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2022年1月16日 (日)

メンバーシップ型社会の量子力学的構造(改題の上再掲)

昨年6月にアップしたエントリをそっくりそのまま再アップしておきます。なにも付け加えるべきことはありません。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2021/06/post-a7954d.html(ジョブ型とメンバーシップ型のねじれた議論)

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みずほ銀行のシステム障害の報告書をめぐって、こういうツイートがあったのですが、

https://twitter.com/_innocent2017/status/1406076301153386498

Vliauirg_400x400 みずほ銀行のシステム障害に関する調査報告書が話題になってますね。
その中でも「声を上げて責任問題となるリスクを取るよりも、持ち場でやれと言われていることだけをやった方が組織内の行動として合理的となる企業風土」という趣旨の原因分析が、日本企業らしいとして話題になっています。

これは、本当に日本企業独特の企業風土なのでしょうか?
確かに「減点型」の人事評価をする組織ならそのようなことがあるかもしれませんが、いわゆる欧米型、ジョブ型雇用の組織こそ「自分の持ち場の外のことは口を出さない」という風土が強くなってもおかしくないと思います。

欧米型、ジョブ型雇用の組織で「あえて声を上げる」ことが組織の中で合理的な選択となるのか、ぜひ有識者の方に教えていただきたいです。

たぶん、世の多くの人もこの人も、みんな日本的な集団的に仕事をし、一人一人に権限と責務が明確に割り振られているのではない量子力学的メンバーシップ感覚のままであれこれ議論するからこうなるんだろうな、と。

いやいや、ジョブ型ってのは、何か問題を発見したらそれをきちんと報告せよというのが、その当該者に与えられたタスクである限り、それこそが「持ち場でやれと言われていることだけ」なのであり、そういうジョブにはめ込まれた人がそれをわざとやらないことは、それがばれたらそれこそどういう処分を受けても文句をいえない。他により重要な考慮すべきことがあり、それを守るためならば自分の首をかけてもいいと思えるのでない限り、自らの職責を粛々とこなすこと以外に合理的な選択などはない。

逆に、そういうタスクを課されていない人は、そもそも自分の職責にもないことで「あえて声を上げる」などという他人の仕事を奪うような真似をする理由などない。そんなバカなことはいかなる意味でも合理的な選択ではないが、それはそもそもそれが自分の仕事じゃないから。その意味では、まさしくこの人の言うとおり、ジョブ型雇用の組織こそ「自分の持ち場の外のことは口を出さない」世界だ。

という、自分の仕事と決まっていることはきちんとやる、自分の仕事ではないことには口を出さないという、ニュートン力学的なジョブ型の世界の感覚を欠落させて、誰がどの仕事にどういう責任を負っているのやらいないのやらよくわからないような量子力学的メンバーシップ型の世界で、誰もが少しずつその問題に持ち場として関わりつつ、誰も自分のみがその問題の責任者であるとは思っていないようなふわふわした状況下では、それに関わる全員が、自分もその部分的責任者であるのに、「あえて声を上げる」ことが組織の中で合理的な選択とならず、他の部分的責任者の誰かがやるだろうと考えてしまうことが合理的になってしまうのでしょう。

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(追記)

なにも付け加えないと言いながら、一言だけ付け加えておくと、要するにみずほ銀行には、システム障害についてきちんと声を上げることが、それこそが自分の最重要なタスクであると思っている人が一人もいなかったということなんでしょうね。他人事みたいに関わっている人はごまんといたけれども。

半年前に「量子力学的」という言葉を使ったけれども、考えてみれば、誰かが見つけて声を上げるまでは誰の職責かは不確定だけれども、誰かが声を上げた瞬間に不確定性が消失して、その声を上げた不運な奴の職責に確定してしまうという、日本のメンバーシップ型社会のありようを、よく表している表現のような気がしてきました。

そういう社会では、何かに気づいても見て見ぬふりをして、誰の職責だか明確でない不確定性を維持することが、誰にとっても最も合理的な行動様式になるわけです。そのうちにだれか馬鹿正直な奴が声を上げて、そいつに職責が確定されて、自分の不確定だった職責が解除されるのを待っているのが最も合理的。

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