほか、協議会の組織及び運営に関し必要な事項は、政令で定める。

   附 則

 (施行期日)

第一条 この法律は、公布の日から起算して三月を超えない範囲内において政令で定める日から施行する。

 (検討)

第二条 政府は、この法律の施行後二年を目途として、この法律の施行の状況等を勘案し、消費者対応業務関連特定行為に対する規制の在り方について検討を加え、必要があると認めるときは、その結果に基づいて所要の措置を講ずるものとする。

2 前項の検討を行うに当たっては、厚生労働大臣は、協議会の意見を聴くものとする。

 (厚生労働省設置法の一部改正)

第三条 厚生労働省設置法(平成十一年法律第九十七号)の一部を次のように改正する。

  第四条第一項第五十号の次に次の一号を加える。

  五十の二 消費者対応業務関連特定行為対策の推進に関する法律(令和元年法律第▼▼▼号)第七条第一項に規定する基本方針の策定及び推進に関すること。

  第六条第二項中「過労死等防止対策推進協議会」を

過労死等防止対策推進協議会

 

 

消費者対応業務関連特定行為対策推進協議会

 に改める。

  第十三条の二の二を第十三条の二の三とし、第十三条の二の次に次の一条を加える。

  (消費者対応業務関連特定行為対策推進協議会)

 第十三条の二の二 消費者対応業務関連特定行為対策推進協議会については、消費者対応業務関連特定行為対策の推進に関する法律(これに基づく命令を含む。)の定めるところによる。

  附則第四項中「平成三十五年五月十六日」を「令和五年五月十六日」に改める。

 (成育過程にある者及びその保護者並びに妊産婦に対し必要な成育医療等を切れ目なく提供するための施策の総合的な推進に関する法律の一部改正)

第四条 成育過程にある者及びその保護者並びに妊産婦に対し必要な成育医療等を切れ目なく提供するための施策の総合的な推進に関する法律(平成三十年法律第百四号)の一部を次のように改正する。

  附則第三項のうち厚生労働省設置法第六条第二項の改正規定中「過労死等防止対策推進協議会」を「消費者対応業務関連特定行為対策推進協議会」に改める。

  附則第三項のうち厚生労働省設置法第十三条の二の二を第十三条の二の三とし、第十三条の二の次に一条を加える改正規定中「第十三条の二の二」を「第十三条の二の三」に、「第十三条の二の三」を「第十三条の二の四」に、「第十三条の二の次」を「第十三条の二の二の次」に改める。

     理 由

 消費者が苦情の申出等を行う機会を十分に確保すること等その利益を擁護することが重要である一方で、消費者対応業務関連特定行為が従業者等の業務の遂行に支障を生じさせ、及び従業者等の心身に重大な影響を及ぼすおそれがあるものであること等に鑑み、消費者対応業務関連特定行為対策に関し、基本理念を定め、国の責務等を明らかにし、及び基本方針の策定について定めるとともに、消費者対応業務関連特定行為対策の基本となる事項を定めることにより、消費者の利益が擁護されるよう配慮しつつ消費者対応業務関連特定行為対策を総合的に推進して、従業者等がその有する能力を有効に発揮するとともに健康で充実した生活を営むことができるようにする必要がある。これが、この法律案を提出する理由である。

 

 

2022年5月23日 (月)

稲葉振一郎『AI時代の資本主義の哲学』

9784065281574_obi_w 稲葉振一郎さんより『AI時代の資本主義の哲学』(講談社選書メチエ)をお送りいただきました。

https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000366542

対・社会主義/対・国家/対・前近代社会――
対比するものや時代によって「資本主義」の意味は変わる。
市場経済・企業組織の変容、中国の台頭。
いま「資本主義」は、どんな現実をうつすのか?
「市場」と「所有」のバランスにその本質を見出し、
歴史と概念から付き合い方を考える、AI時代の「資本主義の哲学」。

以前、『AI時代の労働の哲学』を本ブログで取り上げたことがありますが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2019/10/post-7d5745.html(ジョブとメンバーシップと奴隷制再掲(稲葉振一郎『AI時代の労働の哲学』に触発されて))

労働の哲学があるんなら資本の哲学もあっていいでしょう。ただ、前著もそうですが、「AI時代の」という看板にあまり惑わされない方がいいです。むしろ、ローマ法にまで沈潜して物事の本質を考え詰めようという、本当に哲学っぽい本ですので、はやりの議論に何か役立てようという用向きにはいささか不適当かもしれません。

はじめに
1 資本主義・対・社会主義
2 資本主義とは何か
3 仕組み
4 核心
5 AI時代の資本主義
おわりに
補論 資本主義と国家

1と2は「資本主義」周りの概念の歴史を丁寧に解説する風情で、たぶん今の若い人にはここらあたりから説明した方がいんでしょうな。

3以降が稲葉さんの本論ですが、ものすごく乱暴に要約すると、生産手段は全部借り物でも構わない、というかむしろその方が純粋型だと言わんばかりの新古典派的な資本主義観や、それと全然違うところに目をつけているようでいて実は相補的にはまっているウェーバー流の官僚組織論からやおら身を離し、むしろ市場と所有の対立関係に重点を置くことで、所有に関心を集中していた古典派やマルクスの視座にある面では近いともいえるところに持っていく話の流れが、人によっては妙にくどいわりに話が飛んでいるようにも感じられるかもしれませんが、辛抱強く論理を追っていくとなるほどなという感じもしてきます。

ただ、資本については自己資本が大事だというのはそう思うのですが、労働における自己労働とは何かというのはなかなか難しいところで、それこそ前著に対する上記エントリのテーマでもありますが、奴隷って(主人の)自己労働なのか?という難問にはわりとさらりと触れているだけのように感じられました。もちろん、ローマ法のファミリアとは家族と奴隷全部含めたものだし、ヤツコ(奴)とは「家つ子」であり、中世の言い方では「家の子」なのですから、法制史的には奴隷とは家族と同様主人の自己労働であることに違いはないのですが、それが最も物象化された売買可能な労働力そのもの(ある意味では他人労働の極致)でもあるという、そのあたりをどう考えるかですね。これがまさに日本型雇用システムにおける正社員をめぐるイケノブ対ヨニウムというどうしようもないことではよく似た両名の議論にもつながってくるわけです。

 

 

 

 

ひょうご労働図書館講演予定

Anime011 まだ先ですが、7月25日にひょうご労働図書館で講演を予定しております。

https://hyogo-roudou.jp/images/2022/05/2ca0bc2a1e1595beedfb515631722985-1.pdf

令和4年度 第1回「 ジョブ型雇用社会とは 」~ジョブ型雇用の誤解とメンバーシップ型雇用の矛盾~

  • 開催日時:
    令和 4 年 7月 25日(月) 14 : 00 ~ 16 : 00
  • 参加者:
    テーマに関心のある方なら、どなたでも参加できます。
  • 定員:
    (会場参加)40名(先着順)  (オンライン参加)60名
  • 場所:
    (会場)兵庫県中央労働センター2階 視聴覚室 + オンライン講演会(zoom)

 

 

<ワタシの「働く」-男女雇用均等法から見る>@中日新聞

本日はもう一つ、中日新聞にも顔を出しています。

https://www.chunichi.co.jp/amp/article/475427

1986年施行の男女雇用機会均等法を起点に、働き方はどう変わってきたのかを見た連載「ワタシの『働く』」(18~20日付)。番外編ではこれまでへの評価や現状、展望について専門家2人に聞いた。(海老名徳馬)

 日本の会社は正社員を会社のメンバーと捉え、職務や時間、勤務場所を限定せずにさまざまな仕事をやらせる「メンバーシップ型」の雇用だ。まず職務があり、その技能(スキル)を持つ人を採用する欧米の「ジョブ型」とは異なる。
 均等法以前、メンバーシップ型の対象は男性の正社員に限られていた。女性がそこに加わったのは、戦後日本の大きな変化。ただ、残業も休日出勤もいとわないなど、男性に求められていた無限定的な働き方自体は、基本的に変わっていない。専業主婦やパート主婦が家を守っていてくれるからできた働き方を、男女全ての正社員に適用することには矛盾がある。
 最初の均等法では、採用などの差別禁止は努力義務。本当の意味で女性が男性と同じように採用されるようになったのは、努力義務を「義務」とする改正法が施行された一九九九年以降で、まだ二十年ちょっとだ。つまりいわゆる「フルの男女均等世代」は、これから管理職になりつつある世代だろうと考える。・・・・・

510fduhbcl_20220523175501 中身は、『働く女子の運命』で語ったことと何も変わっていません。

実は緩い? 正社員の解雇法制 新卒一括で「自縄自縛」@日経新聞

本日の日経新聞に、礒哲司記者による「実は緩い? 正社員の解雇法制 新卒一括で「自縄自縛」」という記事が載っていますが、日経新聞にもかかわらず(失礼)極めて見通しのよくバランスの取れたいい記事になっています。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC012UJ0R00C22A5000000/

日本は解雇法制が世界一厳しく、経営の構造改革を進めにくい――。日本経済の停滞を嘆くこの通説が覆りつつある。経済協力開発機構(OECD)の2019年調査によると、日本は37カ国の平均よりも正社員を解雇しやすい国だ。労働経済学者の研究では不当解雇の解決金も国際的にみて高くない。解雇をめぐる議論は、なぜ混線してしまったのか。・・・・

ちなみに、途中でわたくしもちらりと登場しています。

・・・戦後の大企業では、どんな職務に就くのか、どこで働くのかといった社員の働き方の根幹まで会社が一方的に決めてきた。中途採用の転職市場は十分でなく、社員の多くは意に沿わない配属や移動、転勤があっても定年まで勤め上げた。労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎・研究所長は会社が「強大な権限を持った」と指摘する。

解雇は社員の生活を脅かすとみなされ、「裁判所は配置転換や再教育を重視し、解雇を認めない判断を重ねた」(濱口氏)。解雇権乱用法理はメンバーシップ型の大企業にとって「自縄自縛の面がある」(同)といえる。

「解雇権乱用法理」は、打ち間違いではなく、いくら「濫用」だと言っても新聞の用字法はこうです、といって治らないのです。

なお、続く記事ではJILPTの山本陽大研究員もドイツの解雇金銭解決制度についての解説で顔を出しています。

Https___imgixproxyn8sjp_dsxzqo1905187009

 

2022年5月22日 (日)

『新・EUの労働法政策』は絶対にAmazonでは買わないように!

Eulabourlaw2022_20220522100901 またぞろ、Amazonを覗いてみたら、『新・EUの労働法政策』にとんでもない値段がついていました。

https://www.amazon.co.jp/%E6%96%B0%E3%83%BBEU%E3%81%AE%E5%8A%B4%E5%83%8D%E6%B3%95%E6%94%BF%E7%AD%96-%E6%BF%B1%E5%8F%A3%E6%A1%82%E4%B8%80%E9%83%8E/dp/4538411671/ref=sr_1_1

単行本
¥7,743 より
¥7,743 より 1 中古品
¥7,743 より 1 新品

いうまでもなく、この目次を含めれば900ページを超えるやたら分厚い本は、しかしながら本体3,800円+税=税込み定価4,180円なんですから、こんな中間搾取は信じられませんね。

新品未読品です。通常、1週間以内にお届けします。希少本としての扱いの場合は、定価より高額に設定している場合がありますので御注意下さい。万一在庫切れの場合には、速やかにキャンセルさせて頂きますので予め御了承ください。
出荷元プルート書店 

などと言っていますが、です。希少品でも何でもありません。他のインターネット書店では(e-honでも、Honyaでも、 楽天でも、セブンネットでも)みんな当たり前に定価販売していますし、JILPTには在庫が積まれています。足りなくなれば増刷します(したい)。

どういう仕掛けでこういう得体のしれない事態になっているのかよくわかりませんが、なんにせよこの本は、絶対にAmazonでは買わないようにしてください。

 

 

 

 

2022年5月20日 (金)

男女の賃金差の開示義務化

日経新聞によると、

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA194T90Z10C22A5000000/

政府は企業に対し、男女の賃金差の公表を義務付ける方針を固めた。上場・非上場を問わず、301人以上を常時雇用する企業を対象とする。6月に決める「新しい資本主義」の実現に向けた計画に盛り込み、早ければ年内の施行をめざす。男女の賃金格差は女性登用の遅れなどを映す。男女の対等な評価を通じて人材の多様性を高め、企業の成長につなげる。

女性活躍推進法に関する省令を改正する方向だ。・・・・

ほう、新しい資本主義実現会議の方で、非財務情報の可視化とかいうのを議論しているのはちらちら聞こえていましたが、

https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/atarashii_sihonsyugi/kaigi/dai5/gijisidai.html

かつそこに出席している芳野連合会長が、男女賃金格差も開示すべきだと主張していたことも小耳に挟んでいましたが、

https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/atarashii_sihonsyugi/kaigi/dai5/shiryou11.pdf

https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/atarashii_sihonsyugi/kaigi/dai5/gijiyousi.pdf

最後に、非財務情報の開示について。投資家が企業の持続可能性をESGの指標に基づいて判断することは非常に重要であり、我が国も早期に取り組むべき。その際、特に重要なことは、人的資本と人権に関するSの情報。人的資本については、賃金水準や労使関係、労働安全衛生、多様性などに関する情報に加え、男女間賃金格差や女性管理職比率などを開示すべき。また、非正規雇用を含めた全ての労働者を開示対象にすることも重要。人権については、国連の「ビジネスと人権に関する指導原則」に基づいた企業行動が取られているかなどがポイントである。

さっそくそれに反応してきたようです。まあ、情報開示義務には金もかかりませんし。

なお、記事ではその後、

・・・欧州連合(EU)  は21年に従業員250人以上の企業に対し、男女の賃金格差などを毎年公表するよう義務づける指令案を公表した。・・・

と書かれていますが、これについては以前、『労基旬報』2021年4月25日号に「EUの賃金透明性指令案」を寄稿していますので、ご参考までに、

 去る3月4日、欧州委員会は「賃金透明性と施行機構を通じた男女同一価値労働原則の適用強化に関する指令案」(COM(2021)93)を提案しました。これはもちろん男女均等法制の一環ではありますが、企業に対して賃金透明性を要求するという点で賃金法制としても興味深いものがあり、もっぱら非正規労働との関係で同一労働同一賃金が論じられている日本に対しても何らかの示唆があるかもしれないという観点から、紹介しておきたいと思います。
 まず現行法の枠組ですが、EU運営条約第157条に男女同一労働/同一価値労働同一賃金原則が規定されており、これを受けて雇用及び職業における男女の機会均等及び均等待遇の原則の実施に関する指令(2006/54/EC)第4条に同一労働/同一価値労働に対する差別の禁止が規定されています。同指令の第4条第2項は「特に、賃金決定に職務評価制度が用いられている場合、男女同一の基準に基づき、性別に基づくあらゆる差別を排除するものでなければならない」と定めており、これが出発点になります。
 2014年3月には「透明性を通じた男女同一賃金原則の強化に関する欧州委員会勧告」(2014/124/EU)が発出され、次のような賃金透明性政策をとるよう促しています。すなわち、同一労働又は同一価値労働を行う被用者範疇ごとに男女別の賃金水準の情報を入手する権利、50人以上企業が定期的にこれら情報を提供する義務、250人以上企業が賃金監査(各被用者範疇の男女別割合と職務評価・分類システムの分析)を受ける義務などです。この勧告で「同一価値労働」とは、教育、職業、訓練の資格、技能、努力、責務、労務、課業の性質などの客観的な基準に基づいて評価、比較されるべきものとしています。また、ジェンダーバイアスのある賃金体系を見直し、性中立的な職務評価・分類システムを導入すべきとしています。
 こうした中で、2019年に欧州委員会の委員長に就任したフォン・デア・ライエン氏はその「政治指針」の中で、最低賃金法制やプラットフォーム労働者の労働条件と並んで、「就任100日以内に拘束力ある賃金透明性措置の導入」を約束しました。100日どころか1年以上過ぎていますが、ようやく今回指令案の提出に至ったわけです。ところで、労働社会政策についてはEUレベル労使団体への2段階協議が義務づけられているはずだが、と思った人もいるかも知れません。男女平等の立法根拠は労使協議付きの第153条だけでなく、労使協議の付いていない第157条にもあり、近年はもっぱらこちらが使われています。賃金問題である以上、労使への協議も必要なのではないかと感じるところですが、女性担当部局は労使をあまり信用していないのかもしれません。代わりに、2019年1月から4月まで一般協議が行われています。ただ、欧州労連は同年10月に賃金透明性指令に関する決議を採択しています。
 今回の指令案は、まず第4条(同一労働及び同一価値労働)で、労働の価値を評価比較するために使用者が性中立的な職務評価・分類システムを含むツールや方法論を確立するよう求めています。これらは労働者が比較可能な状況にいるかを、教育、職業、訓練の資格、技能、努力及び責務、遂行される労務並びに関わる課業の性質を含む客観的な基準に基づいて判断するもので、直接間接に性別に基づく基準を含んではなりません。男女が同一価値労働かどうかの判断は同一使用者の下で同時に働いている場合に限らず、単一の源泉に基づく場合に拡大され、また現実に比較対象者がいなくても仮想的比較対象者との比較で足ります。職務評価・分類システムは性別に基づくいかなる差別も排除して作られなければなりません。
 第5条から第11条までが本指令案本体の賃金透明性に係る規定です。まず第5条(採用前の賃金透明性)は、応募者が当該ポストに帰せられる初任給又はその範囲についての情報を得る権利を規定し、これが欠員公告等により面接以前に応募者に提供されるべきとしています。興味深いのは同条第2項が、使用者が口頭でも書面でも前職での賃金を聞いてはならないと規定している点です。それによってわざと低くすることを防ごうというわけです。
 第6条は、賃金水準とキャリア展開の決定に用いる基準を使用者が労働者に容易にアクセスできるようにせよと規定しています。
 第7条(情報入手権)では、労働者が同一労働又は同一価値労働をする労働者範疇について男女別の賃金水準について情報を入手する権利を規定し、それは1年に1回又は労働者の要求に応じて提供すべきとしています。さらに労働者は同一賃金原則実施のために自らの賃金を公表することを妨げられないとしつつ、使用者は賃金情報を入手した労働者が他の目的に使わないよう求めることができるとしています。賃金情報も個人情報なので、その調整を図っているわけです。
 第8条(男女賃金格差の報告)では、250人以上企業に対して、
・全男女労働者間の賃金格差
・全男女労働者間の補足的又は変動的部分における賃金格差
・全男女労働者の賃金の中央値の格差
・全男女労働者の補足的又は変動的部分における賃金の中央値の格差
・補足的又は変動的部分を受け取っている男女労働者の比率
・賃金四分位ごとにおける男女労働者の比率
・通常の基本給及び補足的又は変動的部分ごとに労働者範疇についての男女労働者間の賃金格差
を毎年(できれば過去4年分も)ウェブサイト上等のユーザーフレンドリーな形で公表することを義務づけるとともに、労働者とその代表、労働監督官、均等機関が追加的なデータを求めたら提供し、賃金格差が客観的かつ性中立的な要素で正当化できない場合には修正するよう求めています。
 第9条(共同賃金評価)は、250人以上企業に対して、労働者代表と協力して、共同賃金評価を行うよう求めています。これは、いずれかの労働者範疇において男女労働者の平均賃金水準の格差が5%以上であり、それを客観的かつ性中立的要素によって正当化できない場合に行われます。具体的な共同賃金評価の内容は、
・各労働者範疇における男女労働者の比率の分析
・各労働者範疇ごとの男女労働者の賃金水準及び補足的又は変動的部分の平均値に関する詳細な情報
・各労働者範疇における男女労働者間の賃金水準格差の確認
・賃金水準におけるかかる格差の理由と(もしあれば)客観的かつ性中立的な正当事由
・客観的かつ性中立的要素によって正当化できない場合は、かかる格差を是正する措置
などです。
 2014年勧告では企業外部による賃金監査が求められていましたが、企業内部の共同賃金評価に変わっています。
 ヨーロッパの労働社会は基本的にジョブ型ですから、ここで言われていることは詰まるところ、男女が異なるジョブに就いていて、そのジョブの賃金水準が異なる場合に、その違いに客観的で性中立的な正当事由が必要だということです。これは、とりわけ伝統的に産業別労働協約によって各職種の賃金決定をしてきたヨーロッパ諸国にとっては、かなりの文化衝撃になる可能性があります。今後この指令案が採択され、実施されていくと、実際の賃金決定のメカニズムがどうなっていくのか、興味深いところです。

 

 

 

 

 

 

2022年5月18日 (水)

広田照幸『学校はなぜ退屈でなぜ大切なのか』

31l1dosu8wl_sy291_bo1204203200_ql40_ml2_ 広田照幸さんより『学校はなぜ退屈でなぜ大切なのか』(ちくまプリマ-新書)をお送りいただきました。

https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480684288/

「道徳は教えられるか」「学校の勉強は仕事に役立つか」「教育は格差を解消できるか」「AI社会で教育は変わるか」――広い視点と多様な角度からとらえなおす。

プリマ-新書で、子ども向けということもあり、ほんとに丁寧に語りかけるように書かれています。

私の観点から興味深かったのは、第3章の「知識と経験」で、

学校の勉強よりも世の中での経験?

学校知不要論のそれなりの根拠

学校知=世界の縮図

学校知はより広い世界への通路

学校の勉強がつまらない理由

といった見出しを見たら読みたくなるでしょう

 

欧州議会のプラットフォーム労働指令案への修正案

昨年12月に欧州委員会がプラットフォーム労働指令案を提案したことは御承知の通りですが、それに対する欧州議会の雇用社会問題委員会の修正案がアップされていました。

https://www.europarl.europa.eu/meetdocs/2014_2019/plmrep/COMMITTEES/EMPL/PR/2022/05-19/1253717EN.pdf

100ページを超える膨大な修正案ですが、見ていくと、雇用関係の法的推定(第4条)の5つの要件のうち2つ充たせば推定するよという部分がざっくりと削除されていて、どういうことかと考えたら、結局プラットフォームを通じて働いていたらまずは全て雇用関係だと推定し、その上で反証したかったら反証してごらん、という仕組みなんですね。

これはさすがに、現実に存在するプラットフォームの多様性を考えればあまりにも乱暴な気がします。

 

まずは被用者性等をどう捉えるかの検討を行うべき@全世代型社会保障構築会議

昨日、わたくしが政府税調に出たすぐ後に、全世代型社会保障構築会議が開かれ、議論の中間整理というのがまとめられたようです。

https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/zensedai_hosyo/dai5/siryou1.pdf

1.全世代型社会保障の構築に向けて
2.男女が希望どおり働ける社会づくり・子育て支援
3.勤労者皆保険の実現・女性就労の制約となっている制度の見直し
4.家庭における介護の負担軽減
5.「地域共生社会」づくり
6.医療・介護・福祉サービス 

このうち、「3.勤労者皆保険の実現・女性就労の制約となっている制度の見直し」の中に、昨日の政府税調でも取り上げられていたフリーランスの問題がでてきます。

○ 働き方の多様化が進む中で、それに対応し、働き方に対して「中立」な社会保障制度の構築を進める必要がある。現状、制度からこぼれ落ちるケースが生じたり、労働市場に歪みをもたらしたりしていることが指摘されている。
○ 勤労者皆保険の実現に向けて、こうした状況を解消していく必要がある。このため、まずは、企業規模要件の段階的引下げなどを内容とする令和2年年金制度改正法に基づき、被用者保険(厚生年金・健康保険)の適用拡大を着実に実施する。さらに、企業規模要件の撤廃も含めた見直しや非適用業種の見直し等を検討すべきである。
 フリーランス・ギグワーカーなどへの社会保険の適用については、まずは被用者性等をどう捉えるかの検討を行うべき。その上で、労働環境の変化等を念頭に置きながら、より幅広い社会保険の適用の在り方について総合的な検討を進めていくことが考えられる。 

この「フリーランス・ギグワーカーなどへの社会保険の適用については、まずは被用者性等をどう捉えるかの検討を行うべき」という一節は、どこがどのように検討することを想定しているのでしょうか。

社会保険の話だから「労働者性」ではなく「被用者性」と言っているのでしょうが、だから医療保険や年金だけの話だというわけには行かないでしょう。労働法上の労働者性の判断基準の再検討とも当然深く関連する問題なので、この「総合的な検討」は然るべき体制を組む必要がありそうです。

また、昨日の政府税調で、平田さんのお話を聞きながら考えていたのは、税法上の労働者性というか、事業所得と給与所得の考え方が、労働社会政策とは全く別世界で形成されてしまっていることの問題でした。一昨年コロナ禍の中で持続化給付金をめぐってドタバタがあった背景にもそれがあったことは、『フリーランスの労働法政策』でも指摘したところです。

 

 

 

2022年5月17日 (火)

フリーランスについて

本日、政府税制調査会というところに呼ばれて、いつものジョブ型の話をしてまいりました。

http://wwwc.cao.go.jp/lib_009/zeicho220517.html

https://www.cao.go.jp/zei-cho/gijiroku/zeicho/2022/4zen10kai.html

呼ばれたのは大内伸哉さん、平田麻莉さん、わたくしの3人で、大内さんと平田さんはフリーランスの話、私だけはジョブ型の話でした。

1369_o_20220517205501 私の方はともかく、フリーランスの話は今後大変重要になる問題です。今月末に出る『ジュリスト』6月号も、「プラットフォームワークと法」を特集するそうで、世の中の関心が高まっていることを感じます。

http://www.yuhikaku.co.jp/jurist/next

 特集にあたって/荒木尚志
プラットフォームワーカーに対する 法的保護/荒木尚志
プラットフォームワーカーへの社会保障/笠木映里
プラットフォームワーカーと国際的労働関係――国際民事手続法上の諸論点/井川志郎
プラットフォームワーカー,ギグワーカーと課税/渡辺徹也
民法・特に契約法の観点からみたプラットフォームワーク/鹿野菜穂子

Booklet03220315_20220517205701 わたくしも去る3月に『フリーランスの労働法政策』というブックレットを出していますので、ご参考までに。

https://www.jil.go.jp/publication/ippan/booklet/03.html

 

 

2022年5月16日 (月)

スウェーデンの学校はミルトン・フリードマンの夢精

Shutterstock_729043327750x392 スウェーデンというと、どうしても社会民主主義モデルの右代表みたいな感覚が強いのですが、学校教育に関してはミルトン・フリードマン直伝の民営化+教育バウチャー制度というシン・自由主義の傾向が強いらしく、それを激しく批判するエッセイが、ソーシャル・ヨーロッパに載っています。

https://socialeurope.eu/swedens-schools-milton-friedmans-wet-dream

Lisapelling1115x115 著者はリサ・ペリングという方ですが、タイトルがすごくて、「Sweden’s schools: Milton Friedman’s wet dream」(スウェーデンの学校:ミルトン・フリードマンの夢精)というほとんど罵倒に近い表現。

・・・This creates a vicious circle. While private for-profit schools operate classrooms with 32 pupils (with the funding from 32 vouchers), municipalities have to run schools where classrooms have one, two or maybe five pupils fewer. Less money per teacher and per classroom mathematically increases the average cost per pupil.

・・・これは悪循環を作り出す。私立の営利学校は(32人分のバウチャーでもってまかなわれる)32人の生徒の学級を運営するが、市町村は一人、二人、せいぜい5人の生徒の学校を運営しなくてはならない。教員あたり、そして学級あたりのお金が少なければ、数学的に生徒あたりの平均コストは増大する。

If the cost per pupil for the municipality rises in its schools, the private schools are legally entitled to matching support—even if their costs have not risen. Public schools lose pupils, and so funding, to for-profit schools, while their consequently rising cost per pupil delivers a further funding boon to the private schools—which, with the help of this additional support, become even more attractive. All the while public schools are drained of much-needed resources and so the downward spiral continues.

市町村にとって学校で生徒あたりのコストが増大すれば、私立学校はコストが増大しなくても合法的に支援を受ける権利を得られる。公立学校は生徒を失い、予算は営利学校に向かい、結果としての生徒あたりのコスト増大は私立学校へのさらなる利益を生み出し、この追加的支援の助けで、さらに魅力的となる。公立学校がとても必要とする資源を吐き出せられている間、下方へのスパイラルが続くのだ。

Inevitably, it is mostly privileged kids who are able to exercise their right to attend private schools, so socially-disadvantaged pupils are left in the public schools. This not only favours inequality of performance between schools but also lowers the overall average—high-performing Finland, by contrast, has very low performance gaps between its schools.

不可避的に、私立学校に通う権利を行使できるのはもっとも恵まれた子供であり、社会的に恵まれない生徒は公立学校に取り残される。これは学校間のパフォーマンスの格差を拡大するだけではなく、全体的な平均をも引き下げるのだ。これに比べて、パフォーマンスのいいフィンランドは、学校間のパフォーマンス格差はとても少ない。

というわけで、今まさに中立国を捨ててNATOに加盟しようとしている北欧の二国、スウェーデンとフィンランドが、何となくいろんな分野でよく似た社会であるかのように考えてきましたが、教育という分野に関してはかなり対照的であるのが実情のようです。

それにしても、スウェーデンの学校が「ミルトン・フリードマンの夢精」と言われるほどにシン・自由主義的になっていたとは全然知りませんでした。

 

 

 

 

ジョブ型雇用は大学教育を変えるか@『文部科学 教育通信 』No.527(再掲)

Cover_20220314215401_20220516101701 一昨日、一部だけ再掲したジョブ型雇用は大学教育を変えるか(『文部科学 教育通信 』No.527掲載)ですが、一部だけでは却ってわかりにくい面もあるので、全部再掲しておきます。

 ジョブ型雇用は大学教育を変えるか
 
 「ジョブ型雇用」に注目が集まっている。自分の仕事の範囲が明示され、長時間残業とも無関係、他社にも転職可能、年功序列ではなく、適正に能力を評価される…。どんな大学に入ったかではなく、ジョブに適合できる力を身につけたかどうかが問われる、そういう日本になるのだろうか。閉塞的な空気の漂う時代を打開できるのだろうか。「ジョブ型雇用」の名付け親でもある労働政策研究・研修機構労働政策研究所長の濱口桂一郎氏に聞いた。
 
教育と職業の密接な無関係
--2021年9月に上梓された『ジョブ型雇用社会とは何か』(岩波新書)を読みました。日本で主流のメンバーシップ型雇用が日本社会にどのような影響を及ぼしているか、を書かれていました。中でも大学教育と企業との関係を「教育と職業の密接な無関係」と表現している一節に、衝撃を受けました。なるほど、こう見えるのか、と。
濱口 教育と職業は密接につながっていると思われていますが、実際はそうではない。つながっているのは、大学の入り口の偏差値と、採用面接でしょう。大学で何を学んだか、どんな成績を取ったかは、二の次、三の次。
-- 機関としてはつながっているけれど、教育と職業はつながっていません。
濱口 そもそも日本の社会は職業がキー概念ではありません。「あなたの仕事は何ですか?」と問われると、「私は○○株式会社に勤めています」とは答えるけれど、「私はシステムの技術者です」「事務員です」とは答えない。
-- まず所属が大事ということですね。
濱口 会社に所属している--これを私はメンバーシップと呼んでいます。日本は、職業、職種というものの存在価値が乏しいのです。労働者はジョブローテーションでいろんな仕事をさせられるので、この職業であるとはいえない状態です。
 だとすると「教育と職業の密接な無関係」という言い方自体、ミスリーディングかもしれないですね。社会人は「職業人」ではなく「会社人」で、大学の教育内容と会社人であることに何のつながりもないというべきでしょう。
 逆に「教育と職業の密接な関係」とは、大学で学んでいる中身と仕事をしている中身、その両者がつながっていること。欧米のジョブ型社会の典型的な教育と職業の関係です。
 
リターンマッチができない日本
-- 単刀直入に聞きます。雇用をジョブ型に切り替えたら、閉塞的な日本の状況を打破できるのでしょうか。
濱口 物事にはすべて裏表があり、ジョブ型も同じです。こういう勉強をして、こういうスキルを身に付けた人を採用し、ずっとその仕事をさせるというやり方は合理的に見えるけれど、マイナス面もある。ある職業を見据えた勉強がきちんとできて、その仕事がきちんとできるというコースに乗った人間がいい人生コースを歩み、それに乗れなかった人間は、逆転人生が難しいのが現実です。
-- リベンジができない。それがマイナス面ということですね。
濱口 ジョブ型社会は、ジョブのスキルで人間の価値が決まる。そのスキルは、基本的には教育訓練機関である課程を修了したことで決まります。そういうクオリフィケーション(職業資格)が大事です。ディプロマというのは、最大のクオリフィケーションです。ある大学のある学部を卒業できたから、あなたはこの仕事ができます、と見られます。
 逆にそれを持たないことは「あなたはこの仕事ができない人です」と見られる。そう位置付けられた人間が、非正規で採用されて、その仕事をできるようになったとしても「クオリファイドされた人」として処遇されない。
 ところが日本は違う。日本では大学の卒業証書は、医学部などを除き、職業的なクオリフィケーションと思われていない。だから、企業は採用後にいろんな仕事をさせて、できるようになったら認める。
-- ジョブ型は結構硬直的なものですね。日本企業の現行システムの方が柔軟でいいような気すらします。
濱口 実際、30年くらい前までは日本の方がいいという見方が流行っていました。今はそうじゃない。まず経済状況の変化です。大卒者全員がどこかに正社員として入れる状況であれば、そこでいろんな仕事をするうちに、評価されて上がっていくことも可能だった。ところが、90年代半ばの就職氷河期以降、大学入学時の偏差値と「人間力」で値打ちが決められると、リターンマッチが難しくなってしまったのです。
 ジョブ型では、会社の入り口ではねられたとしても、どこかで一生懸命頑張って「私はこんなスキルを身に付けました、その証拠がこれです」と「クオリフィケーションペーパー」を獲得することでリターンマッチが可能になります。ところが判断基準が「人間力」では、リターンマッチは原理的に不可能です。
-- しかも年齢主義もありますからね。18歳になったら大学に入り、22歳で就職という年齢主義。
濱口 年齢主義というより、エイジコンシャス、年齢差別意識の強い社会です。例えば卒業後何年か経っていたら、「この年になるまで何してたの?」と必ずいわれる。今の日本社会は、18歳の段階でこぼれ落ちてしまうと、リベンジの機会が乏しい。かつて「Japan as No.1」と言われていた時代の仕組みが逆機能し始め、こぼれ落ちたらジョブ型社会よりも厳しい状況になってしまいました。
 景気の変動によってある世代に損得が生じるっていうのは、世界中どこでも起きる現象ですが、日本以外では徐々に解消していきます。不景気でひどい目にあった世代も、景気が回復したら、その時代の新卒と競い「何ができるか」で判断される。
 日本はそうではない。就職氷河期にぶち当たってしまうと、30代になっても40代になっても「氷河期世代」。だからいまだにその世代が就職できると、「40代の男性が初めて正規雇用された」と報道されたりします。四半世紀前の問題を未解決のまま残しているなんて、ジョブ型社会ではあり得ない。
 日本も21世紀になってから2008年のリーマンショックまでの間、徐々に景気回復しました。けれどもその利益を得たのは、もっぱらそのときの新卒だけです。好景気なら正社員で入れた人間が、突如としてハードルが上がったために、入れなかった。いったん人間力がないとされたら、「私はこれができます」と言ったところで認められない。
 
「オンリーワン」は不要
-- 「密接な無関係」には、教育の側の問題もあれば、雇用する側、社会全体の問題もある。さてどこから手をつけたものか。
濱口 社会システムは、相互に適応して進化していくものです。仕方ない面もあります。
 会社も教育機関も無数にあります。ただ、自社、自校は1つだけです。つまり「無数対1」です。これはすごく重要です。経済学でプライスメーカーとプライステイカーという言葉があります。無数のプレイヤーがいる中で、あるプレイヤーだけが違う行動をとると、それは間違いなく損します。なぜか。無数の会社が全て「人間力で採用しています」という中で、ある会社だけが「うちはそうじゃない。その大学でどんな専門分野をどれだけきちんと身に付けたかということだけで判断します」と行動したとすると、その会社は間違いなく損します。
-- そうですか? 立派な会社だと思いますが。
濱口 間違いなく損します。大学側は無数の会社の中からその1社だけを目指した教育をするわけがないからです。同じように、ある1大学だけが「人間力などという変なもので就活をさせるのではなく、専門分野を身に付けたということだけを売りにします」と言ったとします。その大学が専属の会社を持っていて、卒業生が全員そこで働くのならいいですが。
 どちらから見ても「1対多」であるときに、ある1大学は、1社ではなく、たくさんの会社に対応した行動を取るのが最も合理的です。大勢に迎合するのが一番合理的です。
-- 教育改革でさかんに言われている「オンリーワンの教育」「オンリーワンを育てる」というのは、その原理から外れているんですね。
濱口 外れています。マーケットはオンリーワンを選ばないんです。マーケットは、すべてのプレイヤーを匿名化し、計量化します。そこにナンバー1、2、3…と並べる形でしか行動のしようがない。ジョブ型も同じです。実はジョブ型もオンリーワンじゃない。日本人が誤解しがちですが、セグメント(区分)化されているだけです。そのセグメント化された中でナンバー1、2、3とあり、同じように市場原理で行動している。
-- ジョブ型であってもなくても、市場はオンリーワンを選ばない…。大事なのは順位なのですね。
濱口 セグメントの中身ごとに、ナンバー1、2、3というふうに会社側も大学側も存在し、それでマッチングし、下のほうはこぼれ落ちてしまう。ただ、ジョブ型マーケットの指標は「この仕事がこれくらいできる」ということで、その帳票がディプロマだという前提で社会が動いているということです。
 
入り口はジョブ型、実体はメンバーシップ型
-- ジョブの帳票がディプロマ、という考え方は日本の大学文化には受け入れがたいかもしれません。大学は就職予備校ではない、とよく耳にするので。
濱口 日本の大学人の大半を占める文化的エリートにとっての大学とは、世間で言う職業教育とは違う意味での職業教育機関の側面を持っています。東大や京大のような大学の文学部は、全国のさまざまな大学の先生を輩出しています。例えば、なんで東大哲学科というものが存在し得ているかというと、いろんな大学が哲学の授業をする人を募集しているからです。
-- ジョブ型雇用が成り立っているように見えます。
濱口 自分たちでは意識していないけど、ジョブ型です。医療の世界もジョブ型です。
-- 確かにそうです。医学部で規定のカリキュラムを学んだ人が、国家試験を受けて医師になる。看護師も薬剤師もそうですね。
濱口 そうです。看護師として10年病院で働いた後、「君も看護師としてベテランになったから、今度は医者やってみるか」なんてことはないですね。いやいや、これを言うと笑うけれども、日本の会社ではこういうことをやっているんですよ。
-- たしかにそうですね(笑)。
濱口 ただ、医療の世界は、雇用は完全にジョブ型ではあるけれど、病院の賃金表を見ると、処遇はメンバーシップ型で年功制なのです。
-- 手術の技術が優れているとかではないわけですね。
濱口 関係ない。学校教員の世界も似ています。こちらも教員免許が原則必須なので、ジョブ型であるように見えます。ところが、仕事の内容はメンバーシップ型です。
 昔は、教員は教えるのが仕事で、学校には事務職員もきちんと配置されていた。その仕事がどんどん教員の仕事になってしまいました。その結果、学校の中の仕事は全部教員の仕事です。処遇もほぼ完璧な年功制です。
--入り口と中身の乖離ということですね。
濱口 医師免許とか教員免許というものがないと当該業務ができないと法律で定められているために、法律に基づいたジョブ型があるわけです。
-- 働きにくいし、働きがいのない社会であるようにも感じます。
濱口 いや、働きやすいと思っているから、こういうふうに回っているのではないでしょうか。
 
ジョブ型雇用と社会的格差
-- 欧米のジョブ型雇用の話をもう少し聞かせてください。このところ、欧米で格差の広がりを示す「ジニ係数」が大きくなっている、格差が広がっていると報じられています。ジョブ型雇用の方が、年功型よりも人を適正に評価し、格差もそれほど広がらないのではないかと考えておりました。
濱口 それは違います。ジョブ型は人の能力を適正に把握して配分していないでしょうし、仮に適正に把握して配分したとしても、それが格差を小さくする保証はどこにもありません。「職業に貴賎なし」は偽善に満ちた言い方で、どの社会も職業に貴賎はあるわけです。ジョブ型社会は、ジョブによってその人間の貴賤を張り付ける社会です。
-- 究極の階級社会ですね。
濱口 そうです。ジョブ型社会は、ジョブによって格差が作られ、しかもそのジョブの垣根を越えることが難しい。どこかの学校に行って、ディプロマを得なければ、そのジョブの垣根を越えることはできない社会です。それで違うジョブを選び、階級を上がるのですね。
それに対し、30年以上前の日本は、現場で一生懸命頑張っていれば、資格がなくても評価されて、社会の階段を上がっていくことのできる、流動性の高い社会だと言われていたのです。
-- ところがそれもできなくなった。かつて賞賛されたことが、今はマイナスを増幅させる要因になっている。こうした状況を変えるために、日本の大学はどうすべきでしょうか。
濱口 一番困るのは、「どうしたらいいか」という素朴な質問です。同じような質問を、企業もぶつけてきますよ。我が社はどうしたらいいんですか、と。 
-- 思考を相手に丸投げの質問でしたね(笑)。失礼しました。で、そう尋ねてきた企業の方にどう答えるのですか。
濱口 我が社だけができることなんかありません、としか言いようがないです。「1対多」の関係になっている以上、1社があるべき姿を追い求めて撃沈するよりは、みんなに並んでいくほうが安全です。大学も同じです。
-- 困りましたね。今、日本社会全体が沈没しかかっている中で、みんなと違うことをしたら…。
濱口 1対多の関係ではみんなと同じ行動をとって、その中でナンバー1を目指すというのが、唯一可能な、あり得る可能な行動でしょう。どんな社会でも共通です。
 今の日本は1つの均衡点なんですよ。会社側も大学側もお互いにメンバーシップ型に基づいて行動するという意味で、均衡点に達している。どこか1社、1校が違う行動を取ると、マーケットで損をする。すべてのプレイヤーが一斉にジョブ型に変わるのならば、もっと望ましい均衡に移るかもしれません。誰が最初にするのかという話です。
 
日立のジョブ型とは?
-- そんな中で、日立製作所や三菱ケミカルがジョブ型に切り替えを始めたと報道されています。ご著書に書かれているジョブ型とはだいぶ違うように見えます。
濱口 私は全く違うと思います。雇用は完全にメンバーシップ型だけど、処遇はジョブ型に近いものにするのかもしれない。
 ただ、処遇をジョブ型にすると、メンバーシップ型の最も重要な特徴である「ジョブに拘らずに人を異動させることができる」に、一定の制約がかかる可能性があります。これは日本の企業にとっては最大のマイナスのはずです。
-- 社員の転勤、出向は「一人前にする」という個人の能力アップと、会社の都合の両面があるわけですからね。どうするのでしょうね。
濱口 あえて推測すると、大学はメンバーシップ型を前提とした教育しかしていないから、全面的なジョブ型採用ができるはずがない。当分はメンバーシップ型で採用し、異動させ、その間は年齢階層別の年功制賃金制をとる。その中で、厳密な意味でのジョブ型とは違うけれども、「君の仕事はこれだ」を意識的に作っていき、それに応じた処遇を決める方式ではないでしょうか。OSはメンバーシップ型で、その上でジョブ型っぽいアプリを走らせるようなイメージです。
--- OSを入れ替えることができないのなら、そうなりますね。1人の設計者がOSからアプリまで開発するのならば、整合性が担保できるでしょうが、現実はそうではない。設計者が途中で交代することはよくあります。そうするとこれまでの経緯もわからないまま、とりあえずアプリ作ってしまえ、となったら不具合を起こすのではないでしょうか。
濱口 起こします。ただ、今の日本でジョブ型と称するものを始めようと考えたら、唯一あり得る道だろうと思います。
 
「15の春を泣かせるな」の一方で
-- 日本のメンバーシップ型が根を張っていったのはいつ頃でしょうか。
濱口 戦時体制で基礎が作られ、終戦直後に労働運動で膨らみ、高度成長期にそれがほぼ全域に広まっていきました。同時に、教育システムもそれに応じる形で進化を遂げてきています。この現実は重要です。特に大学との関係で。
 日本だけでなく、世界的にも教育水準が上がっていった時代です。初等教育修了者が多数を占めていた時代が終わり、中等教育へ、やがて高等教育修了者が多数派となる。
 初等教育では、職業教育とアカデミックな教育は分かれようがない。徒弟制の時代です。中等教育修了者が多数派の時代になると、そこである程度の基本的職業教育を行うのが一般的になる。面白いのは、多数派が中等教育から高等教育に移っていくプロセスで、欧米のジョブ型社会ではジョブ型社会に適応する形で、教育水準の引き上げが進んでいきました。
 日本でも高度成長期の文部省は、そういう政策を取ろうとしていたんです。高校で普通科ばかりではなくて、職業教育も増やせという時期がありました。特に富山などでは大論争が起きたという話も伝わっています。「15の春を泣かせるな」を標語に、みんな普通科に行きたのだから普通科を増やせ、と。文部省は財界しか見ていないから、職業高校ばかり作らせてけしからんと言った、革新勢力が主張していた時代がありました。
-- 高校全入時代、昭和30年台後半でしたね。ジョブ型社会ならば、就職を見越して、それに合った内容の教育を受けられた方がいいという発想でしょうが、日本は違った。
濱口 そう、少なくとも国民はそう思っていなかったので、この論争は文部省が負けた。当時は普通科3、職業7の割合で展開していく政策だったが、今は多くても2割程度でしょう。
 1970年代以降は、世界的に中等教育が普遍化し、高等教育の進学率が上がっていきます。これで大学というものの社会の中の位置づけが大きく変わっていった。日本でも、ごく一部のエリートだけの大学ではないことが法律に書き込まれました。
 世界的に見ると、アカデミックなものはそのまま残しつつ、高等教育機関のマジョリティは、言葉の正確な意味での高等専門学校として残しています。ドイツのホッホシューレは「専門大学」と訳されていますが、厳密に直訳すると高等専門学校です。
-- 日本の高等専門学校に当たるわけですね。
濱口 日本の高等専門学校はもともと「専修大学」という名前で、固有名詞の専修大学ではなく、普通名詞としての専修大学という名で、法案が何回も出されました。短大側の反発で、最終的に高等専門学校という名前になりました。発想は同じだと思います。
 半世紀以上前の日本の文部省は、一方で旧帝大のようなものを残しつつ、多くの大学はそういった高等専門学校のようなものになっていくというイメージを持っていたのではないでしょうか。世界中そうですから。
-- 結果的にはそうならなかった。
濱口 そうです。そうして増えた大学を出ても「入ったときの偏差値が47なの?」といった話にしかならない。増えた大卒者は、高卒者の仕事を奪った。それは世界的に見ても変わらない。違うのは、日本の社会の在り方はリターンマッチが極めて難しいこと。最も大きな違いです。それが日本の閉塞感のもとになっているのはたしかでしょうが、社会全体の仕組みがそうなっているから、誰も変えようがないでしょう。
-- 2008年に義務化されたキャリア教育は、こういう状況下で何か意味を持たないでしょうか。
濱口 キャリア教育も、もとはOECDあたりから流れ込んできたものです。ヨーロッパでも、ジョブを意識しない教育機関がたくさんあり、問題視されていました。そこの卒業生たちは企業に評価されないから、非正規で入り、仕事をしながら資格を身に付けていた。教育機関はもっとジョブを意識しろ、そういう文脈で問題視されていました。
 問題意識自体は共通ですが、日本では独自の文脈に適合する形で適応してしまった。メンバーシップ型社会に合うよう、「人間力」に行き着く教育になったということです。先生や親たちがメンバーシップ型にどっぷり漬かっている中でキャリア教育を進めれば、いい会社に入れるように人間力を磨きましょうね、に帰結してしまうのは当然だと思います。
-- 教育が社会を変える起爆剤になっていないのですね。
濱口 そうですね。ついでにいうと、キャリアコンサルタントも、もとは欧米で流行っていたんです。2000年代に日本で始まって、あっちでもこっちでもキャリコンの導入が進んだものの、今、日本のキャリコンの大部分は社内キャリコンです。
-- 社内でキャリアコンサルタントなんて、人事部みたいですね。
濱口 人事部そのものですよ、もはや。あなたにはこういう仕事が向いているから、こういうふうに勉強しなさい、働きなさいって。こうして考えていくと、いろいろな小道具が海外から輸入され、日本の独自の文脈の中で定着していく。
-- 大学の教育改革でも、アメリカで使われた小道具や概念がたくさん入り込んでいます。労働の世界も一緒なんですね。
濱口 ジョブ型社会で作られたものが、メンバーシップ型にピタッとはまる形で定着していく。気が付くとそうなっているのです。
 
ジョブディスクリプションがなぜ必要か
-- 最後に、ジョブディスクリプションについてお尋ねします。職務記述書と訳されていますね。何をする仕事かが事細かに書かれていると聞いています。ひょっといたらそれは、大学側の教育改革の指針になるのではないでしょうか。
濱口 いや、そもそもジョブディスクリプションなんて、ジョブ型雇用にとってほとんど意味のないものです。ここ2年間の日本のジョブ型論は、ジョブディスクリプションを作ることが一番大事と言っているようですが、私に言わせればナンセンス。
 ジョブディスクリプションは、ほかの人の仕事との線引きを明確にすることが目的です。歴史的に見れば、欧米ではもともと企業を超えたジョブという大きな共通観念があったので、各社でジョブディスクリプションを作る必要はないのです。
-- そうですね。組合もあるし。
濱口 組合ということで言えば、ヨーロッパの組合は産業別です。産業別で団体交渉して、産業別で協約を結びます。そこにはこの仕事はいくらと書かれています。それで十分です。
 ジョブディスクリプションが問題になるのは、もっとミクロな場、このジョブとこのジョブはどこで線引きするの、という時です。
-- なるほど。複数のジョブが密接しているので、誰がどう担当しているのか明確にしましょうというケースを想定しているのですね。
濱口 そうです。どちらも私の仕事だということもあるし、どちらも私の仕事じゃないということもある。そういうことを避けるためであって、そういうことが起こらないなら、ジョブディスクリプションは不要です。
 ジョブディスクリプションが最も事細かに作られたのは、アメリカの自動車産業です。新たな技術が導入されるたびに、書き換えなくてはいけない。それにかかるコストが大変だったそうです。一方、ホワイトカラーになると、そんなに事細かなことは書かないのが一般的のようです。
-- なぜジョブディスクリプションが日本で問題視されることになったのでしょうか。
濱口 基本的にメンバーシップ型ですから、ジョブディスクリプションを書かなければ会社の中のすべての仕事が「お前の仕事」になり得るんです。もともとメンバーシップはそういう契約なのですよ。
 例えば、たまたまある部署に配属されたとします。その部署にあるどの仕事を担当するかというのは、結局は上司次第のところがあります。「濱口くん、あそこのチームが手を焼いているみたいだから、これやってよ」なんてことがいくらでもある。
 日本社会は量子力学的にできています。原子論的ではなくて、量子力学的にできている。どんな仕事も潜在的には「お前の仕事」であり得て、上司が「あれやって」と言ったら、その瞬間に「あれ」が自分の仕事になるという世界です。日本人から見るとそれが当たり前の姿でしょうね。
-- メンバーシップ型の文化が生み出したジョブディスクリプション必須論ということですね。
濱口 日本でジョブディスクリプションを書いたら、減点法でしか書けないでしょうね。もとはその部署の仕事全部が「お前の仕事」なんですよ。○○課の仕事という線引きは一応あるから、その仕事を全部書き出し、ここからここまではAさん、これはBさんというイメージでしょう。
 基本的にジョブ型社会の出発点は、全部区切られています。その区切られた箱の中に人をはめる。そのポストの人がやっていた仕事が、ジョブディスクリプションなのです。
-- そういうことでしたか。そうなると、メンバーシップ型社会をジョブ型に変えるのは、本当に難しいということもよくわかりました。
 最後に一つ。日本社会はリターンマッチが極めて厳しいと繰り返されていました。誰がどうやって設計したら、リターンマッチができるようになるのか、これは宿題ですか。
濱口 そう、宿題です。

 

 

 

2022年5月15日 (日)

個人事業者等に対する安全衛生対策のあり方に関する検討会

去る5月12日に、厚生労働省は「個人事業者等に対する安全衛生対策のあり方に関する検討会」を設置し、個人事業者等に関する業務上の災害の実態把握、実態を踏まえ災害防止のために有効と考えられる安全衛生対策のあり方について検討することとしたそうです。

https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_25567.html

https://www.mhlw.go.jp/content/11201250/000936295.pdf

これはいうまでもなく、昨年5月の建設アスベスト最高裁判決を受けた今年の安全衛生関係省令改正の延長線上にあります。

この省令改正については、昨年10月のWEB労政時報で「建設アスベスト最高裁判決と一人親方の労働安全衛生政策」について簡単に解説し、

http://hamachan.on.coocan.jp/webrousei211027.html

Booklet03220315_20220515213401 また今年3月に刊行した『フリーランスの労働法政策』の中でも、若干のページを割いていたところです。

https://www.jil.go.jp/publication/ippan/booklet/03.html

 このように、労災保険の特別加入制度が始まったのは建設業の一人親方対策からですが、そもそも建設業というのは、大体重層請負になっています。上から、発注者、元請、下請、孫請、ひ孫請と何重にも重なっています。その一番下のほうになると、もう労働者だか労働者ではないのかよく分からないような一人親方というのがいっぱいいるのです。
 労災保険については特別加入という形で対応しているわけですが、では労災予防に当たる労働安全衛生ではどうなっているかというと、一人親方は労働者ではないので対象には入っていません。いや、いませんでした。ところが、これが2021年に大きくひっくり返りました。ひっくり返したのは最高裁判所です。
2021年5月17日、建設アスベスト訴訟の最高裁判決が下され、その中で一人親方に対する国の責任が認定されたのです。建設アスベスト訴訟では、過去に建設業に携わった労働者や一人親方の石綿への曝露を防止する措置が十分だったのかという点が争われましたが、一人親方の安全衛生対策について国が権限を行使しなかったことについて下級審では判断が分かれていました。同日最高裁判決が出た4件のうち、横浜1陣では地裁高裁とも国の責任を認めず、東京1陣、京都1陣、大阪1陣では地裁は認めず高裁は認めていました。これらについて、国の権限不行使は違法であると明確な判断を下したわけです【資料10】。
 この判決を受けて、厚生労働省は2021年10月から労政審安全衛生分科会で省令改正の議論を開始し、2022年1月に省令案要綱が妥当と答申されました。労働安全衛生法はこれまで、直接雇用する労働者でなくても、下請事業者が雇用する間接雇用の者についても、元請事業者に安全衛生責任を課してきていますが、それでもあくまでも労働者の範囲内に限られていました。それが今回、最高裁の判決を契機に、労働者ではない一人親方にも拡大されることになるわけですから、労働法の適用対象のあり方としては極めて重大な意味を有します【資料11】。

今回の検討会の論点とポイントは以下のようなものだそうです。

○ 個人事業者等の災害について、整備された統計等は存在しないが、現状をどう評価するか。
○ 個人事業者等の災害を防ぐために、何らかの対策が必要だという認識で良いか。
○ 個人事業者等の安全衛生対策について、どのようなことが課題になっているか。
○ 個人事業者等の災害を防ぐためには、どのような対策が必要か。
(1)労働災害を防ぐため、現行の安衛法はどのような体系となっているか。その体系の中で、個人事業者等はどう位置付けるべきか。
(2)個人事業者自身による対策はどうあるべきか。
(3)労働者とは違う立場にある個人事業者等の保護のためには、どのような対策が必要か。
(4)経営基盤・体制が脆弱な個人事業者や中小企業に対する支援はどうあるべきか。
○ その他、労働者や個人事業者等の災害を防ぐ観点から、検討すべき事項はあるか。

フリーランスの問題というとどうしても契約関係に関心が集中しがちですが、半世紀前の家内労働法制定の時も、その原動力の一つになったのは内職によるヘップサンダル中毒事件だったこともあり、安全衛生問題というのは重要な問題なのです。

Eulabourlaw2022_20220515214101 自営業者の安全衛生問題に関しては、先月刊行した『新・EUの労働法政策』の中にも、ごくわずかですが記述が盛り込まれています。

・・・・2003年2月18日には「自営労働者の職場における安全衛生保護の改善に関する理事会勧告」(Council recommendation concerning the improvement of the protection of the health and safety at work of self-employed workers, Recommandation du Conseil portant sur l'amélioration de la protection de la santé et de la sécurité au travail des travailleurs indépendants, Empfehlung des Rates zur Verbesserung des Gesundheitsschutzes und der Sicherheit Selbstständiger am Arbeitsplatz)(2003/134/EC)が採択された。
 内容的には勧告という拘束力のないものであるが、契約企業と自営労働者の関係の特別な性質に注意を払いつつその安全衛生を促進することや、自営労働者が安全衛生サービスを受けられるようにすること、そのための情報や訓練にアクセスできるようにすること、曝露されている危険に応じた健康診断を受けられるようにすることなどを加盟国に求めている。・・・・

今後どうのように議論が進んでいくことになるのか、注目していく必要があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年5月14日 (土)

入り口はジョブ型、実体はメンバーシップ型

先日の吉岡さんの書評の中で、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2022/05/post-b781ae.html

・・・ただ、現実として、すでに日本でもジョブ型の雇用システムが採用されている分野があります。医師の世界と大学教員の雇用です。私もその中に入ります。大学教員でいえば、どのような学位を持っていて、あるいは、その学位相当の能力があり、どのような分野の授業がどのような言語でできるか、を明示した採用となります。そして、その職務記述書に沿ったお給料となるハズなのですが、なぜか、私の勤務する大学では年功賃金が支払われています。少しだけ謎です。 

Cover_20220314215401_20220514101101 という一節があったことに関連して、しばらく前に『文部科学 教育通信』という業界誌のインタビューを受けた時に喋った中にそれにかかわる部分があったことを思い出しました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2022/03/post-50dd60.html

入り口はジョブ型、実体はメンバーシップ型
-- ジョブの帳票がディプロマ、という考え方は日本の大学文化には受け入れがたいかもしれません。大学は就職予備校ではない、とよく耳にするので。
濱口 日本の大学人の大半を占める文化的エリートにとっての大学とは、世間で言う職業教育とは違う意味での職業教育機関の側面を持っています。東大や京大のような大学の文学部は、全国のさまざまな大学の先生を輩出しています。例えば、なんで東大哲学科というものが存在し得ているかというと、いろんな大学が哲学の授業をする人を募集しているからです。
-- ジョブ型雇用が成り立っているように見えます。
濱口 自分たちでは意識していないけど、ジョブ型です。医療の世界もジョブ型です。
-- 確かにそうです。医学部で規定のカリキュラムを学んだ人が、国家試験を受けて医師になる。看護師も薬剤師もそうですね。
濱口 そうです。看護師として10年病院で働いた後、「君も看護師としてベテランになったから、今度は医者やってみるか」なんてことはないですね。いやいや、これを言うと笑うけれども、日本の会社ではこういうことをやっているんですよ。
-- たしかにそうですね(笑)。
濱口 ただ、医療の世界は、雇用は完全にジョブ型ではあるけれど、病院の賃金表を見ると、処遇はメンバーシップ型で年功制なのです。
-- 手術の技術が優れているとかではないわけですね。
濱口 関係ない。学校教員の世界も似ています。こちらも教員免許が原則必須なので、ジョブ型であるように見えます。ところが、仕事の内容はメンバーシップ型です。
 昔は、教員は教えるのが仕事で、学校には事務職員もきちんと配置されていた。その仕事がどんどん教員の仕事になってしまいました。その結果、学校の中の仕事は全部教員の仕事です。処遇もほぼ完璧な年功制です。
--入り口と中身の乖離ということですね。
濱口 医師免許とか教員免許というものがないと当該業務ができないと法律で定められているために、法律に基づいたジョブ型があるわけです。
-- 働きにくいし、働きがいのない社会であるようにも感じます。
濱口 いや、働きやすいと思っているから、こういうふうに回っているのではないでしょうか。

 

 

 

2022年5月13日 (金)

男を禿げと呼んだらセクハラです

3008 なんだか最近、イギリスのザ・ガーディアン紙の記事が多いけれども、面白いんだもの。

https://www.theguardian.com/world/2022/may/13/calling-a-man-bald-is-sexual-harassment-employment-tribunal-rules

Calling a man ‘bald’ is sexual harassment, employment tribunal rules

イギリスの雇用審判所が、男を禿げ呼ばわりするのはセクハラだ、という判決を下したそうな。

まあ、禿げ呼ばわりがハラスメントだというのはわかりますが、それがセクハラだというのは、

“[The company’s lawyer] was right to submit that women as well as men may be bald. However, as all three members of the tribunal will vouchsafe, baldness is much more prevalent in men than women.

“We find it to be inherently related to sex.”

(会社側弁護人のいうように)男性と同様に女性も禿げるというのは確かだ。しかしながら、この雇用審判所の三人の審判官すべてが保証するように、禿げというのは女性よりも男性においてより一般的なものだ。

我々はそれ(禿)が性別に本質的に関わるものであると見た。

というわけで、雇用審判所の審判官の男性が3人とも禿げていたため、本件をセクハラだと判断するに至ったということのようであります。

ちなみに、禿げている本件原告を呼んだ“bald cunt”って、なんて訳したらいいんでしょうか。「禿げ〇〇」なんでしょうけど、なんだか訳しようがなくて。

 

 

第10回税制調査会

https://www.cao.go.jp/zei-cho/chukei/

第10回税制調査会(令和4年5月17日(火)14時30分から17時00分)
【議題】
・外部有識者からのヒアリング

吉野家と技人国とTypeCの三題噺

Jzseu31p_400x400 先日の吉野家の一件についてのエントリに内容的に関わりのあるツイートを、例の桝本純さんのファンになった女性声優さん(男)がされているのを見つけましたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2022/05/post-321a54.html(吉野家の一件のジョブ型入管法的理由とその消滅)

https://twitter.com/ssig33/status/1522756155050582019

技人国で(実質的には)単純労働をしてる外国人が現時点で結構たくさんいるみたいのが吉野家のついでに燃えてほしいなという気持ちがあるんだが、これは結局言い換えると「大学出ても営業事務だの居酒屋の店長だのみたいなノースキル労働してる日本人がたくさんいる」という話でもあるので燃えづらいかな

https://twitter.com/ssig33/status/1522756428225646594

日本企業は単純労働の積み重ねで成立しており、にもかかかわらずその単純労働がマニュアル化されていないので大卒程度の「知能」を必要としているが、あくまで「知能」を必要としていて「スキル」は求めてないので 40 代半ばでリストラされていく、というのが Big Picture だと思うんですよね。

71wv0uu79l だいぶひねた物の言い方をしているのですが、ここで女性声優さんが言っていることを裏返していうと(というか、むしろ裏向きの表現を「表返し」ていうと)、海老原さんが新著『人事の企み』の最後の方でいっているTypeCの「なんとかやっていける仕事」の話につながっていくんですよね。

それをもういっぺん裏返した同書の巻末に載っているわたしの「解説」からその部分を引用しておくと、

 海老原さん曰く、TypeCの仕事とは「なんとかやっていける仕事」である。TypeAみたいに長期間かけてみんな少しずつ成長していく仕事でもなければ、TypeBみたいにはじめからできる奴といつまでたってもできない奴の個人差が大きい仕事でもない。ヒラの雑用だけでなく、係長、課長、部長と役職を上がっていっても「なんとかやっていける仕事」がある。そしてそれこそが社内補充でなんとか回していける理由であり、日本型のメリットだ。それに引き換え、欧米社会は要りもしない専門性で職務の閉塞性を高めているじゃないか、と。
 ここで海老原さんが言ってることはほぼ正しい。少なくともメカニズムの説明としては。そしてそのメリット面の指摘としては。でも、今日企業で人事を担当している人々からすると、それがもたらしているデメリット面がスルーされていると感じるのではないでしょうか。その「なんとかやっていける仕事」でもって役職を上がっていき、その「職務遂行能力」の評価でもって高い給料をもらっているTypeCの「働かないおじさん」たちをどうしたらいいかで、俺たちは日々悩んでいるんだよ、と。
 海老原さんの言っていることは間違っていないのです。素人でもちょっと頑張れば「なんとかやっていける仕事」程度の代物にご大層な教育訓練制度やら職業資格制度をくっつけて、その訓練を受けなければ、その資格を得なければその仕事ができないなんて不自由きわまる仕組みでがんじがらめにしている欧米社会なんて馬鹿みたいだ、と普通の日本人は思いますよね。ジョブ型社会とは古くさくて硬直的で、人間の本当の能力ってものが分かっていない連中が作った碌でもない代物だ、と言いたくなるかも知れません。
 でも、その余計な硬直性のおかげで、TypeCをこなせる程度の人材を、やたらにもったいぶっためんどくさい儀式を経てその仕事に就けて、その程度の給料だけを払い、それ以上の負担をしなくて済んでいるとも言えます。そこは海老原さんも、「欧米でもTypeC専用人材はいないからTypeA,B崩れの高給者を採らねばならない」と逃げていますが、いやあ、それにしても、日本の使えないおじさんの高給で、緩い業務内容、そして首が切れずしがみつく様とは差があるでしょう。
 ものごとは全て、メリットの裏にはデメリットがぺたりと貼り付いているのであって、「要りもしない専門性で職務の閉塞性を高め」てこなかった日本企業が、そのツケをどういう形で払うことになっているかというのも、その好例でしょう。

 

 

 

 

 

スペインは月5日の生理休暇制度を計画

3000 これはやや小ネタですが、ちょっと面白いなと思った記事です。イギリスのザ・ガーディアン紙に載ったスペインの記事ですが、

https://www.theguardian.com/world/2022/may/12/spain-to-ease-abortion-limits-for-over-16s-and-allow-menstrual-leave

Spain’s Socialist-led coalition government is preparing a law that would allow women over the age of 16 to have abortions without permission from their parents or guardians, and introduce up to five days of menstrual leave a month.

スペインの社会党主導連立政権は、16歳以上の女性に親の同意なく妊娠中絶をする権利と、月5日の生理休暇を導入する法律を準備している。

たぶん記事の主眼はカトリック国のスペインにおける生殖関連の権利に関わる前者なんだろうと思われますが、個人的には後者の生理休暇の導入というのが興味深いです。

41g9c5v8cjl_20220513091601 というのも、日本で1947年に労働基準法ができるときに、外国にその例がないのに生理休暇という制度が設けられたということはかなり有名で、『働く女子の運命』でも、p52にちらりとこう記述していました。

・・・このときに労働基準法が設けた生理休暇は、世界に類を見ない規定ですが、戦時中の女子挺身隊の受入時に実施されたことを背景に、戦後労働運動の高揚の中で生理休暇要求とその獲得が進み、行政内部でも谷野せつ氏が強く訴えたことから、実現に至ったといわれています(田口亜紗氏『生理休暇の誕生』青弓社)。

4787232126 それが21世紀の今日スペインで法制化されるというのは、小ネタとはいえ興味が惹かれます。

According to the Spanish Gynaecological and Obstetric Society, a third of women experience dysmenorrhea, or painful menstruation.

“When there’s a problem that can’t be solved medically, we think it’s very sensible to have temporary sick leave,” Ángela Rodríguez, the secretary of state for equality,told El Periódico in March.

スペイン産婦人科学会によれば、女性の3分の1が月経困難症や生理痛を経験している。

「医学的に解決できない問題があれば、一時的な病気休暇を取るのが極めて良識的だ」とアンジェラ・ロドリゲスは語った。

ということです。

 

 

 

2022年5月12日 (木)

『日本労働法学会誌』135号(プラットフォームエコノミーと社会法上の課題)

Isbn9784589042217 『日本労働法学会誌』135号が法律文化社のHPにアップされています。もうすぐ届くでしょう。

https://www.hou-bun.com/cgi-bin/search/detail.cgi?c=ISBN978-4-589-04221-7

《大シンポジウム》
プラットフォームエコノミーと社会法上の課題

プラットフォームエコノミーが現代企業に与えるインパクトと社会法上の課題……………沼田雅之
プラットフォームワーカーに対する個別法上の保護…………………………………………鈴木俊晴
プラットフォームワーカーに対する集団法上の保護…………………………………………藤木貴史
プラットフォームを介して働く者に対する「評価」に係る諸問題………………………………滝原啓允
プラットフォーム就労と法適用通則法12条………………………………………………井川志郎
―労働抵触法上の重要概念の機能性を問う―プラットフォームワークと社会保障……沼田雅之

《シンポジウムの記録》
プラットフォームエコノミーと社会法上の課題

《ワークショップ》
Ⅰ 外国人労働法制の新たな課題
趣旨説明と議論の概要…………………早川智津子
技能実習制度及び特定技能制度の改革の方向性……………………………………………山脇康嗣
外国人技能実習生の保護と労働法……………………………………………斉藤善久

Ⅱ 労働立法における労使団体の関与とイニシアティヴ
労働立法プロセスにおける(政労使)三者間対話の法的位置付け……………井川志郎
―日・EUの比較を通じて―労働立法における労使自治の機能と実効性確保………………………………………………岡村優希
―EU指令の国内法化プロセスを素材として―報告へのコメントとワークショップの概要……………………………………………濱口桂一郎

Ⅲ 新しい年休法制の理論的…実務的検討
ワークショップの概要……………………野川 忍
使用者による時季指定の法的性質と改正労基法の課題………………………………………町田悠生子
年次有給休暇をめぐるこれまでの議論と改正労基法…………………………………中井智子

Ⅳ 「非正規」公務員をめぐる現代的課題
本ワークショップの趣旨と概要…………早津裕貴
「非正規」公務員をめぐる国家公務員制度の特徴と現状・課題………………………役田 平
地方公務員における会計年度任用職員制度の現状・課題…………………………………上林陽治
「非正規」公務員をめぐる法的課題……下井康史
―公法学の観点から―

Ⅴ 健康情報の取扱い法理と産業医の役割
ワークショップの趣旨と概要……………水島郁子
日本の健康情報等取扱い法理と産業医制度………………………………………………三柴丈典
フランスにおける健康情報の取扱い法理と産業医の役割………………………………河野奈月
健康情報の取扱い法理と産業医の役割…林 剛司
―産業医の観点から―

Ⅵ 労働社会の変容と労働時間法制の展望
ワークショップの趣旨……………………島田陽一
DX時代における労働者の健康確保のあり方を問う………………………………………………大内伸哉
―労働時間の規制から自己健康管理のサポートへ―生活時間の確保を基軸に労働時間法制の構造転換を…………………………………毛塚勝利

《個別報告》
日本の合理的配慮提供義務の範囲について………………………………………………西田玲子
―雇用率制度を中心とした雇用促進策が合理的配慮に与える影響―ドイツにおける労働のデジタル化と解雇法理……………………………………………佐々木達也
〈生活保障システム〉の構築と法の役割……………………………………………林 健太郎
―イギリス労働市場の形成と社会保障・労働法制の史的展開―

《回顧と展望》
特別加入制度の対象拡大の動向と課題………………………………………………田中建一
―令和3年3月9日基発0309第1号と令和3年8月3日基発0803第1号通達の検討を中心として―
トランスジェンダーのトイレ利用制限の国賠法上の違法性………………………長谷川 聡
―国・人事院(経産省職員)事件(東京高判令3・5・27労判1254号5頁)―
契約社員への退職金不支給と労契法旧20条の不合理性……………………………………渋田美羽
―メトロコマース事件・最三小判令2・10・13労判1229号90頁―

《追悼》
外尾健一先生を偲ぶ………………………今野順夫
花見忠先生を偲ぶ…………………………小畑史子

学会奨励賞審査委員会からの報告………島田陽一

日本労働法学会第138回大会記事
日本労働法学会第139回大会案内
日本労働法学会規約
SUMMARY

 

朝日新聞夕刊の「(取材考記)「ジョブ型」導入」に登場

As20220512001680_comml 本日の朝日新聞の夕刊の「(取材考記)「ジョブ型」導入 変わる企業と働き方、注視」という伊沢健司さんの記事に、わたくしが写真付きで登場しております。

https://www.asahi.com/articles/DA3S15292011.html

 年功序列などが特徴の日本型雇用とは違う「ジョブ型雇用」が、ちょっとしたブームだ。関連本が次々と出版され、大手電機メーカーを中心に導入が相次ぐ。ただ、取材を進めると、ジョブ型という言葉が独り歩きする現状も見えてきた。・・・・・

中身はいつもと大して変わりませんが、最後のところのニュアンスがちょっと違うように感じる人もいるかもしれません。

 

性交契約の違法性について

余りきちんと追いかけていなかったのですが、例の成人年齢引下げとアダルトビデオの問題が新法制定という話になり、こういう問題が提起されるに至っていたようです。

https://www.asahi.com/articles/ASQ5C00K8Q5BUTFL00L.html(AV対策新法に「待った」 性行為の撮影、合法化しないで)

アダルトビデオ(AV)撮影による被害を防ぐため、与党がまとめた新しい法律の骨子案に対し、「性行為の撮影を合法化してしまう」と懸念の声が上がっています。・・・・

――新法にはどんな懸念があるのでしょうか。教えてください。

岡さん まず、与野党が協議している法案の骨子案にAVの定義が書いてあります。「性行為などを撮影した映像」という趣旨の文言です。性交など性行為の撮影を肯定することが前提となっており、この法律自体がそうした性行為を伴う契約が許されると認めてしまうことになります。・・・・

001

現在、性交契約それ自体の合法性、違法性を明示した法令や裁判例は存在しないと思われますが、若干の労働法制において「公衆道徳上有害な業務」として、それに関わる派遣、紹介、募集等の行為を一定の刑事罰の対象としています。

そもそも現在問題となっているのは特定のビデオ商品の製造販売事業とそれに関わるさまざまな業務なのであって、私的自由との関係で重大な議論になり得る性交契約の合法性、違法性といった話に一足飛びに向かう前に、現在の法制度上どこまでが違法とされているのかについての正確な情報を踏まえて議論がされることが望ましいと思われるので、若干古い情報ですが、6年前に本ブログで若干の裁判例を紹介したエントリを再掲しておきます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/post-d708.html(公衆道徳上有害な業務に就かせる目的で労働者派遣をした者は)

こんなニュースが流れていますが、

http://www.sankei.com/affairs/news/160612/afr1606120006-n1.html  (大手AVプロ元社長逮捕 労働者派遣法違反容疑 女性「出演強要された」)


経営していた芸能事務所に所属していた女性を、実際の性行為を含むアダルトビデオ(AV)の撮影に派遣したとして、警視庁が11日、労働者派遣法違反容疑で、大手AVプロダクション「マークスジャパン」(東京都渋谷区)の40代の元社長ら同社の男3人を逮捕したことが、捜査関係者への取材で分かった。女性が「AV出演を強いられた」と警視庁に相談して発覚した。

最近話題のAV出演強要問題について、目に余ると考えたか、警察は労働者派遣法を適用するというやり方を取ってきたようです。

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しかし、労働法学的にはいくつも論点が満載です。

まずもって、AVプロダクションがやっているのは労働者派遣なのか?AVプロダクションに「所属」しているのは、AVプロダクションが当該女優を「雇用」しているということなのか?

そういう判断はあり得ると思われますが、そうすると、今やっている全てのAVプロダクション、にとどまらず、多くの芸能プロダクションは届出もせず許可も受けずに業として労働者派遣をやっているということになりかねませんが、そういうことになるのかどうか?

後述の判決ではこの点は当然の前提として議論になっていません。

もっと重要なのは、この問題について強要の有無ではなく、当該出演内容たる性行為を「公衆道徳上有害な業務」と判断して適用してきたという点です。

労働者派遣法にはこういう条文があります。


第五十八条  公衆衛生又は公衆道徳上有害な業務に就かせる目的で労働者派遣をした者は、一年以上十年以下の懲役又は二十万円以上三百万円以下の罰金に処する。

記事はこういう記述があり、


労働者派遣法は実際の行為を含むAVへの出演を「公衆道徳上有害な業務」として規制している。捜査当局が同法を適用して強制捜査に踏み切るのは異例。

実際、確かに、アダルトビデオ派遣事件判決(東京地判平成6年3月7日判例時報1530号144頁)では、こう述べています。


本件における派遣労働者の従事する業務内容についてみると、派遣労働者である女優は、アダルトビデオ映画の出演女優として、あてがわれた男優を相手に、被写体として性交あるいは口淫等の性戯の場面を露骨に演じ、その場面が撮影されるのを業務内容とするものである。右のような業務は、社会共同生活において守られるべき性道徳を著しく害するものというべきであり、ひいては、派遣労働者一般の福祉を害することになるから、右業務が、「公衆道徳上有害な業務」にあたることに疑いの余地はない。そして、労働者派遣法五八条の規定は、前述のように、労働者一般を保護することを目的とするものであるから、右業務に就くことについて個々の派遣労働者の希望ないし承諾があつたとしても、犯罪の成否に何ら影響がないというべきである。

弁護人は、性交ないし性戯自体は人間の根源的な欲求に根ざすものであるから「有害」でないと主張するけれども、性交あるいは口淫等の性戯を、派遣労働者がその業務の内容として、男優相手に被写体として行う場合と、愛し合う者同士が人目のないところで行う場合とを同一に論じることができないことは、明らかであり、この点の弁護人の主張もまた採用することができない。

たしかに「右業務に就くことについて個々の派遣労働者の希望ないし承諾があつたとしても、犯罪の成否に何ら影響がない」と言いきっていますが、ここは議論のあるべきところでしょう。

同判決は後段でさらに「たとえ雇用労働者が進んで希望した場合があつたにせよ、若い女性を有害業務に就かせ、継続的、営業的に不法な利益を稼ぎまくつていたことも窺われ、その犯情は極めて悪質で、厳しく咎められなければならない」とまでいっています。

この判決からすると、今回の警察の動きはそれに沿ったものということになりますが、そもそも出演「強要」を問題にしていた観点からすると、こういう解決の方向が適切であるのか否かも含めて議論のあるべきところでしょう。

(追記)

当該女性がAVプロダクションに雇用された労働者なのか、という点について、上記平成6年3月7日東京地裁判決では、被告側が争っていないので議論になっていないのですが、そこを争った事案はないかと探してみたら、こういうのがありました。平成2年9月27日東京地裁判決です。被告側が雇用関係不存在を主張したのを判決が否定しているところです。


・・・弁護人は、CはAが雇用する労働者ではないし、また、被告人がCをBの指揮命令のもとに同人のためモデルとして稼働させたことはないから、被告人の行為は労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の就業条件の整備等に関する法律(以下、「労働者派遣法」という)五八条にいう「労働者派遣」に該当しない旨主張する。

そこで検討するのに、前掲関係各証拠によれば、Aは、昭和六三年七月ころから事務所を設置して無許可でいわゆるモデルプロダクション「E」の経営を始め、同年九月ころ、Cに対しモデルになるよう勧誘し、Cはこれに応じたこと、そのころから平成元年一〇月ころまでの間、Aは、Cを本件のBのほか、いわゆるアダルトビデオ制作販売会社、SMクラブ、ストリップ劇場等に派遣したこと、Cに対する報酬は、いずれの場合も派遣先から直接同女には支払われず、A又はAと意思を通じたFから支払われ、その金額はAらが決定していたものであり、本件において、Aは、派遣料として取得した六万円のうち二万円をギャラとしてCに支払ったこと、AはCに対し仕事の連絡のため一日一回必ず電話するよう指示し、同女は右指示に従っていたことが認められ、以上の事実に照らせば、Cは、相当長期間にわたりAの指揮命令のもとにモデルとしての労働に服し、その対価として報酬を得ていたというべきであって、AとCとの間には労働者派遣法二条一号にいう雇用関係を認めることができる。

また、前掲関係各証拠によれば、Bは昭和五九年秋ころから多数のモデルの派遣を受けて、同女らとの性交及び性戯のビデオ撮影を反復継続してきたこと、本件において、Bは、右と同様のビデオ撮影の目的をもって被告人からCの派遣を受けたものである上、当日は、ビデオカメラ、モニターテレビ、照明器具等の備え付けられた判示の「D」(省略)号室内において、約六時間にわたりCとの性交、性戯等の場面をビデオ撮影していること、その間、CはBの指示に従い、同人を相手方とせず単独で被写体となって自慰等種々のわいせつなポーズをとっていたことも認められるから、CがBの指揮命令の下にモデルとして稼働したことは明らかである。

なお、弁護人は、CはBの性交又は性戯の相手方となったに過ぎないから、Cは労働に従事したとは言えない旨主張するが、前記事実関係に照らせば、BによるCのビデオ撮影は、同女がBの性交又は性戯の相手方となったことに付随するものにとどまるとは認められない。

以上のとおり、被告人の本件行為は労働者派遣法五八条にいう「労働者派遣」に該当するものと認められるから、弁護人の右主張は採用できない。

(追記2)

判例を調べていくと、プロダクションが雇用してビデオ製作会社に派遣するという労働者派遣形態としてではなく、プロダクションがビデオ製作会社に紹介して雇用させるという職業紹介形態として、やはり刑罰の対象と認めた事案があります。平成6年7月8日東京地裁判決ですが、


第一 被告人Y1及び同Y2は共謀のうえ、同Y2が、平成五年九月一七日ころ、東京都渋谷区(以下略)先路上において、アダルトビデオ映画の制作等を業とするC株式会社の監督Dに対し、同人らがアダルトビデオ映画を撮影するに際し、出演女優に男優を相手として性交性戯をさせることを知りながら、E’ことE(当時二一歳)をアダルトビデオ映画の女優として紹介して雇用させ

第二 被告人Y1及び同Y3は共謀のうえ、同Y3が、同月二八日ころ、東京都新宿区(以下略)F(省略)号室において、アダルトビデオ映画の制作等を業とする有限会社Gの監督Hに対し、同人らがアダルトビデオ映画を撮影するに際し、出演女優に男優を相手として性交性戯をさせることを知りながら、I’ことI(当時一八歳)をアダルトビデオ映画の女優として紹介して雇用させ

それぞれ、公衆道徳上有害な業務に就かせる目的で職業紹介をした。

という事実認定のもとに、


一 本件の争点は、本件アダルトビデオ映画に女優として出演する業務が、職業安定法六三条二号にいう「公衆道徳上有害な業務」に該当するか否かである。

二 前掲各証拠によれば、本件アダルトビデオ映画への出演業務は、制作会社の派遣する不特定の男優を相手に性交あるいは口淫、手淫などの性戯を行い、これを撮影させて金銭を得るものであると認められる。ところで、本来、性行為は、その相手の選択も含めて個人の自由意思に基づく愛情の発露としてなされるものである。しかるに、本件のように、女優が不特定の男優と性交渉をし、それを撮影させて報酬を得るということは、女優個人の人格ないし情操に悪影響を与えるとともに、現代社会における一般の倫理観念に抵触し、社会の善良な風俗を害するものであるから、これが職業安定法六三条二号にいう「公衆道徳上有害な業務」に該当することは明らかである。

三 右の点につき、弁護人は、男女の性器を隠すなどの修正を加え、自主的倫理審査委員会の審査を経たうえで市販されるアダルトビデオ映画は、今日の日本社会においては社会的風俗として受容されており、それに出演する業務についても一定の社会的な受容があるから、右業務は右法条にいう「公衆道徳上有害な業務」に該当しない旨主張する。

  しかしながら、右のような修正及び審査を経て市販されるアダルトビデオ映画が社会的風俗として受容されているか否かと、その制作過程の出演業務が公衆道徳上有害であるか否かとは別個の問題であり、たとえ、右のようなアダルトビデオ映画に一定の社会的受容があるとしても、前述した本件のごとき内容のアダルトビデオ映画への出演業務は、「公衆道徳上有害な業務」に該当するというべきである。

  また、弁護人は、右法条は売春またはそれに準ずる程度に著しく社会の道徳に反し、善良な風俗を害する業務に限定して適用すべきであると主張するが、前記のとおり、本件アダルトビデオ映画への出演業務が「公衆道徳上有害な業務」に該当することは明らかであり、弁護人の主張は理由がない。

と判示しています。

ご承知のように、労働者派遣法58条はもともと職業安定法63条2号からきています。


第六十三条    次の各号のいずれかに該当する者は、これを一年以上十年以下の懲役又は二十万円以上三百万円以下の罰金に処する。

一   暴行、脅迫、監禁その他精神又は身体の自由を不当に拘束する手段によつて、職業紹介、労働者の募集若しくは労働者の供給を行つた者又はこれらに従事した者

二   公衆衛生又は公衆道徳上有害な業務に就かせる目的で、職業紹介、労働者の募集若しくは労働者の供給を行つた者又はこれらに従事した者

こちらは「暴行、脅迫、監禁その他精神又は身体の自由を不当に拘束する手段によつて」というのがあるのですが、派遣法にはないのですね。

ただいずれにせよ、プロダクションのアダルトビデオ出演を募集/紹介/供給/派遣する行為は、法的形態がどれであるにせよ、「公衆道徳上有害な業務に就かせる目的」であるというのは、地裁レベルとはいえほぼ確立した判例になっているようです。

(追記3)

ちなみに、上記職業安定法63条2号には「募集」も含まれます。判例には、ビデオ制作メーカーがこの「公衆道徳上有害な業務に就かせる目的で」「労働者の募集」をしたとして有罪になった事案もあります。東京地判平成8年11月26日(判例タイムズ942号261頁)は、


被告人は、わいせつビデオ映画の制作販売業を営んでいたものであるが、わいせつビデオ映画制作の際に女優として自慰等の性戯をさせる目的で、平成七年一二月二〇日ころ、東京都渋谷区代々木〈番地略〉○○ビル二階の被告人の事務所において、B子(当時一五歳)と面接し、同女に対し、「セックス場面は撮らないで、入浴シーンやオナニーシーンを中心に撮る。」「出演料はいくら欲しいの。」「顔や人物がわかる部分はあまり撮らないし、入浴シーンなどで変な部分が写ったらボカシを入れる。三万円欲しければ三万円なりの内容でいく。五万円欲しければ五万円の内容でいく。親や友達には絶対分からないようにするから安心しなさい。」などと申し向け、自己の制作するわいせつビデオの女優として稼働することを説得勧誘し、もって、公衆道徳上有害な業務に就かせる目的で労働者を募集した。

という事案について、


被告人は、前示犯罪事実につき、B子と面接した際、同女を全裸にせずに下着を着けさせてビデオを撮影するつもりであったから公衆道徳上有害な業務に就かせる目的はなかったと主張する。右主張は、B子の供述内容に反するばかりでなく、被告人自身がその後に実際にB子を全裸にして撮影していることに照らしても疑わしいところであるが、仮に、当初は被告人が主張するような意図であったとしても、本件のように心身の発達途上にある一五歳の女子中学生が自慰などをし、その場面を撮影させて報酬を得るということは、当該女子の人格や情操に悪影響を与えるとともに、現代社会における善良な風俗を害するものであるから、このような業務が職業安定法六三条二号にいう「公衆道徳上有害な業務」に該当することは明らかである。したがって、いずれにせよ、被告人の主張は理由がない。

と判示しています。もっとも、同判例は、芸能プロダクションから紹介された別の女性については「募集」に当たらないとして無罪としています。

このように、派遣でも紹介でも、さらには直接募集でも「公衆道徳上有害な業務に就かせる目的」であれば刑罰の対象となるのです。

(新追記)

以上のような裁判例は確立したもので、近年の裁判例もほぼ同様の判断を繰り返しているようです。

東京地裁平成30年6月29日

 被告人両名は,未成年であった被害者のモデルになりたいという夢につけ込み,十分な説明もせずに公衆道徳上有害な業務であるアダルトビデオへの出演の話を進め,被害者が出演を渋ると,アダルトビデオに出ないで有名になる方法はないなどと誤導したり,仕事をしないなら見捨てるなどと圧力を加えたりして,精神的に追い詰め,冷静な判断力を奪うなどしてアダルトビデオへ出演させたものであり,このような行為は,未成年者の判断力の未熟さに乗じ,なおかつ,女性の人格を尊重しないものであって,強く非難されるべきである。上記のような経緯によるアダルトビデオ出演の結果,被害者にただならぬ精神的・肉体的苦痛が生じたことも軽視できない。さらに,本件では,アダルトビデオ制作会社がプロダクションに支払った出演料のうち,被害者の手元に渡ったのは2割程度で,残りは全てスカウト側とプロダクション側とで折半していたものであり,その搾取の程度は著しい。
 本件の犯情は悪く,また,このような犯行を禁圧すべき社会的要請も強いのであって,当然懲役刑を選択すべき事案である。

東京地裁平成30年12月25日

 本件は,アダルトビデオ制作会社に女性を売り込むプロダクションで面接等を担う被告人が,同プロダクションでマネージャーを担う者及びアダルトビデオ出演を勧誘してプロダクションに紹介するスカウトを担う者らと共謀して,被害者をアダルトビデオ制作会社に紹介して雇用させた,という有害職業紹介の事案である。
 本件では,スカウト側の共犯者らが,未成年者であった被害者のモデルになりたいという夢につけ込み,十分な説明をせずにアダルトビデオ出演の話を進め,被害者が出演を渋ると,アダルトビデオに出ないで有名になる方法はないなどと誤導したり,仕事をしないなら見捨てるなどと圧力を加えたりするなどし,被告人も,プロダクションの面接において,被害者が撮影可能な性的行為の種類を少なく答えるなどしてアダルトビデオ出演に前向きでない姿勢を示していたにもかかわらず,より多くの種類の性的行為の撮影に応じられる旨の言質を誘導的に取るなどしている。このような被告人らの行為は,未成年者の判断力の未熟さに乗じ,なおかつ,女性の人格を尊重せず,有害な労務に誘導するものであって,強く非難されるべきである。上記のような経緯によるアダルトビデオ出演の結果,被害者にただならぬ精神的・肉体的苦痛が生じたことも軽視できない。さらに本件では,アダルトビデオ制作会社がプロダクションに支払った出演料のうち,被害者の手元に渡ったのは2割程度で,残りは全てスカウト側とプロダクション側とで折半していたものであり,その搾取の程度も著しく,この種行為の問題性が如実に表れている。
 被告人は,プロダクションの人事部所属の従業員として,スカウト側の共犯者から被害者の紹介を受けてその面接を行い,前示のようにアダルトビデオ出演に必ずしも乗り気でない被害者からこれを受入れるような言質を取るなどしている。被告人は,プロダクションとしての契約締結の場面には関与していないとしても,その後被害者がアダルトビデオに出演することに向けた地ならしともいえる行動に及んでおり,本件犯行において重要な役割を果たしたものである。
 本件の犯情は悪く,また,このような犯行を禁圧すべき社会的要請も強いのであって,当然懲役刑を選択すべき事案である。しかるに,被告人は,公判廷に至っても,自分は一度面接をしただけであり,その後被害者がアダルトビデオに出演することになるかどうかは分からなかったなどと不合理な,あるいは自己の責任を極力矮小化する発言に終始しており,自身の行為の問題性を省みる姿勢も被害者の心情に思いを致す態度も甚だ不十分であって,その刑責の程を理解させるに足りる科刑が必要である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年5月10日 (火)

フランスでプラットフォーム労働者の代表選挙

Shutterstock_737268262800x450 EUActivで、「French platform workers elect representatives ahead of ‘social dialogue’」(フランスのプラットフォーム労働者が‘労使対話’に先立って代表を選挙)という記事が載っています。

https://www.euractiv.com/section/digital/news/french-platform-workers-elect-representatives-ahead-of-social-dialogue/

Delivery workers and drivers of passenger cars working in France are being called on from Monday (9 May) to elect union representatives who will conduct a ‘social dialogue’ with platforms like Uber and Deliveroo to improve their working conditions.

フランスではたらく配達労働者と旅客運送運転手は月曜日(5月9日)から、ウーバーやデリバルーのようなプラットフォーム企業とその労働条件を改善するための‘労使対話’を遂行するために組合代表を選挙する。

Platform workers have a week – until 16 May – to cast their votes.

プラットフォーム労働者は5月16日までの1週間に投票することになる。

もっとも、EU指令案の焦点になっている労働者性の問題はここでは取り上げないようです。

“It is a question of setting up a social dialogue between the representatives of the self-employed and the platforms, on the assumption that the current status is maintained, namely the commercial relationship between a platform and the self-employed,” he added.

This “social dialogue” will likely first focus on workers’ pay and the ability of workers to negotiate the price of rides.

「これは自営業者の代表とプラットフォーム企業の間での、両者間の商業関係という現行の地位を維持するという前提の上での労使対話の設定の問題だ」

この「労使関係」はまず労働者の報酬と労働者が価格を交渉する能力に焦点を合わせる。

 

 

2022年5月 8日 (日)

吉岡真史さんの拙著書評+α

71cahqvlel_20220508131501 元官庁エコノミストで現在立命館大学教授の吉岡真史さんに、そのブログで拙著『ジョブ型雇用社会とは何か』を書評していただいています。

http://economist.cocolog-nifty.com/blog/2022/04/post-350f1a.html

最後に、濱口桂一郎『ジョブ型雇用社会とは何か』(岩波新書) です。著者は、労働省・厚生労働省出身で、現在は国立研究機関で研究所の所長をしています。私も同じ国立研究機関に勤務していた経験があり、著者とも少しだけ勤務時期が重なっていたりします。ただし、著者と私に共通しているのは、ほかに、ソニーのウォークマンを愛用していることくらいかもしれません。・・・・ 

ココログを使っているというのも数少ない共通点ですかね。

拙著の概要を簡単に説明した後、

・・・でも、ジョブ型雇用に転換すると社会全体が、まさに、マルクス主義的な見方ながら、下部構造が上部構造に大きな影響を及ぼすように、我が国経済社会に大変換をもたらすような気がします。ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用の違いはかなりよく判りましたし、授業などにも活かせそうな手応えを感じますが、ホントにジョブ型雇用を日本社会に普及させていいものかどうか、もう一度よく考える必要がありそうな気がします。

と述べていますが、どこにどういうメリットがあり、どこにどういうデメリットがあるかという各論こそが大事だと思っていろいろ書いたつもりなんですが、そこは、

・・・ただし、本書の第1章でジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用の基礎の基礎を展開した後、労働法に基づく訴訟の紹介が多くなり、やや私の専門分野からズレを生じてしまった気もします。・・・

と、あまり面白く読んでいただけなかったようです。総論だけならだれでも何とでもいえるので、各論のディテールにこそ神が宿ると思っている立場からするとやや残念でした。

さて、この書評の最後で、吉岡さんはこのように述べられるのですが、ここは実はまさに各論のディテールのレベルで山のように言いたいことがてんこ盛りなんです。

・・・ただ、現実として、すでに日本でもジョブ型の雇用システムが採用されている分野があります。医師の世界と大学教員の雇用です。私もその中に入ります。大学教員でいえば、どのような学位を持っていて、あるいは、その学位相当の能力があり、どのような分野の授業がどのような言語でできるか、を明示した採用となります。そして、その職務記述書に沿ったお給料となるハズなのですが、なぜか、私の勤務する大学では年功賃金が支払われています。少しだけ謎です。 

いや、謎というか、そこにこそ日本社会の中の局部的ジョブ型雇用社会の特徴があるのですよ。

ジョブ型の本質は入口にこそある、いやむしろ入口以前にこそある、という本書の立場からすると、大学教員の世界は日本ではまことに例外的なジョブ型の世界です。

でも、賃金制度はほぼ完全な年功賃金で、民間企業のような能力主義すらほとんどないまことに古典的な生活給。

そして、入口が特定のジョブにそのジョブを遂行しうるスキルを有する者をはめ込むというジョブ型であるにもかかわらず、出口については最近のいくつかの大学教授整理解雇訴訟に見られるように、何やらみょうちきりんなメンバーシップ型がまかり通るという奇妙な事態が出来しているのです。

これはまさに吉岡さんがあまり関心を持たない「やや私の専門分野からズレを生じてしまった」領域かもしれませんが、雇用システム論の威力というのは、こういう細部にこそ現れてくるのです。

これは、『ジュリスト』に載せた淑徳大学事件の判例評釈ですが、

http://hamachan.on.coocan.jp/jurist2004.html

解雇された大学教授らは、大学教授という職務への限定性を強く主張し 、「大学教員はその専門的知識及び実績に着目して採用されるもの」と言いながら、学部が廃止されても他学部への配置転換可能性を当然の如く主張していたのは、実に奇妙な話です。もっとも本件は、彼ら高齢教授たちの首を斬るためにわざと学部を廃止してよく似た新学部を設置するといういんちきなことをやっているので、結果オーライという面もあるのですが、そもそも論からすると、ある学問の専門分野に着目して、当該分野のジョブにはめ込むために採用されたジョブ型大学教授を、全然別の学部の全然別のジョブに配置転換するなどということがジョブ型の本旨に合致するものなのかという問題意識がかけらも感じられないという、欠陥判決ではあります。

[評釈] 結論には賛成だが、判旨に疑問あり。
Ⅰ 大学教授の整理解雇事案の概観
 本件は内容的には事業の縮小に伴う整理解雇事案であるが、整理解雇対象が大学教授という職種である点に特徴がある。近年、少子化に伴い大学のリストラが話題となっているが、大学教授の整理解雇が焦点となった裁判例はなお極めて少ない。現在までのところ、本件を含めて5事案8判決ある(学校法人村上学園(東大阪大学)事件〔大阪地判平成24.11.9労働判例ジャーナル12号8頁〕:整理解雇有効、学校法人獨協学園(姫路獨協大学)事件地裁判決〔神戸地判平成25.4.19平成23年(ワ)1338号〕:整理解雇無効、同高裁判決〔大阪高判平成26.6.12労働判例ジャーナル30号30頁〕:整理解雇有効、学校法人金蘭会学園(千里金蘭大学)事件地裁判決〔大阪地判平成26.2.25労判1093号14頁〕:整理解雇無効、同高裁判決〔大阪高判平成26.10.7労判1106号88頁〕:整理解雇無効、学校法人専修大学(専修大学北海道短期大学)事件地裁判決〔札幌地判平成25.12.2労判1100号70頁〕:整理解雇有効、同高裁判決(札幌高判平成27.4.24労働判例ジャーナル42号52頁〕:整理解雇有効、学校法人大乗淑徳学園事件〔東京地判令和元.5.23〕〔本件〕:整理解雇無効)。
 いずれも1つの学校法人の下に複数の大学、短大等が設置され、それらに複数の学部、学科、専攻等が置かれている。学校法人の一部であるこれらの大学、短大、学部、学科、専攻といった単位の廃止が、当該単位に所属する大学教授の整理解雇をどこまで正当化するのか、言い換えれば大学教授という職種の解雇回避努力義務はどの範囲までかが中核的論点である。
 廃止単位に着目すると、短期大学という事業所自体の完全廃止事案(専修大学事件)では解雇有効、短大部廃止に伴う学部再編事案(金蘭会学園事件)では解雇無効、学部内の学科の縮小再編事案(獨協学園事件)では地裁と高裁で判断が分かれているが、最も単位の小さな学科内の専攻廃止(村上学園事件)では解雇有効である。一方、解雇対象教授の職務範囲に着目すると、村上学園事件が「介護福祉士養成施設である生活福祉専攻の教授という職種限定の合意」を認定して、他学部・他学科等への配置転換の余地を全く認めていないのに対し、金蘭会学園事件では当該教授の東洋史学という狭い専門分野にもかかわらず、幅広い授業科目を担当してきた実績を考慮しており、また獨協学園事件では、外国語学部の外国語教師が全学の語学教育を担当していたことが考慮されている。
Ⅱ 人員削減の必要性
 整理解雇4要素は一般には独立の要素と考えられるが、学校法人のうちのある単位を廃止して人員削減する場合、その必要性を法人全体で見るのか当該単位で見るのかという問題がある。職務や勤務場所が限定されているのであれば、人員削減の必要性の判断もその範囲内でなされるべきとも考えられるからである(獨協学園事件では法人全体ではなく大学単位で判断)。
 本判決は、国際コミュニケーション学部の廃止自体は経営判断として不合理とはいえないとしつつ、Xらを解雇しなければYが経営危機に陥るといった事態は想定しがたいとして、人員削減の必要性は法人全体で見るべきという立場に立っているようだが、一方で「Xらは人文学部の一般教養科目及び専門科目の相当部分を担当可能であったものであるから」と職務範囲を拡大して判断していることがその判断根拠となっているようでもあり、だとすると人員削減の必要性の判断は労働者の職務範囲の限度でなされていることになる。判旨Ⅱ2「所属学部の限定の有無との関係」も解雇回避努力ではなくこの人員削減の必要性の一部で論じられているが、その論拠は国際コミュニケーション学部と入れ替わりに設置されかつ教育内容に共通性のある人文学部への配置転換可能性ではなく、「アジア国際社会福祉研究所その他の附属機関」への配置転換可能性であり、議論の筋道が錯綜していると言わざるを得ない。
Ⅲ 解雇回避努力
1 労働契約における所属学部の限定の有無
 Xらは国際コミュニケーション学部の専門性と関係のない一般教養科目を担当してきたこと、就業規則8条1項を根拠に学部間の配置転換を命ずることが可能であったこと等を論拠に所属学部が国際コミュニケーション学部に限定されていたことを否定するが、Yは「大学は学部ごとに研究及び教育内容の専門性が異なる」ことを論拠にXらの所属学部及び職種が国際コミュニケーション学部の大学教員に限定されていたと主張し、それゆえ整理解雇に該当しないと主張した。Yの主張は、(解雇回避努力の範囲に関わる)労働契約の限定性と整理解雇該当性という次元の異なるものを混同しているが、本判決はこれを奇貨として、「Xらの所属学部及び職種が同学部の大学教員に限定されていたか否かにかかわらず」整理解雇に該当すると(至極当然のことを)述べるだけで、限定の有無を正面から論ずることを回避している。
2 人文学部への教授としての配置転換可能性
 本件の最大の論点は国際コミュニケーション学部と入れ替わりに設置された人文学部へのXらの配置転換可能性である。なぜなら、古典的な学部配置を前提とすれば学部とは大学教授の専門性のまとまりであり、例えば法学部には法律学者がおり、理学部には物理学者がいるという状況を前提として、「大学は学部ごとに研究及び教育内容の専門性が異な」り、「大学教授は所属学部を限定して公募、採用されることが一般的」であると言えようが、近年のように学部学科の在り方が多様化し、古典的学部のようには明確に専門性を区別しがたい(「国際」等を冠する)諸学部が濫立すると、必ずしも「大学は学部ごとに研究及び教育内容の専門性が異なる」とは言えなくなるからである。Xら側が国際コミュニケーション学部と人文学部に「連続性があることは明らか」と主張しているにもかかわらず、本判決はこの最重要論点を回避し、「Yのとるべきであった解雇回避措置は、Xらの同学部への配置転換に限られるものではなかったというべき」と言って済ませている。本件では国際コミュニケーション学部の高齢で高給の教授を排除して、新たな人文学部ではより若く高給でない専任教員に代替しようという意図が背後に感じられる面もあり、この論点回避は残念である。
 なお本判決は「Xらは人文学部の一般教養科目及び専門科目の相当部分を担当可能であった」と認定しており、過去の裁判例(金蘭会学園事件)に倣えばこれを決め手として配置転換可能性ありと判断することもあり得たが、本判決は学部が「限定されていたか否かは別として」と言ってこれを回避している。
3 附属機関の教員としての配置転換可能性
 本判決がYの学部限定論に対して肯定も否定もせず、それによって制約されない選択肢として提示するのがアジア国際社会福祉研究所その他の附属機関であるが、これは論理的におかしい。Yの学部限定論を認めるのであれば、人文学部であろうが附属機関であろうがその限定の範囲外であることに変わりはない。逆に学部限定論を全面的には認めず、附属機関への配置転換可能性を認めるのであれば、より職務内容が類似している人文学部への配置転換可能性を認めない理由はないはずである。本丸の人文学部への配置転換可能性をまともに議論しないでおいて、もっぱら附属機関への配置転換可能性のみを持ち出すのはあまり誠実とは言いがたい(大学附属機関を伸縮自在の魔法の器とでも考えているのであろうか)。
4 事務職員としての配置転換可能性
 本件で興味深いのは、大学教授の配置転換可能性として事務職員としての雇用継続という選択肢も論じられていることである。この点に関しては、Xら側が大学教授という職務への限定性を強く主張し、本判決もそれを認めている。しかしながら、そもそも「大学教員はその専門的知識及び実績に着目して採用されるもの」を強調するのであれば、およそ大学教授であれば何を教えていても配置転換可能などという議論はありえまい。例えば法学部が廃止される場合、その専任教員を事務職員にすることは絶対に不可能であるが、理学部の専任教員にすることは同じ「大学教員」だから可能だとでも主張するのであろうか(労働法の教授を人事担当者にする方がよほど専門知識に着目しているとも言えよう)。
 逆に配置転換可能性という意味ではその範囲外であったとしても、解雇回避努力の一環として本俸を維持した事務職員への配置転換を提示することはありうる。それは職務限定の範囲外であるためにXらがそれを拒否することは当然ありうるが、少なくともY側の解雇回避努力の一つとして認めることには特段問題はない。附属機関への配置転換可能性を過度に強調することと比べると、事務職員への配置転換を安易に「解雇回避努力としては不十分というべき」と断じていることには違和感がある。
Ⅳ 解雇手続の相当性
 本件では、Xらが結成した職員組合が団体交渉を申し入れたことから始まる不当労働行為事件の申立て、その再審査、その取消訴訟という一連の流れがあり、そのいずれにおいても、YのXら組合に対する団交拒否、支配介入の不当労働行為を認定しており、Yが「Xらとの協議を真摯に行わなかった」という判断に問題はない。

 

2022年5月 6日 (金)

吉野家の一件のジョブ型入管法的理由とその消滅

Llx6kjwy 親子丼新発売日目前にシャブ漬け生娘事件をぶつけるという事態があったばかりの吉野家でこんなことが起こっていたようですが、

https://www.sankei.com/article/20220506-SGU3PAMRJRKE5O623A2XQJ4UFY/(吉野家、外国籍で参加拒否 採用説明会予約の大学生 ビザ取得の困難理由)

 吉野家ホールディングス(HD)は6日、牛丼チェーン吉野家の採用説明会に予約した大学生に対し、外国籍であると判断したことを理由に参加を拒否していたと明らかにした。「ビザの取得が非常に困難」と理由を説明している。吉野家は採用サイトに「外国籍社員の積極的な登用を続けています」と明記していた。
 吉野家HDによると、吉野家の採用担当者が大学や居住地などの情報から、説明会参加希望者の一人を外国籍と判断。「就労ビザの取得が大変難しく、内定となった場合も入社できない可能性がある」とのメールを送り、予約を取り消した。同様の対応は令和3年1月ごろから行っていた。
 吉野家HDは、過去にビザを取得できずに内定取り消しをせざるを得なくなったケースがあり「取り消された人の心象をおもんぱかり、やむなく断っていた」と釈明。「(ビザ取得が採用条件であることなどの)説明が不足しており、参加希望者への連絡にも不備があった」と説明した。 

拒否された本人のツイートはこちら:

https://twitter.com/K5cc0X/status/1521498867484741632

これは、そもそも外国籍ではない人を外国籍の留学生だと判断するという間違いから始まっているのであまり同情の余地はないのですが、それにして入管法の本来の建前からすると、そういうことはありうる、いや正確にいうとあり得た話ではあるのです。

ここは、『ジョブ型雇用社会とは何か』の後ろの方でも取り上げているのですが、そもそもの入管法の建前は純前たるジョブ型なので、吉野家のようなファーストフード店で給仕接客するような仕事は本来アウトなのです。「過去にビザを取得できずに内定取り消しをせざるを得なくなったケース」というのは、その時の話なのでしょう。

ところが、吉野家の人事部はキャッチアップしていなかったようなのですが、そういうジョブ型入管法の運用に対して、経済団体が猛烈に要求して、今ではそれでもOKになっているんです。このあたりの経緯は、同書でも簡単に触れましたが、もう少し詳しい解説は昨年WEB労政時報に寄稿していますので、そちらを引用しておきましょう。

ジョブ型「技人国」在留資格とメンバーシップ型正社員の矛盾

 日本の外国人労働政策は至るところに矛盾を孕(はら)孕(はら)んだ形で展開してきました。その代表格は「労働者として」入れるのではない定住者という在留資格の日系南米人と、最初は「労働者ではない」研修生で、次は一応労働者ではあるが主目的は国際貢献という触れ込みの技能実習生ですが、留学生の資格外活動(アルバイト)を週28時間まで認めているのも、ローエンド技能労働者のサイドドアであることは確かです。この労働需要に対しては、2018年12月の入管法改正により、ようやく特定技能という在留資格が設けられ、それなりのフロントドアが作られたといえます。
 
 これらに対して、日本政府はずっとハイエンドの外国人は積極的に受け入れるという政策をとってきました。その中でも、いわゆる普通のホワイトカラーサラリーマンの仕事に相当する在留資格が技術・人文知識・国際業務、いわゆる「技人国」です。出入国管理及び難民認定法(以下、入管法)の別表では、「本邦の公私の機関との契約に基づいて行う理学、工学その他の自然科学の分野若しくは法律学、経済学、社会学その他の人文科学の分野に属する技術若しくは知識を要する業務又は外国の文化に基盤を有する思考若しくは感受性を必要とする業務に従事する活動」と、定義されています。
 要するに、理科系と文科系の大学を卒業し、そこで学んだ知識を活用して技術系、事務系の仕事をする人々ということですから、ジョブ型社会における大卒ホワイトカラーを素直に描写すればこうなるという定義です。つまり、日本の入管法は他の多くの法律と同様に、欧米で常識のジョブ型の発想で作られているといえます。
 
 ジョブ型の常識で作られているということは、メンバーシップ型の常識は通用しないということです。法務省の「『技術・人文知識・国際業務』の在留資格の明確化等について」には、「従事しようとする業務に必要な技術又は知識に係る科目を専攻していることが必要であり、そのためには、大学・専修学校において専攻した科目と従事しようとする業務が関連していることが必要」と書かれています。
 何という職業的レリバンスの重視でしょうか。これは、専門技術職は積極的に受け入れるけれども、単純労働力は受け入れないという原則を掲げている以上当然のことです。ところが、それが日本のメンバーシップ型社会の常識と真正面からぶつかってしまいます。今まで留学生の在留資格だった外国人が、日本の大卒者と同じように正社員として採用されて、同じように会社の命令でどこかに配属されて、同じように現場でまずは単純作業から働き始めたとしたら、それは「技人国」の在留資格に合わないのです。大卒で就職しても最初はみんな雑巾がけから始める、などというメンバーシップ型社会の常識は通用しないのです・・・しないはずでした。
 
 ところが、それでは日本企業が回らないという批判を受けて、法務省は2008年7月「大学における専攻科目と就職先における業務内容の関連性の柔軟な取扱いについて」という局長通達で、「現在の企業においては、必ずしも大学において専攻した技術又は知識に限られない広範な分野の知識を必要とする業務に従事する事例が多いことを踏まえ、在留資格『技術」及び『人文知識・国際業務』の該当性の判断に当たっては、(中略)柔軟に判断して在留資格を決定する」ことと指示したのです。とはいえ、あくまでもジョブ型の大原則は変えていないので、「例えばホテルに就職する場合、研修と称して、長期にわたって、専らレストランでの配膳や客室の清掃等のように『技術・人文知識・国際業務』に該当しない業務に従事するといった場合には、許容されません」と、それなりに厳格さは維持されていました。
 しかし、それでもまだ足りないという批判が繰り返され、あっさり本来のジョブ型制度が後退してしまったのです。上記2018年12月の入管法改正を受けて同月に策定された外国人材受入れ・共生対応策では、留学生の就職率が3割強にとどまっていることから、大学を卒業する留学生が就職できる業種の幅を広げるために在留資格の見直しを行うとされ、翌2019年5月の告示改正で、「日本語を用いた円滑な意思疎通を要する業務」という名目の下、飲食店、小売店等でのサービス業務や製造業務も特定活動46号として認めることとしたのです。同時に出されたガイドラインの具体的な活動例を見ると、以下のとおり、
よほどの単純労働でない限り、普通の技能労働レベルのものがずらりと並んでいます。

 飲食店に採用され、店舗管理業務や通訳を兼ねた接客業務を行うもの(日本人に対する接客を行うことも可能です)。
※厨房での皿洗いや清掃にのみ従事することは認められません。
 工場のラインにおいて、日本人従業員から受けた作業指示を技能実習生や他の外国人従業員に対し外国語で伝達・指導しつつ、自らもラインに入って業務を行うもの。
※ラインで指示された作業にのみ従事することは認められません。
 小売店において、仕入れ、商品企画や、通訳を兼ねた接客販売業務を行うもの(日本人に対する接客販売業務を行うことも可能です)。
※商品の陳列や店舗の清掃にのみ従事することは認められません。
 ホテルや旅館において、翻訳業務を兼ねた外国語によるホームページの開設、更新作業等の広報業務を行うものや、外国人客への通訳(案内)を兼ねたベルスタッフやドアマンとして接客を行うもの(日本人に対する接客を行うことも可能です)。
※客室の清掃にのみ従事することは認められません。
 タクシー会社において、観光客(集客)のための企画・立案や自ら通訳を兼ねた観光案内を行うタクシードライバーとして活動するもの(通常のタクシードライバーとして乗務することも可能です)。
※車両の整備や清掃のみに従事することは認められません。
※タクシーの運転をするためには、別途第二種免許(道路交通法第86条第1項)を取得する必要がありますが、第二種免許は、個人の特定の市場への参入を規制することを目的とするものではないことから、いわゆる業務独占資格には該当しません。
 介護施設において、外国人従業員や技能実習生への指導を行いながら、日本語を用いて介護業務に従事するもの。
※施設内の清掃や衣服の洗濯のみに従事することは認められません。
 食品製造会社において、他の従業員との間で日本語を用いたコミュニケーションを取りながら商品の企画・開発を行いつつ、自らも商品製造ラインに入って作業を行うもの。
※単に商品製造ラインに入り、日本語による作業指示を受け、指示された作業にのみ従事することは認められません。

 ハイエンド労働者は入り口からハイエンドの仕事をし、ローエンド労働者はずっとローエンドの仕事をするというジョブ型社会の常識が、ハイエンド(に将来なる予定/なるかも知れない/なるんじゃないかな)の労働者が入り口ではローエンドの仕事をするという日本社会の常識に道を譲ったわけです。それは、もしその就職した留学生たち全員が本当にハイエンド労働者になることを予定しているのであれば、ジョブ型の制度趣旨に反するというだけで、否定されるべきではないのかもしれません。しかしながら、日本の外国人政策における留学生の位置づけを振り返ってみると、その点にもかなりの疑問符が付きそうです。なにしろ、いまや本家の「技人国」ですら、中国人を抑えて、一番多いのはベトナム人になっているのですから、どこまでハイエンド労働者なのか、大変疑わしい状況になりつつあります。 

たぶん、吉野家に就職して留学ビザから就労ビザに切り替える場合、上のアの「飲食店に採用され、店舗管理業務や通訳を兼ねた接客業務を行うもの(日本人に対する接客を行うことも可能です)。※厨房での皿洗いや清掃にのみ従事することは認められません」に該当することになると思われますので、2019年告示改正以後は留学生の就職の場合であってもビザが取れずに内定取消になることはなくなったはずですが、それがいいことなのかどうかという問題は残ります。

もちろん、そもそも今回の事件については、外国籍の留学生でもなんでもなく、民族的マイノリティの日本国籍者を勝手に外国籍だと思い込んだ事件のようなので、同情の余地はないのですが、少なくとも背景事情としてはこういうことがあり、それ自体が結構深い問題を孕んでいるということは理解できるのではないかと思います。

(追記)

このエントリに、こういうはてブが付けられていることを考えると、

https://b.hatena.ne.jp/entry/4719205288779642466/comment/petronius7

この説明でおかしいのは、吉野家本体の社員は多分、管理企画業務をやって店頭で接客するわけではないので、以前でも入管に拒否られる理由が無い事、人事の入管対応が不十分だったとしか思えない。

拙著を読んでいる方には言わずもがなですが、そうでない方はその入口以前のところで引っかかってしまうかもしれないので、念のため解説をしておきますね。

特殊日本的なメンバーシップ型雇用システムにどっぷり漬かっていると見えなくなりがちなんですが、吉野家の本社等で経営企画や商品開発や営業戦略などに携わっているようなホワイトカラー労働者と、牛丼を客に出しているお店で給仕接客しているようなブルーカラー労働者は、全く異なるジョブであり、日本以外のすべての国ではお互いに混じり合うことはありえません。

一昨年来日経新聞はじめとするいんちきジョブ型論がすべて見落としているのは、ジョブ型雇用社会とはジョブでもって区別される社会であり、ジョブ(とそれを遂行しうるスキルを証明する学歴等の資格)のみが正当な区別の根拠であり、それ以外は不当な差別であるとみなされる社会であるということです。

ところが、日本では大卒の(将来は経営管理者になるかもしれない)ホワイトカラー労働者も最初は現場でブルーカラージョブに就けて「雑巾がけ」をやらせます。こんなことは日本のメンバーシップ型社会だけの現象ですが、それをきちんと認識している人はほとんどいません。

ところが、上記告示改正前の入管法は、他のジョブ型社会とまったく同様の発想で「技人国」在留資格を取り扱っていました。したがって、大卒の留学生を本社等のホワイトカラー労働のジョブに就ける場合に限って「技人国」の在留資格に切り替えて採用することができますが、牛丼を客に出しているお店で給仕接客しているようなブルーカラー労働者であれば駄目です。そういうのは、留学生の資格外活動(アルバイト)であれば可能ですが、「技人国」に雑巾がけをやらしたらアウトなのです。

恐らく吉野家の人事部としては、上記採用説明会というのは日本人学生向けの説明会であって、すなわち大学で勉強してきたことは全部忘れて現場で雑巾がけをしながら勉強しろといういかにも日本的なキャリア管理を大前提にした説明会なので、外国人留学生には不適切だと考えたのでしょう。

それは全くその通り、少なくとも上記2019年告示改正までは全くその通りであるし、今日でも原理原則から言えばやはりその通りなのです。では外国人留学生をどういう風に採用するかといえば、こういう日本人学生向けのコースとは別口の、まさに言葉の正確な意味におけるジョブ型の入口をこしらえて、雑巾がけなどとは無縁の、まさに大学で勉強した専門分野の知識を生かせるようなジョブに初めから、そう、ここが大事ですが、始めからそういうジョブに就けるという前提で採用するわけです。

こういう風に説明するとわかってくると思いますが、要するに本件は、吉野家の人事部がその名前等の特徴から外国人留学生だと誤解した民族的マイノリティの日本国籍人を、その応募したメンバーシップ型の入口の説明会は不適切であると誤認したために起こった事件であるわけです。

残念ながらマスメディアも含めて、とりわけ知ったかぶりして毎日のようにジョブ型がどうたらこうたら書いているマスメディアも含めて、こういう本件の雇用システム的背景事情をきちんと解説している記事を一つも見つけることができませんでした。

 

2022年5月 5日 (木)

ジョージ・オーウェルからの若干の教訓

9586be58f7620c6c028f34f5af69e4a3480x たまたま日本の憲法記念日にあたる5月3日付でEUObserverに掲載されたカロリーネ・デ・グルイターさんの「Some lessons from George Orwell」(ジョージ・オーウェルからの若干の教訓)というエッセイが、まさに日本の文脈においてもなかなか面白かったので紹介。

https://euobserver.com/opinion/154848

"Pure pacifism can only appeal to people in very sheltered positions." While reading George Orwell's essay The Lion and The Unicorn, one must pinch oneself at times: this could have been written today.
Instead, Orwell wrote these lines in 1941. 

「純粋平和主義は極めて隔離された位置にいる人々だけにアピールする。」ジョージ・オーウェルの『ライオンと一角獣』というエッセイを読んでいると、時に我が身をつねらなければならなくなる。これは今日書かれたかのようだ。ところがオーウェルがこれを書いたのは1941年なのだ。

・・・For example, he raises an important question we have been wrestling with since Russia invaded in Ukraine in February: is it possible at all to be a pacifist in these times?

たとえば彼は、去る2月にロシアがウクライナに侵略して以来われわれが取り組んできている重要な問題を提起している:今日ただいま平和主義者であることなんて可能なのか?

Orwell, a lifelong socialist, was a member of the Independent Labour Party. But he was fiercely critical of the party, because it dismissed Stalin's excesses and refused rearmament. It was opposed to war in principle, and wanted to stay out.

終身の社会主義者であったオーウェルは独立労働党の党員であった。しかし彼は同党に対して激しく批判した。なぜなら同党はスターリンの行き過ぎを無視し、再軍備を拒否したからだ。同党は原則として戦争を否定し、局外にいようとした。

Orwell, on the other hand, became convinced one had to defend democracy against fascism and totalitarianism.

これに対してオーウェルは、ファシズムと全体主義に対して民主主義を防衛しなければならないと確信した。

This is why, in the 1930s, he went to fight in the Spanish civil war. He complained about British champagne-socialists, more attached to their mansions and privileges than to the cause of democracy. "The lady in the Rolls-Royce car is more damaging to morale than a fleet of Goering's bombing planes," he wrote.

これが、1930年代に、彼がスペイン内戦に参戦した理由だ。彼は民主主義の大義よりも大邸宅と特権に執着するイギリスのシャンペン社会主義者に不満を鳴らした。「ロールスロイス車に載っているレディはゲーリングの爆撃機よりもモラールに有害だ」と彼は書いている。

「大邸宅と特権に執着するイギリスのシャンペン社会主義者」ってのが、例のピケティのバラモン左翼を半世紀以上先取りしているように見えるのも面白いところです。

51jt2p94ntl_sx325_bo1204203200_ ちなみに、『ライオンと一角獣』は平凡社ライブラリーで出ているようです。

「特定の地域と特定の生活様式に対する献身」という意味での愛国心を守り、高級文化よりもその根もとにある民衆文化を大事にしたジョージ・オーウェルの思想がよく表れた、共感あふれるエッセイ集。

 

 

2022年5月 4日 (水)

定年とは・・・

こういうまことに素直な疑問を呈するつぶやきがありました。

https://twitter.com/ukbrilliantlife/status/1521728635169820672

10年ほど前から日本では定年というイベントがリタイヤではなく低賃金で働く段階への移行に変わっているみたい

いや、全くその通りなんですが、なぜか労働法でも労働経済でも真面目な労働問題の本でその真実をズバリと書いている本はほとんどないんですよね。あれこれの事実は山のように書き連ねているものの。

71cahqvlel_20220504193501 たぶん、それをむくつけに明示したのは、この本くらいではないでしょうか。

そもそも今の定年は強制退職年齢ではない
 さて、前項では定年制を「労働者が一定の年齢に達したときに労働契約が終了する強制退職制度」と定義しましたが、これは現在ではもはや当てはまりません。日本政府の正式訳でも定年は「mandatory retirement age」となっていますが、現在なお圧倒的大部分である60歳の定年で本当に強制的に退職させられる人はいないはずだからです。高年齢者雇用安定法によれば、定年年齢は60歳を下回ってはならず、つまり60歳定年でいいのですが、その後65歳まで希望者全員を継続雇用しなければなりません。つまり、本当にその意に反して年齢のみを理由に退職させられる人が出るとしたらそれは65歳であって、定年という名前のついている60歳という年齢は、それまでの正社員としての雇用契約がいったん終了し、改めて(嘱託等の名前のついた)有期雇用契約が始まる時点なのです。
 これは理論的にもなかなか複雑怪奇なところで、かつては65歳までの継続雇用が使用者の努力義務でしたし、それが義務化された後も労使協定により対象者を限定できるという制度があったりしたので、その限りでは60歳で年齢のみを理由として強制的に退職に追い込まれる人が存在し得たのですが、2012年の法改正によって65歳までの継続雇用が全面的に義務化されたため、60歳はいかなる意味でも強制退職年齢ではなくなりました。日本語では定年という(年齢に関わるという以外は)内容不明の用語を使うことでごまかしていますが、英語に訳すとそのからくりが露呈してしまいます。

今の定年は処遇の精算年齢
 では、強制退職年齢ではないとすれば、60歳定年とは一体何なのか。そして、なぜそれをあたかも強制退職年齢であるかの如き定年という言葉で呼び続けているのか。その根本原因も日本型雇用システムにあるのです。その謎を解く鍵は、雇用保険を原資とするある制度にあります。財源を労使折半で賄っている高年齢雇用継続給付という制度は、60歳定年で退職し、その後継続雇用された労働者の賃金が定年前の75%未満に下落した場合に、賃金の15%相当額までを補填してくれる制度です。現在の補填率は15%ですが、2003年改正前は25%まで補填してくれていました。
 この制度ができたのは1994年で、そのときは努力義務に過ぎない65歳までの継続雇用を促進するための制度だという触れ込みでした。ところが2012年改正で65歳までの継続雇用が全面的に義務化された後も、この制度は堂々と残っています。義務であることを促進するためにわざわざお金を出すというのは筋が通らないはずですが、お金を出している労使が文句を言わないのは、それが役に立っているからでしょう。どういう役に立っているかといえば、年功賃金制の下でひたすら上がり続けて定年直前には相当の高給になった中高年労働者を、本来あるべき賃金水準に引き下げて雇い続けるための上乗せ的な手当ということです。
 つまり今日の日本において、本来強制退職年齢という意味を有していた定年という言葉は、それまでの高給を一気に引き下げるための区切り、いわば処遇の精算年齢という意味になっています。その処遇の精算を円滑に行えるようにするために、制度創設時の理屈を括弧に入れたまま、その差額の一部を公的に補填するという制度が続けられているのです。

 

今の与党より許せるのがロシア

もちろん、その某野党議員氏は、反米イデオロギーをこじらせた挙げ句に毎日のようにプーチン・ロシアによるウクライナへの侵略と虐殺を思いっきり弁護しまくっている「護憲派」世に倦む日々氏とは違い、単に目の前の自民党による改憲の動きを批判したかっただけなんだろうと思いますが、とはいえ、「ロシアより許せないのは今の与党」という言説は、論理的には「今の与党より許せるのがロシア」ということになり、よほど今の与党が天地共に許さざる極悪非道だと思っている一部の人を除けば、この言葉はロシアによるウクライナに対する侵略と虐殺を「いやいやプーチンもそんなに悪くはないぞ、自民党よりましだぞ」と弁護する言葉として受け取られることになりますね。

繰り返しますが、ネットの一部でなおわめき続けている東洋的専制主義の提灯持ち諸氏とは違い、この某野党議員氏はプーチンの侵略を擁護しようという意図などまるでなく、ごく気軽に自民党批判のネタとして今話題のロシアを持ってきただけだったのだろうと推察されますが、とはいえ上述のようなごくごく初歩的な論理の帰結すらも考えずに近視眼的な言葉を発してしまうと、その影響は極めて大なるものがありましょう。

折りしも、連合の政党支持がどうたらこうたらとややこしいことになりつつあるときに、あんまり自分からまっとうな人々の票を蹴散らしに行くような言動はいかがなものかと思われないでもないですが、それはまた別の話ということで。

2022年5月 3日 (火)

大学・大学院とメンバーシップ型

世の中には、最高学府レベルにまで行きながら自分自身も含めた社会のありようというものが全然見えていない人が結構いるんだな、というだけのことかもしれませんが、せっかくなので(何が?)某所で喋った一部を。

--文学部は就職で苦戦するからと、経済学部など社会科学系の学部に進む生徒がいる現状についてはどうお考えですか?
濱口 端的に言って、それは勘違いだと思います。つまり、文学部が役に立たないというのであれば、法学部や経済学部が役に立たないことと本質的に何の変わりもありません。日本の大学の法学部出身者の圧倒的大多数は法律家になりません。そのような意味から言うと、日本の法学部で学んだことがそのまま役に立つ人は、指で数える程度しかいません。ましてや経済学部は、ほぼいません。ということは、文学部でシェイクスピアを学んだ人と何ら変わらないのです。けれども、法学部、経済学部、文学部では就職状況で明らかな違いがあります。
 何が違うのかというと、そのジョブを遂行するスキルではなく、「何でもやります」の覚悟です。つまり、法学部や経済学部に進学するということは、「会社員としてバリバリやっていきます」という信仰告白を大学に入る段階でやってることになるのです。文学部に進学するということは、そうした世俗の会社のためにバリバリ働くということから背を向けて、文学や哲学などこの世ならぬ話が好きな人なのではないかと見られてしまう。役に立たないという意味では何の変わりもないけれども、やる覚悟があるかという意味で違うと見られるから差が出るのだと思います。
 この話はあたかもジョブ型のロジックと勘違いされますが、そうではありません。ジョブ型社会では「文学部でシェイクスピアを学んだ人は求めていません」などという話はしません。「この仕事のこのスキルはありますか?」という基準のみで、採用が決まります。学部による就職状況の違いは、ジョブ型のロジックではなくて、むしろメンバーシップ型のロジックに基づくものであるということはわきまえていたほうがいいと思います。
--日本では大学院に行くと、かえって就職しにくくなりますが、これはメンバーシップ型の問題に関係していますか?
濱口 文部科学省が作った大学院が全面的に失敗している最大の理由は、根本のOSが全く変わっていないからです。
 世界中、学歴水準は上がっています。20 世紀初頭は、初等教育がマジョリティだったところから、中等教育がマジョリティーになり、今は高等教育がマジョリティーになっている。そんななかで、日本以外の国では、上層部を取る。つまり、大学院を出た人間を採用する方向で進化してきました。日本も中卒から高卒へ、高卒から大卒へと同じように進んできたんですが、大学院へ進学した人を積極的に採用しようとはしません。
 ジョブ型ではジョブの中身が高度化すれば学部卒レベルでは不十分で、大学院卒レベルの人をはめ込むことになります。けれども、メンバーシップ型の日本の企業では、学部卒の若者なら採用するけれど、大学院卒ではiPS細胞がだんだん硬くなり、どこにも適合できないと判断されてしまうのです。

 

2022年5月 2日 (月)

本田一成『ビヨンド!KDDI労働組合20年の「キセキ」』

31524975_1 本田一成『ビヨンド!KDDI労働組合20年の「キセキ」』(新評論)をお送りいただきました。

https://www.shinhyoron.co.jp/978-4-7948-1207-0.html

「スマートな労組」?とんでもない!
激しく逞しくドラマチックな闘いの歴史を余さず描く、刺激に満ちた傑作ノンフィクション。

労働組合の歴史を描く本田さんの今度の標的はKDDIです。

KDDIと言えば、わたしの労働法政策の本でもちらちらと名前が出てきます。なんといっても、あの勤務間インターバル制度を率先導入し、労働時間のあり方に新風を吹き込んだ労働運動の先端なんですが、最近の「ジョブ型」でもよく名前がでてきます。その点について、本田さんは「まえがき」でKDDI以前の国際電電労組時代のエピソードとしてとても興味深いことを述べています。

・・・第2に、1960年代に入ると、国際電電労組は「同一労働同一賃金」の導入を目論見始めた。当時の同一賃金とは、現在大きく注目され、相次ぐ裁判で関係者が固唾を飲んで判示を凝視する、非正社員や男女の賃金格差の解消につながるような内容ではない。企業横断的な、つまり同じ産業の中で仕事が同じなら同じ金額となる「仕事別賃金」のことである。・・・

佐賀は、形式上は年功賃金の方が大幅の賃上げを獲得しやすいが、長期的に見れば、同一賃金にしてから上昇させる方が本当の賃上げになると主張した。そのため、労組内に論争を巻き起こし、産業別労働運動論も勘案した賃金体系の是正を促すことになった。・・・

1960年代に、政府や経営側が職務給を主張していた頃、断固反対の総評主流派とは異なり、ヨーロッパ型の横断賃率論を主張していた労働組合がありましたが、KDDIの前身の国際電電労組はその先端にいたのですね。

国際電電労組の調査部長であった佐賀健二さんは、岸本英太郎に師事し、当時岸本学派の若手研究者であった熊沢誠さんも熱弁を振るったのだそうです。

とはいえ、本書はあくまでもKDDI労組の歴史であって、その前史に過ぎない国際電電労組のことは余り書かれていません。

で、佐賀健二さんの若き日の論文を引っ張り出して読んでみました。『労働調査時報』1966年8月号に掲載された「同一労働同一賃金を目指す国際電電労組の闘い」という半世紀以上昔のものです。

・・・私たちは労働組合が、同一労働同一賃金を指向して積極的な運動を展開し始めたのは4,5年のことである。もっとも、同じように「同一労働同一賃金」という言葉を使っていても、当初から理論的にがっちりとしたものが確立されていたわけではなく、実践を通じて私たちの理解は深まり発展してきたと言ってよい。そこで、私たちの組合がどのような要求から手を付け始めたか、そしてそれをどのように発展させてきたかを紹介し、今後の展望を明らかにしたい。・・・

とはいえ、その「今後の展望」では、「組合員の年功意識の払拭」が課題として挙げられ、なかなか前途多難を示しています。

 

 

岸健二編『業界と職種がわかる本 ’24年版』

11135_1650939309 毎年恒例の、岸健二編『業界と職種がわかる本 ’24年版』(成美堂出版)をお送りいただきました。

https://www.seibidoshuppan.co.jp/product/9784415234861/

第20版となる今年版の「あとがき」には、岸さんのこの本に込めた思いが綴られています。

・・・私は長い間転職の現場に居合わせてきました。そこでは、どんなに優れた能力をお持ちであっても、御自分の職業プランをしっかりと整理して見つめていらっしゃる方は非常に少ないものでした。そして、ほとんどの方が学生時代や最初の就職活動時からの「仕事観」「職業観」の形成不足を抱えていらっしゃいました。

転職・再就職を考える人材の方々の傍らに立って痛感してきたこれらのことから、本書を世に送り出そうと思い至ったのです。・・・・

そう、決して安易なシューカツ技術本にしたくないという岸さんの理念がずっと貫かれているのですね。

 

 

 

 

2022年5月 1日 (日)

インタビューされた記事の原稿料?

自分で執筆した原稿には原稿料を受け取るのは当然。では、インタビューされた記事の原稿料というのはもらえるのか。

インタビュー記事の場合、インタビュワーが原稿を執筆するので、原稿料は当然そのインタビュワ―が受け取ることになるが、ではインタビュイーはどうかというと、少なくとも今までの経験からすると、例外的な場合を除いて何かを支払われたことはない。一般的にはそういう慣行なのだろう。

ただ、インタビュー記事というのは、ほっておくとおかしな誤解や思い込み等により、喋った本人の意図と異なる記述が書き連ねられていることがままある。そういうのがインタビューされた当人の本心だと思われると大変困るので、これも過去の経験から活字になる前に必ずチェックさせてもらうようにしている。

そうすると、ほぼインタビュワ―の原稿通りで済むこともあるけれども、場合によっては見当はずれの記述が多くて毎ページ真っ赤になるくらい朱が入ることもある。

そういう場合、下手をすると自分で原稿を一から書くよりも面倒くさいこともあったりするのだけれど、とはいえ、やはり自分で書いた原稿ではなく、人が書いた原稿に直しを入れているだけということなので、それが原稿料の対象になるということにはならないのだろう。

と、いう風に私は理解しているのだけれど、それに納得できないという人が出てくることはそれはそれなりに理解できるところではある。

 

『ジョブ型雇用社会とは何か』の推移

71cahqvlel_20220501224701 岩波書店のサイトには、岩波ベストテンというコーナーがあって、毎週新書、文庫、児童書等々の分野別にベストテンが載ってます。その新書の欄で、拙著『ジョブ型雇用社会とは何か』が9月17日の刊行以来どういう風に推移してきたのかをまとめてみました。

9月13日~9月19日:4位、1位:長部三郎『伝わる英語表現法』

9月20日~9月26日:4位、1位:芝健介『ヒトラー』 

9月27日~10月3日:4位、1位:芝健介『ヒトラー』  

10月4日~10月10日:4位、1位:芝健介『ヒトラー』 

10月11日~10月17日:3位、1位:芝健介『ヒトラー』 

10月18日~10月24日:4位、1位:師茂樹『最澄と徳一』 

10月25日~10月31日:7位、1位:師茂樹『最澄と徳一』 

 11月1日~11月7日:4位、1位:師茂樹『最澄と徳一』 

 11月8日~11月14日:4位、1位:芝健介『ヒトラー』 

11月15日~11月21日:1位 

11月22日~11月28日:3位、1位:辻本雅史『江戸の学びと思想家たち』

11月29日~12月5日:4位、 1位:辻本雅史『江戸の学びと思想家たち』

 12月6日~12月12日:4位、 1位:辻本雅史『江戸の学びと思想家たち』

12月13日~12月19日:3位: 1位:芝健介『ヒトラー』

12月20日~12月26日:4位、1位:今野真二『うつりゆく日本語をよむ』

12月27日~1月2日:1位 

 1月3日~1月9日:1位

1月10日~1月16日:1位 

1月17日~1月23日:5位、1位:須田努『幕末社会』

1月24日~1月30日:5位、1位:須田努『幕末社会』

1月31日~2月6日:5位、1位:菊地暁『民俗学入門』 

2月7日~2月13日:4位、1位:菊地暁『民俗学入門』 

2月14日~2月20日:3位、1位:長谷川櫂『俳句と人間』

2月21日~2月27日:8位、1位:五十嵐敬喜『土地は誰のものか』

2月28日~3月6日:10位、1位:大木毅『独ソ戦』

3月7日~3月13日:7位、 1位:大木毅『独ソ戦』

3月14日~3月20日:番外、1位:小川幸司,成田龍一編『世界史の考え方』 

3月21日~3月27日:6位、1位:小川幸司,成田龍一編『世界史の考え方』 

3月28日~4月3日:7位、 1位:小川幸司,成田龍一編『世界史の考え方』

 4月4日~4月10日:5位、1位:小川幸司,成田龍一編『世界史の考え方』

4月11日~4月17日:8位、1位:小川幸司,成田龍一編『世界史の考え方』 

ここまでの8か月ほどの間、1回を除いてほぼベストテンに顔を出し、4回ほど1位になっているというのは、まあそこそこ評判がいいということなんでしょうね。各週の1位の本を見るといかにも売れそうなのが代わる代わるでてきて、そういうすごいのの合間を縫ってなんとか生き残ってきているように見えるのは正直ほっとする思いです。

 

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