梅崎修『日本のキャリア形成と労使関係』
梅崎修さんの『日本のキャリア形成と労使関係 調査の労働経済学』(慶應義塾大学出版会)をお送りいただきました。ありがとうございます。
https://www.keio-up.co.jp/np/isbn/9784766427905/
◆ 日本的雇用システムの原理を聞き取る ◆
働き方の多様化に伴い、労使の関係性についてもさらに進んだ分析が必要とされている。
今世紀に入って大きく変貌したわが国の雇用システムについて、深い聞き取りと質問紙調査によって新たな労使関係のルールと制度を検証し、その上で既存の理論体系の更新、調査方法の改良、分析範囲の拡張を目指す画期的研究。▼伝統的で地道な分析手法の復権。新たな労使関係のルールと制度を、聞き取りと質問紙調査によって精緻に検証する。
▼日本型雇用システムの実態把握を大きく進展させる意欲的研究。
今日の日本では働き方改革が叫ばれて久しいが、これは主に家族や地域の変化に応じて働き方を変えなければならないという、労働者側の視点から雇用システムを検討した議論といえよう。一方で、企業や労使関係側からの改革案が議論される機会は少ない。雇用する側や労使関係の視点からさらに多くの意見が出され、日本型雇用システムの「現在地」が明らかにされる必要がある。
この「現在地」に最も肉薄する手法が、実地での聞き取り調査と質問紙調査という、一見アナログで地道な手法だ。数字や統計からでは見えてこない真の実態を、理論体系の上にエビデンスとして補強し、より真の姿に近づくことこそが求められている。伝統的だが、ここしばらく途切れている手法を復権させる、働き方の実像に迫る力作。
全体は大きく、技能、キャリアパス、労使関係に分けられますが、半分強は労使関係の分析で、そこはかなり面白いし、キャリアマネジメントのところも興味深い事例が取り上げられています。
序 章 問題、方法、意味
第Ⅰ部 競争力の源泉としての技能
第1章 職場を構想する力――機械製造工場の事例
第2章 「探求」を促す組織と人事――粉体機器の製品開発
第Ⅱ部 キャリア・マネジメントの諸相
第3章 職能別キャリア管理と長期選抜――同期入社の人事データ分析
第4章 非正規化と人材育成の変容――大学職員の事例
第5章 適正な仕事配分――メンタル不調者の復帰の事例
第Ⅲ部 労働者の発言のゆくえ
第6章 問題探索のための協議――労使協議制の運営
第7章 中小企業の中の労使関係
第8章 三つの窓口――労使協議・団体交渉・苦情処理の比較
第9章 組合効果に雇用区分による分断はあるか――契約社員と正社員の比較
第Ⅳ部 多層的な労使関係
第10章 労使関係の中の三者関係――常用型派遣事業の事例
第11章 キャリアを支援する労働組合――ワーク・ライフ・バランス施策の導入事例
第12章 二つの労働組合――中小労働組合運動の事例
あとがき
なお、序章で小池和男の理論についていろいろと論じられていますが、なるほど、私が小池理論に違和感を禁じ得ない理由はこれなんだな、というのが、13ページあたりからでてくる調査方法論の存在論と認識論でした。前者は、調査する対象が調査者とは独立して存在するのかしないのか、後者はその存在は客観的に観察できるのか、というなかなか哲学的な問題ですが、別段独我論を言っているわけではなくて、客観的に観察可能なデータの向こう側に、概念実在論的な何かが存在していると考えるかということなんでしょう。そして、梅崎さんによると、
・・・以上のような方法論上の分類を踏まえると、小池の方法は、多くの質的調査とは異なり、明確に基礎づけ主義で実証主義の方法である。このような立場で、なおかつ聞き取りを選択することに小池の特殊性がある。多くの実証主義の調査は質問紙調査であるが、小池は、技能のような社会現象は質問紙では客観的に測定できないと考える。だがしかし、「測定指標を作りこんだ聞き取り調査」ならば客観的に測定できると言明したのである。・・・
賃金が幾ら払われているかというのは客観的に観察可能なデータです。社内でどういう資格を得ているかというのも客観的に観察可能なデータです。一方、一人一人からの聞き取りなりによって、どういうシチュエーションでだれがどのようなことをやってきたかということも、個別データとしては客観的に入手することができる情報でしょう。しかし、これらの向こう側に、それ自体は直接測定することのできない「知的熟練」なるものを想定し、いや想定することはいいのですが、それがその聞き取りによって客観的に測定することが可能であるというところに行くと、その概念実在論にはついていけない感じがしますし、さらにその想定上の「もの」が賃金額やら社内資格やらに表れているという話になると、それは話がひっくり返っているという感じがしてきます。
以前、鶴光太郎さんがやっていた経産研の研究会で喋り、その後WEB労政時報に二回に分けて載せた小池理論批判がありますが、
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/post-af37.html
結局この哲学的な方法論の違いに行きつくのかもしれません。
私の関心ある領域に引き付けてややカリカチュアライズして描いてみると、たとえばあっせんや労働審判、裁判上の和解で、解雇が金銭解決する場合、その金額はいろいろな要因なりで決まってくるわけですが、当事者の主観から独立な客観的な「解雇の不当性」という何かが厳然と存在していて、それは質問票なんかでは測定できないけれども、ちゃんとした聞き取りをやれば客観的に測定することが可能なんだという議論を見ているような感じがします。そしてその客観的に存在している「解雇の不当性」というものによって、客観的に測定可能なデータとしての解決金額という数値が生み出されているんだという話になったら、冗談じゃないよ、といいたくなります。そういう概念実在論は、正直私はとても苦手です。
« EUプラットフォーム労働指令案への労使の反応 | トップページ | 雇用調整助成金に業種限定がなくなったのは・・・ »
« EUプラットフォーム労働指令案への労使の反応 | トップページ | 雇用調整助成金に業種限定がなくなったのは・・・ »
コメント