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2022年4月29日 (金)

職業安定行政における三者構成原則の出発点

これは、多くの人にとってはいささかトリビアに類する話かもしれませんが、結構重要な問題でもあるので、心覚え的にメモしておきます。

日本における三者構成原則の始まりについては、今までいくつか書いたり喋ったりしてきていますが、大体ILOへの労働者代表問題をめぐるいきさつから労働争議調停法に基づく調停委員会の話につなげることが多かったです。

http://hamachan.on.coocan.jp/rouseishin.html連合労働政策審議会労側委員合宿講演メモ

・・・新生内務省社会局は、労働組合のみを労働者代表の選定に参加させ(組合員1000人当たり1票)、日本労働総同盟会長鈴木文治を代表に選出した。これは、日本政府が少なくとも国際的には労働組合を含む三者構成原則を受け入れたことを意味する。ところが、日本にはまだ労働組合法がなく、三者構成原則の法的基盤が確立されていなかった。内務省社会局の課題は労働組合法の制定であったが、先進的な社会局案が政府部内で骨抜きとなり、議会までいっても若槻内閣時には衆議院で、濱口内閣時には貴族院で審議未了廃案となり、遂に制定に至らなかった。

 もっとも、同時に提出された労働争議調停法は1925年に成立し、日本法として初めて労働争議を犯罪としてではなく、適法な行為として位置づけ、その解決のため三者構成(労使各3人、第三者委員3人の計9人で構成)の調停委員会を設けた。これは常設ではなく争議の都度設けられるもので、しかも非公益事業においては当事者双方の請求がなければ設置されない仕組みであったため、実際にはほとんど設置されず(終戦まで計6件)、圧倒的多数は調停官吏や警察官吏による事実調停により処理された。その意味では、法律上はともかく現実に三者構成原則が労働関係を支配したとは言えない。・・・

これは確かにこの通りなんですが、実は労働政策の別の分野で、三者構成原則(に近いもの)がこれより若干早くできていたんですね。それは、1921年の職業紹介法に基づいて1924年に設置された職業紹介委員会です。

職業紹介法(大正10年4月9日法律第55号)

第8条 職業紹介所ノ事業ノ経営ニ関シ職業紹介委員会ヲ置ク内務大臣之ヲ監督ス

②職業紹介委員会ノ組織職務権限ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム

法律上はこれだけですが。この勅令が1924年に制定されています。そこでは、

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2955594

職業紹介委員会官制(大正13年2月20日勅令第20号)

第6条 中央職業紹介委員会ノ委員ハ二十人以内トス内務大臣ノ奏請ニ依リ内閣ニ於テ之ヲ命ス

③委員中ニハ使用者ノ利益ヲ代表シ得ル者及労働者ノ利益ヲ代表シ得ル者ヲ各同数加フルコトヲ要ス

と、まさに労使代表の参加を義務付けています。

で、確かに労働側委員として賀川豊彦、鈴木文治といった名前が載っています。

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/977747

ちなみに使用者側は藤山雷太とか武藤山治で、まさに労使とも重量級です。公益には福田徳三、末弘厳太郎という名前もあります。

まあ、職業紹介法というさほど労使がぶつかるテーマではなかったからというのもあるのかもしれませんが、少なくとも公的な労働行政に労使代表が関与するという恒常的な仕組みとしては、本邦第一号なのではないかと思われます。

 

 

 

 

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