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2022年1月

2022年1月31日 (月)

EUプラットフォーム労働指令案については、こちらが詳しいです

Sawaji_20220131214501 本日の朝日朝刊に、欧州総局の和気真也さんと、編集委員の澤路毅彦さんによる「「ギグワーカーを守れ」 動き出す欧州 デジタル時代の法整備めざす」という大きな記事が載っていますが、

https://www.asahi.com/articles/ASQ1X3CX8Q1KULZU00Q.html

 欧州連合(EU)の行政府、欧州委員会が昨年12月、スマホのアプリなどで配達などの仕事を単発で請け負うギグワーカーの環境を改善する法案を発表した。最低賃金や有給休暇などの面で雇用労働者と同等の扱いが受けられるようになるかもしれない。・・・

念のためいうと、ギグワーカーという俗称はEUの指令案には出てきません。プラットフォームワーカーという名で呼ばれています。

この記事もかなり詳しく正確に解説していますが、より詳細な解説は、私が『労基旬報』1月5日号に書いたものが今のところ一番詳しいように思われます。

ふむふむなるほど、と思う分にはこの記事で十分すぎるほどですが、このネタで何かを書こうとする場合は、念のためこちらも読んでおいた方がよいでしょう。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2021/12/post-26ec0e.html

 数年前から世界中で労働問題の大きな焦点となり、昨年来のコロナ禍で日本でも注目されるようになってきたプラットフォーム労働について、EUは昨年初めからその立法化に向けた動きを加速化させてきました。本紙でも昨年3月25日号で「EUのプラットフォーム労働における労働条件に関する労使への第1次協議」を解説し、9月25日号では「EU諸国におけるプラットフォーム労働政策」を概観したところです。昨年12月9日にはいよいよ欧州委員会から「プラットフォーム労働における労働条件の改善に関する指令案」が提案され、立法への最終段階に入りつつあります。そこで今回は、本紙新年号向けにその世界的に注目されているプラットフォーム指令案の内容を詳しく見ていきたいと思います。
  第1条は趣旨と適用範囲を記述しています。本指令の目的はプラットフォーム労働者の労働条件を改善することですが、それを主に雇用上の地位(employment status)の正しい決定を確保することと、アルゴリズム管理の透明性、公正性及び説明責任を促進することによって達成しようとするところに特徴があります。前者はいわゆる労働者性の問題ですが、これが本指令第2章(第3条~第5条)で規定されます。後者は昨年提案されたAI規則案とも重なる問題意識ですが、プラットフォーム労働に特に顕著に現れるアルゴリズム管理について第3章(第6条~第10条)で規定されます。これに加えて、プラットフォーム労働の透明性(第4章)、救済と執行(第5章)に関する規定も盛り込まれています。
 適用対象は「その事業所の場所や適用法の如何を問わず、EU域内において遂行されるプラットフォーム労働を編成するデジタル労働プラットフォーム」です。つまり、アメリカのプラットフォーム企業でもEU域内のプラットフォーム労働者を使っていれば適用されるのです。
 第2条は用語の定義です。まず「デジタルプラットフォーム」とは、①ウェブサイトまたはモバイルアプリなどの電子的手段を通じた遠距離で、②サービス受領者の依頼に基づき、③必要不可欠の要素として、オンラインであれ特定の場所であれ、個人によって労働が遂行される、という要件を充たす商業的サービスを提供する自然人又は法人をいいます。「プラットフォーム労働」とは、デジタル労働プラットフォームを通じて編成され、デジタル労働プラットフォームと個人との間の契約関係に基づきEU域内で個人によって遂行される全ての労働を意味し、当該個人とサービス受領者の間に契約関係が存するか否かに関わりません。「プラットフォーム労働遂行者」とは、プラットフォーム労働を遂行する全ての個人を意味し、当該個人とデジタル労働プラットフォームとの間の関係の契約如何に関わりません。これに対し、「プラットフォーム労働者」とは、雇用契約を有するプラットフォーム労働遂行者です。定義上はそうですが、ここが第2章における主戦場になります。
 
・雇用上の地位の法的推定と反証可能性
 本指令案の最も注目を集める部分である第2章(雇用上の地位)について逐条的にみていきましょう。まず第3条(雇用上の地位の正しい決定)は、加盟国がプラットフォーム労働遂行者の雇用上の地位の正しい決定を確保する適切な手続きを有し、彼らが労働者に適用されるEU法上の諸権利を享受しうるようにすべきこと、雇用関係の存否の決定に当たっては、まずなによりもプラットフォーム労働の編成におけるアルゴリズムの利用を考慮に入れて、実際の労働の遂行に関する事実によるべきであり、その関係が当事者間でいかなる契約に分類されているかには関わらず、事実に基づき雇用関係の存在が確認されれば使用者責任を負うべき当事者が国内法制度に従って明確に措定されるべきことを述べています。これはまだ一般論を述べているだけで、本指令の本丸ではありません。
 次の第4条(法的推定)が本丸です。同条第2項に該当するような労働の遂行をコントロールするデジタル労働プラットフォームとプラットフォームを通じて労働を遂行する者との間の契約関係は、雇用関係であると法的に推定されます。この法的推定はあらゆる行政及び司法手続に適用されます。権限ある当局は、この推定に依拠しうるべき関係法令の遵守と執行を確認しなければなりません。
 その要件として同条第2項は5つの項目を挙げ、この5要件のうち少なくとも2つが充たされていれば、プラットフォーム労働遂行者については雇用関係であるとの法的推定がされるという法的構成となっているのです。
①報酬の水準を有効に決定し、又はその上限を設定していること、
②プラットフォーム労働遂行者に対し、出席、サービス受領者に対する行為又は労働の遂行に関して、特定の拘束力ある規則を尊重するよう要求すること、
③電子的手段を用いることも含め、労働の遂行を監督し、又は労働の結果の質を確認すること、
④制裁を通じても含め、労働を編成する自由、とりわけ労働時間や休業期間を決定したり、課業を受諾するか拒否するか、再受託者や代替者を使うかといった裁量の余地を有効に制限していること、
⑤顧客基盤を構築したり、第三者のために労働を遂行したりする可能性を、有効に制限していること。
 これらはいずれも、プラットフォーム労働の特徴として指摘されることですが、これら全てではなく、5つのうち2つが充たされれば雇用関係であると推定するというのは、かなり緩やかな要件であるといえます。
 同条第3項は加盟国に対して、この法的推定の有効な実施を確保する措置として、具体的に次の措置をとるべしとしています。
①法的推定の適用に関する情報が明確、包括的かつ容易にアクセスしうるやり方で一般に入手可能にすること、
②デジタル労働プラットフォーム、プラットフォーム労働遂行者及び労使団体がこの法的推定(後述の反証手続も含め)を理解し、実施するためのガイダンスを策定すること、
③遵守しないデジタル労働プラットフォームを積極的に追及する施行当局向けのガイダンスを策定すること、
④労働監督機関や労働法の施行に責任を有する機関による実地監督を強化するとともに、当該監督が比例的かつ非差別的であるようにすること。
 このように、プラットフォーム労働に対してはかなり包括的に雇用関係であるとの法的推定がまずなされるのですが、推定は「みなし」ではないので、当然事実を挙げて反証する(rebut)ことができます。それが次の第5条(法的推定を反証する可能性)です。
 加盟国は当事者のいずれもが第4条の法的推定に対して、司法ないし行政手続において反証する可能性を確保しなければなりません。デジタル労働プラットフォームの側が問題の契約関係を雇用関係ではないと主張する場合には、その挙証責任はデジタル労働プラットフォームの側にあります。そしてかかる手続が進行しているからといって、雇用関係であるという法的推定の適用が停止することはありません。これに対してプラットフォーム労働遂行者の側が問題の契約関係を雇用関係ではないと主張する場合には、デジタル労働プラットフォームは関係情報を提供することにより手続の解決を支援しなければなりません。
 
・アルゴリズム管理の規制
 本指令案のうち、プラットフォーム労働にとどまらない大きなインパクトを秘めているのが第3章(アルゴリズム管理)です。近年の人工知能(AI)の発展によって、採用から昇進、評価、退職に至るまで労務管理の広い分野にわたってアルゴリズムの活用が広がっています。この問題については、EUのAI規則案が昨2021年4月に提案されており、別途紹介もしています(「AI時代の労働法政策」『季刊労働法』275号)。本指令案はそのうちプラットフォーム労働に関して突出した形で法規制を提起していますが、同様の問題意識はプラットフォーム労働以外の労働者についても当てはまるところでしょう。とはいえ、ここでは指令案の文言に沿って見ていきます。
 まず第6条は自動的なモニタリングと意思決定システムの透明性について規定します。加盟国はデジタル労働プラットフォームがプラットフォーム労働者に対し、①電子的な手段によりプラットフォーム労働者の労働遂行を監視、監督、評価するために用いられる自動的なモニタリングシステムと、②プラットフォーム労働者の労働条件、とりわけ作業割当、報酬、労働安全衛生、労働時間、昇進、契約上の地位(アカウントの制限、停止、解除を含む)に重大な影響を与える決定をしたり支援するのに用いられる自動的な意思決定システム、について情報提供するよう求めなければなりません。
 提供すべき情報は、自動的なモニタリングシステムについては、①かかるシステムが用いられるか又は導入過程にあること、②かかるシステムにより監視、監督、評価される行動類型(サービス受領者による評価を含む)についてであり、自動的な意思決定システムについては、①かかるシステムが用いられるか又は導入過程にあること、②かかるシステムにより行われ又は支援される意思決定の類型、③かかるシステムが考慮に入れる主要なパラメータと、自動的意思決定システムにおけるかかる主要パラメータの相対的重要性(プラットフォーム労働者の個人データや行動がその意思決定に影響を及ぼす仕方を含む)、④プラットフォーム労働者のアカウントを制限、停止、解除したり、プラットフォーム労働者の遂行した労働への報酬の支払を拒否したり、プラットフォーム労働者の契約上の地位に関わる意思決定の根拠、です。デジタル労働プラットフォームは上記情報を電子媒体を含む文書の形で、遅くとも労働の開始日までに簡潔かつ分かりやすい文言で提供しなければなりません。この情報はプラットフォーム労働者の労働者代表や国内当局者にも要請に応じて提供されます。
 また、デジタル労働プラットフォームはプラットフォーム労働者に関する個人データのうち、両者間の契約の遂行に本質的に関係があり、厳密に必要なものでない限り、取り扱ってはなりません。とりわけ、①プラットフォーム労働者の感情的又は心理的な状態に関する個人データ、②プラットフォーム労働者の健康に関係する個人データ(一般データ保護規則による例外を除く)、③労働者代表との意見交換を含め、私的な会話に関する個人データ、を取り扱ってはならず、④プラットフォーム労働者が労働を遂行していない間に個人データを収集してはなりません。
 次の第7条は人間によるモニタリングの原則です。加盟国は、デジタル労働プラットフォームが定期的に労働条件に関する自動的なモニタリングと意思決定システムによってなされたり支援される個別の意思決定の影響をモニターし、評価するよう確保しなければなりません。労働安全衛生に関しても、デジタル労働プラットフォームは、①自動的なモニタリングと意思決定システムのプラットフォーム労働者の安全衛生に対するリスク、とりわけ作業関連事故や心理社会的、人間工学的リスクに関して評価し、②これらシステムの安全装置が作業環境の特徴的なリスクに照らして適切であるかを査定し、③適切な予防的、防護的措置を講じなければなりません。自動的なモニタリングと意思決定システムがプラットフォーム労働者に不当な圧力を加えたり、その心身の健康を損なうような使い方は許されません。加盟国はデジタル労働プラットフォームが上記個別の意思決定の影響をモニターするための十分な人員を確保するよう求めなければなりません。このモニタリングの任務を負った者は、必要な能力、訓練、権限を持たなければならず、自動的な意思決定を覆したことによって解雇、懲戒処分その他の不利益取扱いから保護されなければなりません。
 これとよく似た発想ですが、第8条は重大な意思決定の人間による再検討を要請しています。加盟国は、上述のプラットフォーム労働者の労働条件に重大な影響を与える自動的な意思決定システムによってなされたり支援されたいかなる意思決定についても、プラットフォーム労働者がデジタル労働プラットフォームから説明を受ける権利を確保し、特にデジタル労働プラットフォームがプラットフォーム労働者に対して当該意思決定に至る事実、状況及び理由を明らかにする窓口担当者を指名し、この窓口担当者が必要な能力、訓練、権限を有するようにしなければなりません。
 デジタル労働プラットフォームはプラットフォーム労働者に対し、そのアカウントを制限、停止、解除したり、プラットフォーム労働者の遂行した労働への報酬の支払を拒否したり、プラットフォーム労働者の契約上の地位に関わるいかなる自動的な意思決定システムによる意思決定についても、書面でその理由を通知しなければなりません。
 プラットフォーム労働者がその説明や書面による理由に納得しない場合や、その意思決定が自らの権利を侵害していると考える場合は、デジタル労働プラットフォームに対してその意思決定を再検討するよう要請する権利があります。デジタル労働プラットフォームはかかる要請に対し、遅滞なく一週間以内(中小零細企業は二週間以内)に実質的な回答をしなければなりません。その意思決定がプラットフォーム労働者の権利を侵害していた場合には、デジタル労働プラットフォームは遅滞なくその意思決定を是正しなければならず、それが不可能な場合には十分な補償をしなければなりません。
 第9条はプラットフォーム労働者の労働者代表への情報提供と協議を確認的に規定しています。その次の第10条は重要な規定で、以上第6条~第8条の諸規定は雇用関係を有するプラットフォーム労働者だけではなく、雇用関係のないプラットフォーム労働遂行者にも適用されます。これはもちろん、第4条の法的推定が第5条によって反証された純粋の個人請負業者ということになります。アルゴリズム管理の規制は、雇用労働者だけではなく自営業者についても適用すべき規制なのだということなのでしょう。ここは、厳密に言えば狭義の労働法の範囲を超えている部分だと言えます。
 
・その他の規定
 以上が本指令案の核心的な部分です。以下第4章(プラットフォーム労働の透明性)では、使用者たるデジタル労働プラットフォームが労働・社会保障当局にプラットフォーム労働を申告すべきこと(第11条)、プラットフォーム労働者数やその労働条件などの情報をこれら当局や労働者代表に提供すべきこと(第12条)を定めています。
 第5章(救済と執行)では、有効な紛争解決機関と権利侵害の場合の救済(第13条)、プラットフォーム労働遂行者のために活動する機関(第14条)、プラットフォーム労働遂行者のコミュニケーション・チャンネル(第15条)、証拠開示(第16条)、不利益取扱いからの保護(第17条)、解雇からの保護(第18条)、監督と罰則(第19条)などが規定されていますが、詳細は省略します。
 まだ指令案が提案されたばかりで、いつ指令として採択されるかは不明ですが、施行期日(正確に言えば国内法への転換期限)は公布の2年後なので、もし今年中に採択されれば施行は2024年ということになります。
 採択の見込みはどれくらいあるかですが、本指令案提案の数日前の11月29日、ベルギー、スペイン、ポルトガル、ドイツ、イタリアの労働相に加え、欧州労連事務局長、その他の国選出も含めた欧州議会議員らの連名による、フォン・デア・ライエン委員長宛の公開状が公表され、予定通りプラットフォーム労働指令案を提出するよう求めたことからすると、積極派の勢力はかなり大きいようです。EU労働立法には消極的な姿勢であったイギリスがEUを脱退してしまったことも考え合わせると、本指令案が採択される可能性はかなり高いようにも思われます。

 

2022年1月30日 (日)

ソーシャルアジアフォーラムの由来(再掲と再掲の理由)

Dio3721 連合総研の機関誌『DIO』372号が届きました。

https://www.rengo-soken.or.jp/dio/dio372.pdf

特集は「地域を守る「つながり」の力」ですが、今号ではその後ろに載っている

第24回ソーシャル・アジア・フォーラム東京会議(11月17日)がオンラインで開催されました

に注目したいです。このフォーラムは長らく日本、韓国、台湾、中国という4カ国の民間ベースの労働交流の場として展開されてきたもので、わたくしも2010年の台北会議に報告者として参加したことがあります。

そのときも直前に中国が欠席となりましたが、今回もやはり残念ながら中国が欠席したようです。

今号では、連合総研の新谷さんが「九段南だより」で、その経緯を語っているのですが、その中に、

そもそもなぜこのような会議体が持たれたかについては、2010年の第16回台北会議に日本から報告者として参加されたJILPTの濱口桂一郎さんがブログで、「ソーシャルアジアフォーラムの由来」というタイトルで紹介されていて、私も今回初めて知ることができました。・・・

という一句が出てきて、いやいや私のブログは単に創始者の初岡さんの文章を引用しただけなんですが・・・。

というわけで、こういうのは定期的に載せないといつの間にか忘れられてしまうものなので、改めて11年以上前のエントリを再掲しておきます。東アジア情勢が風雲急を告げる中でも、労働に関わる民間人レベルでのこうした努力が積み重ねられてきているという事実は、きちんと知られるべきだと思うからです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-a3c6.html(ソーシャルアジアフォーラムの由来)

今週の木・金と、台北でソーシャルアジアフォーラムに出席することは本ブログで申し上げましたが、このフォーラムの由来について、初岡昌一郎さんご自身が書かれた文章をネット上に見つけました。ちょうど5年前に同じく台北で第11回のフォーラムが開かれたときに「メールマガジン オルタ」の22号に、「回想のライブラリー(4)」として書かれたものです。

http://www.alter-magazine.jp/backno/backno_22.htm#kaisou

まず、このときのフォーラムをめぐる経緯。

>>10月13日朝、関西空港を発って台北に向かった。同行者は社青同時代からの友人で全逓元副委員長の亀田弘昭さん。台北空港では、広島空港から着た井上定彦島根県立大教授(前連合総研副所長)や、東京から飛来した桑原靖夫前獨協大学長らと合流し、高雄大学講師で同時通訳者の王珠恵さんの出迎えを受け、その案内で明日からのフォーラムの会場である公務員研修センターに投宿。その夜から早速台湾の仲間の歓待を受けた。
  王さんは兵庫県立大環境人間学部で吉田勝次教授の指導のもとで博士号を目指して今春より勉強中で、これからも年数回のペースで姫路に来ることになっている。

  第11回ソーシャル・アジア・フォーラムの会場は、台湾大学(旧台湾帝国大学)を中心とする文教地区に位置している公務員研修センターにおいて開催された。そのテーマは「東アジアにおける労働市場と労働組合の役割」であった。台湾、韓国および日本からの約40人の研究者と組合関係者がこの会議に参加し、8本の報告をめぐって意見を交換した。
  今回のフォーラムには残念ながら中国からの参加がなかった。7名の参加者が北京から予定されていたが、とうとう政府からの出国許可が下りなかった。
4年前の前回は若干の困難はあったが5名の参加者が台湾に来ていただけに今回の措置には失望した。参加予定者は中国労働関係学院の若手教員・研究者で、今回もこれまで同様実証的かつ現状をかなり批判的に検討する好論文を報告として提出していただけに惜しまれた。近年のフォーラムを通じて、中国を含め東アジアの労働関係者、特に研究者の間において共通の問題意識と連帯感が育ってきている。会議では、中国からの報告のひとつはその筆者の希望によって台湾の友人によって紹介された。もう一つは日本からの参加者である山中正和(元日教組副委員長)によって代読された。

  9月に訪中した時に、参加予定者の一人と会って話す機会があったが、その時すでに全員そろっての参加には悲観的な見方が示されていたが、報告者になっている若手だけでも行かせたいとのことで、一縷の望みを最後までつないでいた。
  このフォーラムは個人参加の建前で、参加者は国や団体を代表して参加するのでないことを出発点から明確にし、これまではなんとか、日中韓台の4地域からの参加を確保することができた。しかし、今回は中国と台湾との厳しい関係のためにこれが崩れた。2年前の上海フォーラムでも、中国は台湾文化大学陳継盛教授だけには入許可を出さなかった。それは陳先生がこのフォーラムの創始者のひとりで、台湾側のリーダーであるということよりも、陳水扁政権に「資政」という最高顧問格で参加していることが理由であるとみられていた。
今回もこの政治の壁が立ちはだかったものとみて間違いなかろう。中国は国民党系には柔軟に、独立をめざす民進党系には厳しく対処しているが、それをこのような民間の小会合にも適用するのはいささか狭量に映った。

このときは中国が政治的理由で出席しなかったのですね。今は国民党政権になっているので、こういうことはないのでしょうが。

この次に、15年前にこのフォーラムが始まったいきさつが綴られています。

>このソーシャル・アジア・フォーラムは12年前に横浜で行われた小さな会合にそのルーツを持っている。この会議は新横浜駅からほど近いところにある生活クラブ生協会館で行われた。これには、当時このクラブ生協を基礎に立ち上げられたローカル・パーティー「神奈川ネットワーク運動」を推進していた横田克巳さんの肝いりがあった。この横田さんも旧社青同の仲間である。彼の著書『オルタナティブ市民宣言』(現代の理論社、1989年)は生活クラブ生協の歴史と理念を紹介するにとどまらず、新しい市民政治の方向を示したものとして、今も光芒を失っていない。

  長洲知事在職当時、その「地方からの国際化」と「民際化」という構想を受けて行われた、「アジア太平洋のローカル・ネットワーク」プロジェクトからソーシャル・アジア・フォーラムが生まれた。
  神奈川県に後援されたそのプロジェクトは、武者小路公秀前国連大学副学長をキャップに、国際問題研究協会の吉田勝次さんを事務局長にして3年間のスパンで実行された。私はその労働部会を担当し、その会合には日本の他に、韓国と台湾から参加があった。 
  1995年に第3回の会合を行ったが、このまま閉じてしまうのは惜しいということになり、このプロジェクトの最後の労働部会会議を第1回ソーシャル・アジア・フォーラムとすることを宣言し、第2回をソウルで次の年に開催することに意見の一致をみた。そして韓国西江大学朴栄基教授、台湾文化大学陳継盛教授、それに私が世話人としてあたることになった。

  この第1回フォーラム終了後に、東京御茶ノ水の総評会館で、お披露目の講演会を開催し、朴先生、陳先生と並んでILOアジア支局のカルメロ・ノリエルの3人が記念講演を行った。これは滝田実(元同盟会長、故人)主宰のアジア社会問題研究所と日本ILO協会の後援を受け、約100人の参加者があり、盛会であった。その3講演はその後アジア社研機関誌の『アジアと日本』に掲載された。
  その後すぐに、われわれが国内で自主的に行ってきた研究会をソーシャル・アジア研究会としてより組織的なものにし、月例研究会を発足させた。会員としては前島巌東海大教授、藤井紀代子ILO東京局長(後に横浜市助役)、鈴木宏昌早大教授、山田陽一連合国際政策局長、中嶋滋自治労国際局長(現ILO理事)、小島正剛国際金属労連(IMF)東アジア代表などプロジェクト当初からのオリジナル・メンバーの他に、ILO本部事務局にいた井上啓一流通経済大教授や中沢孝夫兵庫県立大教授など多くのメンバーが参加するようになった。

このあとに書かれている韓国と台湾の方々の話がなかなか感動的です。

>ソーシャル・アジア・フォーラムがその後当初に予期しなかった発展を遂げたのにはいくつかの要因があげられる。その中でもここで指摘しておきたいのは、非常に良いパートナーに恵まれたことである。
  まず、韓国の代表世話人は朴栄基西江大教授であった。・・・朴先生は1960年代の中頃に韓国労働総同盟国際部長であった。・・・1987年の韓国における民主化宣言とその後の労働運動高揚期において、朴先生の仕事は多忙を極めるようになっていた。海外の新聞や雑誌において韓国労働問題に関する朴先生のコメントがしばしば引用されるのを目にしたものである。金大中政権が登場すると、政労使三者委員会の設置に尽力したほか、大統領直属の経済委員会にメンバーとしても入った。朴先生はその豊富な経験と高い見識に加えて、誠実でオープンな人柄から立場の異なる人々からも尊敬される存在であった。われわれのフォーラムに韓国の異なる運動系譜や学問的立場から参加があったのは先生の広い人脈のおかげであった。

>他方、台湾の代表世話人、陳継盛先生と知り合ったのは、ソーシャル・アジア・フォーラムを立ち上げる少し前の90年代前半のことであった。・・・陳先生が台湾で高い尊敬をかちとるようになり、有名となった契機は、1979年から80年にかけて発生した高雄事件(別名、美麗島事件)であった。この事件は台湾内外に衝撃を与え、その後の民主化闘争の出発点となった。この事件は民主化と台湾独立を主張する雑誌『美麗島』が発禁となり、その中心的メンバーが国家反逆罪に問われたことに端を発している。陳先生の法律事務所がこの弁護を引き受け、陳先生はその主任弁護士格であった。その陳事務所チームの最年少の弁護士こそ、後に大統領となった陳水扁であった。この事件の被告たちと弁護士団が中心となって後に民主進歩党を結成した。先生は民進党の結成に基礎的役割を果たしたものの、その表面には立っていない。しかし、民進党を支える陰のアドバイザーとして別格のドンとみられている。この党は台湾の民主化と経済発展、それに伴う社会的成熟の上昇気流に乗り、結成後僅か20年にして政権についた。

台湾の民主化に中軸的な役割を果たした方が関わってこられているのですね。

このあとはさらに台湾の歴史に話が及びます。

>初めての台北でのフォーラムの時には、当時開館したばかりの「2・28事件」記念館を特別に案内してもらった。これは蒋介石の国民党軍隊が台湾進駐後間もなく行った台湾人にたいする非道な大虐殺の犠牲を追悼し、その遺品や歴史的史実を展示してこの事件を記念するものである。この事件は永い間タブーとして台湾ではふれられずにいたが、候孝賢監督が亡命中に製作した「非情城市」という映画によって日本と世界にドラマティックに紹介された。この作品はかってカンヌ映画祭でグランプリを受賞している。

  今回のフォーラム終了後に日帰りのバス旅行が陳先生によってアレンジされていたが、その圧巻は宜蘭市の慈林教育基金会訪問であった。陳先生は何も事前に説明せず、われわれはお茶博物館に行くと知らされていた。この博物館にも途中少時立ち寄ったのだが、すぐに昼食休憩の予定されていた太平洋岸の町宜蘭に向かった。そこに着くと慈林会館に案内された。まず一階の集会所で短い映画の上映があり、それによって高雄事件の中での最大の悲劇、林義雄家族虐殺事件について、その詳細を知った。当時県会議員であった林義雄は高雄事件の首謀者の一人として拘留されたが、厳しい取調べと過酷な拷問にもかかわらず黙秘を通していた。それに対する圧力と報復として、彼の母と双子の娘(当時、3歳)が深夜に進入した暴漢によって虐殺されたのであった。

  この事件は1980年2月28日におきたので、第二の2・28事件と呼んでもよかろう。慈林会館はその記念のため有志の手による国民的カンパで建設されたものである。この事件についての記録映画を淡々と解説してくれたのが、林義雄その人であった。日本と韓国の参加者はこの事件をあまり知っておらず、ショックのあまり声もなかった。
  お弁当による簡単な昼食の後、質問に応えた林義雄は心境を静かに語った。印象的だったのは、恨みをはらすよりも、民族の大儀のために「慈林」を建設して民主化の歴史を忘れないようにするこの記念館を作り、若い人々の教育活動の拠点としているとの言葉だった。

  その言葉を引き継いで陳先生が立ち、「林さんの心境を今日はじめて聞いた。実はそれを聞くのが恐ろしくて今まで避けてきた」と話し始めた。この事件につづく国民的な抗議と事件にたいする幅広い同情にあわてた警察が、突然林義雄の釈放を決定した。しかし、担当弁護士としてそれを迎える陳先生は、この事件をまったく知らない林義雄にどう説明するかについて悩みぬいた。それは林の反応を非常に懸念し、心配したからである。事務所の前で、警察によって送られて来た林義雄をそのまま車に押し込み、別の場所にまず移し、情報から隔離した。それからまずお母さんがなくなったことだけを簡単に告げ、しばらくしてから徐々に全容を知らせたとのことであった。

  それと同時に陳先生は彼の国外脱出を手配し、アメリカのハーバード大とイギリスのケンブリッジ大に合計2年余り留学させるという緊急避難的措置によって、林さんを台湾の現実から切り離したのであった。重傷を負いながら奇跡的に生き残った長女は、ピアニストとして活躍中で、現在は母親(林義雄夫人)と共にアメリカ在住だという。
  陳先生がさらにバスの中で、「大統領選直前まで民進党党首は林義雄であったし、彼の方がはるかに大統領としての資質が優れていた。しかし選挙戦を有利にするために若い陳水扁を候補とすることになった。林義雄は兄のように陳の当選のために働いた」と私に語ったのが忘れられない。

  この事件とその背景については、先述の吉田勝次兵庫県立大教授の最新著『自由の苦い味 ? 台湾民主主義と市民のイニシアティブ』(日本評論社、2005年3月)を読んでいただきたい。吉田さんは近年台湾に何度も足を運び、現地での広汎な聴き取りや資料の発掘を通じて精力的に台湾政治を研究してきた。彼のこれまでの著作は理論的な作業に重点がおかれ、研究者としては優れていてもその著書は必ずしも読みやすいものではなかった。しかし、この本は系統的に台湾における民主政治の進展をフォローして具体的な事実関係を整理し、手際よく紹介した好著である。この一冊で台湾の現代史と現在の政治的構造を鳥瞰的に把握することができる。巻末に収録されている李登輝と朴遠哲(ノーベル賞受賞者で、民進党政権の立役者の一人)と吉田さんが行ったインタビューが圧巻である。優秀な編集者として私が一目も二目も置いている日本評論社の黒田敏正の助言と編集がこの新著にはよく生かされているとみえる。

東アジア諸国の現代史は重いものがあります。

 

 

 

 

2022年1月26日 (水)

もはや誰も覚えてないが、公務員は実はジョブ型だったんだよ・・・なんだってぇ!?

https://twitter.com/akari_webdev/status/1486292369549172736

個人的には給料月額の7割措置とか管理監督職勤務上限年齢調整額とかピンと来てなくて、良くも悪くも職責に応じた給料を支給すればいいんじゃないのという気しかしないのだよな。

https://twitter.com/masanork/status/1486293217410940936

公務員がジョブ型賃金になると、世の中いろいろ変わると思うんですよね。下手に年功制のまま一律に定年延長しようとするから話がおかしな方向に。高齢者の歳のとり方なんてまちまちなんだから、業務に応じた俸給を支払う方がシンプル

現状認識としてはほぼ全くその通りなんですが、なんと公務員は実はジョブ型なんです。法律のつくりはそういう立て付けになっているんです。現実の運用とは全く正反対なんだけど。

そのあたりについては、もう少し詳しく書いたのもありますが、ごく簡単にまとめたものとしてはこういうのがありますので、ご参考までに。

1947年制定時から2007年まで国家公務員法上に存在した「職階制」は徹頭徹尾ジョブに基づく人事管理システムでした。人事院は官職を分類し、格付し、職級明細書(JD)を作成し、採用も昇任も本来ジョブごとの試験制のはずでした。ところが、官僚の抵抗で職階制が実施されないまま、経過措置で間に合わせの任用制度、間に合わせの給与制度で対応し、ジョブなき公務員制度が70年続いてきたのです。その結果、公務員の在り方は法規定と正反対の純粋メンバーシップ型となってしまい、何でもやれるが何もできない総合職とまぎれのない年功賃金で特徴付けられることになりました。日本型雇用の典型が役所だというのは、実態論としてはまさにその通りですが、法律論としてみるとまことに皮肉きわまる状況であったのです。

2021年の国家公務員法改正で定年を65歳に引き上げることとなったのは、高齢者雇用対策としては正しい方向性ですが、それに併せて60歳を過ぎたら管理監督職から降任させ、一律に給料を従前の7割に削減するという規定が設けられました。60歳を過ぎたら管理職から引きずり下ろし、給与を7割に下げなければいけないような者を、60歳まで管理職として処遇し、高給を払っていたと天下に公言するような規定です。

ちなみに、こうして正規公務員がますますメンバーシップ型になればなるほど、図書館司書など本来公務員法が想定していたジョブ型職種はどんどん非正規公務員へと置き換えられていくことになりますが、民間であれば労働契約法によって守られる非正規労働者が、公務員だからという理由でその保護が剥ぎ取られるという皮肉も依然として変わりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『日本労働研究雑誌』2022年特別号

739_special 『日本労働研究雑誌』2022年特別号は例によって2021年労働政策研究会議報告の特集号で、メインのパネルディスカッションは「ジョブ型雇用は日本の雇用・労使関係と親和的か?」だそうです。

https://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2022/special/index.html

「ジョブ型雇用」を巡る議論をどのように理解すべきか─人事管理システム改革への示唆 佐藤博樹(中央大学大学院教授)

外資ジョブ型企業人事から見たジョブ型雇用の運用 馬場俊太郎(日本NCR株式会社人事総務本部)

ジョブ型雇用は日本の雇用・労使関係と親和的か? 松尾剛志(富士通労働組合中央副執行委員長)

「ジョブ型雇用」が日本の労働法にもたらす影響 竹内(奥野)寿(早稲田大学教授) 

ちなみに、わたくしは全く関与しておりませんし、日経新聞も関わっていないようです。

 

2022年1月25日 (火)

『フリーランスの労働法政策』の予告

Jileu 今年3月に、『フリーランスの労働法政策』を刊行します。

はじめに(予定)

 2020年からのコロナ禍では、雇用調整助成金など雇用維持措置や非正規労働者への保護拡大の問題とともに、新たな働き方としてのテレワークとフリーランスが注目を集めました。労働政策研究・研修機構(JILPT)では、同年8月20日に東京労働大学特別講座「新型コロナウイルスと労働政策の未来」を開催し、それらの問題を概観的に解説するとともに、その内容を同年12月に同題のブックレットとして刊行しました。さらに翌2021年3月3日と同月17日には、そのうちフリーランスとテレワークについて対象を絞った形で東京労働大学特別講座を開催し、テレワークの回については同年6月に、JILPTのテレワークに関する調査結果と併せてブックレットとして刊行しています。
 フリーランスについてすぐにブックレットにしなかったのは、ちょうど政府のフリーランス対策が大きく動いているところであったためであり、また諸外国のフリーランス政策も変化のさなかで、しばらく様子を見た方がいいと考えたからです。2021年にもさまざまな新たな政策が登場し、また年末にはEUのプラットフォーム労働指令案が提案されるに至り、そこまでを昨年の講演内容に書き加えた上で、今回遅ればせながらブックレットとして刊行することとしました。ベースは特別講座の講演記録ですので、労働法学の観点から本格的に論じるというよりは、今進んでいる事態の全貌をできるだけ分かりやすく伝えるということに焦点を当てています。
 議論がやや突っ込み不足になっている点を補うために、関係資料をできるだけ多くまとまった形で巻末に収録してありますので、それらを照らし合わせながら読んでいただけると幸いです。

 

Ⅰ フリーランス問題の概観
1 フリーランス問題の経緯
2 家内労働法
3 自営型テレワークガイドライン
4 労働者性の判断基準
5 雇用類似就業への政策
6 フリーランスガイドライン
7 新たなフリーランス保護法制の立法
8 労災保険の特別加入
9 一人親方の安全衛生対策
10 小学校休業等対応支援金
11 持続化給付金
12 税法上の労働者性
13 フリーランスの失業給付
14 フリーランスの職業紹介
15 高齢者・障害者の非雇用型就業政策
16 フリーランスの労働組合・団体交渉
Ⅱ JILPTのフリーランス関係調査
1 JILPTの雇用類似就業者調査
2 コロナ禍でのフリーランスの実情
3 労働者性スコア
4 労働者性に係る監督復命書等の内容分析
(1) 全体的状況
(2) 職種別の特徴
5 雇用類似就業者へのヒアリング
Ⅲ 諸外国におけるフリーランス労働政策
1 イギリス
2 ドイツ
3 フランス
4 アメリカ
5 韓国
6 中国
7 EU
(1) オンライン仲介サービス規則
(2) プラットフォーム労働条件指令案
(3) 自営業者の団体交渉権

フリーランスにも(局部的に)失業給付?@WEB労政時報

WEB労政時報に「フリーランスにも(局部的に)失業給付?」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers/

 今通常国会に提出される予定の雇用保険法の改正案は、い言うまでもなくコロナ禍で雇用調整助成金が膨大な額が支出され、雇用保険財政が大赤字になったのをどう手当てするかが大問題であり、雇用保険料をどれくらい、いつから引き上げるかが焦点になりましたが、それ以外にもいく幾つか注目すべき論点が含まれています。その中で、今日世界的に重要な政策課題になりつつあるフリーランス対策の観点からも興味深い改正点として、事業を開始した受給資格者等に係る受給期間の特例というのがあります。
 去る1月14日に労働政策審議会で妥当と答申された改正法案要綱の文言を見てみましょう。・・・・

 

2022年1月24日 (月)

一人自営業者労働協約ガイドライン案@『労基旬報』2022年1月25日号

『労基旬報』2022年1月25日号に「一人自営業者労働協約ガイドライン案」を寄稿しました。

 去る1月5日号(新春号)では、昨年12月9日に欧州委員会から提案された「プラットフォーム労働における労働条件の改善に関する指令案」について詳しく紹介しました。これは、フリーランスの労働問題が注目を集める現代日本にとっても極めて重要な示唆を与える指令案ですが、実は同日付で欧州委員会はもう一つのフリーランスに関わる提案を公表していたのです。それは、労働条件の指令案と一つのパッケージにまとめられていましたが、欧州委員会の所管総局は異なります。労働条件の指令案が雇用社会政策総局(日本の厚生労働省に相当)の担当であるのに対し、もう一つの提案は欧州委員会の競争総局(日本の公正取引委員会に相当)から出されたものです。
 というと、本紙の読者は昨年1月5日号に掲載された「フリーランスと独占禁止法」を思い出すかもしれません。その前、一昨年7月25日号に掲載した「自営業者の団体交渉権-EUとOECDの試み」では、同年6月30日に欧州委員会の競争総局が、自営業者の団体交渉問題に取組むプロセスを開始したと紹介しました。その話が一歩進められたのが、今回労働条件の指令案と同日付で出された一人自営業者労働協約ガイドライン案なのです。こちらは集団的労使関係法制との関係でも極めて重要なものであり、日本でもウーバーイーツユニオンが東京都労委に申立てを行っていることを考えれば、喫緊の課題に関わるものと言えます。そこで今回は、前回に続いて同じ昨年12月9日に提起された「一人自営業者の労働条件に関する労働協約へのEU競争法の適用に関するガイドライン」(Guidelines on the application of EU competition law to collective agreements regarding the working conditions of solo self-employed persons)と題するコミュニケーション案(C(2021)8838)の内容を見ていきたいと思います。欧州委員会競争総局はこの文書に基づいて、2022年2月24日までの期間で一般協議を開始しています。
 このガイドライン案では、EU運営条約第101条により協定や共同行為が禁止される「事業者」の適用対象外とされるべき一人自営業者の類型を3種類挙げています。
 まず第1の類型は経済的従属一人自営業者、すなわち完全に又は優越的に一つの取引相手にその役務を提供する一人自営業者です。彼らは取引相手との関係で経済的に従属しており、市場におけるその行動を独立して決定することができず、取引相手の事業の不可欠の一部をなしています。さらに彼らはその作業の遂行について指揮を受けやすいため、(ドイツ労働協約法第12a条の「労働者類似の者」のように)一定の要件下に団体交渉権を与えている加盟国もあります。欧州委員会は、その年間収入の50%以上を単一の取引相手から稼得している一人自営業者を経済的従属の状態にあるとみなして、当該一人自営業者と当該取引相手との間で労働条件の改善に関して締結された労働協約はEU運営条約第101条の適用範囲外であり、これは当該一人自営業者が国内の当局や裁判所において労働者と再分類されなかったとしても同様であるとしています。
 第2の類型は同一の取引相手企業で労働者と「並んで」(side by side)同一の又は類似の課業を遂行している一人自営業者です。彼らは取引相手の指揮下で役務を提供しているので、当該取引相手の労働者と比較可能な状況下にあり、取引相手の活動の商業的リスクを負っておらず、経済活動の遂行に関していかなる独立性も有していません。労働者と並んで働く自営業者の契約関係を雇用関係と再分類するか否かは国内の当局や裁判所の権限ですが、仮に一人自営業者が労働者と再分類されなかったとしても、なお団体交渉の権利を享受することができます。本紙2015年6月25日号の「EU法における労組法上の労働者性」で紹介したオランダからEU司法裁判所に付託されたFNV事件のフリーランス楽団員はこの類型に該当する可能性が高そうです。
 第3の類型はデジタル労働プラットフォームを通じて労働する一人自営業者です。これについては、本ガイドライン案と同日付で提案されたプラットフォーム労働指令案が雇用上の地位について反証可能な法的推定を導入しようとしていますが、競争法サイドとしては、当該プラットフォーム労働に従事する一人自営業者が国内の当局や裁判所で労働者と再分類されなかったとしても、EU運営条約第101条の適用範囲外であることに変わりはないということになります。
 なおこれら3類型に当たらなくても、取引相手との交渉力格差が大きく、その労働条件に影響を及ぼすことができない場合はありうると認め、①取引相手が年商200万ユーロ超又は従業員10人以上である場合、②国内法で団体交渉権を認めていたり、競争法の適用除外としている場合についても、欧州委員会競争総局はその労働協約に介入しないとしています。
 このように、このガイドライン案は労働法サイドにおける労働者性(雇用関係性)とは一応独立に、競争法サイドとして団体交渉、労働協約が許容される一定の一人自営業者を明確にするという趣旨です。これを競争法上の労働者概念と呼ぶこともできるかもしれませんが、少なくとも競争当局の用語法上はそのような言い方をしているわけではなく、あくまでも特定類型の一人自営業者への条約の適用如何の問題だと見るべきでしょう。

 

2022年1月23日 (日)

ラスカルさんの拙著書評

今まで何回も拙著をブログで書評してきていただいているラスカルさんが、『ジョブ型雇用社会とは何か』について大変長い-一つのエントリも長いのに、さらに連続して2つのエントリをアップ-書評を書かれています。

https://traindusoir.hatenablog.jp/entry/2022/01/22/141827(濱口桂一郎『ジョブ型雇用社会とは何か 正社員体制の矛盾と転機』)

https://traindusoir.hatenablog.jp/entry/2022/01/22/141902(高学歴化と労働者の学歴構成)

第1のエントリでは、本書の内容を手際よく説明しますが、

 2009年に刊行した『新しい労働社会』において、著者は日本とは異なる欧米諸国の雇用システムを「ジョブ型」と名付け、それとの対比から、日本の雇用システムを「メンバーシップ型」という観点で説き起こした。近年、日立など日本の大企業が目指す賃金・雇用管理制度の見直しに関し「ジョブ型導入」との報道がなされ、その内容が日本的雇用慣行に染まる文脈から抜け切れず、ジョブ型への誤った理解をもたらしかねない危うさを孕むものであったことから、著者は「覚悟を決めて」本書を「世に問うことにした」とのことである*1。
 本書では、本来のジョブ型とはどのようなものかを確認しつつ、日本の雇用システムを入口から出口、賃金、労働時間制度や労使関係に至るまで、細部に渡り、「メンバーシップ型雇用」という観点から徹底的かつ過不足なく論じ切る。

その終りの方で私の整理にやや異を唱える形で次のエントリにつなげていきます。

・・・・これらの動きを鑑みると、このところの(日本版)ジョブ型雇用をめぐる動きは、必ずしも中高年の賃金是正を意図したわけではなく、むしろ労働供給側の変化を踏まえ、日本の雇用システムの入口における変革を意図したものであるとも捉えられる。

もっとも、この第2エントリは論ずるというよりもその前提となるデータの確認になっていて、おそらくこの後本格的な議論が展開されるのではないかと思われます。実をいえば、昨今のジョブ型狂想曲の主要モチーフは「働かないおじさん」対策であるとしても、その背後に基調低音として(ある意味一国二制的なイメージではあるけれども)入口から高処遇の専門職コースの構築という意図が垣間見えるのも事実なので、そこは食い違う話でもないと思うのですが、後者は少なくとも現時点で予見しうる将来にわたってマジョリティになるような話ではなく、まさに一国二制的な形でしか現実化していかないであろうと思われるので、一般向けの本書ではあまり強調しなかったという経緯があります。

いずれにしても、このラスカルさんの議論が今後どのように展開されていくのか、素材にされたわたくしとしても大変興味がありますので、引き続き見ていきたいと思います。

 

 

 

 

人文系研究職の雇用構造が垣間見えて面白いんだが

昨年のこのエントリは、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2021/10/post-fa4a02.html(これは労働法的にも大変興味深い事案なので、是非判決まで行って欲しい)

一歴史好きの読者としても大変面白く読ませていただいた本の著者でもあるんですが、それはそれとして人間文化研究機構(国際日本文化研究センター)vs呉座勇一事件は有期雇用契約についての大変興味深い論点を提起しているように思われるので、こういう裁判沙汰をやっていると肝心の歴史の研究が進まないのかも知れませんが、それはそれとして是非徹底的に判決に至るところまでやり抜いていただきたいと切望しております。・・・

今年10月から無期契約になると今年1月に決定を受けた有期契約労働者というのは、その間の期間は有期なのか無期なのか、有期であると同時に無期の内定状態でもあるのか、その間の期間に無期に転換するという決定を取り消されることはどういう法的な性質があるのか、単なる期待の消滅に過ぎないのか、それとも内定状態の無期契約の解除すなわち解雇であって、解雇権濫用法理の対象であるのか。うわぁ、これって、採用内定の法的性質の応用問題のようにも思われるのですが、皆さんどう考えますかね。

まさに労働法的に大変興味深い論点が含まれていたので、わざわざエントリに立てたわけです。もちろん、呉座さんの書かれた本が、個人の趣味としてもたいへん面白く読ませていただいたことからくるある種の親近感のようなものも背後にあったのだと思いますが。

それに比べると、もうあまりにもカオスなのでいちいちリンクもしたくありませんが、ここ数日の人文系研究者間のなにやら醜怪(うんこ学者やらえんこ詰めるやら)な騒ぎは、契約論的には非常勤講師という非正規労働者の雇止めが問題になりうるにすぎず、労働法的には大して興味深いものでもないうえに、登場人物の専門領域も特段関心を惹くようなものでもないため、わざわざエントリを立てるような気もなかったのですが、いくつか読んでいくと、かつての医師の労働市場における医局と同様の労働者供給元的な権力構造も垣間見えたりして、いささか興味深い面も無きにしも非ずなんですが、とはいえ、コメント欄の最近のあたりで恐らく求められているであろうような何らかの中身に立ち入ったコメントをわざわざするほどの意欲もそれほど湧き立たせるものでもなく、とりあえず心覚え的に。

 

2022年1月22日 (土)

『新・EUの労働法政策』の予告

今年3月に、2017年に出した『EUの労働法政策』の改訂版を刊行します。『新・EUの労働法政策』というタイトルになります。「シン・EUの労働法政策」ではありませんのであしからず。

はしがき(予定)
 
 本書は、2017年1月に刊行した『EUの労働法政策』の5年ぶりの全面改訂版である。同書自体が、1998年7月に刊行した『EU労働法の形成』(日本労働研究機構)、2005年9月に刊行した『EU労働法形成過程の分析』(東京大学大学院法学政治学研究科附属比較法政国際センター)の全面改訂版であったので、最初の版から数えるとほぼ四半世紀になる。
 ただ、2000年代後半から2010年代前半の時期は、新自由主義的なバローゾ欧州委員長の下でEU労働社会政策が沈滞していたため、前回版はめぼしい新規立法にいささか乏しいきらいがあった。ところが2010年代後半に入ると、ユンケル前欧州委員長が「欧州社会権基軸」を掲げて新たな労働立法が動き始め、2019年には公正で透明な労働条件指令やワークライフバランス指令が成立、さらに2020年代に入るとフォン・デア・ライエン現欧州委員長の下で、最低賃金指令案、賃金透明性指令案、プラットフォーム労働指令案など、新規立法が続々と提案されてきている。また狭義の労働政策の外側においても、個人データ保護、公益通報者保護、人工知能、デューディリジェンスなど、労働法に深く関わる政策立法の動きが加速化しており、EU労働法政策は再び注目の的となりつつある。そこで、2021年までの動きを現段階でとりまとめて前回版に大幅に増補し、今日のEU労働法の姿を紹介することとした。
 本書が、EU労働法やEU加盟諸国の労働法に関心を持つ人々によって活用されることができれば、これに過ぎる喜びはない。 

 

目次
 
第1章 EU労働法の枠組みの発展
 第1節 ローマ条約における社会政策
  1 一般的社会規定
  2 ローマ条約における労働法関連規定
   (1) 男女同一賃金規定
   (2) 労働時間
  3 その他の社会政策規定
   (1) 欧州社会基金
   (2) 職業訓練
 第2節 1970年代の社会行動計画と労働立法
  1 準備期
  2 社会行動計画指針
  3 社会行動計画
  4 1970年代の労働立法
  5 1980年代前半の労働立法
 第3節 単一欧州議定書と社会憲章
  1 単一欧州議定書
   (1) 域内市場の確立のための措置
   (2) 労働環境のための措置
   (3) 欧州労使対話に関する規定
   (4) 労使対話の試みとその限界
  2 1980年代後半の労働立法
  3 社会憲章
   (1) 域内市場の社会的側面
   (2) 社会憲章の採択に向けて
   (3) EC社会憲章
  4 社会憲章実施行動計画
  5 1990年代初頭の労働立法
   (1) 本来的安全衛生分野の立法
   (2) 安全衛生分野として提案、採択された労働条件分野の立法
   (3) 採択できなかった労働立法
   (4) 採択された労働立法
   (5) 非拘束的な手段
 第4節 マーストリヒト条約付属社会政策協定
  1 マーストリヒト条約への道
   (1) EC委員会の提案
   (2) ルクセンブルク議長国のノン・ペーパー
   (3) ルクセンブルク議長国の条約案
   (4) 欧州経団連の方向転換と労使の合意
   (5) オランダ議長国の条約案
  2 マーストリヒト欧州理事会と社会政策議定書、社会政策協定
   (1) 社会政策議定書
   (2) 社会政策協定
   (3) 対象事項
   (4) 労使団体による指令の実施
   (5) EUレベル労働協約とその実施
   (6) その他
   (7) 附属宣言
  3 社会政策協定の実施
   (1) 労使団体の提案
   (2) 社会政策協定の適用に関するコミュニケーション
   (3) 欧州議会の要求
  4 1990年代中葉から後半の労働立法
   (1) マーストリヒト期の労働立法の概要
   (2) EU労働協約立法の問題点
 第5節 1990年代前半期におけるEU社会政策の方向転換
  1 雇用政策の重視と労働市場の柔軟化の強調
   (1) ドロール白書
   (2) ドロール白書以後の雇用政策
  2 社会政策のあり方の再検討
   (1) ヨーロッパ社会政策の選択に関するグリーンペーパー
   (2) ヨーロッパ社会政策白書
  3 中期社会行動計画
 第6節 アムステルダム条約
  1 アムステルダム条約に向けた検討
   (1) 検討グループ
   (2) IGCに向けたEU各機関の意見
   (3) 条約改正政府間会合
  2 アムステルダム条約
   (1) 人権・非差別条項
   (2) 新・社会条項
   (3) 雇用政策条項
 第7節 世紀転換期のEU労働社会政策
  1 社会行動計画(1998-2000)
  2 世紀転換期の労働立法
   (1) ポスト・マーストリヒトの労働立法の特徴
   (2) ポスト・マーストリヒト労働立法の具体例
   (3) 人権・非差別関係立法
   (4) 欧州会社法の成立
 第8節 ニース条約と基本権憲章
  1 ニース条約に向けた検討
   (1) 欧州委員会の提案
   (2) 条約改正政府間会合
  2 ニース条約
   (1) 人権非差別条項
   (2) 社会条項
  3 EU基本権憲章に向けた動き
   (1) 賢人委員会報告
   (2) EU基本権憲章を目指して
   (3) EU基本権憲章
 第9節 2000年代前半のEU労働社会政策
  1 社会政策アジェンダ
   (1) 社会政策アジェンダ(2000-2005)
   (2) 社会政策アジェンダ中期見直し
  2 2000年代前半の労働立法
   (1) 労使団体への協議と立法
   (2) 自律協約の問題点
   (3) 人権・非差別関係立法
 第10節 EU憲法条約の失敗とリスボン条約
  1 EU憲法条約に向けた検討
   (1) 社会的ヨーロッパ作業部会
   (2) コンヴェンションの憲法条約草案とEU憲法の採択
  2 EU憲法条約の内容
   (1) 基本的規定
   (2) 基本権憲章
   (3) EUの政策と機能
  3 EU憲法条約の蹉跌とリスボン条約
   (1) EU憲法条約の蹉跌
   (2) リスボン条約とその社会政策条項
 第11節 2000年代後半のEU労働社会政策
  1 新社会政策アジェンダ
   (1) 社会政策アジェンダ
   (2) 刷新社会政策アジェンダ
  2 フレクシキュリティ
   (1) フレクシキュリティの登場
   (2) フレクシキュリティのパラドックス
   (3) フレクシキュリティの共通原則とその後
  3 労働法の現代化
   (1) グリーンペーパーに至る労働法検討の経緯
   (2) グリーンパーパー発出をめぐる場外乱闘
   (3) グリーンペーパーの内容
   (4) その後の動き
  4 2000年代後半の労働立法
   (1) 労使団体への協議と立法
   (2) 人権・非差別関係立法
 第12節 2010年代前半のEU労働社会政策(の衰退)
  1 欧州2020戦略
   (1) 新たな技能と仕事へのアジェンダ
   (2) 欧州反貧困プラットフォーム
  2 「失敗した理念の勝利」
  3 2010年代前半の労働立法
   (1) 労使団体への協議と立法
   (2) ラヴァル事件判決等がもたらした労働法課題
第13節 欧州社会権基軸とEU労働社会政策の復活
  1 欧州社会権基軸
   (1) 欧州社会権基軸の提唱
   (2) 欧州議会の意見
   (3) 欧州委員会勧告から三者宣言へ
   (4) 強いソーシャル・ヨーロッパ
   (5) 欧州社会権基軸行動計画
  2 2010年代後半の労働立法
   (1) 労使団体への協議と立法
   (2) 人権・非差別関係立法
   (3) その他の労働に関係を有する立法
 第14節 EU労働立法プロセスの問題
  1 労使団体への協議と立法
   (1) 自律協約への疑念
   (2) 自律的交渉による協約の締結
   (3) 協約の指令化をめぐる問題
   (4) 規制緩和政策と労働協約立法への否定的姿勢
  2 一般協議の拡大
 
第2章 労使関係法政策
 第1節 欧州会社法等
  1 欧州会社法
   (1) 欧州会社法規則第1次案原案
   (2) 欧州会社法規則第1次案原案への欧州議会修正意見
   (3) 欧州会社法規則第1次案修正案
   (4) 議論の中断と再開
   (5) 欧州会社法第2次案原案(規則案と指令案)
   (6) 欧州会社法第2次案修正案(規則案と指令案)
   (7) 欧州会社法案の隘路突破の試み
   (8) 欧州会社法案に関するダヴィニオン報告書
   (9) 合意まであと一歩
   (10) 一歩手前で足踏み
   (11) 欧州会社法の誕生
   (12) 欧州会社法規則と被用者関与指令の概要
   (13) 欧州会社法被用者関与指令の見直し
  2 他の欧州レベル企業法制における被用者関与
   (1) 欧州協同組合法
   (2) 欧州有限会社法案
 第2節 会社法の接近
  1 会社法第5指令案
   (1) 会社法の接近
   (2) 会社法第5指令案原案
   (3) EC委員会のグリーンペーパー
   (4) EC委員会の作業文書
   (5) 欧州議会の修正意見
   (6) 会社法第5指令案修正案
   (7) 撤回
  2 会社法第3指令
   (1) 会社法第3指令案
   (2) 会社法第3指令
  3 会社法関係の諸問題
   (1) 国境を越えた会社の転換・合併・分割
 第3節 労働者への情報提供・協議
  1 フレデリング指令案
   (1) 多国籍企業問題への接近
   (2) フレデリング指令案原案
   (3) 原案提出後の推移
   (4) フレデリング指令案修正案
   (5) 修正案提出後の推移
   (6) アドホックワーキンググループの「新たなアプローチ」
   (7) その後の経緯
  2 欧州労使協議会指令
   (1) 議論の再開
   (2) 欧州労使協議会指令案原案
   (3) 欧州労使協議会指令案修正案とその後の推移
   (4) ベルギー修正案
   (5) 欧州労使団体への第1次協議
   (6) 欧州労使団体への第2次協議
   (7) 欧州委員会の指令案
   (8) 欧州労使協議会指令の概要
   (9) 国内法への転換に関するワーキングパーティ
   (10) 先行設立企業の続出
   (11) イギリスのオプトアウトの空洞化
   (12) ルノー社事件
   (13) 指令の見直しへの動き
   (14) 欧州労使協議会指令の改正
  3 一般労使協議指令
   (1) 中期社会行動計画
   (2) 労働者への情報提供及び協議に関するコミュニケーション
   (3) 一般労使協議制に関する第1次協議
   (4) 一般労使協議制に関する第2次協議
   (5) 欧州経団連の逡巡と交渉拒否
   (6) 指令案の提案
   (7) 理事会での議論開始
   (8) 一般労使協議指令の概要
   (9) 一般労使協議指令のインパクト
  4 公的部門の情報提供・協議
   (1) 情報提供・協議関係諸指令の統合
   (2) 中央政府行政協約
  5 労働者参加への提起
   (1) 新たな枠組みへの欧州労連提案
   (2) 欧州議会の提起
 第4節 集団的労使関係システムの問題
  1 欧州レベルの労使紛争解決のための斡旋、調停、仲裁の自発的メカニズム
  2 EUレベルの労働基本権規定の試み
   (1) EUにおける経済的自由と労働基本権
   (2) 問題が生じた法的枠組み
   (3) 4つの欧州司法裁判所判決
   (4) 判決への反応
   (5) 団体行動権に関する規則案
   (6) 規則案に対する反応とその撤回
  3 EU競争法と自営業者の団体交渉権
   (1) EU競争法と労働組合
   (2) FNV事件欧州司法裁判決
   (3) 端緒的影響評価
   (4) 一人自営業者労働協約ガイドライン案
 第5節 その他の労使関係法政策
  1 多国籍企業協約
   (1) EUレベルの労働協約法制の模索
   (2) 多国籍企業協約立法化への動き
   (3) 専門家グループ報告書
   (4) 非公式の「協議」
   (5) 労使団体の反応
   (6) 欧州労連の立法提案
  2 被用者の財務参加
 
第3章 労働条件法政策
 第1節 リストラ関連法制
  1 集団整理解雇指令
   (1) ECにおける解雇法制への出発点
   (2) EC委員会の原案
   (3) 旧集団整理解雇指令
   (4) 1991年改正案とその修正案
   (5) 1992年改正
  2 企業譲渡における被用者保護指令
   (1) 前史:会社法第3指令案
   (2) EC委員会の原案
   (3) 旧企業譲渡指令
   (4) 欧州委員会の1994年改正案
   (5) 1997年の修正案
   (6) 1998年改正指令
   (7) 国境を越えた企業譲渡
  3 企業倒産における被用者保護指令
   (1) EC委員会の原案
   (2) 1980年指令
   (3) 2001年の改正案
   (4) 2002年改正指令
 第2節 安全衛生法制
  1 初期指令
  2 危険物質指令群
   (1) 危険物質基本指令
   (2) 危険物質基本指令に基づく個別指令
  3 単一欧州議定書による条約旧第118a条
  4 安全衛生枠組み指令
   (1) 使用者の義務
   (2) 労働者の義務
  5 枠組み指令に基づく個別指令
  6 安全衛生分野における協約立法
   (1) 注射針事故の防止協約指令
   (2) 理美容部門における安全衛生協約
   (3) 筋骨格障害
  7 自営労働者の安全衛生の保護の問題
  8 欧州職業病一覧表
  9 職場の喫煙
  10 職場のストレス
   (1) EU安全衛生戦略
   (2) 職場のストレスに関する労使への協議
   (3) 職場のストレスに関する自発的労働協約の締結
  11 職場の暴力とハラスメント
   (1) 欧州生活労働条件改善財団の調査結果
   (2) 欧州議会の決議
   (3) 労働安全衛生諮問委員会の意見
   (4) 欧州委員会の新安全衛生戦略
   (5) 職場のいじめ・暴力に関する自律労働協約
   (6) 職場における第三者による暴力とハラスメントに取り組むガイドライン
   (7) 学校における第三者暴力・ハラスメント
 第3節 労働時間法制
  1 労働時間指令以前
   (1) ローマ条約上の規定
   (2) 週40時間労働及び4週間の年次有給休暇の原則に関する理事会勧告
   (3) ワークシェアリング
   (4) 労働時間の適応に関する決議
   (5) 労働時間の短縮と再編に関するメモランダム
   (6) 労働時間の短縮と再編に関する理事会勧告案
  2 労働時間指令の形成
   (1) 社会憲章と行動計画
   (2) 労使団体への協議文書
   (3) EC委員会の原案
   (4) 欧州経団連の批判
   (5) 経済社会評議会と欧州議会の意見
   (6) 第1次修正案
   (7) 理事会の審議(1991年)
   (8) 理事会の審議(1992年)
   (9) 共通の立場から採択へ
   (10) 旧労働時間指令
   (11) イギリス向けの特例規定
   (12) イギリスの対応
   (13) 欧州司法裁判所の判決
   (14) 判決の効果とイギリスへの影響
  3 適用除外業種の見直し
   (1) 適用除外業種の見直しに関するホワイトペーパー
   (2) 第2次協議
   (3) 業種ごとの協約締結の動き
   (4) 欧州委員会の指令改正案
   (5) 改正労働時間指令
   (6) 道路運送労働時間指令
   (7) 船員労働時間協約指令
   (8) EU寄港船船員指令
   (9) 民間航空業労働時間協約指令
  4 難航する労働時間指令の本格的改正
   (1) 欧州委員会の第1次協議
   (2) 欧州委員会の第2次協議
   (3) 労働時間指令案の提案
   (4) 欧州議会の意見
   (5) 欧州委員会の修正案
   (6) 理事会における議論
   (7) 閣僚理事会の共通の立場
   (8) 欧州議会の第二読意見と決裂
   (9) 再度の労使団体への協議、交渉、決裂
   (10) 労働時間指令に関する一般協議
  5 その後の業種ごとの労働時間指令
   (1) 道路運送労働時間指令の改正案
   (2) 多国間鉄道労働時間指令
   (3) 内水運輸労働時間指令
   (4) ILO海上労働条約協約指令
   (5) 海上労働の社会的規制枠組みの見直し
   (7) ILO漁業条約協約指令
  6 自動車運転手の運転時間規則
  7 年少労働者指令
   (1) 指令案の提案
   (2) 理事会での検討
   (3) 指令の内容
 第4節 非典型労働者に関する法制
  1 1980年代前半の法政策
   (1) テンポラリー労働、パートタイム労働に関する考え方の提示
   (2) 自発的パートタイム労働に関する指令案
   (3) テンポラリー労働に関する指令案
   (4) 理事会等における経緯
   (5) 派遣・有期労働指令案修正案
  2 1990年代前半の法政策
   (1) 社会憲章と行動計画
   (2) 特定の雇用関係に関する3指令案
   (3) 労働条件との関連における特定の雇用関係に関する理事会指令案
   (4) 競争の歪みとの関連における特定の雇用関係に関する指令案
   (5) 有期・派遣労働者の安全衛生改善促進措置を補完する指令案
   (6) 修正案
   (7) 理事会での経緯
   (8) 有期・派遣労働者の安全衛生指令
  3 パートタイム労働指令の成立
   (1) 欧州労使団体への第1次協議
   (2) 欧州労使団体への第2次協議
   (3) パートタイム労働協約の締結
   (4) 協約締結後の推移
  4 有期労働指令の成立
   (1) 有期労働に係る労使交渉
   (2) 有期労働協約の内容
   (3) 欧州委員会による指令案
   (4) 指令の採択
  5 派遣労働指令の成立
   (1) 派遣労働に関する交渉の開始と蹉跌
   (2) 幕間劇-欧州人材派遣協会とUNI欧州の共同宣言
   (3) 提案直前のリーク劇と指令案の提案
   (4) 欧州委員会の派遣労働指令案
   (5) 労使の反応と欧州議会の修正意見
   (6) 理事会におけるデッドロック
   (7) フレクシキュリティのモデルとしての派遣労働
   (8) ついに合意へ
   (9) 指令の内容
  6 テレワークに関する労働協約
   (1) 労働組織の現代化へのアプローチ
   (2) 情報社会の社会政策へのアプローチ
   (3) 雇用関係の現代化に関する労使団体への第1次協議
   (4) 労使団体の反応とテレワークに関する労使団体への第2次協議
   (5) 産業別レベルのテレワーク協約の締結
   (6) EUテレワーク協約の締結
   (7) EUレベル労働協約の法的性格
   (8) EUテレワーク協約の実施状況
   (9) 2020年のデジタル化自律協約
   (10) 欧州議会による「つながらない権利」の指令案勧告
  7 透明で予見可能な労働条件指令
   (1) EC委員会の原案
   (2) 書面通知指令の内容
   (3) 新たな就業形態へのアプローチ
   (4) 欧州社会権基軸
   (5) 一般協議
   (6) 労使団体への第1次協議
   (7) 労使団体への第2次協議
   (8) 透明で予見可能な労働条件指令案
   (9) 透明で予見可能な労働条件指令
  8 プラットフォーム労働指令案
   (1) 雇用関係の現代化に関する第1次協議
   (2) 労働法現代化グリーンペーパー
   (3) 新たな就業形態へのアプローチ
   (4) 欧州社会権基軸
   (5) リサク氏のプラットフォーム労働指令案
   (6) 労使団体への第1次協議
   (7) 労使団体への第2次協議
   (8) 労使団体の反応
   (9) 欧州議会の決議等
   (10) プラットフォーム労働指令案
 第5節 その他の労働条件法制
  1 海外送出労働者の労働条件指令
   (1) 指令案の提案
   (2) 理事会における経緯
   (3) 指令の内容
   (4) 海外送出指令実施指令
   (5) 発注者の連帯責任
   (6) 海外送出指令改正案
   (7) 改正海外送出指令の成立
   (8) 改正海外送出指令の内容
  2 最低賃金指令
   (1) 公正賃金に関する意見
   (2) 経済政策における賃金介入
   (3) 労使団体への第1次協議
   (4) 労使団体への第2次協議
   (5) 最低賃金指令案
   (6) 最低賃金指令の採択へ
 
第4章 労働人権法政策
 第1節 男女雇用均等法制
  1 男女同一賃金
   (1) ローマ条約の男女同一賃金規定
   (2) 男女同一賃金指令
   (3) 男女同一賃金行動規範
  2 男女均等待遇指令の制定
   (1) EC委員会の原案
   (2) 男女均等待遇指令
  3 社会保障における男女均等待遇
   (1) 公的社会保障における男女均等待遇指令
   (2) 職域社会保障制度における男女均等待遇指令
   (3)公的・職域社会保障制度における男女均等待遇指令案
   (4) 欧州司法裁判所の判決とその影響
  4 自営業男女均等待遇指令
   (1) EC委員会の原案
   (2) 自営業男女均等待遇指令
   (3) 2010年改正指令
  5 性差別事件における挙証責任指令
   (1) EC委員会の原案
   (2) 欧州司法裁判所の判決
   (3) 欧州労使団体への協議
   (4) 欧州委員会の新指令案と理事会の審議
   (5) 性差別事件における挙証責任指令
  6 ポジティブ・アクション
   (1) ポジティブ・アクションの促進に関する勧告
   (2) カランケ判決の衝撃
   (3) 男女均等待遇指令の改正案
   (4) ローマ条約における規定
   (5) マルシャル判決
  7 セクシュアルハラスメント
   (1) 理事会決議までの前史
   (2) 理事会決議
   (3) EC委員会勧告と行為規範
   (4) 労使団体への協議
   (5) 1998年の報告書
   (6) 男女均等待遇指令改正案
  8 男女均等待遇指令の2002年改正
   (1) ローマ条約の改正
   (2) 欧州委員会の改正案原案
   (3) 理事会における議論
   (4) 欧州議会の第1読修正意見
   (5) 欧州委員会の改正案修正案と理事会の共通の立場
   (6) 欧州議会の第2読修正意見と理事会との調停
   (7) 2002年改正の内容
  9 男女機会均等・均等待遇総合指令
   (1) 男女均等分野諸指令の簡素化
   (2) 男女機会均等・均等待遇総合指令案
   (3) 労使団体等の意見
   (4) 欧州議会の意見と理事会の採択
  10 賃金透明性指令
   (1) 欧州委員会勧告
   (2) 賃金透明性指令案
   (3) 賃金透明性指令の採択へ
 第2節 その他の女性関係法制
  1 母性保護指令
   (1) EC委員会の原案
   (2) EC委員会の修正案
   (3) 理事会での検討
   (4) 母性保護指令
   (5) 母性保護指令の改正案とその撤回
  2 ワークライフバランス指令
   (1) 1983年の育児休業指令案
   (2) 理事会におけるデッドロック
   (3) 労使団体への協議
   (4) 欧州レベルの労使交渉
   (5) 育児休業協約の内容
   (6) 育児休業指令の成立
   (7) 労使団体への協議と改正育児休業協約
   (8) 2010年改正指令
   (9) ワークライフバランスに関する労使団体への協議
   (10) ワークライフバランス指令案
   (11) ワークライフバランス指令
  3 雇用・職業以外の分野における男女均等待遇指令
   (1) EC条約及び基本権憲章における男女均等関係規定
   (2) 指令案の予告
   (3) 男女機会均等諮問委員会のインプット
   (4) 指令案の遅滞
   (5) 指令案の提案
   (6) 理事会での審議
   (7) 採択に至る過程
 第3節 性別以外の均等法制
  1 特定の人々に対する雇用政策
   (1) 障害者雇用政策
   (2) 高齢者雇用政策
  2 一般雇用均等指令
   (1) EU社会政策思想の転換
   (2) 一般雇用均等指令案
   (3) 使用者団体の意見
   (4) 理事会における議論
   (5) 採択に至る過程
   (6) 一般雇用均等指令の内容
  3 人種・民族均等指令
   (1) 人種・民族均等指令案
   (2) 理事会における議論
   (3) 採択に至る過程
   (4) 人種・民族均等指令の内容
  4 雇用・職業以外の分野における一般均等指令案
   (1) 雇用・職業以外の分野における一般均等指令案
 
第5章 その他の労働関連法政策
 第1節 教育訓練法政策
  1 トレーニーシップ勧告
   (1) トレーニーシップに関する一般協議と労使への協議
   (2) トレーニーシップ上質枠組勧告
  2 アプレンティスシップ勧告
  3 ノンフォーマル・インフォーマル学習の認定勧告
  4 個人別学習口座勧告案
  5 ミクロ学習証明書勧告案
 第2節 労働市場法政策
  1 非申告労働
  2 不法滞在第三国民の使用者制裁指令
 第3節 社会保障法政策
  1 最低所得保障
   (1) 社会保護に係る2勧告
   (2) 労働市場排除者の統合
   (3) 最低所得をめぐる近年の動向
  2 補完的社会保障
   (1) 補完的年金権のポータビリティに関する協議
   (2) 補完的年金権指令案と採択された指令
  3 あらゆる就業形態の人々の社会保護アクセス
   (1) 労使団体への第1次協議
   (2) 労使団体への第2次協議
   (3) 労働者と自営業者の社会保護へのアクセスに関する理事会勧告案
   (4) 労働者と自営業者の社会保護へのアクセスに関する理事会勧告
第4節 労働条件に関連する諸法政策
  1 労働者の個人情報保護
   (1) 旧個人データ保護指令
   (2) 労働者の個人情報保護に関する検討
   (3) 労使団体への第1次協議
   (4) 労使団体への第2次協議
   (5) 第29条作業部会の諸意見
   (6) 一般データ保護規則案
   (7) 欧州議会の意見
   (8) 一般データ保護規則
   (9) 第29条作業部会の2017年意見
  2 公益通報者保護指令
  3 オンライン仲介サービス規則
   (1) オンラインプラットフォームとデジタル単一市場
   (2) オンライン仲介サービス規則
  4 人工知能規則案
   (1) 人工知能(AI)に関する政策の展開
   (2) 人工知能規則案
   (3) 労使団体の反応
  5 デューディリジェンス指令案

2022年1月20日 (木)

第119回労働政策フォーラム 職場環境の改善─ハラスメント対策─

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賃金の「上げる」と「上がる」の間

ジョブ型社会では、賃金は上げなければ上がらない。

ジョブに値札が付いているから、時間が過ぎても上がらない。

だから、一生懸命上げようとする。

だって、上げないと上がらないから。

ところが、メンバーシップ型では、賃金は上げなくても上がる。

人に値札が付いていて、定期的に査定されて上げられる。

だから、一生懸命上げようとしなくてもいい。

だって、上げなくても上がるから。

以上はあくまでも労働者個人にとっての話。

労働者一人一人にとっては、上げなくても上がるからいいけれども、

労働者全体としてみたら、それって全然上がっていない。

上がり切った人が抜けて、これから上がっていく人が入ってくる。

それを繰り返していれば、みんな上がっているけれど、全部足したら全然上がらないまま。

ミクロではみんな上がっているのに、マクロでは全然上がっていないのはそのため。

みんなが上げなくても上がるからと言って上げようとしなかったら、結局全部足し合わせたら全然上がらない。

という話を、誰もしないのはなぜだろう。

2022年1月18日 (火)

「何となく文学部」よりもっとヤバいのは・・・(再掲)

Ugnua3in

もう十何年もブログなんてやってると、かつてネット上をにぎわした話題が忘れられて久しい頃になって、またぞろ似たような風情で再登場するということが繰り返されて、その都度コメントするにもなんだかめんどくさくて、かつて話題になったころに書いたエントリをそのまま再掲して済ませるというものぐさな傾向がますます増幅してきておりますが、まあ、それもしょうがないのかなと。

これ自体は2017年のエントリですが、中に引用している昔のエントリになると2006年ごろのものもいっぱいあったりしますので、なかなか懐かしい思いもありますが。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2017/09/post-6ce7.html(「何となく文学部」よりもっとヤバいのは・・・)

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「BEST T!MES」(ベストタイムズと読むのでしょうか)というサイトの「新・教育論」というコラムに、「「何となく文学部」はヤバすぎる。大学選びの新常識」という記事が載っています。

http://best-times.jp/articles/-/6895

副題に「もう「つぶしの効く」学部など存在しない。「ジョブ型」への転換を」とあるので、ジョブ型教育への転換を訴えているのは確かだと思うのですが、正直言って、文学部って、もともと「つぶしの効く学部」だとは思われていなかったように思います。

メンバーシップ型雇用慣行にベストフィットして繁殖してきたのは、それ以外の一見職業レリバンスがありそうで、実は単なる一般的サラリーマン養成以外ではなかった文系学部、とりわけ経済学部だったんじゃないの?と思いますが。

その意味では、この記事は、文学部という叩きやすい犠牲の羊を血祭りに上げて見せているだけで、問題の本質からむしろ目を逸らせてしまっているのではないかと。

いうまでもなく、法学部だって法曹や法務担当者になる一部の人にとっては職業レリバンスがあるし、経済学部だって、内閣府で経済分析をする人や一部シンクタンク等で活躍するエコノミストになる人にとっては意味のある職業教育機関でしょう。しかし、当該学部を卒業する学生の大部分、経済学部の場合には殆ど全てにおいては、そうではないから、そしてそうではないにもかかわらずそれが一般的サラリーマン養成ギプスとして通用してきているからあれこれ論じられるわけです。

それに対して、文学部はそれなりに立派です。まず、文学部卒業生にとってもっとも良好な雇用機会は当該専門分野におけるアカデミックな研究職であって、これは法学部や経済学部と大きく異なるところです。これは裏返していえば、メンバーシップ型の日本の労働社会において、個々の学んだ内容はともかく、文学部に行こうなどという性向自体が、必ずしも適合的ではないと見なされてきたことがあるのでしょう。

実を言うと、にもかかわらず高度成長期に文学部がこれほど異常に肥大化したのは、嫁入り道具としての文学部という特殊事情があったからですが、これはこれで(皮肉ですが)一種の永久就職への職業レリバンスだったと言えないことはありません。それを抜きにしていうと、文学部卒というのは少なくとも法学部や経済学部に比べれば一種のスティグマを受けるものであったことは確かなので、それをつかまえて「「何となく文学部」はヤバすぎる」というのは、いささか見当外れの感が否めないわけです。

本当にヤバいのは他の文系学部、とりわけ法学部のように法律専門家になるか細い道があるところと比べても、経済分析を職業とする人になる可能性は絶無に近い経済学部ではないかと思うのですがね。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_c7cd.html (哲学・文学の職業レリバンス)

・・・一方で、冷徹に労働市場論的に考察すれば、この世界は、哲学や文学の教師というごく限られた良好な雇用機会を、かなり多くの卒業生が奪い合う世界です。アカデミズム以外に大して良好な雇用機会がない以上、労働需要と労働供給は本来的に不均衡たらざるをえません。ということは、上のコメントでも書いたように、その良好な雇用機会を得られない哲学や文学の専攻者というのは、運のいい同輩に良好な雇用機会を提供するために自らの資源や機会費用を提供している被搾取者ということになります。それは、一つの共同体の中の資源配分の仕組みとしては十分あり得る話ですし、周りからとやかく言う話ではありませんが、かといって、「いやあ、あなたがたにも職業レリバンスがあるんですよ」などと御為ごかしをいってて済む話でもない。

職業人として生きていくつもりがあるのなら、そのために役立つであろう職業レリバンスのある学問を勉強しなさい、哲学やりたいなんて人生捨てる気?というのが、本田先生が言うべき台詞だったはずではないでしょうか。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_bf04.html (職業レリバンス再論)

・・・哲学者や文学者を社会的に養うためのシステムとしての大衆化された大学文学部システムというものの存在意義は認めますよ、と。これからは大学院がそうなりそうですね。しかし、経済学者や経営学者を社会的に養うために、膨大な数の大学生に(一見職業レリバンスがあるようなふりをして実は)職業レリバンスのない教育を与えるというのは、正当化することはできないんじゃないか、ということなんですけどね。

<追記>

http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20060417

「念のために申しておきますとね、法律学や会計学と違って、政治学や経済学は実は(それほど)実学ではないですよ。「経済学を使う」機会って、政策担当者以外にはあんまりないですから。世の中を見る眼鏡としては、普通の人にとっても役に立つかもしれませんが、道具として「使う」ことは余りないかと……。」

おそらく、そうでしょうね。ほんとに役立つのは霞ヶ関かシンクタンクに就職した場合くらいか。しかし、世間の人々はそう思っていないですから。(「文学部に行きたいやて?あほか、そんなわけのわからんもんにカネ出せると思うか。将来どないするつもりや?人生捨てる気か?なに?そやったら経済学部行きたい?おお、それならええで、ちゃあんと世間で生きていけるように、よう勉強してこい。」・・・)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_722a.html (なおも職業レリバンス)

・・・歴史的にいえば、かつて女子の大学進学率が急激に上昇したときに、その進学先は文学部系に集中したわけですが、おそらくその背景にあったのは、法学部だの経済学部だのといったぎすぎすしたとこにいって妙に勉強でもされたら縁談に差し支えるから、おしとやかに文学でも勉強しとけという意識だったと思われます。就職においてつぶしがきかない学部を選択することが、ずっと仕事をするつもりなんてないというシグナルとなり、そのことが(当時の意識を前提とすると)縁談においてプラスの効果を有すると考えられていたのでしょう。

一定の社会状況の中では、職業レリバンスの欠如それ自体が(永久就職への)職業レリバンスになるという皮肉ですが、それをもう一度裏返せば、あえて法学部や経済学部を選んだ女子学生には、職業人生において有用な(はずの)勉強をすることで、そのような思考を持った人間であることを示すというシグナリング効果があったはずだと思います。で、そういう立場からすると、「なによ、自分で文学部なんかいっといて、いまさら間接差別だなんて馬鹿じゃないの」といいたくもなる。それが、学部なんて関係ない、官能で決めるんだなんていわれた日には・・・。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_8cb0.html (大学教育の職業レリバンス)

・・・前者の典型は哲学でしょう。大学文学部哲学科というのはなぜ存在するかといえば、世の中に哲学者という存在を生かしておくためであって、哲学の先生に給料を払って研究していただくために、授業料その他の直接コストやほかに使えたであろう貴重な青春の時間を費やした機会費用を哲学科の学生ないしその親に負担させているわけです。その学生たちをみんな哲学者にできるほど世の中は余裕はありませんから、その中のごく一部だけを職業哲学者として選抜し、ネズミ講の幹部に引き上げる。それ以外の学生たちは、貴重なコストを負担して貰えればそれでいいので、あとは適当に世の中で生きていってね、ということになります。ただ、細かくいうと、この仕組み自体が階層化されていて、東大とか京大みたいなところは職業哲学者になる比率が極めて高く、その意味で受ける教育の職業レリバンスが高い。そういう大学を卒業した研究者の卵は、地方国立大学や中堅以下の私立大学に就職して、哲学者として社会的に生かして貰えるようになる。ということは、そういう下流大学で哲学なんぞを勉強している学生というのは、職業レリバンスなんぞ全くないことに貴重なコストや機会費用を費やしているということになります。

これは一見残酷なシステムに見えますが、ほかにどういうやりようがありうるのか、と考えれば、ある意味でやむを得ないシステムだろうなあ、と思うわけです。上で引いた広田先生の文章に見られる、自分の教え子(東大を出て下流大学に就職した研究者)に対する過剰なまでの同情と、その彼らに教えられている研究者なんぞになりえようはずのない学生に対する見事なまでの同情の欠如は、この辺の感覚を非常に良く浮かび上がらせているように思います。

・・・いずれにせよ、このスタイルのメリットは、上で見たような可哀想な下流大学の哲学科の学生のような、ただ研究者になる人間に搾取されるためにのみ存在する被搾取階級を前提としなくてもいいという点です。東大教育学部の学生は、教育学者になるために勉強する。そして地方大学や中堅以下の私大に就職する。そこで彼らに教えられる学生は、大学以外の学校の先生になる。どちらも職業レリバンスがいっぱい。実に美しい。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-f2b1.html (経済学部の職業的レリバンス)

・・・ほとんど付け加えるべきことはありません。「大学で学んできたことは全部忘れろ、一から企業が教えてやる」的な雇用システムを全面的に前提にしていたからこそ、「忘れていい」いやそれどころか「勉強してこなくてもいい」経済学を教えるという名目で大量の経済学者の雇用機会が人為的に創出されていたというこの皮肉な構造を、エコノミスト自身がみごとに摘出したエッセイです。

何かにつけて人様に市場の洗礼を受けることを強要する経済学者自身が、市場の洗礼をまともに受けたら真っ先にイチコロであるというこの構造ほど皮肉なものがあるでしょうか。これに比べたら、哲学や文学のような別に役に立たなくてもやりたいからやるんだという職業レリバンスゼロの虚学系の方が、それなりの需要が見込めるように思います。

ちなみに、最後の一文はエコノミストとしての情がにじみ出ていますが、本当に経済学部が市場の洗礼を受けたときに、経済学部を魅力ある存在にしうる分野は、エコノミスト養成用の経済学ではないように思われます。

(ついでにおまけ)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-d4b7.html (大原瞠『公務員試験のカラクリ』)

・・・いや、もちろん、これは「公務員試験のカラクリ」という本の中で書かれた、受験生や受験産業講師の目に映った事態の描写であって、それ以上ではありません。

実際、上にも書かれているように、国家レベルでマクロ的な経済社会政策を考える立場になれば、経済理論の素養が必要であることは言うを待ちません。

しかし、地方自治体で泥臭い業務に携わる人々に、どこまで必要なの?という疑問は確かに一理ありましょう。

この本はあくまでも公務員試験の本なのでそれ以上の突っ込みはありませんが、せっかく経済学の話題が出たので、この問題を経済学的に、それも流行の制度の経済学的に分析すれば、大学にむやみやたらに経済学部を作り、むやみやたらに多い経済学の教師がむやみやたらに多い経済学部の学生に経済学を教えるという事態を社会的に正当化する上で、(実際に就職した後でそれが役に立つかどうかはさておいて)少なくとも入口におけるスクリーニングに経済学の知識を問われるという状況を作っておくことは、経済学教授という社会的システムを真に社会が必要とする以上に膨大に維持するという個別利害の観点からして極めて合理的であることだけは間違いないように思われます。

それが、就職後に本当に役に立って、社会全体の厚生水準の向上に貢献するのかといった、マクロ社会的な実質的合理性の問題を無視すれば、という話ではありますが。(うーむ、なんと(悪い意味において)ある種の経済学者に典型的な理屈であることか!)

(もひとつおまけに)

社会保険労務士山崎正枝さんの証言:

https://twitter.com/masaeymsk/status/911955827610730498

私の時代(濱口桂一郎先生と同い年)は女子は文学部進学が一番多かった。特に英文学は偏差値が高かった。進学した同級生は、教員になった者もいるが、ほとんどは稼ぎのよさげな良家に嫁ぎ良妻賢母に落ち着いた。女子学生亡国論などが言われた時代だ。今は女子もジョブに結びつく学部の方が人気がある。

 

 

 

 

アジア・パシフィック・イニシアティブ『検証 安倍政権』

Img_31cdd25c71df06e2da4e42c5b3b01b8b1160 アジア・パシフィック・イニシアティブ『検証 安倍政権』(文春新書)をお送りいただきました。

https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166613465

史上最長政権の内部で何が起きていたのか?
安倍、菅、岸田、甘利、石破など政権キーパーソン54人への徹底インタビューが明かす内幕!

 アベノミクス、選挙での圧勝、戦後70年談話、さまざまなスキャンダル、憲法改正をめぐる騒動、TPP……。7年8カ月という例をみない長期政権の評価は、いまも定まっていない。この間、日本の政治をとりまく見方は「反安倍」か、さもなくば「親安倍」かに二分された。
 では、この第2次安倍政権は、結局、何をやろうとし、何を残したのか? 『新型コロナ対応民間臨時調査会』『福島原発事故10年検証委員会』など、話題を集めるレポートを次々発表しているアジア・パシフィック・イニシアティブが、政権当事者に対する徹底インタビューを軸として、その政権の内幕に迫る。

という本なんですが、この集団に私は全く縁がなく、どういうわけで送られてきたのかな?とおもって読んでいくと、どうもこれかな、という章がありました。

辻由希さんの書かれた第8章の女性政策が、女性活躍推進法や同一労働同一賃金に触れていて、そこの関係で私にも送られてきたのでしょう。

本書はほかの章もそうですが、徹底した当事者へのインタビューによって一体何が起こっていたのかを明らかにしようという意図が貫かれています。あらかじめ脳内に作った枠組みで裁断するようなことをしないというその姿勢は大変立派だと思いますが、一方で当事者へのインタビューによる歴史叙述は、その当事者自身によるバイアスから逃れられないという問題もあります。この章の叙述を読んでいて、若干そういう傾向を感じました。

同一労働同一賃金の政治過程については、本書でも引用されている朝日新聞の澤路記者らによるものがありますが、そちらがもっぱら官邸における政治過程に着目しているのに対し、本書は当時の塩崎厚労相の証言をかなり使っている点が特徴です。そして、読んでいくと、官邸の進める政策に対して、塩崎厚労相が異なる意見を持ち、議論の結果決着したというようなストーリーになっていますが、いささか疑わしいと思います。

官邸主導といった場合、官邸で方向が決められる段階と、決められた方向性が各省庁に降りてきて詳細が決められる段階があり、ここでの話は前者の段階であって、実際にはほぼ完全な官邸主導の決定であったと考えられます。特に、当時は厚労省の幹部が内閣に併任発令され、官邸幹部から直接に指示される体制であり、意思決定プロセス自体が官邸に包摂される状況だったので、塩崎大臣の個人的な意見が入りこむ余地はほとんどなかったのではないかと思われます。

当時、官邸の働き方改革推進会議と並行する形で厚労省に設置された同一労働同一賃金の検討会も、委員の人選については塩崎大臣の意思がはいっていると思われますが、その議論はほぼ官邸主導になっていたようです。このあたり、もう少し細かく微妙なところをみていく必要があるでしょう

この辺、当事者のインタビューによって事実を再構成する場合の注意点ではないかと思われます。

その他の章もそれぞれに興味深いものがあります。人によってどこが面白いかというのもさまざまでしょうが、ここでは第1章のアベノミクスについての最後のところに書かれた、「リフレ政策の『失敗』ゆえの『成功』」というやや皮肉な春秋の筆法めいた結論の部分を引いておきます。

・・・結果論であるが、リフレ派の教祖的存在の岩田規久男が副総理に就任し、自ら政策決定に携わったことが、日本銀行に対する政界やリフレ派からの批判を封じ込めるのには最も効果的であった。・・・

異次元緩和を唱えた雨宮は、一部のOBから強い批判にさらされている。だが雨宮は、異次元緩和を実施し、その限界を明らかにすることで、金融政策の主導権をリフレ派から取り戻した。このことによってリフレ派、さらには政界やメディアによる故なき批判から、日本銀行を解放したとも言える。・・・

 

 

 

 

 

2022年1月17日 (月)

ジョブ型学歴社会、メンバーシップ型学歴社会(複数まとめて再掲)

またぞろ学歴がどうたらこうたらという千年一日の如き噺が話題になっているという風の噂に、本ブログの過去エントリをいくつかサルベージ。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/post-3752.html(大学中退の社会的意味)

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なんだか、大学中退すると言っている学生さんが話題のようですが、こういうのを見ていると、嗚呼、日本はほんとに学歴社会じゃないんだなあ、と感じます。

欧米ジョブ型社会では、基本的に学歴とは職業資格であり、その人間の職務遂行能力であると社会的に通用する数少ない指標です。なので、学歴で人を差別することがもっとも正当な差の付け方になります。

他の差の付け方がことごとく差別だと批判されるポリティカリーコレクトな世界にあって、ほとんど唯一何の疑いもなく堂々と人の扱いに差をつけられる根拠が、職業資格であり、職務遂行能力のまごうことなき指標たる学歴だからです。

みんなが多かれ少なかれ学歴そのものを直接の能力指標とは思っておらず、人間の能力ってものは学歴なんかじゃないんだよ、という言葉が半ば本音の言葉として語られ、そうはいってもメンバーとして受け入れるための足切りの道具としては使わざるを得ないねえ、と若干のやましさを感じながら呟くような、この日本社会とは全く逆です。

欧米での観点からすればあれもこれもやたらに差別的でありながらそれらに大変鈍感な日本人が、なぜか異常に差別だ差別だと数十年間批難し続けてきた学歴差別という奴が、欧米に行ってみたらこの世でもっとも正当な差の付け方であるという落差ほど、彼我の感覚の差を語るものはないでしょう。

そういう、人間力信仰社会たる日本社会のどろっとした感覚にどっぷりつかったまま、妙に新しがってかっこをつけようとすると、こういう実は日本社会の本音のある部分を局部的に取り出した歪んだ理想主義みたいな代物になり、それがそうはいってもその人間力というものをじっくりとつきあってわかるようになるために学歴という指標を使わないわけにはいかないんだよキミ、という日本社会の本音だけすっぽりと取り落としてしまうことになるわけです。

(追記)

ちなみに、よく知られていることですが、「大学中退」が、すなわち最終学歴高卒が、大卒よりも、況んや大学院卒なんかよりもずっとずっと高学歴として高く評価されている職場があります。

日本国外務省です。

日本国政府の中枢に、大学4年までちゃんと勉強してディプロマをもらった人よりも、外交官試験にさっさと合格したので大学3年で中退しためにディプロマを持たない人の方が、より優秀でより偉い人と見なされる組織が厳然として存在している(いた)ということにも、日本社会における『学歴』の意味が現れているのでしょう。

そして、それを見て、なるほど学歴なんか何の意味もないんだ、卒業するより中退した方が偉いんだと思って、自分の『能力』を証明する何もないままうかつに中退なんかすると、もちろん地獄が待ているわけですが。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/post-f1bb.html(メンバーシップ型学歴観)

中川淳一郎という方が、SEALDSの奥田愛基氏が一橋大学の大学院に入学(入院)したことに激怒している旨ツイートしています。

https://twitter.com/unkotaberuno/status/743462691973402625


さっき常見 @yoheitsunemi と一橋大学の先生と飲んでたけど、SEALDsの奥田愛基が一橋の院に入ったんだって? いやぁ……。すげー不快。

https://twitter.com/unkotaberuno/status/743463569358872576


文系国立大学の大学院さぁ、文科省の方針で院生増やしたいかもしれねぇけど、学歴ロンダリング狙いの連中が殺到するような状況をお前ら良しとしてるの? あぁ、ばかじゃねぇの? 一橋、うんこ食ってろ、てめぇら。バカ大学め、中にいる連中も含めててめぇらうんこ食ってやがれ

まだ続きますが、「一橋の院試がラクに入れるとの印象」とか「奥田氏も別に明学の院に行けばよかったんじゃないですか?」というあたりが、いかにも日本的なメンバーシップ型学歴観がよく現れているな、と感じました。

正直言って、社会的発言をする社会学の大学院生と言えば、最近も炎上を繰り返している某東大の院生タレント氏を見ればわかるように、それで大学の格がどうこうするようなものでもないのではないかと思いますが、そこはやはり、出身大学に対する愛着の度合いがここまで高いのでしょうね。

とはいえ、そもそも教育と雇用を貫く一次元的な「能力」、すなわち組織に入ってから厳しい訓練に耐えて様々な仕事をこなしていけるようになる潜在能力の指標としての大学入学時の高い勉強成績でその人をどう評価するかしないかという次元の話と、その研究内容をどう評価するかはともかく、ある問題意識を持って研究していくことができるタマかどうか、という次元の話とは、そもそもまったく違う話がやや感情レベルでごっちゃになっているのではないかという感が否めません。

研究者の卵がちゃんと立派な研究者に育つか、卵のまま潰れるのか、お笑いタレントの道を歩むのか、そのいずれであれ、当該大学院の指導教授と本人の問題であって、たまたま組織名を同じくする大学に昔入学できるほど賢かった人がいきり立つほどのことでもなかろうと思います。というか、そこで人をいきり立たせてしまうものが、まさにメンバーシップ型学歴観というものなのだろうな、と思うわけです。

(追記)

やや誤解があるようなので念のため。ここでいうメンバーシップ型学歴観とは、あくまでも「組織に入ってから厳しい訓練に耐えて様々な仕事をこなしていけるようになる潜在能力の指標としての大学入学時の高い勉強成績でその人をどう評価するかしないかという次元の話」であって、卑俗な言い方をすれば、「俺は18歳の時、こんなに偏差値が高かったのに、こんな偏差値の低い奴があとから院生として入ってきて○○大生みたいな面するな」という意識であり、だからこそ大学院に研究したくて入ってきた仲間同士のメンバーシップ感覚などとはまったく対極にある「学歴ロンダリング狙いの連中が殺到するような状況」という言葉が出てくるわけでしょう。

この学歴感覚については。もう30年以上昔の本ですが、岩田龍子氏の『学歴主義の発展構造』という本が大変示唆的です。

https://www.amazon.co.jp/%E5%AD%A6%E6%AD%B4%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%81%AE%E7%99%BA%E5%B1%95%E6%A7%8B%E9%80%A0-1981%E5%B9%B4-%E6%97%A5%E8%A9%95%E9%81%B8%E6%9B%B8-%E5%B2%A9%E7%94%B0-%E7%AB%9C%E5%AD%90/dp/B000J7UPVI?ie=UTF8&*Version*=1&*entries*=0

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2018/09/post-412f.html(大学の労働社会におけるレリバンスの違い)

なんだか、ネット上では大学に行くべきか行かざるべきかとかいうような話が盛り下がっているそうですが、本来教育と労働社会の鍵に関わるような話がかくも空疎なくだらないレベルに盛り下がるのは、やはり日本社会のありようが濃厚に反映しているように思われます。

まずある時期までの先進社会の一般的な構造をごく単純化していえば、労働社会は専門職や管理職として指揮するもの(ディレクター)、その下で能力を認められて働くもの(スキルドワーカー)、その下で能力必要なく下働きをするもの(ノンスキルドワーカー)の三層からなり、それぞれに教育制度のどのレベルを卒業したかによって、高等教育卒、中等教育卒、初等教育卒のものが割り振られるという仕組みでした。日本も戦前はこうでした。

日本以外の諸国は現在に至るまでこの三層構造自体は本質的に変わっていません。ただし、教育制度が全体として高等教育が拡大する方向に大きくシフトしました。その結果、かつてはディレクター階層の要員であった大学卒は普通にスキルドワーカー要員となり、ディレクター階層はその上の大学院卒によって占められるようになっていきました。一方、かつてはスキルドワーカー要員であった高卒は、その階層になだれ込んできた大卒に押し出されるようにしてノンスキルドワーカー要員になっていきます。あまりにもおおざっぱな描写ですが、すごくざっくりいうとこういうことです。

日本以外の社会は教育制度によって身に着けた(と社会的に認められた)スキルによって労働社会のポジションが付与されるジョブベースのシステムですから、公式的に言えば、現代労働社会におけるスキルドワーカー層に求められるスキルレベルは、かつての高卒レベルよりもはるかに高まって大卒レベルになったということになるはずです。これが欧米社会の揺るがすことのできない絶対的なタテマエです。

ところが、もちろんそういう面もないこともないでしょうが、本当にそのジョブに求められるスキルレベルということでいえば、そんなに上がっているわけではなく、実は教育内容だけでいえば高卒レベルで十分なんだけど、社会全体の学歴インフレのために、今の高卒者の(学んだ教育内容のレベルが、ではなく)社会全体におけるどのレベルの人材が来ているかという意味でのレベルが、つまりその人間の脳みその出来という意味でのレベルが、かつての中卒者レベルに下がってしまっているために、本当にそのジョブを遂行するスキルという意味では何ら必要ではない大卒者というディプロマによる能力証明が必要になってしまっている、というのが、上のタテマエの下から透けて見えるホンネの姿なのだろうと思われます。

ここから、そういう本当はその卒業者が就くジョブが求めるスキルという意味では過剰でしかない大学教育なんかやめてしまい、もっと現実に即したスキルドワーカー養成のための仕組みにシフトしていくべきではないかという議論が提起されてくるわけです。繰り返しますが、これはあくまでも教育制度で身に着けたスキルによって労働社会の地位が配分されるというジョブ型社会のタテマエを大前提にするからこそ、その建前と現実との乖離を突きつけて打ち出される議論であるということを忘れないでください。

ところが、戦後の日本社会は、この(戦前の日本社会は欧米と共有していたところの)ジョブ型社会の大前提が崩れ去ってしまっています。そもそも、会社内の構造が、その果たすべき役割によって三層に分けられるのではなく、ディレクター階層とスキルドワーカー階層が(正確にはそのうちの男性ですが)フルメンバーシップを付与されたメンバー層となり、ノンスキルドレベルからスキルドレベルヘ、さらにディレクターレベルへと「社内出世」するのがデフォルトモデルとなり、その外側にノンメンバー層が存在するというありようになってしまいました。

そこでは、管理職というのも管理という機能を果たす一職務ではなく、メンバー層のシニアに付与される処遇の一環となり、もともと想定されていたはずの高等教育を受けた者とのダイレクトなつながりは失われてしまいます。専門職すら(すべてとは言いませんが)専門的なジョブというよりも一処遇形態になるようなこの社会では、専門職の主要な供給源が大学レベルから大学院レベルに移行するというようなことも、なかなか起こりにくいわけでしょう。一方で、欧米であれば大学院卒が就くのがデフォルトであるような専門職が、それが専門的スキルを必要とするがゆえにメンバーシップを持たないノンメンバー層にあてがわれ、高学歴者ほど低処遇になるという、欧米であればこれ以上ないようなパラドックスが、特段不思議そうな意識もなくごく普通に受容されるという事態も現出するわけです。

そういう社会では、企業が大卒者を採用するのは、彼が企業内で遂行するべき管理的専門的職業のスキルを大学でみにつけてきたからではなく、人間の脳みその出来という意味で社会全体の中でこのレベルの人材だからという以上のものではないわけです。だからあの「シューカツ」なる社会現象があるわけで、その詳細は拙著『若者と労働』等にゆだねますが、まあ要するに、欧米社会のようなジョブ型社会のタテマエゆえの悩みは初めから感じなくて済むようになっています。教育制度で学んだことは初めからあまり関係ないのですから、「本当はその卒業者が就くジョブが求めるスキルという意味では過剰でしかない大学教育なんかやめてしま」えという議論が本気で提起されることもない。

それゆえ、高卒から大卒への教育レベルの一大シフトも、企業内階層構造との対応関係の大激変という事態を引き起こすわけでもなく、いわば欧米社会がいまだ掲げているジョブ型社会のタテマエの下でホンネとしてひそかに行っている人間力採用が、はじめから堂々たる正義として存在している以上、大学教育はその付与するスキルに対応するジョブがあるのかという本質的な意味での過剰論などはそもそも存在の余地はなく、人間力がどれだけ磨かれるか否かなどという次元でしか』論じられないのも当然かもしれません。

そういう社会では、大学に行くべきか行かざるべきかという議論も、労働社会の構造の本質如何という話とは無関係の、まともに相手にするだけの値打ちが全然感じられないような、なんだかふわふわとした能天気な話にならざるを得ないのも、またむべなるものがあるといえましょう。

 

 

 

 

 

 

2022年1月16日 (日)

人権は他人のもの?自分のもの?(改題の上再掲)

なんだか、人権は他人のためのものか、自分のためのものかが話題になっているという風の噂に、これまでそのテーマについて書かれたエントリを昨年まとめておいたので、改題の上再掲しておきます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2021/05/post-3f8204.html(憲法記念日に人権を考える・・・hamachan版)

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本日、憲法記念日ということもあり、本ブログで過去、人権について書いたエントリをいくつかお蔵出しします。

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http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-baa7.html(りべさよ人権論の根っこ)

ユニオンぼちぼち リバティ分会(大阪人権博物館学芸課・教育普及課分会)のブログに、興味深い記述がありました。

http://unionbotiboti.blog26.fc2.com/blog-entry-308.html権利と聞いて何をイメージしますか?

・・・次に、今まで受けてきた人権教育、人権啓発の内容について質問します。
 被差別部落、在日コリアン、アイヌ民族、障害者、パワーハラスメント・セクシュアルハラスメント、ジェンダー、人種差別など、その特徴は個別の差別問題があげられることです。

権利に対して抱いているイメージが抽象的か具体的かについては、そのおよそ7割が抽象的だったと答えてくれます。身近かどうかについても、6~7割程度が「身近ではない」に手を挙げます。
 受けてきた人権教育・人権啓発を数多く書いてくれる人も中にはいるのですが、「働く権利」と書く人はほとんどいません。子どもでは皆無です。

この質問を考えたときに想像していた通りの結果にはなっているのですが、これが現状です。日本社会で権利がどのように受けとめられているかがよく分かりますし、状況はかなり深刻ではないかと感じています。
 人権のイメージが抽象的で自分に身近なものとは感じていないのですから、これではなかなか自分が人権をもっていると実感することはできません。まさに人権は、特別な場で特別な時間に学ぶものになってしまっています。
 最後に、「人権は誰のものですか?」と聞くと、多くの人は「全ての人のもの」と答えます。なのに、人権について繰り返し聞いたこれらの質問を考えるとき、自分に関わる質問だと感じながら考える人は多くないようです。「みんなのもの」なのに、そこに自分はいないのでしょうか。

まさにここに、世界でごく普通に認識されている人権とはかなり異なる日本における「人権」のありようが透けて見えます。

なぜこのような現状になっているのか。その問題を考えるとき、従来おこなわれてきた人権教育や啓発の問題を考えざるを得ません。
 質問に対する答えにも書いたように、人権教育や啓発でおこなわれている大半は、個別の差別問題に対する学習になっています。リバティに来館する団体が学芸員の解説で希望するテーマも、やはり多くは部落問題や在日コリアン、障害者の問題などになっています。
 もちろんこれらの問題も、被差別者の立場以外の人にこそ、自分自身が問われている問題だと考えて欲しいと思っています。しかし、リバティに来る子どもたちを見ていると、人権学習は固くて、重くて、面白くない、自分とは関係ないものだと感じていることがよく分かります。
 人権のイメージを聞かれて、「差別」と書くのも、人権学習は差別を受けて困っている人の話だと思っていることが影響しているのかもしれません。
 このような意識を変えていくためにこそ、労働に関する問題と働く権利の話を伝えていくことが必要だと思っています。

この異常に偏った「人権」認識が、例えば赤木智弘氏の「左派」認識と表裏一体であることはいうまでもありませんし、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_2af2.html(赤木智弘氏の新著その2~リベサヨからソーシャルへ)

男性と女性が平等になり、海外での活動を自己責任と揶揄されることもなくなり、世界も平和で、戦争の心配が全くなくなる。
で、その時に、自分はどうなるのか?<
これまで通りに何も変わらぬ儘、フリーターとして親元で暮らしながら、惨めに死ぬしかないのか?

をいをい、「労働者の立場を尊重する」ってのは、どこか遠くの「労働者」さんという人のことで、自分のことじゃなかったのかよ、低賃金で過酷な労働条件の中で不安定な雇傭を強いられている自分のことじゃなかったのかよ、とんでもないリベサヨの坊ちゃんだね、と、ゴリゴリ左翼の人は言うでしょう。

ニュースなどから「他人」を記述した記事ばかりを読みあさり、そこに左派的な言論をくっつけて満足する。生活に余裕のある人なら、これでもいいでしょう。しかし、私自身が「お金」の必要を身に沁みて判っていながら、自分自身にお金を回すような言論になっていない。自分の言論によって自分が幸せにならない。このことは、私が私自身の抱える問題から、ずーっと目を逸らしてきたことに等しい。

よくぞ気がついたな、若いの。生粋のプロレタリアがプチブルの真似事をしたってしょうがねえんだよ、俺たち貧乏人にカネをよこせ、まともな仕事をよこせ、と、あんたは言うべきだったんだ、と、オールド左翼オヤジは言うでしょう。

そして、人権擁護法案に対するこういう反応の背後にあるのも、やはり同じ歪んだ人権認識であるように思われます、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/hirotakaken.html(ミニ・シンポジウム「教育制度・教育政策をめぐって(2)――教育と雇用・福祉」 )

数年前に、若者関係の議論がはやった頃に結構売れたのが、フリーターの赤木智弘さんが書いた本です。その中で、彼は「今まで私は左翼だったけど、左翼なんかもう嫌だ」と言っています。彼がいうには、「世界平和とか、男女平等とか、オウムの人たちの人権を守れとか、地球の向こう側の世界にはこんなにかわいそうな人たちがいるから、それをどうにかするとか、そんなことばかり言っていて、自分は左翼が大事だと思ったから一生懸命そういうことをやっていたけど、自分の生活は全然よくならない。こんなのは嫌だ。だからもう左翼は捨てて戦争を望むのだ」というわけで、気持ちはよくわかります。
 
 この文章が最初に載ったのは、もうなくなった朝日新聞の雑誌(『論座』)です。その次の号で、赤木さんにたいして、いわゆる進歩的と言われる知識人たちが軒並み反論をしました。それは「だから左翼は嫌いだ」と言っている話をそのまま裏書きするようなことばかりで、こういう反論では赤木さんは絶対に納得しないでしょう。
 
 ところが、非常に不思議なのは、彼の左翼の概念の中に、自分の権利のために戦うという概念がかけらもないことです。そういうのは左翼ではないようなのです
 
 もう一つ、私はオムニバス講義のある回の講師として、某女子大に話をしに行ったことがあります。日本やヨーロッパの労働問題などいろいろなことを話しましたが、その中で人権擁護法案についても触れ、「こういう中身だけど、いろいろと反対運動があって、いまだに成立していない」という話を、全体の中のごく一部でしました。
 
 その講義のあとに、学生たちは、感想を書いた小さな紙を講師に提出するのですが、それを見ていたら、「人権擁護法案をほめるとはけしからん」という、ほかのことは全然聞いていなかったのかという感じのものが結構きました。
 
 要するに、人権を擁護しようなどとはけしからんことだと思っているわけです。赤木さんと同じで、人権擁護法とか人権運動とか言っているときの人権は、自分とは関係ない、どこかよその、しかも大体において邪悪な人たちの人権だと思いこんでいる。そういう邪悪な人間を、たたき潰すべき者を守ろうというのが人権擁護法案なので、そんなものはけしからんと思い込んで書いてきているのです。
 
 私は、正直言って、なるほどと思いました。オムニバス講義なので、その後その学生に問い返すことはできませんでしたが、もし問い返すことができたら、「あなた自身がひどい目に遭ったときに、人権を武器に自分の身を守ることがあり得るとは思いませんか」と聞いてみたかったです。彼女らの頭の中には、たぶん、そういうことは考えたこともなかったのだと思います。
 
 何が言いたいかというと、人権が大事だとか憲法を守れとか、戦後の進歩的な人たちが営々と築き上げてきた政治教育の一つの帰結がそこにあるのではないかということです。あえて毒のある言葉で申し上げますが。
 
 少なくとも終戦直後には、自分たちの権利を守ることが人権の出発点だったはずです。ところが、気が付けば、人権は、自分の人権ではなく他人の人権、しかも、多くの場合は敵の人権を意味するようになっていた。その中で自分の権利をどう守るか、守るために何を武器として使うかという話は、すっぽりと抜け落ちてしまっているのではないでしょうか
 

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-3e81.html(自分の人権、他人の人権)

https://twitter.com/YuhkaUno/status/494839766626492419

人権教育というのは、まず「あなたにはこういう権利がある」ということを教えることだと思うんだけど、日本の人権教育は「弱者への思いやり」とかで語られるから、人権というのは「強者から弱者への施し」だと考えるようになるんだと思う。

もっというと、だから人権を目の敵にする若者たちがいっぱい出てくるわけです。

ということをだいぶ前から言い続けてきているわけですが・・・。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/hirotakaken.html

 残りの3分の1の時間で、想定される小玉先生の話に対するコメントをします。本田さんの言い方で言うと、「適応と抵抗」の「抵抗」になります。
 
数年前に、若者関係の議論がはやった頃に結構売れたのが、フリーターの赤木智弘さんが書いた本です。その中で、彼は「今まで私は左翼だったけど、左翼なんかもう嫌だ」と言っています。彼がいうには、「世界平和とか、男女平等とか、オウムの人たちの人権を守れとか、地球の向こう側の世界にはこんなにかわいそうな人たちがいるから、それをどうにかするとか、そんなことばかり言っていて、自分は左翼が大事だと思ったから一生懸命そういうことをやっていたけど、自分の生活は全然よくならない。こんなのは嫌だ。だからもう左翼は捨てて戦争を望むのだ」というわけで、気持ちはよくわかります。
 
 この文章が最初に載ったのは、もうなくなった朝日新聞の雑誌(『論座』)です。その次の号で、赤木さんにたいして、いわゆる進歩的と言われる知識人たちが軒並み反論をしました。それは「だから左翼は嫌いだ」と言っている話をそのまま裏書きするようなことばかりで、こういう反論では赤木さんは絶対に納得しないでしょう。
 
 ところが、非常に不思議なのは、彼の左翼の概念の中に、自分の権利のために戦うという概念がかけらもないことです。そういうのは左翼ではないようなのです。
 
 もう一つ、私はオムニバス講義のある回の講師として、某女子大に話をしに行ったことがあります。日本やヨーロッパの労働問題などいろいろなことを話しましたが、その中で人権擁護法案についても触れ、「こういう中身だけど、いろいろと反対運動があって、いまだに成立していない」という話を、全体の中のごく一部でしました。
 
 その講義のあとに、学生たちは、感想を書いた小さな紙を講師に提出するのですが、それを見ていたら、「人権擁護法案をほめるとはけしからん」という、ほかのことは全然聞いていなかったのかという感じのものが結構きました。
 
 要するに、人権を擁護しようなどとはけしからんことだと思っているわけです。赤木さんと同じで、人権擁護法とか人権運動とか言っているときの人権は、自分とは関係ない、どこかよその、しかも大体において邪悪な人たちの人権だと思いこんでいる。そういう邪悪な人間を、たたき潰すべき者を守ろうというのが人権擁護法案なので、そんなものはけしからんと思い込んで書いてきているのです。
 
 私は、正直言って、なるほどと思いました。オムニバス講義なので、その後その学生に問い返すことはできませんでしたが、もし問い返すことができたら、「あなた自身がひどい目に遭ったときに、人権を武器に自分の身を守ることがあり得るとは思いませんか」と聞いてみたかったです。彼女らの頭の中には、たぶん、そういうことは考えたこともなかったのだと思います。
 
 何が言いたいかというと、人権が大事だとか憲法を守れとか、戦後の進歩的な人たちが営々と築き上げてきた政治教育の一つの帰結がそこにあるのではないかということです。あえて毒のある言葉で申し上げますが。
 
 少なくとも終戦直後には、自分たちの権利を守ることが人権の出発点だったはずです。ところが、気が付けば、人権は、自分の人権ではなく他人の人権、しかも、多くの場合は敵の人権を意味するようになっていた。その中で自分の権利をどう守るか、守るために何を武器として使うかという話は、すっぽりと抜け落ちてしまっているのではないでしょうか。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-4543.html(リベサヨにウケる「他人の人権」型ブラック企業)

みなみみかんさんの鋭い直感:

https://twitter.com/radiomikan/status/505024778688684034

たかの友梨もワタミもそうなんだけど、児童養護施設に寄付したり東南アジアの子供ために力を入れたりしてるんだけど、自社の社員に対する扱いがアレで、もうなんかアレという他ない。

だから、そういう「他人の人権は山よりも高し、自分の人権は鴻毛よりも軽し」って感覚こそ、あの赤木智弘氏がずっぽりとその中で「さよく」ごっこしていた世界であり、そんなんじゃ自分が救われないからと「希望は戦争」になだれ込んでしまった世界であるわけです。

自分の人権なんかこれっぽっちでも言うのは恥ずかしいけれど、どこか遠くの世界のとってもかわいそうな人々のためにこんなに一生懸命がんばっているなんて立派なぼく、わたし、という世界です。

そういうのを讃えに讃えてきたリベサヨの行き着く果てが、末端の労働者まで社長に自我包絡されて、こんなに自分の人権を弊履の如く捨て去って他人の人権のために尽くすスバラ式会社・・・というアイロニーに、そろそろ気がついてもよろしいのではないかと、言うてるわけですけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

メンバーシップ型社会の量子力学的構造(改題の上再掲)

昨年6月にアップしたエントリをそっくりそのまま再アップしておきます。なにも付け加えるべきことはありません。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2021/06/post-a7954d.html(ジョブ型とメンバーシップ型のねじれた議論)

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みずほ銀行のシステム障害の報告書をめぐって、こういうツイートがあったのですが、

https://twitter.com/_innocent2017/status/1406076301153386498

Vliauirg_400x400 みずほ銀行のシステム障害に関する調査報告書が話題になってますね。
その中でも「声を上げて責任問題となるリスクを取るよりも、持ち場でやれと言われていることだけをやった方が組織内の行動として合理的となる企業風土」という趣旨の原因分析が、日本企業らしいとして話題になっています。

これは、本当に日本企業独特の企業風土なのでしょうか?
確かに「減点型」の人事評価をする組織ならそのようなことがあるかもしれませんが、いわゆる欧米型、ジョブ型雇用の組織こそ「自分の持ち場の外のことは口を出さない」という風土が強くなってもおかしくないと思います。

欧米型、ジョブ型雇用の組織で「あえて声を上げる」ことが組織の中で合理的な選択となるのか、ぜひ有識者の方に教えていただきたいです。

たぶん、世の多くの人もこの人も、みんな日本的な集団的に仕事をし、一人一人に権限と責務が明確に割り振られているのではない量子力学的メンバーシップ感覚のままであれこれ議論するからこうなるんだろうな、と。

いやいや、ジョブ型ってのは、何か問題を発見したらそれをきちんと報告せよというのが、その当該者に与えられたタスクである限り、それこそが「持ち場でやれと言われていることだけ」なのであり、そういうジョブにはめ込まれた人がそれをわざとやらないことは、それがばれたらそれこそどういう処分を受けても文句をいえない。他により重要な考慮すべきことがあり、それを守るためならば自分の首をかけてもいいと思えるのでない限り、自らの職責を粛々とこなすこと以外に合理的な選択などはない。

逆に、そういうタスクを課されていない人は、そもそも自分の職責にもないことで「あえて声を上げる」などという他人の仕事を奪うような真似をする理由などない。そんなバカなことはいかなる意味でも合理的な選択ではないが、それはそもそもそれが自分の仕事じゃないから。その意味では、まさしくこの人の言うとおり、ジョブ型雇用の組織こそ「自分の持ち場の外のことは口を出さない」世界だ。

という、自分の仕事と決まっていることはきちんとやる、自分の仕事ではないことには口を出さないという、ニュートン力学的なジョブ型の世界の感覚を欠落させて、誰がどの仕事にどういう責任を負っているのやらいないのやらよくわからないような量子力学的メンバーシップ型の世界で、誰もが少しずつその問題に持ち場として関わりつつ、誰も自分のみがその問題の責任者であるとは思っていないようなふわふわした状況下では、それに関わる全員が、自分もその部分的責任者であるのに、「あえて声を上げる」ことが組織の中で合理的な選択とならず、他の部分的責任者の誰かがやるだろうと考えてしまうことが合理的になってしまうのでしょう。

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(追記)

なにも付け加えないと言いながら、一言だけ付け加えておくと、要するにみずほ銀行には、システム障害についてきちんと声を上げることが、それこそが自分の最重要なタスクであると思っている人が一人もいなかったということなんでしょうね。他人事みたいに関わっている人はごまんといたけれども。

半年前に「量子力学的」という言葉を使ったけれども、考えてみれば、誰かが見つけて声を上げるまでは誰の職責かは不確定だけれども、誰かが声を上げた瞬間に不確定性が消失して、その声を上げた不運な奴の職責に確定してしまうという、日本のメンバーシップ型社会のありようを、よく表している表現のような気がしてきました。

そういう社会では、何かに気づいても見て見ぬふりをして、誰の職責だか明確でない不確定性を維持することが、誰にとっても最も合理的な行動様式になるわけです。そのうちにだれか馬鹿正直な奴が声を上げて、そいつに職責が確定されて、自分の不確定だった職責が解除されるのを待っているのが最も合理的。

2022年1月15日 (土)

スペインでプラットフォーム労働者の労働協約締結

Luzrodriguez115x115 久しぶりにソーシャル・ヨーロッパの記事から。筆者はラマンチャ大学の労働法の先生でロドリゲスさんという方。

https://socialeurope.eu/first-agreement-for-platform-workers-in-spain(First collective agreement for platform workers in Spain)

2020年9月にスペインの最高裁がプラットフォーム労働者を自営業者ではなく雇用労働者であると判決したことがもとになって、2021年に雇用契約を推定するライダー法が制定されており、今回の労働協約につながったということのようです。

スペイン語の原典に当たってないのでセコハン情報ですが、なかなか面白いのは、

Their annual wage is set in the agreement at €15,232, or €1,270 per month, to which supplements will have to be added for working at night or on holidays or for mileage if a worker uses their own vehicle.

年収約1万5千ユーロ、月収1270ユーロの保障給

Also according to the new agreement, platform workers will have a maximum working time of nine hours per day. Two uninterrupted days of rest a week must be respected, including one Sunday per quarter, in addition to a guaranteed 30 days holiday per year. 

1日9時間の上限に加えて、週休、さらに30日の年休。

The mobile phone used by a worker to connect to the application must be provided by the platform, as well as all other work tools (vehicle and food box). If a vehicle is the worker’s own, then the platform must pay corresponding compensation. The costs of the tools are thus to be assumed by the platform, not the worker as in most countries.

携帯電話はプラットフォームが提供しろとか、車が労働者の自家用車ならその費用をプラットフォームが負担しろとか、なかなかウーバーらにとっては厳しい内容ですね。

Those riders visible on the streets of Spain will now be workers who have rights.

スペインの道路で目にするライダーたちは、いまや権利を有する労働者なのだ。

 

 

 

2022年1月14日 (金)

事業を開始した受給資格者等に係る受給期間の特例

本日、労政審で雇用保険法等の改正案要綱が承認されましたが、その中にちょっと興味深い規定があります。

https://www.mhlw.go.jp/content/000881549.pdf

今回の改正案で一番注目されたのはいうまでもなく、雇用調整助成金が使われ過ぎてお金が無くなったのをどうするかという話で、保険料率を上げるけれどもそれを先延ばしするとか、いろいろ話題になりましたが、ここではそこじゃなくて、フリーランス対策の一環という面もあるある規定を。

それは、要綱の文言では

二 事業を開始した受給資格者等に係る受給期間の特例
受給資格者であって、基本手当の受給資格に係る離職の日後に事業(その実施期間が三十日未満のものその他厚生労働省令で定めるもの(注1)を除く。)を開始したものその他これに準ずるものとして厚生労働省令で定める者(注2)が、厚生労働省令で定めるところにより公共職業安定所長にその旨を申し出た場合には、当該事業の実施期間(当該期間の日数が四年から受給期間の日数を除いた日数を超える場合における当該超える日数を除く。)は、受給期間に算入しないものとすること。
(注1)当該事業により自立することができないと公共職業安定所長が認めるものとする予定〔省令〕。
(注2)離職前に当該事業を開始し、離職後に当該事業に専念する者とする予定〔省令〕。 

となっていますが、つまり一旦労働者から起業の道を選んで自営業者になった人が、夢破れてもう一遍労働者に戻って仕事を探そうというときに、元の勤務実績に基づいた失業給付をもらえるという話です。

これは、もちろん特定の場合に限ってですが、ある意味で元労働者のフリーランスにも雇用保険を拡大適用しているような面があり、昨年6月の骨太の方針で「フリーランスといった経済・雇用情勢の影響を特に受けやすい方へのセーフティネット・・・の在り方を検討」という要請に部分的に答えたという面があります。

労政審の安全衛生分科会では、例のアスベスト最高裁判決を受けて、一人親方へも安全衛生規定を拡大するという議論をしていますし、こういう割と地味な方面で、フリーランス対策がじわじわと膨らんでいるということも、頭の片隅にとどめておく必要がありそうです。

『ジョブ型雇用社会とは何か』の電子書籍が出たようです

71cahqvlel_20220114210901 amazonは依然として紙の本が払底して、鞘取り族が馬鹿高い値段をつけているようですが、kindleの電子書籍版が出たようなので、そちらでもお読みいただけます。

https://www.amazon.co.jp/dp/B09QBSJZTQ

(追記)

すごいな、kindle版が出たとたんに、amazonでの岩波新書売れ筋ランキングでこの電子版が2位になっている。

鞘取り族が馬鹿高い値段をつけてる紙の本がいまだに3位につけているというのもいささか不思議ではありますが。少なくとも、わざわざamazonで1,820円もの金を払って買う必要は全くありませんので、別のストアに行ってもらった方がいいと思いますよ。

https://www.amazon.co.jp/gp/bestsellers/books/2220219051/ref=pd_zg_hrsr_books

 

2022年1月13日 (木)

”採るべき人”と”採ってはいけない人”の間

毎度のことながらネット上はあちらでもこちらでも炎上ネタが転がっているようですが、その騒ぎをちょっと斜め後ろ方面から見ると、これもまたいろいろと興味深い視角が開けてきます。

https://kabumatome.doorblog.jp/archives/65990403.html

話の出発点は、某社人事部の方の

採用は"採ってはいけない人”を見極める仕事だ。最近意味が分かってきた。

というつぶやきで、これがなぜか大炎上したようですが、でも、ジョブ型じゃなくて、メンバーシップ型の採用の本質から言えば、これはなかなか本質を言い当てている感もあります。

もちろん、世界共通の雇用のベースラインモデルであり、日本以外の社会ではみなそうであり、日本だって法律の建前上はそうであるところのジョブ型雇用社会の原理からすれば、

採用は”採るべき人”を見極める仕事だ。

ということに尽きるのです。特定のスキルを要する特定のジョブに、もっともそれを的確に遂行しうると思われる人を当てはめることが採用であるならば、それ以外のことはすべてたわごとに過ぎない。

ごまんといる膨大な人の中から、特定のジョブを遂行しうる数少ない特定の人を選び出すという至難の業こそが採用だと思っている人からすれば、どんな仕事ができるかできないかなどとは何ら関係なく、ただトンデモな地雷を踏まないことが大事だなどというのは、採用の風上にも置けないはずでしょう。

でもね、それはジョブ型社会の話であって、メンバーシップ型社会ではそもそも特定のジョブを遂行しうる人を採用するんじゃないのだから、話の筋道がそれとは違うわけです。

会社の必要に応じてどんな仕事でも一生懸命取り組んでこなしていくような人材こそを求めているのである以上、そういう”採るべき人”とは、”採ってはいけない人”の補集合としてしか定義のしようがない。

そう、”採ってはいけない人”とは、採用から定年退職までの長期間会社のメンバーとしてやっていけそうもないトンデモな「地雷」のことを意味するのですから、この某社人事部の方のセリフはまさにメンバーシップ型採用の本質を言い当てているのであり、そう考えると「最近意味が分かってきた」というのも誠に意味深いものがありますね。

何なんだよ、あいつは。とんでもねぇ奴だな。誰だよ、あんな奴採用したのは。え?何年入社だって?そん時の人事課長は誰だよ。こんな奴だとわかって採用したのかね・・・

てなことの一つや二つが転がっていない会社はたぶんあんまりないはずです。みんな心当たりがあるでしょう。だって、みんなメンバーシップ型にどっぷり漬かってきているんだから。

何べんも言うけど、ジョブ型ってのは入口がアルファでありオメガであって、それ以外はすべてそのコロラリーに過ぎない。入口をそのままにして、賃金処遇だけジョブ型と称して成果主義にしてみたところで、”採ってはいけない人”を見極めることが人事部の最大の任務であるということには何の変りもないのですから。

 

 

 

2022年1月12日 (水)

『ジョブ型雇用社会とは何か』第5刷決定

71cahqvlel_20220112220601 おかげさまで、昨年9月下旬に出た『ジョブ型雇用社会とは何か』が、新年早々第5刷が決定しました。これもお買い求めいただいた皆様方のおかげと心からお礼申し上げます。

本書では特に初めのところで日経新聞を槍玉にあげて批判しているんですが、その日経新聞に昨年末経済書第4位に選んでいただいたうえに、今年は年始早々、例の日立が全社員ジョブ型化という記事で、みんながジョブ型を検索して、本書を見つけるという好循環のサイクルまで作ってくれているみたいで、有難いというか申しわけないというか不思議な感覚です。

ちなみに、東洋経済には経済書第2位に選んでいただいた上に、今年は年始早々、こういう記事で宣伝していただいていて、こちらはほんとに感謝です。

https://toyokeizai.net/articles/-/479368

でもって、みんな「ジョブ型」を検索して、amazonで本書を買う人が増えたためか、どうも品切れ状態をきたしたようで、amazonの本書のページを見たら、目を剝くような事態になっていました。

https://www.amazon.co.jp/dp/4004318947/

なんとおどろくべきことに、¥1,717という値段がついているんですよ。いやいやまだ出たばっかりの新刊書で、定価は¥1,122ですからね。例によってamazonを徘徊する鞘取り族がこういうべらぼうな値段をつけて売ってるんでしょうが、間違ってもこういう暴利屋のは買わないでくださいね。

 

 

2022年1月11日 (火)

大内伸哉『最新重要判例200[労働法] <第7版>』

594309 大内伸哉さんの『最新重要判例200[労働法] <第7版>』(弘文堂)をお送りいただきました。これも2年おきに版を重ねてはや7版ですか。

https://www.koubundou.co.jp/book/b594309.html

膨大な判例の中から新しいものを中心に一貫した視点で重要判例を選び、すべてを1人で解説することにより統一的に理解できる判例ガイド。
1頁に1判例、判旨の要点がひと目でわかるよう2色刷りにし、読者の学習に配慮した判例解説の最新版です。
この2年間に、有期・無期労働者間の労働条件格差に関する判例など、注目すべき判例が登場しました。それらの判例を収録しつつ、必要かつ十分な判例を読者に届けるという目標を念頭に厳選した結果、新規判例8件を追加、8判例を削除し、全面的に記述を見直した200判例を収録しました。また、読者の参考になるよう、著者の著作『人事労働法』の該当頁を解説の末尾に掲載しています。
法学部生をはじめ、各種国家試験受験生、社労士、企業の人事・労務担当者に最適の1冊。 

というわけで、いくつか追加された判例あれば、代って削除された判例ありで、メトロコマースと日本郵便の代わりに丸子警報器が消えてゆくのは一抹の寂しさがありますね。

 

 

2022年1月10日 (月)

「ジョブ型」祭りには一服の清涼剤としてこの一冊

ちょうど一昨年の今頃から日立製作所をネタに始まった日経新聞主導の「ジョブ型」祭りは、今年もますます燃料を投下しつつ続けていくようですが、

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC263I70W1A221C2000000/(日立製作所、全社員ジョブ型に 社外にも必要スキル公表)

 日立製作所は7月にも、事前に職務の内容を明確にし、それに沿う人材を起用する「ジョブ型雇用」を本体の全社員に広げる。管理職だけでなく一般社員も加え、新たに国内2万人が対象となる。必要とするスキルは社外にも公開し、デジタル技術など専門性の高い人材を広く募る。年功色の強い従来制度を脱し、変化への適応力を高める動きが日本の大手企業でも加速する。・・・・

さすがに、一昨年の頃のいい加減な記事に比べると、(さんざん批判されたからか)言葉の使い方に若干注意が払われた跡が見受けられますが、

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC07CB90X00C22A1000000/(ジョブ型雇用とは 職務明確化、専門性高める)

働き手の職務内容をあらかじめ明確に規定して雇用する形態のこと。事業展開に合わせて外部労働市場から機動的に人材を採用する欧米企業に広く普及している。会社の業務に最適な人材を配置する「仕事主体」の仕組みといえる。特定の業務がなくなれば、担当していた人材は解雇されることも多い。・・・・ 

それにしても、これからの新商品として売り込んでいきたいという商魂だけは見事ににじみ出ている記事ではありますね。

71ttguu0eal_20220110112101 祭りが始まってから2年たった今年には、もういちいち反応するんじゃなくって、大事なことはすべてこの本に書いておいたから、ぜひ読んでね、とだけ言っておきます。少なくともジョブ型ってのは古臭いベースラインモデルなんであって、新商品ネタとしてもてはやすようなものではなく、メンバーシップ型こそが少し前にやたらもてはやされていたが今は落ちぶれた古びた新商品なんだということくらいはわきまえて喋ることができるようになるはず。

ちなみに、この日経新聞が年末に経済図書ベスト4位に選んでいただいたおかげか、

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO78742310U1A221C2MY6000/

年末時の岩波新書の売り上げベスト10の1位になっていたようで、

https://www.iwanami.co.jp/news/n45220.html

まあ、ありがたいことではあります。

 

2022年1月 9日 (日)

日本的特色のある「サービスしてよ経済化」「サービスしまっせ経済化」

過去数十年にわたって、世界でサービス経済化が進んできたけれど、日本におけるそれはかなり特殊なものだったのではないか。やや皮肉を込めて、日本的特色のあるサービス経済化とでも言いたくなるようなものだったのではないか。

それは、アカデミックな文章語ではあまり表面に現れないが、日常言語では極めてありふれた言い回しである「サービスしてよ」とか、「サービスしまっせ」という表現に滲み出ている、無料とか、安価といった意味合いが限りなく染み込んだ、そういう「サービス経済化」であったのではないか。

その結果、世界共通のサービス経済化が、日本においては、低価格、低賃金の、いわば「サービスしてよ経済化」「サービスしまっせ経済化」をもたらすことになったのではなかろうか。

2022年1月 7日 (金)

「日本流」ジョブ型雇用 何が問題か@『週刊東洋経済』1月15日号

51grzzg1l_sy344_bo1204203200_ 『週刊東洋経済』1月15日号が、昨年末に東洋経済オンラインに載ったインタビュー記事の縮約版(奥田記者によるまとめ記事)を載せています。

https://premium.toyokeizai.net/articles/-/29319

短くなって、やや意が通じにくくなっているところもありますが、言っている趣旨はいつも同じです。

・・・・欧米のジョブ型雇用も完璧ではない。

欧米では働きぶりや能力評価ではなく、公的な資格がモノをいう。会社で昇進するには、自分の実力を客観的に証明する資格を取り、それを武器に、より上の職務の公募に手を挙げるやり方が一般的だ。だが、資格があるからといって必ずしも実務で「使えるヤツ」なのかといえば、そうとも限らない。逆もまたしかりだ。

濱口氏は、「どの雇用制度が正解だと言うつもりはない。日本企業がこれまでの賃金処遇制度に問題意識を持ち、新たな人事制度を取り入れようとしていること自体は理解できる。ただ、制度の違いや中身を本質的によく理解したうえで考えるべきだ」と話す。

ジョブ型雇用は職務が固定化され専門性が高まる一方、「潰し」が利かなくなる一面を持つ。AI(人工知能)に取って代わられ、仕事が消えてなくなる可能性も否定できない。雇用の大転換期にある今、働く側が身の振り方を主体的に考えることが重要になる。

 

【本棚を探索】第1回:ブランコ・ミラノヴィッチ『資本主義だけ残った』

『労働新聞』に代わる代わる月1回連載してきた書評コラムですが、新年からは「本棚を探索」というタイトルで、引き続きやっていきますのでよろしく。

Img20210802_05433751 その第1回目が本日ネット上にアップされています。ブランコ・ミラノヴィッチの『資本主義だけ残った』です。

https://www.rodo.co.jp/column/119798/

 昔のキャラメルのCMではないが、1冊で2度おいしい本だ。1つ目はアメリカをはじめとする今日の西側の資本主義を「リベラル能力資本主義」と規定し、それがもたらすシステム的な不平等と、それがなまじ能力による高い労働所得に基づくがゆえに旧来の福祉国家的な手法では解決しがたいパラドックスを描き出す第2章である。

 19世紀の古典的資本主義では、資本家が裕福で労働者は貧しかった。20世紀の社会民主主義的資本主義では、社会保障や教育を通じてかなりの再分配が行われた。これに対して、21世紀のリベラル能力資本主義では、多くの人が資本と労働の双方から収入を得ており、金持ちの多くはその「能力(=人的資本)」に基づいて高額の給料を得ている。高学歴の男女同士が結婚(同類婚)することで階級分離が進み、相続税が高い社会でも学歴という形で不平等が世代間移転される。こうなると、課税と社会移転という20世紀的なツールの有効性が低下する。一番始末に負えないのは、勤勉で有能であるがゆえに高給を得、夫婦親子でエリート一族を形成する彼らを道徳的に批判することが(かつての「有閑階級」と異なって)困難である点だ。この章は、みんながうすうす感じていたことをあっさり暴露した風情がある。

 次の第3章は中国(とその眷属国家)の有り様を「政治的資本主義」と規定し、その世界史的位置付けを試みているが、これだけで十分一冊になる。著者によれば、共産主義は植民地化された後進国の資本主義化の手段である。そして優秀な官僚、法の支配の欠如、国家の自律性に特徴付けられる政治的資本主義には、腐敗と不平等という宿痾がまつわりつく。なぜなら、法の支配が故意に柔軟な解釈をされ、横領に手を染めることが可能となるからだ。これに対して一部評論家が提唱する法の支配の強化という処方箋は、官僚の自由裁量権をなくすことになるので採り得ない。

 そこで習近平政権は腐敗に手を染めた役人を片っ端から摘発する(ハエもトラも叩く)。とはいえ、それは腐敗の一掃が目的ではなく、「腐敗の川を川床内に留めおき、社会にあまり広がらないようにする」ことにすぎない。「洪水の如く溢れたら最後、腐敗を持続可能な程度まで押し戻すのは極めて困難」だからだ。

 以上だけでもおいしいが、第4章以下では、労働と移民のパラドックス、アンバンドリングとしてのグローバル化、世界に広がる腐敗、道徳観念の欠如、さらには人工知能とユニバーサル・ベーシックインカムなど、今日話題のネタもたっぷり詰め込まれている。だが、本文最後で語られる未来図はいささか心冷えるものである。それは、リベラル資本主義の下で形成されつつある新たなエリート層が、今よりはるかに社会から独立した立場につき、政治的領域を支配するようになる、つまり政治的資本主義に近づいていくというシナリオだ。人々の頭の中から政治を消し去り、国民を満足させておける比較的高い成長率をもたらすために、経済をすこぶる能率的に管理することが求められる。そして恐らくこのシステムに土着の腐敗が増え、長い目で見れば政権の存続の脅威となる、と。

 

 

2022年1月 6日 (木)

労働組合は利益団体(ほぼ再掲)

 なんだかまたぞろ、岸田首相が連合の新年会に出席したというニュースをネタに、労働組合を政治団体か思想団体か宗教団体かと取り違えた発想がネット上で拡散されているようですが、あまりのデジャブに、以前のエントリに書いた文章をそっくりそのまま自分でコピペする以外に何とも言いようがない感が半端ない・・・。

どれくらいデジャブかというと、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-4e73.html(労働組合は利益団体)

なんだかまたぞろ、自民党の幹事長が連合の会長と会談したというニュースをネタに、労働組合を政治団体か思想団体か宗教団体かと取り違えた発想がネット上で拡散されているようですが、あまりのデジャブに、以前のエントリに書いた文章をそっくりそのまま自分でコピペする以外に何とも言いようがない感が半端ない・・・。 

ということで、そのデジャブの元のエントリはこちら:

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-07d6.html(首相、連合の次期幹部と会談)

まあ、政治部の記者が政治面に書く記事ですから、どうしても政局がらみの政治家的目線になるのは仕方がないのかも知れませんが、ここはやはり、労働組合とは政治団体でもなければ思想団体でもなく宗教団体でもなく、労働者の利益を最大化し、不利益を最小化することを、ただそれのみを目的とする利益団体であるという、労使関係論の基本の「キ」に立ち返ってもらいたいところです。
労働者の利益のために白猫が役立つのであれば白猫を使うし、白猫が役に立たないのであれば黒猫を使う、というのは、労働組合を政治団体か思想団体と思い込んでいる人にとっては原理的に許しがたいことかも知れませんが、利益団体としての立場からすれば何ら不思議なことではありません。
政権と対決して労働者の利益が増大するのであればそういう行動を取るべきでしょうし、そうでないのであれば別のやり方を取るというのも、利益団体としては当然です。
問題はむしろその先です。
利益団体としての行動の評価は、それによってどれだけ利益を勝ち取ったかによって測られることになります。それだけの覚悟というか、裏返せば自信があるか。
逆に言えば、政権中枢と直接取引してそれだけの利益を勝ち取る自信がないような弱小団体は、下手に飛び込んで恥をかくよりも、外側でわぁわぁと騒いでいるだけの方が得であることも間違いありません。しかしそれは万年野党主義に安住することでもあります。
上の記事は政治部記者目線の記事なので、政治アクターにとっての有利不利という観点だけで書かれていますが、労使関係論的に言えば、労働組合の政治戦略としてのひとつの賭であるという観点が重要でしょう。

まあ、こういうことを百万回繰り返しても、やっぱり労働組合を労働者の利益団体だとはかけらも思わず、政治団体か思想団体か宗教団体かと取り違える人々は尽きることがないようです。

 

 

2022年1月 4日 (火)

『改革者』等に書評

新年出勤すると、いくつかの雑誌が届いていて、そこに『ジョブ型雇用社会とは何か』の書評が掲載されておりました。

22hyoushi01gatsu まず、私も執筆したこともある政策研究フォーラムの『改革者』1月号には、梅崎修さんによる1頁の書評が載っています。

とりわけ、次の一節は嬉しい評価です。

・・・未読の方は、濱口氏本人がジョブ型改革の必要性を主張していると思われるかも知れない。ところがそうではなく、本書は、その改革がいかに誤解に満ちた迷走であるかを批判し、正し歴史認識の必要性を主張しているのである。
 本書が喝破したのは、ジョブ型改革が「成果主義」のリベンジになっているという事実であろう。・・・

Kaikaku

もう一つ、こちらは京都のNPO法人あったかサポートセンターの『あったか情報』に、同NPO法人の半田敏照さんがこれまた1頁の書評を書かれています。こちらの目の付け所は、次の一節にあります。

・・・この著書では、日本の雇用慣行がもつ多くの矛盾を、ジョブ型の切口から独特な語り口で指摘し、読者を納得させてくれるのである。・・・

Attaka

 

 

 

 

2022年のキーワード:フリーランス@『先見労務管理』2022年1月10日号

Senken2022 『先見労務管理』2022年1月10日号に「2022年のキーワード:フリーランス」を寄稿しました。

なお、この号では、警備員の欠格事由規定放置は国会の立法不作為だとして国家賠償をみとめた昨年10月の岐阜地裁判決の解説が興味深いものでした。

 

 

2022年1月 1日 (土)

新年明けましておめでとうございます

Imgp0782 昨年も世界中がコロナ禍に苦しみ、波乱に満ちた一年となりました。また前年に引き続き、マスコミを中心に「ジョブ型」という言葉が歪んだ形で流行し、この言葉の名付け親としては、きちんと始末をつけねばならないと考えました。
 わたくしは三月に『団結と参加ー労使関係法政策の近現代史』(労働政策研究・研修機構)を刊行した後、覚悟を決めて九月には『ジョブ型雇用社会とは何かー正社員体制の矛盾と転機』(岩波新書)を世に問いました。幸いにして多くの心ある方々の好評を得ることができ、『週刊東洋経済』のベスト経済・経営書にも選んでいただきました。
 今年こそは内外ともに良い年となり、皆様にとっても素晴らしい年となりますように心よりお祈り申し上げます

二〇二二年一月一日

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