ウクライナ危機にドミニク・リーベン『帝国の興亡』を読む(再掲)
ほんの12日前のエントリですが、再掲します。
原著は2000年、翻訳も2002年ともうふた昔も前の本ですが、ここ数日のウクライナ危機で改めてドミニク・リーベン『帝国の興亡』〔日本経済新聞社〕を読みました。
本書が刊行されたのはまさにプーチンが大統領になるころであり、まさに本書で言う「帝国以後」、ソビエト帝国崩壊後のぐちゃぐちゃの時代から、プーチン流のロシア再興戦略が発動されようとする頃であったことを思うと、今眼前で進みつつある事態は大変興味深いものがあります。
第10章「帝国以後」の最後のパラグラフにこう書かれていたことは、著者の予見性の欠如などではなく、いったん完膚なきまでに崩壊した帝国が疑似国民国家として再建しようとするときの攻撃性-本書ではオスマン帝国崩壊後のトルコにおいて活写されていたーが、エリツィン時代にはまだ表に現れていなかったということなのでしょう。
・・・ロシアが、旧ソ連の臣民だった数百万人ものムスリムの将来に再び責任を負ったり、あるいはクリミアやハリコフを手に入れようと崩壊しつつあるウクライナに介入して再び大国になる、などという考えは全くのナンセンスである。そのような政策は、西暦2050年の時点でロシアがトルコより軍事的に勝っているかと心配しているロシアの将軍たちを安心させるのが関の山だ。そのようなものは、壮大な帝国のビジョンではなく、ロシア史、あるいは過去の多大な人的犠牲に見合った達成とは言えない。現在の基本的な現実とは、帝国の理念が今や破綻し、しかもポスト帝国時代の少なくとも一世代か恐らくそれ以上にわたって、ロシア人に甚大な損害を与えながら、その理念が破綻したという事実をソ連が示したことである。
プーチンの22年は、このリーベンの結論に反証しようとする22年だったのかも知れません。
(追記)
ちなみに、このどさくさに紛れて「希望は戦争」(©赤木智弘)という言葉が、とんでもなく捩じ曲げられて「侵略万歳」という意味で使われているらしいですね。ひでぇもんだな。
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